海とペリカン


散髪したてのペリカンが,翼を軽く羽ばたかせて,調子を確認しているところに立ち会った。どうやら,飛行距離が長期に及ぶ予定があるらしい。大変そうだと思ったままに,ペリカンに素直に伝えると,ペリカンはクワワっと鳴いた。そうですか,と私が答えていた。その意味が分かったのかも分からないまま,ペリカンが口を開けっぱなしにしていたことにかこつけて,頬張っていたものと同じ種類の飴を数個,包みを開けていない状態のまま,のど袋に放り込んだ。ポインという感じで飴たちが跳ねた。口を開けっぱなしのペリカンは,出さない声の代わりに,目でお礼を言っていた。いえいえ,と私が手で返事をしていた。飲み込まないように気を付けて,とも注意していた。口を開けたペリカンは歩き出し,私もそれに習った。千切れた雨雲は,天気が良くなる前兆のようなものなんだよ,とペリカンが言っていたのかは知らないが,忘れられた雨雲の小さいやつが居心地悪そうに,水色の午後を横移動している様は見ていて飽きなかった。写メを撮りたくなった。ペリカンにそうしていいか,と許可を取ろうと思ったけれど,ペリカンに声をかける勇気が湧かなかった。ペリカンはそろそろ出かけるのだ。それも真剣に。着いた先の目的地で,くちばしを使って,ペリカンがハガキを書くのかはどうかについて,私は何の手がかりも得ていなかったので,ペリカンに直接尋ねることにして,実際にそうすることは出来た。ペリカンはクゥゥっと唸った。どうやら答えにくい質問らしい。そのため,尋ねた私も一緒に唸ることになった。答えやすい,よりよい質問をするためだ。ペリカンも努力していた。そのために,ペリカンは一個,飴を飲み込んでしまった。しかし,私は気付かなかった。ペリカンも黙っていた。どちらも唸っていた。それを真似て,ゴロゴロっと音が鳴った。遠くに去った雷雲だ。あるいは,お腹が空いた私の,口にはしない正直な反応だ。そろそろ三時のおやつが始まる。


車を交換してから走り出し,最初の交差点で停まったところで,さっきの夢の続きを話した。手ぶらで話せるスピーカーを用いた,娘との通話のためだ。娘は楽しく笑ってくれた。妻は当然に呆れているだろう。苦笑いぐらいはしてくれているだろうか。それも嫌いじゃない私だから,再び車を発進するまで,割と真面目に話を続けた。相手が去った後で,クマさんに出会って,ケーキの材料を教えてあげるところぐらいまで,私は素直に話した。 筋が通っているのは,全くの偶然の産物だった。クマさんはケーキ作りが上手なのだ。そして,私はケーキの材料のことはよく知っている。仕事柄,そうすることが多いからだ。
満足した娘に代わって,電話口に現れた妻は,車の交換はスムーズに済んだかどうか,朝のうちに頼んでおいた荷物はきちんと降ろしたかどうか,頼んでおいた日用雑貨は既に買ったかどうかを私に尋ねた。私はそれに逐一,イエスと答えた上で,次の妻の質問を待った。それを察して,すべき質問を探しているかのような間をあけた妻は,私がブレーキペダルを踏み出したところで,待っていた質問をしてくれた。無事に減速を済ませた私は,車が完全に停車する前に,妻に対して返事をした。
「もちろん。」
そう,と素っ気ない妻は,しかし私に気を付けてね,と言葉をかけ,加えて何時に帰宅するのかを訊いた。搭載されているナビの画面の表示を見ながら,私は思ったことを口にした。時刻は夜を迎えそうだった。私はヘッドライトのつまみを回した。


そうして,僕はベッドに飛び込んだ。僕の体はボヨンと一度跳ねてから,そこに無事に着地した。シーツに顔を埋めて,それから,仰向けになって,瞬きをして,枕を探してすぐに見つけた。布団から上手く毛布を引っ張り出して,沈む枕に頭を置いて,もう一回,毛布を引っ張ってから,灯りから隠れた。目を閉じて,息を吸って,僕は泳ぎだす。しょっぱい海の中をすいすいっと進んでいって,タコに手を振って,ヒトデを捕まえて,イルカに渡して,サメと勝負する。グーチョキパーの,チョキで勝つ。チョキチョキチョキっと,船を作る。浮かべて乗れば,すごく晴れた日の光の中で,飛んでいく影に驚いて,あれは渡り鳥の群れだということが分かる。さっきまで読んでいた,絵本のおかげだ。宝物のミニカーたちの助けを借りて,頑張って読み終えた。今まで読んだことがある絵本の中で,文字が多くて大変だった。途中,途中で,机の上でミニカーを走らせた。最初は飽きないために,最後はもったいなくて,嬉しくて。読み終えたとき,僕は色んなことを話したくなった。でも,口の中がカラカラで,喉が渇いて,部屋を出た。冷蔵庫までまっしぐら,ジュースを取り出して,コップに容れて,立ったままで全部飲んだ。見つかったらママにとっても叱られる。でも,みんなが寝ている今の時間だから,大丈夫。僕は冷蔵庫の中にジュースを戻して,出来るだけ静かにコップを洗って,カゴに置いて,手を拭いて,洗面所へ向かう。寝る前に,もう一度歯を磨かなきゃいけない。
口の中を泡だらけにして,僕は鏡の中の僕を見た。たくさんの鳥が飛んでいるパジャマのどこかに,間違い探しみたいに,違うものが一羽いることを,僕は知っている。どこにいるかをすっかり見つけて,名前を付けて呼んでいる。絵本で見つけて,真似て付けたものだ。たまにこっちを見て,返事をしてはくれないけど,一緒に遊んでくれる。歩いたり,飛んだりしている。この前は,寒くて楽しい雪の楽園まで出かけて行った。暖かい格好をして,すべり台を滑って,お家を作って,お餅を食べた。帰る頃にはすっかり朝だった。僕は毛布を蹴っ飛ばして,布団をひっくり返して,目が覚めた。雪の山は溶けていた。パジャマはすっかりくしゃくしゃだった。
うがいも済ませた僕は,部屋に戻って,今度は飛び込まないで,ベッドに入った。毛布と,それに布団も一緒に引っ張って,胸のあたりに被せてから,名前を呼んで,おまじないみたいに三回繰り返して,質問をした。甘いものは何が好きですか?ううん。
「何が好きですか?」
僕は深く息をして,息をして,するすると,するすると。お話。
みたいな。

海とペリカン

海とペリカン

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-10

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