美的感覚

 私の散髪はいつも妻にしてもらっている。結婚以来ほとんど床屋に行った事は無い。彼女がプロだったわけでもないし、お金の問題だったわけでもない。床屋は時間がかかって、かみそりがくすぐったいのが嫌だったからだ。
彼女はご機嫌斜めになって「ちゃんと床屋さんに行って下さい」と初めは断るが、むさ苦しく伸びた髪を見かねて、結局わたしの要求をのむことになる。そのかわり、出来ばえに文句をいう権利は私にはない。好きな様にやってもらうしかない。
 散髪が済むと、スッキリした気分で町にでかける。時々2人で美術館にも行ったものだ。絵の鑑賞中、周囲に誰もいない時に私が余計な口を出すことで、必ずといってよいほど妻と小声の話が始まる。私が抽象画はさっぱり分からないから面白くないと言うと、「この絵の良さが分からないの?」と言いつつも、観るコツを教えてくれる。有難い。私には絵の素養がないのだから。
具象画をみて、私が分かったような口で「この絵は下手だね」などと自信有りげに言った時にも、妻から「あなたは美的感覚がないわね、絵は写真のように描けばいいというものではないのよ」と、言われてしまう。
今度のシュールレアリスムでは言いたいことがあっても黙っていよう。鑑賞中に妻の邪魔をしないほうがよさそうだ。
 私には、自由奔放に描かれた孫の絵を見るのが一番無難だ。抽象、具象、シュールの原点が一緒に混在しているが、私の美的感覚でも無条件に受け入れることが出来る。私が「上手だね」と言うと、「そうね、すごくいいわね」と、ニコニコして妻も同意してくれる。孫の絵の時はいつも意見が一致する。
 今日も散髪してもらった。いつもはハサミを使って丁寧にやってくれるが、今回は電気バリカンで早く済んだ。「ハイ、オワリッ、コレデイイデショ」。介護の手もかかるから一番短くしたのだ。高校生の時以来の坊主頭になった。
丁度その時長男一家が孫を連れてやって来た。孫は部屋に入るなり私の頭を見て「おじいちゃまのあたまツルツルピカピカだ」と言って笑った。いつものように「カッコいい」と言わなかった孫の美的感覚は正常だ。続いてやって来た次男も「僕も小さい時お母さんにマッシュルームのような髪型にされて、友達にからかわれていやだったな」と言った。私はニヤッとして妻の顔を見た。   2016年5月18日

美的感覚