習作2
恋になりおおせなかった恋の話です。
1
彼女と最初に話したのは、ある朝生徒会の活動で廃品回収をしていた時だった。
「お願いします」
「はい。ありがとう」
それだけ。
彼女は美人だった。髪こそ野暮ったいおかっぱだったが、大きな目、すっとした鼻、程よく大きな口、華奢な体。
ただ、彼女にはもう一つ大きな特徴があった。それは彼女がクラスメイトとほとんど喋らないこと。彼女は暇さえあれば本を読んでいた。卒業式の後、みんなが思い思いに握手なり抱き合ったりしている中でさえ、彼女は本を読んでいた。
その当時は、彼女の内面に思いを巡らすほど大人になっていなかったけれど、ちょっと変わってるけど可愛い子だなと密かに思っていた。
2
3年生に上がった。僕のクラスの名簿には、彼女の名前が載っていた。
とても嬉しかった。
最初の2か月は何も起きなかった。
6月、合唱コンクールの練習が始まった。毎日放課後居残りをする。
僕は男声の一番右側の列、彼女は女声の一番左側の列に立っていた。
歌いながら、僕はずっと彼女を見ていた。すると、彼女がちょっと左後ろをみて、またすっと顔を戻す。しばらくするとまた左後ろを見やって、やっぱりすっと顔を戻す。
僕はドギマギした。僕を見てるの?誰か他の子を?それとも単なる退屈しのぎ?
やがて僕は毎日彼女が何回後ろを向いてくれるかを期待するようになった。
3
合唱コンクールは終わった。
コンクールそれ自体は僕にとって何の意味も持たなかった。彼女とのアイコンタクトが取れなくなってしまったのがちょっと残念だった。
7月のある暑い日、理科でpH値を何かの試験紙ではかる実験があった。
成績は良かったが手先が不器用な僕は、勉強嫌いな悪ガキ達と、
「俺たちは実験係で実験やるから、お前はプリントにレポート書いて俺たちに見せろよな」
「オッケーオッケー」
といった具合にわいわいやっていた。
と、振り返ると彼女がそこにいた。
「ねえ、水溶液こぼしちゃったんだけど、ティッシュ忘れちゃって、、貸してくれない?」
「うん。いいよ。」
「ありがと。」
悪ガキ達は明日は雪でも降るんじゃないかしらとでもいいだげな顔をしていた。
あの滅多に喋らない彼女が口をきいている、というわけで。
僕の頭はぐるぐる回っていた。何で僕にティッシュを借りに来たのか、同じ班の子に借りればそれですむじゃないか、大体水溶液をこぼしたのなら流しの雑巾で拭けばいいじゃないか、そもそもあんなに几帳面で小綺麗な彼女がティッシュを忘れることなんてあるのか。
翌週の理科の時間、先生が怒った顔でこう言った。
「このクラスの中で、プリントの答えを見せ合いっこしていた班がある。罰として班全員評価を一段階下げたから、これに懲りてこういうズルはやらないように。」
プリントが返ってきた。果たしてうちの班のことだった。AにバッテンがついてBになっていた。
「次は丸写しはダメだね。ちょっと変えよう。」
「さすがにやりすぎたな」
みんなで笑いながら話した。
そんな話をしながらも、僕は斜め前に座る彼女を見つめていた。
4
実は僕と彼女は同じ塾に通っていた。
学校ではそれなりに悪ガキや不良達とも上手くやっていた僕だったが、この塾では彼女と同じで一人ぼっちだった。
一人ぼっちだったというよりは、あえて一人でいた、という方が正確かもしれない。
休み時間になると、僕のクラスの男子全員が自販機前の休憩スペースに車座になる。そして何の内容もない会話を延々と続ける。その会話は、ただ自分たちが集団の中で孤立していないことを確認し合う為だけにやっているのに違いなかった。その雰囲気がいやでいやでたまらなかったのだ。
僕が彼女に惹かれた理由の一つは、恐らく彼女の中に自分が持つ一つの要素を感じ取ったことだろう。
しかし、その日の塾の夏期講習に現れた彼女は、当時の僕が理解できる範疇を完全に超えていた。
なんと、頭の先からつま先まで、全身真っ黒の服を着て現れたのだ。
当時はまだ人間心理の本なんて読んだことはなかったが、内面のなんらかの苦悶、あるいは葛藤、ないし絶望が、真っ黒い装いとなって現れていることはなんとなく感じられた。
僕は彼女の内面の深いことを感じた。真っ黒い装いは、僕に彼女へのさらなる興味をかき立てこそすれ、嫌悪感を与えることはなかった。
5
10月になった。
高校受験が間近に迫ってきた。
ある土曜日、街の私立高校の説明会があった。僕はバスを乗り継いで一人で出掛けた。
会場に入り部屋を一瞥すると、後ろの方に彼女がいた。
目と目が遭った。
彼女は荷物をまとめだした。
席を立った。
一つ椅子を置いて僕の隣に座った。
そしてじっと前を見た。
説明が始まった。特待生入試の英語の試験は1000語のボキャブラリーで十分だとか、制服は数年前にリニューアルして人気があるだとか、要するにどうでもいい説明が続いた。
頭はまたもやぐるぐるしていた。一体彼女はなんで僕の隣にいるの?僕と話したいの?それでいて僕に一言も声をかけてこないのは何故?目が悪くてよく前が見えないからこっちに移ってきたの?何故?何故?何故?!
当時の僕は彼女が僕と同じ想い、いや恐らくはこんなにも大胆な行動に出た彼女は、僕よりもさらに強い想いを持っていたと察することができなかった。否、無意識の内にそう考えることを避けていたのだと思う。
ただただ自分の好きな音楽を聴き、好きな本を読み、好きなものを書き、本当の意味で友達と、いや家族とすらコミュニケーションをとったことがなかった自分には、自分の好きな女の子に声をかけて、そしてぞんざいに扱われ、傷つくことのありうることが怖かったのだ。たとえその可能性がどんなに小さかったとしても。
結局二人は一言をも交わすことなく、目を合わせることすらせずに、その高校を後にした。
6
3月になった。
高校入試が終わり、僕は無事に合格した。
そして卒業式の日。
例年不良達が卒業式に乗り込んできて大暴れするのが年中行事になっていたうちの中学では、近所の駐在所からおまわりさんが来るのが通例になっていたが、その年は彼の活躍の出番はなく、穏やかに卒業式は終わった。
彼女とはあの一件以降、どうでもいいことにこじつけて二言三言会話する関係になった。わざと彼女が英語の宿題を忘れて僕に見せてくれるように頼めば、僕は家庭科のお裁縫道具を忘れたので彼女に針と糸を借りた。
マラソン大会の日、彼女は僕に何番だったか聞いてきた。
「128番」
「私18番だよ!」
ちょっと誇らしそうな笑顔が可愛かった。
でもそこまでだった。
卒業式が終わりめいめい家に帰るとき、彼女とすれ違うことができた。僕は聞いた。
「受かったの?」
「受かったよ。そっちは?」
「うん。受かった。」
「良かったね。」
「うん。ありがと。」
彼女はクラスで何かグループ分けをするときだけ口を聞く友達と一緒にいたので、彼女と話したのはそれっきりだった。
幼すぎて恋が恋になりおおせなかった思い出です。
習作2