ヨーグルト

すごろく 作

 例えば、とある中学校の教室にて、授業中に一人の生徒が、別の一人の生徒を刺し殺したとして。その教室内はどんな風になるだろうか?
 もちろん、阿鼻叫喚の地獄と化すのは想像に難くないわけであるが、具体的にはどうか。
 まず女子生徒の誰かが甲高い悲鳴を上げるだろう。もしかしたら対象者の身体にカッターやナイフやらが刺さる前に悲鳴を上げられてしまうかもしれない。
 そうだとしても、大した問題ではない。
 悲鳴を上げられたところで、周りがすぐにそれに対応できるはずがないし、躊躇を捨てて素早く相手の腹や胸に、手持ちの刃物を突き刺せば死体のいっちょあがりである。
 と、言いたいところだが、現実はそう上手くはいかないかもしれない。
 一度刺しただけでは、確実に殺せたとは言い切れない。急所が外れていたりなんかしたら、病院に搬送された際に助かってしまうかもしれないのだ。確実に殺すためには、何度も刃物を往復して身体に突き刺す必要があるが、そんなことをする前に何人かの男子生徒、及び男性教師によって取り押さえられてしまうだろう。
 すなわち、授業中の教室で確実に殺したい対象を殺すのは、不可能とまではいかないが、なかなか困難なことは事実である。
 そんなわけだから、授業中の教室内で人が殺されたという話は滅多に聞かない。
 ただ、僕には月に一度、前述のように授業中の教室で殺人を犯せる機会がある。
 いや、もちろん現実の話ではない。現実だったら一度犯しただけで即お縄だ。
 そういうことではなくて、僕がその機会を得られるのは、夢の中での話だ。
 夢と言うのはご存知の通り眠って見る方の夢だ。断じて目標や希望などの意味合いではない。別に僕は現実で殺人を犯すことに憧れるようなサイコ気取りの中二クソ野郎じゃない。
 ただ夢を見るのだ。月に一度、授業中の教室で人を殺す夢を。
 それは第一週の火曜かもしれないし、第二週の木曜かもしれないし、第三週の土曜かもしれないし、第四週の金曜かもしれない。法則性はない。だが一月に一度は確実に見る。
 僕は教室でうとうとしていて、そしてはっとして目覚めるのだ。いや、目覚めたのは夢の中の僕で、現実の僕は自分の部屋のベッドの上で幸せそうにおねんねしているわけだから、現実の僕が目覚めている間は、夢の中の僕は眠っている気がするのだが、それはともかく。
 夢の中で目覚めた僕は、まずチョークで色々と書かれた黒板に目が止まる。
 その黒板に書かれているのは、難しげな数式の大群のときもあるし、古文の羅列のときもある。ただその黒板を指差して何やら喋っている(おそらく授業をしている)教師は変わらない。僕のクラスの担任の山崎教諭だ。今どき時代遅れの角刈り頭で、おまけに筋肉隆々の大柄で赤ジャージを着こなす、こてこての体育教師で、実際の担当科目も保険体育だ。
 保健体育の教師がなぜ数式や古文を教えているのかはわからないが、まぁ夢の中での出来事なのだから辻褄が合わないところが多々あっても気にするようなことでもないだろう。
 そこで僕は今授業中の教室にいることを知る。そしてこれが夢であることもすぐに知るのだ。この感覚は非常に説明しづらいのだが、安直に言うならば明晰夢というやつだ。
 あの夢の中で夢であることをはっきり自覚しているという、あれだ。
 その授業中の教室が夢であることに気づき、そして俺は思う。
 ――――よし、誰かを殺そう。
 いきなり思考が飛躍し過ぎだと思われるだろうが、真っ先に頭に浮かんでくる単語が「殺す」なのだから致し方ない。なぜとかどうしてとか理由はなく、ただ殺そうと思うのだ。
 やらねばという使命感もなく、どうしてもという欲求もなく、ただ気楽にそう思うだけだ。
 それじゃあ誰を殺そうという話なのだが、正直なところ誰でもいいわけである。
 言い忘れていたが、別に僕はこのクラスの中に、殺したいほど恨んでいる人物はいない。
 そりゃ人間なのだから、多少腹の立つことはあるにしても、何もその程度で恨みを持つほどちゃちな男ではないし、ましてや夢の中で殺してやれるなんてほくそ笑む矮小さは持ち合わせていない。よって、誰かを殺そうと思ったところでその肝心の誰かがいないわけだ。
 それでも、誰かを殺そうという気が止まないのは、僕自身にとってもまったくもって謎だ。
 何度も言うが、僕には絶対に殺さなければならないという使命感もなく、絶対に殺してやりたいという欲求もなく、ただただこの夢の中では殺すのが普通だと当たり前に思っているだけなのである。殺さなければ目覚めないとか、そんなルールもないとは思うが。
 とにもかくにも、誰を殺すにしたって凶器が必要になる。
 しかし、それは事欠かない。凶器なら僕の机の引き出しの奥にすでに仕込まれているからだ。
 それは刃渡り数センチ程度のサバイバルナイフである。
 誤解しないで欲しいのは、現実の僕はサバイバルナイフなんか学校に持ってきてなどいないということだ。銃刀法違反だしな。というか持ってすらいないのだが。
 さて、それではこのサバイバルナイフで誰を殺すべきか?
 ちょっと悩んでみるものの、それもさして重要な事柄ではない。
 しつこいようだが、俺には殺したいほど憎いやつなどいないのだ。
 だから大体、殺すやつはランダムに適当に選ぶ。
 最初は出席番号順で殺していったが、出席番号四番の江川を殺した辺りからなんだかつまらなくなった。だから次はくじ引きで決めて、クラス内でもがり勉で有名な澤宮を殺した。その次はあみだくじでクラスの男子から美人女子生徒と人気の高い天原を殺した。
 僕がそいつを殺している間、誰もが机の上の教科書とノートに向かってぴくりとも動かない。山崎も相変わらず黒板を指差して何かしゃべり続けているだけ。殺されている生徒も何の抵抗もないし、無表情の上に無言で俺に切り刻まれる。かくいう俺も無表情の上に無言でナイフを相手に向かって振り下ろし続ける。何べんも、何べんも。相手はあちらこちら中に穴が開いて骨が垣間見え、臓物は零れて手足のどれだかが千切れ落ちても、それでも僕に切り刻まれ続ける。僕も僕で、相手の返り血で血みどろになり、強烈な鉄臭さが復讐するように鼻腔を突き刺してきて、吐き気がこみ上げてきても、ナイフを振り下ろす手は止めない。
 気持ち良い感覚はない。むしろ吐き気があるぶん、気持ちが悪い。
 それでも殺し続けるのは、この夢ではこうするのが普通だから。
 使命感でも欲求でもなく、ここではそれこそが常識だから。
 何度も刺しているといよいよ腕が疲れて棒のように動かなくなってきて、それが殺すのをやめる合図だ。その頃には相手はすでに肉塊である。ただただ赤い液体塗れの肉団子。
 僕は力を抜いて腕をぶらんと垂らし、ナイフを床に落として、ゆっくり天井を仰ぎ見る。
 蛍光灯といくつかのシミがあるきりの、つまらない教室の天井を仰ぎ見る。
 そして思うことはただ一つ。それは自然と口の端から零れ出る。
「あ、ヨーグルト食べたい」
 そこで目覚める。現実の自分の部屋のベッドの上で、僕は目覚める。
 目覚めた途端に感じるのは、猛烈なヨーグルトを食べたいという欲求。
 別にヨーグルトが好物というわけでもないのに、無性に食べたくて食べたくて仕方ない。
 ベッドから飛び降りて、転がり出るように部屋を出て台所へ。
 一直線で冷蔵庫を開け、目を皿にしてヨーグルトを探す。
 一つでもあったのなら、すぐさま手に取り、蓋を引っぺがし、スプーンも使わずに直接喉に流し込む。長時間冷蔵庫に入れられていたヨーグルトの冷たさがすとんと胃袋に落ちる。
 その瞬間、僕は言いようのない多幸感に包まれるのだ。
 盆と正月がいっぺんに来て、好きな人が出来て子供が出来たみたいな、そんな――。
 いや、例え話であって、好きな人も子供も出来たことはないが、ともかくそんな感じだ。
 これでヨーグルトが冷蔵庫の中になかったときは、もうそりゃ大変だ。
 僕は我も忘れて家族全員を叩き起こし、ヨーグルトはないかと問い質す。
 ただ当然、冷蔵庫の中にないものが他の場所にあるわけがなく。
 休日だったり、朝早ければすぐにでも家を飛び出して近場のコンビニに駆け込み、ヨーグルトを手に入れることもできるが、平日でしかも寝坊気味だった日には、学校にいながら一日中ヨーグルトを食するのを我慢することを強いられる。地獄だ。とても地獄だ。
それこそサバイバルナイフで、クラスの中の誰かを滅多刺しにしたいくらいには。
ただやはり、放課後にようやくヨーグルトを食べたときには、素晴らしい多幸感を得ることができるのだ。夢の中で血みどろになって人を殺した甲斐があったと思えるほどの。
 今朝は良かった。今月分のクラスメートを殺す夢を見て、強烈なヨーグルトを食べたい欲求に苛まれても、ちゃんと冷蔵庫の中にヨーグルトが用意されていた。しかも僕の一番好きなM社製の『今日も元気ヨーグルト』だ。このヨーグルトは酸味と甘みのバランスが絶妙で、舌に滑らかに絡んで喉越しもいいのだ。最悪なのはS社製の『太陽ヨーグルト』。これに関しては説明不能の不味さだ。開発者は頭がおかしいのではないか。このヨーグルトを我慢できずに食べた日には、せっかくの多幸感も半減するというものである。
あ、ちなみに昨晩の夢で殺したのは谷村という男子生徒。あまり授業に出席せず、登校してきてもろくに教師の話も聞かずに消しゴムのハジを投げているような出来損ないの不良だ。
 こいつに関しては過去に制服のズボンに牛乳をぶっかけられて謝りもされなかった恨みがあるので、殺すのにもちょっとした満足感を得ることができた。
 そんなわけだから、今日の僕は非常に機嫌が良い。
 横一列で道を占拠する小学生の集団を「邪魔だな、ぶっ殺してぇ」と思わずに生やさしい眼差しで見守ってやれるくらいには。
 まぁ、満員のバスに乗っていたときに指定席に座っていた僕に恨めしげな視線を送ってきた老婆に対しては、狸寝入りを駆使して無視をかましてやったけども。
 基本的に今日も何も変わらない風景。何も変わらない余裕がなさそうな暗い顔の人々。
 どうせろくな学生もいない学校。僕はいつものように笑顔を取り繕って教師に挨拶。
 すぐさま真顔に戻って教室に入る。教室では誰も僕に挨拶をしてくるやつなんていない。
 さてと、僕はホームルームの時間まで、朝の日課の読書にでも明け暮れるとしますか。
 あぁ、それから。またヨーグルトを買っておかないとな。次にあの夢を見る前に。
 もちろん、M社製の『今日も元気ヨーグルト』を。

ヨーグルト

ヨーグルト

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日 2016-11-11

Copyrighted
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