今日は僕があなたの恋人です
profile
以下、わが社の社員である。
No.1 ナギ
LOVERS LLCの社長。自らも依頼の対応をこなす。他の社員に比べると、仕事として機械的に対応することはあまりなく、常に依頼者との出会いを大切にしたいという理念のもと恋人として対応している。
No.2 トモ
契約フリーになることが滅多にないレアな社員。恋愛に興味がなく、誰かを好きになる感情の意味がわからないと本人は言う。自分自身に強く自信を持っており、積極的。そのためか、契約者に好意を持たれることが多く、契約延長のケースNo.1の社員である。
No.3 ソラ
自由奔放に対応する完璧主義社員。依頼者の希望が細かく多いケース、ツンデレ好きの依頼者の場合に派遣されることが多い。見た目は適当そうに見えるが神経質かつ几帳面。自身のことはあまり話さない。実際には甘え好きで包容力がある。自身のことを話さないのは、感情に流されやすいそんな性格を隠すためだと言われている。
No.4 シノブ
女性の観点で対応するのが得意で、依頼者に引きずった感情を持たせることが少なく、短期契約で終わらせるパターンが多い。そのため恋人として派遣される機会が多く、社員の中でも1番多く依頼対応をしている。長期契約にならない理由はその対応力と社長が1番信頼している社員。
No.5 ケンイチ
自身の事に関して秘密主義の社員が多い中では珍しく自分のことを隠さない主義。人の過去を察知するのが得意なピュアな感性を持ち、性格は温厚。過去に恋人を亡くしており、今後他に誰も愛さないと誓った。同じように恋愛で悲しい経験をする女性を増やしたくないと、入社したという噂がある。
それでは、物語へ、どうぞ。
File.1 『あなたが私を好きになるまで』
※ Tomo will be the lover
「ねえ。トモって、あなた?」
「そうだよ」
とある駅前の交差点で、私はインターネットからプリントアウトした書面をトモというその男性に見せた。
「本当に、恋人になってくれるの?」
「なりますよ。5分だけでも。1日でも。ひと月でも。ご希望とあらば。あなたが依頼人の美來さん?」
「そうです」
数日前に見つけた、それは「恋人になります」というキャッチフレーズのホームページで。あなたの好きなように、好みの恋人として過ごさせていただきますと書かれてあった。どうしてもやりたいことがあって。半信半疑で、無料アカウントのメールを使って登録をした。
「こういう仕事してるのにこんなこと言うのあれだけど。あなただったら恋人ぐらいすぐできるでしょう?きれいだし。大抵はあれだよ?誰とも付き合ったことがないとか、恋人いない歴をリセットしたいとか、そういうやつが多いよ?理由は別に必須ではないので聞きはしないけど、どうする?契約する?それともやめる?」
そう言いながらその人は、私の持ってきた書面のある個所を指さしながら目で返事を求めた。
契約は、恋人候補の容姿等を見てから決めていただきます。
その文章を目で追ってから、私は再度その人を見た。背はそれほど高くない、細め。時折男っぽい表情をするけれど、きれい、って表現が合うかもしれない、ユニセックスな雰囲気の人だった。すっきりと微笑むその口元は、自信に満ちている感じがする。そう思う間もなく、その人は言った。
「決めるでしょ?俺に」
近くのカフェで、向かい合わせに座る。白いシャツにデザインのある黒いネクタイをしていたその人は、カフェでネクタイを少し緩めた。一気に印象がラフになる。なんだか一瞬一瞬でイメージが変わるのだ、この人は。
「ここに、サインね」
「名前書くだけでいいの?」
「そう。苗字は要らない。俺があんたを呼ぶための名前、書いてくれるだけでいい」
私は指さされた場所に"美來"とサインした。
「契約は2日後の16時から、日付変わって深夜1時まで。間違いない?」
「はい」
「別れた相手に見せつけるくらい、愛し合ってる感じ出せればいいのね?」
「そう。それだけ」
「ルールは?触れるだけ、とか。キスまではしていいとか。その範囲内で対応するから決めて」
「あなたは、どこまでが仕事なの?」
「希望あれば、どこまででも。触れるなと言われれば一定の距離をあけつつ恋人を装うことだってする。全く触れないで雰囲気だけでね。逆に抱いてくれと言われれば抱くし、やめるなって言うなら何度でもイカせてやる。さ、どうする?」
「イカ・・・すってそんな、そういうのは必要ないけど。でも、時と場合によってはキスくらいなら」
「時と場合っていうのは1番困るんだけど。じゃあ、必要だったら、あんたからしてよ。俺は何されてもOKだから」
「わか、った。何されても、って。嫌じゃないの?」
「嫌だったらこんな仕事してないでしょう?」
「そうなんだ?何日も恋人のフリしてたら好きになったりしないの?」
「それはないね」
「どうして?」
「誰かを好きになったことはないね。その感情が俺にはよくわからない。契約相手に好かれることはよくあるけど。だからあんたラッキーだよ。俺がフリーになること、少ないから。契約期間延長するやつが多いんだよ」
何処からこの自信は溢れてくるんだろう。だけど、納得できる表情で淡々と話す。こんな特殊な恋人関係、特殊な仕事、普通なら隠そうとしそうなもんなのに。
「そんなに興味ある?」
「そんなこと・・・!」
「まあ、いいけど。では契約のサインもいただいたので、俺はこれで。2日後の16時、あんたが指示した場所に迎えに行くから。それまでにメールで、できるだけ細かく希望の恋人をまとめて提出お願いします」
それでその人とは別れ、なんだかよくわからないまま、2日が過ぎた。私の、恋人として希望する内容。悩んで悩んで、当日の午前中にやっとメールを送った。そして16時、待ち合わせの場所で待っていると、その人は黒い外国メーカーの車で現れた。左ハンドル。先日とは違う、クールだけど優しい表情で車を停めると、待ち合わせ場所で立っていた私に微笑んだ。
「美來、待たせてごめん。行こうか」
一瞬戸惑いそうだった。逢うのは2回目なのに、そんな空気はどこにもなく。もう何年も知っている人のように感じてくる。そっと私に近づいて、耳元で「お待たせ」と小さく言うと、私の背に手を回して車へと誘う。そしてそれが居心地がよかった。まるで壊れるものを扱うかのように、贅沢に、優しく私を扱ってください。私の希望はそれだけだった。それだけで、こんな風に変わるんだ、この人は。助手席に私を乗せ、車を走らせる。パーティー会場へ。3年も付き合った私を捨て、有名な大手企業の娘と婚約した、あの人の婚約披露パーティーへ。本来そんなところに行くはずもない。そんな私にわざわざ別れたあの人は招待状を送りつけてきた。見返してやりたい。今はもう別の、私を愛してくれる人がいることを見せつけてやりたい。
会場の入り口で車を預けると、「今からはトモって呼んで」と、また耳元に唇を近づけて私に言った。吐息がくすぐったい。歩くときは必ず背中に手を回してエスコートしてくれる。歩幅も合わせてくれる。自然と周囲の視線を奪っていることに気づいていた。パーティー会場の隅の方でふたりひっそりとしているつもりなのに、目立つのだ。きっと彼の容姿のせいだ。ヒールを履いた私とはほとんど背も変わらないのに、大きく見える。ただ一緒にいるだけなのに、包まれているように常に私に気をつけてくれる。だからなのか、別れた彼が視界に入っても緊張すらしなかった。穏やかだった。ここに来るまでの車の中では緊張して、苛立ちに耐えられないくらいだったのに。
「どうした?美來」
のぞき込むようにトモが私の顔を見た。優しくて、温かい。どうしたんだろう。苦しくて、心が。いや、違う。苦しいんじゃない。せつないんだ。そう思ったら、涙が溢れてきた。一瞬、表情が止まったかと思うと、また笑顔でトモはそっと白いハンカチを私の頬に当てた。
「どうして泣くの?俺が傍にいるのに」
「うん」
今度はまた、耳元で小さくささやく。
「別れた相手見るの、辛い?」
こっちは、恋人という仕事として、というよりは、トモが自分の言葉で私に問いかけたように感じた。で、思った。
「違うの。あんなやつどうでもいい」
そしたらトモは、不思議そうな表情をする。そしてまた、自信ありげなあの口元が微笑んだ。
「今すごく、キスしたいでしょう?俺に」
どうしてわかるんだろう。この人は私の考えてることがわかるのかな。そう思うとますます涙が出てくる。そんな私の涙を両手でそっと拭うと、トモは優しく口づけた。軽いキスだけでトモはやめようとしたけれど、私はそのまま、トモの首元に手を回してキスを返した。周りの声も視線も気にならなかった。今、私はトモとキスがしたいんだ。
もともとの、恋人の依頼をした理由なんてもうどうでもよかった。ほんの数分で、私はトモを自分のものにしたくなってしまった。心を奪われてしまった。例え、トモが私を好きになることがないとしても、それでもいい。そう思ってしまった。契約期間を、延長する。今のところ希望として、あなたが私を本気で好きになるまで。
2014/07/27 AM01:56
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.2 『空間の恋人』
※ Kenichi will be the lover
「お待たせしました、ハナ、さんですか?」
「はい、そうです」
とある駅前の交差点で、連絡のあった時刻に私は人を待っていた。インターネットからプリントアウトした書面をその男性に見せると、あらためて確認する。
「恋人になってくれるんですよね?」
「なりますよ。5分だけでも。1日でも。ひと月でも。ご希望とあらば。申しおくれました、わたくし、ケンイチと申します」
「宜しくお願いします。わたしは・・・」
「あ、けっこうです、お名前をおっしゃる必要はありません。下の名前だけで。ハナさん」
数日前に見つけた、それは「恋人になります」というキャッチフレーズのホームページで。あなたの好きなように、好みの恋人として過ごさせていただきますと書かれてあった。
「早速ですが、契約されるかどうかの返事をいただけますか?」
そう言うとその人は、私の持ってきた書面を手に取り、ある個所を指さしながら目で返事を求めた。
契約は、恋人候補の容姿等を見てから決めていただきます。
その文章を目で追ってから、私は再度その人を見た。容姿なんてどうでもよかった。最初から、恋人が欲しかったから。
「お願いします」
「では、契約書にサインが必要なので・・・」
きょろきょろと周囲を見回すと、その人はある方向を指さした。
「あのカフェ可愛いですね、あちらでサインいただきます」
雑誌で紹介されるようなおしゃれなカフェで、向かい合わせに座った。もうすでに、恋人同士にでも見えるんだろうか。歳も近しい感じだし、見た目も誠実そうで、普通にサラリーマンという感じの男性。
「契約は今日1日、日付が変わるまで。そちらで間違いないですか?」
「はい」
「えーと、普通にデートするだけでいいんですか?」
「はい」
「わかりました、では今からはハナって呼ばせてもらいますね、あと、もうちょっとフランクに」
そう言うとその人は優しく笑った。
「私は、なんて呼べば?」
「好きに呼んでいいよ。ケンイチでも、別の誰かの名前でも」
「え?」
「大切な誰かを忘れるために、俺に恋人役を頼んだんでしょ?」
「どうしてそれを?」
「当たった!直感かな。そんな気がしたから」
「あなたは?恋人はいないの?」
「今はハナが恋人だよ」
またその人は優しく笑った。もう、すでに契約が始まっているってことなんだ。
「何か食べてイイ?朝から何も食べてないんだ」
「どうぞ」
さっきまでと少し違う表情。随分前から知ってる人みたいにその人は私に笑いかけると、店員を呼んでサンドイッチを注文した。
「ねえ、食べたらどうする?何処か行きたいとこある?」
「あぁ、何も考えてませんでした」
「ねえ、ハナ」
「はい?」
名前を呼ばれるとなんだか一々ドキッとした。
「最近、最後に誰か男の人と一緒に行った場所って何処?」
「男の人と?」
「うん、何処?」
「えっと、すみだ水族館、かな」
「じゃあそこ行こう」
「え?どうして?」
「大切な場所でしょ?ハナにとって」
そう言うとまたにっこり笑って、サンドイッチをほおばった。
すみだ水族館に来たのは少し前に別れた彼氏とだった。風の強い日で、スカイツリーに登れなくて、水族館に長い時間居た。何を話すでもなく、青い水槽を見ながら立ち止まって。そんな時間を嬉しいと思っていた私と反対に、彼は私に別れ話を始めた。やりたいことがある、夢がある。だから一緒には居られない。それが理由だった。
「きれいだね。ねえ、ハナ。クラゲってなんか安心しない?」
「安心?」
「ゆっくりだからかな、動きが」
子供みたいに笑顔で、そっと手を水槽に添えてその人はクラゲを見ていた。たしかにその水槽にはゆっくりと動くクラゲが青い光の中で泳いでいて、たまに溢れる泡と共に、見ていて心地がよかった。
「この空間って、卑怯だと思わない?」
「どういう、意味?」
「特にここの水族館は全体的に照明を落としていて、その中にブルーの水槽が浮かび上がる。きれいでロマンティックで優しい気持ちになる。心をゆったりさせてくれる。だからこそ反対に、冷たくもさせてしまう。このブルーの色みたいに」
「冷たく?」
「話辛い会話をするのにもってこいだってことだよ」
そう言うと、クラゲの水槽から私に、その人は視線を移した。優しい表情だった。だからかな、涙が出てきた。
「ねえ、ハナ。触れても大丈夫?」
涙を拭いながら頷くと、その人は私の首元に手を回し、そっと抱き寄せた。
「聞いてもいい?前にここで、何があったの?」
この、空間のせいなのかな。それともこの人の優しさのせいなのかな。初めて逢って、契約しただけの恋人。そんな人に、彼との別れの話をした。この人の腕の中で抱きしめられたまま。
「今でも好きなの。別れたくないの。でも忘れなきゃいけないから、それで恋人を頼んだの。あの人よりももっと好きになれる人がいたり、楽しいことがあったら、忘れられるかもしれないって思って」
「でも、忘れられないでしょ?」
そう言われて、頷いた。
「俺もね、忘れられないの」
「え?」
「死んだ彼女のこと」
「え?」
体を離そうとしたけれど、その人は私を抱きしめたままだった。
「でももう居ないから、これ以上俺の気持ちを伝えられないんだ。だけどハナはまだ伝える術があるでしょう?」
今この人はどんな表情をしているんだろう。ふとそう思った。声が悲しかった。抱きしめる腕の力が強かった。その後何も話さなくなって、その人は私の肩に顔を埋めた。私から見える景色は、ゆっくりと泳ぐクラゲと、たまに通り過ぎる人が居るだけで。最初にこの人が言ったみたいに、水槽の中のクラゲの動きがなんだか、安心した。
「ちゃんと自分の気持ち、伝えたほうがいいよ。もしこのまま別れるとしても、自分はどうしたいのかちゃんと伝えたら、もっと笑顔になれるから」
抱きしめていた腕の力がゆっくりほどけて、私から離れるとその人は笑顔を見せた。
「あ、でも今日は俺が恋人だから」
こんなに優しいのに、時々不器用そうに照れ笑いをする。不思議な人だった。そっと私の手を取って、水族館を奥に進む。それからほとんどずっと、手は繋いだままだった。温かくて、クラゲみたいに安心した。もう明日からは逢うこともない人なのに。だからこそ本音で話せるのかな。一緒に食事をして、ショッピングをして、夜の街を歩いて。今日が終わる頃にはもう私は笑顔になっていた。別れた彼には好きってちゃんと伝えるよって言うと、その人は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、もう数分で今日はもう終わるから」
「はい、ありがとうございました」
「ねえ、ハナ」
「なに?」
「大好きだよ」
「え?」
「大丈夫。そのままのハナで想いを伝えれば、ハナにはこれからもっとしあわせが訪れるよ」
何も言えなくて。笑顔を返すのが精一杯だった。
「じゃあ、おやすみ」
笑顔でそう言うと、その人は自分の腕時計を私に見せた。もう、1分で今日が終わる。契約期間は終了。シンデレラみたいだ。0時で、もとの生活に戻ってしまう。そんな不安を感じさせないくらい笑顔で手を振って、その人は背中を向けた。バッグから携帯を取り出すと、時刻は0時を回っていた。
「おやすみ」
そう呟いて、私もその場を後にした。
2015/01/13 AM11:56
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.3 『Sora』
※ Sora will be the lover
とある駅前の交差点で、そっと歩み寄って来た男性が居た。何かを見下すような視線が怖かった。じっと見つめるしかできない私に顔を近づけると、耳元でそっと彼は言った。
「ご依頼いただきました、ソラです」
数日前に見つけた、それは「恋人になります」というキャッチフレーズのホームページで。あなたの好きなように、好みの恋人として過ごさせていただきますと書かれてあった。遊び半分での登録だった。任意と書かれた希望欄には、たくさんの希望項目を書いた。
私より背が高いこと。容姿端麗。性格は少し冷たく、でも誰より私を愛すること。私のことを無下に扱わないこと。頭のいい人。車の運転ができること。お金持ち。女性に優しい人。
「あの、これ」
インターネットからプリントアウトした書面をその男性に見せると、何も言わずに頷いた。
「恋人になるって本当?」
「なりますよ。5分だけでも。1日でも。ひと月でも。ご希望とあらばいつまでも」
「とりあえず私は3日だけ」
「わかってるよ、細かく希望設定書いてくれてたからね」
そう言って黒い細身のパンツのポケットからスマートフォンを取り出すと画面を見せた。私が登録した内容がずらっと書かれていた。きちんとまとめられてある。見た目はいい加減そうだけど、几帳面らしい印象だった。
「契約期間は客のあんた次第だ。3日で終わっても、延長してくれてもいい。即座に対応する。その分多少費用は増えていくけどね。でも基本、日数分の契約料だけでOK。それ以外に使う金は全部こちらが負担する」
冷たい視線を私に向けながらそう説明をすると、私の持ってきた書面のある個所を指さしながら目で返事を求めた。
契約は、恋人候補の容姿等を見てから決めていただきます。
「俺でいい?イケメン好みみたいだけど?あんた」
「な・・・」
「間違いじゃないだろ?容姿端麗がお好みだそうで」
その人はいやらしそうに不敵な笑みを浮かべた。
「問題ないならここにサインして。あと、してはいけないことだけはっきりしといてくれる?3日間恋人になるわけだから、恋人にありがちなことはすべてOKでいいのかどうか」
「ありがちなことって?」
「例えば・・・」
その人は唇が触れるか触れないかのぎりぎりの場所まで顔を近づけた。
「キスしていいのか、とか」
そう呟いてまた笑みを浮かべる。
契約は、サインをした今から3日後いっぱい、ということにした。どうせ遊びの恋人だ。暇つぶしにでもなればいいと思った。今までだって大した男と付き合ってない。騙されることも多かったし、捨てられることも多かった。あたし自身も、価値があるほどの女でもなく、単なるバカなんだろうし。お金を払ってる以上は、契約の恋人であろうが私の理想に近い男を演じてくれるんだろうから、3日間存分に楽しもう。そう思った。
「今からどうする?ユナ」
「ふたりきりになりたい」
「は?なに?早速ラブホ?」
「え?別にそういうんじゃなくて!」
私は彼の腕にそっと、しがみついた。なんだか甘えたかった。大切にされたかった。この人に。
「自分のことは話さなくていいよ」
「え?」
「内緒でいいよ。逆に話したいなら聞くし。違う自分を演じてくれてもなんでもいいけど、できるだけ遠慮なく素で居てくれる方が俺としては恋人になりやすいかな。だって今俺あんたの彼氏で、あんたは俺の彼女なんだから。だろ?ユナ」
「恋人になります」っていうのはこういうことなんだ?でももし、自然に恋人同士のふりをして、3日間過ごして、好きになってしまったらどうしたらいいんだろう。怖かった、この人の全てが。
その日の夜は、彼はうちに泊まることになった。その夜だけでなく、3日間一緒に居てほしいとお願いした。初めてうちに入ったのに、自然と慣れたように彼はうちに馴染んでいく。グラスを1つ取り出して、冷蔵庫のミネラルウオーターを注いで飲む。いつものこと、のようにソファに腰かけた。そして私をじっと見ると、手を差し出した。
「おいで」
そう言われているみたいだった。何故だか躊躇いもなく、私は彼に寄り添うようにソファに座った。髪をそろそろと撫でてくれる。瞼の上にキスをしてくれる。触れるそれだけで愛情が伝わってくる。心臓がドキドキと脈打った。恋人ごっこなのに。
「触れたら壊れそうだ、ユナって」
抱きしめて私の肩に彼は顎を乗せた。
「俺だけを見てろよ」
彼の背中に回した手にチカラが入る。もっと抱きしめたかった。抱きしめられたかった。
「ソラのことだけ見てるから、壊してよ」
「それは無理だな」
「なんで?」
「ユナのことは壊したくない。大切にしたい。優しくしたい」
どうして。この人は私をそんな風に見てくれるんだろう。女なんて、所詮男のおもちゃみたいなもんで。思い通りにならなければ殴るし、怒るし。抱きたい時に、私が嫌だと言っても無理にでも抱くし。泣けばうっとおしいと言われ。必死で笑顔でしがみついていた今までの恋愛はなんだったんだろう。
次の日はソラに美容院に連れていかれた。黄色く痛みまくったロングヘアを肩までばっさりと切られ、黒く染められた。その後にソラはインポートのショップで、私に服を選んだ。
「嫌なら言って?趣味じゃないとか、でも俺のセンスは間違いないから」
自信満々にそう言って。やっぱこれだな、と1枚のワンピースを手渡した。
「着替えたらそのまま出かけよう」
「え?これ?」
「似合うよ、その髪にそのワンピース」
満面の笑顔でソラがそんな風に言うから。やばい。とてつもなく照れた。試着室にこもって、着替えるよりまず両手で頬をおさえた。きれいめのそのワンピースは、品のある1枚で、私がこんなのを着ていいんだろうかって思ったけど。ヘアスタイルも変えたし、今までの私と違うから大丈夫。そんな風に思った。似合うよって言われたからかな。ワンピースに着替えて試着室から出ると、それに気づいたソラが歩み寄って来た。寄ってきながらだんだん笑顔になる。そしたらいきなり抱きしめられた。
「似合うよ、やっぱり」
私の希望の恋人っていうのは、こういうのだったのかな。わからないけれど。私よりもはしゃいで楽しそうなソラと一緒にいると、とても楽しかった。人目をはばからずキスをする。街中で、手を繋いで歩く。だけど時々ふっと冷たくなる。耳元で小声で言うんだ。
「他の男に笑顔ふりまくなよ」
「え?」
「今笑ってただろ、通り過ぎたやつ見ながら」
「笑ってないよ」
「笑ってたよ。俺だけ見てろっつっただろ?」
嫉妬?子供だ。中身はガキだ。魅力的な紳士であり、ガキだ。
うちに帰ってバスルームの鏡を見て、自分じゃないみたいだった。ヘアスタイルも髪の色も違う。嫌なわけじゃなくて、生まれ変わったみたいな気分だった。
「ユナ?何やってんの?素っ裸で」
「ちょっ、急に入ってこないでよ」
慌てて傍に有ったバスタオルで体を覆った。
「いいじゃない。一緒に入ろうよ」
そんな風に自然に自分もシャツを脱ぎだす。たった2日で、彼は私の生活の一部みたいになった。
3日目の朝は、早くに目が覚めた。ソラはまだ眠っていた。ソラが3日間一緒に暮らすために持ってきていた荷物が目に入る。小さなボストンバッグ、少しの衣類と少しの生活グッズ。たぶん入っているのはそれだけ。本当にそれだけ?何か、彼のことがわかる何かが入っているかもしれない。そっと手を伸ばそうとした。けど、やめた。
「何が知りたい?俺のこと?」
「え?」
振り向くとソラが居た。
「べ、べつに。荷物少ないなと思っただけ」
「なら、いいけどさ」
ソファにどさっと座ると、その瞳が少し怖かった。はっきりとした二重の瞳が、じっと私を見つめていたからだ。
「俺のことは話さない。教えない。悪いけど、仕事なんで」
「わかって、る」
「せっかくの3日目は喧嘩ではじまるの?」
「そんな!違うの」
「違うって、なにが?」
「怖いの。今日でソラが居なくなるのが」
「じゃあ契約を延長する?」
「そうじゃなくて。普通に、仕事ではなくて付き合うことはできないの?」
「無理だよ」
「どうして?」
「もう、誰も愛さないし、愛せない」
「どうしてなの?」
「そういう厄介な境遇のやつばかりなんだよ、この仕事してるやつってのは」
「あなたもそうなの?」
何も言わずにソラは2回、頷いた。
「じゃあ、契約期間を延長したらずっと居てくれる?」
「もちろん。生涯契約するやつもいるよ、まれにだけど」
「じゃあ私も」
「いや、それはやめたほうがいい」
「なんで?」
「ユナはこれからいい恋ができると思う」
「どうしてそんなこと言えるの?」
「俺と出逢ったから」
「え?」
「今までみたいな男じゃなくてさ、本来自分が出逢いたいような男をこれから見れるようになるよ。この2日間でそう思った、感じた」
「そんなの根拠がないじゃない」
「あるよ」
ソファに座ったまま、私を見上げているソラは優しく微笑んだ。
「初めて逢った時より表情が全然違う。きれいだよ」
「そんな・・・ただ、ソラ自身が私のこと好きにならないと思うから無責任にそう言うんでしょ?」
「違うよ。自信持って、今のユナは素敵だから。俺だって普通に生きていたら好きになってるよ」
この人と一緒に居たいと思った。そんな人に出逢えたのに、この人とは恋人にはなれない。
「そんな仕事やめて、一緒に暮らそうよ。私を変えてくれたみたいに、私もソラのこと変えられるかもしれない」
「それは無理だよ」
「どうしてよ?」
「俺もあんたと同じで、契約している身だからね、会社と。生涯契約を」
その日は朝からソラに抱いてほしいと我儘を言った。優しくしたいと言ったソラに我儘を言った。今日だけは壊してほしいと。涙が止まるまでずっと、壊し続けてほしいと、そう依頼をした。ただの、恋人ごっこだから。私の暇つぶしなんだから。大好きなんだから、ソラのこと。
3日目は家からは一歩も出なかった。ずっとふたりだけで過ごした。
日付が変わる頃、小さなボストンバッグを片手に私に小さくキスをして。抱きしめてからソラは玄関のドアを開けた。そして振り向くことはなく、時間になると外に出てドアを閉めた。
「ソラ・・・?」
慌ててドアを開けたけれど、そこには誰もいなかった。玄関から1番近いエレベータは動いている気配はなく、階段にも人影はなかった。あっという間に、ソラは居なくなった。急いで部屋に戻って、あのホームページを探そうと思った。もう1度依頼をしたら、また逢える。そう願って検索をかけても、閲覧履歴を辿っても、もうあのホームページは出てこなかった。
なんで?まだ、ソラのキスも、抱きしめられた温かさも、体が覚えているのに。
2015/01/13 PM17:42
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.4 『engaged』
※ Sinobu will be the lover
「はじめまして、シノブと言います」
指定された場所で待っていると、そう、声をかけてきた男性がいた。自分と近しい年齢の男性だった。そして手を差し出して何かを催促する。
「あ、すみません、これ」
数日前に見つけた、それは「恋人になります」というキャッチフレーズのホームページで。あなたの好きなように、好みの恋人として過ごさせていただきますと書かれてあった。インターネットからプリントアウトした書面を持ってお待ちくださいと言われていたので手にしていた用紙をその男性に見せた。
「えっと、サオリさん、でしたっけ?」
「はい。あのー」
「なんですか?」
「恋人になるっていうのは、今日1日ちょっと付き合ってもらうとか、そういうのでいいんですか?」
「大丈夫ですよ。希望次第で5分だけでも。1日でも。ひと月でも。望まれるようでしたらいつまでも」
「そんなに?」
「はい。今日は、1日だけお付き合いさせてもらったらいいですか?」
「はい」
返事をするとその男性は私の持ってきた書面のある個所を指さしながら返事を求めた。
契約は、恋人候補の容姿等を見てから決めていただきます。
「僕でよければ契約のサインをいただきます」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
私は、その男性から指定された場所にサインをした。下の名前だけでいいとのことで、そんなので問題ないのだろうかと思ったりしながら。
「じゃあ、どうしよっか」
「あの、やりたいことがあって」
「やりたいこと?何?」
「フォトウェディングをしたいんです」
「フォトウェディング?あー、一応決まりとして婚姻というのはできないんだけど。あくまで恋人になるっていうコンセプトでやってるから」
「大丈夫です。結婚してほしいわけではなくて、ただ写真を撮りたいんです」
「写真なんて、どうして?」
「もうすぐ、私死ぬんです」
「は?」
「治らないんです、病気が」
「何か重い病気?あ、でも深くは話さなくていいよ、全てを聞かせてもらわないといけない仕事じゃないから。なにか大変そうだね」
「そんな、でもありがとう、信じてくれるんですね」
初めて逢ったばかりのこの人に、あまり重い話をするのもどうかと思ったので病気の話をするのはやめた。
「今ひとりで東京にいて。病気のことは田舎の親に言ってないんです。でもそろそろもう、言わないと、私には時間がないから」
「親に話してない、ってのは確かにまずいね。しかも命に関わるんだったら」
「はい、それで結婚式を見せてやることもできなかったし、孫もできなかったし、私ひとりっ子なのに。それでせめてウェディング姿の写真ぐらい残したいなって。もちろん私も夢のひとつだから」
「でもどうしてそれでうちの会社の契約しようと思ったの?男友達に頼むとかでもよかったんじゃない?」
「ドレス姿の隣に男性がいないのは寂しいし、おかしいし。友達も少なくて男の友達はいないんです。ホームページに恋人になりますって書いてあったから、せめて写真を撮るその数時間ぐらいは恋人がいる気分を味わえたらなって」
「じゃあ、今は彼氏はいないんだ?」
「いたんですけど。病気ってわかったら離れて行ってしまって、格好悪いですよね」
「そんなことないよ。相手が悪いんだからサオリさんは格好悪くなんてないよ」
「ほんとに、優しいんですね。登録してみてよかった、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、でもあくまで恋人だから、我儘も無茶もなんでもOKだから。遠慮なく甘えてよ。でも、俺との写真なんて残って大丈夫なの?結果的には僕は今日だけしか恋人にはなれないから、両親にはなんて話すの?」
「もう、命のない私と結婚してもらうわけにはいかないから別れましたって。でも記念に写真だけ撮ったんだよって、言おうと・・・思って」
「そっか。サオリさんも優しいね、自分のことじゃなくて親のことまで考えて行動できるって。入院とかは、してるの?」
「はい、今日は外出許可をもらって出てきました」
「そう。じゃあ、思いっきり楽しまなきゃね。時間のリミットはどれくらい?」
「6時までに戻れれば大丈夫」
涙が溢れそうだった。そんな私を、人通りの多い街の中なのに気にせず抱きしめてくれて。
「いいよ、泣いても」
そう、小さな声で言われた。少しだけ泣いたけど、でも泣いてばかりいられないってことは、病気になった時にもう決めたことだから。そう思って顔を上げると、この男性は満面の笑顔で私を見ていた。こっちまでつられるようなあまりに温かい笑顔で私を見るから、私も思わず笑顔になれた。今日1日だけ恋人の、シノブさん。どうぞよろしく。
行ってみたかった店があって、いつもショーウィンドウに素敵なドレスが飾られている。ドレス等のレンタルを専門でしているこの店舗の上の階で、フォトウェディングができる。元気なころに通勤でいつも通っていた店だった。
「予約は入れてあるんだっけ?」
「はい」
「じゃあこの店のドアを入ったら、僕たちはフォトウェディングをするカップルだから、わかった?サオリ?」
「うん、・・・シノブ」
照れたけど嬉しかった。ドアを開けてくれて、先に中に入るように背に手を当ててくれる。「いらっしゃいませ」と声をかけられて、寄って来た女性が予約の確認をしたので頷いて返事をした。写真を撮るまでの段取りを説明される。まず衣装をそれぞれ選んでその後着替え、メイクを済ませる。そしたらスタジオで撮影をするという順番だった。
楽しかったのが、シノブはまるで本当に結婚式をするみたいに、ウェディングドレスをあーだこーだ言いながら選んでくれた。
「これどう?あぁ、でももっとふわってしてるほうが似合うかなあ。でもこの肩が出てるやつもセクシーだよね、どっち系がいいの?サオリは」
ひとりでぺちゃくちゃ喋りながらドレスを手にとってはこちらに見せるのを、店員とふたりでクスクス笑った。
「なに?どしたの?」
可笑しくて可笑しくて、クスクス笑うと店員が言った。
「彼女のドレス姿が本当に楽しみなんですね、さっきから必死で、失礼ながらその姿が可笑しくて」
「え?そんな必死になってました?うわ、恥ずかしい」
手にしていたドレスをまたラックに戻すとシノブは両手で顔を隠した。素敵な可愛らしい男性が来てくれて本当によかった。泣きそうだった。本当に、結婚式のドレスを彼氏と選んでいるみたいで。
ドレスは、結局シノブが選んだものにした。自分でも気に入ったっていうのもあるけど、この人が楽しそうに選んでくれたそれを着たいと思った。髪をアップにしてもらってメイクも済ませると、店員にスタジオへ案内された。
「あのね、サプライズがあるんだ」
タキシード姿になったシノブが先にスタジオで待っていて、急にそんなことを言った。
「サプライズ?」
「これ」
そう言って差し出されたのは指輪のケースだった。
「つけてもいい?」
「え?」
「サオリに、僕からプレゼント」
開かれた指輪のケースには可愛いピンクダイヤの指輪が入っていた。
「でも・・・」
「はい、左手出して」
言われるがままに手を差し出すと、薬指にそっと指輪をはめてくれた。サイズもピッタリだった。
「でも、これ、どうして?」
「サオリが着替えてる間にこっそり買いに行ってきた」
耳元で、私にだけ聞こえるようにそう言うと、シノブは私の背に手をやってスタジオのスクリーンの前に誘導した。
「さ、撮ろう。すてきな写真」
何枚も、立ち位置や背景のスクリーンを変えて写真を撮った。
「もっと近寄ってください」
カメラマンがそう言うと、シノブは頬をピタッとくっつけて私を支えるように抱きしめた。
「いいですねえ」
何度もカシャっとシャッター音がする。この人の温かさが優しかった。ほんの一瞬でも、今日だけの時間だとしても、こういうのをしあわせって言うんだろうか。そう思った。病気になってから、こんなに笑顔になれたのは初めてだ。
写真は、数日後に送ってもらうことにした。ある、病院宛に。
ドレスを脱いで、もと着ていた衣類を身に着ける。あぁ、これでもうシノブとの時間は終わりか。そう思った途端に気分が悪くなった。店員の人が手を貸してくれてやっと椅子に座れる感じだった。お薬、切れてきたのかな。大きく肩で息をしていると、ドアを開けてシノブが入って来た。
「サオリ、具合悪いって?大丈夫?」
そう言うと椅子に座った私の前にシノブは座り込んだ。覗き込むようにして私を見ていたその表情には嘘のないような誰かを心配する顔で。私は思わず彼に抱きついた。
「大丈夫?病院、早く戻ろう。タクシー呼んでくるから。すみません、彼女をちょっとお願いします」
店員に声をかけながら急いで部屋を出ていく。そして少しすると戻って来た。
「じゃあ、行こうか。タクシーとめてあるから」
タクシーの後部座席で、ずっと肩を抱いたまま腕をそろそろとさすってくれる手の温もりが心地よかった。少しずつ呼吸は落ち着いて、シノブは病院についても病室まで一緒に来てくれた。帰宅したことを確認しにきた看護士に状況を説明すると点滴の準備をすると言われ、その間もシノブは一緒に居てくれた。
「あの、これ、そう言えばお金払わなくちゃ」
薬指の指輪にそっと触れると、シノブは首を振った。
「サオリには契約料は払ってもらわなきゃいけないけど、それ以外はすべて僕が。ちゃんとホームページにも書いてあったでしょ?契約料以外の費用は一切必要ないって」
「でも、こんなにしてもらって」
「それより、1日でも長く笑顔でいてくれる方が僕は嬉しいから。サオリは僕の大事な彼女だからね」
やっぱり笑顔の優しい人だ。また涙が溢れてくる。
「ありがとうございました」
看護士が戻ってくると、シノブは笑顔で私の髪を撫でた。
「じゃあ、僕はこれで」
「うん、本当にありがとう」
数日後に届いたその写真を、辛くなると私は病室のベッドでいつも見ていた。この人と撮ったこの写真を見ると笑顔になれるから。1日でも長く、笑顔でいたかったから。人生の最後に、優しい時間をもらったから。こういう出逢いもあるんだなって。私にはもう不幸しかないのかと思っていたけれど、薬指の指輪の重みが、そんなことはないんだよと言ってくれていた。
2015/01/25 PM21:26
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.5 『あなたが他の誰かを好きになるまで』
※ Nagi will be the lover
「どうしますか?今回」
声をかけてきたのはトモだった。うちの1番やり手の社員だ。
「電話だけだったら、俺同時進行でいけますけど?」
「いや、大丈夫。俺がやるよ、今回の仕事は」
「社長自らですか?いいんですか?」
「ちょっとややこしそうなんだ、今回の依頼は」
うちの会社は「恋人になります」というキャッチフレーズの企業で、ホームページで依頼を受けている。あなたの好きなように、好みの恋人として過ごさせていただきますというのがメインの仕事。希望の日程や恋人の条件などを聞いて、実際の恋人のように過ごさせてもらう。ところが今回は珍しい依頼だった。依頼してきたのは恋人として過ごしてほしい女性の、元恋人からだった。
「結婚するつもりで付き合っていました。ですが事情があって別れなければならなくなったんです。来月には私は別の女性と結婚します。それで、彼女は誰も信用できなくなってしまったというか、もう誰も愛せないと私に言いました。とても辛くて。そんな彼女を見てられない。だからといって私は彼女を幸せにはしてやれない。だから、お願いしたいと思いました。誰かをまた愛したいと思えるような恋人になってやってもらえませんか?」
依頼主に会うと、そう、具体的な話をしてきた。
「契約期間は状況を見て、ということですね。今回私が対応させていただこうと思っております。よろしいですか?」
「はい、ぜひ。お願いします」
めずらしい依頼だと思ったのは、恋人のやりとりをするのはいつもと変わらないけれど、会ってではなく、電話で、ということだった。
「自分自身にも自信をなくしてしまって、誰にも会いたくないと言い張るんです」
恋人は悲しそうな表情でそう言った。依頼主の元恋人である男性と会ったのはそれで最後だ。ただ、契約期間の問題があるため、彼女との状況は毎日メールで報告させてもらうという事になった。
「ほんっと、面倒くさいケースっすね」
嫌味っぽい笑みを浮かべてトモが言った。
「仕方ないだろ、そういうのも人にとって大事な出逢いなんだよ」
初めて電話をかけたのはその依頼主と会った日の夜だった。
「もしもし?」
電話の向こうの声は優しい。
「もしもし?キヨカ?」
「あ、もしかして、ナギさん?」
「名前、聞いてるんだ?」
「ええ。電話が入るからと言われていました」
「ナギでいいよ、呼び捨てで」
「ナギって、どんな字を書くの?」
その人は本当に誰にも会いたくないと言っている人物本人であるのかと思うほど、よく喋る。
「夕凪の凪。つくえという部首に止まるって字を書く」
「あぁ、知ってる。きれいな名前」
「キヨカは?」
「内緒」
そう言って、ふふっと笑った。
「私を好きになってくれるって?」
「好きになるんじゃないよ、もう好きだよ」
「どうして?」
「キヨカの名前を覚えた時点で、もう恋人だから」
「そうなんだ?」
「ねえ、どうしてもう誰とも会いたくないの?俺も、会いたくない?」
「自分のことが嫌いだから会いたくない」
「どうして嫌い?」
「好きになられる要素がないから」
「でも、俺はキヨカのこと、好きだけど?」
「それは、電話だからだよ」
「電話だから?」
「ほら、声だけでたくさん想像できる。知らないあなたの顔も、今どんな風に話してるんだろうとか何をしながら話してるんだろうとか」
「あぁ、確かに」
「そうやって想像してくれているあなたの中の私は、たぶんきっと、私が嫌いな私よりは少しは好いてもらえる私であるかもしれない、でしょ?」
頭のいい人だ、と思った。直感で。その日はなんとなく他愛のない話をして電話を切った。面白いことに、今後、電話はすべて彼女のほうからかけると言った。話したい時に電話をするからと。会うのは嫌だけれど、電話では少しは心を開いてくれるのかもしれない。なので俺は、24時間体制で、電話にだけは何があっても出なきゃいけないんだ。
「どうして?忙しい時でも出てくれるの?」
「当たり前だよ、キヨカからの電話に出ないはずないだろう?」
「でも仕事中とか、困るでしょ?」
「困らないよ、これが仕事だから。俺の毎日の仕事は、キヨカのことだけ考えることだから」
「それ以外は?しないの?」
「そうだなあ、電話を切った後も、今は何をしてるかなって想像すればするほど、キヨカのこと好きになれる。だからずっとキヨカのことを考えるのが俺の毎日の仕事なんだ」
「それで会いたくなっても私は会わないよ?」
「いいよ。キヨカのことを好きでいれればそれで。そしたら他に何も考えなくていい。すごく幸せなことだと思わない?それじゃ困る?」
「別に、いいけど」
それからも、キヨカから電話が入るたびに電話に出た。白いシャツと淡いピンクのシャツ、どっちを着たらいいと思う?と聞かれて、見たこともないキヨカを想像して答える。淡いピンクと答えると、じゃあそれにすると言う。何処かに出かけるの?と聞いてみるけれど、その質問に対してはいつもこれだ、出かけない。今から夕食を作るけど何を食べたい?とか。聞くから答えるけど、別に作ってくれて一緒に食べるわけでもない。だけど2人分作ったよ、とか言う。材料は買いに出るの?と聞くと、宅配だと答えた。本当に一切外には出ないようだ。だけど着るものを気にしたりもする。きっと本当にずっと家に居たいとは思っていないんじゃないかと思えてくる。たぶん、そうだ。
「どうしてこんなにもキヨカのこと好きなのかな」
ある日そう電話越しに聞いてみた。
「それはナギが、とても素敵な人を想像しているからだよ」
「でもそれが、キヨカでしょ?」
「私は素敵じゃない」
「どうして?」
「自分で自分が嫌いだから」
「でも俺は大好きだよ。言っても言い足りないくらい。だってさ、考えない時間なんてないもん。キヨカは?俺のこと、全然考えないの?」
そう問いかけると、少し黙った。その無言の時間が、彼女が変われるか変われないかの大事な考える時間なんだ。
「たまに、考えるかな」
「どんなこと?」
「いつ、電話しよう、とか」
「24時間いつでも、って言ってあるのに、いつ電話しようかって考えるの?」
「だって何かしてるかもしれないでしょ?誰かと会ってるとか、シャワー浴びてる最中かもしれないし」
「全然問題ない。いつでもいいよ?」
「そんなに甘えていいの?」
「いいよ、だってキヨカだもん」
「他の人は?そんなことする人はいないの?」
「そんなこと?」
「うん、私みたいに24時間いつでも電話してくる人」
「いないよ。いるわけないだろ?24時間電話はキヨカだけ。恋人以外の人にそんなことさせるわけないじゃない?」
「私、恋人なのかな?」
「なんで?俺はキヨカのことこんなに好きだっつってんのに。キヨカは?俺のこと好きじゃない?」
「ううん、好き、だと思う」
「そっか。よかった」
「なんで?」
「俺の片思いだったらどうしようかって焦った。だって俺たち恋人同士なんだろ?違うの?」
「うん、そうだね」
もう誰も愛せないと言ったと依頼主が言っていた言葉を思い出した。そんなことないんだよ。彼女はただ、それくらい依頼主のことを愛していて、それ以上に愛せる人にもう会えないと願いたかっただけなんだ。
「ねえ、キヨカ?」
「ん?」
「俺さ、めちゃくちゃキヨカに会いてえよ」
キヨカに会うことになったと依頼主に報告を入れると、驚いたと返事が返ってきた。それと同時に、誰かに会いたいと思える状況にしてくれたことに感謝するとの返事も返ってきた。
だったら、あんたがキヨカのこと幸せにしてやればよかったのに。どんな事情があるのか知らないけれど。どんなに周囲に反対されてもさ。
さすがに外出はしたくないと言うので、キヨカの自宅を訪れることになった。もちろん、不安を抱かせたくないので、家には上がらずに玄関先までで帰ると言って約束をした。それ以上どうしたいかは、キヨカ次第だ。
言われた住所を訪れると一戸建ての住宅だった。そこそこ大きな家で、もしかして両親も一緒なのかと思ったりしたけれど、なんとそこに彼女は独りで暮らしていた。
「両親が残してくれた家なの」
「ご両親は?」
「もう両親ともに居ないので」
玄関先で、今日はいつも以上に自分の話や深い話もする。だけどそうやっていつものようになんとなく会話をするものの、やはり電話よりはよそよそしく。そしてキヨカはずっと俯き加減で、首に巻いたストールに顔を埋めて、ほとんど目だけしか見えない。自分に自信がないというのがそういう動きにも表れている。
「キヨカの想像していた俺は、実際の俺とはかなり、違う?」
「ううん。なんとなく、近い」
「ほんと?」
「眼鏡はかけてる気がしてた」
そう言われた俺は自分のかけている眼鏡にそっと触れた。
「キヨカの顔は見せてくれないの?」
目だけがそっとこっちを向く。
「無理には、いいよ。その瞳だけで安心した」
「なんで?」
「俺を見てくれただけで十分」
「そうなの?」
「キヨカが見られたくないなら俺は無理には見ない。キヨカの存在自体が俺の大切なものだから」
キヨカは、その後何も言わずにずっとストールに手を添えていた。俺より少し小さい背と、手の白さ。スカートから出た足の細さ。俺の想像した女性にそれをプラスすることができただけでもいい。
「じゃあ、今日はこれで帰るよ。あまり、無理しないで。また電話待ってるから」
そっと微笑んで、俺は帰ろうとした。視線を反らして、ドアを開けようとしたら、腕を掴んだんだ。キヨカが。何気に振り返って、見たキヨカは隠していたストールが首元にふわっと広がって、そしたら目があった。小さな鼻と、淡いピンクのリップ。とにかく、とにかくだ。仕事を忘れてしまいそうだった。きれいだった。キヨカは、とてもきれいな人だった。ストールとともにふわっとなびく肩までの髪がスローモーションみたいに見えて、俺の心をも揺らすみたいだった。俺は、俺の腕を掴んだキヨカの腕に優しく触れた。
「不思議だ。ほんとに。どうして、どうしてさあ、こんなにも好きなのかな。キヨカのこと」
そう言った俺に抱きついてきたのはキヨカのほうだった。心の寂しさも不安も、全部包んでやりたいと思った。普通に、ひとりの男として。
「契約期間の件なんですが」
その日、俺は依頼主に電話を入れた。
「はい」
「キヨカは俺のことを好きになる可能性があります」
「はい」
「ですが、私どもの契約方針としまして、最終的に今回のあなたのように、婚姻をすることができません」
「はい」
「このままだと、また同じ心の痛みを与えてしまう可能性があります」
「そんな!」
「ですがそれは私どもも避けたいと思います」
「はい」
「これから少しずつ、彼女が外に出れるように心を支えていきたいとは思っております。1人の男として好きになられるのではなく、人として好きになられるように私どもは彼女を見ていきたいと思っています。で、契約期間なんですが」
「はい」
「そうやって彼女が外に出るようになって、たくさんの人と出会える機会が持てるように私も考えていて。他に誰か好きな人ができてくれればいいと、そう願って思っております。それで」
「はい」
話をしていて辛くなる。きっと、俺も彼女のことを好きになるだろう。なるだろうけれど、いつか誰かと幸せになってほしい。なんて考えている俺は、結局は依頼主と同じ立場になってしまっている。仕事として受けた相手に恋愛感情を持つことは、ルール違反なんだ。
「契約期間は、彼女が他の誰かを好きになるまで」
「は?」
「精一杯彼女を支えながら、好きで居ながら、彼女が本当に出会うべく人を探せたらと思っております。なので、彼女が他の誰かを好きになるまで。いつになるかはわからない。かなりの長期契約になる可能性もあります、どうなさいますか?それとも、打ち切りますか?」
「打ち切り?だけど、そうしたら彼女は・・・」
「また、同じように独りで生きようとするでしょうね。脅しているようで申し訳ないですが」
「いえ、もとはと言えば彼女との結婚を選べなかった私の責任ですから。契約期間はそれで、その条件でお願いします」
「わかりました。私どもも彼女には幸せになってほしい。早くに期間終了できるよう、精一杯彼女のフォローをできればと思います」
あなたが他の誰かを好きになるまで、それまでは、俺はあなたを精一杯愛したいと思う。ただしその先には、別れがあることをあなたには言えない。こんなに悲しい思いをするのなら、どうして俺はこんな会社を作ってしまったんだろう。だけどいつかあなたが幸せになってくれることを願うと、この出会いは必然だったと思うんだ。
2015/04/07 AM01:24
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.6 『Dress up life』
※ Sora will be the lover
あるマンションのエントランス。ガラス張りの入口を入ると、吹き抜けのロビーが広がっていた。高級ホテルみたいだ。これがマンションだなんてさ。受付には女性スタッフが1人おり、入ってきた俺の顔をじっと見た。
「ソラです」
スタッフに向かって名前を言うと、立ち上がり、深くお辞儀をしながら返事が返ってきた。
「大橋さまのお住まいは58階になります」
「ありがとう」
歩くたびにカツンカツンと心地いいくらいに靴の音が響く。大理石だな、これ。自分の足元をちらっと見て、俺はそのままエレベーターの前まで歩いた。エレベーターに乗り込み58階のボタンを押すと、ドアがゆっくりと閉まった。
それにしても、だ。社長には今回ムカついてんだ。契約手続きをしたのは昨日の話だ。今日から1週間の契約を取った。
「なぁ、ソラ。頼みたい依頼があるんだけど」
「どれですか?」
社長が、開いていたiPadの画面をこちらに向けた。
「依頼者のリクエストはほぼ無しに近い」
「無し?」
「フリーって書いてあるだろ。特にこれといった希望は無し。」
そう言って、ある個所を指さした。
[1週間恋人として買わせていただきます。好きな時間を過ごしてください]
「なんだこれ。恋人になってくれ、じゃなくて買うって。人をなんだと思ってんだよ」
「でもちょっと面白いと思わない?」
社長は意味ありげな笑みを俺に向けた。それだけなら別にいい。唯一書かれていた条件が[子供っぽい性格の人]だった。それが気に食わない。
「最適だろ。ソラがまんまって感じだと思って。引き受けてくれる?」
断りはしないけど、社長も俺のことそういう風に思ってたのかよ。子供っぽいだ?あくまで俺は紳士だよ、いつでもこの仕事してる限りは。
俺たちは依頼者の好きなように、好みの恋人として過ごす、[恋人になること]を仕事としている。5分だけでも。1日でも。ひと月でも。ご希望とあらばいつまでも。性格や細かい対応や、そういうのもすべて受け入れて恋人になる。どんな恋人でも演じ切ってやる。そんな俺に挑戦しかけてきたみたいな依頼だ。
昨日逢った依頼者は大橋亜希。俺より少し年上の、しっかりと人の目を見て話す女性だった。結婚している。相手は11歳年上の、ある企業の社長だ。俺でも名前くらいは知ってる企業だ。その奥さんからの依頼って、どういうことだ。しかも、初日はいきなり自宅に来いと言われた。ロビーの受付で名前を言ってくれればいいと言われて、そして今俺はエレベーターに乗っている。
58階は1フロアが1世帯。つまり大橋家のみのフロアということになる。降りるといきなり男性が2名立っていた。いかにもやばそうな厳ついやつだ。特に何も言わずに動くこともない、俺が通り過ぎるのをただ目で追っていた。さっきの女性スタッフから連絡が入っているんだろう。水の流れる壁に沿って廊下を歩くと玄関がある。ドアをノックしようと思ったら、ドアが開いた。
「そろそろ来るかと思って」
ドアを開けたのは亜希さんだった。黒いミニのワンピースを着ていた。やたら着飾っている。
「なんなの?ここで何があるの?」
「今日はホームパーティー。楽しんでって。どうぞ」
背中に手を回され、家の中へと誘導される。靴は脱がなかった。そのまま中へ入ると、少し廊下を歩き、階段があった。マンションの最上階で階段まであんのかよ。それを上るとまた廊下があり、奥の広いリビングへと連れていかれた。俺の靴音と同様、彼女のヒールの音が響いたのがとても記憶に残ってる。ここも、大理石なのか。とおされた全面ガラス張りのそのリビングはホールのような広さで、そのガラスの壁の向こうに広く東京の街が広がっていた。そして部屋にいる人たちに目をやる。みんなが俺を見ていた。着飾った女性やスーツを着こなしている男性が沢山、グラスや食事の乗ったプレートを手にしたまま俺を見ていた。
「彼はソラ。1週間だけ買ったの」
「だから買ったって言い方・・・」
「でしょ?」
小さく彼女に言った俺の言葉を遮るように、俺の目をじっと見つめると、強くそう言い返すと俺にはそれ以上は話させない。確かに、昨日の契約でそうなった。
「あなたは私の恋人、だけど別に好きだから恋人ってわけじゃない」
「まぁ、そういう仕事だからね、俺も」
「何故恋人が欲しいかとか、特に理由はなくって。ただ楽しみたいんだけど」
「楽しみたい?」
「だから別に逢いたくなかったら来なくてもいいけど、逢いたかったら明日、ここに来て」
そう言って、住所とマンション名の書かれた紙を手渡された。
「そういうんじゃ俺仕事になんないんだけど」
「仕事しなくていいよ、私、あなたを1週間だけ買っただけだから、自由に遊んでくれていいよ。他の女連れ込んでくれてもいいし」
「だからその、買うって何なんだよ。依頼メールにも書いてあったけどさ」
「飾り。このピアスとか指輪とか、そういうのと同じ」
「なんだって?」
「あなたは恋人っていう私の飾り。1週間、私を飾ってくれたらそれでいい」
「あんた俺を馬鹿にしてんのか?」
「お金を払う以上は、こちらの希望に沿ってくれるんでしょ?それともそちらから断る?別にいいけど」
そういうのは性に合わない。プロなんだ、こっちは。断るかよ。
彼女は俺を買ったとみんなに紹介しただけで、俺にワインの入ったグラスを手渡すと、俺からすっと離れていった。そしてある男性の横に立つ。
あ・・・。
社長だ。大橋社長。つまり亜希さんのご主人だ。あんなに堂々とみんなの前で1週間だけ買ったなんて紹介を、夫も居る前でするか?普通。じっと見ていると社長と目があった。とても紳士的な面持ちで、ゆっくりと歩いてくる。俺は逃げられないその場でじっと社長を見つめていた。目の前に立たれても何も言えない。だけど社長は俺に向かって言った。
「1週間、亜希を楽しませてやってくれよ、あいつはあれで寂しいみたいだから」
つまりあれか。夫も了承の上での恋人ごっこってことかよ。だけどこれといって相手をされることもない。ただ手渡されたワイングラスを手にしたまま、俺はガラス張りの部屋の隅でパーティーの様子を見ていた。彼女は時々俺のほうを見ては微笑む。ただそれだけだ。つまんないだろ、これ。彼女の傍に戻った社長は彼女の腰に手を回すと仲良く顔を見合わせたりしている。必要ないだろ、ここに俺は。誰も俺に興味はないし、誰も俺がいなくたって困らないだろ。だんだんイライラしてきて、俺はワイングラスをバーカウンターに置くと、部屋のドアを開けた。けどさ、彼女に連れられて歩いてきた廊下を進んで階段を途中まで降りると、ふと思ったんだ。契約・・・してんだ、俺、今。仕事なんだよ、これ。恋人なんだよ、俺は今あんたの。
俺は着ていたジャケットを脱ぐとそのままリビングに戻った。ドアを開けても誰もこっちを見ることもない。きっとさっき出て行ったことも誰も気にも留めてないんだろう。だけどね、悪いけど俺は今この人の恋人なんだよ。
俺はカツカツと足早に靴の音を響かせながら亜希さんに近づいた。彼女の腰に回された社長の手を払いのけて、俺が彼女を抱き寄せた。驚いたように俺を見上げる彼女の唇に、俺は大きくキスをした。一瞬でなんか終わらない。中のほうまでぐっと、知れるぐらいのキスをした。途中で彼女が俺の背中に手を回したのは知ってる。周囲が何も言わないのにも気づいた。普通なんだ、きっとこいつらの生活ではこれが。
キスをやめて唇を離すと、彼女は俺に静かに抱きついていた。社長とは目があったが、にっこり笑って立ち去られただけだった。ふん・・・金持ちの遊びってことか。嫌いなんだ、こういうやつら。背中が大きく開いた彼女のドレスが俺の指を遊ばせる。背中をそっとなぞると恥ずかしそうに彼女は俺に甘えた。
だから俺は彼女の耳元で言ったんだ。
「今からしようよ。ふたりきりで。別の部屋で」
俺たちはそのまま、下階にある個室に消えた。来客用の部屋のようだった。バスもトイレも洗面所もすべてある、ホテルの一室みたいだった。部屋のドアを閉めてキスをした時にはもう俺は彼女のドレスを脱がし始めていた。そしたら彼女が急にくすっと笑ったんだ。
「なに?」
「依頼どおり」
「なにが」
「子供っぽい性格の人」
「はあ?」
「大好きなの、あなたみたいな人」
一気に気分が冷めそうだった。けど、冷めはしなかった。
「お金ではなんでも買えるけど、心は買えないじゃない?」
「なにが言いたい?」
「見てたでしょ。何も言わないでしょ、あの人」
「あの人って?社長?」
「何をしても可愛いんだって、私のこと」
「いいじゃん、それなら遊び放題で」
「でも、さっきのあなたみたいに無理にでも欲しいと思ってくれることないから」
「は?」
「私もね、飾りなの。あの人の」
じっと人の目を見て話す彼女は、プライドをしっかりと持った大人の女性のようであり、孤独と戦うだけのただの女の子のようでもあった。
「だから1週間、あなたを買った。楽しませてほしい。あなたなりの方法でいいから」
今度は彼女からキスをしてくる。俺はそんな彼女を抱き上げると、そのままベッドまでゆっくりと歩いた。
「あんたさ、依頼メールに書いてたよね」
「なにを?」
「好きな時間を過ごしてくださいって、さ」
「書いた、かな」
「せっかくだから楽しもうよ、ふたりで」
正直、あんたらの生活は変だよ。愛情の使い方もおかしいよ。だけど俺にとってはこれは仕事だ。どんな人であれ、どんな状況であれ、俺はこの契約内容を遂行する義務がある。ベッドに押し倒すと彼女はとても恥じらうような可愛い笑顔を見せた。
そう、俺は今回あんたに買われた。1週間だけ、俺はあんたの飾りなんだからさ。
2015/08/26 PM10:45
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File.7 『薔薇の棘をなくしたら』
※ Sora will be the lover
とても緊張していた。人通りの多い昼前の時間帯。駅前の交差点で人を待っていた。
[LOVERS LLC]、偶然ネットで見つけたホームページ。そこには「恋人になります」と大きな文字で書かれてあった。こんなの出会い系サイトじゃん。そう思いながら、ある文章が気にもなっていた。
『あなたの好きなように、好みの恋人として過ごさせていただきます。』
好きなように。って。希望を聞いてくれるってことなのかな。でもそういうのって馬鹿みたいに騙してお金取られるんじゃないかな。だけどこうも書いてある。
『契約は、恋人候補の容姿等を見てから決めていただきます。契約期間内の契約料金はその際に提示。契約中に発生するその他の費用は当社がすべて負担いたします。あなたにとって最高に贅沢なひと時をどうぞ。』
数時間、パソコンで開いたままのそのホームページを見ては考え、最終的に私は登録をした。会ってみて、嫌なら断ればいい。料金が高ければ断ればいい。そう思って、今私はこの交差点で人を待っている。顔も名前も知らない誰かを。
「ご依頼いただきました、ソラです。あなたがショウコさん?」
濃いグレーのスーツを着た男性だった。モデルみたいなきれいな顔立ちで背が高くて、私の顔を覗き込んでそう言った。
「はい」
「恋人になってほしいのは今から夜まで。片思いばっかりでほとんど男と付き合ったことがないって?そんなことわざわざ登録の際に書いてくれなくてもいいんだけど、まぁ情報としては無いよりは俺にはありがたい。で、ドキドキしたい。両想いの恋人同士がどんなものなのか、もっと知りたい。と、そんなところ?」
パンツのポケットから取り出したスマートフォンを見ると、ソラと名乗ったその人は一気にしゃべった。確かにそれは、私が登録の際に伝えておきたいことを書く欄に書いた内容だった。だけどそう声に出されると恥ずかしい。
「間違いなく希望通り、今日、これから夜まで、恋人として過ごさせていただきます。俺でよければ。で、料金はこれだけになります」
スマートフォンをいじると、その画面を私に見せた。その料金は思っていたほどのものでもなく。ちょっと贅沢な夕食を食べる程度。見た目は、もちろんかっこいい。話す口調がちょっと怖いけど。
「優しくしてほしいって言ったら、優しくしてくれるんですか?」
そう言うと、その人はフッと笑った。
「もちろん、好みの恋人として過ごさせていただきますので。そんなに俺怖かった?」
「そういうわけじゃないけど」
「希望には全て答えさせていただきます。キスしてほしかったらするし」
にやっと笑うその表情は自信に満ちた感じで、何故か嫌ではなかった。通り過ぎていく女性がちらっとこちらを見て行った。目を、奪われるんだ。わかる。この人素敵だもん。契約にはサインだけが必要だということで、私は見せられた用紙にサインをした。
「じゃあ今から俺はあんたの恋人だから。ソラって呼んで。我儘でもなんでも聞くから。優しい人がお好み?」
「はい・・・よろしくお願いします」
サインをした用紙を折りたたんでジャケットの内ポケットにしまうと、スッと顔をあげて、その瞬間から彼は急に表情が変わった。
「どしたの?ショウコ」
「え・・・あ」
「もう、ぼーっとしてないでさ。腹へったよ。何か食べようか」
自然に背中に手を回して、彼、・・・ソラはゆっくりと歩き出した。
「ほんとに、今から恋人なの?」
「何言ってんの。俺は今までもこれからもショウコの恋人のつもりだけど?ショウコにとっては違ったの?」
別人みたいだった。優しく覗き込むようにして私の顔を見ると、にっこり笑って言った。
「そんなに口に出して言わなきゃ伝わんない?俺がショウコのこと好きだって」
戸惑った。けど、サインしたから。契約したから。恋人、なんだ。この人が今は私の。今日1日だけ。
「ソラ・・・?」
「ん?なに?」
「好きって、どんな感じ?」
「ん?ショウコのこと?」
「ううん、そうじゃなくて。ソラが誰かを好きになる時って、その好きってどんな感じ?」
「難しいこと聞くね」
「ごめんなさい」
「いいよ。俺は、そうだなあ」
歩きながら、ソラはそっと私の手を繋いだ。
「こんな感じ」
「え?」
「手ぇ繋いで。一緒に歩いて。何気ない話をして。こやって時々顔を見合わせて。笑って。大事にしたいって思ったり。抱きしめたいって思ったり。そんな感じ」
「今は?どんな感じ?」
「ショウコにキスしたい」
悪戯っぽく笑うと、ソラは急に早足になった。
「ほら、なに食う?もう腹へっちゃってさ」
不思議と、笑顔になれた。いつも、うまくいかない私の恋は。そういう、ソラの言う好きの感じをそのまま期待しているだけなのに。いつだって好きになるその人とはそれがうまくできなくて。どこかズレてしまったり、距離があいてしまう。少し小走りなくらいに手を繋いで街を駆ける私の手を引くソラは、私の理想そのものだった。好みの、恋人だった。まだ会って数分なのに。
「何が食べたい?」
そう聞かれて、特に答えられなくて。だったら美味しいランチの店があると連れて行ってもらった。食事が済んだらまた街を一緒に歩いた。ただそれだけなのに、楽しかった。時々ふらっと店に入って、雑貨を手に取ったりアクセサリーを見てくれたり。今日はホワイトデーだからと、ワンピースを1枚選んでくれた。
「だってこれぜったいショウコに似合うもん、買っておかなきゃさ。後で後悔するよりいいでしょ?」
「誰が後悔するの?」
「俺が」
「嫌いじゃないの?一緒にショッピングとか」
「ショウコと一緒なら苦じゃないけど?」
「他の人とは行かないの?」
「行かないね」
ハンガーにかかったままのワンピースを私の首元に当てて、私の顔とワンピースを目で上下しながら見る。
「うん、やっぱりいいね」
そんなやりとりをしていると、店員さんに「仲がいいですね」と声をかけられた。照れた風に笑うソラにつられてこっちまで照れくさくなってきた。そうだった、今日初めて会ったんだった。気にしだすと鼓動が早くなるから、私はそっとそのワンピースを手に取って言った。
「じゃあ、これにする」
「そうだ。ここで着させてもらったら?」
「え?」
「見たいよ、ショウコがそれ着てるとこ」
せつなそうな表情でそう言ったソラは、今日だけの恋人だってことを私に目で伝えてくる。なんでそんな顔するの?涙が出そうになっちゃうよ。フィッティングルームで着替えて出てくると、会計はとっくに済まされていた。そっと差し出されたソラの手に触れて、また手を繋いで店を出た。
私は、どうしてこの人に恋人を頼んでしまったんだろう。後悔した。好きになれない人なのに。だからこそ時間の経つのが早かった。お金で契約するものじゃなくて、やっぱりちゃんと恋しなさいってことなんだ、きっと。
「どしたの?」
「え?」
「楽しくなさそう、ごめん、俺何か嫌な事した?」
「ううん、楽しいよ」
そう言うと、ソラはため息をついた。
「だめだよ、それじゃ」
「だめって?」
夕暮れの暗くなっていく空と、街に付き始めた街灯の灯りが交わりだす頃。地下鉄への降り口の脇でソラはふと足を止めた。
「そんな顔されたら、俺がせつなくなるよ」
顔を近づけて耳元でそう言うと、そのまま自分の頬を私の頬に優しくくっつけた。
「あのね、ショウコ」
「うん」
「もっと自信持ちなよ」
それだけ言うと、顔をまた離した。
「先のこと考えすぎ」
「私そんな・・・」
「考えてるよ、今日が終わったら、その後どうしようって」
「・・・っ」
「契約は延長できるよ?1か月先まででも、1年先まででも、もっと長くでも構わない。けど、違うでしょ?俺じゃないでしょ?ショウコが好きになりたい相手は」
「そんなこと・・・」
「金で付き合うんじゃないでしょ?」
「それは・・・」
「ごめん、これちょっとルール違反だな」
ソラはまた私の手を取って歩きだした。
「1つだけ、俺からリクエストしてもいいかな」
「リクエスト?」
「もっと、我儘になりなよ」
「我儘?でも、嫌われるでしょ?それじゃ」
「嫌いにならないよ。好きな相手の我儘は」
「でも・・・」
「ちょっとぐらいいいんだよ。ほら、あれみたいに」
ソラが指さしたのは、少し先にあるフラワーショップだった。
「薔薇。華やかできれいだけど、棘がある。だけど棘がないと、ただの花」
「そうかな、棘がなくてもきれいだと思うけど」
「それは優しさってこと?」
「だって他の花には、棘ってあんまりないし」
「けどそれなら他の花でいいじゃない。薔薇じゃなくてもさ」
「どういう、意味?」
「優しいだけじゃ、だめってこと。遠慮してちゃ、ね」
「じゃあ、どうしたら・・・」
「ショウコは、今日、あと残りの時間、俺とどうしたい?」
「え、っと」
「なんでもいいよ、付き合ってんだから、俺たち」
「そう言われても」
「じゃあ、例えば。契約とか、そういうの全部なしにして。どうしたい?俺と。あ、ちょっと待ってて。答え考えといて」
そう言い残してソラは、そのままフラワーショップに入っていった。契約とかそういうの全部なしにして。私はどうしたいんだろう。目に映るソラは、とてもすてきな笑顔で店員と話をしていた。指さしたそれは薔薇の花で。店員がそれを手にとってはまとめていく。何も考えられないまま、ただ出来上がっていく花束を見ていた。ソラが声をかけて、店員が何かしているのが見えた。
「あれって、棘?」
ショップで売られている薔薇には棘がついたままで、ソラはそれを全て取るように注文した。棘のない薔薇・・・。少しして、出来上がった花束を持ってソラが店を出てきた。
「はい、ショウコに」
それを受け取って、ふわっと抱きしめる。
「ありがとう」
「うん、で、どうしたい?」
棘のなくなってしまった薔薇を見て、涙が溢れてきた。どうして優しいだけじゃだめなんだろう。この薔薇みたいに。触れても痛くなくて、優しいのに。じゃあどうしたらいいんだろう。契約とか全部、何もなくて。私はソラとどうしたいんだろう。涙は、流れる前にソラの指がそっと拭った。そしてその手は私の髪を撫でた。
「あのね、ソラ」
「うん、なに?」
「私、ちゃんと恋がしたいよ」
「うん、いいね」
「できるかな」
「できるよ、ちゃんと我儘言えたら」
「えぇ?やっぱりそこなの?」
「俺はさっき我儘言ったよ?」
「いつ?」
「それ、そのワンピース着てるとこ見たいって」
「そんなの我儘じゃないよ」
「俺からすると我儘だけどね。でもショウコは俺に言われてそう思わなかったんだろ?だったら言ったもん勝ち。思ってることちゃんと言ったらいいよ」
「ちゃんとって?」
「もっとこうしたい、あぁしたいって」
「でも」
「俺なら言うね。キスしたい。抱きしめたい。一緒に居たい。逢いたい。いろいろ」
「うん・・・」
「俺今日さ、あと1回、我儘言っていい?」
「なに?」
「帰る前に、最後にショウコとキスしたい」
ソラとは、その日、キスをして別れた。1日だけの恋人だった。なんだか幻みたいなそんな時間だったけど、手元に残ったワンピースがあって。ドライフラワーにした薔薇の花があって。ソラとしたキスの感触を覚えている。そして、1か月後ぐらいに偶然、ソラに似た人に会った。ううん、あれはソラだった。前髪は少し伸びていたけど、服装もとてもラフだったけど。一人で街を歩いていた。そしてすれ違う瞬間、目があった。間違いなくソラは私にウインクをした。幻なんかじゃなく、ソラはそこにいた。私に、恋をひとつ、教えてくれた人。
2016/03/13 PM23:40
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.8 『final day』
※ Tomo will be the lover
この恋をはじめたのは今年の初め。最初は2日だけのはずだった。それが1週間になり、1か月になり、もう半年が経った。3か月目で、1度止めようと思った。だけどその手を離せなかった。決断はいつもわたしのほうで、彼にはその決定権はない。普通にわたしの友達にも逢うし、旅行にも行った。ごく普通の恋人同士だけど、普通ではない。幸せが毎日のようにあって、いつも笑顔が絶えないふたり。だけど、ふと考えてしまう時間に思い出す、彼はわたしのことを好きではないっていう、1番悲しい事実を。
「ねえ、なんで遊園地なの?」
ちょっと不機嫌そうに彼はわたしに電話越しに聞いた。寝る前のいつもの電話。おやすみを言う前に明日は遊園地に行きたいとわたしが言ったからだ。
「行きたいの、だって1度も行ったことないじゃん」
「それはだってあれよ、俺乗り物ほとんど乗れないからさ」
「わかってる、けど行きたいんだもん」
だいたいの我儘は聞いてくれる。けど遊園地だけは今まで1度も行けたことがなかった。別に行かなきゃいけないわけでもないから、わたしも断られた時点で話を終わらせることが多かった。だけどね、今回はちょっとだけ、我儘を言った。電話の向こうから微かに聞こえてくるため息。そして小さくクスッと笑う。
「わかったよ、行くだけね」
「うん」
梅雨入りした関東の天気予報とにらめっこして、明日は雨から逃れられそうな予報だったんだ。この日を逃したら、きっとわたしはこれからもまた、あなたに甘えてしまうから。そしてわたしたちは、おやすみを言って電話を切った。
次の朝、いつものように約束した時間に彼は車でうちまで迎えに来てくれた。すっかり慣れた助手席、いつもの香り。大好きな音楽、そして運転席に座るトモ。白い薄手のニット。この間ふたりで買い物した時に買ったものだ。彼の誕生日に。
「なんでまた、今回は遊園地押し切ったの?珍しいね」
車を発進させると1番最初に彼はわたしにそう聞いた。
「1度一緒に行きたかった。それじゃだめ?」
「だめじゃないけど。乗らないよ?俺は乗り物何も」
「いいよ、園内散歩するだけでも」
「そんなんで楽しい?」
「うん、トモと一緒なら」
彼のほうを見ずにそう答えた。そんなわたしの髪を、運転しながら起用にそっと、あなたは撫でた。
手をつないで園内を歩く。騒ぎ声の賑やかな人気のアトラクションが、頭上を通過していくのをふたりで見上げた。
「あなただけでも乗ってきたら?」
顎で通過したそれを刺すように顔を動かす。
「いいよ。ひとりで乗ってもつまんないもん」
「ほら」
「なに?」
「やっぱつまんないんじゃん。楽しくないでしょ?」
「楽しくないとは言ってないよ」
時々うつむいて。ちらっと見えるふたりの足元。お揃いのスニーカー。どうしても逸らしてしまう視線。彼とは違うほうを見て歩いていたら、急に手に力が入った。ぎゅっと握り返す彼のほうに思わず顔を向ける。そしたら彼は歩くのをやめた。
「あれ、乗る?」
つないでいないほうの彼の手が指さしたのは、さっきの人気のアトラクションだった。
「だって、乗らないって」
「あなた、たいくつそうだから」
「大丈夫だよ、たいくつじゃないよ」
だけど彼はわたしの手を引っ張るようにしてアトラクションのほうに向かった。
「いいって、トモ。わたし遊園地に来たかっただけだから」
「ダメだよ、今日は乗るって俺も決めたから」
「昨日乗らないって言ってたじゃん」
「それは昨日の俺でしょ?」
早足でチケット売り場に歩いて行くと、彼の手がわたしの手を離した。財布を取り出すと発券機にお金を入れた。
「ねえ、トモ。怒ってる?無理やり誘ったから」
「なんで怒るんだよ」
「だって嫌いなくせに乗るとか言うから」
アトラクションの名前の付いたボタンを人差し指で押すと、出てきたチケットを2枚彼が手に取った。そしてまたわたしの手を取って歩き出す。
「今日は乗りたいんだ、ふたりで」
「どうして?」
「乗りたいって理由だけじゃダメ?」
「ダメ・・・じゃ、ないけど」
ある程度予想はしていた。ほんっとに苦手なんだよと言っていた彼は、乗っている間、声さえも出せず。一通りのコースを走り終わって降り場に着いたときには、すっかり頭を抱えていた。それでも大丈夫だよ、って無理やりっぽい笑顔を見せながら、ふらつくのを隠すように手すりを持ちながら階段を下りた。そしてわたしに言った。
「たまにはいいな、こういうのも」
無理してるのがわかって、たまらなかった。遊園地で、わたしは泣き出してしまった。降り場から階段を下りてくる人たちに見られているのも気になんてならないくらいに泣いて、たぶん彼はとても困っていた。彼に抱きついて、止まらない涙を拭ってくれる彼の指は追いつかなくて。わたしの顔を覗き込もうとする彼は、とても優しかった。
「帰ろう、トモ」
「いいの?だってまだ2時間も経ってないよ?」
「うん、帰ろう。トモんち行っていい?」
「いいけど」
帰りの車の中では会話はなかった。
玄関を開けると、彼の香りがする。彼に包まれているような気がして、わたしは自分の家より彼の家のほうが好きだった。
「ちょっと散らかってるけど」
ゲームのコントローラーとかビデオのリモコンとか転がっている。横に、脱いだままのシャツがあって、わたしはそれを手に取るとリビングに隣接したベッドルームのハンガーラックのハンガーにかけた。リビングとの間にドアはなくて、その向こうに繋がるキッチンまで見える。彼は冷蔵庫を開けると、ペットボトルを取り出した。ミネラルウォーターだ。ごくごくと飲んでいるのが見えた。
「ごめんね、今日」
声をかけたけど、振り向くと彼は言った。
「なに?」
「ううん、ねぇ、ちょっと横になったら」
「なんで?」
「まだ顔色悪いよ」
小さく笑うと、彼は少し照れた表情をした。
「ばれてた?」
「うん」
こちらに歩いてきながら飲んでいたペットボトルに蓋をすると、それをわたしに渡した。そしてベッドにゴロンと寝ころんだ。そして彼はわたしに手を差し伸べた。けど、わたしは小さく首を振った。そしてリビングのソファに腰かけた。ベッドから少し離れたソファで、わたしは彼から受け取ったペットボトルの蓋を開け、ミネラルウォーターを口にした。彼はそれをただじっと見つめていた。そしてそっと、声にした。
「そういうこと?」
わたしは彼を見ずに頷いた。
「今日まで、ってこと?」
またわたしは彼を見ずに頷いた。
「そう、わかった」
落ち着いた声で彼が返事をする。わたしは、手に持っていたペットボトルをテーブルに置くと、ゆっくり彼に視線を移してみた。ドキッとした。うるんだ瞳でわたしを見ていた。ひどいことしているみたいな気持ちになる。一気に、涙が溢れてくるんだ。それを見て起き上がろうとする彼を、わたしは手のひらを向けて止めた。上半身を起こしかけていた彼は、ふっと笑うと、力を抜いてベッドにまた横になった。
「トモみたいな人、探そうと思う」
「うん・・・」
「いるかな」
「どうだろ。いるんじゃない?俺みたいなのは、いくらでも。どこにでも」
「どうしてわたし、トモと契約なんてしたんだろう」
「だって、あれでしょ。フラれるのが怖いって、言ってたじゃない」
「そっか、そうだった」
『恋人になります』
目に飛び込んできたホームページの文字。
『あなたの好きなように、好みの恋人として過ごさせていただきます。』
わたしの好きなように、わたしの好みの恋人。希望をそのまま写したような人がトモだった。そりゃそうだよね、わたしが契約するにあたって出した条件や希望を全て満たしてくれているんだから。だけど、ふと考えてしまう時間に思い出す、彼はわたしのことを好きではないっていう、1番悲しい事実を。わたしが終わらせなければ延々と続くこの関係をどうしたらいいのか。契約条件でトモ側から提示されているのは婚姻できないということ。だったらそんな紙切れなんて要らない。このままの関係でもいい、ずっと続くならと思ったこともあった。でも、そこには彼のわたしへの愛の意志はないんだ。
なのに、彼はいつも、こんな表情をする。優しい笑顔だった。
「ここにあるもので必要なものは持って行ってくれていい。あなたの部屋にある俺のものは全て捨ててくれていい。自分で捨てられなかったら、言ってくれればうちの会社のもんが貰いに行く。俺はもう明日にはここにいないし、連絡も取れなくなると思うから」
「そうなの?連絡も?」
彼は何も言わずに微笑んだだけだった。
いいの?本当に終わらせていいの?大好きなのに?トモのこと。さっき、差しだしてくれた彼の手を、もう取らなくていいの?考えていたら、わたしを今まで見ていたトモは、ゆっくりと目を閉じた。まるで命の終わりのように。全てが終わったよってわたしに言い聞かせるように。
恋の始まりを教えてくれた彼は、恋の終わりの辛さも教えてくれた。フラれるのが怖かったわたしをフルことはないトモ。そして、次はちゃんとした恋をしなさいよってことを教えてもらった気がしている。彼はきっとわたしのことを愛してはいない。仕事だから恋人を演じてくれていたんだ。でも少しは、好きになってくれていたのかな。じゃないと、我慢して苦手なアトラクションになんて乗らないよ。あの時もうトモは、わたしが今日こうしようと思っていたことに、気づいていたのかな。
「今までありがとう、トモ」
急にさよならを告げるわたしは、きっとトモをフッたことになる。瞳を閉じたままのトモは、眠っているわけではなくて、ただわたしを見ないようにしていただけなんだなってわかった。瞼が時々揺れていた。だから早く、部屋を出なきゃ。フラれるのが怖かったなんて我儘だ。フルのだって、辛いよ、トモ。
わたしは急いで部屋を出た。その後のトモのことは知らない。あのまま瞳を閉じていたのか。それとも、もう、一瞬にしてわたしのことなんて忘れてしまっているのか。部屋を出ても涙は止まらなかった。だけど一気にわたしの涙を乾かしてくれるような、最後の日は、とても暑い、梅雨の合間の晴天の日でした。
2016/06/20 AM00:40
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.9 『恋人になります』
※ Nagi's Soliloquy
普通、オフィスの入り口には会社の名前というのがあがっているものだ。わが社には、それはない。横浜の街を見渡せるそこそこ高いビルだ。そう考えると場所は絞られてくるだろう。サービス業に分類される、詳しい内容は秘密だ。だけど、運営しているホームページの名前を言うと、意外と知っている人も多い。
[LOVERS LLC]
TOPページのその文字をクリックすると開くページ、そこに書かれた文章がこれだ。
「恋人になります」
あなたの好きなように、好みの恋人として過ごさせていただきます。
ほら、聞いたことあるでしょう?それとも、もしかしたら利用したことがあったりして。
社員は5名だ、俺を入れて。私が社長のナギ。名前はそれしか明かしていない。他の社員に関してもだ。お互いの顔は知っている。だけど名前はきちんとは名乗りあっていない。外にメンバーは、トモ、ソラ、シノブ、ケンイチ。利用希望してきた女性客の要望にあった恋人を演じる。それがわが社の仕事だ。期間に制限はなし。数分でも、何日、何か月、何年でも構わない。だがその期間分の契約料はかかる。
1番最初にこの仕事をやらないか?と俺が声をかけたのがトモだった。たまたま入ったクラブで、いろんな女性ととっかえひっかえ話をしていた。女性の扱いは慣れている。それにプラスして、話す相手に合わせて会話も態度も表情さえも変える。なんだ、こいつ、って思った。それで、やってみたい仕事があるんだ、と話をもちかけた。初対面なのに。万が一、というつもりで声をかけたのだけれど、返事は軽く、「いいよ」だった。特に報酬も要らない。生活場所と俺の肩書を確保してよ、ってのが彼の要望だった。そこからできたスタイルが今の会社の基本になっている。
恋人契約をしている間、契約料は客に支払ってもらうが、それ以外にかかる費用、は全てわが社が負担する。トモは、客と契約している間の住まいや名目上の職場を確保してくれと言った。朝起きて仕事に出かける。契約した女性と一緒に住むこともある。そんな環境を整えてくれれば後はなんでも上手くやってみせると言った。たまたま提案を吹っ掛けた俺の仕事に面白いほど乗っかってくれた。
そこで与えたのが、架空の輸入会社の人事・経理だった。使用していい金額の上限を伝えて、あとは自分で好きに管理していいと伝えた。
「あんた、何者だ?金に惜しみはないの?」
「俺はナギ。ただの一般人。金に興味はない」
そう答える俺に笑って見せた。そして俺に対して提案する。あと何名かはメンバーを増やした方がいい。確かに、それは俺も思っていた。とにかく、彼は頭がキレるんだ。
その後に入って来たのがソラ。実は、初めてトモが客として対応した女性の交際相手だった。恋人契約はつまりその女性の浮気だったってことになる。その相手をここに勧誘したトモもすごいなと思うけどね。面白そうだと、ソラが話を聞きに来たのにも驚いたけれど。
次に入って来たのはシノブだ。たまたま入ったコーヒーショップで働いていた。笑顔がいいと思った。何より気が付く。店の客の行動を把握しているんだ。よく、いいタイミングで水を持ってきてくれる店員がいるでしょう?あの類だ。彼は最初は渋っていた。それでもうちに来てくれたのは、こっそり、ソラの仕事ぶりを見せた時だった。客の対応しているところを遠目に見せた。楽しそうにソラとデートをしている女性を見て、やりたいと思うとその日にうちへの入社を決めた。
そして最後がケンイチだ。彼だけは自分から入社してきた。ホームページの依頼のページから、依頼ではなく、恋人になる仕事をさせてほしいとメールを送って来た。珍しいやつだなと思ってすぐにアポを取った。とても優しい表情をしているけれど、どこか物悲しげな、それが第一印象だった。彼は俺に会うなりこう言った。
「ぼくは、少し前に恋人を亡くしました。今後もう、誰も愛さないと誓った。同じように、どこかに恋愛で悲しい経験をする女性がいるとしたら、そんな人を増やしたくないんです」
今までの3人と違う。彼はうちには必要だと思った。
恋人の仕事をするにあたって、ビジュアルはどうしても重要だ。たまたま、彼らはそれぞれ違うタイプで、しかもどこか魅せられる何かがある、と思ったメンバーだ。社長である俺自身も客の対応はしている。彼らには、仕事では負けない自信はある。彼らに劣る部分ももちろんあるだろうけど。そんな彼らが月に1度だけ、このオフィスで顔を合わす。それが今日だ。
常にトモだけは、ほぼ毎日平日、ここに出勤している。今日もオフィスの鍵は開けられており、すでにトモがいた。
「おはようございます、新しい依頼また1件入ってました」
「そう?今日みんな集まるから状況聞いて担当決めようか」
「はい」
軽く話をしているとソラがやってきた。続いてシノブとケンイチも。普段たった2人しかいることのないオフィス。だけどワンフロア借りてるんだ、それはもう、がらーんとしている。そこが、5人になるだけで一気に賑やかになる。
「昨日で最後だった彼女がこれ、最後にくれたんだけど、どう?」
シノブが有名店の焼き菓子の箱をみんなに見せた。
「シノブにしては珍しいよね、3日も、って。いつも1日で終わらせるのに」
依頼のメール確認をしているトモだ、誰が誰の担当やってるってよく把握している。そしてメンバーそれぞれの仕事の対応なんかも把握している。
「そうなんだよ、3日も。それで、最後にお礼だってくれたんだ」
「じゃあ、いただきます」
両手を合わせて丁寧に挨拶をすると、その焼き菓子をケンイチは1枚手に取った。
「うまい」
「でしょお?」
笑顔でやりとりするシノブとケンイチを横目に、ソラが小さく口を挟む。
「それは10枚入りだから、3000円のやつかな」
「3000円?これだけで?」
「そこのは高いよ」
そう言いながらソラも焼き菓子を1枚手に取った。
「待って、1人1枚だから」
「え?10枚あるんだったら1人2枚でしょ?」
「だめ、1人1枚」
「値段聞いた途端にケチくせえな、シノブ」
ニヤリと笑いながらトモも焼き菓子を手に取った。
「じゃあ、俺も」
みんなのやりとりを見ながら俺も焼き菓子を1枚手に取った。
「じゃあ、はじめるよ」
1か月分の仕事内容のまとめたものを、トモが次々に発表する。それぞれメンバーもそこから得た経験や特殊な事例に関して意見していく。そこで始まるのがトモとソラの攻防だ。
「あ、それ、費用かかり過ぎてるよ、ソラ」
「なんで?相手、すげぇ金持ちだったんだぜ?合わせるのが当然だろ」
「それと、家に帰ってからの自分の生活とは別だ。依頼者が居ないところでの贅沢はやめてくれよ」
「うるさいな、そこで貧乏じみたことやってたら、依頼者にいざ会った時に貧乏くささが出るんだよ」
「ほら、すぐそうやって言い訳作ってキレる。ソラのこういうとこ、どうにかしてくださいよ、社長」
「社長は関係ねーだろ。どうにかしろってどういうことだよ?」
「話変えます」
「話終わってねーだろーが」
「えー。次の依頼来てます。27歳、仕事終わりで家に直帰の日が続いており、一緒に食事をしたり遊んでくれる恋人が欲しいとのことです。特に希望なし。依頼の日数希望は1週間です。今フリーなのはソラとシノブです。これ、シノブでいいですか?」
一気に手にした用紙の内容を読み上げると、トモは俺を見た。まぁ、いつも最終決定は俺なんだけれど、最初にトモが誰がいいって意見をくれるのはいつものことだ。シノブはちょっと驚いていた。そりゃそうだろう、さっき話していたとおり、彼にとっては3日連続同じ依頼人の対応ってだけでも長いのだ。
「俺?1週間?できるかな」
「いつもみたいに、1週間以内に契約終われるよう相手の気持ちを満足に早く持っていけばいいんじゃない?」
ケンイチが横からアドバイスを入れる。そしたら「そうだよね、がんばってみようかな」ってシノブは大きく頷いた。
「ちょっと待てよ、なんでシノブなんだよ。俺もフリーだ、俺がやるよ」
「だめ、ソラは教えなくていい遊びまで教えそうだから」
「なんだと?クソトモ。お前なんて契約者のヒモみたいに、ずるずる何ヶ月も長いっつーんだよ」
「うっせーな、ヒモとはなんだよ、ちゃんと俺はここで毎日仕事してるよ。長いのは確かだ。仕方ないだろ、契約延長したがるんだよ、相手さまが」
「どうかね?離れたくないオーラでも出してんだろ?」
「いい加減にしろよ?1日契約常連のシノブに言われるならまだ我慢できるけど、ソラにだけは言われたくないね」
「シノブは飽きられんのが早いだけだろ」
「え?俺って飽きられてんの?」
巻き込まれたシノブが可哀そうに思えてくる展開。ほんっとに。この2人は。そう思って口を挟もうと思ったら、先に口を挟んだのはケンイチだった。
「ほんとに仲がいいね、トモとソラは」
「どこが?」
「どこが?」
ふたり揃って身を乗り出してケンイチに言葉を返す。
「そういうとこ」
トモとソラを指さしてケンイチは続ける。
「お互いをよく解り合ってるよね、ふたりは」
向かい合わせに座っているトモとソラは目だけでまだ喧嘩を続けている。
「まあまあ、今回の仕事はソラに頼むよ」
「さすが社長、俺に任せてください」
「ただし、教えなくていい遊びは教えなくていいからな、ソラ」
「え・・・」
トモがクスクスと笑う。
「シノブにはちょっと連続して対応してもらってたから、今回はソラで」
「ナギさん、俺1日契約ばっかでトモみたいに延長取れないし、やっぱりダメなんでしょうか?」
「逆だ」
「逆?」
「トモが長すぎるんだよ」
それには今度はソラがクスクスと笑う。
「でもそれはそれで大事だ。そういう依頼者もいるのが現実だから。比較的長くなりそうな依頼はトモとソラ、短期間で済む依頼はシノブとケンイチ。メンバーをちゃんと見て振り分けてる」
4人は、しっかりと俺を見て頷く。5人で向かい合うように座るソファの向こうには、大きく開いた強化硝子の壁。横浜の観光地が見渡せる。キラキラと海が朝の陽に光っている。
「では、今月もしっかりと、すてきな恋人になってきてください」
4人はそれぞれに返事をし、席を立つ。新しく今日から担当する女性の確認をするソラ。依頼の用紙を見せるトモ。昨日から恋人の対応に当たっている女性にメールを送るケンイチ。そして、さっきみんなに見せていた焼き菓子の残りを、再度1人ずつに配るシノブ。そして俺も、今受けている依頼、いや、恋人のあなたのもとへ、向かいます。
2016/11/06 PM22:40
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.10 『あなたを抱きしめるから』
※ Sinobu will be the lover
その日、私は1人の男性と逢った。細身の、髪のサラッとした男性。初めて逢ったのに、その人は私の恋人だと言った。
「しのぶさん、ですよね?」
「はい」
「はじめまして、僕も、シノブといいます」
「え?」
最初の会話がこれ。ネットで見つけた「恋人になります」というキャッチフレーズのホームページ。噂で聞いたことがあった。自分の好みのタイプの恋人として過ごしてくれる。ただ毎日寂しくて。心のどこかに隙間でもあるみたいで。仕事していても癒されるものも何もない。特に楽しみもない毎日だった私は、そのホームページを自然と探していた。
「依頼のメールを見て、同じ名前だ!と思って。社長に俺が行きたいって頼んだんです」
「そう・・・ですか」
「あ、恋人候補は容姿等を見てから決めていただいてます。俺で、大丈夫ですか?チェンジします?」
「いえ、大丈夫です。お願いします」
そう返事をすると、私より、たぶん少し年下のその人は屈託のない笑顔で頷いた。
「じゃあ、しのぶちゃん、今日はどうしようか?」
「しのぶちゃん?」
「だって、同じ名前だし、呼び捨てすんのもなんか、ねぇ?」
「まぁ・・・」
可愛い弟ができたみたいな、そんな感じ。でも楽しそうな人でよかった。
「契約は1日だけ。希望は、いっぱい抱きしめてほしい」
口に出されると照れくさくなった。たしかに、そう希望で書いたのだけれど。
「今すぐ抱きしめる?」
子供っぽい笑顔で言われて、思わず首を振った。だってこんな、人通りの多い表参道ヒルズの前で抱きしめられたらどうしたらいいかわからない。だけど彼は、そっと私の髪に手をやった。そしてそっと近づくと私の頬を自分の胸元に当てさせた。
「しのぶちゃんは小さいね。身長、いくつぐらい?」
「150ちょっと・・・」
「そうなんだ?可愛い」
少しヒールのある靴を履いてきたけれど、私は彼の顎の下のあたりにすっぽり入るサイズだった。頭に乗せられた彼の指がゆっくりと髪を撫でて心地いい。
「なんで抱きしめてほしいの?」
「・・・寂しいから」
「なんで?」
それには答えられなかった。ずっとひとりだからかな。随分誰とも付き合ってない。友達も少ないし、家でひとりでいることが多い。家族とは一緒に住んでるけど、だから寂しくないってことでもない。
「じゃあ、今日はいっぱい抱きしめるね。しのぶちゃん」
そう言ったら今度は手を握って歩き出した。こんな昼間でも、キラキラとした街。夜にはイルミネーションで飾られるのが今からワクワクするような街。途中、行列のできているお店の前で彼は立ち止まった。
「うわぁ、美味しそう。並んでみない?ここ」
「すごい行列だけど」
「並んでる時間も楽しくない?こういうのって」
彼は私の手を引いてその列の最後尾に並んだ。あまり、こういうのには並んだことがないな。初めて逢うこの人とどういう会話をすればいいかもわからないし。列は女の子が多い気がした。時々カップルが居たりする。
「寒いね」
彼は自分のコートのポケットに手を入れてを大きく広げると、私の背中の後ろから抱きしめるようにして立った。
「え?」
「こうしてると温かいよ」
私の右肩のあたりから聞こえる彼の声はとても近い。
「動きにくくないですか?それ」
「平気だよ、寒いよりいいじゃん」
「あの、シノブ・・・さんは私みたいな年上より年下の可愛い女の子のほうがいいでしょ?」
「なんで?しのぶちゃん可愛いよ。今日おしゃれしてきてくれてるよね、髪くるんってなってるし」
「これは、それなりに」
「それに、シノブさん、ってのやめてよ。呼び捨てでいいよ?」
「でもそれじゃあ、私も自分の名前呼び捨てになっちゃうから」
「ほんとだ。それさっき俺が言ったやつだ」
そう言って彼は笑った。笑うと体の振動が背中から伝わってくる。耳元に届くクスクスした笑い声も心地いい。私も思わず笑った。
「シノブ、くん。聞いてもいい?」
「なに?」
「普段、ひとりの時って何してる?」
「俺はねぇ、あ、料理したりするよ?」
「料理?」
「最近ハマってるんだ。あ、食べにくる?今日。ご馳走しようか?」
「いい、いい、そんな今日逢ったとこなのに」
「何言ってんの。俺はしのぶちゃんの彼氏でしょ?でも、そうだね、いきなり手料理食わされても困るっか」
「困りはしないけど。でもいいなぁ、料理してくれる男の人って」
「ほんと?」
「うん」
「しのぶちゃんは?ひとりの時何してんの?」
「特に・・・なにも」
「なにも?」
「ぼーっとしてるだけ。気づいたら時間が過ぎてて、寝る時間になって。朝起きたら仕事行くだけ」
「そっか。勿体ないね」
「そうだよね、時間の無駄遣いだよね」
「ううん、そういう意味じゃなくて」
「なに?」
彼は、コートごしに抱きしめる手に力を込めた。
「俺だったらすぐに逢いに行っちゃうのにな」
目の前の列が少し動いた。私たちは、そのままゆっくり前の人に合わせて歩いた。立ち止まると、また彼は私を抱きしめる。そして私の髪に触れるように自分の頬を摺り寄せた。
「ひとりぼっちで過ごしてるしのぶちゃんを放っておくなんて勿体ないよね」
その後彼は何も言わなかった。ゆっくりと呼吸するそれが背中に伝わるのがまた安心する。何も話さずにこうしてくっついてるだけなのに、全然その時間が嫌じゃなかった。少しずつ列は進んで、それから少しして私たちは店に入った。そういえば席に座ってから気づいたけれど、最初に挨拶してから以来、今初めてちゃんと彼の顔を見た気がする。最初の子供っぽい表情ではなくなっていた。
「しのぶちゃんは、明日はまた、ひとりでぼーっとして、気づいたら寝る時間になって、朝起きたら仕事に行く生活に戻るの?」
「あ・・・今日はシノブくんがいるから楽しいけど。明日はまたそうかもしれない、かな」
「そっか。じゃあ残ってる時間、めいいっぱい抱きしめとかなきゃだね、しのぶちゃんのこと。あ、しのぶちゃんスマホ貸して」
「え?あ、これ」
バッグからスマートフォンを取り出して渡すと、彼は運ばれて来た可愛いケーキの写真を私のスマートフォンで撮った。
「写真いっぱい撮っとかない?」
そう言って、今度は店員を呼んだ。スマートフォンを手渡すと、私の椅子の隣にしゃがんだ
「一緒に、あ、このケーキも入るように写真お願いします。ほら、しのぶちゃん、笑って」
笑ってと言われても、不自然な笑顔しか作れない。だけどね、彼の頬が私の頬にそっとくっつくと、それから自然に笑顔が作れた気がするんだ。私、なんだか自然に笑えてるね。
「ほらぁ、しのぶちゃん超可愛い。そんでもって俺超かっこいい」
店員に撮ってもらった写真を見て彼は笑顔を見せた。
「ケーキ食べよう」
この人の温かさは何なんだろう。抱きしめるって何なんだろう。目の前でケーキを食べているその姿を見ているだけで、私は抱きしめられてるくらいの温かさをもらった。
「私のも食べる?」
「なんでよ?しのぶちゃんが食べなよ。あ、でも一口だけいい?交換しよ?そっちのも美味しそう」
きっとこの人は、寂しい時でも楽しいを作れる人なんだ。おしゃれな店内の賑わう中で、誰よりもシノブくんは輝いていた。
「この写真、消さずに持っていていい?」
「いいよ、なんで?」
「だって、シノブくんの仕事に差し障りないの?」
「ないよ。だって俺は俺だもん」
抱きしめるっていうのは、体と腕を使ってするだけではないってシノブくんから伝わってくる。言葉とか仕草とか、ちょっとした彼の気遣いは全て私を抱きしめてくれる。一緒に街を歩いて、夕食を食べて、イルミネーションを見ながら、そうやって彼はあらゆる手段で私を抱きしめてくれた。
「今日は、ありがとうございました」
待ち合わせたのと同じ、表参道ヒルズの前で、シノブくんとの恋人同士だった1日は終わる。
「こちらこそ。延長なしで大丈夫?しのぶちゃん」
「うん、大丈夫」
「なんかそれ、嬉しいんだけど悔しいんだよなぁ。まだ一緒に居たいとか思わせる能力ないのかな、俺って」
「そんなんじゃないよ」
「だって、俺の手料理まだ食べてもらってないし」
「うん、いつか食べたいな。それに、まだまだ一緒に居たいよ」
「でも、延長はしないんだよね。もう、契約に次はないよ?」
「うん」
「よかった、明日もしのぶちゃんが寂しくなく楽しく過ごせますように」
そう言って彼は私を抱きしめようとした。けど、私はそれを遮った。そして代わりに、私から抱きしめた。
「どしたの?」
「もう、大丈夫」
「そっか」
「今日はたくさん抱きしめてくれてありがとう、シノブくん」
「うん」
「いっぱい無理してもらったよね、私の為に」
「そんなことないよ、だって俺しのぶちゃんの彼氏だか・・・ら」
私は、彼から離れると、見上げるようにしながら彼の頬を両手で覆った。
「冷たいね、シノブくんの頬」
「そりゃ、12月で、もう夜だしね」
「いつか、シノブくんが何かで辛くなったらいつでも言って?私があなたを抱きしめるから」
「しのぶちゃんが?」
「うん、本当に必要だったら、今回私がこうやってシノブくんに逢えたみたいに、また逢えるチャンスあるはずだから」
彼に微笑みながらそう言うと、頬に当てた私の両手に手を添えて、彼は笑った。
「しのぶちゃんも、抱きしめるの上手くなったね」
こんな、人通りの多い場所で誰かを抱きしめるなんて無理だと思ってたけど。案外、簡単なのかもしれないなって思う。シノブくんに逢ってから、そう思った。たった1日だけの私の恋人は、寂しさをそのたった1日で無くしてくれた魔法使いみたいな人でした。
2016/12/12 PM16:41
WORKS>>Ai Ninomiya*
File.11『今日は僕があなたの恋人です』
※ Tomo will be the lover
桜木町駅で電車を降りた。少し緊張はしていた。スマートフォンを手にして、動く歩道からゆっくりの速度で流れていく景色を見ていた。どんな人が来るんだろう。数日前に登録した「恋人になります」というキャッチフレーズのホームページ。その後、返信で届いたメールには、「恋人候補の容姿等を見てから決めていただきます」と書かれてあった。
「恋人に、なってくれるんだよね、今日だけ」
心の中でそう呟いて、ふと視線をあげた。
「あ・・・」
気になる人がいた。私が来たのと同じ方向から動く歩道で近づいてくる人。デニムのジャケットがとてもよく似合う。そして、その人も私を見た。
え・・・?
こちらに向かってくるので思わず視線をそらして顔を下に向けた。もう1度スマートフォンの画面を表示させてメールを確認する。そろそろ時間なんだ、待ち合わせの。
「あなたが、ミチさん?」
声がして、見てみるとそれが、さっきの人だった。気になって、つい視線を奪われた人。
「はい」
「よかった、すぐに逢えた」
「え?あ・・・もしかして」
「ご登録ありがとうございます、はじめまして、トモです。契約に関しての話を・・・あぁ、どうしようかな。近くにどこか店でも・・・」
何かを探すようにきょろきょろとしているので、思わず答えた。
「ここで大丈夫です」
「ここで?あ、まぁ、話って言っても契約するか決めてもらうだけなんだけど」
そう言うと、彼は着ているデニムジャケットの胸ポケットから紙を取り出した。
「決めるならここにサインを。下の名前だけ書いてくれればいい。俺じゃなくて違うやつのほうがよければすぐに別のやつと変わるけど?」
「えっと、下の名前?」
「俺があんたを呼ぶための名前だけわかれば問題ないから、下の名前だけ。はい」
一緒に取り出したボールペンも紙に添えて私に差し出した。
「俺でいいんでしょ?」
そう言って微笑む姿に、自然とノーの答えはなかった。
「わかりました、下の名前ですね」
サインをすると、その紙とボールペンをまた胸ポケットにしまう。そういう仕草が、男性には失礼なのかもしれないけれど、ちょっと可愛い人だった。
「どうしよっかな。希望は、1日デートでしょ?ミチはどこか行きたいとこある?」
「あ・・・えっと」
「俺あんまこのあたり詳しくなくて。ミチは詳しいの?」
「うん、このへんはよく」
「そう?じゃぁ、お任せしちゃおうかな」
「え?」
「それとも全部、男がエスコートする方が好き?」
「そういうことはないけど」
「じゃあ、決まり。なんでも付き合うよ。今日はミチの行きたいとこ行こう」
「はい・・・」
「なんだよ、つまんなそう」
「そんなことは・・・」
「じゃぁ、デート」
おもむろに私の手を取った。いきなり手を繋ぐんだ?だけど、手を繋いだまま彼は動こうとしない。そして目が合った
「ミチが歩いてくんないと行けないんだけど。俺どこに行くかわかってないから」
「あ、ごめん」
言葉は冷たい感じがするのに、言った後の微笑みが優しかった。お天気のいい日でよかったけど、春休みだからそこそこ人はいて、初めて逢うこの人と手を繋いでいることの不思議な感覚をどこに隠せばいいのかわからなかった。赤レンガ倉庫のほうまで歩いてみたけれど、その間、これといって会話はなかった。恋人になってくれるっていうこのシステムは、こうやってただ一緒にいるっていうことなのか。そう思っているとトモは突然、先の方を指さした。
「今日は大きいのが停まってんね。ここからでも見える」
「あぁ、大桟橋」
それは、大桟橋に停泊している大きなクルーズ船だった。
「船好きなの?」
「あぁ、全然だめ。酔うから、俺」
「そうなんだ?」
「でもきれいだね、見に行かない?あれ」
「あ、うん」
「あぁ、そうだった。今日はミチの行きたいとこ行くんだった」
「いいよ、私も見たい。行こう?」
今までのゆっくりの足取りと違って、少し足早に歩く。さっきまではなんとなくの散歩って感じだったけど、行き先が決まってからは少し足どりが軽い。そしたらなんだか、楽しみに思えてきた。その時トモが急に笑って、そして言った。
「やっとリラックスしてくれた?」
「え?」
「緊張し過ぎ、俺まで緊張するから」
「あ、ごめんなさい」
「ほーら」
クスクスと笑う。そして気づいた。さっきまでと違うと感じたのは、トモが私の手を引っ張ってってくれているからだ。いつのまにか、私は彼にリードされていた。それが心地いい。プロムナードを歩いて、海岸通まで来てすぐにトモは、大桟橋に添って停泊するクルーズ船を見て、小さい声でだけど「でけぇ」と笑っていた。その距離でも大きかったそのクルーズ船は、大桟橋から見ると、とても大きな豪華な船だった。大桟橋の屋上から見ても、船の側面と高さが変わらない。
「大きいね、こういうので旅とかしたらすごいんだろうな」
「でも、船苦手なんでしょ?」
「そうだった」
ウッドデッキに設置されたベンチがひとつだけ空いていて、ふたりでそこに座った。緑の芝生とウッドデッキ、そして海と船の景色が心地いい。ベンチに座っても、トモは繋いだ手を離さなかった。そしてボソッと言った。
「ねぇ、何考えてんの?」
「え?」
「俺と逢ってからずっと、違う人のこと考えてるでしょ?」
「え?」
「え?じゃなくて」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ。俺のこと見ながら俺を通り越してるもん」
「ごめん・・・あの・・・、あのね?ちょっとだけ、似てるんだ」
「誰が?」
「あなたと・・・」
「俺と?誰か知らないけどその人と?」
「うん・・・雰囲気とか、だけど」
そしたらトモは、繋いでいた手を一度ほどき、指を絡ませた。
「その人どんな人?」
「どんな・・・って」
「何してる人?」
「今は、よくわからない。でも一緒に劇団にいたことがあって」
「劇団?芝居とかしてたの?」
「ちょっとだけ・・・」
「すご」
「その時に一緒にペアでやっていたことがあって。・・・それだけ」
「それだけ?」
「うん」
「ふーん。そんで、好きだったんだ?」
「違うよ、そういうわけじゃなくて」
「ふーん・・・」
「いろいろあって、一緒に踊るはずだったダンスを踊れないまま私そこを辞めちゃったから。それをちょっと悔やんでるだけ。好きとかそういうんじゃないよ」
「でも。そうやってミチの後悔の中に一緒にそいつは存在するんだ?」
「え?」
「そういうのって、妬けるよね」
足を組んで、そこに肘をかけるようにして頬杖を付くトモは、そのせいで少し前かがみになっていて。私からの視界に入るのは、風に小さく彼の耳を撫でる髪とか、きれいな首筋で。それがとても寂し気に見える。そんなことを思っていた私を知ってだかどうだか、彼は続けて言った。
「今日は俺がミチの彼氏だよ?」
そして振り向いた。体を起こしたトモの顔が急に近くなって。そしたら鼓動ってこんなに早くなるんだな。この人が好きだなって思うのも、あっという間だ。まだずっと繋いだままの手は、それが当たり前みたいに優しいんだ。
「だけど、そういう思い出は大事にしなよ」
この人のこと、とても好きだと思った。だけど、たぶん。今日が終わったらもう逢わないんだなって、直感した。契約は延長できることを知っている。だけどしちゃいけないんだ、って思った。そしたらとても愛おしく思えてきた。
今日は、この人が私の恋人なんだ。
「トモ、今日が終わるまで、ずっと一緒にいて?」
「いるよ」
「私、トモのこと好きだよ」
「知ってる」
そう言ってクスクス笑う。
「だって俺が自己紹介する前から俺のこと見てたでしょ?」
「え?」
「俺ね、わかっちゃうんだよね」
「なにを?」
「俺のことを好きになる人」
悪戯っぽく笑いながら視線をそらしていく彼の瞳にずっと映っていたいって思った。
「トモ」
「ん?」
振り向いた彼に私はキスをした。唇が離れても、視線は離れなかった。そしたら唇を尖らせながらトモは私に言った。
「ガキ」
「え?」
「ガキみたいなことすんなよ」
「なんで?」
なんで急にそんな・・・。冷たい言い方しなくてもいいのに。たしかに、私は本当の恋人ではないかもしれないけど、さっき今日は私の彼氏だって言ったくせに。少し恥ずかしくなって、少しイライラして。どうしようと思っていたら、繋がれていた手が離れた。そしてトモは、離した手を私の背に回して、ゆっくりと体を近づけると、優しくキスをした。
「今日は、俺の存在する楽しい思い出作ってよ」
そう言ってからもう1度キスをした。太陽がちょうど真上に上がった頃の、人気の多い大桟橋のウッドデッキで。そしてその後も、ずっと手を繋いでいたんだ。今日が終わる時間まで。彼が、私の恋人である時間が終わるまで、ずっと。
2017/03/29 AM01:50
WORKS>>Ai Ninomiya* ✕ ruri
File.12『colleague』
※ Sora's spin off
彼女の様子がおかしいと思った。ある夜のことだ。やけに冷たい態度をしめす。いつもは俺の様子を伺う様に甘えてくる彼女なのに。そしていつもと違う、少し強めの酒を飲んでいた。何かあったのかなと少し気になる。
「なぁ、今日はうち寄ってく?」
「あぁ・・・えっと。今日はやめとく」
「そ?」
俺もそっけなく返したけど、彼女はそのまま視線をそらすと、バーのカウンターに肘をついた。いつもだいたい、この店で待ち合わせをして。その後はどこかしら、ふたりきりになれる場所に向かう。俺んちだったり、彼女んちだったり。ホテルだったり。この日はあまり話をしなかった。まぁ、いつもそんな話しこむってこともなく、なんとなく飲んでるだけなんだけど。22時過ぎ。彼女はそろそろ帰ると言って、席を立った。まだ時間は早い。送ってく必要もないだろ?いい大人なんだし。そんな感じで、彼女とは店で別れた。彼女が出て行った店のドアがゆっくりと閉まって、俺はすぐに会計を済ませた。彼女のあとを、つける事にしたんだ。
彼女の姿は、大通り沿いの歩道ですぐに見つけられた。けっこうな早足で歩いていた。ヒールの音が弾んでいるように聞こえる。そしてさっきのバーからそれほど離れていない場所にある店へと入って行った。俺とは入った事のない洋風な居酒屋だった。バーで飲んだあとで居酒屋なんて行くか?不思議に思いながら俺も店に入った。そこそこ広い店内。4人掛けのテーブルがいくつかあり、座ると目線が隠れる程度の仕切りがそれぞれのテーブル毎に設置されている。軽くプライバシーを守りつつ、オープンな雰囲気のデザイン。彼女はその中で人を探していた。探していた人を見つけたんだろう、席に着いた。俺はというと、店員に人数を聞かれ、ひとりだと答えるとカウンター席に案内された。
「ごめん、ひとりなのに悪いんだけどあっちいいかな?」
まだ少し余裕のある座席。店員のOKをもらって、俺は彼女が座った席が斜めに見えるテーブルに移動した。彼女は背を向けている側なので見えない。だけど向かいに男がいるのはわかった。俺と近しい年齢、スーツ姿の好青年風のやつだ。彼女が何か飲み物を注文して、それが届くとふたりは乾杯をした。その頃には俺にも頼んだ酎ハイが届く。独り呑みしているフリをして俺はふたりをずっと見ていた。何してんだか。
彼女の向かいに座った男はとても楽しそうに話をする。たまに、彼女の笑い声も聞こえてくる。最近聞いてないな、あんな笑い声。そしたら時々男が彼女に手を伸ばすのが見える。少し身を乗り出して見てみると、男の手は、彼女の頬に触れていた。その手を包むように手を添える彼女。
「は?浮気してんのか?あいつ。それとも二股?」
酎ハイをグッと、グラスの半分ぐらい飲んだ。付き合ってもう1年は経つ彼女だ。俺よりも好きなやつができた、とか?まぁでも、触れてるだけだし。余裕ぶっこいてたら、急に男が彼女の頬に手を添えたまま、彼女をテーブル挟んだ状態で引き寄せてキスをした。それも、軽くどころじゃない。頬に添えられていた手はいつの間にか彼女の髪を撫でる。首の後ろに回される。お互いが身を乗り出してキスしてんだ。しかも、慣れてる、あの男。何度も角度を変えてキスをする。こんなとこで何やってんだよ、あいつら。思わず酎ハイでむせそうになった。唇を離したあとの男の顔は麗しくて。彼女を見つめているであろうその目は、男の俺から見ても艶っぽい。なんだ?あいつ。そう思ってじっと見ていた。そしたら男が視線だけをこちらに向けた。
え?
次の瞬間、俺に向かって微笑んだ気がしたんだ。
なんだ?今の。ふたりはそれで、店を出た。ちょっと待てよ。なんなんだ?あの男。俺はまた彼女を追うべく、同じように店を出た。キョロキョロと探すと、タクシーに乗り込む姿が見えた。俺も慌ててタクシーを止めると、前のタクシーを追うように頼んだ。ていうか、俺ほんと何してんだ?尾行なんてガラじゃない。俺から去るなら勝手に去ればいい。女なんて、気付けば寄ってくるんだから。なんてことを思いながら、前のタクシーの行先が気になる。都心から少しずつ離れていく。だけども高級マンションが連なる地域。あるマンションの前でタクシーは止まった。俺を乗せたタクシーはそれを少し通り過ぎて、止めてもらった。
「すげえマンションだな、ここに住んでんのか?あの男」
ふたりはタクシーを降りて、中に入って行く。その際も、男は彼女の頭に手を回して、自分に引き寄せるようにして歩いていた。
何階に住んでんのか、どの部屋かなんてわからない。マンションを見上げるけれど、新たに明かりのついた部屋なんてのもない。でも入って行ったことは間違いない。俺はそのまま、マンションの見える少し離れた場所を陣取って時間を潰した。
数時間して、男がマンションから出てきた。さっきのやつだ。スーツ姿ではなくなっている。軽くTシャツにスウェットって感じ。体を少し丸くして歩いていく。ここからでも見えるコンビニに入って行った。で、すぐに戻って来た。買うものは決まってたんだろう。コンビニのロゴの入った袋を手にしている。そしてマンションに入る手前で立ち止まった。
「彼女なら寝てるけど?」
誰にというわけでもなく、そう言った。そして、クククっと笑う。それがやけにムカついた。隠れて見えないようにしていた俺だけど、男の前に出て行った。
「何で笑う?」
「だって、尾行するなんて、そんなタイプだったんだ?」
「はぁ?」
「いや、こっちの話。どうでもよさそうな顔しときながら、意外と気にするんだなと思って、彼女のこと」
「喧嘩売ってんのか?」
俺は近付いて男の胸ぐらを掴んだ。
彼女といる時は好青年って感じだったけど、今のこいつは挑発的な目をしていた。そしてまたニヤッと笑う。
「感じてる時の表情がたまんないよね。こっちまですげぇ気持ちよくさせてくれる。いい女だよ、あいつ」
一々そんなこと伝えてくるか?寝たのか?あいつと。なんだこの男。苛立ってムカついて言葉も出ない。先に俺は手を出した。胸ぐらを掴んだまま殴ろうとした。だけど、軽くかわされた。びっくりするほど身軽で、もう1度殴ろうとするけれど、余裕の表情でそれを避け、今度は俺の腕を後ろに回すようにして掴んだ。身動きが取れない。俺よりも背が小さく、細身なのに軽く俺を動けなくする。
「連れて帰るんならどうぞ、ご自由に」
そう、俺の耳元で後ろから小声で囁く。
「ふざけんな」
「ふざけてない、どうせ俺は今夜だけの恋人だから」
「何言ってんだ?人の女抱いといて」
「それはあちら様のご要望だったんで」
「はぁ?」
「契約は22時から25時まで。もう時間がとっくに過ぎてるんで。実際のところ、連れて帰っていただけると非常に助かります」
「何言ってんだ?てめぇ!」
「まぁ、こんな住宅街で叫ぶのは止めましょうよ。ひとまずうちにどうぞ」
男は俺から手を離すと、マンションの入り口に向かう。暗証番号を入力してドアを開けるとこっちを見た。首を傾げるようにして笑う。
「どうぞ、中へ」
そう言われているようだった。落ち着いてなんかないけれど、落ち着かせようと息を殺した。こんなやつとエレベーターにふたりきりとかどういうことだよ。男が押したのは12階。このマンションの最上階だった。エレベーターのドアが開いて男がすっと出て行く。俺はそれに、のこのこと着いて行った。あるドアにカードキーを差し込んでドアを開ける。そしてまた俺を見る。ひとつひとつ余裕の表情がムカつく。俺はそのドアの中に入った。
高級マンションってのは無駄が多い。壁とか床とか、こんな材質必要あるか?って思える内装。贅沢ってのはこういうのを言うんだろな。その代表みたいな部屋だ。男はリビングへと入って行く。そしてそこから繋がるある部屋のドアを指差した。
「連れて帰ってよ、彼女」
指差されたドアをゆっくりと開ける。広い。寝室だ。大きなベッドがあるだけの贅沢な部屋。小さなデザインランプが照らすだけの薄暗い部屋で、女性が寝ている。そっと顔を見ると、俺の彼女だった。ベッドの周りには脱ぎ散らかされた彼女の衣類や下着。何やってんだよ、こいつは!そう思って、寝ている彼女が掛けている薄めのシーツを剥ぎ取ると、想像どうり素っ裸だった。なんとなくそれに気付いて彼女が寝返りを打つ。そんな彼女の名前を、俺は呼んだ。
「シズ?シズキ?」
ゆっくりと目を開けた彼女は俺を見て、何かを確認するように部屋を見回した。それから俺の手にしているシーツを取り返すように引っ張った。
「なんで?ソラ」
「なんで?は、こっちのセリフなんだけど」
それから俺はドアの方に向かって大きな声で言った。
「手を出したのはあんた?」
そしたらドアからひょこっと、さっきの男が顔を出した。
「手は出したけど、そうしてくれって言ったのは彼女だ」
「わたしは、そんな・・・」
彼女は俺から少し離れるように、ベッドの端に移動する。俺は男をじっと睨んだ。それから彼女の顔を見て言った。
「どっちにしても終わりだな、俺たち。ずいぶんお楽しみだったみたいで」
「違うの、ソラ。これは違うの!」
「何が?」
「それより、どうしてソラがここにいるの?そういう契約じゃないよね?」
彼女が、ドアの男に向かって言った。契約?なんだそれ。
「6月26日22時から25時まで。マンネリ化した彼氏との関係に飽き飽きしているので、刺激のある恋人をお願いします。体の関係もOK。ただしこの3時間だけ。それできれいさっぱり契約は終了」
「ちょっと、なんでそれソラの前で言うの?」
「契約終了してます。もう25時半です。そろそろ帰ってもらわないとこちらも困ります。それで、尾行してきていた彼氏にあなたを引き取りにきていただきました。俺と逢う前にすでにかなり酔われてたんでしょう。眠ってしまって、あなた全然起きないから」
男は彼女に向かってそう言った。とても優しい表情で。
「契約ってなんだ?」
「ソラ、私の事尾行してたの?」
俺が男に問いかけるのと同時に、彼女も俺に問いかけた。
「恋人契約です。希望要望を聞いて、依頼女性の恋人として過ごすシステムで、それが俺の仕事。今日は3時間だけということで、俺が彼女の恋人契約をした。もう終わってるけど。それと、普段はこうやって第3者に契約情報を知らせるのは契約違反だ。イレギュラー対応させていただきました」
彼女は何も考えられないといった表情をして、それでも小さな声で呟いた。
「契約違反で訴えるから。ソラも、尾行するとか最低」
だけどそれに俺は答えた。
「最低なのはシズキだろ。悪いけど別れる、おまえとは」
「どうして?もう契約は終わったの。2度とこんなことしない」
「そういう問題じゃないだろ」
「私にはソラだけだから」
泣いたって可愛いなんて思えない。馬鹿じゃないの?この女。冷静になろうとすればするほど、どうでもよくなってくる。彼女のことも、この知らない男のことも。
「それより服着ろよ。俺だけだって言う前に、だったらもうこんなことすんな。じゃないと次に付き合うやつにも愛想つかれるぞ」
俺は脱ぎ捨てられた衣類を集めて、彼女に差し出した。それから男の方を見た。
「あんたも最低だな」
だけど男はニヤッと笑って、言った。
「ちょっと話いいか?」
そう言ってドアの向こうに移動する。俺は彼女を置いて、男に続いて部屋から出た。さっきのリビング。男はソファに座っていた。さっき買ってきたコンビニの袋から缶ビールを取り出すと1つは俺に、といった感じでテーブルに置いた。
「一緒に仕事しないか?」
「仕事?」
「恋人契約の仕事だ」
「何言ってんだ?おまえ」
「尾行してきてた時から気になってた。いい人材だなぁと思って」
「人の彼女とやることやっといて、よくそんな話できるな?」
「俺も自分でそう思うよ」
笑いながら、缶ビールを開けてグッと飲む。男は変に自信みたいのを持っていて、悪いことしたみたいな自覚を感じられない。
「この状況でその対応できるあんたなら、俺と一緒に仕事できると思うんだ」
「馬鹿にしてんのか?」
「馬鹿にしてる相手にこんな話するか?」
そう言って男は名刺を差し出した。聞いた事もない輸入会社の名刺。名前は高崎朋樹と書かれていた。
「それは偽名。会社名も架空のもの」
「は?」
「俺はトモ。けっこうさぁ、恋人欲しがって依頼してくる女の子多いのよ。俺と社長のふたりで対応してるけど足んなくって。あんたやらない?この仕事」
「ふざけんな、俺はこんな仕事やらない」
「けっこう金にはなるよ。それに女性の依頼にかかる費用や必要なものはすべて社長が、どんな額でも気にせず準備してくれる。こんな楽な仕事はないぜ」
そんな話をしていたら、彼女がベッドルームから出てきた。それを見て男は小声で俺にそっと言った。
「仕事の話は彼女には内緒だ。彼女とのことはあんたの問題なので俺はこれで関わらない。別れるなら勝手に別れてくれ。けど、仕事のほうは別だ。興味有ったらいつでもその名刺に書いてあるビルに来てくれ。あんたみたいなやつを探してたんだ」
そして残っている缶ビールを一気に飲み干すと言った。
「鍵を置いていくから。帰る時にこれを1階ロビーの受付に渡しておいてくれ。明日の昼ぐらいまでならここ使ってくれていい。それじゃ」
俺の顔を見て男は微笑んだ。そして何もなかったように部屋を出て行った。泣いている彼女を見ても、もうなんとも思わなかった。やり直したいとか思わなかった。俺はその日、そこで彼女と別れを決めた。
それからすぐだ。気になって捨てられなかった名刺。横浜の有名な大きなビル。俺はそのビルの、ある階に来ていた。ドアのところにあるブザーを鳴らす。そしたら出てきたのはこの間の男だった。
「来ると思ってた」
「話、聞かせてもらうよ」
[LOVERS LLC]。中に入ると、そう画面に映し出された大きなモニターが3つあった。その前に置かれたテーブルにはキーボードとマウス。それ以外にはテーブルとソファしかないとても広いだけの部屋。そして知らない別の男が一人、奥に1つだけある仕切られた部屋から出てきた。
「お待ちしておりました、あなたがソラさんですか?わたしはナギ。ここの社長をしております。トモから、とてもいい人を見つけたと聞いて、来てくれるのを楽しみにしておりました」
「俺は来るとは返事してなかったけど?」
そう言うと、
「これは失礼。器の大きい男を見つけたのでどうしても引き入れたいとトモから話がありまして」
と小さく頭を下げた。身のこなしがとても紳士的な人だった。
「まぁどうぞ、こちらにおかけください」
そう言ってソファに手を向ける。俺は軽くお辞儀をしてソファに座った。向かいにその、ナギって人が座る。その後ろに、この間の男が立って俺を見て笑った。
「来るとは返事もらってなかったけど、来ると思ってた」
「どうして?」
「感、かな?」
俺の彼女の浮気相手の男、トモだ。俺をこの会社に引き抜いた。そう、この日俺は、この恋愛システムの仕事をすると決めて社員契約した。不思議なんだけど、自分の彼女と寝たこの男を憎むどころか、時間が経つにつれ、逆に興味が沸いた。
「シズキには訴えられなかったの?」
「そんなことしないだろ?浮気したんだぜ?知らない男と寝たんだぜ?他人にそんな恥言えるかよ」
トモがそう俺に返すと、ナギって人がトモを見上げて言った。
「そんな風に言うんじゃない、トモ。イレギュラーにもほどがある。ソラをうちに欲しかった気持ちはわかるがやり方は悪かったな。契約内容を口外するのはもってのほかだ。信用にも関わる」
「社長それ、何度も聞きました、もういいでしょう?あれきりですよ、もうしませんから」
「というわけだ。彼女の今回の契約は料金はいただかずに了解してもらった。キミと別れることになってしまったことはかなりうるさく言われたが、それはもとはといえば彼女が依頼してきた内容にも問題がある。うちはそれを受け入れるのが仕事なので批判はしない。だけど、肯定もできない、難しい仕事なんだ、これは。それでも、やってくれるか?」
「やりますよ」
そう返事をすると、トモはニヤッと笑った。
「じゃぁ、さっそく仕事の話をしようか」
2017/06/26 PM23:41
WORKS>>Ai Ninomiya*
今日は僕があなたの恋人です
作者がShort Story Blogにてシリーズ作品として掲載していたものをまとめたものです。