日常風景(トースト)
出る時間を間違えた。そう悟った頃には既に、家に引き返すのを躊躇うところまで来てしまっていた。
ハロウィーンが終わったばかり、十一月もまだ一週を過ごしていないというのにタイツを透過した冷気がじわじわと私の歩調を重くしていた。
身を切るような、とまでは行かないが、寒いものは寒いのである。信号待ち。私はそっと、第一ボタンを閉めて俯いた。目の前をクルマのタイヤが通りすぎる。やがてそれが止まったので、私は、隣のサラリーマンが歩きだすのに合わせて道路に一歩踏み出した。
普段ならば暖かく迎えてくれるカフェはどこも閑散としていて、『closed』の文字に冷たくあしらわれてしまう。閉じられたドアの前で踵を返すとき、自転車整理のおじさんと目が合ってしまった。やましいことは何もないのだが、私は少し朱に染まって、停まっていたいつものバスに乗り込んだ。いつも座っているイスが、車イスのために無い型のバスだった。
祝日のバスは、殆どその戸を開かないままに走る。普段、よく目にする学生──同じバス停で降りる──も当然今日はいない。当たり前だ。祝日なのだから。
彼はどんな人だろうか、となぜか考えてみたくなった。中肉中背、眼鏡をしていること以外は凡庸な学生である。
いつも本を片手に持っている。その本の表紙は文芸書らしいものであったり、はたまたよく知らない若い人が好みそうな絵のものであったりする。ただ一貫して彼は、重厚感のある硬めの話を好むらしかった。
と、そうこうしているうちに、私は半ば無意識にバスを降りた。学校の最寄り、いつものバス停。降りるのは私1人だけ。タラップを降りきる前に、轟と風が吹いたので、思わず顔をしかめる。今日はなんてついていないのだろう。
暇を潰すために、今まで実は利用したことの無いファミリーレストランに入る。コーヒーを頼んだら、半分のトーストとゆで卵がついてきた。
トーストは有り難いが、あいにく、ゆで卵が苦手な私は少し複雑な気分になった。トーストだけくれ、というのも意地汚い話である。私はもそもそと、舌を丸めてその黄身を咀嚼した。コーヒーで流し込んで、ひとつ、咳払いをする。静かな店内には案外響いた。
ここで暖かい湯気のひとつでも立てば絵になるのかもしれないが、猫舌の私が頼めるのはアイスコーヒーのみであった。どこまでも夢のない風景である。甘味のないコーヒーには自分の顔だけが反射していた。
暖かい店内。眠くなってくる。しかしそれではいけない。不真面目な学生である私にとって、勉強という選択肢はない……やはり寝てしまおうか?
ふと、思い立った。そうだ、私は、今日、何のためにここに来ていたのであったか。忘れていたわけではあるまい。……あるまい。多分。
そうして私は、この作品の筆を執った。
日常風景(トースト)