雨の悪魔

「雨の悪魔」、彼女はそう呼ばれている。呼び名の由来はとても曖昧だ。けれど、それは彼女、「雨の悪魔」の存在自体が僕達にとっては曖昧で、不確定なものだからかもしれない。
 
人間にとって謎が多いものは大抵怖い。わからないことが怖い。それは万人に共通するだろう。人の恐怖という感情は日常生活から逸脱した異色な物を見、感じた時に生じる感情だ。けれどその感情には好奇心も少なからず含まれる。そういった恐れと好奇心の境界線、それが「雨の悪魔」という存在。謎は数々の噂を生み出す。彼女は謎というベールに隠されているから、噂が生まれては消え、また新しい噂が生まれた。
 
それでも彼女のことを語るのなら噂という抽象的な未確定なもので構成された彼女を語るのなら、まず誰も彼女の顔を見たものはいないという点から語るべきだろう。彼女はいつも雨の日に現れる。いや、雨の日しか現れない。しかし、重要なのは雨ではなく傘だ。雨の日にのみ役割を果たすことの出来る雨傘をビニールに頭が隠れるぐらいまで低く差している。いや、むしろ被っているくらいだ。
 傘に隠れた顔以外から確認出来るのは学校指定の手提げカバンと、ブレザーそれからスカート、そして水玉模様の傘のみだ。情報量が少なすぎるのは確か。
 
それが人々の探究心をくすぐったらしい、一部の生徒から噂が生まれると、瞬く間に広まった。
 
噂というのは不思議なもので、絶対と言っていいほどに1字1句、確実には伝わらない。人から人へ、教室から教室へ、伝わる度に、形を変えた。僕の耳に入ってきた頃には、かなりおぞましいほどの偏見と想像が入り混じっていた。それが「雨の悪魔」
 
髪はまるでサイヤ人さながらであり、目はツリ目、顔は隠すほどに酷く、見たと豪語する者は「正しくゴリラ」と言った。それを隠すために、傘を深く被っているのだと。正体を誰も知らないのは雨に現れる幽霊だとか、どこかのクラスに紛れているなんて言われている。
 
事実かどうかの証明はない。彼らが、僕がそう思えば雨の悪魔はそうなんだろう。
 雨の日になれば皆が「雨の悪魔」の噂をする。朝のホームルーム前はいつもそんな感じだ。僕も数日前まではそっち側だった。彼女のことを面白おかしく語り、笑っていた側だった。それを下らないと吐き捨てることが出来ない頭の足りない側だった。伝承とは言い過ぎな逸話を、くだらない渡説を話している側だった。
  
今、知ってしまった僕にはそれはもう出来ない。知ってしまった僕はもう語れない。下らないと吐き捨てることが出来る。むしろ、自己嫌悪までしている。
 優越感?いや違う、この感覚は罪悪感か?この曖昧な感情の根源はなんだ?わかってる。それは明らかなんだ。
  
それは今朝の出来で、最初は気づかなかった。たまたま隣の家に住んでいたのが水玉模様の傘をさした女の子で、同じ学校の制服を着た彼女だったなんて。何故か都合よく朝早く学校に行かなければ行けない用事があって、たまたま寝坊してしまって、たまたま、彼女にぶつかって。そして彼女が「雨の悪魔」だったなんて。なんでだろうか?運命力か?ディスティニーか?
 僕はこの偶然の連続を「事実は小説より奇なり」なんて、便利な言葉で済ませたい。仮にこれを奇跡にも似た事象だと言うのなら、こんなありえない現実世界は小説の一ページなんじゃないかと思う。
 
まあ、そんなことを考えたってしょうがない。残るのは結果のみ。事象があって、過程があって、そして結果がある。この結果は最悪か?ずぶ濡れになって倒れ込んでいる彼女を目の前にしながら、どちらかと言えばこれは最高なんだと意味のわからない自己解決をする。
 
なぜならそこにいたのは「雨の悪魔」ではなく、形容するならば「天使」だったからだ。華奢な体格に、けして自己主張の強くない、男子の理想と言える「丁度いい胸」、そしてなにより。「美しい」、だとか、「かわいい」なんかの言葉を並べたって、形容できない整った顔。
 
自分でもベタな展開だってわかってる。だけどさ、現実にはあるんだよ。一目惚。つまり、いや、つまるもつまらないも、僕は「雨の悪魔」に、いや「雨の天使」に惚れてしまった。
 








「今日は雨の悪魔見たやついないってよ」
クラスメイトの1人が言った。するとクラスがざわつく。「雨の悪魔」は雨の日に現れなかったことはない。雨の日には確実に現れていた。今までそうだったから、誰かしら目撃していた。

 僕は遅刻をした。ホームルームは終わっていた。今はホームルームから1限までの間の数分。いつもなら既に雨の悪魔の話題は終わっている。なのに今この時間まで話は継続されている。彼らにとって雨の悪魔が現れないことはめずらしかった。それほどに雨の日には雨の悪魔の遭遇率が高かった。雨の日しか現れないではなく、雨の日には確実に現われるのほうが正しい。
 
 なぜなのかと、皆が議論を始める。また新たな噂を今生まんとしてる。そこに事実はない、推測と憶測と主観なんかが混じった戯言。

 雨の悪魔は今、保健室にいる。連れて行ったのは僕だ。偶然、彼女にぶつかった僕は足をくじいた彼女をおぶって学校に登校した。もうしわけなさそうな顔をする彼女の体温を感じながら。謝る言葉に謝罪で返しながら。僕の背中で彼女のさす傘は歩く僕と雨の天使の顔を隠していた。

 既に用事のことはどうでもよくなっていた。どうせ誰かが変わりをしてくれているだろう。この奇なる事象をかみしめて歩くことが僕を支配していた。

 この物語は恋愛小説か、ファンタジーか、学園青春ものかもわからない。なぜならこの物語はまだ序章に過ぎないのだから。僕を主人公としてこの物語は進み行く。

 これはまだ序章に過ぎない



 









ーーされど物語は序章で終わる

雨の悪魔

続きません

雨の悪魔

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted