明日、生まれ変わる

今までを恥じた。

これまでの付き合い方を恥じた。

私の家は、ただいま氷河期。
厳しい冬を体験中。

私は自身の体験から、祖母の教えも手伝って、金を使わないことを考えて生きてきた。

しかし、周りにそれを強要してしまうという悪癖が出てきて、昨日なんかも父に「イチローイズム」という本を見せてしまい、怒りを買ってしまった。
私は「ああ、情けなや、私のこの非情な仕打ち」と考えてしゅんとした。

要するに、欲が深いのだな。そう考えた。
ロマンチックが、足りないよ。

spicy chocolateというプロジェクトの音楽を聴きながら、「こういう世界観が私には必要だ」と考え、そして愛に生きる彼女彼らが大変羨ましくも、対岸の敵という感じにも思えたり、色々考えて、「いいじゃん、聞いててよければ」と開き直った。

人間遊び心が無くちゃ駄目だよなーと考える。
私は周りに人間が少ないせいで、よく顔を突き合わせる父とよく話すのだけど、それを「お父さん好きなんやろー」とか取る野暮な連中に「はあ?誰があんなトドの食い意地張り」と言いたいわけで、ストイックな人間じゃなきゃ私の好みじゃない。
しかし彼氏を作るには女の子らしくしなくちゃいけないらしく、私は過去にそれをして手ひどい目に遭わされたのを思い出して、「いや、男はもういいや」と考え、どっかりと胡坐をかいた。

あんな風に頑張ってみても、自分の気持ち通りにならないと途端ひどい目に遭わす。それが男なら、もういいや。私はそういう見解。
碌な男に出会っていない。自分でもそう思う。

でも、私は私のものだし、もう生ぬるいお話はこりごりなのだ。
これからは泥臭い話がしたい。

実質的な話がしたいんだ。
目標さえ決まれば、後はそれに向かって邁進していける。
ま、女っぽさも捨てたもんじゃないけど、と考えて耳に髪を掛けながら、いつでも出来るという強みがあるからなあとも思う。それなりにすれば誰だって出来る。ただファッションを一回見ただけで全て決めるのは阿呆のすることだ。
なんでその一回で全てだと思うのだろう。人なんて幾らでも着替えられるのに。化粧だって幾らでもできるのだ。髪だって伸ばせる。
ただめんどくさいのだ。それに集まる視線とかけん制のし合いとか考えだすとめんどくさい、とてつもなく。

この世の中はくだらないことに足を引っ張られる集団でしか動けない連中が沢山いて、そいつらは目下調子に乗ってて、舐めて小さくて短い脚をばたばたさせてこちらを威嚇してくる。
私はそれを八頭身の体で見下ろし(これは私特有の特徴なので書きます)なんじゃこいつらは、と思うわけで、案外敵視はしていない。どうにでもなると思っている。

金なんて、自分だけに掛ければ幾らでもどうにでもなる。
しかしそうしない私の献身とか、汲んではくれないのかい?と聞きたくもなるけど、向こうが先にそれより何倍も尽くしてくれているから、私は何も出来ない。

歌だってなんだって、この人はイケてるから、この人はダサいから、とかじゃなく、良い歌なら誰だって聞くだろ、と思うのだけど、世の中には路線があって、バイトなんかに行くと急にその手の質問をばばっとしてきて「あー、そういう感じなんだ」とふんふん頷かれて、舐められたり色々あるのを思い出し、「なんだその価値観」と逆に見下してやりたくなってくっだらない、と放り投げる。

人間クオリティってもんがあって、それに見合う結果が付いてくるだけで、それは努力とか道徳とかセンサーの感知力の高さなんかで決まる。

けれど、私が家族に対して上に書いたとおりの誠意の無い無理解な好意をしめしていたのは確かで。
私は、舐めていた。目の前の人を。

これからは、共有しようと思う。
なんでも金で勘定せず、面白い方に、できれば安く済む、面白いものをすぐ手に入れるという形で察知していこうと思う。

人の為なんか考えず、自分の欲しいものに正直になろうと思う。
私のセンサーが的確なら、きっと人は着いてくるはずだから。

だから、明日、明日生まれ変わる。
明日はきっと、明日きっと。

明日、生まれ変わる

これからについて。

明日、生まれ変わる

私の価値観で全ては決まらない。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-04

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