言葉では恥ずかしい事も音に乗せれば全て許される気がした。

コートがないと肌寒い日だった。
窓を全て開け、ベランダからは心地よい歌が聞こえる。
読み途中の本のページがめくれないように、桜の栞を挟み閉じる。

大きな声で空に向かって歌う声は真っ直ぐ伸びていた。
「そこの歌詞、2番だよ。」
1番も2番もぐちゃぐちゃな歌は外を歩く人に聞こえているのだろうか。
忙しなく回る世の中に、彼女の歌は響いているのだろうか。
「どうせ誰も聞いていないよ。」
また歌い出す。
少し遅いテンポも混ざり合った歌詞もズレた音程も、歌手からしてみれば「酷いものだ」と言われるかもしれない。

「ここは2番の歌詞だよ。」
すると少しふて腐れたように彼女は僕を睨みつける。
「私はここが歌いたいんだよ。」
スーッと吸い込んだ息が音に変わる。
忙しない世の中に彼女の歌が響く。

「歌いたいように歌えばいいじゃんか、決められた歌なんてないのにね。好きなように歌えばいいじゃんか。」
そう言って即興の歌を歌う。
なんて我儘な理由だって笑うだろうか。
彼女の自由な歌が好きだった。
いきなり作る即興の歌は酷いものだけれど。
僕は彼女の下手くそな歌が、めちゃくちゃな歌詞が好きだった。

「寒いね。」
鼻の頭を赤くした彼女は両手を広げる。
そっと小さい彼女を抱き締めると彼女は満足そうに笑った。

「部屋に戻ろうか。」
部屋に戻って下手な歌に名前をつけよう。
そう言うと彼女は「もう忘れちゃった」と笑う。
生まれてすぐ消えた歌は、誰かに聴こえて誰かの中で生きるかもしれない。
いつかまた聴けるなら、そんなことを思いながら窓を閉める。

限りなく冬に近い紅葉が綺麗な秋の日だった。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-08

CC BY-NC-ND
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