未定


コップは洗いカゴから取り上げたら,内側から水滴を垂らしていた。
取っ手の部分を持ったまま,キッチンタオルの一枚をくるっと千切って,軽く拭いた。点けたライトに発見させるように傾けて,影を作らないように底まで覗いて,瞬きをしたら,まつ毛を見つけた。今抜け落ちたばかり,だろうね,とコップの縁まで,それを小指で引き上げようと頑張った。起きたばかりのせいもあって,手間取ってしまって,結局,まつ毛ごと,もう一度洗い直した。自分のものでも,指紋だらけはどうだろうと思ったからで,メンドくささも解決できるし,スポンジの泡でしゃかしゃかにして,注いだ。お湯になり切れない短い時間の作業だったから,冷たいままだった。陶器のコップとともに震えた。お陰様で,今朝の気温はどうですか,と訊かれて答えられるキャスターの気分,と言うのはあまりにも突飛かな。と,指摘できるぐらいに目が覚めてしまった。流し終えて,水を止めて,今日初めての仕事にゴワゴワと喜ぶハンドタオルを,買い換えなきゃいけないなーと思いつつ,洗いカゴに立てていたコップをひっくり返した。寝なおす気がなくなったから,あとで沢山加わる食器群と一緒に片付けることになるまでは,自然乾燥様に任せるつもりだった。カーテンは,と思ったら既に開いていた。じゃなくて,昨夜から開けたままだった,が正しい。緊急だとかなんだとかで,昼頃に担当からの電話があってから,ずっと作業しっ放しだったからだ,ということをはっきりと思い出した。というよりは,今になって気付いた,が正確かな。はあーっとため息をリビングのカーペットの上に転がして,寝巻きには着替えている自分の姿を褒めてあげた。労わる自己愛に溢れているのだ,深夜を迎えて,短い睡眠を貪れる,夜明け前であっても。
気持ちを入れ直して,向かった冷蔵庫からは,くたびれてなんていない冷気と最小限の種類と量の食材に,綺麗な長方形の銀紙バターが発見できて,牛乳パックが寝そべっていた。今日の水よりは牛乳だと思い,引っ張り出そうとしたけど,ちょっと手間取った。力が入りきらない朝の身体には思った以上の重さに加えて,牛乳パックの口が好きじゃない,億劫な気持ちのストレートな重さなんだと思った。案の定,失敗した。所有するコップの中で,マグの名称を付けるに値する度量のあるヤツでないと,注がれる全てを受け止めきれない,三方向からの複雑なミルクをくれる一箱と化してしまった。レンジでチンの前に,両手を広げて,何もかもを受け止めてくれそうな背後の食器棚をきちんと閉めて,時間をセットして,甘みを足して,真ん中に置いてから,あとはお任せにした。その間に洗面所へ,すぐに戻って来てからはリビングへ直行して,テレビを点けて,ベランダを向いて,近付いて,曇らせてしまう。近づき過ぎた。袖口を動かす。
きれいだなー,って画面の向こうの彼が言ってくれたのを耳に入れて,じっとした。出来上がりを知らせる親切さには,軽く無視して怒られた。てへへ,と可愛く舌を出す暇もなく,湯気に世界を包まれて,火傷をした。
子供みたいに,ふーふーとしなきゃいけなかった。一人前の,至福のとき。それを味わってからが,今日の私だった。

未定

未定

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-12

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