思いがけない再会


     *     *

   〈リフレッシュ〉

 みなさんこんばんはっ!
 くれあです。

 学校・お仕事、毎日おつかれさまです。

 最近はドラマの撮影がずっと続いていました。
 まだまだ未熟な私ですが、共演者さんたちの演技に取り組む姿勢を間近で拝見したり、さまざまな経験をさせていただいたりする中で、少しずつ成長しているのではないかと思っています。
 放送をお楽しみに。

 さてさて。
 実はちょっとだけお休みをいただけたので、明日からリフレッシュも兼ねて故郷に帰省しますっ。
 こっそり行くつもりですが。
 私は温泉街で育ちました。自然が豊かで、とてもいいところなんですよ。
 高校卒業して以来、かな。変わってないだろうなー。

 それでは、今日はこの辺で。

 明日もあなたにとって素敵な一日になりますように。
 おやすみなさいっ。

                    山崎紅亜

     *     *

 鬱蒼とした山の木々たちが、ざわざわと風で揺れている。その山の麓にある、古くから続く旅館「ひすい亭」が今日も静かに朝を迎えた。ほんとうに静かに。
 いつもと同じ朝のはずだった。空はどこまでも澄んでいて、鳥のさえずりがどこからか聞こえてきていた。客もまばらなこの旅館のなんてことのない一日が始まろうとしていた。
 自宅のパソコンで駆け出しの若手女優、山崎紅(くれ)亜(あ)のブログをチェックしていたとき。日課として彼女の言葉を目で追っていたが、今日はいつものようにさっと流せなかった。引っ掛かった箇所をもう一度じっくりと捉える。
『実はちょっとだけお休みをいただけたので、明日からリフレッシュも兼ねて故郷に帰省しますっ』
 帰ってくる。山崎紅亜が、この町に。
『私は温泉街で育ちました。自然が豊かで、とてもいいところなんですよ』
 自然に囲まれ、時間の流れがゆっくりと移ろっていくこの町は、温泉街として有名だ。彼女はこの町で育った。
 私は彼女のことをよく知っている。きっと誰よりも知っている。山崎紅亜は私の幼馴染みだから。

 驚きは続いた。
 私は山の麓の旅館「ひすい亭」の仲居として働いている。高校を卒業してすぐに、ここへ就職した。まだ数年のキャリアしかないし、失敗ばかりの毎日だけれど、のんびりやっている。お客さんが少ないから、ほんとうにのんびり。
 旅館に出勤し、宿泊者名簿の台帳を確認していたら、その中にその名前があった。
 山崎紅亜。
 泊まりに来るのは今週末。まさか、まさか。帰ってくるのはさっきのブログで知ったけど、ひすい亭に泊まりに来るのか。どうして。実家には帰らないのだろうか。くれあにはもちろん、ここへ就職する話はしてあったから、彼女はおそらく憶えているのだろう、私がここで働いていることを。それにしたって、どうして――。
 というか、自分の名前で予約するなんて。こういうとき、マネージャーの名前を使ったりしないのだろうか。――ちなみに、くれあ、という珍しい名前を持っているが、これは彼女の本名だ。誰が予約の対応をしたのだろう。気づかなかったのかな。
 女優になって、すっかり遠い存在になってしまったと思っていた。だから、しばらくはそう簡単に会えないだろうと踏んでいた。それなのに、こんな形で再会の機会が舞い込んでくるとは。
 会ったらなにを話そう。どうして女優になったのか知りたい。くれあはこの町を出て、都会の大学へ進学した。向こうに行ってからの生活はまったく把握していない。なにがあったのか、詳しい経緯を訊きたい。

 くれあは、それはそれは、とにかくかわいかった。こんな田舎に不釣合いなくらい、透き通るような白い肌と、肩にかかるくらいでいつも揃えていた綺麗な黒髪の持ち主だった。身体の線は細かったけど、頬はふっくらとしている感じで、笑うとあどけない印象が残った。
 でも、彼女はクラスの中心にいることはなかった。そういう性格だったのだろうけれど、いつでもどこか周りから一歩引いたようなきらいがあって、魅惑的な瞳を大人しげに伏せていた。といっても、馴染めていないわけでもなかった。もしかしたら、誰もが、くれあと並んで見劣りしてしまうのを忌避していたのかもしれない。それくらいかわいかった。
 そんなくれあの隣にいつもいたのは、私だけだった。
 ――万(ま)理(り)華(か)は高校卒業したらどうするの?
 教室の窓際、一緒の机で、私たちはいつもいろんな話をしながらお弁当を食べた。その机が他の机とくっついたり、他のグループと一緒だったりしたときはあるけど、どちらかが体調を崩さないかぎり、私たちは並んで食べた。
 ――この町には残ると思う。
 ひすい亭の雰囲気が好きだったから、あそこで仲居として勤めたい、という思いは確かにあった。
 ――私は、とりあえずこの町を出る。
 そんな予感がしていた。明確な根拠はなかったけれど、少なくとも彼女が意思を明らかにしたとき、それほど驚かなかった。
 ――そっか。
 ――自分が本気で打ち込みたいことを見つける、のかな? 自分でも分かんないや。
 都会に行って、本気で打ち込みたいと心から思えるようなものを見つけたのだろうか。それが、女優という仕事だったのだろうか。

 くれあがひすい亭へ泊まりに来ると知ってしまったからには、もう落ち着いてなどいられなかった。勤務中も終始そわそわしていて、ただでさえミスの多い私なのに、いつにも増してやらかした。
「岩崎さん、どうしたの? 体調でも悪いのかい?」
 気の優しいご主人は叱るどころか、むしろ心配してくれた。かえって、それが心苦しかった。
 しっかりしなければ。くれあに恥ずかしい姿を見せるつもりか。
 気分転換をしようと旅館の外に出て、うんと一つ伸びをした。気持ちが少し安らぐ。木々たちのカーテンに囲まれた露天風呂の方から、内容は分からないが声がする。清掃係の人だろうか。
 ようやく落ち着けた気がする。安堵の息を一つ吐いて、とぼとぼと持ち場へと向かっていく。木でできた足元の床板が、たまにみしりと鳴いた。
 それから、あっという間に数日が経過した。ついにくれあがここへやってくる。頬が熱い。胸が苦しい。普通でなんかいられない。でも、せめて、丁寧なお辞儀で出迎えてみせないと。
「お客様がお見えになられました」
 玄関の方で別の仲居の声がする。彼女の掛ける言葉に、明るく応じるまた別の声が聞こえてくる。確認しなくても分かった。耳の記憶は案外頼りになるのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
 ゆっくりと頭を下げた。私に気づくと、くれあは嬉しそうな笑みをそっと浮かべた。そして、思い出す。今目の前にあるこの眩しさは、かつて私の傍らにずっとあった。ハーフツインにした髪型、白のワンピースと黄色のカーディガン。あの頃より女の子らしい格好をしているけど、さっきから私を捉えて放さない瞳は変わらない。透き通るような茶色。
「久しぶり、万理華」
 もう一度、眩しさを覚える。

 学校帰りにはくれあの家に頻繁に寄った。私の家より学校から近いからだ。彼女の家は大きめな一軒家だったけど、高級住宅という感じではなかった。言ってしまえば、どこにでもありそうな家。
 学校でもぽつりぽつりと言葉を交わし、帰り道もその続きを話し、くれあの家に着いたら、またその続きを話す。私たちは毎日、毎日、いったいどんなことについて話していたのだっけ。あの頃は時間が膨大にあるような気がしていたけど、今思えばあの時間はとても貴重なものだった。失われてしまった、大切なもの。
 リビングにはいくつかの写真立てが置かれている。くれあが幼いときから、つい最近までの家族写真。それを見ているだけで、家族の繋がりの強さが窺える。くれあは、きっと愛されて育ったのだろう。
 でも、それを見ているときに抱くのは微笑ましさだけではなかった。私はちょっと愕然とする。くれあは小さい頃から完璧だった。小さい頃から、写真に写るときの笑顔の作り方を知っていた。
 二階へ上って、くれあの部屋へと入っていく。整然と片付けられている。
 ――彼氏さんとは、上手くいってるの?
 くれあには彼氏がいた。それが、当たり前のようにクラスで一番かっこいい男子だったりする。私がちょっとでも好意を持ったり、意識したりする男子はたいがいくれあと仲良くなろうとし、その中にはくれあと実際に付き合った人もいた。くれあがいつも傍にいてくれるおかげで、いいなあ、と思った男子と近づけても、くれあがいつも傍にいるせいで、かえって私から一気に遠ざかってしまった感覚になる。
 ――うん、上手くいってるよ。
 照れる様子もなく、かといって冷めた様子もなく、くれあはやんわりと受け流してしまう。次にはもう別の話題に移ってしまう。一喜一憂しないのだ。確かその彼氏とは、高校を卒業する前に別れたはず。
 私はくれあの眩しさに強く憧れ、好きだと思っていた。でも、それと同居する別の感情が胸のうちにあることにも勘付いている。正体は分からない。真綿に染み込むようにして、ぶら下がって重くなる。その中には嫉妬も紛れていたかもしれない。
 そうして、くれあに向ける感情が少しずつ歪んでいった。

 夜の帳が降りる頃、旅館は一気に静まり返る。じりじりとした日差しも、風に吹かれながら呼吸する山の気配もなくなり、日々こうして、一日の終わりを実感する。
 旅館の中庭に出て、夜空に目を凝らす。星を探しているのではなくて、鼓動を落ち着かせるためにじっとなにかに意を注ぎたいだけだ。どうしようもないくらい緊張している。そして、楽しみに思っている。
「おまたせ」
 背後から声がした。くれあだ。私は振り返る。
「ごめんね、すぐに話す時間取れなくて」
「いいよ、万理華は仕事中だったんだから。おつかれさま」
「ありがとう」
 数年ぶりに話すとは思えないほど、意外と言葉はすらすら出てきた。
「座る?」
 庭に置いてあるベンチを指し示す。くれあは頷いた。並んで腰掛ける。
「ほんとに久しぶりだね」
「うん、高校卒業以来だもんね」
「あんまり驚かなかったね」
 くれあの声の調子に、残念そうな響きを感じ取った。びっくりさせる気だったのだ。
「実は――知ってたから。帰ってくること」
「え?」くれあは目を丸くする。「どうして」
「ブログ、いつも読んでたから。くれあの」
 そう、だったんだ。くれあは感情を込めて呟いた。以前より、言葉の響きがクリアになった気がする。
「女優になったんだね」
 言ってから表情を覗き込むようにすると、くれあは横顔を見せたまま黙り込んでしまった。しばらく、互いになにも口にしなかったけど、私はその横顔をずっと見つめていた。大きな瞳に、少し赤みが差した頬のあたりに、見惚れてしまう。今手を伸ばせば触れられる位置にあるのに、見ているだけで心が締め付けられて痛い。ほんとうに触れてしまったらどうなるのだろう。私は壊れてしまうかもしれない。
「ひすい亭に泊まりに来たのは、私が働いているから?」
 答えがないので、別の質問をした。今度は答えが返ってくる。
「うん。ここに就職する話は憶えていたから、きっとまだ勤めているだろうと思って」
「予約、自分の名前でしたんだね。名簿にくれあの名前を見つけたとき、目を疑ったよ」
「そっか。驚かせようとしていたわりに、けっこう間抜けだったね、私」
 くれあは小さく笑い声を立てた。私も合わせて笑う。
 夜が更けていく。空白の時間は無理に埋めようとしなくても、話しているうちに自然となかったかのようになっていく。それだけ共有した過去があったのだから。
「スカウトされたんだ、向こうで」
 一つ前の質問について答えようとしていることに、少ししてから気づいた。
「今どきスカウトなんてないだろうと思っていたから、最初は疑っちゃったんだけどね」
 それから、女優として仕事をし始めた経緯を、くれあは詳しく語ってくれた。挑戦してみようとスカウトに応じたこと。最初のうちは、台詞は一言、二言で、カットされてしまうときもあったこと。生の緊張感が演技にプラスになるからと教えられ、舞台も経験したこと。
「女優って大変な仕事なんだって、身を持って知っていく毎日。台詞を覚える時間を捻出するだけでいっぱいいっぱい」
 ただでさえ遠くに行ってしまったと感じていたのに、実際にこうして本人の口から話を聞くと、あまりの現実感のなさに混乱する。でも、彼女はその世界で生きているのだ。すごい、としか言えない。
「演技には興味あったの? 前から」
 一通り話を聞き終わってから、なんだか呆然としてしまった私は、なんとかその質問を捻りだした。
「なくはなかったけど、スカウトされるまで、女優になりたいなんて一度も考えたことなかった」
 でも、挑戦してみたいって直感したの。くれあの表情は明るかった。
 人前で演じるって、与えられた誰かを表現するって、どういう気持ちになるのだろう。まるで想像つかない。
「楽しいんだね」
 素直にこぼれた感想だった。
「そう見える?」
 そう言って、くれあは首を傾げた。
「違うの?」
「――楽しい瞬間はある。それは間違いない」
 でも、とくれあはちょっとだけ俯く。「でも、ここのところは行き詰まってる、かも」
 大人になったな、とちょっと見当違いのことを考えてしまった。見ない間に大人の悩みを抱えるようになった。ぼんやりと教室の片隅で日々を送っていた姿と、現在。
「演技の経験は浅いから、現場では叱られてばかり。私くらいのかわいさならたくさんいるというのに、自分らしさをぜんぜん出していけない。用意された台本をただその通りに読むだけが女優じゃない、から」
 迷いながらでは、悩みながらでは、震えているばかりでは――私はきっと大きくなれない。
 もしかしたら、くれあは誰かに胸の内を打ち明けたくて帰ってきたのかもしれない。いや、打ち明けるつもりはなくても、ちょっと気分転換できる場所を求めていたのかもしれない。
「大丈夫だよ」
 そして、私に会いに来てくれた。
「女優業に関するアドバイスなんて、私には絶対にできっこないけど。でも、私も旅館ではたくさん失敗してきたし、その失敗がほんの少しずつでも成長に繋がってると信じてる」
 それに、と言って、くれあの手をぎゅっと握る。
「それに、くれあは、私が知っている誰よりも絶対にかわいいから。綺麗だから。それだけは断言できる」
 頬が、熱い。
「ありがとう」
 照れたように、くれあが笑みを浮かべた。

 流行りの歌を歌いながら、私たちは手を繋いで下校した。人通りの少ない学校からの帰り道には、二人の少女の華やいだ歌声だけが響く。
 道をもう一本向こうに行けば温泉街の賑わい。その真ん中には川が流れている。でも、今は二人だけ。
 今日もくれあの家に寄った。彼女の両親は共働きだから、基本的に日のある時間は家にいない。リビングを抜けて、くれあの部屋へと向かった。先に行ってて、とキッチンの方に足を向けたくれあが言う。飲み物とお菓子、持っていくから。
 先に部屋に入って、真っ白なベッドに疲れた体を沈める。毎日、彼女が寝起きしているベッド。枕に鼻先を埋(うず)めると、かすかに甘い香りがした。
 背後でドアの開く気配がした。くれあが来たのだろう。ベッドに寝そべっているのを怒られるかもしれない。そう思っていたら、急に私の上に覆いかぶさってきた。彼女の手が私の手を握り、スカートから伸びる互いの足が触れる。背中に当たる胸の感触が柔らかい。首をめぐらして、くれあの表情を確かめようとしたら、「動かないで」と耳元で囁かれた。そのままにしてて。
 どうしてこういう状況になったのかさっぱり掴めないけれど、全身で温もりを受け止めているのは分かるし、私の鼓動があっという間に速くなっていることにも気づく。今、心の距離も体の距離も、誰よりもくれあの近くにいるのは私。
 しばらくしてから背中から体が離れていき、私の足元で彼女はしゃがみ込んだ。上半身だけ起こして、ようやくくれあの方に向き直る。
 ――どうしたの? 突然……。
 戸惑う私の迷いを打ち消すように、くれあは私の両頬に優しく両手を添えた。そして、顔を近づけてくる。整った顔立ちが、吸い込まれそうになる瞳が、目の前にある。
 ――私、万理華のことが一番好きだよ。
 鼻先がかすめそうな距離でくれあはそんなことを口にする。彼女の息が口元に届いて、私はぞくぞくと震える。快感に酔いしれる。
 しかし、くれあはパッと手を放すと、ベッドから立ち上がって、ドアの脇まで下がってしまう。
 ――ごめんね。急に変なこと言ったりして。
 どんな瞬間よりも近くに感じられる奇跡だったのに、この機を逃したらまたただの友達に戻ってしまうかもしれない。私は遠ざかる背中に追いすがるように、待って、と大きな声を発した。
 ――私も、私も……、
 私もくれあが一番好きだよ。
 強く憧れていた。自分の内側に宿る眩しい光に彼女の存在が彩りを添え、ぐるぐると渦巻いていた。姿のはっきりしないなにかが、すべてくれあに向けられている。誰かに強い感情を向けることは、それだけ誰かを強く意識しているということだ。私の頭の中はくれあのことでいっぱいだった。
 ――ありがとう。
 そう呟いて、いつものようにかわいらしく微笑む。

 翌日の昼過ぎ、早くもくれあとの別れが訪れてしまった。
「どうしてもこれ以上は休みを取れなくて」
 くれあはほんとうに残念そうだった。私だって残念だ。まだ話し足りないし、もっと彼女のことを見ていたい。でも、しょうがない。
 この後は温泉街をぐるっと巡って、夜には戻るらしい。旅館の仕事があるから、一緒に行けないのが悔やまれる。どうせ忙しくないのだから、一人くらい抜けたって……冗談だけれど。
「元気でね」
「うん、ありがとう」
「ブログ、いつもチェックしてるから」
 くれあは照れくさそうに笑った。「ずっと見られてたのか……。なんか恥ずかしいな」
 それからしばらく見つめ合って、どちらからともなく視線を外す。じゃあ、とくれあが胸のあたりで手を振る。
「じゃあ、もう行くね。とりあえず、仕事がんばるから。万理華もがんばってね」
「うん」
 寂しい。久しぶりに会えて嬉しかったけれど、こんなに切ない思いをするくらいだったら、ずっと会えないままでよかった。そんなことを思ってみる。
「あ、そうだ」
 彼女はなにかを思い出したみたいにして、私の方へパタパタと近づいてくる。そして――彼女の唇が、私の唇に触れた。あのときみたいに。
 それまでだった。

 高校卒業の日、教室での最後のホームルーム。担任の先生が熱っぽく話していて、周りではそれを聞いて涙を流している人もいた。
 だけど私は、先生の話なんかこれっぽちも聞いていなかった。じぃっとくれあの後ろ姿を見つめていた。いつもは下ろしていることの多い髪型も、今日はポニーテールにしていた。学生服姿は、おそらく今日が見納めになるだろう。
 遠くない内に別れがやってくる。認めたくないけれど、それは抗えない事実だ。くれあがいない日常なんて想像もできない。ちゃんと受け入れられるだろうか。
 半開きの窓から風に運ばれて、蝶が迷い込んできた。瞬(しばたた)く刹那に視界の片隅で優雅に舞って、やがて窓の枠にそっととまる。
 蝶になりたい。唐突にそう思った。蝶になって、くれあの傍にいきたい。それが私と気づかれないように、彼女の肩にとまっていたい。そうしたらいつでも彼女と一緒にいられるのに。甘い香りに包まれて。
 ホームルームが終わっても、クラスメイトはみんな教室に残って、名残惜しそうに別れの言葉を交わし合っていた。そうしてみんな浮かれていたから、私たち二人がそっと学校を後にしても、誰も気づかなかった。
 やっぱり、最後の日もくれあと帰りたかった。それは向こうも同じだった。たくさんの日常を積み重ねてきた帰り道を、手を繋いで歩く。いつもよりもゆっくり、踏みしめるようにして歩いていたかもしれない。
 もう一緒には帰れない。そんなこと確認しなくても分かりきっていること。それでも私の胸は切り裂かれてしまう。痛い。死んでしまいたい。
 くれあの家の前まで来た。くれあは一歩、そっちへ向かって踏み出すが、私はパッと手を放した。
 ――どうして?
 くれあが瞳を潤ませるようにして訊いてくる。そんな目をしないでほしい。
 ――今日は、ここで。
 これ以上いい思いをしたら、絶対に私は彼女から離れられなくなってしまう。どこかで踏ん切りをつけなければ。いつかまた再会するための、決意のとき。
 ――そっか。
 くれあは素直に頷いた。もう瞳は潤んでいない。
 じゃあ、とくれあが胸のあたりで手を振る。
「じゃあ、今日はここでお別れにしよっか」
 私も真似て小さく手を振る。半身を見せるようにして、彼女は遠ざかろうとする。私の人生において、くれあに出会えたことはなによりの幸福だったけれど、こんなに切ない思いをするくらいだったら、出会わなければよかった。そんなこと――思えないくせに。
「あ、そうだ」
 彼女はなにかを思い出したみたいにして、私の方へパタパタと近づいてくる。そして――、
 彼女の唇が、私の唇に触れる。ずいぶん、長い時間をかけて。
 恵まれた自然に囲まれ、荘厳な山に見守られながら、私たちは育った。たくさんの瞬間を、経験を、共有してきた。それももうすぐ終わりを迎える。さようならが私の心に見えないあざを作る。
 ようやく離れてから、くれあは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 踏ん切りをつけようとしたのに、どうして――どうしてこんなにつらい思いをさせるのか。
 さようなら、が私の心に見えないあざを作る。

     *     *

   〈久しぶりの〉

 こんばんは!
 くれあです。

 いつも読んでくれてありがとうっ。

 久しぶりの帰郷で、心も身体もリフレッシュできましたー。
 変わってなかったです。相変わらず。ずっと、好きな場所です。

 おかげで原点に立ち返れた気がします。
 私がどうして女優になろうと思ったのか。さまざまなお仕事を経験する中で、どういう存在になりたいと志すようになったのか。
 もっとがんばらなきゃですね!

 それと、宿泊した旅館がとってもいいところだったので、紹介しちゃいます。
 あわよくば、故郷の旅館の一つが繁盛してくれないかな……なんて。

 私は郡氏温泉町という温泉街で育ちました。そこの、山の麓にある旅館「ひすい亭」に今回泊まりました。
 自然に囲まれていて、とても素敵なところですよ。
 ぜひぜひ、機会がありましたら。

 それでは、また明日。

 おやすみなさい!

                    山崎紅亜

思いがけない再会

思いがけない再会

彼女の唇が、私の唇に触れる。ずいぶん、長い時間をかけて。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-10-30

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