再びの刻
輪廻
今から千二百年前の日本で偉大な僧侶が亡くなった。
国はその死を悼み、庶民は生きる糧を失ったと深い悲しみに沈んだ。
どれだけ時代が変ろうとも人々はその名を忘れる事はないだろう。
天に昇った僧侶は、神々と同じ天界より、人間界を見守っていた。
生きとし生ける者を慈しみ、苦しむ者達を天界より支えていた。
永遠とも思える刻の流れのなかで、地上の人間達に、変わらぬ愛を与へ
しかしある時、いつものように地上の者達の生まれ変わりを見守っていた僧侶は、
天界の光り輝く空から、幼い子供の声を聴いた。
何故か懐かしいその声に、その時、僧侶はふと考えた。
「死んで私は天界にいる。
ならば現世のその前、私は何をしていたのだろうか…
私に輪廻はあったのだろうか…」
僧侶は自分の過去を知りたくなり、友である多くの神々や、自分の手足となって動いてくれている天界人に話を聞き、自らは天界を駆け廻り、過去に遡り、地獄にまで足を延ばし、ようやくある真実を見つけだした。
それは、僧侶にも前世があり、一人娘が居たという事。
父と娘二人だけの生活で、仲の良い父子だったという事。
父は娘を愛し、娘もまた父が大好きだった。
僧侶は愛した娘が三度生まれ変わっていたという事実も突き止めた。
一度目は戦国時代。
関西地方に住む若き城主の妻で、仲睦ましい夫婦であった。
しかし争いの日々、状況は苛酷を極め、若き城主は苦戦していた。
敵の軍兵一万に対し、味方の軍は残り三千余り、負け戦は目に見えていた。
二人は、離れ離れになってしまう。僧侶は気がきではなかった。
「可哀想すぎる…」
しかし、最後の出陣の時は、容赦なくやって来た。
別れを前に夫は妻に言った。
「気をしっかりと持ち聞いてくれ。
私は、お前をどんな事をしても探し出す。
何年、いいや、たとえ何百年かかろうとも、
お前を探し出し逢いに行く。
必ず迎えに行く。だから、泣かずに私を信じて待っていてくれ。」
妻はただ黙ってうなずき、自分の運命を受け入れるのだった。
こうして、多くの人々の喜びや悲しみを呑み込んで、刻だけが淡々と過ぎていった。
時代は「幕末」になっていた。
僧侶はそこで再び自分の娘を見つけだした。娘は料亭の女将になっていた。
そして若き城主だった男も、その時代を生きる幕末の武士に、生まれ変っていた。
僧侶は娘を見守り幸福を祈ったが、幕末の武士になった男は、又もや戦で壮絶な最期を迎えてしまい、天界と地獄の中間にある冥界という所で、修行に明け暮れる日々を送る事になってしまうのだった。父である僧侶は、天界から娘の生まれ変わりを、歯軋りする思いで待った。
そして又永い刻の流れが繰り返され娘は「昭和」という時代に生まれ変わる事ができた。僧侶は夫である男の誕生を心待ちにした。
なぜなら戦いの無い今、今度こそ娘は幸福になれると想ったからだ。
だが男はなぜか現れなかった。
僧侶は不安になった。
「こんなはずは無い…」
しかし刻は普通に過ぎて行き時代は「平成」の世へと変わっていた。
父は天界にいて、娘は平成の今を生きている。
そして娘の幸福を左右する男は、どこに居るのか分らない。
僧侶はたまらず、その男を捜しに出た。
地獄には居なかった。
天界にも居ない。
「まさか、まだ生まれていないのか…!」
僧侶は天と地を駆け回り、その男をやっと冥界で見つけたが、その光景を見て息を呑んだ。何と男は、冥界で傷つき、動けぬまま横たわっている数知れない病人を、黙々と治療し元気にしてやり天界に昇らしていたのだ。とっくの昔に禊を終えて生まれ変われるのに、男は彼等を見捨てることが出来ず、傷ついた者達を助けていたのだ。
その時僧侶は自分を恥じた。
「私は、数知れない民を救うことは出来ても、
自分のたった一人の愛しい娘を、幸福にする事も出来ないのか…」
そして僧侶は自分に誓った。
「どんな事をしても、この二人を夫婦にしてやりたい。
幸福にしてやりたい。未来永劫どこ迄も離れる事なく。
いつも一緒に傍にいられるように…」
その時僧侶は、遠い遥か昔の記憶が、頭を通り過ぎるのを感じた。
娘の名を呼んでいたのだ。
「もう抱っこなのか?
わかったよ。しょうがないなぁー。
しかしこれが最後だからな。
おいで、海瑛
序章
当時私は、占いの店をオープンしたばかりだった。借りた店は二十一坪とかなり広く、私は伝や広告で専属の占い師を募集していた。色んな人が応募して来た。個性豊かな人が多かったが、何とか十人程の占い師を決める事ができた。その中のタロット占いをする美人占い師が、私の運命を大きく変えるのだった。
彼女は人が好く、仕事熱心で、新米経営者の私には有り難い存在だった。私の店はローテーション方式で、彼女は週三回から四回店に入ってくれて、親切でそのうえよく当たる、占いの評判もすこぶる良かった。そんなある雨の日、さすがにお客も少なく、我々はいつしか世間話に花を咲かせていた。
その時、彼女がある一点を見つめ、独り言をいい始めた。
「どうしたの」
と言う私の問いに、彼女曰く、
「あそこに誰かいますよ」
普通なら
「キャー!」
という所なんだろうが、不思議と怖さは無く
好奇心の方が大きかった。
「悪霊?」
「いいえ、多分その反対です。
このお店を守っているみたいですよ」
「何で分るの?」
「首から大きな数珠をさげてて、お坊さんみたいなんです。
何でここに居るのか、聞いてみましょうか?」
そう言うと彼女は又ある一点を見つめ、独り言をいい始めた。
そして数十秒後、
「やっぱりそうです。
悪さをする狐から店を守っているって、言ってます」
「狐?」
私には何の事だかさっぱり分らない。
「その人、誰なんだろうね」
「どうまん、って言ってますよ。えっと、あしやどうまんかな」
「あしやどうまん…。」
何気なく聞いていた何人かが興味を示した。
説明役の彼女というのは、実を言うと物凄い霊感の持ち主だった。
私が、「何で隠していたの」
と聞くと、意外な言葉が返ってきた。
「本当は普通の人でいいんです。別に見たくもないし、聞こえたくもないのに、勝手に見えて聞こえてしまうんですよ…。」
淡々とした彼女の表情が、私の頭の奥に、なぜか今も残っている。
それでも彼女は私の店のために、そのあしや何とかさんと交信してくれた。
「何故いるの?」
「何してるの?」
「用事は何?」
「本当の目的は?」
怖いもの知らずの彼女の矢継ぎ早の質問が続いた。
その頃には店の子が皆集まりだして、事の成り行きを見守っていた。
その時お客が二人連れ立って入ってきたので、我々は元の自分の席に座り指名を待った。
しかし、彼女には引き続き交信してもらう事にした。
その日は時間の経つのが本当に長かったが、仕事が終わる頃にはもうほとんどの占い師は、さっきの出来事を忘れてしまったかのように、その日の日給を受け取り、一人また一人と帰って行った。
やっと二人きりになれたので、私はすぐ彼女の所に行き、聞いた。
「どうだった、何か聞けた?」
慣れているのか、私が焦っているのか、彼女は普通に話してくれた。
「あのですね、あのどうまんという人は、海瑛先生に会わしたい人がいるって言ってましたよ。そして、聞きたければわしの所に来るがよい。いつでも待っておるぞ」
そう言って消えました。
「何それ…。
それだけ?」
私はくどいくらい聞き返したが、それだけだった。
それからの私達は、時間の経つのも忘れ、インターネットでその人物を探し廻った。
「有った!出てた!芦屋道満!」
有名な陰陽道の安倍清明と同じ時代を生きた、この人も陰陽道の達人だった。
次に我々は、この人が祭られている神社かお寺を探した。
無い。見当たらない。でもここで諦めたくはない。
今度はお墓を探した。
「有った。やっと有った!」
すぐに地図で調べてみた。
そこは兵庫県佐用郡佐用市。本当に雪深い田舎。
そこに道満塚はあった。
(でも、ちょっと遠すぎる…)
しかし私はその三日後、一人で大阪駅にいた。
方向音痴の私には怖かったが、何か分らない強い力が私を呼んでいるようで、逆らえない気がしていた。そして、行くと決めた前日の日、芦屋道満さんは言われた。
「白い鳥を見る事ができれば、願いが叶う」
(白い鳥、白い鳥、真っ青に広がり雲ひとつない大空。
道満塚にたたずむ私に、青空の彼方から一羽の白鳥が優雅に舞い降り、
私を幻想の世界に導いてくれる……。)
私の妄想は果てしなく広がって行くのだった。
一人旅の佐用郡は遠かった。しかし、それより一番頭にきたのは、電車から見る川などに、白い鳥がウヨウヨと浮かび戯れていた事だった。どいつも、こいつも、憎たらしい顔をしていた。
「どこ見ても、白い鳥だらけだわ…」
私は行く前から、へこみにへこんだが、帰るつもりは毛頭なかった。
「行ってやる。雪が降ろうが、槍が降ろうが、雪に埋もれて窒息しょうが、必ず行って、道満塚に辿りついてお参りしてやる!」
これが私の、その時の正直な気持ちだった。
それからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。
結構な長旅が終わり、佐用駅に降り立った。すごい雪が積もっていた。
大阪は晴れていたのに、この村は雪に埋もれていて、人の気配が無かった。
「話が違う…」
私は雪に独り言を言った。
「どうする?
今なら帰れるよ」
私の中に動揺が走ったが、何とか堪えた。
駅にはタクシーが一台しかなく、人の好さそうな運転手さんが新聞を読んでいた。私はそれに乗って、とにかく道満塚を目指した。
車中で聞いた話によると、年に一人か二人、私のような暇人いや奇特な人がいるらしい。
運転手さん、よほど人恋しかったのか、私が珍しかったのか、運転中ずっと道満塚の話をしてくれていた。
対向車もほとんど無い雪道を、車は慎重にノロノロと、目的地に向かい走っていった。
そしてようやく、目的地らしき所に着くには着いたが、雪が深いためタクシーは途中までしか入って来れなかった。
「どうしよう…」
自分に聞いたが、頭の中まで真っ白で、何も浮かんでこなかった。
仕方がないのでそこからは歩いた。
普通でもきつい傾斜を私はゆっくり、ゆっくり、一歩、一歩、踏みしめ登って行った。
ふくらはぎまで雪に埋まったが、私は意地の世界で雪と戦っていた。
「どんな事しても行ってやる。滑って頭打って死んだら道満さんに山程文句言ってやる!」
私は、雪の積もった、三十メートルはあるだろうと思われる急な坂道を、靴をびしょびしょに濡らしながら登って行った。足先の感覚がまったく無くなっていた。多分この靴はもう履けないだろう。
「古い靴、履いてくればよかったなぁ…」
お気に入りの靴を履いてきた事が悔やまれたが、あとの祭りだった。
道満塚は小高い丘にあった。
インターネットで写真を見ていたので、やっと来たとの思いがあった。
私はまず素手で、塚に積もっている雪を払いのけた。雪は冷たく、私の手はすぐに感覚を無くしたが、持参したお水、お茶、お線香と小菊の花、全てをお供えした。
私はお願いしたい事が山程あったのだが、なぜか黙って手を合わすだけにした。何かここに辿り着けて綺麗に雪を落とし花を供えた。それだけで、もういい気がしていた。凍りついた手に、白い息が暖かかった。
その時突然、空から地上めがけて、真っ白い鳥が舞い降りてきた。
それは水面の魚を取る、まぎれもない鳥の姿だった。
その鳥達はあっという間もなく、私と道満塚を元の白い世界に戻していった。
「これだ!これが白い鳥なんだ」
私は誰に言うでもなく、眼も開けられないような雪の凄さに見入っていた。
しかしその雪も、私が道満塚にいたほんの数分間降り続き、私が帰り支度をしだすと、それを待っていたかのように止んだ。
「これが、例の鳥だったらいいのにな…」
そんな事を思いながら、私はその場を後にした。
慎重に二~三メートルほど下がった時、私は誰かに呼ばれた気がして振り向いて塚を見た。そこには卒塔婆が塚の中央に倒れかけて、道満さんが、何か痛そうに感じてならなかった。
「あぁー、これだ」と私は思った。
そこで私はその卒塔婆を取って、塚が痛くないように横側にそっと移動させた。初めて触る卒塔婆に、心臓がバクバクいうのが誰もいない雪の中で、木霊のように私の耳に響いていた。
その後、死ぬ思いで何度もこけかけて坂を下り、待っていてくれたタクシーに飛び乗り、帰りの駅に向かうのだった。
行き帰りに六時間以上かけて、滞在時間は約二十五分。
これって私の馬鹿の証明か…
雪まみれになりながら、私は二十分後に到着する電車を待っていた。
「私は何をしているのだ…」
自分に聞いてみたが、無論答えは出なかった。
「でも、今なら笑い話で済むから…」
帰りの電車の中、私は自分で自分を慰めていた。けれど帰った後に、物凄い出来事と、物凄い贈り物が用意されていた事など、その時の私には想像すらつかなかった。
十二月も暮れようとする底冷えのする寒い朝、仕事中の私にすごい話が飛び込んできた。
それは道満さんから、
「守護霊という贈り物があるから、いつでも来るように」
との事だった。
疑わなかったと言えば嘘になる。しかし私の好奇心は、その思いよりはるかに大きかった。そして何より、ここまで頑張ったその答えが欲しかった。それと、あまりハッピーではない自分の人生に、少しぐらい良い変化があってもバチは当らないだろう。そんな思いも多少はあった。
そこで年明けの平成十八年一月四日、道満さんに教えられた奈良の古寺の祠で、私は初めて自分につくという守護霊に出逢うのだった。
しかしその日も最初からつまずいた。頼りにしていた彼女は急用で来れなくなり、私の側には、彼女に紹介された男性がいた。
彼女と一緒でない不安と、けれど、怖いもの見たさの未知なるものへの期待感から、私は緊張していた。
いや、ちょっと違う…。
その時の私の気持ちは、そんなカッコ良いものではなかった。
「駄目で元々、今だと自分だけの笑い話しで置いとける!」
寒さのなかで、私は又、無理に自分に言い聞かせていた。
不安を抱えたまま電車を乗り継ぎ、何度も人に道を聞いて、ようやくお寺に辿り着くことが出来た。帰るに帰れない私は、ドキドキの心を見透かされない様、腹を括ってほこらの中に入った。
そこは、大きな岩をくり貫いただけの洞窟だった。
内は暗くて狭く、何かが居る気配はするが、よく見えない。
怖くなった私は、置いてあったロウソクに火を点けようとするのだが、湿っていてなかなか点いてくれない。
それが又、私の恐怖心をあおった。
「もう、闇は嫌い!」
音の無い神経だけが生きている。そんな闇は私をパニック寸前まで追い詰めたが、私は何とか耐え、震える手で火を点けた。
明るい世界がこんなにも心地よいものだと言う事を、私はその時初めて経験した。
だがそれも束の間、少し眼が慣れた私は、叫びそうになり固まった。
そこには何と、ロウソクの揺れる炎の奥に、鎮座した不動明王がカーッと眼を見開いて、我々を迎えてくれていたのだ。薄暗さがよけい凄みを増し、私を圧倒していた。
「もう道満様、来られてますわ」
先程からお経を唱えていた、付き添いの人の声が響いた。
(私の守護霊さんは芦屋道満さんが入れてくれるんだ。)
そうなんだ。
信じられない事だが、私は初めて気が付いた。
「誰なんだろう。私を守ってくれるのは…」
違う世界に迷い込んだこの現実。
意外な展開についていけない自分がそこに居た。
その時、お経を唱えていた声が止まった。彼は小声でささやいた。
「名前を言われるみたいですよ」
短い沈黙のあと。
「ひじかたとしぞう」
付き添いの霊能者の口をついて出た言葉だ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「エッ?・・・・・」
「エッ?・・・・・」
小さな声で私は聞いた。
「ひじかたとしぞうって、あの新撰組の土方歳三?」
「はいそうです。あの土方歳三先生です」
「ドラマの世界か?」
これが私の、その時の正直な気持ちだった。
私はする事もなく、見えない世界での儀式の終わるのを待った。
一度だけ、首の後ろを掴まれたような気がしたが、別にどうという事はなかった。
しかし、本当はその時、凄い事が起きていたのだ。
土方さんは光となり私の首筋から私の体内に入り、
「私を信じてくれ!」
という強い思いを抱いて、私の守護霊に付いた。
これが「守護霊 土方歳三」の誕生の瞬間だった。
後で聞いた話では、土方さんは金色に輝いていたらしく、自分のその光が眩しかったと言っていた。暗黒の世界から元の世界へ。
悠久の刻を耐えて守護霊として再び蘇った土方歳三。
その時の気持ちを今聞くと、やはり同じ言葉が返ってきた。
それは「信じてくれ、頼むから私を信じてくれ」
という強い思いだった。
だから私がその後の二ヶ月間、信じられず通訳の彼女に、
「なんで私が、新撰組?」
を繰り返していた時、土方さん、たまらず私の首筋から光りの玉となって、私の中へやってきた。お腹の中を包み込むような、そのくせ荒々しく中から揺さぶられる様な、今まで一度も経験した事のない出来事に、恐怖にも似た感動をそのとき私は味わった。
「これは夢なのか…。
起きても覚めない夢を見ているのか?
居る。確かに居る。
絶対に居る。
私の傍に誰かが居る…」
「回想 土方死す」
土方歳三が自らを振り返り、その刻を語る。
北海道での戦いの時、私は弁天台場の仲間を助けに行く途中、腹に三発の銃弾をくらった。それでも気力だけで何人かの敵を倒したが、あまりの出血の為か意識が薄れ、私はその場に倒れ込んでしまった。
「これで終わりなのか!」
「こんな終わり方なのか!」
どんな事をしても立ち上がりたかった。
勝ちゃんを流山で失ってから、いつ死んでもいいと思っていた。
しかし北海道に渡ってから、私の考え方は変わった。
「これからは生き抜く為に戦って行こう」
そう思うようになった。
散って行った皆の為にも、この蝦夷で生きて行こう。
そう心に誓った矢先に、私は撃たれてしまった。皮肉な運命だ。
「これで良いのか!」
私は自分に問いかけた。
その時だった。私の目の前に多摩にいた頃の仲間が現れたのは。
勝ちゃん、源さん、総司、山南君、永倉君、懐かしい男達の顔が浮かんでは消えていった。
いつの間にか私の耳には、もう何も聞こえて来なくなっていた。
鉄砲の音も、叫び声も、戦いのどよめきさえも。
「無念だった…」
しかし私はやるだけの事はやった。
そう思うと、肩の荷が下りた様な気がした。
「これでやっと仲間に会える」
そう思って私は目を閉じた。
けれど私には、その後の百数十年間を、冥界と言う未知なる世界で神仏に試される、修行の日々が待っているのだった。
こうして私の旅が始まった。
私は冥界に行った時、最初は目をやられたのかと思った。なぜなら、そこは漆黒の闇の世界だったからだ。私は腹に三発の銃弾を受けていたので苦しかった。それで自分の短刀で肉をえぐり、腹に食い込んでいる弾を取り出した。激痛が走ったが、私は歯を食いしばり淡々と治療を終えた。あの頃、御殿医の松本良順先生や、密偵の山崎燕より、簡単な医学を学んでいたのが幸いした。それに最期の決戦の時、救援する仲間達の傷の手当の為と思い持参した焼酎が、皮肉にもこんな所で役に立つとは思ってもいなかった。
それから先の私は、十年近くもの年月をただ一人、冥界という闇の世界を彷徨っていたのだ。私の心の支えは黒田※の首を討つ事と、潔く散って逝った仲間を見つけて、傷の手当をしてやりたい。その思いだけだった。
彷徨っているとき私は、一人の負傷した男に出会った。その男の左胸には、鉄砲の弾が食い込んでいたので、私はすぐさま弾を取り出し、治療を施した。驚いた事にその男は西郷隆盛の弟だと言い、名を西郷少兵衛と名乗った。その男は私に礼を述べ、
「黒田はまもなく失脚する。いやさせてみせる」
と言い切った。やがて傷が癒えて、天界に昇っていく西郷少兵衛は、私に
「まだここには多くの傷兵がいる。貴殿の御味方をしていた
会津、桑名、仙台等の幕府軍の兵隊さんも苦しんでいる。
だから救ってやってくれ。
それからこの近くには、衛生兵だった薩摩の人間もいるので、
その者達の鉄砲の弾も、取り出してやって欲しい」
そう言い残して、西郷少兵衛は天界へと昇っていった。その後も私は、多くの傷ついた兵士達と出会った。衛生兵もいたので、その者達の治療もした。いつしか私は、その薩摩の衛生兵と行動を共にしていた。薩摩、特に西郷隆盛に対しては、好感が持てた。束の間ではあったが、会津は薩摩と手を組み、蛤御門で長州相手に戦争していたのだから、仲間のように思えたのだ。
いつもの様に、病人の手当てに明け暮れていたある日、私を嫌な予感が包んだ。そして予感は的中した。異様な光景だった。
それは、現世でむやみやたらに人を斬った者達が、地獄へと落ちて行く姿だった。その中には我々新撰組の同士、大石鍬次郎の姿もあった。苦しみに歪んだ顔は助けを求め恐怖に慄いていた。
「助けてくれ!」
と叫び、もがきながら沈んで消えていった。私も地獄に落ちる覚悟は出来ていた。しかし、一人でも多くの人を救いたかった。自分の事よりもここで苦しんでいる人を、少しでも楽にしてあげたかった。地獄に落ちる前にと、私は急いだ。
必死で倒れている人々の傷の手当をし、励まし手を握った。
手に触れた全ての人々を看病した。
どれだけの人を手当したか分らなかった。
どれだけの刻が流れたのかも分らなかった。
なぜなら私には、時間の感覚が全く無かったからだ。
どれだけの年月が過ぎたのだろうか…。
幸運にも私は冥界に留まる事ができたらしい。しかし、その時にはもう地獄も、長州も、薩摩も、敵も味方もなかった。ただ苦しんでいる目の前の、いや手を伸ばせば触れる事の出来る人々の、傷口を治療している日々があるだけだった。
海瑛殿の守護霊となった時、源さん※に聞いて初めて分かった事だが、私の治療の日々は、百数十年も続いていた。
今だから分かるのだが、日清、日露、日中そして太平洋戦争で死んだ人もいた。体中がバラバラになった男もいた。多分、特攻隊の人間だ…。
ある時、源さんが守護霊を勤めた人の治療もした。源さんは洒落者で隊服に香の香りを炊き込んでいた。その男にもその香りがしていた。複雑な気持ちになったが、ほとんどの者はどんなに傷が重くても手当てをすれば一週間位で元気になり、天界へ昇っていった。
私は重症の怪我人の人達と、もう一度生まれ変わったら絶対に会おうと誓い合った。
全てが戦争の犠牲者。特に太平洋戦争は酷すぎた。
中には無理やり自決に追い詰められた人もいたようだ。
いつものように治療をしていると、子供の泣き声がしたのでそちらを振り向くと、母子が倒れていた。私が母親の怪我の具合を見に側に行くと、子供は最初私の姿を見て
「お母さん怖いよ…。」
と言っていたが、すぐになついてくれた。
「おじさんお医者さんなの?」
そう言ってその子は、私に近づいてきた。その時私は、自分の顔が夜叉ではなく、多摩にいた頃の自分に戻っている事に、初めて気づかされるのだった。私はその子を何とか慰めようと、話かけた所、母親が
「兵隊さんに自決を強要され、無理やり自害した。」
と泣きながら話してくれた。私は物凄く憤りを感じた。
もし今度生まれ変わる事が出来るなら、私は、絶対戦争のない平和な国を作らねばと、心の底から思った。
戦いからは何も生まれない!。
残るのは絶望感と、呪いにも似た、恨みの心だけだ……。
又、その近くには集団で飛び降り自殺した、十六~十七歳の女の子もいた。私は、
「何故だ!」
と聞いた。
「なぜ命を粗末にするのだ!」
するとその女の子は、
「神国日本が負けるのを見たくない…」
と呟いた。そして、
「平和な日本に生まれ変わって、大好きな人と手をつないで散歩したいけど、私は地獄に落ちるかもしれません」
そう言って泣いていた。
辺りには同世代の女の子が、沢山苦しんでいた。
私は持っているあらゆる薬を使い、その子達を治療した。
私は心の中で叫んでいた。
「どうかこの者達を救ってください。まだ子供なのです」
どうしても助けてやりたい。
救ってやりたい。
祈るような気持ちで治療を続けた…。
その時だった。
黄金色に包まれた阿弥陀様が降りて来られたのは。
阿弥陀様は微笑みながら、その女の子達を手の上に乗せられた。
そして私にも手の上に乗るように命じられ、女の子達には、
「よく頑張ったね」
と労われ。私には、
「お疲れ様。もう上がって良いよ」
と言って下さった。
しかし私は、まだ天界には上がれないと思った。
この苦しんでいる人達を見捨てて行くことなど、考えられなかったからだ。その時の私は、たとえこんな看病に明け暮れる日々が永遠に続いても、この人達の治療を続けて行こうと、思うようになっていた。
「苦しむ人がいる限り、助けるのが自分に与えられた運命なのかもしれない」
そんな気がしていたからだ。
だから私は礼を言い丁重に断った。
すると阿弥陀様は、
「まだ修行の旅を続けるのか?」
と尋ねられ、そして私がうなずくと、一人のお医者様を付けて下さった。その男の人は、白衣を着て眼鏡をかけていて、名前を北里と名乗られた。
女の子達を手に乗せられた阿弥陀様は私に、
「土方すまぬのう」
そう言って下さり、女の子達には、
「お父さんやお母さんの所へ行こうか」
そう言って、天界へ昇っていかれた。
その黄金色に輝く光の近くにいた人々の傷は、跡形も無く癒されていた。
その時私は思った。
「人斬りが本当に人を救うことが出来るのか。
神仏は今、私を試されているのだ」
私は誰にともなく語りかけ、その光の先を瞬きもせず見送った。
嬉しかった…。
無性に嬉しかった…。
それからも私は、いつもの様に怪我人の治療にあたった。その時、自分が裸足である事に気づいた。薩摩の衛生兵の一人が、我々が治療した跡が柔らかい土になっているのに気付いて、私にその事を言った。私も振り向いてその土を素足で感じたかったが、その分、人を助けたかったので振り向くのはやめた。
無心に怪我人を手当てする日々が続いていたある日、延々と続く闇の先に一条の光が見えた。私はそこに行きたかった。光があれば今以上に、怪我人の手当てが出来ると思ったからだ。
しかし、なかなか前には進めなかった。折り重なった怪我人の山。私はその人々を一人一人手当てして前へと進んだ。どれ程の刻が流れたのか分らないが、その光の近くまで来ることが出来た。そこには一人の僧侶が立っていた。身なりはみすぼらしかったが、その顔立ちは気品に満ち、その姿には威厳が漂っていた。
私は僧侶の近くへ行き、
「怪我人の手当てをしているから手伝ってほしい」
と言った。するとその僧侶は私を見て、
「お前は小楠公の様な人間だ」
と褒めてくれた。私は幼き頃、寺子屋で小楠公の事を習っていた。小楠公の思いは海を渡り、イギリスの一人の看護婦の心にも火を灯灯したという。私は嬉しかった。間違ってはいなかったのだ。傷ついた者達を助ける日々の積み重ねが認められた。百数十年間、苦しむ人々の為に夢中になり過ごした日々が、今やっと報われたのだ。
その時、僧侶が
「そなたの腕を借りたい」
そう言って、私のいる部隊の衛生兵の中から、一人指導者を任命し、私を連れて行こうとした。私は断りたかったが、なぜかこれは、阿弥陀様の言葉の様な気がしたので、命令に従った。
その僧侶は、私に今の世界を見せてくれた。
その日は平成十八年の元旦だった。世の中は平和になっていた。私の記憶が正しければ、そこは八坂神社だった。小さな子供達が可愛く着飾り、親に連れられ歩いていた。
子供たちの笑顔が嬉しかった。そして次の日、私は人里離れた古寺に連れて行かれた。
そこで首から大きな数珠をさげた男に出会った。僧侶はその男に、
「それでは、手はず通りに」
といって去って行かれた。
そして一月四日の日、私は海瑛殿に出逢った。
同じ四日の日に姿は見えないが、天の声のごとく聞こえてきた言葉。
「この者をどんな事をしても守り抜け。
さすれば皆に再び会える」
現にほんの数分だったが、私は二月十六日の聖戦の時、勝ちゃんに会えた。そして今、私の周りには源さんをはじめ、私を慕ってくれる仲間達が集まって来てくれた。みんな、昔のように働きたがっている。勿論人間相手ではなく、人を困らすでっかい悪霊相手にだ。
「仲間達が居て、主が居て、そして守るべき人が居る。
今の私は幸せです」
そして私は、その北里先生をはじめ、二十数名の衛生兵が頑張って、冥界の彷徨える人々のために、今もどこかで治療を続けていると信じている。
土方歳三の最期は腹に銃弾を受け、
それでも戦って何人かの敵を倒した。
しかし、出血多くわずか三十四歳と六日の人生を終える。
最期を看取ったのは大野右仲ただ一人だった。
聖戦
土方さんが私海瑛の守護霊になってから何も起こらず、ただ平和に毎日が過ぎて行ったのではなく、私は何度も不気味で奇妙な体験をしている。私達の見えない世界では、いつも善と悪との壮絶な戦いが続いている。土方さんの場合でも、私の守護霊として甦ったそのすぐ後に、私の店の警護のため配下の島田魁、吉村貫一郎、蟻通勘吾、そして土方さんが是非にと呼んだ会津の家老佐川官兵衛の四人を自分の補佐に入れていたが、その人数の少ない時に魔物たちに奇襲をかけられた。土方歳三が守護霊として完全な体制を取るまでに、何としてでも潰そうという魂胆、地獄に落ちた者達は、人が幸福になる事を忌み嫌う。そんな絶対不利の中、彼はもし、又自分が力及ばず冥界に落ちる事があっても
「必ず何人かの魔物は地獄に落してやる!」
という強い気迫で敵と対峙し、執念だけでその魔物全てを斬り捨てた。その時、私海瑛の霊体も傷を受けた。こんな奇妙な世界が視える彼女がいうには、私の喉めがけて一匹の魔物が襲いかかって来て、私の喉を絞めにかかったらしい。私は仕事中、突然声が出なくなったのを、今でも憶えている。
それを見た土方さんは、一瞬のうちにその魔物をねじ伏せ、その後物凄い反撃に出た。守護霊として守らねばならない人を、たとえ不意打ちとはいえ、傷つけられた。その時の彼は、昔の鬼の土方に戻っていたのだろう。
それ以来、彼の口癖は、
「卑怯な奴には三倍返しでやってやる!」
土方さんはすぐに密偵の山崎燕を偵察に出した。その結果、地獄でのた打ち廻っている者達が狐に憑依し、店の近くの稲荷神社に巣くっている事が判明した。その報告を受けた土方さんは、すぐさま指令を出した。天界にいる仲間、会津の面々、白虎隊、少年隊、唐津藩の面々等々。その知らせを受けて、物の半刻も経たないうちに、何と、天界から馳せ参じた人達の数は三千人にも膨れ上がり、土方さんの指揮の下、この戦士達は一気にその魔物どもに襲いかかった。土方さんは先頭に立ち、敵の真っ只中に斬り込み、
「一人に最低三人で囲め。
そして完全に潰せ!」
と叫んいたという。
白虎隊の若者が、
「土方先生!、一人に三人がかりで本当にいいんですか?」
と聞いた時、土方さんは割れんばかりの声でこう言った。
「卑怯な奴にはどんなを事をしてもいい!。
三番返し、いいや何十倍返しでもいい、思い知らせてやれ!。
絶対逃がすな!。」
その迫力にその場にいた人達は圧倒され、そして従い、戦いはあっという間に終わりを迎えた。通役の彼女は、目を爛々とさせて、頭の中のスクリーンに釘付けだった。出陣から三十分もかからず、全ての魔物は又地獄へと落ちていった。
彼女が事もなげに言った。
「まぁ、あと二百年~三百年は出て来れないでしょうね」
土方さんは戦いから帰るとすぐに、私を守ってくれていた、代理の会津武士の大久保という人と代わり、又私の守護霊として私に付いてくれた。色んな人が来たらしい。近藤さんもいて、土方さんはどさくさに紛れ、近藤さんの事を幼い時の呼び名で「勝ちゃん」と呼んでいた。沖田総司も来ていた。彼は死ぬ間際、幻想に苦しみ猫を斬ろうとした。それが動物の神様、馬頭観音様の逆鱗に触れ、まだ冥界にいるらしいが、この時は特別だったのか。
あっち、こっちで、きっと歓喜の声がしていた事だろう。
しかし、私の世界では普通に時間が過ぎて行くだけだった。
私は空想の世界でしか、彼らには会えない。
その時、不思議な事が起こった。
一人の若い兵士が私の前に来て、片足をつき、頭を垂れて語りだしたのだ。
「本来ならば、自分の名前を言うのは禁じられているのですが、今日の戦いは本当に嬉しく、長年の苦しみから解き放たれました。
私は飯沼貞吉と申します。会津の白虎隊におりましたが、善戦虚しく敗北は目に見えていました。我々は次々と自害していきました。私も首を掻っ切りましたが、何故か死ぬことが出来ず、自決した者のなかで自分だけが、生きながらえてしまいました。戦が終わってからはレントゲン技師として働き、七十三歳で天寿を全うしましたが、自決した仲間に会わす顔がなく、天界に昇った後も辛かったです。しかし、今回の戦いに呼んでいただき、今までの心のもやもやが晴れました。もし生まれ変われたら、海瑛さんに会いたいです。
どうか私の名前を覚えていてください。」
そう言って、その少年は深々と頭を下げ、私の前から消えた…。
聖戦として参加し勝ち戦に溜飲を下げ、百数十年耐え続けた屈辱も消えさり、彼等は胸を張り本当に嬉しそうな顔で天界へと昇っていった。そして全ての者が引き上げた数十分後、店の中のあちこちに小さな石ころが落ちていた。近づいて何個か拾って手に乗せた。
見覚えのある小石だった。
それは狐達がいた店の近くにある稲荷神社の小石だ。
きっと土方さんや、応援に来たお仲間さんのわらじに付いて一緒に来たんだろう。
私は小石につぶやいた。
「凄い戦いだったんだろうね。
お前達が羨ましいよ。
私には何も見えないから…」
土方歳三が語る
「近藤勇死す」
流山での戦の時勝ちゃんが突然、一人で敵に投降すると言い出した。勿論俺は反対した。
俺は一人で行かせる位なら、ここで皆で討ち死にしようと迄言った。しかし、勝ちゃんの決心を変えることは出来なかった。長い話し合いの末、勝ちゃんの気持ちがすでに決っている事を思い知らされた。
「歳、生きてくれ。
会津に行き、容保公の為に働いてくれ」
そう言い残し、勝ちゃんは敵方に自ら投降した。
その時勝ちゃんは、幕府より大名に取り立てられ、大久保大和と名乗っていたが、新撰組隊長、近藤勇と分かれば死は免れない。ならば、余計武士として、立派に切腹させてやりたかった。俺は焦った。敵は二重三重に我々を包囲していた。蟻の這い出る隙間も無いほどの包囲網だ。しかし勝ちゃんの護送の時、ほんの一瞬囲みが解けた。俺達はそれを見逃さず、闇夜に紛れて脱出した。島田魁、蟻通勘吾、志村武蔵等、三十人ほどの仲間がいた。
俺はその中の何人かを連れ、すぐさま勝海舟の屋敷に馬を飛ばした。
「もはや近藤勇と分かるのは時間の問題。ならば、せめて武士として、切腹という道を取れるよう、計らってくれ」
と、膝つき合わして訴えた。勝海舟は、
「出来るだけの事はする」
と、約束してくれた。信じるしかなかった。
俺達はその足で、すぐさま大島圭介率いる伝修隊に加わったが、
その時すでに勝ちゃんは斬首されてしまっていた。
俺は裏切られたのか…。
言葉が出なかった。
悲しみよりも怒りがこみ上げてきた。
そして俺は誓った。
「新撰組は俺が絶対守りぬく!」
戦いの地がある限り絶対逃げないと、俺は勝ちゃんに誓った。
しかし、今さら何を言っても元には戻らないが、俺にも勝ちゃんの行動は分からない。
どうして一人で行ってしまったのか…。
それと、この事は源さんと俺にしか知らされていなかったのだが、勝ちゃんは胃を患っていた。新選組の隊長という重圧それもあったのだろうか。それとも、伊藤甲太郎の残党に右肩を打ち抜かれ、そのため満足に戦えない事で、俺達の足手まとになる事を気づかい、自ら白旗を上げたのか…。
今となっては俺にも解らない。
「歳、生きろ!」
俺に全てを託して、勝ちゃんは死を選んだ。
後日、京都の町に勝ちゃんの首がさらされた時、これは勝海舟の計らいだと俺は直感した。現に勝海舟は西郷隆盛と共に最後まで武士らしく切腹を。と訴えてくれていたが、長州の
「たかが百姓の分際で」
と言う一言が通ってしまい、勝ちゃんは切腹さえ許されなかった。
だから、せめて首だけでも持って行ってくれという、勝海舟の気配りだったのだろう。
すぐさま斉藤一が、勝ちゃんの首を取り戻しに行ってくれた。
帰って来た勝ちゃんに対面したが、涙はすでに枯れていた。
その時の俺は、泣く事すらも出来なかった。
源さんを、勝ちゃんを、俺は失った。
かけがえのないこの人達はもういない。
そして多くの仲間達が死んでいった。
それからの俺は、この悔しさと怒りを、戦いにぶつけていくだけだった。
もう死ぬ事など怖くはなかった…。
「北海道 五稜郭 前の章」
三月半ば、私は初めて土方さんから、あるお願いをされました。
「いつでも構いません。
私を北海道へ連れて行っていただけませんか」
突然のことに、勉強不足の私は戸惑った。
「五稜郭へ行き、まだ冥界を彷徨っている仲間達を
一人でも多く、天界へ連れて行ってやりたいのです」
そうなんだ。土方さんは北海道で亡くなったんだ。
そして今でも仲間を気づかっているんだ…。
「分かりました!
出来るだけ早く行けるように、頑張ってみます!」
そう答えはしたが、その時の私の体調は絶不調。
風邪をこじらし、フラフラしながら仕事をしている状態だった。
でも私は、土方さんの写真の前で、心の中で叫んでいた。
「行く!絶対行く!
死んでも行く!這ってでも行く!」
一ヵ月後の四月十九日、私は北海道行きの飛行機に乗っていた。
函館行きANA1787便、座席番号12A搭乗ゲートは17番。いよいよ北海道で何が起こるか、早まる心を抑えて私は機内の人となる。いよいよ私のドキドキの一人旅が始まった。と言っても、私には見えないだけで、私の周りには何と三人もの人が私を守ってくれている。この日の為に、土方さんが天界から二人の仲間を呼んで来てくれていた。
一人は、彼が絶大の信頼を寄せている、良き相談相手でもあり兄貴的存在の、六番隊隊長の井上源三郎。通称、源さん。
それと若干二十七歳の志村武蔵さん。この人は、本やインターネット上では病死と書かれているが、事実は土方歳三をかばって壮絶な戦死をした男。
この三人と一緒に、私は北海道へ向かった。
しかし見えない私には、一人旅だからなんせ暇。
「土方さん達、刀持っているからもしかして、金属探知機に引っかからないのかな?」
等と馬鹿な事を考えたり、
「源さんは年上でベテランの守護霊様、だから飛行機ぐらい大丈夫だとは思うけど、土方さんと志村さんは、飛行機見るのも乗るのも初めてだから、どんな顔をしているのか…。あぁー、見たい!」
そんな事をつらつら思いながら、私は離陸の時を待っていた。
ゴーっという音と共に、あの独特の圧迫感が機内に充満した。
何度乗っても離陸の時は嫌い……。
その時、私のお腹の中でザワザワと揺れるものがあった。
これは土方さんやお仲間さん達が、私の事を心配する時、
最近こんな現象が起きるようになってきていた。
しかし今回は何か違う。
(あぁー、誰か怖がっている!)
(これは私の事を心配しているのではなく、自分が怖いんだ!)
「誰、飛行機怖いのは?」
心の中で聞きいてみた。
「・・・・・」
沈黙が続く。
私は自分の未熟さを棚に上げ、
「えー、武士のくせしてだらしないなぁ~。
もしかしたらゲロ吐いているかも…」
そんな毒をはいて時間を潰していた。
後で聞いたのだが土方さんが、
「あれは志村だ。海瑛殿にしがみついていた」
と教えてくれた。まぁ、彼なら仕方がないか。経験もないからな。
土方さんなら面白かったのに。一生私に頭の上がらない、暗黙の力関係が出来ていたはず。でも土方さんの事だから、志村さんに因果を含め身代わりにさせた。という事も、考えられなくもないか…。
(土方さん冗談ですから)
二時間の空の旅の終わりを告げるように、突然雲が途切れ、地上が見えた。
何の予告も無しに、私の目の前に五稜郭の外観が飛び込んできた。
感動的だった。
この下でどれだけの人達が、百数十年の刻を耐え、待っているのか…。
そう思うと心が震えた。
「やって来ましたよ皆さん。
もう少し、辛抱してくださいね」
私は泣くのを我慢するのに必死だった。
飛行機を降りて、すぐにタクシーに飛び乗った。
私には目的があったから。と言うより
「約束事」
と言う方が正しいかもしれない。
ある人に言われた。
「五稜郭の地に立ち。
たった一言、真言を唱えよ」
その真言とは、
「ナムタイシヘンジョウコンゴウ」
そういう言葉に疎い私はノートに書き写し、何度も何度も口の中で繰り返した。
(もし本番でど忘れしたら、新撰組の皆さんに滅多切りにされる)
タクシーを降り、五稜郭の中に入り場所を探し始めた。
来たことの無い私はウロウロしながらある橋に辿り着いた。
(懐かしい…)
心の中で熱い物が沸いて出るような、不思議な体験に私は戸惑った。
「ここにしよう。
きっとこの橋には何かあるんだ!」
私の勘が働いた。しかし、ふいに頭の中でもう一人の私が呟いた。
「大勢の人が集まったら潰れない…?」
(後で考えれば馬鹿みたいな話なのだが、そのときの海瑛は本気でそう思っていた)
「それもそうだな…」
「後でこの橋の事は土方さんに聞こう。
うん、それが良い」
又、私はウロウロと歩き回った。
結局、緑の新芽の出始めた高台に、私の祈りの場所を決めた。
少しだけ喉がヒリヒリして、胸がなぜかドキドキしていた。
多分、あまりの寒さのせいだと、私は思う事にした。
呼吸を整え、ひとつ大きな深呼吸をしてコートを脱いだ。
チラッと空を見た。広すぎる大空に小さな白い雲達が、
お気楽そうに流れているだけだった。
もう一度浅い息をして、私は目を閉じ手を合わす。
万感のありったけの想いを込めて、私は祈った。
「南無大師遍照金剛」
数分間、私の中で刻が止まった。
「言えた!。
間違わずに言えた!」
見えない世界を信じて。
土方歳三を信じて。
そんな自分に少し呆れながら…。
この一言の祈りの為だけに、私は北海道にやって来た。
良かった!
これで土方さんの思いが叶う。
良かった…。
薄目を開け、今度はゆっくり空を見た。
やっぱり、さっきと同じ雲が普通に流れていた。
見えない私には、同じ風景が静かに流れているだけだった。
「思い出」
高台で祈った後、私は戸惑った。なぜならこれから先の予定が何も無かったから。ここまでは気を張りつめて、少しのミスもなるものかと何度も練習していたけれど、これから先の予定はゼロ。鼻水が出そうになったので、とりあえず近くにあった五稜郭タワーに駆け込んだ。
中は暖かく生き返った気がした。案内されるままエレベーターに乗り、観光客の人達に混じって一緒に降りた。中に入って驚いた。
そこには土方歳三のブロンズ像が座して私を迎えてくれたのだ。
「嘘!、土方さんが居る」
思わず駆け寄りその手に触れた。
「凄い、凄い、英雄みたいカッコイイ!」
その時の私は多分、他の人から見ればただの軽めな観光客に見えたと思う。しかし、そんなこと知った事じゃない。
私は飽きる事無く、その像を見続けていた。
何分ぐらい経った頃か、私は自分の左肩に凄い気配を感じていた。
後で聞いた事だが、土方さんが後ろから覗いて彼自身驚き、
「本当に私なのか?」
と言ったらしい。
その後、私は函館ロイヤルホテルにチェックインした。
ここが今夜、私の泊まるホテル。少し疲れた私は、ひとまず体を休めたかった。すぐベッドに倒れこんだ。そのまま五分が経ち十分経った…。でも何もやる事が無い。函館山にも登りたいけどまだ早い。その時、
「良い事、思いついた!」
私はロビーへ降り、使い捨てカメラを買った。
部屋に帰って私は言った。
「土方さん、写真撮りたいから窓際に並んでください。
まずは三人で撮りたい」
無論、返事も無いし見えもしない。
でも、私はお構いなしにシャッターを切った。
「次はそのソファーに座ってください。
最初は土方さん、次は源さん、志村さん」
「はい、笑って」
知らない人が見たら何と思うだろうか…?
夕方、どうしても橋のことが気になり、彼女に電話して土方さんに聞いてもらった。実は彼女も事の成り行きを心配して、何度もホテルに電話してくれていた。
その彼女の口から、やはり私の想像に近い言葉が戻ってきた。
「あれは私が出陣した時の橋です。懐かしかった…」
受話器越しに聞こえる彼女の声が、いやにかっこよく聞こえてならなかった。
それから私は、その興奮冷めやらぬ気持ちのまま、函館山バスツアーに出かけた。
「函館山から空を見れば、天界に笑顔で上がっていく人達の、感謝のざわめきが、聞こえてくるかもしれませんよ」
と、彼女に言われていたから少しだけ期待して出かけて行った。
しかし結果は、大寒波の余波をまともにくらい私は凍死寸前。その日の北海道は、今年一番の寒さで、ガイドさんの声も台風並みの風に消され、立っているのが精一杯だった。
大勢の観光客も、先を争うようにバスへと帰っていった。
そんな中で取り残された私は、自分がどうしてこんな所で、一人寒さに耐えているのか分からなくなり、泣いてしまった…。
その後、私はする事が無くなりバスに乗ってホテルに戻り、お風呂に飛び込んだ。
暖かかった…。いやおう無しに今日一日の事が想い出される。
正直言って何も起こらなかった。
「でも本当はすごく期待していた!」
「ほんの少しだけ急に超能力が付くとか…。」
「土方さんが見えるとか…。」
「天界に上がれる人達の笑顔が見えるとか…。」
けれどそのうちの何一つ、私にはご褒美が無かった…。
そう、彼女がいれば通訳してもらう事が出来るが、彼女がいなければ私は小学生ぐらいの霊力しかなく、完全な一人芝居をやっているだけで、すごく地味な一日があるに過ぎない。土方さんの居る気配ぐらいは分かるが、それ以外は、その日の出来事の一駒が、頭の中で静止画像になったり、パラパラ漫画のように出てきたり、土方さんから単語のような言葉が送られてくるだけ。それも彼女と言う辞書がなければ、いくらもどかしくても、会話としては成り立たない。
土方さん達の気配りの心を、お腹のザワザワで感じながら、私は下を向いていた…。
けれどそんな私に土方さん達は、素敵な褒美を用意してくれていた。
夜十時、待ちわびた彼女からの電話が入ったのだ。
「詳しいことは帰ってから話しますが、全てが恙無く進み、凄い移動が続いています」
いつも冷静な彼女が興奮気味の報告をくれた。
「私の一言から始まったの?」
すがる気持ちで私は聞いた。
「もちろんですよ!
海瑛さんの一途な気持ちが、仏様達を動かしたんですよ!」
電話を切って、私の心は吹っ切れた。
「私は一つの駒でもいい。使って貰った事に、選ばれたことに誇りを持とう」
私は飛び起き、持参していた一番お気に入りの服に着替えた。
髪を梳き、化粧をした。
鏡に映る姿は、我ながらカッコ良かった。
私は叫んだ。
「土方さん、源さん、飲みに行こう!」
私は肩で風を切りながら八階のラウンジへと向かった。
「男達」
店は結構込んでいた。
私は人気の無いカウンターに座る。
ウエイターさんがすぐに注文を聞きに来た。
「私はブランデーの水割り。それと冷酒三本とコーヒーを一つ」
そして間髪いれず、私は言う。
「実はある人の供養なの。
お遊びと思って…」
私の言葉にさすが相手もプロ。
「それではワイングラスでも、ご用意しましょうか?」
「よろしく」
説明する手間がはぶけて良かった。
今は誰とも話したくない。
ただ一箇所を静かに見つめていたい。
そんな気持ちだった。
八階から見る景色は美しかった。
私の中でカメラのシャッター音がして、又新しい映像が心の中に記憶された。
「この景色忘れない…」
しばらくしてお酒が運ばれて来た。
私の側にこじゃれたワイングラスが三個と、お揃いのガラスの徳利が一つ。
私はそれらを一つ一つ並べていった。
まずは土方さんのグラスにお酒を注いだ。
「ご苦労様。良かったね」
それ以上言うのはやめた。
多分、それ以上言うと私の涙腺は壊れるから。
三つのグラスにお酒を注ぎ終わると、コーヒーが運ばれてきた。
「乾杯しましょう!」
私は一つ一つのグラスに、自分のグラスを重ねていく。
カチーン、カチーン、と小気味良い音だけが響いていた。
自分の席に戻り、私もコーヒーを飲み始めた。
沈黙が流れた…。
けれど、もう嫌ではなかった。この沈黙こそが、私が選ばれた証。寡黙な男達が酒を飲み、仲間が天界へと昇っていくのを、見守っている。
その時、不思議な現象が起こった。
私が私の後ろに居て、その光景を見ていた。
私が居る。土方さんが居る。
源さんが、若い志村さんが、静かにお酒を飲みながら、外の景色を見ていた。
多分これは、私のそうあって欲しいと、願う心がさせた事だと思う。
なぜなら、それはほんの一瞬の出来事だったから。
時は少しずつ過ぎて行った。
叶わぬ願いと知りつつ、私は願った。
「時よ、止まれ!」
いつまでも、いつまでも、この瞬間が続けばいいと…。
願い続けた…。
「お別れ」
平成十八年四月二十日、北海道は朝から雨だった。
私は昨日一日で、十年、いや百年位の経験をした気分だった。
帰省の準備に取り掛かり、早めにホテルを出て雨の中、
私は五稜郭タワーへと向かった。
もう一度あのブロンズ像の土方歳三に逢いたかった。
それと五稜郭にも行ってみたかった。
雨はバケツをひっくり返したような勢いで降っている。
タワーへ入り、お別れを言いに、私は像の前へ行った。
気のせいか前より良い男に見えた。
「土方さん心の仕えは取れたかな?」
そんな軽口を言えるほど私は回復していた。
そっと近くによって呟いた。
「良かったね土方さん。あなたの生き方は、日本中のほとんどの人が理解してくれている。あなたの生き方は正しかったんだよ」
少なくとも私は、この北海道に来てそれを実感した。
何度も何度もブロンズ像の手をさすりながら、私は本当に来て良かったと思った。
豪雨に近い雨が続いたが、それでも五稜郭に行き、私は昨日の場所に別れを告げた。
「ありがとう五稜郭・・・」
「ありがとう函館山・・・」
関空行きANA1788便、座席10A搭乗口5ゲート。
私は機中の人となる。
「北海道五稜郭後の章」
「私を北海道へ連れて行って頂けませんか」
この言葉が全ての始まりでした。
土方さんは冥界を彷徨っている時でも、仲間の事は一時たりとも忘れられず、約束を守れなかった自分を、どれ程歯がゆく思った事か。その思いを胸に秘め、土方歳三は百数十年間、冥界を彷徨っていました。土方歳三が守護霊として蘇って、私に北海道行きを打ち明けた時、ある方が動いて下さり、色々な神仏を動かして下さったのです。その方とは、天界と冥界を仕切っておられる高貴なお坊様。私に南無大師遍照金剛と唱えよ。と言われたお方。そのお方が芦屋道満、安部清明の二人を和解させられ、その二人が知恵の文殊様に協力をお願いされました。そして文殊様が、阿弥陀様と観音様を動かされたのです。私が
「南無大師遍照金剛」
と真言を唱えた時、そのお坊様が私の中に入られ、私と一体化する。それを合図に阿弥陀様と観音様が、土方さんに纏わる全ての人を引き上げられました。私は北海道で千八百人位の人が救われるかもしれない、と聞いていたので帰省後、詳しくその時の様子を聞きました。
「土方さん。私には何も見えず何も起こらなかったけれど、
皆さん天界に昇れましたか?」
「はい。全ての者達が昇って行きました」
「どこで見たのですか?」
「函館山です」
「中島さん親子※には会えましたか?」
「会えましたよ。向こうから会いに来てくれました。
中島さんには十六歳と十七歳の御子息がおられ、この二人を戦いに巻き込んだ事をとても悔やんでおられました。結婚はおろか恋も知らず散らすことに、親としての無念さを語られていましたが、御子息は恨んでいないと三人で天界に昇って行かれました」
この親子は、土方歳三が亡くなった後も戦い続けて、戦いが終わった事も知らず、力尽きて戦死されたとのこと。彼はこの親子に会い天界に連れて行きたいと、いつかその願いが叶いますようにと、心の底から願っていた。
結果的にその思いが、天界をも動かす事になるのです。
「千八百人、全て上昇られましたか?」
「違います」
「・・・・」
土方さんは、今までの思いを吐き出すかのように語ってくれました。
「鳥羽伏見、奥州、勝沼、上野の彰義隊、長岡、白川、宇都宮、会津、二本松、三春、仙台、そして函館。死んで逝った仲間がこれで浮かばれると思うと、これ程嬉しい事はなかった。特に白虎隊の連中や、二本松の少年隊の子供達と話が出来て嬉しかった。みんな天界へ行って子供らしい修行が出来る。冥界にすら行けなかった同志が、天界に行ける。北海道二千五百人、京都鳥羽伏見六百人、勝沼数十人、東北でもかなりの数の仲間達が昇っていった」
彼は一気に話し切りました。
「どうして北海道に居るのに、そんな事が分かるのですか?」
「それは遠くから私を呼ぶ声が聞こえたので振り返ると
その人達が私の方を笑顔で見ていました」
「それはどこで?」
「海瑛殿と登った函館山で聞きました。
特に私が応援に駆けつけ助けたかった
函館山弁天台場の、新撰組の仲間達が
昇って行くのを見届けた時が、一番嬉しかった。
ただ、恥ずかしい事がありました」
「・・・・」
「それは、皆が私のことをお奉行、お奉行、と言うのです。
私は呼ばれ慣れていないので、照れくさかった。
やはり私は新撰組の副長が一番良い」
土方歳三が照れくさそうに笑っていました。
「土方さん、聞いていいですか?」
「何なりと」
「その時どんな気持ちでしたか?」
「ただ、ただ、涙がこぼれました」
私が言われるがままに登った函館山で、こんな事が起こっていたのか。多くの仲間達が感謝の思いを込めて、笑顔で天界に昇るのを土方さんとその仲間達は、静かに酒を酌み交わし眺めていたのだ。
私の願いは叶っていたのだ!
私が無意識にとった行動は、全て予定されていたのだ!
寒風の吹き荒ぶ、函館山の頂上で、泣いてしまった私の涙は
無駄ではなかったのだ。
「土方さん、今の気持ちを教えてください」
「いっぺんの曇りもありません。
本当に嬉しいです」
この時やっと、海瑛の北海道の旅が終わりました。
中島三郎之助※代々からの徳川の家臣。函函館戦争で最も激しい戦いを繰り広げた千代ヶ岡台場で、息子二人と最後まで戦いぬき壮絶な戦死をとげる。
土方歳三こそ、真の軍神と語った人物でもある。
海瑛の前世
私の前世は、幕末の京都、そこで料亭の女将をしていたという。
京都一条戻り橋そこに流れる川の横、町名は堀川通り、料亭の名前は甘甘亭。一代昔は和菓子専門の店だった。しかしその先代が、京都の人に少しでも多く食べてもらおうと、ぜんざい、おはぎ、まんじゅう等甘い物を中心に握り飯や一膳飯、そして弁当までも売り出していた。店は結構広く、四十人前後のお客が入る事が出来て、若い娘が常時四~五人、お茶やまんじゅう、おにぎりを運んでいた。その店を一番先に見つけたのが、井上源三郎通称源さん。最初の出会いは源さんが見廻りの途中で、土佐の浪人と衝突し、斬り合いになった時の事。源さんは相手に一太刀浴びせ、その返り血を顔や手に受けてしまった。隊服は仕方が無いが、顔の血だけでも落したかった。どうしたものかと見廻したら、暖簾を取り込む寸前の店が目に入った。源さん悪いと思ったが、刀を納め、それでも血だらけの格好で、その閉めかけの店に入って行った。暖簾をしまいかけていたのは若い娘。源さんの姿を見て「キャー」と叫んだ。するとその声を聞きつけ、奥から落ち着いた感じのする、上品な女性が出てきた。
源さんは身なりを正し、
「京都守護職預かり、壬生の浪士組。井上源三郎と申す」
と名乗った。
すると女性は、最初は警戒していたが、その言葉を聞くや笑顔で、
「甘甘亭の女将でございます。
お役目、ご苦労様にぞんじます」
と深々と頭を下げ、若い娘に命じて濡れ手ぬぐいを用意してくれた。
それで源さん少しはさっぱりしたので、夜も遅いため礼もそこそこに屯所に帰り、そして次の非番を待って出かけて行った。
暖簾を入ると店は混んでいた。
「あの女将なら客も付くだろう」
と思いながら店の者に名を名乗り、女将を呼んでもらった。
これが源さんと甘甘亭の出会い。いや、長く深い絆で結ばれていく女将と新撰組との出会い。それから源さんは、近藤さんと土方さんに訳を話して、早速二人を連れて行き、女将を紹介した。
近藤さんは店を大変気に入り、土方さんにいたっては、白虎隊の少年達に
「この戦が終われば甘甘亭に連れて行って、何でも美味い物を食わしてやる」
とまで言っていた。
そしてこの店はそれ以後、新撰組の隊士が好んで行く店になっていった。特に甘い物好きの島田魁などは毎日のように足を運び、おはぎやぜんざいに舌鼓を打っていた。その他の隊士達も勤務が終わると私服に着替え、二~三人で誘い合い、賄いだけでは足りない分を、甘甘亭のおにぎりや弁当で補っていた。
隊士の中に尾関雅次郎という、酒の好きな人の好い男がいた。
長身を買われ、隊士の旗持ちを勤める男。
その尾関が女将に言った。
「なぁ女将さん、頼みがあるんだ。
この店の物は何でも旨いよ。
俺も思うし、皆も思っている。
しかし、酒が無い…。
俺みたいな酒の好きな者には、飯だけでは辛いんだ。
ましてや、冬の京都の見廻りの後は、身体の芯まで凍ってしまうよ。
何とか酒を入れてはくれないか、頼む!」
拝まんばかりの尾関の願いだが、女将は良い返事をくれなかった。
「お酒を出すと時間が長くなり、どうしても喧嘩沙汰になり、
他のお客様に迷惑がかかりますから」
これが女将の言い分だった。
しかし、そんな事で引き下がる尾関ではなかった。
酒の為なら局長までも引っ張り出した。
結局近藤さんが中に入り、徳利一本、普通のお客は十文、しかし新撰組の隊士は十三文という風に、全て隊士は多めに払うという事で話がついた。近藤勇と尾関雅次郎の粘り勝ちという事だった。そして喧嘩の仲裁は、
「新撰組が責任を持って治める」と言う計らいにもなった。
新撰組の誰に聞いても口を揃えて言う。
「あの頃が一番楽しかった」
特に池田屋の事件後は、店に顔を出すと町人商人を問わず、皆が声を掛けてくれた。京都の町を救ってくれた事に対しての感謝の言葉、それは何よりも嬉しく励みになった。近藤局長、土方副長は言うまでもなく、今まで以上にこの町を守らなければ、という気持が隊士の中に生まれていった。本当に心の休まる憩いの場所、それが甘甘亭だった。だが、その楽しい時は三年も続かなかった。戌辰戦争鳥羽伏見の戦いに突入したのだ。町は騒然となっていった。私は源さんに聞いた。
「個人的に女将さんに会いに行かなかったの?」
すると源さんは、
「局長自ら行くはずだったのですが、伊藤甲太郎の残党に肩を撃ち抜かれ、静養の身になってしまい、永倉君と斉藤君が金と米を持って行ってくれました」
「女将に会いたくなかったの?」
「それは会いたいですよ。
しかし会いに行ける状態ではなかったんです」
「源さん、手紙には何て書いたの?」
私の問いかけに源さんは、大切な事を思い出すかのように、ゆっくり話し出した。
「必ず会いましょう」
そう書きました。
「絶対会いましょう。会いに行って、女将の手作りの弁当、握り飯、味噌汁、片っ端から食ってやる。だからそれまで身体に気をつけて、甘甘亭と一緒に待っていてください」
そう書きました。
源さんが昔を思っていた。
一番楽しかった遠い日の思い出を…。
土方さんにも聞いてみた。
「私は今までお世話になった、礼状と目録。
それと隊士達が書いた連免状です。
四十人~五十人は居たでしよう。
中には泣いていた奴もいましたよ。
ある時、若い隊士が調子に乗って深酒をし、その中の一人がベロンベロンになってしまった。けれど女将は嫌な顔もせずその隊士を寝かしつけ、看病をして酔いを醒ましてやったそうです。それから、その若い隊士は女将の事を
「母上、母上」と呼んで甘えていました。
泣いていたのは、こいつです」
女将さんは皆の手紙を、どんな気持ちで読んでいたのだろうか。
最後に私は斉藤一に聞いた。
「会いに行って何を話したの?」
「いろんな思い出話です。
甘甘亭はただの飯屋ではありません。あの頃の俺達は、腹の減った子供が、母親の所へ帰る様なそんな気持ちで、皆いそいそと出かけて行きました。私なんか人手が足りない時、裏方で材料運びもしましたからね。
それと、女将の口癖が、
「御武運をお祈りします」
という言葉でした。最後に会いに行った時も、いつもと変わらず落ち着いていて、いつもの笑顔で話してくれました。そして別れ際に言われました。
「御武運を、お祈りしていますね」
私は心の中で誓いました。
「どんな事をしても、絶対に京の町は守ってみせる」
その時、斉藤一の目に薄っすらと涙が浮かんでいました。昔を思い出していたのでしよう。
その後、京都はお城を挟んで松平容保公率いる軍勢と、長州薩摩の連合軍との間で、大砲の撃ち合いになっていきました。そんな殺伐とした中、甘甘亭より何とおにぎりが二百個、差し入れとして新撰組の元へ届けられた。その中には梅干が入っていて、
「あの味は今でも忘れられない」
と源さんが言っていたが、他の仲間達も同じ気持ちだっただろう。しかし、その後の新撰組は、坂道を転げ落ちるかのように敗退を続けた。近藤さんが死に、源さんが死に、皆がバラバラになっていった。西南戦争の後、斉藤一は甘甘亭を尋ねたが、すでに店は無くなっていたという。風の便り噂に聞けば、女将が病に倒れたという事だった。
京都一条戻り橋そこに流れる川の横。
鬼と呼ばれた男達が、一時子供に戻れる所。
そこが噂の甘甘亭。
名物女将が、居たお店。
次は、土方さんが亡くなる五月十一日の前日
つまり五月十日の夜中に彼が見た夢を書きます。
これは土方さんの方から、私に問いかけ、そして全てを話してくれました。
どんなに偉い歴史家の人でも、どんなに詳しく土方歳三を研究している人でも、
この話は知らないでしょう。何故ならこれは、彼が初めて明かした話だからです。
「題」はもう決めてあります。
「黒龍」
北海道から帰って十日程経ったある日、突然私の中に「コクリュウ」という言葉が飛び込んで来た。土方さんとは少しずつ会話らしき事は出来ているが、まだ私の霊力は小学生レベル、だから何かの間違いだろうと思っていた。
けれどやはり気になり彼女に
「土方さんに聞いて下さい。
私にコクリュウって言葉、話してくれたかどうかって。
多分、私の空耳だと思うんだけど…。
二回も三回も浮かんで来るので念の為にね」
ところが土方さんは確かに言ったという。
そして彼は、驚くべき心の中を話してくれた。
「私は明日出陣という前夜に夢を見ました。それは全身真っ黒な龍が、私を襲ってくる夢です。私は嫌な気分になりました。明日は何かあるな…。
なぜなら、明日私が向かい討つ敵の総大将が黒田了介という男。
黒い龍とはこの事なのだと思いました。
けれどこれは、黒田の首を討ち取る前ぶれだと自分を奮いたたせ、戦いに挑みました。
しかし結果は、私が敵の放った銃弾に倒れ命を落とし冥界を彷徨う事になった。
持って行き場の無い心を引きずり、それでも私は仲間を助ける事だけを心の支えに、冥界を彷徨い続けた。死臭と闇だけの世界を…。」
土方さんの言葉が詰まった。
私は躊躇いながら聞いた。
「そんな辛い事、私に話していいんですか?」
「海瑛殿だからこそ、聞いて貰いたかったのです。
貴女だけでもいい、本当の私の生き様を知っておいて欲しいのです」
北海道の事があってから、土方さんはとても変わりました。
「最初は義務のつもりが、今では情が入ってしまいました」
とも話してくれた。そして話はさらに続いた。
どれ程の刻が流れたのか私には分からない。ある時、私に一人の僧侶が話しかけて来られた。その方は身なりは粗末な姿でしたが、品のある優しい顔をされていました。
私が近づくとその僧侶は、私に労いの言葉を掛けて下さり、私に言われた。
「お前を待っていた。
ある人物をどんな事があっても守り貫け!」
これが土方歳三と、私海瑛との出逢い。
そしてこのお坊様こそが、私が北海道で
「南無太子遍照金剛」
と唱えたとき、一体化して下さったお坊様なのです。
私はこの話、今まで以上に忠実に私心を入れずに書きました。
そして、いつもの様に出来上がった物を読んだあと、
「これで、いいですか?」
と尋ねる様にしている。そして何時もならすぐに
「その通りですよ」とか「上手く書けていますよ」
とか言ってくれるのに、この日は沈黙が長く続いた。
「・・・・」
「実は、まだ話していない事がある」
私は驚きました。こんな事は今まで無かったから。
「これはあまりにも辛過ぎるので、話していいか迷っている…」
「と言うのは、私の事まだ信じていないって事ですか?」
「信じていないのでは無いその逆だ。信じているからこそ、この現実を知って悲しみを深めて欲しくないのだ」
長い沈黙の後、土方さんは静かに話し始めました。
「私の夢には続きがある。
私は襲いかかる龍の首を刀で切り落とした。するとその首はあっという間に再生し、再び私に襲いかかった。何度も、いいや、何十回も私は龍の首を切り続けた。
何度も、何度も、切り落とした。
しかし、ついに私はその龍に腹を食いちぎられた。
そこで、目が覚めた……。
これが私の夢の全てだ。」
「海瑛の願い」
土方さんが私に話したかった、最後の出陣の前夜に見た夢の話「黒龍」
その基になったのは、私の頭をよぎる「コクリュウ」という言葉でした。ある時はフラッシュバックして、又ある時は不意に何かを思い出したように、私の頭の中で浮かんでは消えました。でもそれは、三~四回でした。だからほんの何気なく、気楽に私は聞きました。
「土方さん、あの時は私に、何回ぐらい黒龍って言葉を話してくれていたのですか」
するとこんな言葉が返ってきました。
「数百回かそれ以上、心の中で念じていました」
胸が苦しくなりました…。
この人達は相手にたえず話しかけ励まし、それが伝わらずとも、相手の身を案じ、少しの危険にも出遭わぬように、真剣に黙々と、今日もただ一人の人の為に働いているのです。
私は言われました。
「受け入れる心のある人には伝えなさい」
交わる事の無い世界で、どれだけの人達があなたを守るため心を配り、日々動いているか。ただひたすら、その人を守り貫く為にだけ、心を砕いて見守ってくれているか、あなたを守ってくれている人が、何十回、何百回、と念じて語りかけてくれているのです。
普通の人はただ守られているだけですが、私は自分の守護霊様と書く事で、意思の疎通が出来ます。土方さんとの出逢いからかなりの時間が経ちましたが、私はいまだに小学生並の霊力しかありません。ただある時から
「文字を書く事」で少しずつ会話らしき事が出来たのです。
今、そのやり取りを綴ったノートは、二十冊ほどになっています。だから私には解るのです。守られている事の有難さが。
今の私は物凄い速さで天界の出来事を、そして自分の過去を知る事ができます。その教えの中で、私は自分の使命の一つが、守護霊様の存在を世の中の人に、知って貰う事だと気づきました。
なぜならその為に「私の守護霊様が土方歳三」なのです。
私は土方さんの生き様が、孤独な人の励ましになればいいと思っています。土方歳三の人生は決して平坦な道ではありません。
両親の愛を知らず、十代で奉公に出され、奉公先でいじめられ、その後には薬の行商にも出されます。
普通ならすねて、世の中を恨み、悪い世界に足を踏み入れてもおかしくない、孤独な青春時代です。
けれど彼はそれをバネにして、武士になるという志しを貫き通すのです。私は聞きました。
「どうしてそんなに強いのか?
挫折は無かったのか?
世の中が嫌になった事は無かったのか?」
そんな私の問いかけに、土方さんの凛とした声が聞こえました。
「挫折はあった…。
初めて奉公に出されたとき酷い苛めにあった。番頭に目の仇にされ、飯も食わしてもらえなかった。しかし俺はへこたれなかった。
なぜなら自分には夢があったからだ。幼い頃から武士になるという大きな目標があった。
だから今に見ていろ!という気持の方が強かった。だから耐えられたのだ。
それに俺には、兄弟より強い絆で結ばれた近藤勇、井上源三郎と言う何者にも変えられない友がいた。物心のついた頃からこの二人とはいつも一緒だった。
この人達がいたから、どんな時でも淋しくなかった。
俺は子供の頃、物凄いガキ大将だったので、遊ぶ相手には困らなかった。
ただ、夕暮れになると母親が迎えに来て、一人、又一人と手をひかれて帰って行くのだ。最後に残るのはいつも俺だった。
親のいない俺には、迎えなどは、いつ迄待っても来ないのだ。
仕方が無いので俺は、近くに落ちている棒切れを刀の代わりにして、振り廻しながら家に帰った。早く大人になりたかった…。
そして、源さんのような強い男になりたいと、いつも子供心に思っていた。
一度きりの人生だ。
負けてどうする!
泣いてどうする!
何も変わりはしない…。
どんなに辛くとも、自分で己の道を切り開いて行くのが、男ではないのか。
俺はいつもそんな気持ちで生きてきた。
無念という気持ちは勿論ある。しかし、その日その日を精一杯生きた。
だから俺の人生に悔いは無いのだ」
土方さんの言葉は切ないものです。
でもそれだからこそ、私の心に沁み込んできます。
この文章を読んで、
「自分は独りではない。大きな力に守られているんだ。
だったらもう少し、踏ん張って頑張ってみようか」
そう思う人がいたら、私の書いた文章はただの夢物語ではなく、
命を与えられた物語になるのです。
「誕生日」
皆さん知っていますか?
土方さんの誕生日が五月五日の「こどもの日」って事を。
私が、
「北海道から帰ってから、誕生日やりましょうね」
と言ったら、
「命日だけで十分です」
と言われた。
けれど私は大々的に祝いの膳を作った。
理由は二つ。
一つ目、それは土方さんだけでなく、我が家を守ってくれている
お仲間さん達も、この日一緒に祝いたかったから。
そして二つ目は、私の長男も五月五日に生まれている。
それも、
「五月五日に男の子が生まれたよ」
生まれる前に夢でそう教えられていた。
それと、これは誕生日とは関係ないのだけれど、
土方さんの四つ上のお姉さんの名前が「のぶさん」
私の母の名前も「のぶ」と言う。
ちょっと不思議な縁を感じる。
今私は、毎日一日一回ささやかな膳を出している。
土方さんに、
「何かして欲しい事はありませんか」
と聞いた時、
「仲間のために一杯の飯と水。そして…。
出来れば一品のおかずを」
遠慮がちな土方さんの言葉が返ってきたから。
ただし、この世界には一定の決まり事があるらしい。
それは三十分以上供え物をすると魔が入って、餓鬼とか浮遊霊が食べに来るという。
だから私は、五回に分けて三十分ごとに膳を運ぶ事にしたが、結構楽しかった。
花を活け香を絶やさず、いつもは私の後でずっと守ってくれている人達に
「今日は私が、べったりくっ付いてやるぞ」
そんな気持ちで頑張った。
そして最後の五回目の膳を下げに行ったとき、奇跡が起きた。
私が二階への階段を上がっていると、上でザワザワという声がした。まさか…。
急いで階段を上がりきると、そこには何と数人の侍達が正座し、整然と並んで私を迎えてくれていた。新撰組の正装ではなく、古びた木綿の袴とよれよれの着物姿だったけど、背筋を伸ばし凛として、私を待っていてくれた。
ほんの数秒だったけど、
私は見た!
確かに見えた!
皆さん喜んでくれているんだ!
律儀な人達なんだ!
人は彼等の事を日本最強の武装軍団と言うけれど、私は声を大にして言いたい。
「みんな好い人達だよ、照れ屋で純で、日本を思う本物の男達だ!」
「命日」
五月五日の誕生日が終わり、わずか六日後に私は又花を買った。
今回はご馳走はせず、土方さんが求める物を、買うか作ろうと思っていた。
誕生日の時は、私の好みで京都の味とか果物とか、私の勝手で作ってしまった。
北海道で過ごした日々で、おそらく彼は自分の誕生日すら忘れていた事だろう。
だから、
「誕生日しましょうか?」
と、聞いた時、
「どちらでも良いですよ」
なんて、無愛想だったけど、正直な所、本当は嬉しかったと思っている。
土方さんは口数は少ないけど、誕生日のときも、律儀にお礼を言ってくれた。
そして
「命日に何か食べたい物、ありますか?」
と、聞いたとき、少し遠慮気味に彼は言った。
「それでは、饅頭を一つ所望します」
「まんじゅう…?饅頭一つ?」
実は土方さん、近藤さんとお喋りする時、下戸の近藤さんに付き合い、お茶とお菓子で話をしていたらしい。私はすぐお財布だけを持って、近くのス―パーに行き、線香と饅頭十個を買い、急いで帰りお供えした。
「はい、お約束の饅頭一つ、召し上がれ」
そしてその横には、大皿に乗った紅白の九つの饅頭が、品よく整列して出番を待っていた。もちろん、渋いお茶も忘れずお供えした。
これには土方さん、ものすごく嬉しそうだった。
けれど一番喜んで手を出したのは、甘いものには目のない島田魁さん、それから意外と吉村貫一郎さんも負けてはいなかった。
(皆さん、結構甘い物が好きなんだね)
土方さんに、
「どんな気持ちでした?」
と、聞いてみたら、
「誕生日といい、命日といい。
ここまでして貰えるとは思わなかった。
本当に嬉しいです。
ゆっくりと流れる時間の中で、昔を思い出していました」
どんな事をしても昔には戻れないけれど…。
ほんの少しでも、懐かしい思い出が蘇ってくれたら、それでいい。
私は皆さんが食べた紅白のお饅頭をひと口ほお張りながら、渋茶を一気に流し込んだ。
「饅頭、お前達、結構いい仕事してくれたね」
と、私はお饅頭を褒めてやった。
静かに平和に恙無く、普通に刻は過ぎていった。
五月十一日、この日は土方歳三の命日です。
「人は死に、そして又、永遠の命を宿す」
土方歳三の四季
彼が生きてきた人生の中で
どうしても残しておきたかった
思い出の日々
土方歳三の四季
一月 「正月」
子供の頃は、ただ嬉しかった。
下ろしたての着物を着せてもらい、美味い物が食えた。
大人達は揃ってニコニコしていて、
悪さをしても、大抵の事は許してもらえた。
しかし新撰組ではそうはいかなかった。
正月だからといって、気を緩めるわけにはいかない。
いつどこで誰が狙っているか分からないから、
いつも神経を張りつめていた。
気の休まる時など一日もなかったよ。
そうして鳥羽伏見の戦いは正月に始まった。
普通なら着飾り屠蘇で祝っている時だ。
その時、人々はただ殺し合い憎しみ合い、
泥沼へと落ちていった。
「お前達、
平和がどれほど幸福か分かっているか?
今の世は努力すれば必ず報われる。
それを忘れるな!」
土方歳三の四季
二月--------「京都上洛」
俺が生きてきた中でこの時が一番興奮した。
新撰組を旗揚げした時よりも、
主君松平容保公直々に褒められた時よりもだ。
俺の心の中で今も色あせぬのは、
人々の為、徳川様の為にと、勝ちゃんや源さん達と
故郷の多摩を出立し、京都に向かった時の気持ちなのだ。
俺は小さい頃より武士に憧れていた。
と言うより、それしか見えなかったのだ。
俺の家は作男を何人も抱える豪農だった。
しかし長男以外はただの食いつぶし。
他家へ養子に行くか、家業の薬を売るか、
それしか生きる手だてがなかった。
けれど、俺はそんな人生を送りたくなかった。
だから、死に物狂いで腕を磨き、体を鍛えた。
必ず俺を必要とするときが来ると、
俺は自分に言い聞かせた。
俺が二十八歳の冬、時代が動いた。
俺はその時、天皇と徳川の為に働こうと心に決め、
前だけを見て歩いていた。
京都上洛…。
何の不安も無かった。
あるのは抑えきれないほどの、
明日への期待感だけだった。
「お前達目標を持て。そして自分を鍛えろ!」
土方歳三の四季
三月------「天然理心流入門」
この月、俺は天然理心流近藤周助の門下生になった。
勝ちゃんもいた。
俺は家の商いの薬売りの手伝いをしながら、
色々な道場に行き腕を磨いた。
勝つ時もあれば負ける時もある。
負けた時などは、道場中の笑いものにされ、
屈辱感を味わい打ちのめされる。
しかし、確実に腕は上がっていった。
だから十七歳で天然理心流に入門した時も、
「実践では誰にも負けん」
と言う自信が俺にはあった。
俺は入門が遅かった事もあり、
免許皆伝にまでは至らなかったが、
どんな相手と戦っても必ず勝つ、
という気持ちは人一倍強かった。
「どんな時にも諦めるな!
結果が出るまでは諦めるな!
そうすれば、必ず道は開かれる」
土方歳三の四季
四月------「桜咲く頃」
俺はある時より、桜の花が好きになった。
花などには、子供の頃から、
何の想いも無かったのだが…。
俺は一重の花が好きだ。
頼りなげで可憐で必死に咲くが、
風が吹くと、あっという間に枝から離れ
地上を桜色に変える。
そして人々を幻想の世界へと誘い、
静かに地面を染めていく。
人は男の潔さを桜に例えるが、
俺は想う。
桜は女そのもの。
可憐で一途。
いつの間にか、見る者の心を虜にする、
清らかな愛そのものだ。
癒されぬ心でいるのなら、
どんな花でもいい。
いや、花にこだわる必要はない。
何かを好きにならないか。
「何かを愛しいと思ってみろ。
生き方が変わるぞ」
土方歳三の四季
五月------「節句」
五月五日は男の節句であり、俺の生まれた日。
俺は日本中の人から、鯉のぼりを揚げてもらい、
祝ってもらっているという訳だ。
しかし現実では、俺は誕生日を祝ってもらった。
と言う記憶がまったくない。
俺達の時代は、年が明けると、
一歳年をとると言う風にされていた。
正月が来ると晴れて何歳というわけだ。
俺は新撰組に入った時から、
自分が何歳なのか考えた事もなかった。
毎日、毎日が緊張の連続だったからな。
しかしやり甲斐はあった。
お前達、緊張して毎日を過ごしているか?
やる気が有るなら、今からでも遅くはない。
「まず動け。
体を鍛えろ。
本を読め。
そして己に自信を持つことだ。
そこから始めろ!」
土方歳三の四季
六月------「池田屋騒動」
忘れもしない祇園祭の宵山の日だった。
以前から不審な動きをする人物を、探索方の山崎燕と川島勝司に見張らせていた所、その男の家から大量の弓、槍、火縄銃などの武器が発見された。その男の名は古高俊太郎。
すぐさま捕えて、拷問にかけ問いただした結果、背筋が凍るような事実が判明した。それは風の強い深夜、京都の町に火を放ち、その動乱に紛れ天皇をかどわかし、政権を一挙に覆そうとする、長州どもの悪巧みだった。しかし、俺達はそれを未然に防いだ。
激闘の末、俺達新撰組にも犠牲者は出たが、長州の陰謀は完全に潰す事ができた。
翌早朝、我々は喀血した沖田総司をかばい、傷ついた者を内側にして屯所に戻った。
屯所に帰るまでの道端は事情を知り、我々に感謝の気持ちを伝える京の人々で埋まった。人々の安堵の顔を見た時、俺は思った。
俺達のやった事は間違ってはいなかったと。
後の世に俺の拷問が凄まじかったとか、残忍だったとか、色々取り沙汰されたらしいが…。
俺は京の町が好きで、そこに住む人々のことを守りたかっただけだ。
親を失くし、家を焼かれ、路頭に迷う子供達、
一体誰が責任を取るというのだ。
俺は愛する者の為なら喜んで鬼になる。
「お前に、その勇気はあるか?」
土方歳三の四季
七月------「七夕」
小さな頃はくそ面白くも無かった。
「何が願い事だ。笑わすな」
そんな思いでいつも居たよ。
多分可愛げのない子供だった。そんな気がする。
しかし、願い事は必ず書いた。
願い事はいつも二つ。
一つ目それは、
「早く大人になりたい!」
もう一つは、
「源さんのような男になりたい!」
この思いは、歳を重ねてもずっと俺の中にあった。
独り立ちした今も、ほろ苦い思いとして俺の心の中にあり
ある時、不意に頭をもたげ、俺を幼い頃に引き戻す。
当たり前の事だが、今は七夕に願い事はしない。
己の夢は己で掴め。
それが俺の偽りの無い気持ちだ。
俺が自ら貫いた道だからな。
「お前達、ゆっくり大人になれ。
そして己の信じる道を行け!」
土方歳三の四季
八月------「友」
俺には親がいなかった…。
母の顔さえ覚えていない…。
しかし淋しくは無かった。
親はいなかったが、掛けがえのない友が多くいたからだ。
故郷多摩で過ごした子供の頃の出来事は、新撰組で送った時と同じぐらい、いや俺にとってはそれ以上に懐かしく、強烈な思い出として今も俺の中に鮮やかに蘇る。
子供の頃から、いつも離れる事のなかった運命共同体ともいえる男。
近藤勇。
俺が兄とも慕い、こんな男になりたいと憧れ続けた男。
井上源三郎。
反対に俺を兄のように思ってくれいつも周りを明るくしてくれた男。
沖田総司。
もちろん新撰組にもいた。
俺を友と思ってくれた男達が。
俺を大砲の砲撃から身を挺し、俺をかばい死んだ男。
志村武蔵。
俺の死後も俺の戒名を懐に入れ離さなかった男。
島田魁。
俺を信じ函館まで転戦し、国の為に戦って黙って死んでいった男。
蟻通勘吾。
数え上げればきりが無いほど、俺は色んな男達に支えられ生きていたのだ。
硬派で、頑固で、けれど一途な男ども…。
お前達、友はいるか?
心を許せる友はいるか?
悲しみを喜びを分かち合える友はいるか?
人は一人では生きていけないぞ。
「心を開いてぶつかって行け!
さすれば道は開かれん。」
土方歳三の四季
九月------「剣術大会」
この大会は勝ち抜き戦で十六人が選ばれ、
勝った者が上がっていくやり方だ。
必ず最後まで残るのが居る。
それは常連組の沖田総司と永倉新八。
応援する者も贔屓の者が勝てば力が入り、
やんやの喝采があちこちで起きた。
当然心秘かに、
「俺も来年は出るぞ!」
と思う奴もいた。
最後に優勝するのは大体常連組みだったが、
ある時大穴が優勝した。
そいつの名前は吉村貫一郎。
この男賞金の二十両をそっくり故郷の妻子に送金した。
まあ、酒や女に使うよりよっぽど好い事だ。
この剣術大会は、最初に屯所を置いていた八木邸の時から、
年に一度は開いていた。
源さんの提案だ。
源さんは人間関係を親密にするのは勿論、
剣の稽古にいっそう力が入る事を、見込んでいたのだ。
源さんの読み通り、剣術の稽古には皆今まで以上に真剣に取り組み、人間関係も好くなったと俺は思っている。
「お前達、真剣に一つの事に取り組んでみろ。
汗まみれになる迄やってみろ。
勝っても負けても悔いは残すな!」
土方歳三の四季
十月------「勝ちゃん(近藤勇)との事」
俺と勝ちゃんは小さい頃から本当に気があった。
本などでは試衛館で初めて知り合って、意気投合したと書いてあるがそれは違う。
俺達は物心のついた頃よりなぜか何時も一緒だった。
親同士が寄り合いなどでお互いの家を行き来するようになってから、勝ちゃんが親について来たのが始まりだった。
俺は評判のガキ大将だったが、人見知りはひどかった。
しかしなぜか勝ちゃんとは気があった。
遊んでいて本当に楽しかったのだ。
俺達は同じ村に住んでいなかったので、会いたくなると勝ちゃんが作男に馬で連れて来てもらい、そして思う存分遊んで、夕方また迎えに来てもらい帰っていった。
船に乗せられ会いに来てくれた事もあった。
小さい頃から勝ちゃんは、人が好くどっしり構えていた。
俺は動くのが好きで、いつも仲間を連れて敵を調べに行く実行部隊だった。面白いものだ。その時すでに、俺達の役割らしきものが出来ようとしていたのだ。
新撰組で俺は、鬼であり冷血な男に徹した。
その訳は、理解してもらえないかもしれないが、
新撰組の為であり勝ちゃんの為だ。
本当の近藤勇を知っているのは俺と源さんだけだ。
人の好いだけの勝ちゃんを見捨てる事なぞ、俺には出来なかった。
「お前達、少なくとも俺は近藤勇に見返なぞ望まなんだ。
人の為に己を捨ててみろ、気持ちいいぞ」
土方歳三の四季
十一月------「紅葉見物」
俺達が新撰組として一番輝いていた頃の思い出だ。
紅葉見物とは名ばかり。
ようは皆でワイワイガヤガヤ言って酒を飲み、
埒も無い事を言い笑う。それが目的だ。
大抵は試衛館時代の仲間が中心となり行っていた。
酒や弁当は現地調達。
適当に手にはいる物ばかりで、大ざっぱこのうえない。
しかし、それが又面白く、知らぬ間に隊の結束に繋がっていたのだ。
ある時、原田佐之助が酔っ払い、突然川に飛び込んだ。
助けあげた時の、佐之助の言い訳がふるっていた。
「佐川さん(会津の家老)と城の堀で泳ぐ約束をしているから
その予行演習だ。
負けたくないからな!」
男達はそんな他愛も無い事に笑い、人生を楽しんでいた。
殺伐とした血を血で洗う新撰組の面影は、どこにも無かったよ。
人は、自分の意思とは関係のない人生を歩く時がある。
しかしそれが人の役に立つことならば、
俺は喜んでその道を進む。
俺が選んだ、俺だけの道だ。
「現代のお前達に聞く。
俺達の生き方には、ついて来れんか。
それとも、羨ましいか」
土方歳三の四季
十二月------「餅つき」
八木邸に屯所を置いていた頃の話だ。
暮れも押し詰まった十二月末、俺達は餅つきをした。
杵と臼を借り力に自信がある奴らが次々と餅をついていった。
島田魁にいたっては張り切りすぎて、臼を壊してしまう程の力の入れようだった。
この時ばかりは無礼講で皆子供の様な顔をして、俺も俺もと杵を握って餅をついた。
日頃の緊張感を一気に吐き出すような、皆のはしゃぎようだった。
近藤局長も仲間に入ってくる。
勿論食べる事に終始して、又餅を喉につまらせるのではないかと、周囲をハラハラさせ、そして挙句の果てに、出来立ての餅を食いすぎて、いつもの様に喉に詰まらせていた。
源さんなどは慣れたもので、局長の背中を思い切りたたいて、餅を吐き出さしてやれやれと言う顔をしている。
そして皆も大声で笑っている。
これが本来の人間の姿なのに、明日になれば又、修羅場の世界が待っているのか…。
男達の顔を見ながら、俺はこの束の間の平和が、いつまでも続けば良いと、その時本気で思った。
お前達、小さな事で悩むな。
同じ人間同士が傷つけあい憎しみ合う。
そんな時代にしか、俺は生きられなかった。
しかし今はどうだ。
その気になれば何でも出来るんだぞ。
人のせいにするな。
自分の道は自分で決めろ!
「お前達、平和な今を存分に生きろ!」
「鬼になった男」
土方歳三についてまだ本当に書ききれていない。
そんな想いでいた時、源さんが話してくれた。
「土方さんは自分から鬼になったのです。
多摩にいる時の土方さんは、利発で優しい少年でした。
しかし、誰かが鬼の役をやらねばならない。京都の町で、二百人にも膨れ上がった隊士をまとめるには、どうしても鉄の掟が必要だったのです。
隊の中には、長州の間者も送り込まれているかも知れない。そんな中で土方さんは、近藤局長に泥水を飲ませる訳にはいかないと、そう思ったのでしょう。
だから、自分がその役目を買って出たのです」
ある時、彼は言った。
「京都に来て、初めて人を斬った時、俺は物凄い自責の念に襲われ、何日も眠れなかった。平和のために戦っているのに、俺が斬った相手の家族の事を思うと、心が萎えてしまい毎晩のように斬った男達の夢を見て、悩みに悩んだ」
そして彼は誰にも言わず、一つの決断を胸にしまい込んだ。
「これは時代のせいだ。
時代が俺をこうさせた。
時代が俺に人斬りの仕事をさせている。
この戦いを終わらせない限り、
人々の悲しみは無くならない。
平和は来ないのだ」
こうして彼は、自ら鬼となっていった。
池田屋騒動の主犯格、古高俊太郎を拷問にかけた時、彼は男を逆さ吊りにして、迷わず足の甲に五寸釘を打ち込み、その傷口に蝋燭のロウを流し込んだ。それにはいくら長州の強者といえども、音をあげた。これも自分でやったと、彼は言った。又、局中法度でも二十人いや、三十人近くを切腹させている。
土方歳三は、はっきりと濁りのない声で話した。
「所詮、寄せ集めの人間を一つにまとめるには、誰かが皆に恐れられる、鬼にならねば仕方なかったのだ。古高俊太郎の家を探索した時、多くの火薬、弓、槍、刀等が見つかった。これは早く自白させないと、京の人達が、路頭に迷う。罪の無い子供達の行き場所がなくなる。その事しか頭になかった。
だから、鬼にもなれたのだ!」
又、隊士を局中法度の名の下で切腹させる時でも、見届け人として、近藤勇、長倉新八、山南敬介、沖田総司、土方歳三、そして首切り役の斉藤一、これだけの男達が心の中で手を合わすのだった。
私は、土方さんに聞いた。
「そんな嫌なこと、誰か一人が見届ければ済む事でしょう」
しかし彼は静かにこう言った。
「旅立つ男に対しての我々の礼儀なのだ」
山南敬介が内部のイザコザで腹を切った時、土方歳三は誰も居ない所で涙を流した。そして、山南敬介がひいきにしていた遊郭の女郎明里さんを、皆でお金を出し合い身請けさせ田舎に返してあげた。
「・・・・」
私には解らない、男の世界は難しい。
でも、もしかしたら、今より生き甲斐があったのかも知れない…。
源さんがポツリと言った。
「隊士は皆、土方さんの事を恐れながら慕っていました」
今もなお、私の耳に残っている彼の言葉が蘇ってきた。
「時代が俺を人斬りにさせた」
「魂の叫び」
甘甘亭の話を教えてもらった時、
私は土方さんやお仲間さんに聞いてみた。
「私のこと、甘甘亭の女将さんって、知っていました?」
すると、得意げな源さんの声がしました。
「勿論ですよ!天界から一目見ただけで分かりましたよ」
源さん懐かしさのあまり、土方さんから補佐にと呼ばれた直後、
私が働いていた占いの店に、会いに来てくれていました。
一応名目は守護霊としての挨拶ということ。
「源さん、本当は女将さんに会いたかったんでしょ?」
という私の問いに源さん照れ笑いをするだけで、何も教えてくれませんでした。
ほかのお仲間さん達は、よく似ているが服装や髪型が違うので、
(はっきり断定は出来ないが、多分女将さんなんだろう。
そうあって欲しい)
と思っていたそうです。
土方さんも最初は「よく似ている」その程度だったみたいです。
その時、私はあることを思い出し、土方さんに聞きました。
「土方さん、北海道に行って皆さんを救って欲しいと言ったのは、私が女将さんだったからなんですか?」
と言う私の疑問に土方さんは、
「いえ、それは違います。
海瑛殿を見てこの人なら行ってくれる。そう思ったのです。
そして、もし私を信じて行って頂けるのならば、それは北海道で百数十年の永き刻を、天界に昇ることも許されず、又自分が何故こんな所にいるのか、それすら解らず、ただ耐え忍び待っていた人々の、魂の叫びが、きっと海瑛殿に届くと思ったのです。
だからお願いしたのです」
土方さんはこの思いを、最初は私ではなく通訳の彼女に話しました。
「いま土方さんが、海瑛さんに北海道に行って欲しいと言われています」
彼女の説明に、
「ハァ…?」
これがその時の私の、曖昧で正直な気持ちでした。
その後土方さんが敵味方を問わず、彷徨っている全ての人達を助け
「天界へ上げてやりたい」
という気持ちを、ずっと持ち続けているという事を知り、その土方さんの言葉に感動して!
いや、本当は半信半疑で…。
私は何の下調べもせず、航空券だけを握り締めて、北海道へと飛び出して行ったのでした。北海道に行ってからも、夢を見ている様なさまざまな信じられない出来事が、私の周りを通り過ぎて行きます。混乱して、迷って、けれども、その後に来る押さえきれない感動に支えられ、今の私は確信をもって言えます。
私は北海道で待っていた人々の、魂の叫びに導かれたのだという事。
そして三千人もの人達を、天界へと救いだすお手伝いができたという事を。
私の頭の中には色んな天界の方々や、土方さん、そしてお仲間さん達から教えられた言葉が詰まっています。
色んな点が寄り集まってある時、一本の線になります。
パズルの最後の一個がカチリと音をたててはまります。
それらを繋ぎ合わせると小さな奇跡が起き、一つの文章が完成されるのです。こうして起きる出来事は全てにおいて常識の枠を超えた、日常生活の中では信じられないような事なのです。
気に留めなければ、そのまま流れていってしまいます。
風が何かを揺らしているような、何かを語りかけているような、そんな一瞬が、見えない世界への入り口に通じています。
それらの一つでも受け止められた時、自分がどれだけ見えない力に守られ、愛されているかが、解るのです。
そしてその時初めて、その全ての状況が飲みこめ、納得する事ができるのです。
北海道の時もそうでした。地味で孤独な旅でした。
けれど刻が経ち、パズルが完成した時、私の中にいい知れぬ感動が生まれます。
私の喜びはいつも数ヶ月遅れでやってきます。
小さな不思議をいっぱい頭の中から拾いだし、一本の永い文章にした時、私はこの世界の存在を改めて確信します。
世界は広いです。
何が起こっても不思議ではありません。
今の私はそれを信じる事ができるのです。
海瑛
春の章 完
土方歳三が夢見た新撰組
人は彼らの事をこう言います。
日本最強の武装軍団、あるいは人斬り集団と。
土方歳三が京の人々を守るため鬼となり、古高俊太郎を拷問にかけた時も、又局長法度の掟を破った隊士を切腹させた時もその一部だけを話題にし、それが新撰組の全てかのように映しだす。
眉ひとつ動かさず人を斬り捨てる。それが新撰組の全てであるかのように。けれどそれは違う。間違っている。
それはほんの彼ら新撰組の一部分でしかない。
なぜなら、身に降りかかる火の粉は振り払うしかなかったから。
土方歳三が夢見た新撰組とは家族そのもの。
辛い時には一致団結し、成功した時には共に喜び合う。
それが彼の夢。いや新撰組そのものなのです。
だからそれを乱す者が現れた時、土方歳三は鬼と化し、どんな事をしても新撰組を守り貫いたのです。
親を知らない彼にとって新撰組の仲間こそが、守るに値する家族だったのです。武士に憧れ、走り続けた男にとって、唯一帰る事の出来る場所、それが新撰組。
幕末、動乱、下克上、そんな中で鬼と言われた男が、どれだけ皆に慕われていたか。京の人斬り軍団と言われた隊士達が、どれだけ優しく、友を大事にしていたか、京の町をどれだけ真剣に守っていたか、という事を知ってもらいたいのです。
「守護霊 土方歳三」とは、
占い師海瑛が、そのつど本人達に聞きながら創りだし綴っていく物語です。
占い師海瑛が出逢った
「守護霊 土方歳三」とその仲間達
幕末と言う大きな時代のうねりに巻き込まれ、戦いの中でしか生きられなかった男達が、この世に生まれる事の素晴らしさ、平和な今を生きられる幸福を、天界より舞い降り、直接海瑛に話しかけます。
「仲間達 井上源三郎」
鬼の土方、仏の源さんと言われる様に、この人がいたから土方歳三は隊士を厳しく躾ける事ができたのです。実をいうと源さんは、北海道に行く時から私について居てくれた人。それまで私の守護霊様は土方さんだけ。なんせ彼は成り立ての新米守護霊様。本当に大変だったようで、実際いろんな事が起こり、私も二度ほど死にかけた。この話もいつか書きたいと思っているが、今は話を戻します。土方さん、私の眠っている間に例のお坊様にお願いしたらしい。
「北海道は万全を期したいので、井上源三郎さんと志村武蔵の二人をつけて頂きたい」
そして、
「海瑛殿が良しと言われたら、源さんを自分の補佐に加えたい」
早い話、今私には、左後ろに土方さん、そして右後ろに源さんが居てくれる状態。その源さんに聞いたお話、忠実に書くつもりでいる。
私から見た、いや感じた源さんは、本当に人が好く、国を思い、恩を尊び、信念に生きた典型的な武士。源さんは比較的私には楽な人。いつも優しい気を流して、私を落ち着かせてくれる。私は源さんに言った。
「私がお仲間さん達に本当に聞きたい事は、歴史上に載っている事ではなく、亡くなる前の本音とか、誰にも見せなかった素顔が知りたい」
私のお願いを黙って聞いていてくれた源さんは、襟をただし真剣に一生縣命答えてくれた。
まずは最初から、意地悪覚悟で、辛い思い出から聞いてみた。それでも源さんは嫌がらず、時には言葉を詰まらせながら語ってくれた。
「私は海瑛殿に付く以前に、一人の日本兵の守護霊をしていました。
その若者は人殺しが嫌だったが、無理やり戦場に行かされ、そして戦死してしまった。その時、私は自分の宿命を呪いました。守りきれなかった事が辛かったのです。
なぜ人間は、いつも、いつも、愚かな殺戮を繰り返すのか。何十年経っても人は過ちを繰り返すのか。やり切れない気持ちで一杯でした。
それと鳥羽伏見の戦いの時の事です。
錦の御旗を見た時、私は自分の目を疑いました。
先の天皇の時、私達は官軍だったのですから、蛤御門の戦いでも、先の孝明天皇より金子を頂戴し、お褒めの言葉も頂いた。だからどんな事をしても錦の御旗を取り返したかった。
私は吉村貫一郎、志村武蔵、高田文二郎の三人と、側面より奇襲をかけ斬り込もうとしましたが、無念にも撃たれてしまいました。私は必ず、みんな揃って多摩に帰るつもりでしたが、それが出来なくなった事が、辛く悲しかったです。
しかし、私の甥に井上泰介という男がおりまして、これも又新撰組の隊士でしたが、私が戦死した後、私の首を斬り、寺に持って行き、弔ってくれました。有難かったです…」
土方さんにも、大阪と京都の中間あたりの淀という所で、この井上泰介から、
「井上源三郎死す」
という現実が伝えられ、その時の気持ちを土方さんに聞くと、
「信じたくなかった…」
という重い言葉が返ってきた。
その空気を打ち破るかのように、源さんが言った。
「嬉しい事もありますよ。
私の子孫が今でも、多摩で剣を教えながら元気で暮らしています。
そしてその子孫達は、私の命日には忘れず供養してくれています。
自慢の子孫なんですよ」
今度は楽しかった事を聞いてみた。
「やはり池田屋の頃ですかなぁ~。
皆が一番、光り輝いていた気がします。
なんせ京の人達を、長州の陰謀から守る事が出来たのですからね。
それとよく土方さん、永倉君、原田佐之助達と酒を飲んだ事、楽しかったです。
それと、昔の事も思い出しましたよ。
私が十二か十三歳の頃、土方さんと二人で、蜂の巣を取ろうとしましてね。蜂の巣は何とか捕ったのですが、私も土方さんもあっちこっち刺され、あまりの痛さに逃げ廻り、転げ廻り、最後は身体中擦り剥いて、土方さんの家で薬を塗ってもらい、後でこっ酷く怒られました。いやぁー、楽しかったです」
その時、私には二人が目を合わせ、苦笑いをしたような気がした。
「源さん、今の日本を見てどう思いますか?」
という私の質問に、源さんは胸を張り言いました。
「平和こそが一番の宝物。
私は今でも幕府が安泰であったら、戦いは無かったと確信しています。刀とは平和の為に使うものだと信じていましたからね」
「仲間達 島田魁」
この男、土方さんが戦死したという知らせを聞いた時、しばらく信じる事ができなかった。
しかしそれが真実だと分かると、腹掻き斬って地獄の果て迄もお供する覚悟があったが、弁天台場を守っていた、永井さんという人の説得で命をながらえた。真面目で忠義が着物を着て歩いているような男。身長百八十センチ、体重百四十キロ、その巨漢で敵の中へ先陣を切って突っ込んで行き、敵を震えあがらせる土方歳三の懐刀。それが島田魁の役目であった。しかしこの男、見かけとは全然違う。下戸で甘い物と子供が大好きな愛すべき奴。
私海瑛の、
「戦いの時、辛くは無かった?」
という問いに
「土方さんの元で働けるだけで本望」
という返事が返ってきた。
そして、今の世の中は、あまりにも感謝の心が無いとも言った。
「我々は、戦いが起これば、それこそ飲まず食わずで戦う。時には、三日も四日も物資が届かなくて、雨水を飲んでその場をしのいだ。そしてにぎりめしが届いた時、飯がこんなにも旨いものだったのかと、泣いてしまった。幹部は甘党が多く、特に私と原田佐之助とは、よく非番にぜんざいを一緒に食べに行った。こんな小さな出来事がどんなに幸せな事か、戦をして始めて分かった。そんな当たり前の日々を、我々はどんな事をしても守りたかった」
最後になぜ戦うのかと聞くと、
「私は子供達の為に戦った。山南さんや沖田君が壬生のお寺で、子供達と鬼ごっこをしているのを見て、絶対この平和を壊させないと思った」
島田魁は信念を持ち走り続け、土方さんを信じ戦い貫いた。
彼は明治になって、志願して西本願寺の守衛として働いた。
それは新撰組が、屯所としてこの寺を借りた事へのお詫び心。どこまで忠義な男なのか。
晩年彼は、心形刀流の道場を開き、そこで子供達に剣を教え、稽古の後、子供達と甘い物を食べるのを、何よりの楽しみにしていたという。三重に今もその道場は残っている。
「島田さんにとって新撰組って何?」
と聞いた時、彼は迷う事無く、大きな自信に満ちた声で言った。
「時代そのものでござる」
「仲間達 蟻通勘吾」
土方さんが連れてきたお仲間さんの中に、蟻通勘吾という人がいる。最初、どういう人か全く分からずインターネットで調べた。そうしたら、新撰組には早期に入隊し池田屋事件にも参戦した古参隊士と出ていた。だが生涯平隊士とも書いてあった。私達はこの部分を突いて盛り上がってしまった。散々酒の肴にしていた。
もちろん悪気は無かったのだが…
その時誰かが、
「でも、古参でずっと新撰組一筋って言うのは、凄い事ですよね」
と言った。
「その通りだ!」
私の頭の中に落雷のような声が響きわたった。
(エー、聞こえているの…)
あとで聞くと、その声の主は、熱血漢の会津の家老、佐川官兵衛さんだった。
私は悪い事をしたと思いすぐに謝ったが、佐川さんなかなか許してくれず、私の事を毛嫌いして、私が側に行くと、身体中がチクチクするような「気」を流し、私を無視していた。
今回、蟻通さんに私の前に来てもらって、すぐにその時の無礼な発言のお詫びを入れたのだが、返ってきた言葉が、
「どうぞお構いなく」
その一言だけ。
そっけない。
私ちょっと苦手かも知れない。
それで土方さんに、
「蟻通勘吾さんってどんな人?」
と聞くと、
「頑固者」
その一言が返ってきた。
仕方がないので今度は話題を変えて蟻通さんに、
「土方さんってどんな人ですか?」
と聞いた。
その途端、彼は饒舌になった。
「凄い方です。
尊敬しております。
わたくしは、この日をどれ程待ち望んだ事か。
土方先生が海瑛殿の守護霊になられた時から、
わたくしは天界でいつ呼んでいただけるか、
じっと見守っており申した。
本当に嬉しいです」
だって。
声まで優しく変わっていた。
ほんと、一本筋の通った頑固な人だわ。
最後に私は敬意を込めて彼に言った。
「ごめんね蟻ちゃん。
あなたは本当に、筋金入りの日本男子だね」
「仲間達 尾形俊太郎」
私はこの人に、しばらく頭のあがらない様な失敗をしてしまった。
土方さんと出逢ってから私は、一日の終わりに感謝の気持ちを込めて膳を出している。
その時私は、私と私の家を守ってくれている人達の名前を、一人一人読み上げお礼を言い、
「粗末な物ですが、ゆっくり召し上がれ」
と言う。
皆さん、多分満足してくれていると思っていた。
しかしある日、私の家に遊びに来ていた彼女に、
「海瑛さん何か忘れていませんか?」
と言われた。
「うん?何の事?」
訳が分からなかった。
すると彼女、言いにくそうに、
「あのね、尾形さんの名前呼ばれてないですよ」
「嘘…!? だって彼はあなたの守護霊様」
実を言うと彼女を守っている守護霊様の一人が尾形俊太郎。
私は彼女に付いて帰っているとばかり思っていた。
しかし彼は膳の時、一日の終わりのけじめとして、整列してくれていた…。
うちに来てくれている人達は、たとえおにぎり一個にお水一杯だとしても、
皆さん正座して私の後ろに並んでくれている。
(どんなに肩身が狭かったろう、私二ヶ月近くも呼んでない!)
「なんでもっと早く、教えてくれなかったのー…」
「まぁ、言うほどの事でもないかなー…」
土方さんの場合はもっとひどくて、
「何度も教えた」
と言われ、その上、
「海瑛にはもう少し霊格があると思っていた」
とまで言われた。ショックだ!
私は恐る恐る彼女に聞いた。
「ねえ、俊ちゃんどんな顔してる?」
「完全に落ち込んでいます」
「でも、でも、私のせいじゃない。
絶対違う、何かおかしいよ」
私はその日の夕膳に、わざと大きな声で「尾形さん」と呼んだ。
無論、返事は無い。
三十分後、膳を下げてすぐ彼女に電話をかけた。
「俊ちゃんもう帰った? どんな顔してる?」
「そうですね、まだ少し、ふて腐れてますよ。
私が呼んでも無視します」
(困った、どうしょう。でも私のせいでは無いのに…)
私は考えた末、次の日彼女に来てもらい、お侘びをいれた。
「ごめん、本当にごめん。一緒に帰っていると思っていました。
ごめんなさい」
しかし、相変わらずの無反応。ウンともスンとも言ってくれない。
それでも私は夕膳で言った。
「私のミスで尾形俊太郎さんの名前を、呼んでいませんでした。
でもこれからは、ずっとずっと一緒です」
それから一時間ほどして、彼女から電話があり
「俊ちゃん、何か夕飯がものすごく美味しかったって、ご機嫌で帰ってきましたよ」
土方さんの写真が、やけに意地悪そうに見えたのは、私が疲れていたからだろうか?
そして次の日から、私はこう言う話し方をした。
「今日も一日お世話になりました。
土方さん、そしてお仲間の皆さん、どうぞ召し上がれ」
(名前で言うのは、もうやめた…)
「仲間達 永倉新八 その一」
正直言って、この人は重たかった。
私の心では、受けとめる事の出来ない何かを背負って、私の前に来てくれた。
今までのお仲間さん達は、土方さんと源さんがいるから、結構緊張はするものの、皆さん今までの出来事を晴れ晴れと、楽しい思い出として話してくれた。
だから受けとめる私としても楽だった。しかしこの人は違っていた。話をしょうとするのだが、私の心では受けとめられなかった。私の心が、悲しくなっていくのだ。
それで、この日は私の方から訳を話し、後日という事にしてもらったが、どうしてこんなに辛い気持ちが入ってくるのか、土方さんと源さんに聞くと、永倉新八は愛する人を長州の侍に斬り殺されていたのだ。
(これなんだ。彼が背負っていた十字架は…)
数日後、私は一番辛い話を聞いた。
「永倉さん、私は貴方がどういう人か、そういう事には、それほど興味はありません。
それを知りたければ、歴史の本や新撰組の本を買えば載っている。
けれど、いま私の前には本物の永倉新八がいる。だから教えてくれませんか。
貴方のその寂しさは、愛する人を失くしたからなのですか?」
しばらくの沈黙の後、彼は言った。
「そうです」
「話してくれませんか。
貴方にしか分からない寂しさを…」
そして又しばらくの沈黙の後、彼は言った。
「分かりました」
そう言って、永倉新八は重い口を開きました。
「妻の名はこずねと言います。
山南さんと同じで、こずねも遊郭で働いていました。
私が最初の客でした。私はこずねが好きになりました。
私が言うのも変ですが、可愛くて気立てが好くてよく気がつき、摺れていないのです。
私はすぐに身請けをして、所帯を持ちました。
本当に夢の様な日々でした…。
二人で居るだけで楽しくて、いつも笑顔が絶えませんでした。
近所の人達にもこずねの評判は好く、可愛がってもらっていました。
後は子供が授かれば、何も言う事の無いくらい、幸せな日々でした。
しかし、その幸せも、二年しか続かなかった…
薩長の連中が鳥羽伏見の戦いを起こし、我々も戦う事になったのです。私はこずねが心配で、何かあればすぐに逃げろと、いつも言っていました。離れている時はいつも心配で、勤めが終わり家に帰り可愛い笑顔を見るとほっとしました。
けれど突然、悪夢は私達を襲った。
私はある日、物凄い胸騒ぎを覚え、同僚の原田佐之助とこずねの所へ向かいました。
家の近くで官軍の兵士とすれ違い、嫌な予感が私を包みました。
私は新撰組の羽織を脱いでいたので、素浪人と思われたのでしょう。
官軍の奴らは私の横をすり抜けて行きました。
家に入り私は愕然とした。こずねが倒れていたのです。
すぐ抱き起こしたが虫の息だった。
私が、「誰にやられた」
と聞くと、こずねは苦しい息の下で、
「黒い服を着た官軍に斬られた」
そう言って息をひきとりました。
私は何が起こったのか訳が分からなかったが、すぐに官軍の後を追い、見つけ出し刀を抜いてこう言った。
「新撰組二番隊隊長永倉新八、我が妻の仇思い知れ!」
官軍二人は殺した。
私は斬った後、涙が止まらなかった。
戦をしているのは我々で、女房子供ではない。
なぜ斬る必要があるのか?
家に帰ると原田が立っていた。
あのいつも陽気な奴が、号泣していた…
私が一番愛した女。それがこずねです」
(しかし私は思った。たとえ二年であろうと、こんな素晴らしい日々があった。これは幸せな事ではないだろうか。
無論、気休めにしかならない事は、十分解かってはいたけれど…)
それを言うと、彼もうなずいてくれた。
最後にこずねさんとの、楽しい思い出を聞いてみた。
「そうですね。楽しい事はいっぱいあるが、面白い事があったのでそれをお話しましょう。
ある日の事でした。家に帰り羽織を脱ぐと、こずねの顔色が変わったんです。羽織を手に持ち般若のように目を吊り上げていた。
私はびっくりして、
「どうしたんだ」
と聞くと、こずねは怖い顔のまま羽織を私に見せました。
そこには何と、紅がついていたんです。
それに微かですが、おしろいの匂いもしていた。
私は驚いた。絶対身に覚えが無かったからです。
しかし、いくら弁解してもこずねは許してくれず、とうとう家から追い出されてしまいました。途方にくれた私は、とりあえず井上源三郎さんを訪ね、訳を話し助けを乞いました。すると、さすが源さん。すぐにこの不可解な謎を解いてくれましたよ。
私はその日、勤めが終わり、屯所の中にある風呂で汗を流していました。その時、偶然土方さんが来て、一緒に入っていました。
私達は背丈も同じくらいで、羽織も同じ寸法だったのでしょう。
つまり、私が間違って土方さんの羽織を着て帰ってしまったのです。
土方さんは多分非番で、遊郭からの帰りだったのでしょう。
だから私は源さんに家まで付いて来て貰い、訳を話してその場は何とか納まりましたが、その後も、なかなか信じてはくれませんでしたよ。しかし、今になっては楽しい思い出です…」
私の前から去る時の永倉さんの「気」はとても軽かった。
話をする事で少しだけ心が晴れたのだろうか。
私は思う。本当に凄い男だからこそ、一人の女を心から愛する事ができたのだ。だから百数十年の刻が経っても、永倉新八の心の中に、こずねさんは変わる事なく、鮮やかに生きているのだろう。
いつまでも色あせずに…
その後、永倉新八は、こずねさんと再会できました。例のお坊様が、海瑛の所にこずねさんを連れて来て晴れて二人は話をする事ができ、今こずねさんは天界で、永倉さんが守護霊のお役目に励んでいるのを、娘さんと三人で応援しています。
「仲間達 永倉新八 その二」
以前この人から話を聞いて書いた、奥さんとの悲しいお話の中に、間違いがあったので、今からそれを書きます。
永倉さんの話では子供はいない、と言っていたのですが、
「女の子が居た」
と書いてある本を見つけたので、その事を本人に聞くと
意外な言葉が返ってきました。それは、
「生まれてきた子は、双子の女の子だったんです。
あの時代は双子を忌み嫌いました。
畜生腹と言って、白い目で見られるのです。
だから言わなかったのです。
しかし、こずねが殺され戦が始まりました。
私は仕方なく、子供達を里子に出した。
十分な金子と一緒に、それしか方法がなかった…
それからどれだけの月日が過ぎたのか。
生きて会えるとは思っていなかった娘と再会したのは、
私が新撰組で共に戦った、島田魁の葬儀の時でした。
娘は、私の事を育ての親から聞いていたのでした。
そして偶然、島田の葬儀のときに、私の名前を教えられたそうです。
娘の方から声をかけてくれました。
後日、私達は場所を変えて会いました。
語りつくせぬ思いを胸に。
私が会ったのは姉の方でした。
妹は幼い時に流行病で亡くなったそうです。
嬉しさ半分、悲しさ半分の再会でした」
「仲間達 山崎燕」
お仲間さん達はまだ沢山います。日が経つにつれ、土方さんが必要に応じて呼んでくれるから、我が家は今、新撰組の屯所状態。土方さんが直々呼んだ人意外でも、平気で出入りしている人がいます。その男の名前は山崎燕。池田屋事件で一躍有名になった男。しかし何故か謎の多い男とされ、資料もあまり無いらしいので、土方軍団の一人ではないけれど、紹介しようと思います。実はこの人メチャメチャ面白い。大阪生まれで針師の息子。日本で始めて水葬にされた人物でもあります。戦闘中敵に顔を斬られ、回天という幕府軍の軍艦の船内で死亡し、船の上から海に棺を流された。彼の棺は潮に乗り、清水港に打ち上げられ、そこでその棺を拾い上げ、火葬にしてくれた人が居る。(その人の名は清水の次郎長)
その人物のお陰で彼は天界に昇る事ができ、四十年間針の修行をしたらしい。
けれど彼に年齢を聞くと頑として、二十七歳と言い張る。
(天界という所は、自分がなりたい刻の自分になれるらしい)
それと面白いのが彼の口癖。
「私って目立たないんですよねー」
(スパイが目立ってたまるか!)
今回お仲間さん達のことを書くに当たって、黒龍を書いている辺からなぜか山崎という名前が、私の頭の中を行ったり来たりするので彼女に言うと、
「多分、近くから念を飛ばしていたんじゃないかなあ~。
振り向いて貰いたかったんじゃないですか」
と言われた。
だったら、と言う事で、本人を呼び出し彼女と二人で、
「本当の事言わないと、土方さんに言って出入り禁止にする!」
と脅かすと簡単に吐いた。
毎日近くに来て呟いていたらしい。
「山崎、山崎、山崎燕です」
私生活でも失恋をして、やけくそで隊に入ったらしい。本人に確かめたら、溜息をついていたから多分本当だろう。それも二度落ちて三度目でやっと合格。私の膳にも、ちゃっかり並んでいるらしい。
私が、「何か面白い話をして」
と言ったら、凄い話をしてくれた。
あの時代は今ほど娯楽は無い。だから仕事か、恋か、剣に励む。
彼は小柄で華奢だったので結構男にもてたらしい…?
ある日、何処でどうなったのか、あられも無い姿で逃げ廻っている山崎燕がいた。
幸か不幸か、見廻り中の土方さんと源さんにばったり出くわして助かったらしい。
源さんに、
「本当なの、男の人に追っかけられてたって?」
と聞くと苦笑いしながら、
「本当です。びっくりしましたよ」
と言う返事が返ってきた。
念の為、土方さんにも、
「土方さん、これって局中法度に触れて切腹ものでしょう」
と聞くと、
「刀がけがれる」
と相手にしなかった。
山崎燕は当分、我が家の正社員になれそうにない。
空きが有っても、土方さん絶対入れてくれないと思う。
源さん曰く、
「悪い奴では無いが、うっとうしいですわ」
(お馬鹿な所だけ書きましたが、この男本当は凄い切れ者です。
本人の名誉挽回の為にも、かっこいい山崎燕をいつか書くつもりです)
「仲間達 近藤勇」
この人はうちのお仲間さんにはまだ入っていませんが、土方さんと源さんが、近藤さんに怒られそう。と言いながらも結構楽しそうに教えてくれた近藤勇の秘密。
近藤勇で私が連想する事といえば、そう、顔がでかくて怖い。それと口もでかく自分の拳が口の中に入れられる。それと、極め付きは、女にだらしが無い事。これはあくまで私の個人的見解。けれど好きか嫌いかと聞かれたら多分、あまり好きでないと答えると思う。しかし、今少しだけこの思いの中に、根は単純でお人好しという思いがでてきた。これは京都に屯所を置いていた頃の出来事だが、近藤勇はあんな顔をしているのに全く酒は飲めず、甘いものが大好きだった。土方さんから聞いた話では、近藤勇と二人で雑談をしていた時、永倉新八が外出先からお土産をもって帰ってきた。中身はぼたもちが十個。土方さんは二個食べたという。別に相手の食べた数など気にしていなかったが、ものの半刻も経たないうちに、残りのぼたもちは消えていたらしい。近藤勇は好物が出ると機嫌が好くなり、よく喋りよく喰ったそうだ。
だから、虫歯になって当たり前。以前から近藤勇は、歯が痛いとよくこぼしていたらしい。
それで土方さん早く医者に行くよう進めていたらしいが、何だかんだと言い訳をしてなかなか行かなかったそうだ。土方さんの再三の忠告に、やっと重い腰を上げ医者に行ったが、あっという間に帰ってきた。
「どうしたんですか?」
と土方さんが聞くと、
「前の患者が歯を抜くのを見てしまった。
あんな乱暴なやり方で抜かれてたまるか…。
もう行かん!」
苦虫を噛み潰したような顔で言い放った。
昔は今ほどの技術がなかったから、虫歯になるとぎりぎりまで我慢して、あとは抜くしか無かったらしい。そこで土方さん、島田魁、尾関雅次郎の両名を呼び一緒に行くよう命じ、近藤勇に迫った。
多分…
「武士らしく、思い切って抜きましょう」
とか何とか…。
その辺りになると土方さん、すごく歯切れが悪かったから、近藤さんかなり駄々をこねたのだろう。ついに土方さんも堪忍袋の尾が切れて、近藤さんに当身を喰らわせてから、島田におぶわせ、有無を言わさず疾風のごとく歯医者に向かわせた。
その後は、いう迄もなく、物凄い修羅場が待っていた。体重百四十キロの島田魁と、これも百キロ以上の尾関雅次郎に手と足を押さえこまれては、いかに近藤勇といえども、まな板の上の鯉状態で、あっという間に左下の親知らずを、麻酔も無しで抜かれ、その間も隊長らしからぬ珍語を連発していたらしい。
「そのあとは痛がっていた。
それとも照れていた。
土方さんの事怒ってた!」
私の野次馬的な質問に、今度は源さんが答えてくれた。
「それがあの人は怪物なんでしょうか?
ケロっとしているんです。
焼酎を布に含ませそれを噛んでいましたよ。
別に照れることも無く、普通に帰ってきて、土方さんにも、何もなかったように事情を話していましたし、二―三日後には、又まんじゅうをむしゃむしゃ喰っていましたからね」
うん…。用は単純なのか。
それとも、大物なのか。
私海瑛が、
「土方さんは歯医者に行ったことありますか?」
と聞くと、
「予防には行っていましたよ。
あんな風にはなりたくないですから」
涼しい顔で話してくれた。
(何か普通の人達…)
そんな気がした。
最後に土方さんがニヤリとして言った。
「勝ちゃん、バラした事怒ってないかな」
「仲間達 斉藤一」
この人は癖のある男だ。それが第一印象だった。
私の勘は当たった。
この文章を作る時、私はその人に会って納得するまで聞きまくる。
私が居て、通訳の彼女が居て、私の左後ろに土方さん、右後ろに源さんが見ている中で
私は色んな事を質問する。
一通りの事を聞き終わった後、いつものように、
「最後に何か言いたい事はありませんか?」
と聞く私。
その時突然、斉藤一の口から土方批判が始まった。
「土方さんに聞きたい事があります。
貴方はどうして会津を捨てたのですか。
どうして援軍を送ってくれなかった。
どうして北海道へ行ってしまった!」
私は正直びっくりした。
今まで何人もの人に私の前に来てもらい、素顔の仲間達に触れてきたが、全ての人が土方歳三に呼んでもらった事に満足していた。
身代わりに死んでいった人さえいるのだ。
しかし彼は違っていた。
重い沈黙が続いた…
土方さんは黙っている。
でも私には解っていた。
言いたい事を我慢している。
なぜなら、私のお腹の中のザワザワが最高潮に達していた。
「土方さん話した方がいい。
私も知りたい」
「・・・・・・」
「なぜ黙っているの?
このままだと悪者にされてしまう。
裏切り者にされてしまう」
「・・・・・・」
本当に長い沈黙の後、土方さんがポツリと言った。
「断られた」
私に聞こえる能力があれば、その言葉は血を吐くような一言だったと思う。
それでも斉藤一は食い下がった。
「ではなぜ、盛岡に行ってくれなかったのです。
あそこなら必ず援軍を寄こしてくれた筈です」
「盛岡には行くなと言われた」
ほとんど聞き取れないような声。
私のお腹のザワザワはずっと続いている。
この人は本当に辛い昔を思い出している。
平成に生きている私が出る幕でないのは解かっていたが、言わずにはいられなかった。
「斉藤さん、もしあなたが土方さんの立場だったらどうします?
仙台に行き、すがる思いで哀願したにも拘らず、
援軍は出せない。そのうえ、盛岡には行くな!
と言われたら、あなたなら如何する。
いくら土方歳三でも、一つの城は動かせない。
大きな流れは止められない。
この人が、どんな気持ちで北海道に渡ったか、分かりますか。
それはこの後の、神がかり的な土方さんの戦いぶりを見れば分かるでしょう」
(百数十年の刻を越えて、私は今、斉藤一と対峙し、そして土方歳三をかばっている…
不思議な気分だった…)
再び気まずく長い沈黙の後、斉藤さんが語り始めた。
「実は私は、会津の隠密でした。
多分、土方さんも薄々は感じていたでしょう。
しかし、いつしか私は新撰組に溶け込み、そして土方歳三という男に惹かれていきました。だから余計悔しかったのです。
けれど今の土方さんと海瑛さんの言葉で、今までの自分の中のわだかまりが溶けていくのが解かります。
私は西南戦争でも気持ちは新撰組で戦いました。
そして寿命を全うし、天界に来た時、必死で土方さんを探しました。
会いたかった。
無性に会いたかった。
会って話がしたかった。
心の中をぶちまけたかった…」
斉藤さんが泣いている。そんな気がした。
その時、彼女がそっと教えてくれた。
「あのね、今お二人が握手されています。
それも二人とも両手で握っていますよ」
人には心がある。
それが触れ合う時、奇蹟が起きる。
どれだけの刻が過ぎようと、人は信じる心を捨てない限り、
奇蹟は起きる。
今それが、男の友情として、花開いた。
「友情」
この話には続きがあった。
二人がぶつかり合った次の日、私は夕膳にお酒を供えた。
二人で酒を飲み、心ゆく迄話し合えばいい。
そういう私の心配りだった。
果たして上手くいったのか。
お互い譲り合うことのできない二人だから、又喧嘩しているのではないか、
心配性の私は少しだけ不安。
しかしそれは、いらぬ取り越し苦労のようだった。
二人は酒を酌み交わし、近藤さんの事、京都での思い出、叶わなかった夢などを、心ゆくまで話したそうだ。
最後には何と、お互いの腰の刀を交換したという。
ただしずっとでは無く、友情の証として少しの間だけ。
「虎徹は良い刀なの?」
と言う私の質問に、
「刃こぼれ一つしていない。素晴らしい」
と言う、土方さんの答えが返ってきた。
百数十年という歳月を経て、二人は初めて本心を語り合う事が出来た。
永遠に続く刻の流れの中で、斉藤一と語り明かしたとき。
土方歳三はなぜか、冥界で出会った慈愛に満ちた僧侶の顔を、思いだしていたと、私に話してくれた…。
「仲間達 原田佐之助」
結果から書くとこの男、戦死したのではなく、中国大陸に渡り馬賊になり首領にまで登りつめ、七十五歳の天寿を全うしたらしい。これから書く事はいつも通り直接本人に聞き、そして忠実に私海瑛が書いた本当のお話。
戌辰戦争の時、原田佐之助は彰義隊という幕府軍に入って戦っていた。上野の寛永寺に立てこもっていたが、官軍に完膚なきまでにやられ、自分も負傷し命からがら脱走した。そして横浜に行き、ある船に隠れた。それがたまたまフランスの商船だった。フランスの人々は、原田がフランス風の軍服を着ているので大切にしてくれたらしい。横浜を出て数日後、支那に着いた。船に居る間、彼は通訳の人に片言の中国語を教えてもらい、そして大陸に渡たり、一人で北に向かいその後佐之助は、イギリスやアメリカ等に関連する物資を専門に狙う馬賊になっていった。決して貧乏人には危害を加えなかった事が、自分の誇りだと言い、彼は一生涯を馬賊として生きた。
「うーん…」
と私は思った。
男達には羨ましい話かもしれないが、私はこの手の話はあまり好きではない。
それでズバリ聞いてみた。
「奥さんや子供の事、気にならなかったの?」
しかし彼は臆する事無く答えた。
「妻には二百両の金を渡してあったので、息子の茂と頑張って生きて行ってくれると、
信じていました」
今私の前に居る原田佐之助は、馬賊の時の衣装を身にまとっていた。ちょっと男って勝手だね。せめて生きている事を、知らせる気にならなかったのか?そんな気がして、私は少し機嫌が悪かった。しかしまぁー、戦に負け中国まで逃げたのだから、帰りにくかったのだろう。それに奥さんも、もしかしたら佐之助よりも、もっといい男に巡り合っていたかもしれない等と、私は原田佐之助の自慢げな顔を、頭の中のスクリーンに写しながら、少し冷たい心で見つめていた。
その時突然、土方さんが私の中に入ってきた。
「原田の事ですが、奴はそんな男ではありません」
私の頭の中で土方さんの言葉が木霊した。
私は驚いた。こんな事は初めてだ。
(土方さんが佐之助をかばってる…)
「あいつは大変な愛妻家でした」
土方さんの言葉が続いた。
その時、原田佐之助はようやく私と土方さんの気持ちが理解出来たのか、
お守り袋を取り出し
「妻と息子の茂だと思い、肌身離さず持っていました」
と私に打ち明けた。
そうか本当は寂しかったんだ…。
命からが異国にまで逃げて行って、そうおめおめとは帰れない…
ここにも戦争に引き裂かれた、悲しい家族がありました。
「でも土方さん、あなたは本当に優しい人ですね」
少し意地悪な私の言葉にも、土方歳三は照れくさそうに言いました。
「私にとって仲間が家族ですから」
「仲間達 吉村貫一郎」
「私は家族の為に人を斬ってしまいました。
けれど後悔はございません」
これが吉村貫一郎の、私の問いかけに対しての第一声だった。
妻や子供のために新撰組に入隊して、そこで得た金の全てを家に送り続け、後に家族の為、盛岡藩に帰藩を願い出るが、とがめられ詰腹を切らされた不運の男。
彼はどんな気持ちで腹を切ったのだろうか。
妻や子を残して先に逝く辛さは、どれ程のものだったのだろうか。
私はそれを聞きたかった。
ところが彼は、その事については、硬く口を閉ざすのだった。
「何でも聞いてください」
そうは言うものの、切腹の事に関しては、頑として口を閉ざすのだ。
いや、閉ざすのではなく、
「切腹はしたが、その屋敷の中での切腹なので帰藩を許されたと思っております」
何度聞いても同じ答えが返ってくるのだった。
優しく温厚、そんな「気」が伝わってくる吉村貫一郎。
この人のどこに、こんな凄い思いがあるのか。
私はたじろぐ思いで、なかなか次の言葉が出てこなかった…。
しかし話題を家族に移すと、途端に饒舌になり、懐かしそうに話し出すのだ。
「本当は家族も連れてきてやりたかった。
京は盛岡の田舎よりにぎやかで、沢山の人がいます。
色んな所に連れていってやりたかったです。
そうそう、私の末の息子が博士になり、飢きんから多くの人を救ったらしいです。その子は、私が新撰組に入隊した時は、まだ妻のお腹の中にいましたが、その子が人様の役にたっていたらしいです」
彼は嬉しそうに話した。
そしてこうも言った
「今天界で、息子の嘉一郎が妻達を守ってくれています。
だから私は頑張れるんです。
私は剣の腕を買われて新撰組に入りました。
古参の人の中には、それを心良く思わない人達もいましたが、
ほとんどの人は好い人達でした。
私は新撰組に入った事を、今でも誇りに思っています。
新撰組は私にとって人との出会いの場所でした」
吉村貫一郎は、最後まで家族の話をしてくれた。
錆びた刀で腹を切り、壮絶な最後をとげた人物とは思えなかった。
戦争さえなかったら、この人はどれほど幸福な人生を、家族と送っていたのだろうか。
妻を愛し子を愛し、普通の人生を生きていた事だろう。
その普通の幸福までも、戦争と言う悪魔は飲み込んでしまう。
今、私の周りに居るお仲間さん達は、皆その悲しみを知っている。
改めて私は思う。
生きている事が、そして平和である事がどれだけ幸福かという事を。
「仲間達 川島勝司」
この人は少し遅れて、私海瑛の所に来てくれました。
それは、私がこの不思議な世界に、少しずつ慣れてきた頃です。
私は出張占いを依頼され、神戸のあるホテルにバスで移動していました。その時、不意に土方さんではなく、土方さんの補佐として、私に付いてくれている、井上源三郎さんが声をかけてきました。
「川島勝司を、特別に探索方として呼びたいのですが」
という事です。私に異存はなく、
「すぐにどうぞ」
と言った所。源さんは、少し考えてこう言いました。
「ただし、川島が承諾してくれればの話ですが…」
ただならぬ源さんの様子に、私が訳を聞くと、意外な話をしてくれました。
「実は、私達は川島に無実の罪を着せてしまったのです。
奴は真面目で仕事もできて、皆の信頼もあったのですが、人が好すぎて何か頼まれると、嫌という事のできない所がありました。
他人に金の無心をされても、同情して貸してやる。そんな男でした。
しかしある頃から、川島に良からぬ噂が流れました。
それは新撰組の名を出して、商家に金の無心をしているという事でした。すぐに真偽のほどを本人に問いただした所、事実と判明しました。本人もこのことを認めましたので、掟に従い切腹という事になってしまいました。
川島は一言の言い訳もせず、死んでいきました…。
しかし、後日、その金は友達に頼まれ、仕方なく知り合いに借りた。
という事実が判明しました。
あの時、奴がもう少し弁解してくれたら、死なずに済んだのに…。
後味の悪い事件でした。
もし昔のように川島が働いてくれるのなら、我々も奴に一言詫びたいと思います。」
そして今、川島勝司は土方さんに呼ばれ、嬉々として天界より舞い降り、平成というこの時代の出来事をつぶさに調べ、土方さんに報告しています。
「仲間達 佐川官兵衛」
この人は新撰組の隊士ではなく、会津藩の家老の家に生まれた。
そしてその家系を継いだ、言わばエリートを絵に書いたような人。
土方さんに是非と言われて、今新撰組の補佐をしてくれている。
今回も自分の方から「私と新撰組の出会い」と称して話してくれた。
その一部始終です。
「私は、我が主君の松平容保公が、京都守護職のお役をおおせつかった時、お供をして京に来た。
壬生の浪人が数名代表として、殿に拝謁したいと城にやってきたのはそれからしばらくしてであった。私は最初浪人の分際でと思ったが、目を見て彼等は本物だ、国を守ろうとしている。そう直感し殿への謁見の仲介をした。
殿は彼らの志に感銘して「新撰組」と言う名前を与えられた。それから私も、頻繁に新撰組の屯所に出入りするようになった。私はよく酒を差し入れた。近藤君や土方君と飲もうとしたが、近藤君が甘党で、彼専用の饅頭を持って行った事もあった。
池田屋事件の時、新撰組から応援の要請があったが、新撰組は単独で長州や土佐の不貞浪士が、京に火をかけるという、卑劣な悪事を未然に防いだ。私はその場にいた藩士を連れて応援に行こうとしたが、殿の側近であった秋月定次郎に止められてしまった。秋月は新撰組の事をあまりよく思っていなかったからだ。そして殿からも少し様子を見てから、と言う事で待機した。
私は数時間遅れで池田屋に行ったが、その頃にはもう戦闘は終わり、私が可愛がっていた安藤早太郎、奥沢英助、新田革衛門という、三人の隊士が亡くなっていた。
その時私は、改めて新撰組の組織は立派だと思った。それは戦死した三人に、近藤君、土方君に次ぐ功労者という名目で二十両もの金子を国元の家族に送り、それぞれの家族に京の人々を守るため亡くなった。と添え書きまで付けていたのだ。そして蛤御門の変でも、新撰組は負傷者は出したが死者は出さず、立派な働きで殿も喜ばれ、報奨金を出し幕府軍に召抱えられることになった。
近藤君は旗本に、土方君は御家人に取り上げられ、もう彼等は私には遠い存在になった気がした。だから今までのように、頻繁に気軽に訪ねては行けなくなっていった。
次に会ったのが鳥羽伏見の戦いの時だった。
私は刀一本で新撰組に良く似た部隊を作った。
名は「別選隊」と言う。
特に新選組を意識した訳ではないが…。
まぁ。その事はいい…。
私が戦っていると土方君が大きな声で
「佐川さん」
といって来てくれた。そして隊士達に、
「あの佐川さんが鬼になった!
鬼の官兵衛になった!」
と鼓舞してくれた。
照れくさかったが嬉しかった。私は良い友を持ったとその時思った。
しかし、戦いは我々に不利だった。仕方なく我々は大阪城に撤退したが、そこには何と将軍がいなかった。総大将がいなくなり我々は混乱したが、近藤君や土方君は冷静で隊士を連れて船で江戸へ戻った。土方君は旗本になってから内藤隼人と名乗り、約二百人の兵を率いて甲府城を守りにいった。私は近藤君を訪ね
「会津に来ないか。
会津に来れば兵はまだいる、何とかなる」
と誘った。
しかし、その直後、江戸城は落された。無血開城だった。考える余裕も無く我々は別行動で会津に向かった。近藤君、土方君も本営を転々として会津に向かうはずだったが、近藤君が流山で官軍に包囲された時、自分の命と引替えに仲間を助けた。これはあまり知られていない話だが、近藤君は伊藤甲太郎の残党に肩を銃で撃たれてから、傷は癒えても今まで程、刀を握る力を失っていたのだった。足手まといになるのは、局長としての彼の誇りが許さなかったのか…。その時、土方君は馬を飛ばし勝海舟に近藤君の助命の嘆願を願い出たが、にべも無く断られ、帰った時にはもう近藤君は斬首されていた。土方君の心中いかばかりであっただろう。
それからも我々は別々の行動を取ったが、彼らの事を忘れる事はなかった。しかし、友であり同志でもあった土方君は、三十四歳の若さで壮絶な死を遂げた。無念だったろう…。
こうして戦いは、土方君の死を境に終わりを告げた。
戦いに敗れたとき、私はどの道を選べばよいのか考えた。腹を切るのは簡単な事だ。とうに覚悟はできている。しかし私は、死んで行った同志の為にも、この日本がどう変わっていくのか見届けたかった。しかし現実は、これが日本かと憤りを感じるほど悲惨なものだった。死に華を咲かせた土方君が羨ましく思われた。
その後、私は西南戦争に関わり、抜刀隊を率いて戦った。下着には戦死した会津の友や、近藤君や土方君そして新撰組の名を書き戦ったが、善戦虚しく、私は敵軍に額を鉄砲で撃ちぬかれた。佐川官兵衛四十六歳の生涯だった。
私は冥界に落ちたが、自分の手で額の弾を取り出し、近くの仲間の傷の手当をしてやった。そしてある日、身なりは粗末だが眼光鋭い品のある僧侶に天界へと導かれ、そして今、私は土方君と共に海瑛殿を、そして海瑛殿の家を守っている。
彼は晴れ晴れとした顔で話してくれました。
最後に私が、
「佐川さんにとって新撰組ってなんですか?」
と聞いたとき意外な言葉が返ってきました。それは
「憧れ!」
代々家老職の家に生まれ、生まれた時から決められた道を歩いてきた男には、新撰組の刀一筋の生き方は、ある意味
「憧れ!」
だったのかもしれません。
その時、土方さんが横でポツリと一言。
「佐川さんに新撰組は似合わない。
あの人は真面目すぎる」
よせばいいのに、私も一言。
「土方さんは遊び過ぎです。
多分、佐川さんが普通だと思う。」
私の言葉に土方さん、しばらく口を聞いてくれませんでした。
「仲間達 志村武蔵」
この男が居なければ、土方歳三は宇都宮の戦いで、おそらく命を落としていた事だろう。
この男二十七歳の時、些細なことで濡れ衣を着せられ、その汚名返上のため腹を切る。しかし死にきれず悶々とした日々を送っていた。
その時たまたま、彼の知り合いに新撰組の隊士がおり、
「お前は一度死んだ身だから恐れず入れ。
そして男になれ」
と言われ入隊を決意する。
その後、志村武蔵は風呂場で、土方歳三と同じ湯船に浸かる機会があり、土方さんに腹の傷のことを聞かれ正直に話したら
「そんなことで切腹するな。
それなら、ここで忠義を尽くして男になれ」
と励まされた。
普通なら、副長と平隊士が同じ湯船に浸かる事はない。当然、新撰組でも順番は厳しく、一番風呂は局長の近藤勇が入り、次が土方さん、山南さん、各隊長と続き、最後に入るのが平隊士の順になっているのだが、土方さんは好んで最後の風呂によく入った。目的は上層部にまで届かない、末端の隊士の本音が聞きたかったからだ。本気でやる気があるのか又そうさせるにはどうしたら良いのか、それには裸で話をするのが一番良いと彼は考えたのだ。
湯気で最初は隣の男がまさかあの鬼の土方と知る事もなく、世間話に話が弾む、だがよく見たら本物だった。彼らは最初飛び上がる程驚くが、話すうちに土方さんの人柄に多くの隊士が魅せられていくのだった。志村武蔵も例外ではなく、自分のような男の事に親身になって話してくれた新撰組副長土方歳三に、尊敬以上の気持ちを持つのだった。
多分その時、志村武蔵はこの人の為なら死ねると思ったのだろう。
現に宇都宮の戦いで官軍の大砲の攻撃に耐え、必死で反撃を試みた新撰組の面々に、再び砲弾が襲い掛かってきた時、彼は土方歳三を押し倒しその上に覆いかぶさった。
その瞬間、彼の右手は吹っ飛んだ…。
その後彼は、傷の治療のため身を寄せていた、如来堂の地で討ち死にしている。
土方さんも怪我はしたものの命に別状は無く、志村の身を案じながら仙台へと移動していった。どんな思いでこの二人は別れて行ったのか…。
土方さんは私に言った。
「あの時ほど、理性を無くした事はなかった…」
それでも刻は止まらず、土方歳三は前に進むしかなかった。
死ぬほど辛い前進だっただろう。
そしてそれから百数十年が経った今、守護霊として蘇った土方歳三に、是非にと望まれた志村武蔵は、北海道行きの事を土方さんに聞かされた時、
「本当に私でいいのですか?」
と何度も聞いた。
そんな志村武蔵に土方さんは、
「何を言っているんだ!
お前でなければ駄目なんだ。
私の死んだ場所を、お前にも見て欲しい。
そして北海道の大地を、実り豊かな国にしたいと、ほんの一瞬だが、
私が描いた夢の場所にお前と行き、多くの仲間を救いたいのだ」
こうして長い歳月、心の中で願い続けていた土方歳三の思いが叶い、土方さん、源さん、志村さん、そして私海瑛の総勢四人が北海道へと向かうのでした。
志村武蔵は、自分の事を気の弱い人間だと言った。
しかし、これ程までに男が男に惚れる事が出来るのだろうか。
「忠義を尽くし男になれ」
その一言がこの男を大きくしたのだろうか。
最後に私が、
「志村さん。右腕を無くし、土方さんの足手まといになりたくないと、自分から宇都宮に残り、そして最後は官軍と戦い壮絶な死を迎えた。その時、何を思いましたか?」
この問いかけに、彼は誇らしげにこう言いました。
「私が土方先生を大砲からお守りして、
自分の右手を吹き飛ばされた時、
土方先生が動揺されました。
いつも冷静沈着でおられた方が、
私の血だらけの右手を拾い、
そして狂ったように何度も何度も、
その腕を私の肩に付けようとなさいました…。
土方先生は今にも泣きそうな悲しい顔をされ、
私の右手を抱きしめてくださっていました。
私はそれを見ただけで救われました。
そして心の底から願いました。
土方先生、生きてください。
必ず生き抜いてください。
願ったのは、それだけです」
こんな凄い真実が、誰にも知られる事無く歴史の中に埋もれている。
私は胸がいっぱいで、もう質問する事が出来ませんでした。
「仲間達 沖田総司」 冥界から帰る
新撰組の沖田総司が冥界より帰ってきました。
文字通り最後の武士として、この地上に再び蘇りました。
彼もまた守護霊として、現世の人の役に立つ為に、禊をすました完全体で帰ってきました。
土方さんが長い道のりを、ただひたすら傷ついた人々の看護のために働いたように、彼にも又、もの凄い冥界での活躍を期待して!
私は、彼が私の前に現れた時、躊躇することなく聞きました。
「お帰りなさい、総司君。
冥界でこの百数十年間を、どんな風にして過ごしてきたか教えてください」
想像もつかない言葉が返ってくる。
私は確信していました。
わくわくしていました。
ところが、彼の口から出た言葉は意外すぎました。
沖田総司は淡々と話し出しました。
「私はただ南無阿弥陀仏と唱えました。
一箇所に立ち尽くし、ただ南無阿弥陀仏とつぶやき、
私が斬り殺した人々の冥福を祈っていました」
「それだけ?」
私は問い返した。
「たったそれだけ?」
百数十年の長き日々を立ち尽くして、ただ「南無阿弥陀仏」と唱えていただけ?。
そんな馬鹿な事ありえない。
私はなおも食い下がった。
「他にもあるよね。
何かあるよね…」
「ありません。
祈っていただけですから」
淡々とさばさばとした彼の返事。
その後も私は問いただしたが無駄だった。
沖田総司は冥界でただひたすら一心不乱に、亡くなった人々の為に祈り続けたのだった。
「南無阿弥陀仏」
ただそれだけ…。
そんな馬鹿な事ありえない。
地味すぎる話にならない。
でもそうなんだ…
結局、私は諦めるしかなかった。
そして最後に聞いた。
「総司君、たった一人で辛くはなかった?
長くはなかった?」
この私の問いかけに、彼は天性の明るさで言いました。
「長くはなかったですよ。
今振り返ると、あっという間の出来事でした」
私は誰に言うでもなくつぶやいた。
「これが沖田流の禊なんだ。
これが冥界なんだ。
俗世にいる私には理解できない…」
占い師海瑛が出逢った
「守護霊 土方歳三」とその仲間達
ここからは、私海瑛が感じたお仲間さん達の性格。
そして、天界から舞い降りて垣間見た彼らの、今の世への率直な思い。そして本人にしか語れない裏話の数々です。
「仲間達 井上源三郎」
性格
温厚で実直。目立たないがいつも土方歳三の側で彼を支え続け、土方歳三が絶大な信頼を置いていた男。土方歳三にとって井上源三郎は、幼い頃より同じ日野で生まれ育った優しい兄貴であり憧れでもあった。ある時、土方さんに私海瑛が、
「源さんってどんな人」
と聞いた時、即座に返ってきた言葉。
「子供の時の憧れ。俺は源さんのようになりたかった」
源さんの独り言
我々の時代は歳を重ねるというだけで尊敬に値した。
しかし、今はそのご老人達が生きている事に苦労されている。
おかしいと思わんか?
裏話
あのいつも淡々としている源さんが悩んでいました。
「どうしたの源さん。今日は何か話してくれる約束でしょう」
私は、お仲間さん達の通訳をしてくれる媒体役の彼女の都合を考え、土方さんとお仲間さん達から話を聞くのを、週一回と決めている。その方が皆さんも楽しみにしてくれるから。それなのに今日の源さんは珍しく口が重い。それでつい口がすべり私は言ってしまった。
「もしかして種切れ?」
そんな私の挑発に、源さんも負けてはいない。
「違いますよ!。総司が恋をした時の話なので、
言っていいのか迷っているんです…」
沖田総司が恋をしていた!。
やはり彼も普通の青年なんだ。
どうしても聞きたかった。
私の強引なまでのお願いに源さんがゆっくりと話しだした。
「沖田総司が恋をしました…。
それは本当に純粋で本当に淡いものでした。
相手の娘は、総司が労咳で通っていた町医者を手伝っていました。今で言うと患者と看護士。二人は会ってまもなく好きになりましたが、総司は恋の経験の無い奴でしたから、ただお互い好きという気持ちを大切にしていたのでしょう。
多分、手さえ握ったことも無かったのでは…。
思い切って総司は近藤さんに相談しました。
「夫婦になりたい人が居ます」
訳を聞いた近藤さんはしばらく考え、そして重く低い声で言ったそうです。
「総司、俺は反対だ。お前は普通の身体ではないんだぞ。
それに俺達は、これからどうなるかわからん身の上なんだ。
諦めろ…。」
沖田総司にとってその言葉がどんなに残酷な意味を持っているか、近藤勇は知っていたのだろうか。しかし、その時の彼は口答えもせず、目にいっぱい涙を浮かべるだけで、何も言わず、ただ頭を下げるだけでした。そして総司は、娘に何も告げず医者を変えました。その後、近藤勇はその娘に町の堅気の男を世話し結婚させたそうです。
私は聞いていて腹が立ってきた。人には色々な形の幸福がある。例えそれが一時の幸福であったとしても、それの何が悪い。女はその一時の想い出だけでも生きていける。
少なくとも私はそう思う。
私はその日、一時間以上も源さん達と激論を交わした。
平成の人間が幕末に生きた人間を批判するのは筋違い。
それは分かっている。分かっているけど、切なすぎる…。
あの天真爛漫な男が、折につけその娘の話になると大粒の涙を流したという。
きっと健康になりたいと心底思った事だろう。
沖田総司、二十七年間で生涯一度きりの恋の物語。
「仲間達 島田魁」
性格
隊一番の巨漢。戦いの時は先頭を切って敵を倒すが、酒は飲めず子供と甘い物が大好きというお人好し。けれど幼少の時父は切腹、母は後追い自殺という悲惨な形で両親を亡くしている。成人するまで親戚や他人の家を転々として辛酸をなめ尽くすが、そんな暗さを微塵も感じさせぬ芯の強さを秘めている。
魁の独り言
半刻でも我慢しろ。辛い時でも少し我慢していれば道は開ける。俺は戦いに敗れ降参した時、こらえようの無い挫折感を味わったが、土方さんの戒名を書いた紙を懐に入れ、己に負けそうになるとそれを取り出して見ていた。
そして俺は七十四歳の天寿を全うした。
裏話
九月(屯所が西本願寺の時)
物凄い嵐が京の町を襲った。屯所は少しの被害で済んだが、周辺の家は屋根を飛ばされたり、家具を流されたりそれは悲惨なものだったが、その時副長の土方さんの命令で炊き出しをした。おにぎりと味噌汁、そして飲み水。すぐに長蛇の列が出来て皆が感謝の言葉を言ってくれた。ただ俺達の事を新撰組の隊士だと知っている人間は少なかったと思う。なぜなら俺達はその時、刀も差していなかったし、羽織りも着ていなかった。しかし、俺達は懸命に飯を炊き、味噌汁を作った。
京の人々を守る事に変わりは無いからな。
裏話
「島ちゃんはどうしてそんなに土方さんが好きなの」
と言う海瑛の問いかけに、島田さんはちょっと自慢げにこんな話をしてくれました。
「まだ屯所が八木邸にあった頃の話なんですが、土方さんの考えで屯所を月二~三回、京の町の人達に開放するんです。ただし敵方の間者も来る怖れがありますから監視役をつけてです。新撰組は恐ろしい、と言う世間の思いを、土方さんは変えようとしたのです。それは西本願寺に屯所を移してからも変わりませんでした。それどころか、参拝者にも開放して訓練まで見せるのです。中には親に連れられた子供も居てうるさいのなんの。走り廻るわ、その辺の物を触りまくるわ、あげくの果てには気に入った物を持って帰ろうとする子供もいる始末。けれど土方さんはそんな時でも決して怒るでもなく、笑顔で論していました。その顔は鬼の顔ではありませんでした。私が本当にこの人について行こうと思ったのは、この時からです。
裏話
「島ちゃん何かあまり知られてない新撰組のお話ないかな」
私海瑛の再三の無理なお願いにも、島田魁は嫌な顔をするでもなくしばらく考えた後、こんな話をしてくれました。
題して「死に番」
新撰組の重要な任務の一つに見廻りがあります。京都は入り組んだ路地が多く、それを一つ一つ異常が無いか調べていくんですよ。特に京都は迷路のような狭い路地が多いんです。そんな所を、数人に分かれて見廻りをするんです。冬の京都の夜中の見廻りは、生きた心地がしません。暗くて寒くて、人の気配が消えてしまうんです。だからいつの頃からかその日の朝、見廻りに順番が回ってきた者達の間で水盃を交わすようになり、そして誰とはなしに言い出したんです。
「さあ、俺が今日の死に番だ!」
先頭に立つものにとって、細い路地の見廻りは命がけです。
特に夜はいつどこで、誰に襲われるか全く分からない、我々はそれだけの覚悟で、任務についていたんですよ。
誇らしげな島田魁の声でした。
「仲間達 蟻通勘吾」
性格
出入りの激しい新撰組の中で池田屋事件にも参戦し、函館で戦死するまで土方さんに従い戦い続けた男。
生涯平隊士なれど、寡黙にひたすら己の道を突き進み、そして黙って死んでいった愛すべき頑固者。
勘吾の独り言
人を信じろ。俺は土方先生に従って戦ったことを、今も誇りに思っている。天界にいる俺に、土方先生から海瑛殿の護衛の一人に呼ばれた時は、本当に嬉しかった。人を信じ自分を信じ、ひたすら前を向いて歩いて行け。
必ず報われる日は来る。
裏話
ある時、些細な事から、ある班の隊長と言い争いになった。
普通なら自分が正しくともそこは、長い物に巻かれろが世の常だが、この男一歩も引かず、流れるような敬語を使い相手を言い負かした。土方副長が間に入り事なきを得たが、普通なら上司に刃向かったという理由で切腹と言う事にもなりかねない。私海瑛が、
「怖くないの」と聞くと、
「正しい事を正しいと言って、何が悪いのですか?」
と、言われました。
裏話
函館決戦の時、島田魁の見ている前で斬られた。相手は薩長の連合軍だったすぐに島田が駆け寄って、近くの小屋に連れて行くが、
「土方先生を頼む」
そう言って息を引き取った。
(この話は、海瑛が本人に直接聞きたかったのですが、斬られた時の事は思いだしたくないと言われ、島田さんが代わりに話してくれました)
又、生涯平隊士であった事を、井上源三郎さんに聞いた所
「別に他意は無い。本人は好い奴で、真面目なのは周囲も認めていた。ただ、大きな手柄を立てた訳でもなく、凄い技を持っていた訳でもなかったから、ただそれだけですよ」
「仲間達 尾形俊太郎」
性格
大人しく剣よりも書物が好きで、新撰組には珍しい存在だが、新撰組の一次募集で採用され、その後はずっと新撰組のために働き、文学教授方にまでなった新撰組には貴重な、武士らしくない武士。しかし酒が飲めたので付き合いは良く交際は広かった。そして暇を見つけては、屯所にしていた西本願寺からよく書物を借りて読んでいた。
俊太郎の独り言
何も背伸びしなくて良いよ。自分は自分だからな。そして、出来れば自分の良い所を沢山見つけろ。例えば、口が下手でも相手の気持ちが解かるとか。怒られても立ち直りが早いとか。何でも良い。自分の良い所を探し、自分を褒めてやれ。そうすれば必ず明日は楽しくなるはずだ。
裏話
私海瑛が何で新撰組に入ったのかと聞くと、自分の知らない世界があるような気がしたそうです。剣と己の腕だけを信じ生きてきた最強の武装軍団新撰組は、彼にとってどうしても開きたかった扉だったのでしょう。そしてその中に身を投じた時、彼は何を感じたのでしょうか。
裏話
夢を見させてもらいました。
私は三男坊なので無駄に時間を過ごす事が多く、大好きな本を読むことで時間を潰していました。孔子などよく読みました。その知識を役立てる事が出来たのが新撰組でした。
海瑛が、
「夢は見られたの?」
と聞くと、すぐに元気な声が聞こえてきました。
「勿論ですよ。近藤局長から褒められました。
君は知識人だと。嬉しかったです!」
「仲間達 永倉新八」
性格
話せば話すほどよく分からない人。ただ正義感が強く真面目なのは確か。
(池田屋事件があった二ヶ月後、大名気取りの近藤勇に対し永倉は、原田佐之助、斉藤一らと共に近藤弾丸の罪状書を会津藩に提出している。この事で永倉は謹慎処分を受けているが、処分覚悟で近藤批判したのがこの人らしい。)
新八の独り言
何に対しても思いやりを持て。例えそれが自分の得にならずとも。そして小さく固まらず、もっと笑いもっと泣け。
喜怒哀楽を表に出して、己の明日の糧とせよ。
裏話
別に取り立てて言う程の事ではないが、年がら年中、甘甘亭に飲みに行っていた。
仕事が終わり緊張感が解けほっとした時、気の合った仲間の原田佐之助、沖田総司、源さん、山南敬助こんな連中とワイワイガヤガヤ、埒もないことを話し酒を飲んだ。
そんな時はみんな、生き生きとしていた。
「仲間達 山崎燕」
性格
大阪生まれのノリの良いお調子者。
全く全体の空気が読めず、その場を壊す名人。
ゆえにいつも皆にいじられるが、本人は全く気付かない。
燕の独り言
やりたい事をやれ。
それが分からなければまず寝ろ。
果報は寝て待てって言葉を知っているか?
いつの日かお前が主役になれるまで体力を温存しておけ。
裏話
山ほどあるがあまり言いたくはない。
仕事をしている時は、土方さんをはじめ皆が普通に接してくれる。俺は自分で言うのもなんだが切れ者だからな。
しかし、一旦仕事を離れると、なぜか風当たりが強くなる。
まあ、多分俺の実力に嫉妬しているからだと思っている。
いや、思うようにしていた。
裏話
この男、新撰組の隊士募集に三度応募して三度目にやっと合格している。その動機は女にふられてやけくそで応募したらしい。その時の面接官だったのが土方さん。どこが良かったのか聞いたら、
「人の特徴を瞬時に記憶する能力を持っていたので採用した。
しかし一番の決め手は、あいつの顔に特徴がなかった事だ」
と言う事だそうです。
「仲間達 近藤勇」
性格
単純で人をすぐに信用してしまう。土方歳三が居なければ隊長は務まらなかっただろう。しかしカリスマ性はあり、あの顔が隊長としての威厳をかもし出している。また合理的な面もあり、働いた者への報酬は存分に出していた。
今で言う完全歩合制である。
勇の独り言
とにかく自分を鍛えろ。 何をして良いか分からないなら、何でも良いから自分を鍛えろ。悩む間もないくらい自分を鍛えろ。そうすればチャンスは必ずやってくる。
裏話
俺は実は酒が一滴も飲めん。
だから新撰組での集会や宴会、上の役人との接待にはほとほと困った。周り全ての人間が、俺を酒豪と初めから思い酒を勧める。俺が断ると、恐縮しているからと良い方に勘違いし、ますます進める。俺は、体質的に酒は受け付けんらしい。
ある日、隠れて酒を飲む練習をして、ゲロを吐いている所を、
歳ちゃんに見られ、
「そこまでせずとも、はっきり断れ」
と言われ、それからは断固断った。
あんな苦しい物のどこが良いのだ。
饅頭の方がどれ程美味いか。
「酒など作るな!」
と言いたい。
「仲間達 斉藤一」
性格
暗い。喋るのが下手。愛想も好くない。
しかし、なぜか新撰組に溶け込み新撰組を心から愛した男。
一の独り言
仲間は好いぞ。
この俺が言うのも何だが…。
まぁ、とにかく仲間は大切にしろ。
裏話
何も無いと言われた。愛想が無いのもはなはだしい。
「喧嘩を売るのか」
と私が言うと、
「暗い話ばかりで面白くないですから」
と軽く流された。
こんなの初めて…。
冷静におもむろに私は切り出した。
「斉藤さん、お金を貰っていやいや人を斬って、
それで人生斜めに生きてる訳。
海瑛の家にはそんな人はいらない」
ここまで言う気は無かったのだが、勝手に言葉が飛び出した。
その時、やっとこの人の重い口が開いた。待っていたように斉藤一の口がやっと開いた。
「海瑛さん聞いてくれますか。私は局中法度の掟に触れ、切腹する者が増えるにしたがって辛かった。なぜかと言うと切腹を言い渡された男が首切り役に、俺を指名するのです。最初は断った。永倉さんが腕も良いし適任だから。
しかし、死を前にした男に、「お前になら安心して任せられる。」そう言われると、断る事は出来ませんでした。そのうち何故か、切腹する羽目になった男達のほとんどが俺を指名した。多分俺が高円寺にその遺体を丁重に葬ったり、供養のため観音様を彫ったりしていたのが、口伝えで広まったのでしょう。どんな理由があろうとしても、人が自ら命を絶ちその首を切り落とす、気持ちが荒みました。だが一つだけ良かったと思う事があります。
それは五番隊隊長の、武田観柳斎の首を斬った時の話です。この男は本当の悪人で、上にはぺこぺことおべっかを使うが、下の気に食わぬ者には、ねちねちと苛め抜く、典型的な嫌われ者でした。こいつの時だけは、俺は自分の仕事を誇りに思いました。
それから晩年、心に引っかかる事がありました。それは俺があの世に行った時、俺が首を斬った奴等が、俺を気持ちよく迎えてくれるだろうかと言う思いでした。しかし、俺が天界に上がった時、誰一人嫌な顔をせず迎えてくれて、天界で皆が自分に与えられた仕事をやっていました。ほっとしました。俺のやっていた事は間違っていなかったのですから…。」
その後長い沈黙が続きましたが、私はもう何も聞かなかった。
気分を変えて私が、
「一ちゃん、あなたの性格、自分でどう思う?」
と聞くと、即座に、
「暗いです。新撰組に入るまで友達はいませんでした」
と言う返事が返ってきた。
明治になって斉藤一は、会津の家老佐川勘兵衛と、同じく家老職の山川浩二人の仲人で、優しい娘とお見合いをして子も成している。勿論、彼の過去も全てを知っての事だ。
「仲間達 原田佐之助」
性格
明るくて大ざっぱで気は強い方。
だがその実、神経のこまやかな所もある。
酒の席で近藤さんに連れて行ってもらうと、
幾ら飲んでも決して酔わなかったが、自分で飲む酒の時は、
すぐに酔っ払っていた。
佐之助の独り言
夢を持てずにすぐ命を絶つ。
人生はスイッチを押すとやり直しが効くと思っている。
違うか?
何故なんだ。
誰が教えたんだ。
学校か?
社会か?
それとも平成という今の風潮なのか?
お前達、これだけは教えてやる。
自ら命を絶つ者の行き着く先。
それは地獄以外には無い。
裏話
佐之助は戦いに敗れ、日本を逃げ出し異国で馬賊になり、結果的には妻子を捨てた。私海瑛はそんな彼に対して冷たかった。しかし彼の妻は夫が行方不明になると、しばらくの間は悲しんだが、すぐに再婚したという。それに反して佐之助は生涯独身を貫き、妻子と思い、守り袋を終生大事に持っていたという。私は言葉に詰まってしまった。そして思った。誰も悪くない。みんな戦争が悪いんだ。世の中が平和であれば誰も自分の選んだ道を生きて行ったはず。運命に振り回されずに、生きられたはずなんだから。私は又、百数十年もの昔の人に、平和の有難さを教えられた気がしました。
「仲間達 吉村貫一郎」
性格
家族思い。物腰は柔らかく一見大人しそうだが、芯が強く一本気な男。
給料の全てを送金していた。
貫一郎の独り言
家族程良いものはありません。
家族を守る為なら、私は何でも出来ました。
私は家族の為に腹を切りましたが、それでも悔いはありませんでした。ただ、後ほんの少し、子供達の将来を見届けたかったです。
皆さんもあなたを愛してくれている人が居る限り、生きている価値はあるんですよ。
どうかその事を忘れないでくださいね。
裏話
斉藤一さんにはよくおごってもらいました。
私はいつも財布の中には一文銭が数枚しか入っていないので、滅多に外には出ないのですが、そんな私に斉藤さんは嫌な顔もせずよく誘って下さいました。
あまり口数の多い人では無いけれど、私にとっては家族に近い人でした。
「仲間達 川島勝司」
性格
真面目で人が好く騙されやすい。
勝司の独り言
俺は新撰組で探索方をやっていて、今も土方先生やその仲間に情報を届けているが気が重くなる。俺の時代は戦いばかりだったが、今よりも良かったかもしれない。何故なら同志は信じ合っていたからな。一つの握り飯でも半分ずつ分けて食えた。そして必ず良い国にしようと誓い合った。わずかだが夢も持っていたんだ。だが今はどうだ。大志を抱ける人間がどれ程居る?国のために死ねる人間がいるか?
おそらく居ないだろう。お前達、特に男共はよく聞け。
男なら命を賭けれる何かを探せ。
裏話
この人はお人よしの為、今で言う「保証人」の様な事をやりそれが「素行悪し」と言う事で切腹させられました。
後日濡れ衣と分かったのですが…。
私海瑛が、
「恨んでいないか」
と言う問いに、
「腹を切るときは無念でしたが、私が天界に上がれず、冥界で腹を抱えて蹲っていると、なんと土方先生が何人かのお仲間さん達と、必死で数え切れない程の病人や怪我人の手当てをされていました。私の腹の傷も手当して下さいましたが、土方先生は私に気付かれていませんでした。ただ黙々と、苦しむ人達の為に、働いておられました。それを見て、私の心は晴れ晴れとしていました。
この人について来て良かった!
新選組に居て良かった!
本当にそう思いました……。
そして私は今、新撰組の一人として、平成の世の中で起きている事の一部始終を、土方先生やその仲間達に知らせています。探索方の誇りを賭けて!」
「仲間達 佐川官兵衛」
性格
正義感が強く、真面目で厳格。
しかしそれは家老という家に生まれた故の宿命。
本当は心優しい友達思いの男。
官兵衛の独り言
頭を下げてみろ。我慢してみろ。謝る時には謝り、礼を言う時には礼を言う。
それが出来れば、人間としての格が上がる。
俺は、それを勇気と呼ぶ。
裏話
鬼の官兵衛の異名を持つ会津藩の家老。
土方さんとは歳も近く仲が良かった。
佐川官兵衛は自由な新撰組に憧れ。
土方歳三は格式のある武士に憧れた。
裏話
鬼の勘兵衛の由来
戌辰戦争の時、佐川官兵衛は別選隊と言う部隊を率いて戦っていた。伏見奉行所を陣地としていたが、官軍に一斉放火を浴び、仕方なく近くで戦っていた新撰組と合流して戦った。その時、土方さんが叫んだ。
「佐川さんが鬼になったぞ!
鬼の官兵衛になって戦っているぞ!」
士気を高める為に、土方さんがとっさに取った行動だったが、それ以来、噂は噂を呼び、会津の人々だけでなく官軍にもその呼び名は広まり、後世にもその誉れを残す。
(会津白虎隊の青年達はそんな噂を本気にして佐川さんを見ると震え上がったそうです)
「仲間達 志村武蔵」
性格
あまり気の強い方でなく、世渡りもあまり上手では無い。
ただ恩を恩と思える、一本筋の通った心を持っていた。
(土方さんの励ましで人生をやり直し、土方歳三の為に命を投げ出した男)
武蔵の独り言
私は何をやってもうまく行った試しがなかったです。
頑張れば頑張るほど空回りし馬鹿にされる。そんな人生でしたが新撰組に入って、土方先生に出会ってからの私の人生は変わりました。
人との出会いによって、人間は変われます。
恐れる事無く、出会いを作ってください。
裏話
志村武蔵に土方さんが、志村の無くなった右腕を見て最初に言った言葉、
「志村、本当にすまない…」
そして、土方さんは戦う地がある限り、徹底交戦をする意思を固め、断腸の思いでその場を離れますが、
別れ際に言った言葉が
「志村、必ず生きて会おう!」
でした。
「仲間達 沖田総司」
性格
明るくて気さく。しかし結核を患っていた。
自分でもその事を知っていて、それを乗り越え、
自分に与えられた時間を楽しく過そうと、自らを明るく変えていった。
本人は自分の事を神経質だと言っていた。
総司の独り言
何でもいいから、かまわず挑戦して一つの事をやり遂げろ。
俺は剣で生きたかった。
裏話
近藤さんに尽きる。
まず一月、正月早々餅を食いすぎて喉に詰まらせ近くの町医者に運ばれる。島田魁と尾関雅次郎が付き添った。顔は紫色で背中を思いっきり叩かれ、三~四個のお餅が口からこぼれた。五月の節句には柏餅を食いすぎ、これもまた井上源三郎、島田魁、尾関雅次郎に付き添われ町医者に行く。
圧巻はスイカの食べすぎ。
一個を佐川官兵衛さん、局長、土方さんで食べていたが、半分以上を一人で食べ、後は例の通り腹が痛くなり、今回は町医者ではなく厠へ通う事、数えきれず…。
俺に説教をする前に、もっと自分の管理をしろと、
今は言いたい。
「守護霊 土方歳三」
性格
強靭なる心と身体を持つ男。
けれど心の中は熱き想いを秘めている。
情にはもろく、それを隠すかのように掟の中に身を投じ、戦う地がある限り、どこまでも己を貫き、自分らしく筋を通す。例えそれが負け戦と解かっていても、男としての絶対譲れぬ誇りを持ち、生きて、そして死んでいった。
歳三の独り言
この世に生まれてくる事が、どれだけ凄い事か、お前は知らない。平和な時に生まれてきた幸福を、お前は知らない。
普通に成長する。それがどれだけ神仏に守られているか、それすら知らず、幸福の中から不幸を探しているお前達。
もし壁にぶつかって迷っているなら、少しで良い考えろ。
食べる事に困らぬ幸せ。雨露をしのげる幸せ。
そして、戦争と言う名のもとで、人を殺さずに済む幸せを…。
俺達は、戦いの中でしか生きられなかった…。
国の為に人の為に、己を捨てて明日を考えず、黙って死んでいった数知れない男達。
だが俺達には夢があったぞ。
「国を守り、弱い者を守る。」
という大きな夢がな。
お前、何を悩んでいる。何を嘆いている。
この平和な世の中で何を甘えているんだ。
この世に生を受けるという事は、全ての神仏の祝福を受けたという事だ。
お前は一人ではない。必ず守られている。
そして使命のない奴なぞ、一人もいない。
それに気づいていないだけだ。
何をしていいか解らないだけだ。
平和な今、時間はどんな人間にも平等にある。
思い切り、がむしゃらに人生を生きろ。
そして己を信じて進め!
必ず大きな力が導いてくれる。
その奇跡に出会えた刻。
お前は、
「自分が人生の主人公」である事を、感じるだろう。
「守護霊 土方歳三」 覚書その一
坂本龍馬暗殺に関して。
俺たち新撰組は坂本龍馬を殺してはいない。
答えは簡単、殺す必要が何もないからだ。
個人的に言えば俺自身、あの男は嫌いではなかった。
と言うより、興味がなかった。
坂本龍馬という男は、名誉とか地位にはまったく無関心だった。争い事も嫌いだった。
多分、日本にも未練はなかったんだろう。
あの男の目の前にあったのは、世界という未知への興味だけだった気がする。
坂本龍馬を殺したのは、見回り組の今井信郎、佐々木唯一。
見廻り組とは旗本の家の食い潰し、ひらたく言えば家督を継げない次男坊や三男坊など、冷や飯食いの寄せ集め、幕府も頭の痛い連中のことだ。
それに比べて龍馬率いる海援隊は、志しそのものが違っていたから、何かと比較されていた。
そんなちっぽけな己の恨みの為に、坂本龍馬は志し半ばで逝ったのだろう。
ただし、これは俺の推測であることを言っておく。
「守護霊 土方歳三」 覚書その二
松平容保公を護衛したときの出来事。
容保公を乗せた駕籠は本道を通るが、俺達はその前後はもちろんの事、左右の林の中を少し早めに分け入って進んで行った。獣道だから、人の気配や、ここ数日間に人の出入りがあったかはすぐに分かる。俺は数人の隊士を連れて、左側の林の中を進んで行ったが、単純できつい作業だ。
護衛について何日目だったろうか、伸び放題の草が突然倒されていた。俺は隊士に合図を送った。
「近くに敵がいる…」
隊士の中にも緊張が走った。
何かの臭いがしたが、俺は全神経を足に集中し、音をたてずに前へと進んだ。どれだけ進んだか分からないが、前方に火縄銃を構えた男と、その仲間らしいのが二人、容保公の駕籠を狙っていた。あの臭いは火薬の臭いだった。殿の乗った駕籠はすぐ目の前まで来ていた。躊躇する暇などなかった。俺は刀を抜き、そのままの姿勢でそいつらの中に突っ込んだ。他の隊士も俺に続き、誰一人、ひと言の言葉を発する事無く、瞬時に勝負はついた。
容保公の駕籠はその日無事に、定められた宿に到着され、俺達は殿から直々の労いの言葉をいただいた。
「守護霊 土方歳三」 覚書その三
局中法度の原点
池田屋騒動の数日後、「あけぼの」という料亭に、不貞浪士が居るという情報が有り会津藩の芝司と、新撰組隊士数名で向かうと、一人の男が逃げた。芝司は、その男を捕まえようと追いかけると、反対に襲ってきたので、その場で応戦し、その男を斬り捨てた。
しかしその男は、当時味方だった土佐藩の侍だった。
困った会津藩は協議を重ねた末に、土佐藩への配慮のため、芝司に非は無いがここは武士道を貫くためにと、芝司は切腹と決まり、介添え役は実兄が名乗り出た。
彼は死ぬ事によって、会津と土佐をなだめたのだ。
葬儀には近藤局長、土方副長をはじめ、多くの新撰組隊士が参列した。それから土方さんが、その出来事を意識するようになり、局中法度ができたという。
しかし私海瑛には、土方さんの心中がよく分からなかったので、聞いてみることにした。すると、
「会津藩を新撰組に置き換えたのだ。
俺は新撰組を汚したくなかった。
乱れの元になるものは作りたくなかったのだ。
磐石の基礎を固めて、初めて組織は揺るぎないものになると俺は感じたんだ。
海瑛、多分お前には理解できんと思うよ」
そんな言葉が返ってきました。
「守護霊 土方歳三」 覚書その四
母の面影そして仲間達
俺は母の顔を知らない。父は俺がまだ母親の胎内にいる時、すでに他界していた。その母も俺が五歳の時に亡くなっている。だから俺には親の思い出が何も無い。
幼い頃、布団の中で俺を抱きしめてくれるのはいつも四歳年上の姉だった。名前は「のぶ」姉は優しく美しかった。俺が風邪を引き、熱を出すと寝ずの看病をしてくれ、奉公に行くことが決った夜などは、俺を抱きしめ離してくれなかった。数年後、その姉が嫁いで行ったその日から、俺はこれまで以上に道場に通いつめ剣の稽古に打ち込んだものだ。今思えばきっと淋しかったのだろう。
だが俺にはどんな時でも側にいつも仲間が居た。生まれてから壮絶な死を遂げるまで、いつも仲間の熱い友情に包まれていた。思いは尽きず、数えあげればきりがない程多くの友が居た。俺自身も仲間を助けに行く途中で命を落としたが、無念ではあるが悔いは無い。
その中でも、近藤勇こと島崎勝太。勝ちゃんは俺にとっていつも行動を共にする運命共同体そのものだった。お互いの家が知り合いだった事もあって、幼い頃から何となく知っていた。勝ちゃんとの最初の出会いは七~八歳の頃だ。勝ちゃんの方から声をかけてくれた。
「一緒に遊ぼう」
それがきっかけで、村の相撲大会にも一緒に出た。そしてそれ以来、俺達はいつも一緒だった。俺が奉公に出されるまではいつも一緒だった。
こんな事があった。
俺は小さい時、今で言うゴキブリが苦手だったが、その大嫌いなゴキブリがどこからともなく飛んで来て、何と俺の顔にとまった。俺は恐怖のあまり固まり、その場に座り込んでしまった。その時一緒に遊んでいた勝ちゃんは何も言わず、俺の背中をさすってくれた。俺が元気を取り戻すまで、何も言わずに、ずっとさすり続けてくれた。行き場所はここしか無いと、幼心にも思ったものだ。
その後、俺は行儀見習いという事で、奉公に出される事になった。嫌だったが命令には逆らえず、渋々奉公に出た。そこの主と家族の人達は皆良い人達だったが、奉公に出て間もない日、俺はその家の番頭が帳場の金をごまかし、自分の懐に隠す所を偶然見てしまった。
すぐさまその事を家の人に告げようとしたのだが、その前に番頭に気付かれ有無も言わさず店から追い出されてしまった。
俺は昼夜を駆けて家に戻り、姉婿の佐藤彦五郎に全てを告げると義兄は、
「二度とそんな所には行かなくて良い」
と言われ、俺はまた少しの間、剣の修行が出来た。
しかし俺の家は薬も作っていたので、その行商も手伝わされた。俺は剣には自信があったので、家の手伝いをする小作人と組んで面白い方法で商売をした。それは道場に出向き一手お手合わせ願う。早い話が道場破りだ。そこで俺が勝つ。相手の頭はこぶだらけか、手や足に打ち身を受けて紫色に腫れている。俺は決して手加減はしなかった。そこに手伝いの小作人が薬を持って現れる。
俺はこんな乱暴なやり方で薬を売り歩いたりもした。だからそれなりの扱いを受けたことも度々あった。負けた時は、道場中の笑い者にされ追い出されるのだ。俺が武士に憧れ、絶対になってやると誓ったのは、やはり奉公時代に受けた屈辱の言葉と、薬を売り歩いていた頃の人々の俺を見る目だった
その目には、「この田舎者めが!」
と言う蔑みの思いが、言葉よりも鋭い矢となって、俺の心に突き刺さるのだった。
だからその後、勝ちゃん達と武士になる志を持ち京に向かった時、俺の心の中には、かけら程の不安も無かった。
あるのは未来に向けての、押さえ切れない期待感だけだった。
「守護霊 土方歳三」 覚書その五
海瑛と母
ある日海瑛に言われた。
「どうしてあんなに遊郭通いができたのか。
平気で女が買えたのか」
「海瑛、それは違う!
俺は一度たりとも女を金で買おうと思った事は無い。
俺はただ、温もりを求めていただけなのだ。」
その心を打ち明けた時、海瑛はこんな話をしてくれた。
土方さん、あなたは遊女の中に母親を捜している。
色んな女に会う度に、まだ見ぬ母親の面影を重ねている。
「俺の母はこんな風に優しく笑っていたのだろうか。
それとも、怒る時はこんな顔をして俺を叱ったのだろうか。
幼い俺との別れを知った時、、母は隠れてこんな悲しい顔をして泣いたのだろうか…」
あなたは自分でも無意識の内に、お母さんの面影を捜して、遊郭へと足を運んでいたのです。
だから土方さん、あなたは生涯一人だった。
いいえ、大切なお母さんの面影といつも一緒だった。
海瑛はそう言ってくれた。
心に沁みた…。
その時俺は、海瑛に言った。
「もっともっと修行してくれ。
早く二人だけで話がしたいから」
母に対する想いは、言葉では言い尽くせない。
多くの仲間達に囲まれた中では、俺の男としての誇りがなかなか本音を言わせてくれない。
だから海瑛、一日も早く俺と話せるようになってくれと、心から願うのだった。
「守護霊 土方歳三」 覚書その六
絆
土方さんが私海瑛の守護霊について初めての誕生日に、何が食べたいかと
聞いた事がありました。すると即座に、
「何でもいいです」
との返事が返ってきた。
愛想の無いのも甚だしいが、その時はまだ私も慣れていなかったので聞き流したが、心が通い何でも話せるようになった今、その時の気持ちを聞いてみた。
私が、
「遠慮していたの。
それとも関心が無かったの。
あれは失礼でしょう」
と聞くと、土方さんから予期せぬ言葉が返ってきました。
「すまん。悪気は無いんだ。
俺は親が居なかったから
好き嫌いを言っても、誰も相手をしてくれんのだ。
食わなければ子女が何も言わずに、
さっさと持って行ってしまう。
だから、出された物は何でも食った。
味は後からついてきたよ」
私は何も言えませんでした…。
「守護霊 土方歳三」 覚書その七
雪どけまじか
冬の北海道は雪深いため、官軍も春まで休戦でした。
その事を土方歳三、島田魁の二人に聞いた所、対照的な答えが返ってきました。
島田さんは、
「このままずっと平和であったら、この国がずっと安泰ならば
土方さんといつまでも一緒に居られる。
ここで牛を育て、土を耕して生きて行きたい!」
心底そう思ったそうです。
しかし、土方さんの答えは違いました。
土方さんは言いました。
「あいつらは必ずやって来る…」
その時の、彼の心に去来したのは何だったのか、
この短い言葉の中に、どれだけの想いが込められているのか、
私は知りたくて我慢できず、
「土方さん、聞いても良いですか…。
待っている間は、どんな気持ちでしたか?」
無知で愚かな私の質問に、彼は静かにこう言いました。
「そうだな…。雪の白さしか想い出せないよ。
本当だ。誓って嘘ではない。
今の俺には、雪の白さしか浮かんでこないんだ。
答えにならないか、海瑛。」
「守護霊 土方歳三」 覚書その八
函館決戦前夜
この世の中で、どれだけの人が、自分の最期を予感出来るのだろうか。そして、それを受入れる事が出来るだろうか。
それを、土方歳三に聞くにはかなりの勇気がいった。
それでも私は意を決して、その時の思いを聞いた。
すると彼は嫌がる事無く、優しく語り掛けてくれた。
「やるだけやった!。と言う気持ちと、
死んで逝った者達への、感謝の気持ちでいっぱいだった…。」
静かで落ち着いた声がした。
追い討ちをかけるような私の、
「決戦の朝は」
と言う無神経な問いにも、
「そうだな…。いつもの朝と変わりなく
全てのものに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
海瑛、信じられるか」
不意をつかれ、返す言葉を用意していなかったが、
「信じる。貴方が言うから、
私は、全てを信じる!」
反射的に、私の口から出た言葉だった。
「海瑛ありがとう。
お前は本当に良い奴だ…。
不思議と、あまり何も考えなかった。
淡々といつもと同じだった。
ただ不思議なぐらい俺は冷静だった。
それは今でも覚えている。
多分、満足感半分と、切ない気持ち半分。
しかし、悔いはどこにも無かった。
俺はやるだけの事はやったからな。
いつも通り、時間だけが静かに流れて行ったよ。
そして、いつもの様に馬に乗った。
長い戦いで負傷した、足のうずきも感じなかった。
その後のことは、夢の中の出来事だった。
それからの、冥界での長いような短いような百数十年を耐て
今俺は、海瑛お前の守護霊として、お前の傍に居る。
平成と言う、この時代にな」
「守護霊 土方歳三」 覚書その九
母に逢う
十月も終わりに近いある日の午後、海瑛が俺に言った。
「母に逢いたくないか?」
最初は意味が分からなかった。
俺が戸惑っていると重ねて聞かれた。
「天界の母に逢いに行く気は有るのか無いのか!」
その時の海瑛は強引だった。ほとんど命令に近い言葉使いだった気がする。
後から分かったことなのだが、その時海瑛は例の僧侶に頼んでくれていたらしい。
「どうか土方さんをお母さんに逢わしてあげて下さい。
あの人の禊は済んでいるはずです。
十分冥界で徳は積まれています」
と、必死に頼んでくれていた。
そんな事とは露ほども知らない俺は、訳も分からぬまま天界の母に逢いにいくのだった。天界での修行をしていない俺は、まだ一人で天界に昇ることを許されていない。だから僧侶の使いの者が、俺の手を取り途中まで連れて行ってくれた。三途の川を渡ると、その先には沢山の彼岸花が辺り一面に咲いていた。その花の中を通り過ぎると、そこにはあの僧侶が待っていてくれた。今度は僧侶に抱きかかえられる様にして、俺は空へと舞い上がった。まるで鳥のように空を飛んでいた。眩しい世界だった。見下ろすと、そこは桜の木と紅葉が美しさを競い合い、どこまでも広がっていた。春の暖かさを感じ、秋の清々しさを同時に感じ取れる世界が、そこにはあった。えもいわれぬ心地よい別世界。しばらくそんな夢のような場所が続いていた。どれほどの時が過ぎたのか、俺はある家の前に降ろされた。するとそこは、俺が昔住んでいた多摩に良く似た田舎だった。その家から一組の夫婦らしき男女が出てきた。それが俺の両親だった。母に対しては、懐かしい昔の記憶が蘇り、うろ覚えだが分かった。それに、俺は母に良く似ていた。しかし、父親のことは全く解らなかった。
母は俺の姿を見て、
「立派になったね」
と微笑んだ。父は、
「お前が歳三か。俺に似て良い男だな」
と、上機嫌だった。
俺は両親に向かって胸を張り言った。
「私はこんなに立派になりました。
江戸では旗本になり、北海道の蝦夷では並奉行にまで出世しました」
と、報告した。父は満足そうだった。
俺はその時僧侶に、
「子供に戻って甘えてみたい」
と、願いでた。
すると僧侶は笑顔で俺の願いを聞いてくれ、術を施し俺を幼い頃の歳三に戻してくれた。僧侶は、
「今日一日ゆっくり甘えるが良い」
と言い残し、又何処かへと去っていかれた。
その後、俺の中に奇妙な感覚が起こった。それは幼い俺の身体の中に、新撰組の俺と、多摩で暴れまくっていた悪ガキの二人の俺が同居したのだ。俺は僧侶の粋な計らいに感謝し、躊躇する事なく、両親めがけて駆けていった。
そしてその俺が、子供に戻って初めて言った言葉。
それは「母ちゃん」だった。
俺だけの父と母だった。おもいっきり、甘えに甘えた。母の膝に乗り抱きしめてもらった。父の膝にも乗った。初めて見る父の手は大きかった。両親と折り紙をして遊んだ。父とは相撲を取ったが、当然俺が勝った。身体中から汗が流れた。心地よい汗だ。そして父と一緒に風呂に入り、背中を流してやった。大きくでかい背中だった。訳もなく嬉しかった。今度は俺が洗ってもらったのだが,くすぐったく照れくさかったので、すぐ風呂場に逃げ込んでしまった。父は笑いながら入ってきて、俺を膝の上に抱いてくれた。俺はお湯の中でフワフワと浮いていた。魚になった気分だった。
「これが家族なのか…。」
風呂から上がると、そこには母が作ってくれた手料理が、沢山並んでいた。生まれて初めて、生涯でたった一度の親子三人の夕食だ。
食事は美味かった。みんな懐かしい味ばかりだ。そしてその夜は、両親と一緒に川の字に並び、同じ布団で眠った。
どちらを向いても親が居た…。
父の匂いがした。
母の優しい甘い香りがした。
その時の俺は、日本中で一番幸せな子供であったろう。
俺は幸せなまま眠りについた。
翌朝目覚めると、味噌汁のいい匂いがした。
そして俺は新撰組の土方歳三に戻っていた。
両親と食事をした。その時父が言った。
「私達は天界で見ている。
頑張ってこい」
俺は両親に誓った。
「今まで以上に頑張ります。
だから、これからも見守っていて下さい」
俺の言葉に両親は笑顔でうなずいてくれた。
その時、何処からともなく僧侶が現れた。
名残りは尽きないが、俺は両親に別れを告げ、又その僧侶に連れられ、海瑛の待つ現世へと帰って行った。
僧侶と来た道を帰りながら、そのときの俺の心には、一点の悲しみもなかった。
「両親に逢えた!」
それだけで今までの悲しみや苦労など、全てのものが吹っ飛んだ気がした。
この気持ちを早く海瑛に伝えたかった。
幼き日の思い出を胸に、土方歳三が心の中で叫んでいた。
「海瑛、もうすぐ帰るからな。
待ってろよ!」
完
海瑛の独り言
人は生き、そして死ぬ。
永遠の刻が流れている限り、その繰り返しは無くならない。
体は朽ち果て、天に還る。
ならばその魂は?
その魂は待っている。
生まれ変われる、新しい自分を。
そして、再び与えられた人生を生き、自分に合った伴侶を探す。
輪廻の先に待っているもの。
それは、再び巡り逢うこと。
人はそれを奇跡と呼ぶのか…。
その奇蹟に出逢い、魂たちが、この世で共に添い遂げられたなら
その刻から、この苦しい地上に降りてくる事もなく、幸福でいられる。
……と言う事は。
生まれ変わると言う事は…。
愛する人と逢えなかった…。
と言う事なのか?
何度生まれ変わっても、同じ所で立ち止まり、悩んでいるのか?
だから人々は、出逢いを探して、彷徨い続けているのか…。
今日も、明日も、明後日も、再びの昔と同じように…。
刻の続く限り、ただ一人の人を探し続けているのか…。
輪廻して、再び生まれ変わる。
人は皆。
「刻の迷い子」
再びの刻