神器~失われし遺物~

「いつまで寝るつもり?」
そう言われて俺は目を覚ました。
重たい瞼を開けて最初に視界に映ったのは近所に暮らしているセレーナだった。
撫子色をした綺麗な髪の毛に整った顔立ちをしている。
なにかと俺の世話をしてくれる家庭的と言うとおかしいのかもしれないが、家事全般が得意な年頃の女の子だ。
「ん……おはよう……いま何時だ?」
覇気の無い声で問いかけると、やれやれとセレーナは肩を落とし口を開く。
「もうお昼前だよ、毎日こんな時間まで寝てばかりじゃ立派な騎士になんてなれないと思うけど……あ、そうだ。 今からちょっと外に出かけるんだけど付き合ってよ!」
「外ってどこに行くんだ? それに昼前なら飯の準備もしないといけないんじゃないか? 勝手に出掛けると、またおばさんに怒られるぞ」
俺は……いや、俺達はこの村【ウェールス】に暮らしている。ここは身寄りの無い子供達が多く暮らしている。
大人になれば村を出て行くのが一般的なのだが、俺やセレーナは他の子供達の面倒を見ながらこの村に暮らし続けている。
そして、おばさんとはセレーナと一緒に暮らしている人の事で、血の繋がりはないのだが俺とセレーナを育ててくれた恩人と言うか家族みたいな存在だ。
俺がこの村に来たのは十五を過ぎたころだった、それからしばらくしてセレーナはこの村に暮らすようになった。
「あぁ、それは大丈夫だよ! 今日はおばさんもお出掛けするって言ってたから夜までに戻ればね。 ほら、早く行かないと戻って来れなくなっちゃうよ? それとも何? 私が怒られるのを見たいとか? うわ、趣味悪いよ……」
目を細め分かりやすい様子でそんなことを言い出した。
俺の意見を聞きもしないで一人で話を進めるのはやめてくれ……二人で話しているとこんな風になってしまうのはいつものことなのだが、まぁこれ以上眠ることも出来ないみたいだし付き合うのも吝(やぶさ)ではない。
「分かった分かった、起きて支度をするから下で待っててくれよ。 何か必要なものはあるのか? なければ何も持っていかないが……」
そういえば何をしにどこに行くのか聞いてなかったな。まぁ何かの買い物をするつもりだとは思うけれど。
「うん、何も必要ないよ。 あ、でも外で野獣に襲われるのは嫌だからその……」
「ああ、分かってるよ。 ここのところ村の子供が数人襲われてるからな、こいつを持って行けばいいんだろ?」
そう言って、ベッドの横に立て掛けておいた剣を手に取る。
鞘もない古ぼけた剣だがまだまだ使うのには問題ない。
「それにしてもラークって髪の毛切らないの? 随分長くなったよね? ちょっと羨ましいな、男の子なのにラークの髪って綺麗なんだもん」
セレーナは俺の髪の毛を興味深そうに眺めている。
「少し前に切ったんだけどな……すぐに髪が伸びるんだよな」
そう言うとセレーナは意地悪そうな、そんな表情を浮かべ、口を開いた。
「ねぇ、知ってる? 髪の毛が早く伸びる人ってエッチなんだってこと」
「なっ! 何言ってるんだ!? べ、別に俺はそんなこと――」
普段そんなことをあまり口にしないセレーナから突拍子もないことを言われ、俺は面を喰らってしまった。
「あはは、冗談だよ。 それとも本当はエッチなのかなぁ?」
目を細めて本当に意地悪そうな、でも悪意のないそんな表情でからかってくる。
「う、うるさい! ほら早く下に行ってろって!」
そう言ってセレーナの背中を押して部屋から追い出した。
「じゃあ、待ってるから早く来てねー!」
部屋の外からセレーナの声が聞こえたが返事はしなかった、返事をするより着替えた方が時間の短縮になると思ったからだ。
まぁ正直な話、返事をしながら着替えればいいと思うのだが、面倒くさいのだ。
そして速やかに身支度を整える。
「それじゃあ、行ってくる」
ベッドの横に置かれた写真に声をかけて俺は部屋を後にした。
外に出ると待ちかねたかのようにセレーナが小走りで俺に駆け寄ってくる。
「うん、寝癖もないようだし大丈夫だね! ふふっ、じゃあ行きましょうか」
「で、どこに行くのか教えてくれないのか?」
「じゃあ歩きながら教えてあげるね。 ほらほら、行くよ!」
セレーナに背中を押されて俺達は歩き始めた。

「あっ、セレーナさん。 今日は恋人とお出掛けですか?」
しばらく歩いていると声をかけられた。
「え? いや……えっと、その」
「ふふっ、すみません。 こういう話は苦手なんでしたよね。 気を付けて行ってらっしゃい」
セレーナは顔を赤くして下を向いてしまった。
「おいおい、あんまり困らせるなよ? こいつは色恋話には疎いんだから。 いつもこんな所で何してるんだ?」
銀色の短髪に紅色の瞳の爽やかそうな青年、えっと確か名前は――
「おおっと、それ以上は言っちゃいけませんよ? 僕は泣きますよ?」
「どうしてだ?」
「思ったことが口から出てるからです……わざと名前を思い出すのに苦労されちゃ僕はもう……」 
「それはすまないことをした。 真面目に謝ろうか?」
「いえ、結構です……いつも同じことを繰り返してる気がするのは、僕だけですか」
「そうだな、でもこれはこれで面白いからいいんじゃないか?」
こいつは俺がこの村に来る前から居て俺達と同じように村の子供達と今も生活を共にしている。
名前はクラウン、こいつは普段はおっとりとした奴なのだが、実はかなり頭が切れる。
いつも村の中を闊歩しているみたいだが、頭のいい奴の行動は、俺には理解できない。
その癖、こうやって話すときは理由は分からないが、敬語を使っている。
俺と同い年なのに――だ。
「おっと、これ以上引き留めてもアレなので、僕は失礼しますね」
そう言って手を振って去って行った。
「クラウンさんって面白いよね。 なんかこう雰囲気?」
確かにあの柔らかい物腰とでもいうのだろうか? あれは見習うことが多々ある。
そういえばいつの間にかセレーナはいつも通りに戻っていた。
「じゃあ、さっきの続きな。 どこに行くのかそろそろ教えてくれてもいいんじゃないのか?」
「あっ、忘れてた。 あはは、ごめんごめん。 んと、この先にある宝石屋さんに行きたいんだけどね、森の中にあるみたいで怖くって……」
「宝石? なんでまた急にそんなもの――ってそんなもの買えるのか?」
「ああ、うん。 朝こんな手紙が届いたんだけど、読んでみる?」
そう言うとセレーナは持っていた鞄から小さな手紙を取り出した。
「おいおい……これ、信用できるのか? かなり怪しいと思うぞ」
内容を読んでみると、【この度は貴方様に宝石をプレゼントします!!詳しいお話は同封されています地図のお店でどうぞ!!】と書いてあった。
「で、地図がこれなんだな?」
見てみると村からそんなに遠くはない場所だったが、森の中にお店?
ますます怪しさが色濃くなってきたな……。
一抹の不安を感じながらも俺はセレーナを止めることが出来なかった。
彼女も怪しいことは分かっているのだろうが、この村はとてもじゃないが裕福とは言えない。
宝石の一つでも手に入れば暮らしが少しは豊かになるのだと思えば行く価値はあるのかもしれない。
「やっぱり怪しいと思うよね、行かない方がいいかな?」
不安そうな声でセレーナがそう言った。
「いや、せっかくだし行ってみようぜ? もし、本当ならその宝石を売って美味いもんでも皆にご馳走してやろう」
そう言ってセレーナの頭をぽんぽんと叩く。
「うう、またそうやって子供扱いするんだから! でも、そうだね、行くだけ行ってみよう! ラークはお金持ちになったら何をしたい?」
「お金持ちになったら? そうだな、この村の皆に不自由ない暮らしをさせてやりたいな。 セレーナは何かあるのか?」
「私も同じ……かな? でも少しだけ綺麗なお洋服を着てみたいな。 いつも汗臭い女の子じゃ――」
と、言ったところで口をつぐんでしまった。
「ん? どうした?」
「べ、別に! なんでもない! ほら、早く行こう!」
その様子を分析してみると俺は一つの答えに行きついた。
「あぁ、なるほどな」
「な、なに?」
セレーナは一瞬だけ体を震わせ俺に振り返る。正確には恐る恐る振り返る、と言うようなそんな表現が正しいかもしれない。
「お前……もしかして、汗――ッ!?」
「――ッ!!」
その瞬間、視界が暗転する。
目を手で塞がれた。
いや、目だけじゃない。器用な事に目、鼻、口、と三カ所も瞬時に。
視界は暗く呼吸が出来ない!
「それ以上、言ったら……わ か っ て る よ ね ?」
普段とは声の質が違う……声が笑っていない――!
低音でそれ以上は言わせないという、明らかな意思表示だった。
「あれぇ……? お返事が出来ないのかしら?」
声が段々と邪悪な物へ変化していく……。
違う、返事をしないのではなく出来ないのだ。
ちなみに、それはお前の仕業だろう!
内心でそう叫ぶが意味がなかった。
「ほらぁ……お返事はどうしたのかなー?」
俺は咄嗟に頷いて見せる。
これで駄目なら俺の人生はここまでだ。
「うん、いい子だね。 じゃあ離してあげる」
いつも通りの明るい声が聞こえると同時に、顔に押し付けられていた手から力が抜け、      一気に肺に酸素が送り込まれる。
「はぁーーーッ……はぁはぁ……お前、いつか人殺しになるんじゃないか?」
「なんでよ、そんなに長く塞いでなかったでしょ? 情けないこと言わないでよ、ふふっ」
確かにそんなに長い時間塞がれていたわけじゃないが突然息を止められたら長くは持たないような気がする。
「でも、なんでいつもこうなの?」
「ん? どういう意味だ?」
歩きながらセレーナは小石を蹴り始める。
「だって、あの時のラークはこんなんじゃなかったし、ちゃんとやる気にさえなれば私より強いと思うんだけどな。 ラークは覚えてないかもしれないけどさ」
私より強い――。
セレーナはここに来てからずっと村で武道を習っている。
武道と言ってもセレーナが習っているのは剣術で、その腕は一流だと言われている。
以前稽古の相手をしたことがあったが、正直勝てる気がしなかった。
まぁ、そんな腕があるなら一人で森くらい行けそうなものだが、そこは年頃の女の子ということだ。
「よく覚えてないんだよな、それ。 まぁ俺はそこまで強くなりたいわけじゃないし王国の騎士団に入りたいっていうのも本心なのかどうか……」
「そうなの?」
「よく考えてみたら、騎士団に入って何をするかっていえば毎日厳しい訓練をして国が襲われれば戦争をする。 運が悪ければ命を――落とす。 俺はそこまで国に忠誠を誓うつもりはないし、というより自由に暮らしたいだけなんだ。 もっと言えば貧乏でもいいと思ってるんだ」
もしかしたら俺は冷たい人間なのかもしれない、でもこれが俺の本音だった。
「そ、そっか……あ、あのさ……ラークさえ良ければ、あの……えっと、私と……」
「ん?」
まるで林檎のように赤くなったセレーナの顔を俺は覗き込んだ。
「どうした?」
「あっ! ううん、なんでもない!」
「そうだ、これ――お前にやるよ」
俺はそう言って首に掛けていた深紅のペンダントを外しセレーナの首に掛けてやった。
「え……なんで? え……えっ?」
セレーナは困惑した様子でペンダントと俺の顔を交互に見返す。
「まぁ、いいから。 日頃の感謝の気持ちとでも思ってくれ」
適当な理由を言って強引に納得させる。
まぁ、納得してもしなくてもいいのだが。
「う、うん。 ありがとう……大事にするね。 でも、これ高かったんじゃないの?」
「あ、あぁそうだな。 でも今まで貰ってばかりだったしな、一度くらいは俺にも格好つけさせてくれってこと」
「そっか、うーん……。 分かった、じゃあ素直に受け取っちゃうね。 もう返さないよ?」
「はは、返して貰うつもりはないよ」
「ありがとう、すごく綺麗……」
 セレーナはペンダントを慈しむ様に見つめてそう言った 。
まぁ実際は買ったのでもなく、もちろん盗んだわけでもない。
亡くなった――いや、正確には亡くなってるのかも分からないが、両親が残した形見みたいなものだ。
「ほんとに綺麗だね、ふふ。 どうしよう、嬉しすぎてどうしたらいいか分かんないや。
 あ、じゃあ今度は私がラークに何かプレゼントするね!」
 満面の笑みを俺に向け、セレーナはそう言った。
「見返りは期待してなかったんだけどな。 まぁでも、そうだな。 楽しみにしてるよ」
両親の形見の様な大事なものを人に渡すのは、どうかと思うかもしれないが、それなりにセレーナには感謝しているんだ。いや、きっとそれだけじゃないんだろうな。渡しておいてなんだが、身に着けていた物が無くなると若干違和感があるな、なんて自分の胸元に視線を落とした。
「うん! 楽しみにしてて! じゃあ、いこっか」
快活なセレーナの声で顔を起こすと、セレーナは歩き始めていた。それに続いて俺も歩き始めた。
 それから間もなくしてセレーナが口を開いた。
「あ、ラーク見て! あのお店じゃないかな?」
少し先を歩いていたセレーナが足を止める。
「ああ、地図の場所とも一致してるし、この場所で間違いないようだな」
念のため、地図をもう一度確認してみると、この場所で合っているようだった。
「なんか、こんな森の中にお店があるのって変だよね」
「そうだな、まぁ眺めてても仕方ないし行くか?」
「うん、でもラークが先に入ってね。 はい、これ」
そう言って先ほどの手紙を渡された。
「俺が渡すのか? これはお前が貰った手紙じゃ――」
「そうだけど、なんかここ不気味っていうか……」
森の中には似つかない割と小奇麗なお店に見えるが……。
「まぁ、仕方ない。 じゃあ行くぞ」
扉の前に立つと違和感を感じた。
「どうしたの? あ、もしかして怖くなっちゃった? 怖いんだー? ふふふ」
意地悪そうな表情でセレーナはおどけて見せる。
「ったく、余計な事言うな。 違う、よく見てみろ。扉に取っ手が無いだろ? 本当に店なのか怪しいな……」
俺はそう言って扉をノックをした。静かな森にノックの音が響く。
「おかしいな……誰もいないのか?」
辺りを見回すが何も変わった様子はない。
昼間ということもあり木漏れ日が降り注いでいる。
「どうしよう、また今度来てみる?」
「もう少しだけ様子を見てみよう。 まったく、ここは本当に店なのか? まるで人の気配なんてしないじゃないか」
すると中で物音が聞こえてきた。
重たい何かを引きずるようなそんな物音だった。
「ラーク……」
「静かに――」
耳を澄ませていると物音はしなくなった。
「なんだったのかな? お店の人がいたのかな? 言っておくけど、私お化けは苦手だからね……」
いや、お化けってことはないと思うのだが……。
すると、店の扉が音もなく開いた。
「――ひっ!!」
セレーナが俺にしがみつく、僅かに体が震えていた。
お化けが苦手というのは前から知っていたが実際に目の当たりにするのは初めてだった。
「風で扉が開いたんだろうさ、中は……暗くてよく見えないな――ん?」
 店の中を覗き込もうとした俺にセレーナがしがみついてきた。その表情は怯えていた。こいつはこうゆう雰囲気は苦手だもんな。
「うぅ……やっぱやめようよぉ……あ、明日! 明日また来よう! ね?」
俺にしがみついて離れようとしない。
「馬鹿言ってないで行くぞ。 せっかく来たんだし、また、ここまで歩くのは面倒くさくないか?」
「そうだけどぉ……うう」
怯えているセレーナを無視して俺は扉に近づいてみる――。
「誰もいない……」
「えっ? どういうこと? じゃあ、さっきの音は本当に……」
俺の影に隠れていたセレーナが顔を覗かせる。怯えきっているのが見て取れる。
「分からない、お前はここで待ってろ。 様子を俺が見てくるからじっとしてるんだぞ」
「えっ、やだよ……こんなところで一人にしないでよ、私も行く……怖いけど」
まぁ確かにこんなところで一人にする方が危険かもしれない。
それにしても、今にも泣き出しそうな顔をしている。その表情を見て、俺は早く用事を済ませて帰ろう。そう思った。
 人が居ればこの怪しげな手紙のことを聞けばいいし、居なければ帰るだけ。たったそれだけのことだ。
「分かった、じゃあ行くぞ」
そう言って建物の中に足を踏み入れる。
中に入ってみると売り物は綺麗に陳列されていて割と手入れをされている印象を受けた。
「特に変わった様子はないようだが……」
するとセレーナが何かを指差している。
「あ、あの壁って少し違和感ない?」
言われてセレーナが指を指している方へ視線を向けると確かに壁の一部に違和感を感じる。壁に手を当て注意深く見てみると、壁に穴が開いていることに気付いた。
「これは壁じゃない、壁の模様を描いた壁紙か? この先に何かあるのかもしれないな……でも、なんだか気味の悪い場所だな。 それにこの壁紙の奥から何か聞こえるような気がする」
「ええっ!? もう帰ろうよ……。 勝手に入ってきちゃったし怒られちゃうって……」
確かに、本当に留守だった場合どうしたものか。
「……その時は、謝って許してもらおう」
表情を変えずに俺は平坦な口調でそう言った。
「もう! でも……ふふっ、ラークらしいね。 はぁーあ、仕方ないなぁ、じゃあ私もその時は一緒に謝ってあげるよ」
「ったく、俺らしいってどういう意味だよ。 でも、久しぶりだよなこういうの。 昔はこんなことばっかりしてよく怒られたよな。 覚えてるか?」
「うんうん、夜中にラエルさんのパン屋さんに忍び込んで怒られたよね。 でも、確かあれはラークが調理器具をひっくり返した音で見つかっちゃったんだよね」
「違うだろう? あれはお前が鼠に驚いて大声を出したから」
「えー、違うよ。 ラークだってば、うん、絶対にラークだよ」
「俺はそんなに間抜けじゃないと思うんだが……それにしても懐かしいな」
「あはは、そうだね。 懐かしいね」
くすくすとセレーナと笑いあう。
「じゃあ、行くか」
「う、うん。 でもなるべく破かないようにね、怒られたとき修理しやすいように……」
「そんなことまで考えてるのかよ、まぁ出来るだけやってみる。 ――っと難しいな」
そして壁紙をなるべく破れないように剥がし終えると人が通れるくらいの通路が現れた奥は真っ暗で何も見えない。店の中は木漏れ日が僅かに差し込みなんとか見えたがこの先は明かりが無いと進めそうにない。
「どうしよう……明かりなんて持って来てないよ……帰る?」
「いや、ここは店なんだろ? なら明かりになるような物くらいあるんじゃないか?」
そう言って店の中を物色すると店の中にある松明を見つけた。
あとはこれに火をつければ……。
「ラークこれは? まだ何本か残ってるみたいだよ」
そう言ってセレーナはマッチ箱を俺に手渡す。
「大分しけってるようだが、これは火がつくのか……駄目だ、折れちまう」
何本か折ってしまい残るはあと一本だけになってしまった。
「貸して? 私がやってみるね。 えい」
ぼっと音を立てマッチの先端に火が灯る。
「よし、火を松明に」
セレーナはマッチを素早く松明に近づけると一気に火が燃え移り店の中が照らされた。
「やった! これで先に進めるね。 ラークはこんな簡単なことも出来なかったのかな? 意外に不器用だね」
「うるさい、余計なこと言ってないで行くぞ。 この松明が消える前に戻って来ないといけないからな」
そして奥へと足を踏み出した。通路はとても狭く一人が通るので精一杯だった。松明の明かりがなければ真っ暗で足元は全く見えない。明かりの届かない場所はどうなってるのか何も分からない。俺はセレーナの前で慎重に歩を進めていく。
「ここは防空壕かなにかなのかもしれないな」
徐々に足元がぬかるみ始める、どこからか水が湧き出る場所でもあるのだろうか。
「この辺りから地面がぬかるみ始めてる。 気をつけろよ。 こんな所で怪我をしたら大変だからな」
「う、うん。 それにしてもこの通路はどこまで続いてるんだろうね……やっぱり来なきゃ良かったかなぁ……」
再びセレーナが弱気になっているようだ。正直この通路に入って後悔してるのはセレーナだけではない。俺も少し後悔していた。セレーナに不安な思いをさせているのが少しばかり心苦しいからだ。
「そうだな、このまま何もなかったら帰ろう」
そう言ってセレーナに手を差し伸べる。暗い場所で心細いと思ったから、少しでも不安が和らげばと思った。
「う、うん。 ありがとう。 ひゃっ!!」
差し出した手を掴もうとした時、セレーナが悲鳴と共にその場に転びそうになる。
「――!!」
俺は咄嗟に正面からセレーナを受け止めた。
「大丈夫か? 気をつけろって言ったばかりだぞ?」
「あ、うん……ごめんごめん。 足元が滑っちゃって」
「ほら、怪我はないか? 見たところ大丈夫そうに見えるが、どうだ?」
「うん、ありがとう。 大丈夫だよ。 じゃあ、早く帰れるように頑張ろう!」
明るい声でセレーナはそう言って俺達は再び歩き始めた。
それから、少し進んだところだった。
「この扉で行き止まりみたいだな、大丈夫か?」
振り返るとセレーナが頷いて見せる。
「そう……みたいだね。 何もなかったら早く戻って帰ろう。 なんだかここ居心地がすごく悪いし、それに何か悪い予感がする……」
「そうだな、ここに何もなければ帰ろう」
そう言って扉に手をかけたその時――。
「なっ!?」
「えっ!?」
突如扉が勝手に開き、俺達は扉の中に吸い込まれた。
    
「いってぇ……なんなんだ突然。 セレーナ大丈夫か?」
松明の明かりで照らされた部屋を見回すがセレーナの姿がない。
吸い込まれた扉に手をかけるも開くことはなかった。
「――ッ!! セレーナ!!」
叫んでも返事はない。
その時、何者かの気配を背中に感じた。
「誰だ!!」
咄嗟に振り返るも、そこには何もいなかった。視界には何も映らない、見えるのは松明の明かりで出来た俺の影だけだった。それほど広くはない四方を壁で囲まれたこの場所は一体なんなのか俺には分からなかった。ただ、この閉鎖された空間に息苦しさは感じる。
「くそっ、セレーナ……どこにいるんだ」
万が一セレーナの身に何か起きていたとしたらと考えると俺は居ても立ってもいられなかった。
しかし今も尚、何かがそこにはいるという不気味な気配は感じていた。
すると俺の影がゆらゆらと蠢き始めた。
「なんだ……これは。 どうして影が――」
そう言い終えるより先に影から何かが飛び出してきた。
「なっ!!」
目で影から飛び出した何かを追ったが視界に捉えることは出来なかった。
そして突然頭に衝撃を受けた。
「がっ――」
前のめりに顔面から地面に倒れこむ。ごつごつとした地面に強く頭を打ち付けたが、痛みは感じなかった。何故なら今起こっている事態に混乱していたからだ。
「セ……レ……」
薄れていく視界で俺が最後に見たのは見慣れた少女だった。
俺を見下ろして立っている少女の横には誰かが立っていた。
それを視界に捉えることもないまま俺の意識はそこで途切れてしまった。

第一章【再会】
「姫様、そろそろお時間です」
執事のアルスが扉をノックしてそう言った。
「分かりました……すぐに行きます」
そう言って椅子から立ち上がる。
窓の外には民衆が大勢見える。
数日前に国王が他国のヴァルディッシュ共和国に宣戦布告したのだ。
元々この国、ウィルヴェルの国王は支配欲が尋常じゃない。
他国が豊かな暮らしをしていると聞けばすぐにでも戦争を起こすような国王なのだ。
噂では武器を持たない民も大勢処刑したとか……。
中にはそれを快く思っていない兵士もいるみたいだが、逆らえばどんな目に遭うか想像するだけでも恐ろしい。
私はこれから戦地へ赴く兵の士気を上げる為にと、公の舞台で激励を送る役目を担っている。
「本当にこれでいいの……?」
そう呟いても誰も返事はしてくれない。
あの日から私の世界は一変してしまった。
遊び半分で忍び込んだお店の奥で私は一緒にいたラークとはぐれてしまった。
その後、私は見知らぬ兵士に捕まったのだ。
そして、この城に連れてこられた。村の皆は元気にしているだろうか?
あれから、もう三ヶ月も経ってしまっている。突然行方不明になった私を心配しているだろうな。野獣に襲われてもう帰って来ないと考えているかもしれない。
一度村へ行きたいと言ったがそれは叶うことはなく、こうしてここにいる。
どうしてここに連れてこられたのか、そして私が姫になった理由は最近になって大体把握することが出来た。
一つはこのペンダントだ。私は胸元のペンダントに視線を落とす。
「…………」
聞いた話によると特殊な力が封印されているのだそうだ。それは誰にでも扱える物ではないと聞いた。でも私は特殊な力なんて持ってない。
そして私の命を救ったのもこのペンダントだった。身寄りもなかった私がこの場所に存在する理由の一つが恐らくそれなのだろう。ここからは私の推測になってしまうが、仮に私がこのペンダントを扱えるのであればそれを利用する為に手元に置いているのだろう。
そしてもう一つ、ここには正規の姫がいる。それを知ったのはつい先日の事だった。
驚く事に私にそっくりなのだそうだ。実際に見た事はないけれどアルスはそう言っていた。
不治の病に侵されているそうで、ずっと床に伏せているようだ。
今日の事もそうだが、本当の姫様の身代わりもあるのだろう。
ペンダントの事も姫様の事も、分からない事が多すぎる。もう少し大人しく言う事を聞いておいて様子を見てもいいかもしれない。
「姫様、お急ぎになって下さい」
外から再び急かす声が聞こえてきた。
「はい、今行きます」
私はゆっくりと扉に向かって歩き出した。
執事の後をついて歩いていると国王の声が耳に入ってきた。
ウィルヴェルの中心にあるこの城の最上階で国王が民衆に演説をしている。
民衆は城を囲むように国王の演説を聞いていた。
「これより我が王国はヴァルディッシュ共和国に攻め入る! 我らは必ず敵を討ち滅ぼしこの国に富みと栄光を持ち帰る! 長きに渡って繰り返された戦争もこれで終わりを告げる! この世界を我らが統治するのだ!」
私が席に座ると同時に国王の演説は終わりを告げた。
「では、姫様」
執事にそう言われ席を立つ。
立ち上がると同時に国王が席に戻ってきた。
「くれぐれも余計な事は言うでないぞ……」
一言だけ呟くと私の席の隣にある玉座に腰かけた。
テラスの先端に立つと見渡す限りの人の群れに気おされてしまいそうだった。眼下には民衆が国王の演説の直後と言う事もあり怒号のような歓声で沸き立っていた。
一度だけ振り返り国王に視線を送ると国王は私に興味など一切なさそうに、無表情で私を見ていた。
すぐに私は正面に向き直り、眼下に広がる民衆を見つめた。
――そして私は口を開く。
「国王の仰る通り、この戦で最後にしましょう。 もう血を流さなくていい、そんな世界を私達で作り上げるのです」
私、何言ってるんだろう……戦争を終わらせる為に再び戦争をするだなんて。
そんなの終わる筈がない。
綺麗事じゃ理想を貫くことは出来ないのかもしれない、でも……。
「本当に最後にしましょう、もう誰も悲しまない――そんな世界を我らの手に!」
と、そう言って席に戻る為、歩き始めた。
すると背中を向けた後方から怒号のような民衆の奮起の声が地鳴りとなって響いてくる。
私にはそれがまるで責められているように思えて仕方なかった。
自分は安全な場所で偉そうなことを言って、民が死ねば、悲しんだように振る舞う……。
人として破綻しているのではないかと、そう思えて仕方ないのだ。
それが架せられた役目なのだとしても――私は。
その時、国王を挟むように立っていた二人の護衛兵の一人が突然倒れこむと、鎧の隙間から血が溢れ血溜まりが広がっていった。
「うわああああああ!! 敵襲だっ!!」
護衛兵の叫び声と敵襲を知らせる声が響く。
その声は当然城外にいる民衆の耳にも届き辺りは騒然とする。
「――うろたえるな、敵はどこだ!! 無能な兵共め、たやすく侵入を許すなど!!」
国王は苛立った様子で立ち上がると、兵士に向かって怒声を浴びせた。
兵士達はどこにいるかも分からない敵に怯えているようだった。
国王を囲み敵の襲撃に備えている。
私は倒れている兵士へ視線を向けたが、特に目立った外傷は見当たらなかった。声を上げることも出来なかったと考えれば即死のはず。
近付いて傷口を見ると鋭い刃物で心臓を貫かれているのが確認できた。
「手際が良すぎる……これは相当な手練れの仕業……でもどこから?」
辺りを見回していると素早く動く不自然な影が視界に映った。
「――そこかっ!!」
空を見上げると人影が今まさに国王に向かって垂直に飛来して来るところだった。
はっきりとは確認出来なかったが、全身に黒い包帯の様な物を巻いている。無造作に巻かれている為、風に包帯が靡いていた。体格からして恐らくは男だろう。
考えている間にも国王に向かって迫って来ている!!
「くっ!!」
ドレスの裾を力任せに引き裂くと、忍ばせていた短剣を素早く引き抜き、私はその場で跳躍した。
「――!!」
脆弱そうに見えていたのだろう、私が飛んだことに若干の驚きが見える。
「やああっ!!」
相手の武器は恐らく暗殺に使われる物だろう。形状は予測出来ないが問題ない。敵の首元を狙った一撃だ、必ず武器で避けるだろう。そうなれば自ずと相手の武器も図れるはず。
「……え?」
そう思ったが空中で身を翻し、首を狙った突きを避けると、回転したまま私の横をすり抜け尚も国王に向かっていく。
「くっ! 待て!」
咄嗟に手を伸ばし包帯の一部を掴んだ。
私は力一杯引き寄せようとするが、包帯男の落下する勢いに敵うはずもなく自分の体ごと引っ張られていってしまう。
「国王を命に代えても護れ!!」
眼下には時間を稼ぐことで集まった兵士が数人が包帯男を迎え撃とうとしていた。
「!!」
「え、嘘――ッ!!」
包帯男は私の握っていた包帯を掴むと、力任せに私を兵士に向かって投げつけようと振り回し始めた。
びりっ、と歪な音を立て包帯が千切れ、私は兵士に体当たりする格好で叩きつけられた。
「――がはっ!」
あまりの衝撃に一瞬息が詰まり、呼吸が出来なくなった。
「……!」
包帯男はテラスに着地すると間髪を入れず兵士に襲い掛かった。兵士達は成す術もなく次々と切り伏せられていった。兵士達は斬られた事も理解できないまま絶命しただろう。
兵士達を瞬時に沈黙させると、国王の目の前に包帯男が立っていた。
「ふん、鼠如きが……調子に乗るな!!」
国王は鼻で笑って剣を抜く。
私は若干ふらつきはするものの立ち上がった。これ位ならまだ大丈夫。まだ、戦える。
倒れている兵士の手から剣を拾い上げ構えようとした時――。
「国王……様……お逃げ下……さい」
まだ息のあった兵士が苦しそうな声で国王にそう言った。
「ちっ……死に損ないの兵士が……」
憎しみの籠ったような声で呟くと国王は持っていた剣で兵士の頭部を貫いた。
兵士は体を痙攣させた後、動かなくなった。
「――ッ!! 国王様!! なんてことを!!」
「黙れ!! 貴様等のような下等なゴミなど、吐いて捨てる程いる!! たかが一匹死んだ処でどうだと言うのだ!!」
「くっ……」
どうして……人が目の前で死ぬのは、もう見たくないのに……どうしてこうなってしまうのだろう。悔しくて私は唇を噛みしめた。

「ふん……鼠如きが調子に乗りおって……!!」
「……」
音もなく――包帯男が動いた。
「――!!」
国王の言葉で動揺していた私は包帯男の動きに反応する事が出来なかった。
甲高い金属音が一度だけ響くと国王の手には剣は握られていなかった。
いや、握っていた腕ごとその場にぼとりと落ちた。
「ぐああああああああああああああ!!」
国王の腕から血飛沫が噴出していた。
一瞬の出来事だった。一撃目の剣戟(けんげき)で国王の構えていた剣を弾き、二撃目で腕を――。
包帯男は国王の腕からとめどなく噴出し続ける返り血を浴びて不気味さがより際立っていた。
なんとかしなければ、このままでは国王が――殺されてしまう。
でも、どうして私は国王を庇っているのだろう。
戦争を引き起こし続ける国王を何故私は……。
でも、今は――!!
「やあああああああっ!!」
考えるより先に体が動いていた。
目の前で人が死ぬのはもう見たくなかった。
体のダメージが思ったより重く腕に力が入らない、いとも簡単に握った剣を弾き返されてしまう。
「くっ――!」
そしてそのまま包帯男は私を押し倒し、首に剣を当てる。
殺される、そう思い目を瞑った。
私はこんなところで、こんな風に殺される運命だったのか……などと考えていた。
人は死の直前に走馬灯を見ると聞いたことがあったがこれがそうなのかもしれない。
一向に意識は消えないし痛みもない。
不思議に思い目を開く。
「え……?」
先ほどから僅かにも刃物は動いていなかった。
それどころか包帯男は目を見開いて私の胸元のペンダントを凝視していた。
「ッ!!」
瞬時に私は包帯男の腹を蹴り上げる――。
僅かに声を漏らしたような気がしたが、勢いよく包帯男は後方に転がりその場でぴくりとも動かなくなってしまった。
「と、捕らえよ!!」
兵士にそう命じると――。
「鼠の分際で……よくも……腕が……はぁはぁ……赦さん!! 赦さんぞォ……!!」
荒い息遣いで包帯男の頭を力任せに踏み付ける。
何度も、何度も……。
次第にその場に血が広がり始める。
「国王!! それ以上は死んでしまいます!!」
咄嗟にそう叫んでいた。
「死んでしまうだと!? こんな虫けらを殺して何が悪いと言うのか!! はぁはぁ……まさか、貴様……この鼠を庇うつもりか?」
背筋に冷やりと冷たいものを感じた。
「い、いえ……ですが、この者は国王の腕を切り落とした重罪人です。 然るべき処刑を行うのがよろしいのではないかと……」
「ぐっ!! 兵士共!! その鼠を牢にぶち込んでおけ!! 明日にでも公開処刑を行う!!」
国王はそう怒鳴りつけると奥へと消えて行った。
民衆は突然の悲鳴や絶叫で騒然としていたが、少なくとも国王の失態を露呈せずに済んだ事に安堵した。
「どうやら今日のところはこれまでのようですわね。 この場の処理は任せて頂きます。 兵士の皆さん、民に事情を説明して参りなさい」
そう言って奥からザラフィン王女が国王と入れ替わるようにやって来た。
帽子を目深に被り口元は包帯を巻いている。
「セレーナ……貴方も下がりなさい」
「し、しかし……王妃様、このままでは――」
「聞こえなかったかしら? 下がりなさいと言ったのです。 貴方の役目は終わりました。 後はわたくしに任せなさい。 そう言ったはずよ」
ザラフィン王妃が近づいてきてそう言った。
まるで感情のない平坦な声でそう言われ私は委縮してしまった。
恐らく感情のない声だけならばここまで委縮することはないのだろう。
しかし、王妃には表情がないのだ。正確に言えば顔が――ない。
目はもちろん鼻もない。
あるのは口だけだ。
普段は自室に籠っているのだが何かある時のみこうやって表に出てくるのだ。
顔のない人間なんて気味が悪いと思った。正直に言うと正面からは見たくない。
いつだったか、私の表情の事を指摘され、目がないのにどうして周囲の状況が分かるのかアルスに聞いたことがあった。
しかし、その事に関してはアルスでも知らないと言っていた。
「分かりました……では」
そう言ってこの場を去ろうとすると……
「まったく、役に立たない小娘」
そんな声が聞こえたような気がして振り返るとザラフィン王妃が国王の代わりとなり演説を始めていた。私は足元に出来た血だまりに視線を一瞬だけ落とすとその場を立ち去った。
その後、王妃の演説で民衆や兵士の士気は高まったとの事だった。騒ぎも無事に収まったと後から聞いた。国王はというと失った腕はもう元に戻すことは出来なかったようだ。
牢に入れられた包帯男は明日の正午に処刑されるとの事だった。民衆の見ている目の前での公開処刑との事だ。
しかし、私は一つどうしても腑に落ちない事があった。
「どうして、あの時私を殺さなかったのか……」
処刑されてしまえば二度と聞くことが出来ない、そう思い私は牢へ足を運んだ。
すっかり日も落ちて明かりがなければ足元すら良く見えない。
処刑の決まった罪人と会っているなんて知られると面倒だと思い、なるべく人目につかないように牢へ向かった。
途中で何度か危うく見つかりそうになったものの、なんとか辿り着く事が出来た。
そして今私は、包帯男と鉄格子を挟んで対峙している。
「……」
「幾つか質問をしたいのですが、よろしいですか?」
「……」
「一つ、貴方は何者ですか? 二つ、どうして国王を狙ったのか」
「……」
「では三つ、どうして私を殺すのを躊躇ったのか?」
「……」
包帯男は無言のまま狭い牢屋の中で俯いたまま微動だにしない。
「――答えなさい!!」
明日の処刑まで時間がない、この場所にもいつ兵士が来るか分からない。
焦りで私は冷静さを欠いているかもしれない。
こんな時こそ落ち着かなければいけないというのに。
ふと、思い出したことがあった。
「……このペンダントを見ていたようですが、見覚えは?」
そう言ってペンダントを首から外し包帯男に見せる。
すると包帯男が顔を少し上げペンダントを視界に捉える。
「……!」
その時、包帯男の表情が変わった。目を見開いて、驚いたような怒ったような、そんな表情に私は恐怖を感じ一歩後ずさってしまった。
「このペンダントに見覚えが……あるの?」
そう言った直後、包帯男が苦しみ始めた。
「ぐ――ああああああああああああああ!!!!」
その場で頭を両手で押さえ、もがき苦しみ始めた。
突然の事で私もどうしたらいいのか分からなくなり頭が真っ白になる。
「がっ!! ぐうぅ!!」
訳の分からない、呻き声とも悲鳴とも言える声を上げ苦しんでいる。
どこかで聞いた事のあるような声だと思った。
しかし、この状態では話す事もままならない。
どうにか落ち着かせる事が出来ればいいのだけど……。
暴れながら包帯男は壁を殴ったり、地面に頭を打ち付けたりと自傷行為を始めた。
「なっ! やめなさい! そんな体で!」
この人物の違和感を見極めるまでは絶対に死なせてはいけないと直感で感じていた。
すると今まで暴れていた包帯男が突然静かになった。
気絶でもしたのだろうかと包帯男を凝視していると、包帯男から声が聞こえてきた。
「――セ……レ……」
包帯男が苦しそうに言葉を絞り出す。
そしてその言葉は。
「私の名前……。 貴方は誰なの?」
すると、遠くから兵士の声が聞こえてきた。
「誰かそこにいるのか!?」
まずい、今この男を逃がさないと間違いなく明日には処刑されてしまう。
今のが私の勘違いでないのだとするとこの人は――。
私は持っていた鍵で牢を開くと下水道に直結している通路を指差す。鍵は交渉する手段として持っていてもいいと思い念の為に持ってきていたのだ。まさかこんな風に使う事になるとは思ってもみなかったけれど。生きてさえいれば必ずまた会えるはず。その時こそちゃんと聞けばいい。
「早く、行きなさい。 貴方はここで死すべき人じゃない」
包帯男は無言のままゆらゆらと通路の中へ消えて行った。
足音はすぐそこまで迫ってきていた。通路の扉を閉め無人の牢屋を見つめる。
「姫様、どうしてこんなところに?」
間もなくして、やって来た兵士が驚いたようにそう言った。
「近くを通ったら声が聞こえて……来てみたら、こんな事に……」
もぬけの殻となった牢を指差して見せる。
すると兵士は顔を真っ青にして慌てて走り去って行った。
「罪人が逃亡した!! 必ず見つけて捕らえろ!!」

翌朝まで捜索は続いたが見つかることはなかった。
恐らくあの後、自力で逃げたのだろう。
「姫様、国王様がお呼びです」
こうなる事は分かっていた。
でも、信じてみよう。
きっと、助けに来てくれる。
「分かりました」

夢の中にいるようなそんな感覚だった。
意識は朦朧としていて、でも声だけは、はっきりと聞こえている。
俺は一体何をしているんだ?
目の前で人が無残に死んでいく。
俺が、殺しているのか?
そんなはずはない、俺はそんなこと望んでいない。
だがこの満たされる感覚はなんだ?
朦朧とした意識の中で俺が手に握っているものは他者の命を奪う為の道具。
そして目の前には面識もない少女がいる。
今まさに俺はその少女を手にかけようとしている。
やめろ、やめてくれ……。
そして怯えきった表情で俺を見つめる少女に俺は凶器を振り下ろす――。
「やめろおおおおおおおおお!!!!」
勢いよく起き上がると辺りは薄暗い森だった、どうやら悪い夢を見ていたようだ。
俺は森の中で眠っていたらしい。
すぐ近くには今も燃え続ける焚火がある。
「びっくりさせないでちょうだいよ! 起きたと思ったら一体何事よ!」
後ろから声が聞こえてきた。
振り返ると酒でも飲んでいるのだろうか、顔を赤く染めた中年の男。
「突然大きい声出して起きたと思ったら今度は何よ、私の顔に何かついてる?」
「いや、そうじゃないが……あんたは誰だ?」
「命の恩人に誰だって随分失礼じゃない? まずは自分の事を話したらどうなのよ」
「ちょっと待ってくれ、どういう経緯でこうなったのか全く覚えてないんだが……それにどうして頭に包帯なんて」
起きてからというもの、頭がずきずきと痛む。
包帯がされているが、どこで傷を負ったのかそれすら覚えていない。
「ふぅーん、あんた。 どうしてここに居るのか全く分かってないようね。 じゃあ仕方ないわ、説明してあげる、私は世界中を旅して回ってる大道芸の団長パリル。 よろしくね」
そう言ってウインクをした。
「で、どうして私とあんたが一緒にいるかって質問だけど。 すぐそこに川があるんだけどね、そこにあんたが打ち上げられてたから助けてあげたって訳。 こんな人気のない川だし偶然私が通ったからいいようなものの、下手すればこの辺りの野獣に食べられちゃってもおかしくない状況だったのよ。 それに結構ひどい怪我してたからあんたの看病はなかなか骨が折れたわね。 なんだってあんな趣味の悪い包帯なんか巻いてたのか理解できないわね。 気持ち悪かったから全部ひん剥いてやったわよ。 ここからは私の勘だけど、この川の上流は王国の下水道に繋がってるからもしかしたら、あんたはそこから来たのかもしれないわね」
「どうしてそう思うんだ? それに趣味の悪い包帯……?」
「簡単よ、数日前に国王を襲った輩がいるって騒ぎになってたのは私の耳にも届いてるわ。 そしてあんた。 血まみれでこんなところにいれば誰だって何かしら関係があると思うのは当然の事じゃないのかしら? ってあんた覚えてないの?」
「あぁ、ずっと夢を見ているような感覚だった。 」
俺は王国に行った覚えはないし、ましてや国王を襲うだなんて――あり得ない。
「まぁ命からがら助かったんだし、動けるようになったらさっさとこの辺りから逃げちゃったほうがいいと思うわよ」
「そうだな、覚えてないとはいえ今や重罪人になってるようだしな、だが……下手に動けば関係ない人を巻き込んでしまう」
「そうね、あんたの家も安全とは言えないわね。 ん、なによ? そんなに見つめて」
「いや、あんたは男――でいいのか?」
そう言った時。
「ああん!! この私のどこが男だっていうの!?」
さっきまでは状況を理解する為にこの事には触れなかったが、もういい加減いいだろう。
野太い声に短く切り揃えられた髪の毛、それに不自然に長い下睫毛。そして女と言ってる割に髭も生えている。これで女と名乗っているのだから指摘せざるを得ないだろう。
「分かった、あんたが何者だろうがどうでもいい。 でも、一つ聞いてもいいか? この新聞のこの記事は?」
その場に置いてあった新聞の一文に気になる記事があった。
「ふん! 助けてあげたのに何よその言い草は! どうでもいいですって! ほんと信じらんなーい!」
完全に不貞腐れている……。いい年した男が不貞腐れても全く可愛さの欠片もないんだが。
「ったく、分かったよ。 俺が悪かった、だから機嫌直してこの記事の事教えてくれないか?」
すると掌を返すように晴れやかな顔になる。
「あたしって綺麗だと思う?」
突然そんな事を聞いてきた。
「ねぇ、あたしって綺麗?」
そう言って顔を近づけてくる。焚火の明かりで照らされたその顔は、恐怖を感じる程でもあった。
「ねぇってば?」
顔を逸らしパリルと名乗る男の顔を見ないようにした。
「まったく、つまんないわね! でも知りたい事はちゃんと教えてあげる! どうやらお姫様は罪人を逃がした罪で、今度は姫様が処刑されるって事よ。 つまりあんたを逃がした責任を取って処刑される事が決まったようね。 ちょっと貸しなさい、うーんと……処刑は明日の正午ね。 ん、どこに行くのよ?」
俺はふらつく体で立ち上がる。
「……俺のせいで処刑される? そんなの黙ってみてられない……助けに行かないと」
その言葉を聞いてパリルは驚愕した様子で俺の顔を覗き込んだ。
「あんた正気!? せっかく逃がしてもらえたのに、また戻るなんて死にに行くようなものじゃないの!! 確かにお姫様は可哀想だと思うわ、まぁ可愛い女なんかいなくなればいいなんて思ってたり思ってなかったりだけど!! でも、そうよね男の子なら女に助けてもらったとあればいいところを見せたいっていうのかしら?」
色々勘違いしているようだが。
まぁ放っておこう、それよりも今は。
そして俺は歩き始める。
「待ちなさい、道は分かるの? そんな体で王国まで行けるわけないでしょう?」
「うるさい、それでも俺は行かなくちゃならないんだ」
足元がおぼつかない、どうやら本当に深刻なダメージを受けていたらしい。
「仕方ないわね……何かあった時の為にと大事にしていたこの薬、ネオウルトラスペシャルドリンク。 飲みなさい」
「いや、有難いんだけど大事な物なんだろう? 受け取る事は出来ない。 それと、まだ礼を言っていなかった。 すまない、ありがとう。 短い間だったが世話になった」
そう言って再び歩き始めると突然、首を絞められた。
「待ちなさい、そんな体で何が出来るっていうのよ。 この薬を飲みなさい」
「おま……なにを……」
すると口の中に何か液体が流れ込んでくる。
突然の事で体が拒否反応を起こし咳が込み上げてくる。
「吐くんじゃねぇぞ……これ高かったんだからよぉ?」
そう言って口を手で塞がれて咳をすることも許されなかった。
もはやさっきまでの雰囲気は全くなく、怪しげな液体を無理やり飲み込まされた。
「げほっ!! ごほっ!!」
「あーあ、まぁしょうがないわね」
「お前……何を!!」
「もう効いてる頃ね、ほら歩いてみなさい?」
「ふざけるな!! そんな怪しげな薬で傷が治るとでも――」
反論しようとしたところで俺は違和感に気づいた。さっきまでは僅かに歩くだけでも苦だったのが普通に歩けるようになっていた。あの液体を飲んだ事で傷が癒えたのか?それに頭痛も全くしなくなっていた。
「これは――」
「んーっふっふ! これぞ、ネオウルトラスペ――」
「ああ、聞いた俺が間違ってた。 でもどうしてそんな大事な物を俺に譲ってくれたんだ?」
そう言うと、パリルは俺に向けて親指を立ててポーズを取っている。
「そんなもん決まってるでしょうが! 私の足手まといになられちゃ困るからよ!」
別にこいつの大道芸の手伝いをするわけでもないのに。
「言ってる意味が分からないんだが? ここで別れるのに足手まといも何もないだろう?」
「だーかーらー、私が付いて行ってあげるって言ってるのよ! せっかく助けたのに簡単に命を捨てられちゃったら私がなんか損してるじゃないの! 助け損よ!」
「お前……」
「ふん! 分かったら行くわよ!」
そう言うと、パリルは辺りに散らばっていた物を片付け始めた。
俺はその様子を見つめながら口を開いた。
「だが、もしかしたら命を落とす事になるかもしれないんだぞ。 そんな危険な事に他人を巻き込むわけには……」
「他人……じゃないわよ? もう私達は知り合いよ!」
こいつ、まさかとは思うが相当な馬鹿なんじゃないだろうか。いや、大道芸をしているのであればこういったふざけた口調になるのか……分からない。
なんとなくだが、こいつが大道芸を一人でやってる理由が分かった気がする。
「いや、知り合いでも他人は他人だろう。 助けてくれるのは嬉しいけど――」
「もう男のくせにぴーちくぱーちくうるさいわねえ。 いいじゃないの、私が行くって言ってるんだから。 とにかく……お前には断るって選択肢はないんだよ、分かったか?」
再び鬼の形相で睨みつけられた。さっきもそうだがこうなると何を言っても力ずくでも意思は曲げないのだろう。
「わ、分かった」
凄まじい雰囲気に押されて頷いてしまった。どうやら本当に通したい意見がある時だけは、本性が出るらしい。
「すまないが、しばらく力を貸してくれ」
するとパリルは満足そうな顔で微笑んだ。
「あらぁん、素直にちゃんと言えるじゃないの。 いいわよ、私が言い出した事だし付き合うわよ。 でも名前くらい名乗ってもいいんじゃないの?」
「そうだな、俺の名前はラークだ。 パリルだったよな、よろしく頼む」
「いやぁーん、名前で呼ばれると嬉しくなっちゃうー。 私に任せときなさい、必ずお姫様は助け出してあげる」
「そうか、心強いよ。 ところで戦闘の経験はあるのか? やけに自信があるようだが」
「そうね……うーん、じゃあそれは王国に向かいながら話してあげるわ。 まぁ、一見は百聞にってやつよね。 そうねぇ、今から王国に向かえば十分間に合うわね。 向こうで作戦を練りましょう」
こうして俺はパリルと共に王国を目指して歩き始めた。

神器~失われし遺物~

神器~失われし遺物~

孤児が集まる村で平凡な日々を送っていたラーク。 同じ村で暮らしている少女、セレーナと向かった森の中に佇む建物の中で二人は離れ離れになってしまう。 それから時が流れ二人は再会する……。 誰かを信じようとする力は何よりも強いということ。 逆に言えば疑念を持てばそれは敵意となって自分に向けられてしまうということ。 これは、そんな誰しもが持っている心の強さ、弱さを描いていく物語である。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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