習作 5
初めて見た女の子の涙についてです。
(習作 4から読んでいただけると、より感情移入しやすいかもしれません。)
SOS
その日、メッセンジャーでユンミは言った。
I am tired.
what happened?!
いつもお姉さん風で僕に接していたユンミがそんな弱音を吐くなんて、意外だったので、思わず口をついて出てしまったのだ。
曰く、こういうことだった。
彼女は文学部へ進んで、英文学をやりたい。でも、両親は将来の就職を考えて、法学部か経済学部でなければ学費を出さないと言う。
正直なところ、ユンミが英文学を専攻するイメージは持てなかった。彼女が英文学に関係するような話をしたことがなかったから。
受験本番が近付くと、受験生は無意識のうちに安全策に引きずられていきがちだ。ユンミにも少しその種の現実逃避の匂いがした。
だけど、僕はユンミの味方でなくてはいけないと思った。ソウルの現実の冷たい風は容赦なく彼女を吹き付けるのだから。
せめて彼女は日本にささやかな避難所があってもいいし、これまで頑張りに頑張ってきた彼女には、それに値すると思った。
「ねえ、今ボイスチャットできないかな?」
お互い両親は不在だった。
「こんにちは!お久しぶり!」
何かホッとしたような、少しだけ嬉しそうなハスキーな声。こちらも少しだけホッとした。
「ユンミ、何でもいいから話して!全部聞くからさ。」
いつか聞いた、悩みの半分は話せば解消するという格言を思い出した。
ユンミは延々30分語り続けた。
朝から学校に通い、授業が終わった後も学校に居残って勉強。友達もみな受験モードで、お互いの成績を横目でみあいながらピリピリする日々。
家に帰れば母親は神経質な顔をしてその日の勉強のはかどり具合を根掘り葉掘り聞きだす。父親は、如何に大学受験がユンミの将来にとって決定的な意味を持つかを延々と語り続ける。もはやあっちを向いてもこっちを向いても真っ黒い壁しか見えない。逃げ場がない。もう疲れた。でも頑張らなくちゃ…
Nee, I am lonely...
僕は、コルネーリアのあの言葉を思い出した。
Go ahead for her!
Yunmi, I will fly there. Can I?
Can you?
半オクターブ声が上ずっていた。
Sure. I have my passport, I got some money, and I do speak some English. What else needed?
Un... Yes, You are right...
その声には、多少の動揺が入り混じっていたのだが、気分が高揚していた僕は全く気付くことができなかった。
ちょうど両親が二人で海外旅行に出かける週があったので、その週でユンミとなるべく時間が取れる日の前後2泊3日の旅程を組んだ。
インターネットサイトで格安航空券を取り、ホテルも彼女の家の近所にあるところに電話して取った。
何もかも初めての体験だったが、気持ちが高ぶっていたその時は、大概のことは問題なく準備出来た。
「お土産は何がいい?」
「うんん・・・たとえばお菓子とか。」
「どんな?」
「うんん・・・なんでも、あなたが好きなのでいい。」
なんとなく、嫌な予感がしはじめた。
それでも、また例のデパートに出かけて、土地のお菓子を2,3箱かった。きちんとプレゼント用に包んでもらった。
それから近所のオモチャ屋で、ユンミが前にかわいいと話していたハローキティのぬいぐるみを一つ、買っていった。
ちょっとでもサプライズになればと思って。
旅行に出かける両親には、国際電話は高いから何かあったら僕のフリーメールに連絡するように伝え、家に電話を掛けないように予め言いくるめておいた。
学校には、急性胃腸炎にかかって3日間安静休養を要すると伝えた。
準備万端、成田に向かおうとしていたその前の晩、ユンミからメールがあった。
「やっぱり私たち、今は受験に集中するべき時だと思うの。だからわざわざソウルまで来てもらわなくても大丈夫だよ。何なら、しばらく連絡を取らない方がいいかも。私たち、ほっておくとおしゃべりばっかりするから…」
What?
Who said I am lonely? Who said I am tired. Who said I need to somebody to cheer me up? What the fuck!!
ハンマーで頭を後ろからたたかれたような気分になり、そしてその夜は一睡もできなかった。
ユンミからのメールは放っておいた。
号泣
なにせ急性胃腸炎にかかっているので、家に一人、パソコンを立ち上げてボーっとしていた。
別にユンミと話したいとも思わななかったが、やはりMSNメッセンジャーは立ち上げてしまう。
ずいぶんひどい振られ方をしたのに、明らかに一線を引かれたのに・・・
元々の予定ではユンミがソウル中央駅に迎えに来てくれていたはずのころ、
ユンミがオンラインになった。
今日ばかりは、絶対に自分から話しかけるわけにはいかない。スクリーンをじっと見つめながら、微動だにしなかった。
15分程の妙に長い沈黙の後、ユンミが話しかけてきた。
Are you Okay?
Okay.
せめてもの強がりだった。
How's going there?
I've stayed in home whole day alone.
Why?
Cause I got ’stomachache'.
気まずい空気が流れた。
ユンミが話し出した。
「私、もうすっかり大丈夫だから。そんなに心配してくれなくていい。私は韓国に住んでいるんだし、高校3年生なんだから、やっぱり今は勉強しなくちゃダメ。あなただってそうだよ。来年受験でしょ?2年の時にちゃんと勉強しておけば、今の私みたいにならないんだから・・・。あなたは勉強しなくちゃだめだよ。」
「ね、二人とも大学に受かった後で、絶対二人で会いましょ?絶対に。私が東京に行く。ソウルなんてごみごみしたところ来たってしょうがないよ。再来年の4月。予定入れとく。ね、約束だよ。きっと約束だよ。」
もうわかった。嘘でもでまかせでもなんでもいい。もういい。もういいよ。
「体にはよく気を付けてね。無理し過ぎても成績なんか上がらないから。疲れたら休んだほうがいいと思う。時々この間教えてくれた、感じのいい喫茶店でボーっとする時間があってもいいと思う。ユンミなら何とかなるから。ね、だから頑張ろうね。こっちも頑張るから。」
イヤホンの向こうから、鼻をすするような音が聞こえた。
ガラガラ声でユンミは言った。
「うん。ありがとう…ありがとう…」
ユンミは泣いているんだ。でもなんで?もう会わないって言ったのはユンミじゃないか?泣きたいのはこっちだ。何か悪いことでもいった?どうしよう。どうやって落ち着かせたらいいんだろう…
「ユンミ、泣いてるの?」
「泣いてなんかいないよ。」
しゃくりあげながらユンミは応えた。なんで彼女はこんな日にまで強がっているのだろう。
「ユンミ、落ち着いて。大丈夫。大丈夫だから。涙を拭いて。ね、ね?」
生まれて初めて、僕は女の子を抱きしめたいと思った。本能的に。
ユンミの言うことなんて聞かずにソウルに行っていたら、今この時彼女を抱きしめられたのに。
しばし息を切らせていたユンミも、ようやく落ち着きをとりもどした。
「何かあったら連絡してね。いつでもウェルカムだからね。それに、、絶対合格してね!」
勤めて明るく振る舞った。
「大学に受かったら、すぐに連絡する。それまで、ごめんなさい。待っててね。」
「あぁ、待ってる待ってる。お互いなんとかやろうね。」
Then, I gotta go!
Okay, See you again then :)
二人は会話ウィンドウを閉じた。
2月ほどたった後、あの丸っこいかわいい文字で宛名の書かれた封筒が届いた。
ユンミだ!!
はやる気持ちを押えて、手紙を開く。
あの香水の匂い、ん?いや、ちょっと今日の匂いは違うような…
Konnichiwa!
この間は、ひどいことしてごめんなさい。本当にひどいことだって、わかってる。
せっかくソウルまで来てくれようとしていたのに…本当に、ごめんなさい。
きっとあなたは私があなたに会いたくないからあんなことを言ったのだと思ってると思います。
でも、それは違うの。
実は、私たちのこと、両親にこっぴどく叱られてたの。
こんな日本人と無駄におしゃべりして、お前勉強はどうなってるんだ。最近成績が伸びないのも、この男といちゃいちゃしてるからだろう。
まあ、親の言うことにも一理はあるけど、でも、私はあなたがどれくらい私を励ましてくれているか、必死になって説明した。
でも、ダメだった…結局のところ、両親、特にうちの父親は、日本が嫌いなの。世代的に仕方のないことだけどね。
あなたがソウルまで来てくれるって言ったとき、びっくりした。嬉しかった。
でも、あなたに「空いている日は?」と聞かれたとき、現実に引き戻された。空いている日、空いている時間なんて、私には無かった。
だけど、あなたがあんまり楽しそうにソウルでのスケジュールを立てるものだから、私嘘をつきました。
本当にごめんなさい。
いつ嘘をついていたことをあなたに話すかずっと考えているうちに、とうとうあなたがソウルに来る前日になってしまいました。
で、あのメールを送りました。
本当にひどいことしました。本当にごめんなさい。
でも、これだけはわかって。
私は本当にあなたがソウルに来てくれると聞いてうれしかった。
私は本当にあなたとソウルのあのおしゃれな喫茶店でおしゃべりしたかった。
ソウル中を案内してあげたかった。
p.s. 両親の目をかいくぐって、新しい香水を買ってきました。それくらい、いいでしょ。ね?私のお気に入り。もしあなたがこの香水好きなら、再来年私が日本に行くとき、これをつけてあなたに会いに行きます。じゃあね!Good-Bye!
僕は声をあげて号泣した。
習作 5
ユンミのその後については、いずれお話しする日が来るでしょう。