あなたの袖、ぎゅっと握ってもいいですか
私たちは兄弟のように育ちました。結ばれたときは積年の想いが報われた心地がしましたが、あまりにも恵まれていたために暗雲が垂れ込めた、そういうことなのでしょうか。巷ではさまざまな赤い糸があちこちで複雑にねじれていて、余人はきっとその糸の先にある人を見出すだけでも骨が折れるのでしょうから、私には過ぎた幸いだったのです。
ですが、女の身でありながら、そうと割り切り淑やかに旦那様に仕えることがどうしてもできないのです。今宵もまた、夜分遅くに悪びれもせず帰ってきた旦那様のお世話を使用人に任せ、私はふて寝を決め込んでいます。目を瞑っていても冴え冴えとするばかりなのに、頑なな心は容易にほどけません。
うら若き乙女の頃、旦那様は私を鮮やかに咲く花になぞらえて褒めそやしてくれました。枯れる前に摘んで、いつまでもこの胸に仕舞っておきたいものだ、と――。ですが今の私は、寄る辺なく霧の中をさまよう一羽の小鳥に過ぎないのです。
「泣いてばかりいるんじゃないよ」
今でもその情景をくっきりと思い返すことができるのは、記憶の部屋でほかのどんな過去よりも目映い光を放っているからなのかもしれません。ときたま、ほんとうにこんなに微笑ましい過去を私が持ち合わせているのかしらと、訝る気持ちもします。知らず知らずの内に美化しているのではないか、と。ですが、ただただ憶えているのです。あの頃のこと、かけられた言葉、まだ高かった声、あどけなかった表情――。
「だって」
まだ六つになる前のことでした。母親を早くに病で失い、父親は仕事で忙しいからと滅多に顔を合わすこともなく、私は祖母に育てられていました。祖母は、それは優しい人で、慈しみをもって接してくれましたけれど、私はいつも淋しい思いを味わっていました。なまじっか母親の記憶があるばかりに、突然いなくなってしまった悲しさを、幼い心は上手く処理できなかったのです。
めそめそと泣く私をあの人はよく慰めました。泣いてばかりいてもどうにもならないよと――歳は一つしか違わないのに、随分大人ぶった口調でそう言うのです。
大きなお屋敷でしたから、大人の人はたくさんいてみなせわしなく行き交っていましたけれど、同じ年頃の人とお会いするのは初めてでした。しゃがまずともその目線は同じ高さで、持ち合わせている言葉の数もほぼ等しい、だからこそ真摯に向き合ってもらえていると感じられたのは間違いのないこと。
「もっと、楽しいことを考えればいいんだよ。そうだ、庭に見事な紫陽花が咲いてたよ。あれを見にいこう」
改めて教えてくれなくとも、この季節になると庭の真ん中あたりに紫陽花が咲くことは知っていました。それでも、誘われたのが嬉しくて、私はあの人の袖をぎゅっと握りました。連れていってほしい、の意思表示。
ずっと後になってから知ったことですが、この日からお屋敷に住まうようになったこの小さな紳士は、私同様に母親を亡くしたばかりでした。その母親が私の父の姉で、共通の祖母を持つ私たちはそのお屋敷で出会えたのです。肉親を失った悲しみは容易に癒えるものではないけれど、運ばれてきた素敵な出会いは、心の空白部分を少しだけ埋めました。
悲しみを抱いていたはずなのに、誰かに優しくできる人。手を伸ばせばそれを引いて導いてくれる人。記憶の部屋の壁際に、額縁に入れて飾っていたわけでなく、ただただ憶えていたのです、それらのことを。
「かり」
「夕さま」
いつしか互いのことをそう呼び合うようになっていました。
すぐ傍に人の立つ気配がします。薄目を開いてみたわけでも、匂いで判別したわけでもありませんが、私には気配だけで誰だか分かります。思った通り旦那様は小さく息を漏らしてから(きっと肩を竦めているでしょう)、「しょうがない人だ」と呟きました。
「主の帰りを寝床でお尻を向けて迎える者があるだろうか」
続けて、かわいい人だ、と小さく、聞こえなくてもいいというくらいの声で言いました。ですが、私はその言葉を拾ってしまいました。かわいい人、昔からどれほど言われてきたでしょう。
胸の内に生まれた動揺のさざなみを悟られないように、身を固くして息まで止めます。やがてそれではかえって不自然だったろうかと心づき、ゆっくりと呼吸してみますと、旦那様が隣の自分の寝床に潜り込んだらしい音が耳に届きました。ほう、とため息をつくように安心し、ですがそれと同時に得も言われぬ淋しさを覚えるのです。
窓の向こうでしとしとと、歌うみたいな雨の律動。今年も紫陽花の咲く季節が訪れました。
私と夕さまが引き裂かれるまでの六年間は、それまでの、またそれ以降のどんな日々よりも濃密で、至福に満ちていた時間が流れていました。あのまま大人にならずに過ごせたらと、ありもしない僥倖に思いを馳せてしまうのです。
互いに片親を亡くし、大きなお屋敷に預けられた子どもたちはすぐに親しくなりました。夕さまに教わったことは数知れず、その度に己が世の中のことをなにも知らないのだと痛感させられたのでした。夕さまのお父さまは一代でその財を成した実業家で、跡継ぎと目されている夕さまは早くから教育を受けてきたのです。
夕さまのお父さまはさらにお家を大きくするために、どこかいい縁組はないかと探していました。いわゆる政略結婚です。その頃には私にとって夕さまはかけがえのない人で、この人に嫁ぐ以外考えられなかったゆえに、その噂を耳にしたときは、たいそう不安に駆られました。
そんな不安を感じ取っていたのでしょうか、初夏のある日、夕さまは私をお祭りに誘いました。お屋敷の外に滅多に出る機会のなかった私は、「お祭り」というその楽しそうな響きだけで、二つ返事で頷きました。なにより、夕さまが一緒だったのですから。
出会ってから六年が経過していました。私の夕さまへの思慕の念は、歩みで地を踏み固めてゆくように、確かなものへとなりつつありました。
お屋敷のほど近くの由緒ある神社の境内を中心に、毎年、近隣でもとりわけ大きなお祭りが催されていました。このお祭りでは古くから伝わる習わしとして、若い男性が意中の異性に思いを込めた歌を囁くというものがありました。それを受けた女性はもし気持ちに応えるならばその旨を歌に詠み、二人は寄り添ってその後のお祭りを満喫することになります。もし想いに応えたくないなら、当たり障りのない歌を返して、二人は別れます。
そういった習わしがあると夕さまから聞かされ、私の胸はときめきました。なんと素敵なことなのでしょう。歌を詠む文化がこの日の本から消えない限り、この習わしは脈々と受け継がれてゆくのではないでしょうか……。
私は夕さまの傍らに侍っていたので、見知らぬ誰かから歌を囁かれる心配は無用でした。それに街行く人をぼんやり捉えてみても、夕さま以上に心惹かれる男性は見当たりません。お断りのための返歌を事前に拵えておく必要はありませんでした。
広い境内は数多の華やいだ人たちでとても賑わっておりました。そして注意して見つめれば、そこここで愛を囁く人の姿が。無意識のうちに夕さまの手を掴んで、ぴたりと寄り添っていました。物慣れない光景に少しだけ戸惑っている乙女の顔を、この頃にはもう頭一つ分背が上回っていた紳士は覗き込み、安心させるように微笑みました。
「安心して。かりを一人にはしないから」
心までとろける甘い、甘い心地。この手に引かれてゆけばきっと大事ない。私たちは疲れを知らない幼子みたいに、あちらこちらを練り歩きました。
それでもさすがに一息つきたくなった頃合い、夕さまが「向こうで少し休もうか」と境内の外れを指差しました。木々が鬱蒼と茂っていて、暗がりになっています。あそこなら喧騒から免れるとは思いますが、わずかばかり怖い気もしました。
「ここにしよう」
木の根に並んで腰掛け、座り心地は決していいものではありませんでしたけれど、一息つけました。前方には境内から漏れてくる提灯の明りが見えて、仄かな恐怖も和らぎました。
夕さまが急に押し黙ってしまいました。私も合わせて口を噤んでいましたが、お祭りの感想でも語り合いたいと思い言葉を紡ぎかけたその刹那、夕さまが思いがけず、朗々と歌を詠み上げたのです。
それは紛れもない、恋歌。
言葉の一つひとつを、全身を耳にして聞き取り、しばらくは瞬きすら忘れて呆然としておりました。あまりの感激に、初めて覚えた春情めいたものに囚われ、身も心も痺れたように動けなかったのです。
「返歌は」
夕さまに促されたことでようやっと、私は拙い歌を詠みました。視線をじっと注がれるものですから委縮し、声はつい小さくなりましたが、なんとか最後まで伝えることが叶いました。それを受け夕さまは優美に笑んで、「嬉しいよ」と呟きながら私を抱きすくめました。腕の中で考えていることは一つでした――いつまでもこうしていたいと願う心。
あのままときが止まっていても、私は誰をも恨みませんでしたのに。ですが、果ては比翼の鳥、連理の枝となろうと誓った小さな二人は、いともたやすく引き裂かれる運命にありました。
昼日中、使用人だけを伴って浜辺に赴きました。潮の香りが風に運ばれて匂い、眼前の空の色を映した青の鏡の存在感を主張しているようです。寄せては返す波をじっと見据えていると、その律動に合わせて内からさまざまな感情が湧いてきて、今にも膝をつきたくなります。けれどもそれをぐっとこらえるのは、慟哭で現況がどうにかならないことを頭の中の冷静な部分は理解しているためです。
浜辺には松の木がありました。風が吹き抜けていて、立ち姿は哀れです。背を委ねて心までも来ない人を待ちましょうか……。
旦那様にはご友人がありました。旦那様はその方をとても信頼していて、旦那様のお父様の下で働くようになってからは、その方を推薦して共に仕事をするようになっていました。二人の切磋琢磨している姿は巷でも話題になるほどで、将来は安泰だろうと誰もが口にしました。
ところが、暗転。
旦那様のご友人は維新後に西洋から流入した流行り病に罹患し、あえなく命を落としてしまったのです――。将来を嘱望された若者の死を悼まない者はありませんでしたが、誰よりも絶望感を味わったのは旦那様でした。病の性質上、死に目にも会えなかったのが打ち沈んだ感情を助長しました。
……風の向きが変わり、雲の流れが速くなります。ここにもそう長くいない方がよさそうです。あらゆるものごとは天候のように移ろいゆき、それに抗うのは容易なことではないのです。
一羽の鳥が低く飛んでいます。あなたには帰る場所があるのでしょうか。あなたを待つ者がいるのでしょうか。かり、という私の名は冬を渡る鳥からつけられたものなのですよ……。
裾を翻し、踵を返します。浦の浜辺に靴裏がつけた足跡が点々と残っていました。
私と夕さまの密やかな交際を知り、夕さまのお父さまは激怒しました。夕さまを問い詰めた挙句、本人からゆくゆくは夫婦になるつもりだとの答えを返されたために怒りは収まりません。同じ屋根の下に二人を住まわせてしまったことを悔やみ、すぐに夕さまを強引に連れて帰りました。それまでの日々がいかに貴重なものだったか思い知らされる、あまりにも唐突に訪れた別れ。私はどうしようもなく、涙に明け暮れました。
所在なく過ごす歳月が無為に流れます。昼も夜もなく。
――しかし、それから数年を経て私たちは再会を果たせました。年月で表せば数年と言えますが、実際には空虚な時間がのろのろと流れていて、再び相まみえたときには二度と明けない冬を脱してきたような気がしました。私たちはひしと抱きしめ合い、今度は喜びのための涙をこぼしたのです。
父親から勧められる縁談にことごとく首を横に振り、無気力な様子で日々を送っていた夕さまに根気負けし、夕さまのお父さまはしぶしぶ私たちの縁組を認めてくれたのです。信じられない気持ちでした。念願叶う日を夢見て生き永らえ、それが報われたことほど嬉しいものはありません。
居場所がなくて震えていた産毛の小鳥が、ついに安住の棲み処を見つけました。夕さまと晴れて夫婦になれ、私の前途は明るく開けた心地がしました。きっと、明るい未来が待っていると――。
薄く開いている戸の隙間から旦那様の姿が覗けました。椅子に背中を預けて、手元にはなにやら書物がありました。虚ろな眼差しを頁に注ぎ、いったいなにを思い煩っているのかその横顔だけでは判じがたく、私は書斎に足を踏み入れるのがためらわれました。
大切なご友人を失い、悲しみに打ち伏した旦那様が気にかけたのは、そのご友人の未亡人でした。若くして一家の柱を喪失してしまったご夫人を、旦那様はなんとか支えられないものかと考えたのでした。無理もないことです。私も援助の手を差し伸べることに反対はしません。
ところが、それだけに留まりませんでした。旦那様は未亡人を心にかけるあまり、少しずつその人の深いところへ潜ってゆき、ついには男女の関係を持つまでに至ってしまったのです。
だからといって、どうしたらよかったのでしょう。私は旦那様を難詰する言葉を持ちません。哀れな女性を守りたいと言われてしまえば、それに対して異を唱えるのは非情な気がするからです。せめて、寝しなにお尻を向けるくらいしかできないのです。
旦那様が目頭を押さえていました。泣いているのかと憂慮しましたけれど、目が疲れていただけだったようで、やがてまた元のように書物を読みだしました。私はそこでようやく書斎に入りました。
床を滑る衣擦れの音に気づき、旦那様が顔を上げ、私の双眸を捉えました。久方ぶりに瞳を見交わした覚えがしました。昔と変わらず澄んだ、優しい瞳です。旦那様は、「夕さま」と呼んでいた頃からなに一つとして変わっていないのです。
かり。私の名を呟きました。摘み取った花を胸に抱きしめるみたいに。
いつまでもその袖に縋りたい……。
「旦那様、通りの紫陽花が鮮やかに咲いておりましたよ」
あなたの袖、ぎゅっと握ってもいいですか