End of time
エピソード1
~プロローグ~
綺麗な瞳の人が見える……貴方が私をここから連れ出してくれるの?こんな狭くて寂しい場所なんか、もう耐えられない。
暖かな光の射す場所に一度でいいから行ってみたい……。たった一つ抱いたこの思いが届くことを祈って――。
今日は朝から曇り空だった、別に天候なんてものに興味はない。
ここは港町ルルブ、シルヴェリウス海岸から南西に位置していて、この港町はそれなりに大きく栄えている。
この辺りでは珍しく魔物もあまり出ないからという理由でここへやって来てそのまま住みつく者も少なくない。
街のいたるところで新鮮な食材や珍しい商品を売り出している屋台が軒を連ねて活気に満ち溢れている。
少し離れた街では食料も無く毎日の様に争いが起きているという噂もあるが、ここに住んでいると外の世界がそんなことになっているなんて想像もできない。
今日は曇り空で、外を歩いている人はいつもより少ないように見えるが、これといって変わった様子は無い。
俺はヴェルナー・ブロムベルク。
この港町を守るために雇われた傭兵だ。
ここには俺の他にも雇われている傭兵が大勢居る。仕事の内容と言えば街を歩き回り、異常が無いか見て回り、たまに魔物が出れば退治する。その程度のことが仕事の内容だ。
雇われている傭兵の連中は「物足りない」と言う奴や、「楽して金を稼げる」と、様々だが、俺はこれと言ってなんとも思ってはいない。別に金が欲しいから傭兵をやっているわけじゃない。それしか出来ないからやっているだけだ。
俺の両親は小さな村で剣を教えていたが、魔物に襲われた俺を庇って殺された。身寄りのなくなった俺は、この港町の傭兵団に引き取られることになった。そしてこの傭兵団の隊長はかつて、剣聖と呼ばれた騎士だ。俺はその人に戦いのあらゆることを叩きこまれて育った。厳しい訓練に音をあげることもあったが、同年代の仲間と辛い時はお互いを励ましあって耐えていた。
そんな日々にもいつしか慣れていき、無事に一人前の傭兵になることが出来た。
それからは平凡な毎日だったが、生きていくには何の不自由もなかったし、それで満足していた。
だが、俺の平凡な日々はあの日を境に一変する――。
「今日も異常は無さそうだな――っと、そろそろ時間か」
昨夜の事だ。傭兵団の隊長から
「明日の正午、この場所に行って欲しい。 なんでも昨日その場所の近くで大きな爆発があったらしく、念のため様子を見て来いと、お偉いさんから要請があった」
と、言われ場所を書き記した地図を手渡された。それほど遠い場所ではないようだったので俺は引き受けることにした。
まぁ断る事なんて出来ないのだが。
傭兵団の連中に事情を説明して、指定された場所へ向かって港町を後にする。
港町を出ておよそ二時間くらい歩いたところで指定された場所へ到着した。
地図に指定されているこの場所は、よく傭兵団が訓練を行うダーザイン森林の中にある小さな小屋の前だった。
しかし訓練で何度も来ているが、こんな小屋を見た記憶は無い。
俺は思ったより早く到着したので、俺は適当な所に腰をおろした。
それにしてもこんなところに呼び出すなんてどういうつもりなのだろう、人はおろか生き物の気配すら感じられない。
「もしかして、この地図間違ってるんじゃ……」
そんな独り言を呟きながら、しばらく待っていたがやはり誰もやって来ない。
この小屋の前に来た時から違和感を感じていたが、それがなんなのか分からなかった。
しかし、ある物がふと目に映った。
「あぁ、なるほど。 生き物が居ないんじゃない……近付くことが出来ない、と言うことか。 恐らくこの魔方陣が何か関係しているみたいだな」
この小屋を囲むように、狭い範囲ではあるがよく見ると地面に魔方陣が幾重にも施されている。これだけの魔方陣を施せば、虫の一匹も入る余地はないだろう。よほどの術者が数人で施すような、かなり大がかりな魔方陣だ。
――ふと疑問が浮かぶ。
ならどうして俺は魔方陣の中に入れたんだ?
それに一体なんのためにこんなことを。
すると小屋から物音が聞こえてきた。
素早く物音がした方向へ視線を向け身構える。
「こんな小屋に人がいるわけ――」
そう言い終える前に小屋の扉がゆっくりと開かれた。
開かれた扉を凝視していると人影のような物が僅かに見えた。
「――そこに誰かいるのか?」
問いかけても反応は無い……。
襲いかかってくるのならば扉を不用意に開けてこちらを警戒させる必要など無いはずだ。
「きゃぁぁぁ!」
突如小屋の中から悲鳴とほぼ同時に何かが崩れる音が聞こえてきた。
咄嗟に俺は小屋へ駆け出そうとした――が。
「いてててて……うぅ……」
頭を押さえながら開け放たれたままの扉の中から少女が現れた。
その少女は、透き通るような金色の長い髪に、鮮やかな蒼色の瞳が印象的な少女だった。
洋服はずいぶんと古く、ところどころほつれていたり穴が開いていてお世辞にも女の子が身に纏う物じゃない。
「――あっ……ふぅーん?」
少女は俺に気付き、なにか納得したような表情でゆっくりと近付いてきた。
この辺りでは金色の髪はあまり見かけることがあまり無く、そうゆう物珍しさもあって俺は少女に目を奪われていた。
「……本当に綺麗な目をしてるね」
ふと気がつくと、少女は目の前に居た。
吐息がかかるほどの距離で俺の目を覗き込む。というか――近い!
俺は一歩後ずさると少女は一歩前に踏み出す。
少女はちらりと足元を見て俺が一歩後退すると少女は一歩前へ、とまるで遊んでいるかの様にそんなことを繰り返していると、ぴたりと少女が止まる。
「どうして逃げるの?」
首をかしげ指先を口元にあてて不思議そうな表情で少女はそんなことを言った。
逃げているわけじゃないのだが、いや、でもこれは……。
「……わかった、少しそこでじっとしてくれ」
仕方なくそう言ってまた一歩後退する。
すると今度は近付いて来なかった。
「あの中狭いし汚いし、もう最悪だよ」
その場で不機嫌そうに小屋を見つめたまま少女は頬を膨らませている。
それにしても、指定された場所にこの少女がいるということは、恐らくこの少女が何かを知っていることだ。なんて考えていると――そっと顔に手が触れる。驚いて正面を見ると少女が俺の目をじっと覗き込んでいた。
「うん、本当に綺麗な目だね」
そういえばさっきもそんなことを言っていた気がするが、一体なんなのだろうか。
というか、人の話を聞いていない……。
「そ、そうか? なんだか分からないが、ありがとう……で、いいのかな」
そう言うと少女が俺の顔から手を離す。
「わたしはこの中でずっと眠っていたみたいなんだけど、昨日ここに人が来てね。 もう外に出られるって教えてくれたんだ。 それでその人が、明日ここに人が来るからその人と一緒に外の世界を見て回りなさいって。 それで貴方がここに来たってわけ。 えへへ」
屈託のない笑顔で少女はそう言った。
「……いや、ちょっと待て。 その人ってまさか――」
その人というのは恐らく隊長のことだろう。
ここへ隊長が来た?
一体なんの為に?
「もしかして知り合いだった?」
驚く俺をよそに、少女は表情を変えることなくそう言った。
「あぁ、恐らく俺の所属している傭兵団の隊長だろう。そして俺をここに行くように命じたのもその隊長だ」
隊長の意図は分からなかったが、なんらかの事情があるのだろう。
「――それでね、お願いがあるの」
さきほどまでとは違い少女の顔から笑顔が消えており、真剣な表情が見て取れた。
「お願い……?」
「……うん、わたしって他の人とは違うみたい。 でも何が違うのか分からないんだけど。 それであの魔方陣は悪い魔物が近寄らないようにって、偉い人が作ってくれたんだって」
そう言って少女は地面に描かれた魔方陣を指差す。
視界に映る幾重にも重ねられた魔方陣が尋常な事態ではなかったことを感じさせる。
そこまでする必要があるほど危険な人物ということなのだろうか。
「それでね、お願いって言うのは。 ――わたしを、ここから連れ出して欲しいの」
と、強い決意の籠った言葉を少女は口にした。
どれくらい眠っていたのかは分からないが恐らく眠っていたのではなく封印されていたと言う方が正しいだろう。
本当に隊長がこの少女に会っていたとするなら何か意味があるはずだ。
しかし隊長がここへ来た確証も無いのに俺の独断で決めることは出来ない。
一度引き受けてしまえば、しばらくルルブに戻れないかもしれないし――それに。
ルルブの傭兵団には無断で依頼を引き受けることや、独断で行動することを禁ずる規則がある。そして許可なく規則を破れば厳しい処罰を受けることになっている。
「引き受けてやりたいんだが、一度戻って傭兵団の許可をもらわないといけないんだ」
そう言うと少女は、俺が手に持っている地図を指差した。
「その地図の裏側、読んでみて」
そう言われ裏を読んでみると[ヴェルナー・ブロムベルクの単独行動を許可する]と、書かれていた。まったく手回しがいい――と、心の中で苦笑した。
「えへへ、分かっていただけましたか?」
いつのまにか少女に笑顔が戻っていた。
この地図に違和感を感じつつも、俺は依頼を引き受けることにした。
にこにこと、嬉しそうに話す姿は他の年頃の女達となにも変わらなかった。
「いや、いいさ。 それで、どこに行きたいんだ?」
そう言って世界地図を広げて見せる。
「ありがとう……ねぇ、名前聞いてもいいかな? わたしはフィーネって言うんだけど……貴方はヴェルナーでいいんだよね」
少女――。フィーネはそう言った。
「なんで俺の名前を……?」
すると、くすくす笑って地図の裏を指差して見せる。
「ふふふっ、だってここに書いてあるじゃない貴方の名前。よろしくね、ヴェルナー」
「なるほど、そういえばそうだったな。こちらこそよろしく頼む。それで、フィーネでいいのか?」
そう言って挨拶を交わし、今後のことについて話をしようとする。
まずどこを目指すのか決めないと連れ出すも何もないからだ。
この時、俺自身も少し楽しみ始めていたのかもしれない。
幼い頃から自分の意思でどこかへ行くことなんて考えたことも無かったからだ。
「へぇ、世界ってこんな風になってるんだね。これは何?」
そう言ってフィーネは地図を指差した。
「ここは、この森からずっと北にあるグランユゼルって神殿だ。 ここに行きたいのか?」
「えっ、うーん……じゃあそこに行ってみようかな?」
グランユゼルまでは厳しい道中になるだろう。フィーネに視線を向けると、よほど外の世界に興味があるのだろうか、世界地図をじっと見つめている。
「時間はあるんだろ? のんびり世界を見て行けばいいさ」
「……う、うん……そうだね、時間はある……かな」
なんだろう、いま少しだけ表情に違和感を感じたが、気のせいだろうか?
「とりあえず、グランユゼルに向かうが、道中で魔物に襲われる危険がある。だからまずは、この街に寄って必要な物を揃えよう」
そう言って世界地図の上を指差す。
そこはこの森からは一番近い街なのだが、徒歩では二日はかかる距離だ。
まずはそこで必要な物を揃えなくてはいけない。
グランユゼルは雪原にある神殿で雪が絶え間なく降り続ける土地にある。
防寒着は現地で調達すれば間に合うと思うが、道中の食糧は必要不可欠だろう。
そこでこの街に寄って必要な物を揃えるということを伝えた。
「ふぅーん……あっ、ここも行ってみたいな!」
フィーネは興味無さそうに返事を返すと、すでに街へと思いを馳せている様子で地図を楽しそうに眺めている。
しかし本当に分かっているのだろうか。外の世界は危険だと言ったばかりなのに、もう完全に忘れているんじゃないか?
「外の世界へ連れて行くのは構わないが危険が多いということだけは忘れるなよ」
念を押すようにそう言った。
「うん、大丈夫だよ。ヴェルナーが守ってくれるんでしょ?」
信用してくれるのは素直に喜ぶべきことなのだが、こんなにも満面の笑みで他人に頼る人間を俺は初めて見たような気がする……。
若干の不安が脳裏をよぎったが、その笑顔を見ると力になってやりたいと思うような、そんな笑顔だった。
俺は持っていた水を軽く一口飲んで、喉を潤すと口を開いた。
「――グランユゼルに向かう前に、このウィルミングに向かうことになる。噂では願いが叶うって言われてる湖があるみたいだ。あくまでも噂だから本当かどうかは分からないけどな」
噂を鵜呑みにするわけではないけれど、そんな場所が本当にあるのなら行ってみたいと思う。
仮にその場所に辿り着くことがあったら俺は何を願うのだろう……そんなことを考えた。
「うんうん、素敵な話だね。 本当にあるならわたしも見てみたいな」
瞳を輝かせている彼女には悪いのだが、あくまでも噂で聞いたことだ。それに、どれも内容が異なっていて、いまいち信憑性に欠ける内容だった。
ある者は水面が七色に輝いていたと言ったり、またある者は湖から巨大な魚が飛び出して来た、などと様々だった。
「じゃあ、まずはそのウィルミング……に、行くのかな?」
「そうだな、まぁここからそれなりに遠いから覚悟しておけよ。順調に行けば二日くらいでウィルミングに到着出来るはずだ――っと、その格好じゃちょっとな……」
そう言ってフィーネに羽織っていた傭兵団の外套を着せる。ウィルミングまではこれで我慢してもらうことになるだろう。
「ありがとう――さっきまで見えなかったけどずいぶんと重たそうな鎧だね、大丈夫?」
自分では気にしたことがなかったが、言われてみれば確かに重そうに見えるのかもしれない。まぁ心配されるほどのことではないのだが。
「この鎧は重そうに見えるかもしれないが大丈夫だ。この地方で採れる簡単に言えば軽くて丈夫な鉱石を使って作られているからな。そんなことより準備はいいのか?」
まったく準備をする気配も感じられなかった。このまま行くつもりなのだろうか……。
「うん、これで大丈夫だよ。だめかな?」
その手には何も持っていなかった。大荷物になるのも困るがどうなのだろう。
「だめじゃないが、なにも持っていかなくていいのか?」
するとはっと気づいたように小さな袋を取りだした。
その袋は少女の見に付けている洋服とは違い、随分と凝った刺繍や宝石があしらわれていて素人の目から見ても高価な物なのが見て取れる。
「それは、何が入ってるんだ?ずいぶんと立派な物にみえるが……」
するとフィーネは袋の中から深紅の宝石があしらわれたネックレスを取りだした。
「これは昔もらったんだ……どこで誰にもらったのか忘れちゃったんだけどね。せっかくだし付けようかな? 今まで一人だったから付けたこと無かったんだよね」
そう言ってそのネックレスを首にかける。
「……えへへ、似合うかな?」
恥じらいながらも嬉しそうに笑っている。そんな姿を正面から見るのが少し気恥ずかしくて、ふと足元を見ると魔方陣が目に映る。
ずっとここで眠っていた彼女は他人と接することもなく過ごして来たのなら、こうして着飾ることも無かったのだろう。
「あぁ、すごく似合ってる。気に入ったのならずっと付けていればいいんじゃないのか? それをプレゼントした人もきっと喜ぶと思うぞ」
なんだか聞かれてないことまで答えてしまった気がするが、素直に似合ってると思った。宝石自体は小さいのだが、逆にそれが上品に見えるという感じだ。
「そっか……そうだよね、せっかくもらったんだし付けないと失礼だよね。ありがとう」
お礼を言われるほど気のきいた台詞を言えた訳では無いが、喜んでいるならそれで良かった。
俺はあまり他人と触れ合うこともなく今まで暮らして来た。
まぁ傭兵団の仲間と話す事はあるが、訓練のことがほとんどだ。
それ以外のことはほぼ話した記憶も無い。だからなのだろう、自分がこんな風に他人と話していることに正直驚いている。
「よし、じゃあ行こう」
End of time