意味不明なおじさん、理解不能・・・。

 もうかなり昔の事である。
遊ぶ事に命を懸けていた。

 世の中は不思議人がいて当たり前。

 私の幼少の頃などはよく外で遊んだものだ。
近くの空き地で鬼ごっこや野球、川遊びや虫取りなどと野性味溢れる事ばかり。
そんな中、爆竹やクラッカー(正式にはスモーククラッカーと呼ばれるらしい)など、小爆発を起こすだけの花火などもよく使用した。
 今ならそんな遊びをしている小学生は不良の枠に入れられるであろう。
私らの時代は普通だった。

 爆竹はパンパンパンパンと連なるけたたましい音に心躍らせる。
クラッカーはマッチで点火すると爆発までに少々時間を要し、黄色い煙が爆弾を連想させてくれる。
だがしかし、ただ音を”鳴らすのも飽きてくる。
すると次に思いつくのは、”破壊”である。そう、まさに進化である。
皆、思い思いに爆竹やクラッカーを隙間や割れ目、へこみ、などにセットする。
 不運にも対象となった住宅壁のひび割れや木製電柱のタールと木の隙間、当時見かける事が多かった空き地の土管などは子供達の良きターゲットとなり、ほぼ焦げる。
”パン!”と鳴った後にほんの少しでも、
”パラパラ・・・”と
衝撃が認められたのならばそれはそれは破壊行為冥利に尽きたものだ。
そして、段々と破壊行為はエスカレートしてゆく。

 「爆竹はすぐ湿気ってしまうな」
 「そうだね、じゃあクラッカーでやってみよう!」
一同、「賛成!」
てな具合でクラッカーをセットする。
マッチで火を点ける。
黄色い煙が現れたのを確認し、走ってその場を離れる。
 ”バン!”
アッという間。
皆、駆け寄る。対象物を覗き込んで、
 「あぁー、スゲー」とか
 「気持ち悪い」
など口々に勝手な事を宣(のたま)う。
元来子供という生き物は残酷そのものなのだ。
その目的の為だけに釣られたカジカには悪い事をした。スマヌ。
そうかと思えば、
 「ちょっと投げて投げて・・・」
 「えっ!これを?」
 「うん!」
無邪気と言えば無邪気なもので、そんなもの打ってどうする、という話しなのであるがでも打ってみたいのだ、バットで。
ウワッ!ちょっと待って!カジカをバットで打つの?正気の沙汰じゃないよ!
と思われた方、安心してください。いくら何でもそんな酷い事は致しませぬ。川魚なんか打ったところで何の得にもなりやせぬ。
実を言うと打ったのは、そう、他でもない。察しの良い皆様ならもうお気付きですよね。
はい、その通りです。友に投げてもらって打ったのは他でもない
”か〇る”
です。
ジャストミートした”かえ〇”は私の顔に飛び散りました。大人になった今でもとても強く印象に残っております。
に、しても子供って残酷だな・・・なんてお前だろ残酷なのは!って?はい、悪い事をした、スマヌ。
 でもね、皆さんもこんな話を耳にした事があるでしょう。
後ろから刺したストローで膨らました”〇える”で遊ぶ、なんて話しを。
そんな人達が多いのは私よりもっともっと古い世代の方達のようですな。
そんな人達でも立派な人間になっているものなのだよ、世の中は。まぁ、私の事は放っておいて下さい。
でも、そんな事をしてきたから今がある、とも言えなくはない。
 ”殺してみたかった”
などといった猟奇殺人には至らないような気がします。
 ”フナの解剖”
といった、理科の実習程度の事は子供の内に経験しておいた方が滅多な事にはならないと思っております。

 経験といえば、当時の遊び友達の一員に
”変なおじさん”
がいた。
 いつもドカジャンを着ていたな。今思えば作業員風な感じだったか。
少し猫背で人を上目使いで見てるようだった。
近くの住宅に独りで住んでるらしいとの噂。
子供心に”清潔感”はまるで感じ取れない人だった。
私たちが爆竹で遊んでいるとどこからともなく現れ、いつの間にか先頭に立っていたっけ。
目が飛び出していたような印象なのだが、表情が生き生きとしていたからかもしれない。
楽しんでいたんだな、きっと。
 数人の小学生とドカジャンを羽織った中年のおじさん。
何が変かって、おじさんのセリフの最後に必ず、
 「・・・・・よんじっぽ~ん・・・」
て言うのだ。しかも必ず。どうやらそれは、
”40本!”
と言ってるらしいのだが究極に意味不明。
例えばこんな具合なのだ。
 「おお、坊主、元気だったか、よんじっぽ~ん・・・」
 「ここでいい、ここで遊ぶべ・・・よんじっぽ~ん・・・」
 「おい!マッチあるかマッチ、俺無くなったよ、よんじっぽ~ん・・・」
 ある日私は、そのおじさんに爆竹を買ってこいとお金を渡された事があった。
手渡された金額だとひと箱以上買えてしまう為、私はどれだけ買ってきたら良いのか?という質問をした。
するとおじさんは猫背のままニヤニヤと、誇らしげにこう言った。
 「買えるだけ買って来ぉい、よんじっぽ~ん・・・」
 私は惑うことなく駆け出した。

 私の幼少期には、まわりを見渡すと変な人がたくさんいた。
現代と違い、同じ空間に生きていた。
恐らく差別もあったのだろうが、それ自体に何も意味は無かった。
全てが当たり前の事でしかなかった。
だから、それぞれが凛として生きていたような気がする。

意味不明なおじさん、理解不能・・・。

 まだ子供の頃の時分、不思議な人がけっこういた。
私だけだろうか?
いや、皆さんの周りにも存在していたはずだ。
 10歳頃だったか、いつもからかっていた目上の男性に、一度キレられた事があった。
とても怖かった。相手が相手だけに何をしてくるか分からないという恐怖は未知なる体験だった。
 それからというもの、私はそういった振る舞いを戒めるようにした。
ひとつ大人になったのだ。

意味不明なおじさん、理解不能・・・。

実体験。私小説。 無邪気に遊ぶ幼少の頃の自分。 変な人とも普通に遊んでいた。 でもやっぱり変な人だった。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-09

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