手を繋ぐ
秋、手が冷たくなり、本を持つのが億劫になってくる頃、アイスクリームが食べたくなって、コンビニエンスストアで秋季限定のアイスクリームを買い占め、十時のおやつや、昼食の後や、三時のおやつや、お風呂上がりに、ひとつずつ、ひとつずつ、恋人にするように大切に、ガラスのグラスを扱うように優しく、アイスクリームをばくばく食べる。ぼく。アイスクリームの海があったら、喜んで飛びこみたい。
秋、手が冷たくなり、文庫本を開くにもなんだか鬱屈な気分に襲われる頃、ぼくは、アイスクリームの食べ過ぎから生じる人体分裂により、もうひとりのぼくと、冷えたからだを温めるように、手と手を重ねる。手を繋ぐ。指を絡ませて、恋人っぽく繋いだりも、する。ぼくと、ぼく。
そういえば、きのう食べたアイスクリームは、秋季限定のマロン味と、紫いも味と、かぼちゃ味と、それから抹茶味だったか、マロン味はコンビニエンスストアで貰った木べらのスプーンで食べて、紫いも味は愛用のアイスクリーム専用スプーンで食べて、かぼちゃ味はコンビニエンスストアで貰った白いプラスチックで出来たようなスプーンで食べて、抹茶味のアイスはもうひとりのぼくと手を繋ぎながら、カレーライスを食べるための銀のスプーンで食べたのだけれど、もうひとりのぼくは、
「紫いも味がいちばんおいしかったように思えて、実はマロン味を食べているあいだが最上に心地よかった」
と言った。
紫いも味を食べているときも、マロン味を食べているときも、きみは、まだ、ぼくのからだにいるのだった。感覚を、思考を、臓器を、呼吸を、共有しているのだった。つまり、きみは、あの、木べらのスプーンで食べるアイスクリームが、いちばん好きなのかと訊ねると、もうひとりのぼくはゆっくりと頷いて、それで、
「スプーンに、アイスクリームが染み入っている感じが、いいよね」
「スプーンをじゅっと吸うと、アイスクリームの味がするのが、たまらないよね」
と、微笑むのだった。
そうだね、と、ぼく。
ぼくときみは、毎夜、お風呂上がりのアイスクリームを食べながら、誰かの書いた小説を読む。
大昔の有名な作家が書き残した名作、メディア化された若手作家の話題作、作家を目指している人がインターネットで公開している作品と、作家になるつもりはないけれど小説を書くのが趣味という人がインターネットで公開している作品なんかも、ふたりで読み耽り、ふたりでアイスクリームを食べる。
秋、手が冷たくなり、ページを捲るのも、キーボードを叩くのも苦痛でしかないけれど、ぼくは、誰かと繋がっていたい。
それが大昔の時代を生きた人でも、少々精神を病んでいる人でも、犯罪者でも、色情魔でも、魔法がつかえる人でも、もうひとりのぼくでも。誰でもいいのさ。誰かのことを、考えていられれば。
手を繋ぐ