小説感想あ行作家
blogのアカウントを移行したので過去記事を漁る際めんどくさく、自分自身の備忘録としてまとめ始めました(11月12日から)順次他の行も追加していきます。また読み終えたら追加していきます。
「星やどりの声」朝井リョウ
七夕の日に読みきりました。星をモチーフにした、しかも夏の時間軸の作品です。雰囲気ぴったりでした。
朝井リョウさんは初めて読む作家さんです。桐島部活やめるってよの作者さんですね。私、話題になると読みたくなくなる病にかかってまして。たぶん同じ病のかた、けっこういらっしゃるでしょう。おそらくキッカケが無かったらこの先も読むことは無かったかもしれません。
ユリちゃんのラジオで本紹介コーナーがあるのです。7月のテーマは「星」です。そんなやりとりをしている時に本屋でカドフェスがやってまして。タイトル「星やどりの声」を見て、あ、星じゃん、読んでみようと購入しました。
私は涙腺激弱なんです。幼少期から思春期にかけて喋れない→笑えない→泣けないというのを少しずつ克服してきましたので泣けない時期が長かったんです、多分その時に溜まったせいです(笑)
半分まで読んだあたりで、もうウルウルですよ。
というか、設定が「6人姉弟」「父が大好き」って身に覚えがありすぎます。私も5人姉弟の長女で父親のこと大好きですから。
家族からだけではなく、町のみんなに好かれていた建築家の父を亡くした三男三女と母の話を、子どもたちひとりひとりの視点で6章に分かれて語られている構成でした。
父親が母親の為にリフォームした喫茶店を、入院する前の最後の仕事として2度目のリフォームをします。星のかたちの天窓を作って「喫茶店はやさか」から「星やどり」に店名を変えるのです。
母親は「そんな、ロマンチック過ぎる」と反対したのですが、父親から意味を聞かされ、その名前にします。そしてそれはラストシーンまで子どもたちに内緒なのです。
読者はそれを謎として読みすすめることになります。
展開としてはホームドラマにはよくある王道。ただ音や色の描写が綺麗です、すごく。全体的に爽やかですね、この作家さんはきっとリア充イケメンの青春を謳歌したタイプでしょう。ひねくれた表現があまり無くて悪人がまったく出てこないです。悪い子ども扱いされてる女子も「ちょっと性格悪いんじゃない」程度です。善意の溢れかえった世界です。普段ジメジメした作風を読むことが多い私にはかなり眩かったです。
朝井リョウさん原作「チア男子」のアニメ1話も観てみました。ウォーターボーイズみたいな展開になりそうですね、そういう系統好きなので2話目以降も楽しみです。
気になったかたは是非、夏が終わらないうちに読んでください。海の近くで読めれば尚良いと思います。
2016年7月7日のblog記事
「ピストルズ」阿部和重
阿部和重さんの神町サーガ、シンセミアの六年後の物語
テーマは超能力、魔女狩り。
人心掌握の秘術を一子相伝で継がせる菖蒲(あやめ)家に興味を持った書店員の語りと菖蒲家次女のインタビューでの語りで構成されている。
私は、シンセミアは未読だった。巻頭の登場人物の相関図に「人多い、覚えられない!」と読むのを断念したからだ。
ただ、この作品は補填として読むのにも、シンセミア入門として読むのにも適した作りになっていた。
グランドフィナーレ、ニッポニアニッポンは読んでいた為、神町に馴染みがあったからかもしれない。
実は阿部さんの作品は苦手だ。面白くないのではなく、徒労感がスゴくて。
遊びがない、と言えばいいのか、数学の「証明」をずっと読んでいる気になるのだ。
ただ、その苦痛を乗り越えて、ハマると中毒になる。
本の真ん中に読み進むまで四日かかって、後半は三時間で読めた。
次はシンセミアを読もう。
阿部さんが好きな方は当然読むと思うので、
未読のかたはグランドフィナーレから、がいいのかな。比較的読みやすいです。
アメリカの夜からは入らない方が良いです。
私は、あれ読みきるのに一ヶ月かかりました。
ファンの人はさらっと読めるのだろうか? スゴいなぁ。
2011年1月11日のblog記事
「クエーサーと13番目の柱」阿部和重
平成23年2月~4月号「群像」
若手の株投資家カキオカに雇われた不合法のパパラッチ集団がアイドルを盗撮する話。
パパラッチメンバーの中で班のリーダーを任されることが多いタカツキリクオの視点を中心に描かれている。
孫が生まれたのをきっかけに最年長のミドリカワがチームを抜けることになった。壮行を兼ねた料亭の席でミドリカワはタカツキリクオに不思議な成功体験談を聞かせる。新興宗教のような怪しさにタカツキリクオは呆れていた。
引き寄せの法則―――宇宙にある万物のデータベースにアクセス出来れば“願ったことが実現する”というのだ。
阿部一重さんの作品を読む時はいつも時間がかかる。まず半分くらいまで読むのに1ヶ月かかるのだ。いや、私だけなんだろうけども。
触った事のない予想も出来ない機械を操作する前に読む説明書に目を通すような気分というか。
解らないまま、なんとなく読めばいいのかもしれないけど、それは嫌なのだ。阿部一重さんの世界はディープだから上っ面をなぞったって、それは読んだことにはならない。
そして読み終えた今、まだこの作品の真意にたどり着けてない。こういうことかな、という朧げなイメージはあるのだけど、自分の脳内ですら形に出来ていない。
でもこれがいいのだ。他の作品もそうだった。ストーリーの内容とかキャラとかは残らずに、強い、深い“メッセージ”だけが体内に蓄積する。
そしてそれは時間をかけて浸透し、ある時はじけるのだ。
「インディヴィジュアル・プロジェクション」がそうだった。読んだ時は解らずに、「ドーン」を読んだ時にはじけた。繋がって理解して自分自身でそれを説明出来るようになった時の感動ったらないね。
他の作家の作品を読んだ時、映画を観た時、誰かと話した時。
あー! あの時の感覚ってコレか!
と解る瞬間がある。
これだから、難解な小説はたまに読みたくなるのだ、ずっとだと熱が出るけども。
深いほうのテーマは体内に寝かし中だけど、表向きのストーリーもスピード感があって映画を観てるみたいで楽しかった。登場人物が読んでた小説やプロローグ、作品タイトルが全て伏線になっていて終盤の事件に結びつくのもハラハラして夢中で読んだ。
それとメンバー内で交わされる皮肉合戦も面白い。
最後のタカツキリクオの掲示板への書き込みがめちゃくちゃカッコイイんだ。
自分に都合のいい解釈をして、願いが叶ったなんて言うな。運命を引き寄せられるのは、願いを叶えられるのは、未来を見据えて鮮明なイメージを創り出して、そこにたどり着くべく、目的を果たす努力をした奴だってこと。
そんな意味合いの展開。これは表向きのメッセージ。
でもアタシは序盤から時折出される“枠に囚われない為にはどうする?”ってメッセージをずっとずっと考えてる。
タカツキリクオが出したひとつの結論は“表の世界を歩かないこと”だった。
反抗せずにシステムに組み込まれて生きていくことは善だろうか?
法に触れた行動をする人間はすべて悪だろうか?
私がこの作品の中で一番善人だと思ったのはタカツキリクオの歳下の相棒サワザキコウタだった。暴力ふるいまくってるんだけどね、信用出来るんだ。
逆に、いつもニコニコして対応良い人を信用なんて出来る?
2013年5月13日のblog記事
「キケン」有川浩
平成21年3月号~7月号「小説新潮」
某県某市、成南電気工科大学――ほどほどの都市部に所在し、ほどほどの偏差値で入学でき、理系の宿命として課題が鬼のように多い、ごく一般的な工科大学である。
そして、この成南大に数ある部活の一つに『機械制御研究部』があった。
略称【機研(キケン)】。
しかし、この略称が部にまつわる様々な事件から、ある種の畏怖や慄きを持って名付けられたことは、機研黄金期の在学生には広く有名だった。
機研(キケン)=危険。
その黄金期。【機研】は正しく危険人物に率いられた危険集団であった。
~巻頭より引用
有川さん初読み。仲良しblogerゆずさんプッシュもあり、珍しく『恋愛小説を得意とする女性作家さん』を読んだ。
自分では絶対に選ばないなぁ。
青春おバカ小説は大好物で、実に楽しく読んだ。
台詞の掛け合いがリズムや軽さを重視し過ぎていて、リアル感に欠ける点があるけど
『そういうスタイルで行くから慣れろ』という作者の思惑を受け入れられれば問題ない。
『ここはグリーンウッド(漫画)』に似ているか。
(たとえが古すぎだろとも思うが『究極超人R』『マカロニほうれん草』はもっと知らないよな。)
漫画的である、というか漫画との合作である。作者本人も『新しい試み』と後書きで書いてらした。
緩急の無さが若干物足りない。常におバカパワーMaxで哀愁が無い。
ひとつの集団で争いが全く起こらないのも青春小説としてはどうかと思った。
けど、わざとなんだろうな。
作者が自分の売りはコレだ! と決めているのだろう。
ファンには幸せな決定だ。
『前のスタイルには戻さない』と宣言されている伊坂さんファンには羨ましくて、しょうがない。
2011年5月7日のblog記事
「三匹のおっさん」有川浩
平成20年3月号、5月号、7月号、9月号、11月号「別冊文藝春秋」
清田清一は勤めていたゼネコンを定年退職し、会社側が回してくれた嘱託職員でアミューズメントパーク〈エレクトリック・ゾーン〉の経理をする事になった。
退職日、家では清一の退職祝い・還暦祝い・誕生日祝いが行われたが、
息子夫婦に父から受け継いだ剣道道場を生徒が居なくなったのだから潰して嫁のピアノ教室にしようと切り出される。
妻である姑が一喝し、嫌な空気になった家を飛び出し、行きつけ飲み屋〈酔いどれ鯨〉に向かった。
酔いどれ鯨の元亭主、立花重雄、重雄に呼び出された工場経営者、有村則夫は幼なじみである。
二人に、ひどい誕生日祝いを愚痴って慰めてもらっていたが、翌朝、重雄にある提案を持ちかけられる。
定年になって"暇"になったから。
『三匹のおっさん』どもで『私設ボランティア』でもやってみないか?
清一は剣道師範、重雄は柔道家、則夫はうっかり食いしん坊……ではなく、頭脳派、機械工学担当。
現代版【三匹が斬る】みたいなカンジ。ご近所で起こる事件を痛快に鮮やかに解決する。
8:50になったら印籠が出てくるよろしく【お決まり】パターンだぞっ!
と読み手側に思わせるような造りで、絶対解決出来ると解って読みつつ痛快さをニヤニヤ楽しむ為の物語だ。
清一の奥さん芳江のキャラがまた良い。毒舌がテンポよく繰り出され、必殺仕事人の中村主水のお義母さんみたいだ。
まさに作者があとがきで書かれている通り、【時代劇】である。
清一が孫である祐希と少しずつ交流していく関係や、祐希の恋愛模様、おっさんそれぞれの家族事情。ホームドラマや恋愛コメディ要素も良く出来ていて質の良いドラマを観ているよう。
そこまでが完璧なだけに、とても惜しい。
悪役が『駒』になっちゃってる。
痛快に倒されるだけの存在になってしまっている。
おっさんどもが『悪』に対して憤りを語る台詞が凄く良いし、ト書きで語られる犯罪への怒りの文章が凄く良いのに、
肝心の悪役がちっとも怖くない。残虐性が感じられないのだ。
これではホントに【越後屋と悪代官】だ。
扱っている犯罪が〈強姦未遂〉〈動物虐待〉と酷いだけに、それだけが引っかかった。
軽犯罪だったら、このノリでも満点! だったのになぁ。
素晴らしい作品だけに、ワガママ言いたくなる。
オススメ。
2011年6月14日のblog記事
「キャプテンサンダーボルト」阿部和重 伊坂幸太郎 合作
タイミング良く仙台市に行ってきたこともあり、山形と仙台が舞台の今作を強いイマジネーションで読めたのが幸いです。主人公たちの逃走劇を知っている道路でやられるのはいいですね。同じ感覚は北海道舞台が多い佐々木譲さんの作品でも味わえました。
阿部さんと伊坂さんが仲良しなのは伊坂さんのインタビューなどから知っていたんですけれど、購入した時は合作ってどうなの? と一抹の不安がありました。お二方とも好きな作家さんですけれど作風がタイプ違い過ぎるのでは? え、合わせられんの? と。
結果としては阿部さんの魅力、スピーディ展開と暴力描写の圧倒的なリアリティに、伊坂さんお得意の会話の軽妙さと伏線回収の気持ちよさが合わさったエンターテインメント作品になってました、最高。
あと犬可愛い。出番多いし。室内で小型犬を飼っていますが、大きな犬を連れて歩くというのも憧れます。
作中ではヒーローへの憧れが裏切られた少年時代の回想に、大人になった彼等が自分の人生を悲観し過去の自分に対して申し訳なく思ってることを重ねています。
これを大人になった主人公たちが悪に立ち向かって絶望的状況に追い込まれながらも起死回生をうかがうことでハラハラさせられ……そしてラストには! という展開。胸熱です。
最後、出来過ぎだろ、とは思いますが、いいんです。だって小説だもの。夢がなくてどうする。
私は特撮がけっこう好きなので特撮の話がずっと出るのも満足でした。洋楽とかメインに持ってこられるといまいち感情移入出来ないので。
あとはやっぱりマー君ね!(笑)
田中将大投手が連勝記録を作っていた年と作中がリンクしているので、そのエピソードが頻繁に出てくるのも楽しめたうちのひとつ。緊迫した展開なのに警察がマー君の試合をやたらと気にしてるのが笑えます。うん、でも多分仙台市内住みのおっちゃんたちは職業関係なくこうなってたんだろうなと思えます。伊坂さんもどうしても書きたかったのでしょうね(笑)
2015年5月17日のblog記事
「陽気なギャングは三つ数えろ」伊坂幸太郎
日曜日に購入した「陽気なギャングは三つ数えろ」を終始ニヤニヤしながら読み終えました。9年ぶりのシリーズ新作です。
時が経って、私も性格はだいぶ変化したはずだとは思うのですが、やっぱり久遠が一番好きです。章ごとの辞書シリーズは今回あまり遊んでなかったのは気のせいかしら?( ´・_・`) 規制とかいろいろ厳しくなったからかなぁ。
分かりやすい伏線が「あ、これも伏線かな、これもだな、これもか?」と読み手にバレバレで散りばめられてるのがこのシリーズの特徴で、都合が良すぎるほどぜんぶ繋がっていくのを楽しめばいい。
僕の書きたい小説は読んでて楽しければいい。伊坂幸太郎さんデビュー頃のインタビュー記事で語られてましたね。
御本人あとがきで、グラスホッパー、マリアビートルに続く新作も書くよと触れてました。超楽しみ!
作風を変えるって宣言されてから、その作風を変えたであろう作品が、どうも最後まで読み切れずに終わり、デビューから新作が出る度に新刊を購入していたのですが、それも躊躇して文庫化を待つようになっていたのですけれど。この作風が確約されてるシリーズは安心して購入できますわ。
2015年10月27日のblog記事
「死神の浮力」伊坂幸太郎
2013年7月に単行本が発売になってまして。買おうかどうか悩んだあと、また悲劇の未来が見えまして。
ハードカバーで買ったのを積ん読してたら文庫本が発売されてしまうという、お馴染みの悲劇ですよ。
(吉田修一さんの怒り、まだ読んでないよ、ハードカバー上下巻購入したのに(T_T)(ノД`)シクシク)
だから決めてました。文庫化してから買おう! と。
デビュー作のオーデュボンの祈りからではなく、ラッシュライフから読んで伊坂さんにハマったあと既刊を全部読み、それから刊行されるたびにハードカバーを購入してすぐ読み終える、というファンらしいファンだった私なのですが、ある時期から、伊坂さん御本人が「僕、作風変えるってよ」と宣言され、その新しい作風がどうも合わなくて初期は好きだけど最近のは読んでないなとぼやく、という、これもある意味ファンらしいファンになったのです。
ですが、前回の陽気なギャングしかり、マリアビートルしかり、初期の作品のシリーズを書かれる時は、初期の作風に戻してくれるのです。今回も楽しんで読めました。
死神の精度は短篇集でしたが、今作は長編です。そのかわり、他の死神や、千葉さんが昔担当して「可」にした事件被害者が、現状の事件に絡んできます。
私が勝手に伏線回収ではなく「収束系」って呼んでるこの伊坂さんお得意の構成が私は大好きです。
前半に出てきたちょっとしたシーンのあの人が後半にまさかあんな形で! と再登場した時はニヤニヤが止まりませんでした。
前作を読んでなくても楽しめる作りにはなっているのですが、千葉さんの回想シーンで前作の担当した人物が出てきます。私は奥入瀬渓流の話がとても好きで、その影響で奥入瀬渓流を実際に見に行ったのです。
その次に好きな話が藤田の話で、それを千葉さんが楽しそうに思い出すところをとても微笑ましく読みました。
今回の話は娘を殺された30代の夫婦が仇討ちを計画するもので、救いようがない設定なんですけど、あまり暗い雰囲気にはなってません。
夫が作家なのですが、懇意にしている編集者と作品について議論するシーンがあります。
救いようのない話を救いようがなく書く話だって、御都合主義ハッピーエンドと変わらないのに前者はなぜか評価される、と。
黒い台紙に黒いものを描いてるようなものだ、別な色で描いたほうがいいでしょう、そういうの作りましょうよ、先生!
って感じで。この作品が、そういうの、です。
黒の台紙にいろんな色で描かれてます。面白いです。
2016年8月12日のblog記事
「ブルータワー」石田衣良
平成13年1月号~平成15年9月号「問題小説」
2222年の未来に、末期の脳腫瘍で余命3ヶ月の瀬野周司が意識だけタイムスリップするSFファンタジー。
石田さんの作品はあまり数を読んでない。
4teen
親指の恋人
波の上の魔術師
5年3組リョウタ組
の4作品だけだ。代表作は池袋ウエストゲートパークシリーズだろうし、きっと面白いのだろう。だからシリーズが続くのだろうし、売れるのだろうから。
けど、私は他の作家さんを読む時間が足りなくなるから、という理由でシリーズものにはよほど思い入れがない限り手を出さないことにしている。
実は4teenを読む前までは敬遠してた作家さんだった。波の上の魔術師と5年3組はそこそこ楽しめたのだけど、すごく好きな作品ということもなく、他人から薦められて読んだ親指の恋人がどうしても受け付けなかった。登場人物の出した結論に拒絶反応が起きたからだ。
敬遠していたのに、4teenは何故読んだのかと言えば、当時好意を抱いてた(音信不通になった今でも好きだけど)男性が、映画にとにかく詳しい人で小説はあまり読まない人だったのだけど、その人が「いま読んでる」と言った小説が4teenだったからだ。そんな、ものすごく不純な動機によって久々に石田さんの作品を読んだらハマったのである。
そして、好きなタイプの作品を読めたことで、何故他の作品は受け付けなかったのかも理解した。
垣根涼介さんの小説が好きなのだけど、たまに「垣根涼介さんは少年が主人公の話は書かないほうがいいんじゃないのかな」と思うことがある。少年が少年っぽくなく、おっさんにしか思えない雰囲気を漂わせてるからだ。大人びた少年には思えない。まるでおっさんだろレベルなのである。
それと逆のことを石田さんに思った。この人の書く30代、40代の男性におっさんぽさを感じない。TVて拝見する限り、御本人もあまり歳を感じさせない雰囲気だ。
企業人が出てきても、その人に「仕事をしているリアルさ」が感じ取れないのはキツい。作品にのめりこめなくなるからだ。
だから少年が中心に描かれていて、少年目線で周囲の大人を書き出す作品は平気なのだ。ということを理解した。
もう1冊、文庫本で「6teen」を購入済。4teenの続編だ。今から楽しみにしてる。
で、今作はSF小説をたしなむ人にとっては王道の設定。現代の人間の意識だけ別時代のとある人物の中に入り込むというもの。
こういう設定はたいがいにおいて過去に跳んで「歴史上有名人」に入り込んで歴史を変えるというパターンが多い。そうでなければ主人公がその時代背景を知らないから動けないという事態にハマり流れが悪くなる。生身でトリップするならどちらでも展開出来るけれども。
意識だけ未来に飛ぶんだ、どうするのかな、と思って読み進めたら、腕時計型の超高性能AIパーソナルライブラリアンがどんな質問にも3Dホログラム再生付きで説明してくれるという展開になった。それは主人公の飼っていた猫の顔をしたスーツ姿の執事なのだ。猫型執事ロボット。ドラえもんか(笑)とニヤニヤする。
こうなってくるとおっさんがおっさんっぽくないというのは気にならなくなる。SF小説は荒唐無稽なものなのだ。リアリティーは必要ない。どれだけ“劇的な展開”で最後まで読み手を興奮させ、引きずり回せるか、が鍵になる。
私は猫型執事ロボットに夢中になった。SF好きにとって「人口知能生命体との友情」ものは大好物だからだ、ある意味、これを出すのはズルい。逆にコレに失敗し、人口知能生命体のキャラクターを読者に嫌われた時点でその作品は失速する。
SFはもともとが架空だから、どんなに科学的御託を並べても穴はあるし、気になる部分は出てくる。大事なのはリアリティーじゃなく、設定やキャラクターに魅力があるかどうか、で。
私は主人公の周司はそこまで好きではないが、猫型執事ロボットと周司のボディーガード“ソーク”にハマった。こういうガタイのいいあっけらかんとした軍人(異常に強ぇ)に弱いね。えーと。ワンピースのルフィの爺ちゃんみたいな奴です。
そんなわけでワクワクして最後まで楽しく読めたはずだったのだけど、最後のエピローグでちょっとしょんぼりした。あとがきを読んで好きなSF作品のオマージュだったのだと判ったけれど、もっと違う形で終わって欲しかった。楽しく読めた小説ほど、エンディングに期待して、思い通りじゃなかったりするとがっかりしてしまうね。
終盤の猫型執事ロボットとのやりとり最高!
超萌えたし、燃えた。AI知能との友情ではありがち設定だけど、いいのさ。ありがちな王道を王道のままで書ききってあるものはそれだけで価値がある。王道から外れなきゃ価値が高くないみたいに言う人が私は嫌いだ。ありきたりで何が悪い。
SF小説が好きな人にはオススメ。
2014年1月13日のblog記事
「道化師の蝶」円城塔
道化師の蝶……平成23年7月号「群像」
松の枝の木……平成24年2月号「群像」
道化師の蝶で146回芥川賞を受賞。
言葉遊び、言葉いじりの極みという感じか。東北大学の理学物理学科卒から東京大学院の総合文化研究科の博士課程修了という作家さんだから、
文字のプロによる文字いじりなわけだ。
最初は難解過ぎてわけわからん、という感じ。作家さんが悪いんでなく、アタシの知識が追いつかない。
なので道化師の蝶を読み終わったあとに、ウェブで検索をして、他の人の感想なんかも見てみたのだが、難しすぎてよく解らないか、もしくはこの人も解ってないけどなんとなく解ったふりで書いてないか? というのが多かったなか、
流石に文芸評論家二人による対談は解りやすくて、あぁぁ、そういうことか! と納得。それはネタバレになるんで書かないけど。
村上龍さんの「クジラの歌」を例に出して説明されていて、それは既読だったからよく解ったのだ。
けど同時に、そこまで深く読み取らなきゃダメなんかい?! とも思った。解るか、そんなの! と。
そしてそれを経た上で二作目の「松の木の枝」を読んで。
今度は作者の癖に慣れたのもあるのと、一作目と同じ試みをしているから、スラスラと読めて……そして、ボロボロに泣いた。
なんだ、これ、スッゲー。
言葉が降ってくる。なにこれ、なんでこんなの書けるんだ、天才か。
言葉の使い方の巧さに感動して、感激して、泣いてしまった。
これは、あれだ。小説を書こうとしたり、自分自身で言葉を使って何かを書こうとしてる人ほど【来る】んじゃないだろうか。
私の語彙力ではとても言い表せないから、私が泣いてしまった箇所を引用したい。
暗闇に歌が流れ続ける。血だまりから蟻塚までを、蟻の列が繋いでるのを聞いている。黒く蠢く線の中、自分の祖父やそのまた祖父の姿を、こうして探しているのである。人は死んでも去り切らない。一度虫となってから、殻のあちら側へ生まれるのだという。
ここから蟻と蛇と女と歌の描写が出てきてページにしたら、見開き一頁の文章で、創世記から繋がる命の営みが比喩され、それが脳内に染み込み、感激して涙が出た。
すごい、芸術だと思った。文章なのに、一枚の絵を観たようでもあり、音楽を聞いたようでもあり、人生を三、四回転生して戻ってきたような錯覚に陥った。
あと何回生まれ変わってもこんなの書けないと、言ったのは宮部みゆきさんだったか。違う作家さんへ向けてだけど。
そんなこと思うのもおこがましいけども、いま、そんな気分です。完敗です。
手元にあるもう一作を読むのがめちゃくちゃ楽しみになりました。
2012年10月7日のblog記事
「これはペンです」円城塔
これはペンです……平成23年1月号「新潮」
良い夜を持っている……平成23年9月号「新潮」
読み方のコツが理解ってしまえればスラスラと読めるものだ。数学の公式を仕組みから理解した時にそれまで難しかったものが急に手に取るように解け出す瞬間に似ている。
円城ワールドというものがあるのか、男は急に女になり、わたしは「わたし」と語られながら、話の途中で違う人物にすりかわっていたり、同じ人物が一瞬前とは違うことを言ったりする。脈絡の無い夢の中でも描こうとしているのではないか、という文章。
「一時間とは何時間だ?」
「俺は今喋っているか?」
観念だとか哲学だとかは相手側が答えうる言葉を予想してされる質問がほとんどで、だいたいにおいて、質問者がすでに答えを用意している。
けど円城ワールドでは、答えが出せないどころか、質問の意味すら判らない質問があちこちに散りばめられている。
が、不可解ではない、考えたくなる、答えは出ない、もしくは読み手によって、幾重にでも別れる。答えらしきものを見つけた途端に違う考えが沸く、そんな思考を繰り返すうちに読み終えてしまう、
読み終えてから思う。
これはなんだ? 小説か? 私はいったい何を読んだのだ?
けれど、それは、作者が作中に何度も暗喩させる「誰も書いたことのない物語を書きたい」に合致していて「やられた、負けた、ってか文章巧いから、理解らんうちに読み切っちまう。」という呟きを起こさせるのだ。
だいたい、「叔父は文字だ。文字通り。」で始まる小説などあるだろうか。
叔父が送ってくる手紙を姪が語り、ときに叔父に返信する話なんだが、
話の中心は、叔父は紡ぎだされる言葉についての研究をしていて、オリジナルの言語など誰も生み出せないことや、なのに人は全く同じ小説、日記などを書くことができない(昨日と同じ文章を何も記録せずにもう一度書ける人が居ない、という意味)こととかを姪に語るわけだが。
その手紙が普通に紙に書かれたものではなくて、遺伝子配列に組み込まれたコードの暗号とかで寄越される。
つまりどんなに表現方法を変えても、人は普通の文章を書けるよ、という、
で、それをもって、「これはペンです」に繋がる。
すべてのものはペン(文章を書ける)になる。
ってことを書いてるわけだ。
言葉の繋がり
私 は 夕飯 に 味噌汁 を 飲み まし た
とあるとして、助詞を抜く
私 夕飯 味噌汁
あいだに助詞を挟みなさいと言われたら、日本人はだいたい同じ助詞を挟むだろう、
それを揶揄して、磁石に喩え、ひとつの言葉を思い浮かべると、それに付随した関連用語が思い出され、人はそれを知らずのうちに認識してしまい、そこから違う言葉を考えようとしても、その違うものを、と考え出す思考すら、磁石につく砂鉄のように付随してきた言葉群に影響されてるじゃないか、と叔父が手紙で語れば、
姪は磁石は熱っすれば磁力を失うから、と磁石を中華なべで炒めたりするのだ、なんだそりゃ。
むちゃくちゃな構成だ。でも面白い。
言葉遊びが好きな人にはオススメです、円城さん。
2012年10月10日のblog記事
「砂の王国」荻原浩
平成20年3月号~平成22年1月号 「小説現代」連載
【上巻】
主人公は大手証券会社をリストラされた後、高望みで、再就職が出来ずにホームレスになった山崎遼一。
食事もろくに取れなく、ネカフェにさえも居られなくなった時に、バイト代を出すから客引きをしろという占い師と、驚異的な容姿の良さで、ホームレス生活を不自由なく謳歌していた青年に出会う。
山崎はどうにか元手金を作り、三人で事業を立ち上げることを考え、奮起する。
読み出しから、一気に引き込まれた。文章巧っ!
後半の構成のひとつに主人公たちとは別の他人視点を描いたあと、主人公たちに視点が切り替わるという場面が3つあり、例えるなら手品を見せられた後、種明かしを語られるという構成なのだが、それが実に鮮やか。
主人公の皮肉めいた語りも小気味よく、ニヤニヤしながら読める。
直木賞ノミネート作品をblog検索し、ブロガーさんの書評を読んで、これが一番自分の好みに合いそうだった。
某ブロガーさんが、ドラマにするなら主人公は阿部寛がピッタリと書いてらっしゃったが、本当にその通り。ずっとそのイメージで読んでいた。
さて、下巻はどうなるのか。今のところ、さっぱり結末がわからない、楽しみに読もう。
【下巻】
下巻では3人が起ち上げた事業の拡大、共闘することで生まれる信頼、組織が膨らむことによって生じる軋轢と弊害。
それを主人公の過去に少しずつ触れながらなぞっていく造りになっていた。
巧い! この一言に尽きる。
相当の数のキャラが出てくるはずなのに、混同することなく台詞だけで誰が話しているか分かる、若者の描写に「こんなやついないだろ」なんて思うのが一人も出てこない。本当に作者は五十代後半か? と疑いたくなる。
後半の畳み掛けるような疾走感にハラハラし、青年の隠された秘密に涙し、うわぁ! ここで終わり? マジか! って言いたくなる終わりかたなんだけど、最後のたった4文字に読者は救われる。
コレはオススメ。もちろん、私はこの作者の他のも全部読みたい。
2011年1月21日のblog記事
「四度目の氷河期」荻原浩
平成17年7月号~平成18年7月号「小説新潮」
『僕はクロマニヨン人の子どもだ。』もうすぐ18歳になる南山 渉 が4歳からの今までの記憶を紡ぎだす。
父親が居なく、母が遺伝子研究員のワタル母子は田舎町で浮いていた。ワタルは顔立ちがハーフとすぐわかり、身体も大きく、普通の子どもとはだいぶ違う。
孤独な幼年期から、友達を得たことで悩みが増える少年期、青年に近づく中、一向に埋まらない『ぽっかりと空いた穴』そこには父親というピースが入る筈なのだ。ワタルは懸命に模索する。
導入部の不思議な入り方や、少年期の突飛な行動からは予想もつかないような質の高い青春小説だった。
初めて出来た友達が、友達だと思っているのは自分だけなんじゃないか、と考えさせられるような出来事があった後に、その友達がピンチに駆けつけてきたシーンは泣いた。ワタルにシンクロして、嬉しくて、嬉しくて。
ワタルと一緒に悩んで、恋をして、泣いて、最後に気持ちよく解放される。
タイトルはクロマニヨン人が生きた時代が地球に訪れた四度目の氷河期だから、らしいがラストシーンを読んだあとに、もう一度プロローグを読み、全体に想いを馳せると、違う感慨が沸く。
青春小説が好きな人には文句なくオススメ。
嬉しくて泣けます。
三文字ゲーム、やりたくなったなぁ。
コレは
いいね
好きだ
2011年2月13日のblog記事
「オロロ畑でつかまえて」荻原浩
平成11年1月10日 「集英社」
業績の芳しくない広告代理店「ユニバーサル広告」に依頼人がやってきた。
東北地方山奥の「牛穴村」からやってきた青年団に村おこしを依頼される。
「村おこしすべ」青年団と広告代理店メンバーの奮闘をユニークに描いた物語。第10回小説すばる新人賞受賞作
涙が出た。笑いすぎて。
タイトルから、牧歌的な話か、田舎の悪しき慣習のどっちかを予想したのに、ドタバタコメディだったとは。
もともと筆者が広告代理店の仕事をしていたのだから、仕事の流れや代理店メンバーのキャラなど、リアルで、そこに存分に加味される遊び心。
うん、大好物だ、こういう話。
私は、東北育ちなので、方言がある場合のニュースインタビューに流れるテロップを必要としてない。
茨城育ちの母と、東北育ちの父親の娘なので、
「カッペ(田舎者の意味)のサラブレッド」
と、つけられたアダ名を、語呂が良いので大変お気に入りだ。
作品に出てくる田舎のキャラたちも、あぁ~。こんなおっちゃん居たな。と頷く面々ばかり。
会話のやりとりと、テンポが楽しくて仕方ない。荻原さんは他の作品でもユニークな表現が多くて、絶対コメディ得意だろうな、と期待していて、期待通りだった。
オチもいい。続編も図書館から借りて手元にある。
あの面々に、すぐに会いに行けると思うと、とても嬉しい。
2011年2月16日のblog記事
「なかよし小鳩組」荻原浩
平成11年10月30日 「集英社」
「オロロ畑でつかまえて」の続編。
ユニバーサル広告に大きな仕事がやってきた。"CI"~シンボルマークや社名ロゴ、スローガンを作り替える大掛かりな仕事。
久しぶりの実入りの良い仕事に沸き立ちながら、打ち合わせに出かけたユニバーサル広告の面々を待ち受けていたのは柄の悪い男たち。
仕事を依頼してきた「小鳩組」は建設会社ではなく、指定暴力団だったのだ。
また、タイトルに裏切られた。序盤、主人公の娘との交流が語られていたから、てっきり学校が舞台のドタバタを想像していた。
今回は前作と違ってストレートに笑える話ではなく、若干の物悲しさがあった。ちょっと切なくなるエピソードが多い。
それでも、前途洋々ってわけには行かないが「なんとかなるさ」という救いがある終わり方。
相変わらず皮肉の効いたツッコミがところどころ入るたびに笑ってしまう。
韻を踏む台詞のやりとりやリズムも好きだが、読者に情景を想像させて口角があがるように仕向ける場面説明が巧すぎる。カツラのポケット移動とか、いろいろ。
あと前回の話もそうだったがデザイナーの村崎がつくる、顧客にはとても見せられないアート案が面白すぎる。
あ~。このシリーズもうないのかな。読みたいなぁ。
クスクス笑いたいかた、是非ご一読を。
2011年2月18日のblog記事
「メリーゴーランド」荻原浩
平成16年6月30日「新潮社」
市役所に勤める遠野啓一に出向辞令が来た。
『アテネ村リニューアル推進室』箱物行政として市民団体から槍玉に挙げられているテーマパークを再生することは出きるのか?
天下りだらけの出向先開発事業部と、お役所仕事が台頭する身内に振り回されながら、啓一の挑戦が始まった。
スカッとするサクセスストーリーとはかけ離れている物語だった。
タイトルにもあるように同じところをグルグル回らされ辟易する主人公と一緒に読み手もだんだん疲れてくる。
せっかく上手く行ったかに見えて、また振り出しに戻る。
けれど、気付く。景色が少し変わっていることに。
今まで読んだ他の作品に比べると笑える箇所はあまりないのだけれど、こういうシュールさは結構好きだ。爆笑はできないが苦笑はできる。その苦笑が意外とクセになる。
キャラたちは相変わらず魅力的。癖のある貧乏劇団員たち、意外とイイやつらな暴走族の少年たち、市役所の面々のイヤな奴っぷりも。
個人的には、座長が書いた脚本の『豆男』が気に入った。
火山灰が降る地域、稲が育たないなか、ひとりだけ畑に豆を植える男の話。地域の有力者たちが「稲を植えるのが伝統だ、豆を植えるのはけしからん」と言い出し『前例がない』として、豆を植える行為は迫害され、村は二分し、流れで豆男は殺される。
殺される直前、男は叫ぶ。
千年先までそうしてろ!
好きだな。このフレーズ。
シュールやブラックユーモアが好きな人にお勧め。
2011年2月24日のblog記事
「月の上の観覧車」荻原浩
トンネル鏡……平成21年7月号「小説新潮」
金魚……平成21年12月号「小説すばる」
上海租界の魔術師……平成22年7月号「小説新潮」
レシピ……平成22年4月号「小説新潮」
胡瓜の馬……yomyom vol.18
チョコチップミントをダブルで……平成23年1月号「小説新潮」
ゴミ屋敷モノクローム……平成22年1月号「小説新潮」
月の上の観覧車……平成20年7月号「小説新潮」
独立した短編集。だがテーマは共通。【失った過去】だ。
もう戻れない故郷であったり、家族だったり、恋心だったり。
構成も似ていて、モノローグ形式で、過去と現在が交互に語られていく造り。
荻原さんは、やるせない話でもユニークな表現が多くて笑ってしまう事が多いのだが、今回は笑い所はひとつもない。氏にしてはずいぶんシリアスだなぁと感じた。
死者を弔うという儀式を前にした時に、人が思う事は年齢によって大きく意味を変える。
若い時には解らなかった。死んでしまって土に還るだけなのだから、死んでしまった後にお金をかけられてもな、とさえ思っていた。
あの儀式は残された生者が死者を必要としているから行うものだ。
近しい人間が亡くなって初めて解る。仏壇に手を合わせる意味も、墓参りも、葬式も。
きっと、親と死に別れるのが近づくと解るこの気持ちの他に、
自分の死が近づかないと解らない気持ちもあるのだろう。
遺していく側の気持ちはまだ当分解らない。
この作品は読んでて辛い。誰にだって取り戻したくても取り戻せない過去はあるだろう。あの時に、こうしていれば未来(現在)は変わっただろうか?
という瞬間だ。
歳を重ねた人ほど、この作品は身に突き刺さる。
けれど、暗いだけではないので。
折り合いを付けて前に進む物語だ。その部分は、やはり荻原さんらしいな、と思えた。
一番好きなのは「胡瓜の馬」これは泣けた。
舞台設定が東北地方の盆地とか。風習とか言葉も実家を思い出すし、幼なじみを失った物語とか……自分のことと重ね合わせられる部分が多すぎる。
主人公のモノローグは、過去に私が考えたことそのままだ。
ん~。良い作品ではありますが、暗い気持ちになるのであまりオススメはしません。
あと若い人には解りにくいかと。
30歳~向けですね。
2011年7月26日のblog記事
「向田理髪店」奥田英朗
奥田英朗さんの作品を久しぶりに読みました。
一時期ハマって読み過ぎだろうというくらい連続してたので、ちょっと距離をおいてました。
架空の町、苫沢町が舞台となっています。描写から夕張だろうなぁと判るわけですが、夕張、通過はしょっちゅうしてたのですが町の中で過ごしたことは無いですねぇ。道の駅は休憩所として使わせてもらってましたけど。
でも北海道の田舎町には長く住んでましたので。町民たちのやり取りがあっさりと目に浮かびました。あぁ、あるある! あぁ、いるいる! とクスクス笑いながら読みました。
6つの連作短篇です。
札幌で就職した息子がわずか一年で退職。理髪店を継ぐと言い出した。
幼馴染の老父が倒れた。残された奥さんは大丈夫?
異国の花嫁がやってきた。町民大歓迎。だが新郎はお披露目を避け続ける。なぜ?
町に久々のスナック新規開店。妖艶なママにオヤジ連中、そわそわ。
映画のロケ地になり、全町民大興奮。だけどだんだん町の雰囲気が……。
地元出身の若者が全国指名手配に! まさか、あのいい子が……。
奥田英朗さんってけっこう実在の有名人をモデルにしますよね。描写で、コレ絶対にあの人のことでしょ、と分かる書きかたをされますよね。
夕張を舞台にしたと思われる大泉洋主演の「プラチナタウン」に檀れいさんが出演されてるんですけど、「ビールを冷やして待つ妻が色っぽいCMの女優さん」っていう、まんまじゃないか! という描写が出て来ました。
作中での映画内容は殺人事件が起きるのでプラチナタウンとは違っているのですが、主人公の理髪店オヤジの息子が頼りにしている助役の佐々木さんと青年団が町おこしを頑張る作中での現実がプラチナタウンのテーマと同じだなぁと思いながら読んでました。
奥田英朗さんは描写がリアルで、だからこそ「無理」や「最悪」のような追いつめられる展開にハラハラさせられるんですけど、コミカル路線でも、目の前でバタバタが繰り広げられている感じで楽しくてたまらないです。
すっかり苫沢町に住んでる町民の気分になった頃、ラストほろりとさせられました。
2016年8月29日のblog記事
「増大派に告ぐ」小田雅久仁
平成21年11月20日「新潮社」
第21回日本ファンタジーノベル大賞受賞作
私はあらすじを書くときも書かないときもあって読了後にどういうスタイルで書くか決める。
ただ作者名と奥付けにある発行年月日と出版社名や受賞作かどうかなどの情報だけ先に書くようにしている。
それはまぁ儀式というか、私は読み始めに奥付けと筆者紹介を最初に見るのが癖だからだ。
いつ書かれたのか筆者はどんな経歴か知ってから読むと、より筆者に近い場所で読めるような、そんな気がする。
そしてこの作品に思ったこと。
……ファンタジーじゃないだろ、これ。
まぁ応募されてきて、選考員も困ったんじゃないかな。だってファンタジーではないけど面白いもの。そして文章がめちゃくちゃ巧いもの。
ファンタジーじゃないけど受賞させましょう、デビューさせたいです!って編集部側の思惑が見て取れる。
カテゴリー的にはシュール、社会風刺、ブラックジョーク系。
アル中の父親に暴力を受け続けてきた男子中学生と、精神疾患があると予想される31歳の浮浪者の男の交互の語りによる構成。
物理用語【エントロピー】が経済用語や概念を説明する際の比喩表現に使用されて【乱雑】の占める割合を指す時に
【エントロピーが増大する】
と表現することから、筆者がつくった造語が【増大派】だ。
難し。Wikipediaって便利だな。無かったら読めない本がいっぱいあるぜ。
自分が頭がパンクしないように、こういう事なんじゃないかな、と考えたのは、
真っ白な紙に黒いインクを誤って落としてしまった時に人はショックを受けるが、新聞紙なら受けない。
最初から乱雑であれば汚れは気にならない。という意味だ。
だから、増大派に属している人間は、増大派に気づかない、と浮浪者の男は考えていて、自分のことを【減少派】だと自称する。
男の言っていることは大概が支離滅裂で、如何にも精神に疾患があると感じられるのだが、ところどころ、ドキリとするほど真理を語っていてビクビクする。
まさに読者は考えさせられるのだ。
【増大派に告ぐ】
あ。もしかして、自分が増大派かもしれない。
そして心底ゾッとするのだ。
あんまりオススメはしないかな~。思想小説としてとても出来が良いので、そういうのが好きなかただけどうぞ。
2012年4月14日のblog記事
小説感想あ行作家
砂の王国を読み終えた後から、連続して読みすぎでしょう、と、荻原浩さんへのハマリっぷりを思い出してちょっと笑ってしまいながら更新していました(2016年11月12日)