太海食虫植物園

昔に書いた短編です。
保管用です。

 僕が碇と知遇を得たのは、五ヶ月ほど前、この年の春からはじまった中級フランス語の教室においてだった。かれは国際法を専門とする法科の三年で、僕は商科の二年だった。碇哲夫は小柄ながら精悍ともいえる太り方をした口唇の厚い男で、僕らクラスメートたちはみな親しみを込めてかれをタンクと呼んでいた。だが、このニックネームだけを聞いてかれに、一種の愚かしげな、ユーモラスな印象を抱くのは方向違いだ。かれは一流の機敏さをそなえた男だ。四角い黒のセル縁眼鏡の奥には、柔和だが常に油断のない目が光っている。かれの強靱な猪首は、むしろ接する者へ「若い有能な傭兵」とでもいった印象を与える。肌はみずみずしい張りをたたえて清潔で、堅固に整髪されたオールバックはいついかなる風雨に襲われようが決して乱れることがなかった。またかれはその独自の服装哲学から、己の身につけるものすべてを一級のブランド品のみに限っていた。かれは最高級の鉄紺地のスーツ(そのエレガントなダブル・ブレステッドスーツを仕立てるため、かれは高校時代でのアルバイトの稼ぎすべてをサヴィルローまでの旅行費用についやした)と、もっとも上質なコットンシャツとを常に身につけて通学していた。講義を受けるに際しては、上等なコードバン革張りのノートに愛用のペリカンのボールペンを走らせ、また足元のエドワード・グリーンにはその丹念な手入れから、一時としてあの贅沢で重厚な艶を失わせたことがなかった。
 セリーヌの作品群の翻訳で知られる僕ら初老の教官S氏は、その変人物たる風評にもたがわず、僕らの持つつたないフランス語での会話能力をまったくもって無視しては、ディベートをさせる授業ばかりを好んだ。
 学生アルバイトながらすでに二年来の週刊誌記者としてのキャリアに鍛えられたタンクは、じつに巧みな表情表現法と、また素晴らしく張りのある深いバリトンでの雄弁術をそなえていた。タンクの雄弁の才覚がもっとも鮮明に際だつのは、その日のディベートにおいてタンクの側が明かな劣勢に追いこまれているときだった。圧倒的に分が悪く、本来ならばどうあがいても勝ち目がないだろうという場合、タンクはまず相手方の誇るもっとも優秀なスポークスマンのたどたどしいがしかし自信あふれる説得にまずは耳を傾ける。それもじつに好意的な微笑みをたたえながら心からの敬意を表して、それこそタンクがスポークスマンかれの少年時代からの大ファンであるかのように聴き続けるのだ。決して相手の発音のつたなさに揚げ足をとるような真似はしない。だが相手が仮にひと言でも論理的に脆弱な、不用意な傷のある発言をしたときにはタンクは容赦しなかった。
「きみ、それはどういうことだ! きみはいまこういう趣旨の発言をおこなったわけだが、え、そういったわけだよな! だがそれは、これこれこういう理由からしてまったくおかしなことじゃないか!」と火の出るような啖呵を吐いて、いよいよタンクの猛烈な反撃がはじまる。その発音法こそはやはりタンクとて初学者の域を出ぬものの、じつに迫力満点の抑揚をつけてとことんまで相手を追いつめていく。こうなってしまえば、すでに挽回は不可能だ。いまや相手がいかなる反論を試みようとも、それはタンクの圧倒的な舌の攻勢に飲み込まれて「ああ、違うんです……それは、それは……」といつしか幼子めいた否定の言葉を繰り返すので精一杯だ。結局相手は戦意を失って赤面し、それこそ涙を流さんばかりに恥じ入って、もはや教官からの決定的なジャッジメントが下されるまでじくじくと黙りこむばかりだ。
 その日いかなるテーマが与えられようが、だから僕らはタンクが味方に配されたとき、じつに安心して自信たっぷりに問題の深い点にまで勇敢に踏みいった発言ができたものだし(それは後方に天才スナイパーが見守ってくれているようなものだったから)、またそうでない場合には、こちらがいかに有利な立場に置かれているように思えても、自然戦々恐々とせずにはおられず、それが勢いを得て一気呵成に攻めいるべき局面であっても、僕らはまず発言のまえに使用するタームのひとつひとつに慎重すぎるほどの点検を施してからかからなくてはいけなかった。そうこうするうち、僕らはいつしかア・ベ・セーの基本からその言語の仕組みすべてを忘れてしまったような錯覚にまでとらわれて、結局は攻撃の機会を逸してしまうわけだった。僕がこれまでの学生生活で縁を得たうちでも、かれはもっとも独特で、また才能に秀でた先輩のひとりだった。

 七月半ばの日曜日。大学図書館の気に入りの卓でそれぞれの読書の日課をまずは充実の手ごたえで終えた僕とタンクは、夕暮れ僕ら学生たち御用達のごくみじめな駅前居酒屋に入った。互いに夏休みに入ったばかりの高揚からか、語りはいつしか弾みあがって、最後には「どれ、この夏の終わりにでも、僕ら日本人学生御一行様でパリ見物へいってやろう」という話になっていた。僕らの仲で行くと決まれば、それですべては「決まり」なのだった。モディリアニ行きつけのモンパルナスの安酒場で甘苦いアブサンを舐め、パリのキャッフェのオープンテラスでは世界一誇り高い女給から受けとった新聞を読みつつコーヒーをとる。そうして良い絵をたんまり見て帰ってくる。それは胸のうちで夢想するだけでも幸福にぞくぞくしてくるようなまったく素晴らしいプランだった。
 しかし、先立つものは金だった。週刊雑誌のアルバイト記者として決して豊かとまではいえないまでも定期的な稼ぎがあるタンクはさておき、僕にはまったく用意がなかった。せいぜい生活を切りつめに切りつめ、親に泣きつき、手元の貴重品をすべて質草に入れたとしても、僕に用意できる金はやっとこ十五万円が精一杯だった。そうしたわけで、僕は早急に更なる旅行費用を用立てる必要に迫られたわけだった。
 タンクがそのアルバイトの話を持ってきたのは、それから三日目の午後だった。僕が焦燥に顔を青くして学生食堂で求人雑誌をめくっていると、タンクが新調したばかりの藍色のサマージャケットをやり手の若手実業家さながらに昂然と輝かせて登場して、僕にとっておきの職が見つかったことを知らせた。
 かれがいうにはこうだった。
「僕には千葉の南総に、まったく物好きな話だが、好事家や少しひねくれた観光客を目当てにした食虫植物専門の植物園を営んでいる叔父がいる。そこで働いている若い唯一の従業員が、かれとしては生涯きっての大冒険のつもりで、この夏目一杯をかけて南米はギアナ高地まで希少種探査の旅へ出かけることになった。そこで今から一ヶ月間ばかり、かれの代理で働いてくれるアルバイトを探している」
 タンクはまったく用意の良い男だった。
 僕が表情を輝かせて、即座にもそのアルバイト快諾したい旨を伝えると、かれはにやりと笑みを浮かべて、「君の件はすでに申しこんである。若くて真面目な素晴らしい男だといってある。明日君は大学の図書館で精々できるだけ食虫植物のことを勉強して、明後日の朝には南総行きの電車に乗りこむ。お察しの通り大した給料は期待できないが、それでも八月一杯働けば、十五万と少しぐらいにはなるだろう」
 僕はまったく感心しながら、タンクに感謝の握手を求めた。それからお互い図らずも声をそろえあって、「それで、決まりだ」。こうして僕の夏期休暇の使いみちは決まったわけだった。
 外房線の太海駅を降りると、外は盛夏の日ざかりだった。重く粘っこい光と暑さ。僕はたちまち身体中を汗みずくにしながら、潮と油と鉄錆の臭いとがむんむんと湿っぽく交じりあったロータリーで植物園へ行く市営バスのやってくるのを待った。
 シートの垢じみた老朽バスで、稲の緑が息を飲むほど鮮やかな田園風景を十五分も走ると、植物園前、植物園前と、はやくも目的地到着を知らせるアナウンスが流れた。僕はぬくぬくした旅情をふぃっと勇躍振り落として、トランクを提げてバスを降りた。
 「太海食虫植物園」は三方を豊々たる水田に、後背を穏やかなブナの森に囲まれて位置していた。
 紺碧の南総の空には純白色をした積乱雲が堂々たる存在感を示して立ち上っている。あたりの草むらでは十種二十種にも思われるような夏の虫たちが意趣を競い合うようにして鳴きしきっている。青っぽくて温かい稲の香りに混じって鼻腔からじわじわとしみこんでくる幸福感を、また僕は意識して抑制しようと努めながら、柔らかいあぜを踏みしだいて前方にたつログハウス風案内所へ向かった。
 園長夫妻は(それこそ僕をテレビタレントか広告主かにでも見紛えているのじゃないかと疑うほど)、熱っぽい歓迎の言葉で迎えてくれた。出会いの挨拶もそこそこに、「さあ、園のなかをまわろう! 君の仕事場を紹介しよう!」と僕の手を引っ張り歩きだそうとする園長を、まあまあ、あなた、と園長夫人が品の良い微笑で押しとどめた。
「栗下さんも、長い電車の旅でお疲れでしょうから。まずはゆっくりとお茶でも召し上がっていただいて」
 ああ、ああ! と決まり悪そうに頭をかいて、園長は椅子に腰を下ろした。向かいでしぶしぶと煙草をつける園長の手練の老大工みたいな顔をみて、一本気な人なのだと僕は思った。いま性急に僕の手を引いたのも、決していやったらしい雇主根性を示すものではなく、愛(う)い植物たちを一刻も早く見せたくてのことだったに違いなかった。
 張りのある解説の声をノートしながら、僕は園長の後について園内の施設をまわった。栽培の専門用語やラテン語の品種名をたっぷりと交えたその話しぶりに、僕はあやうく目をまわすところだった。約千坪の敷地内には、二百坪ほどの野外展示と、それぞれネペンテスとサラセニアを専門に集めたビニールハウスの温室が二つ、売店と軽食堂を兼ねたログハウスに、観賞客用の宿泊施設として用意されたコテージの二棟が収められていた。二台建機が入っているのは、これから野外展示の奥にバーベキュー場とハーブ園を追加するためという話だった。
「俺はねえ、まだ君ぐらいの学生の歳から、こういう食虫植物専門の施設をつくるのが夢だったんだよ。まだ戦争が終わったばかりの頃でねえ、蕎麦が一枚二十円の時代だった。食虫植物は高くてねえ。俺は食いたいのを我慢して我慢して一株のムシトリスミレやサラセニアを買ってきたものだった」
 泥っぽい草いきれが溶かした蜜のように漂うネペンテスの温室に入って、園長は続けた。
「よく、好きの虫がつくって言い方をするだろう。ちょっと使い方は間違ってるかも知れねえが。俺はねえ、ほら、このネペンテスの穴に落っこちた虫たちと一緒だ。一生の全部をまんまとこいつらに絡めとられちまったわけだ。さんざん女房にも迷惑かけた。ついには借金までして、こんな馬鹿なもんまでつくっちまって」
「夢のような人生、素晴らしいお志だと思います!」僕は思わず声を高めていった。「園長さんは立派です。あなたみたいな人に心底から入れこんでもらえて。大事に大事に世話してもらって。きっとここの植物たちも感謝しているんじゃないでしょうか」
よせやい、小僧、と園長は皴の多い日焼けした肌を赤らめて笑った。紫色の巨大な補虫袋をぶらさげたネペンテスが、温室中の展示台を余すところなく埋めている。なかにバケツほどの大きさをした一株を見つけて、なかをこわごわのぞきこむと、黒くひからびた虫たちが底にぎっしりとつまっていた。
 僕は植物園に隣接する園長夫妻の居宅の二階の、アフリカ旅行に出かけた青年の部屋を借り受けた。床中にひしめきあう英文の図鑑や資料や駄温鉢の隙間にかろうじて布団を敷くスペースだけは確保することができる、といったそれはまさに熱烈な好事家の持ち物らしい寝室だった。
 この職場に来てからの僕の一日はこうだった。朝七時半には目を覚まして、主に植物たちのコンディションについての話題を交わしながら園長夫妻と朝食をとる。身支度を整えた後は、午前九時半の開園に向けて、園内に不備がないかを点検してまわる。開園した後の午前中には、軽食堂で用いる食材の下ごしらえ。園内の除草作業(簡単な様でいて、真夏の炎天下で行うには実は相当に骨の折れる作業だ)。コテージに泊り客のあった朝には、チェックアウト後の清掃作業と、ろくに水分をとる間もない忙しい時間が続く。昼食をはさんで午後の時間は、主に園長の指示に従っての植物への水やりやコンディションチェック、株の植え替えなどの作業が中心となる。
 僕が何よりも楽しみにしていたのは晩酌の時間、夕食の食器が下げられテレビを消した食堂で園長と差し向かいになって日本酒のとっくりを傾け合う時間だった。田んぼに面した網戸から涼やかで柔らかな夜の風が入ってくる食堂で、僕らは本物の父と子のように親しんで語り合った。間断なく煙草の紫煙をくゆらせながら園長は食虫植物における「系統」の概念とその限りないほどの魅惑について、施設開園に至るまでの苦労話、自分が隔年置きにでかけているというマレーシアへの探査旅行などの話題を語った。それは、自らの人生に満ち足りている人間だけが身につけることのできるはずの、幸福感に満ちた話ぶりだった。ジリジリという穏やかな地虫たちの声に包まれて過ごしたこのいくつかの夏の夜を、僕はいつまでも忘れないでいるだろうと思った。
 八月はじめの日曜日。植物園では、開園五周年を祝う記念パーティーが開かれた。まったく朝から大忙しの一日だった。この日ばかりはタンクも始発電車に乗って駆けつけてきて、会場の設営に即売会の準備にと大ハリキリの働きぶりだった。園長夫妻は大鍋に三十人分のお腹を満たすためのカレーをつくり、僕は駅までひっきりなしに送迎バスを駆って、続々と到着する客人たちを出迎えた。
 北は北海道、南は長崎から集まってきた二十余名の好事家たちは、その誰もが園長によく似た穏やかな情熱家といった雰囲気のする人ばかりだった。園長は心底嬉しそうに客人たちの肩をたたいては、感謝の言葉をかけていた。
 午前中からビールが開けられ、愉快な酒宴がはじまった。あちらこちらのテーブルでマニアックな栽培談義の花が咲き、にぎやかな笑いが耐えなかった。カレーの鍋が空になって、今度は園長手打ちの蕎麦がふるまわれた。園長はビールのグラスを片手に、蕩(とろ)けたような顔になってテーブルの間を話してまわっていた。「園長は僕らの夢を成し遂げた男だ」という声があった。「この爺さんは泣く子も黙る日本の食虫植物界の帝王なんだぜ」という冗談めかした声もあった。感極まった園長夫妻の目に、いつしか涙が光っていた。客人の誰もが園長の人柄を深く敬愛して集まってきた人ばかりなのだった。僕とタンクはその誇らしい思いを共有しながら、園長の功績をたたえあういくつもの熱っぽい話題に静かに耳を傾けていた。
 深夜。僕らは片付けの終わった軽食堂のテーブルに向き合って、辛うじて残った二本のビールでこの日の会の成功を祝った。ネグリジェ姿の園長夫人が乾き物のつまみを運んできてくれて、僕らの労をねぎらってくれた。園長は酔い疲れて寝てしまったと聞いて、僕らは顔を見合わせて微笑んだ。
 僕はタンクに感謝を伝えた。こんなにも素敵な人たちと知り合える機会をくれて、本当にどうもありがとうと。パリの立派な紳士連にも、かれらは決して負けてはいないと。タンクは珍しく感傷的な目をしてうなずいて、胸がつまったように息を吸って、それでもやっぱりそこはかれらしく「悪くないだろ」といって笑った。

 八月二十日、午前七時。強く掃きたてるような雨脚が、ガラス戸の外の地面をたたいている。
 明け方、八丈島沖を暴風圏内に巻きこんだ超大型の台風十一号は、方向を北北西に転じて物凄いスピードで進行してきていた。荒れ狂う風雨に全身を蛸のように踊らせたテレビリポーターが、関東地方への台風急上陸の危険を叫んでいた。
「行くぞ、栗下!」と園長が怒号のような決断の声をあげた。園長と僕は土砂降りの外へ飛び出していって(まず第一に守るべきはサラセニアとネペンテスだった)、重しのための砂袋を持ち上げては二棟のビニールハウスの周囲に敷き詰めていった。雨合羽をかぶった園長夫人が、バシャバシャと厚い水を蹴って駆けつけてきた。雨を完璧に吸いこんだ砂袋はいま鉄の塊のように重たかった、まさに三人死に物狂いの格闘だった。全身泥まみれになってそれらのすべてを配置し終えて、僕らにできることはなくなった。
 三人軽食堂のテーブルに肘をついて、ただひたすらに台風の反れてくれることだけを祈った。
 突然、空白の一瞬がやってきた。風雨が嘘のように弱まり、どす黒い墨色の空に胡散臭げな微光が差した。わずかな救いを感じて僕らがフッと息をつこうとした、その直後だった。すべての希望をあざ笑うかのような、凄まじい嵐がやってきた。
 ゴォーッという地鳴りとともに激しい突風がログハウスの壁を襲った。風圧の直撃を受けたガラス戸が熱風に溶かされたように弓なりに歪むのが見えた。園長夫人のあげるパニックの悲鳴が、爆撃のような雨音にかき消された。
 園長が立ち上がった。呼び止める間も腕を引く間もなかった、かれは撃ち出された銃弾のようにひとり荒れ狂う暴風雨のなかに飛び出していった。
「やめて、あなたぁー!」と夫人が半狂乱の声で叫んだ。考えてなどはいられなかった。僕は椅子を蹴って立ち上がって、嵐の渦中へと消えた園長の影を追った。
 信じられない光景だった。雑木林のすべての木々が図りがたい意思を持った狂人のように揺れていた。あの素晴らしく豊かな蓬髪を誇っていたはずの梢の葉は、いまやそのほとんどが風に吹きちぎられてしまっていた。分厚い鉄の壁みたいな質量を持った重い風が、僕を無力な蝿のようになぶってひきずり倒そうとする。真っ白い雪つぶてのようなしぶきが視界に映るすべてのものを覆っていた。
 暴力的な風に塞がれ、もはや呼吸することさえもが困難だった。辛うじて開けた薄目の先に、園長の呆然と立ちつくしている姿が見えた。もはやそこにあったはずのビニールハウスは跡形さえも見当たらなかった。暴風に押し倒された建機がごろごろと落石のように転がっていくのが見えた。
 僕は精一杯の声をからして叫んだ。「園長、危険です! 戻ってください!」
 ドォーという凄まじい轟音がして、茶褐色の濁流が押し寄せてきた。身構える間もなく、太股が水に飲み込まれた。ついに雑木林の裏を流れる鷲巣川が氾濫したのだった。僕は泣きながら園長の背中にむしゃぶりついて、「お願いです、お願いですから戻ってください!」もう一度混乱と懇願の金切り声をあげた。
 強く抱きとめた園長の身体はまるで案山子を抱いたかのように軽かった、まったくこの暴風のなかに立ちつくしていられたのが不思議なほどの扱いやすさだった。むくろ同然の様となった園長を連れて僕は、腰の丈下でうね狂う水のなか無我夢中で戻るべき方向を探った。
 午後八時。嵐はすでに去っていた。
 決壊した鷲巣川からあふれ出した濁った水が、一階部分を破壊の底に沈めていた。水にすくわれた机や箪笥が、むなしいゴミのように浮かんでいるのを僕らは見た。命からがらの体で逃げあがった居宅の二階で、暗くて長い停電の夜がはじまろうしていた。
 もはや誰もが口にすべき言葉を持たなかった。
 植物園は失われてしまった。園長夫妻の懸命になって積み上げてきたものの大半はいま、あの幸福の日々の記憶以外、すでに失ない去られてしまっていた。
 もう十時間もたてば、そのときこそはかれらを完璧に打ち倒してしまうはずの、恐ろしくむごたらしい朝がやってくるはずだった。すべてがごまかしの効かない夏の光に暴かれてしまうはずの、ひどく残酷な朝がやってくるはずだった。

太海食虫植物園

太海食虫植物園

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-07

Copyrighted
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