ポインセチア

ポインセチア

今年の九月に女手一つで私を育ててくれた母が胆管癌だと診断されてから、私は母が死ぬ事を頻繁に想像する様になった。幸い手術適応な状態なので、手術をすれば今すぐに死ぬ事は無く後何年かは生きられると医師は言う。けれど極度の怖がりの母は手術を受ける事を躊躇している。不安と恐怖で自分でもどうすればよいか診断から二カ月が経っても答えを出せないでいた。そんな母を見ていると母が死ぬという事が現実として押し寄せ常に私の頭の中をぐるぐると渦巻き、母が死ぬ瞬間を嫌でも想像してしまい私はひとしきり泣いてしまうのだった。それはまるで本番を迎える為の予行演習の様で、母の死に直面した時の悲しみを少しでも軽くする為の儀式の様にも思えた。

自分が子供の頃や若い時には自分の母が死ぬという事を現実として考えた事も無かった。母という存在はずっと自分の側に元気で居続けてくれる様な錯覚、絶対的な存在として私の中であり続けていたのだけれど、自分自身の年齢が五十歳に差し掛かろうとしている現在、母はもうすぐ八十歳を迎える。自分よりも何十年も長く生きてきた母は恐らく、自分より先にいつか必ず死んでしまうのだという現実を 今では痛切に感じる様になってきた。

病気が発覚してからの母は、医師が強く勧める手術から現実逃避しているかの様に見えた。定期診察には辛うじて行くけれど、手術をするかの返事は今でも保留のままでやり過ごしている。手術をした方が良いと言う私の言葉にも耳を貸さない。手術中に死ぬ可能性もある、開腹して癌が他の臓器に浸潤している場合はインオペラブルになる、手術しても転移すれば長生き出来ない、苦しくて辛い思いはしたくないと言うのが母の言い分だ。今のところは幸い痛み等の自覚症状もまだ出ていなかったので比較的穏やかに過ごせていたけれど、世間がクリスマスムードで賑わう十二月に入ると事態は急変した。

お腹の癌が母の身体の中で悪さをし始め、胆管炎を発症し高熱が下がらず母は緊急入院を余儀無くされた。絶食と点滴治療で症状は落ち着いたけれど、根本的には何の解決にもなっていない。治療のお陰で高熱も治まり穏やかな母の寝顔を見ていると、何だか自分の子供の様に思えた。それは私が大人になり過ぎたからなのだろう。自分の為におむつを替え乳母車を押してくれた人の為に、今度は自分がおむつを替え車椅子を押してあげる事は当然の事なのだと感じる。

「今日は何日…」目覚めた母がそう私に聞いてきた。入院していると日付けの感覚が麻痺する。
「十二月二十日。もうすぐクリスマス…昔、クリスマスの時は必ず紙で出来てる靴の形をした入れ物にお菓子がたくさん入ってるのを買ってきてくれたね」
「あんなの今でも売ってるのかしら」
「さあ?買ってきてあげようか?」
母はいらないわと言って苦笑いした。私も子供の頃正直それを貰ってもあまり嬉しくはなかった。好きなお菓子は入ってないし、靴の大きさの割にはお菓子の量も少なかった。けれど、ただ母が買って来てくれるという事が嬉しかったのだ。

母がそう言ったから私は気になって近くのスーパーで靴のお菓子を探してみた。結婚もしていないし子供もいない私にとってそんなお菓子は縁遠いものなので今迄意識した事は無かったのだけれど、今でもまだその靴のお菓子は売っていた。クリスマスブーツと呼ばれていて、昔は紙だった靴が今は発砲スチロールで出来ていて本物のブーツの様でとても可愛らしかった。二つ揃ったら履いて遊べそうだ。買おうか迷っていると、スーパーの片隅の小さな花売場のポインセチアが目に止まった。花や植木が好きで家の小さな庭で色々な花や木を世話していた母はきっと喜ぶだろう。私はポインセチアの鉢植えを購入した。鉢植えは病室に持っていけないけれど。

その日病院に向かった私はすぐに母に報告した。
「今日ピンクのポインセチアの鉢植えを買ったの」
「ピンク?そんな色のポインセチアがあるの?ポインセチアと言えば赤だけど…」
「何年か前に品種改良されて出来たみたい。とっても可愛いわよ」

外は寒いから室内に置いておく事、夜は光を当てない事、水やりは冬場は三日に一度位で良い事、などなどうるさく言って来たので、面倒臭い事この上無かった。けれど口うるさく言える様になったら元気が出てきた証拠だ。
「ピンクのポインセチア早く見てみたいわ。それまで枯らさないでよ。私、手術受ける事に決めたから。私がもし死んでも泣かないでよ」
大丈夫。失う覚悟はとっくに出来ているから。

ポインセチア

ポインセチア

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-12

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