アナザーきりもり
一 宝石、稽古場
稽古場は活気にあふれていた。予定していた稽古は全て終わっていたが、ほとんど誰も帰ろうとしない。
きりえは柱の時計をちらりと見る。夜の八時をまわっていた。二重瞼の美しい目をそっと伏せて、思案する。ここにいる大半の目当ては、きりえともりののラブシーンの自主稽古を見学することだった。熱心なのはけっこうなことだが、二人きりで確認したいことがあった。
横顔を見つめる視線に気づく。目が合うと、もりのがうなずいた。夜に自主稽古することを話しておいたのだ。
「みんなぁ――」トップスターのきりえが呼びかけると、一瞬にして注目が集まる。親しみやすいやわらかな大阪弁で続ける。「遅くまでおつかれさん。これから、もりのちゃんと二人きりでお稽古したいねん。お稽古の人はあと三十分くらいで切り上げてくれる? 見学の人はそろそろ引き上げてくれへん?」
きりえはそう言うと、少し照れくさそうな顔をした。「二人きりでお稽古」という言葉に反応したような、色めきたつような空気を感じたのだ。今回、恋人役を演じるにあたり、もりのと積極的に関わるようにしていた。いい雰囲気だとか、お似合いだとか、ささやかれているのを知っていた。
宝石歌劇団は世界でも珍しい女性ばかりの劇団で、女性が男役と女役を演じる。疑似恋愛は当たり前で、そこから本格的な恋愛に発展することもなくはなかった。
歌劇団が上下関係に厳しく、トップスターの言葉は絶対だからというより、気を利かせた感じで、そこにいた全員がそそくさと帰っていった。
そばにやってきたもりのに、きりえは照れたように笑う。
「妄想されるな」
「されますよね」
もりのは両方の手を弄ぶようにして触っていた。すらりと長い指の動きが艶めかしく、きりえは落ち着かない気分になった。
きりえはかるく咳払いすると、明るい笑顔を浮かべた。いつも微笑んでいるような、やさしく甘い顔がパッと輝く。
「ほな、始めよっか」
きりえはもりのを見上げた。ともに男役だったが、男役としては小柄なきりえより、もりのは十センチほど高い。顔がとても小さいため、実際の身長よりも、大きく感じる。きりえにとって理想的な――ロマンチックな気分にさせられる――顔と顔の距離感だった。
もりのは役柄にふさわしい、騎士のようなまなざしを注ぐ。やさしく誠実なあたたかさの中に、命をとして愛し、守り抜く真摯な情熱が宿っていた。きりえはときめきを感じた。
きりえがダイヤ組トップスターに就任して、最初の作品だった。主演男役が、中世ヨーロッパの小国を率いる男装の麗人を演じる珍しい作品で、その相手役に五年後輩のもりのが抜擢された。
「フレイを生き、ヴァイオラを愛し抜きます」ともりのは稽古の初日に宣言した。きりえは後輩の頼もしい言葉に、うれしさと眩しさを感じた。
もりのは、スタイルのいいタカラジェンヌの中でも際立ってスタイルがよく、パリコレモデルのような頭身バランスをしていた。小さな顔は端正だが小作りで、つぶらな瞳とあいまって仔犬のように愛らしく感じられることがあった。犬好きのきりえには、それが好もしかった。一方で、目元の彫りが深く、眉と目の間隔が迫った、エキゾチックな顔立ちでもあった。思いつめたような顔をすると、ゾクッとするような色気が漂う。きれいな肌はミルクのように白く、あわい光沢をおびていた。
相手役として眺めると、見栄えがよく、きりえはつい見惚れるのだった。
この作品の主軸は、きりえ演じるヴァイオラと、もりの演じるフレイの愛だった。物語は、二人の出会いから始まる。
ヴァイオラには病弱の兄シャルルがいた。彼は小国の君主であり、他国から狙われないよう、病に臥せっていることは隠さなければならなかった。ヴァイオラが男装してシャルルとなり、シャルルはヴァイオラとして養生していた。このことを知っているのは、ヴァイオラとシャルル、三人の家臣だけだった。若く高貴な双子は、中性的な美しい容姿だったため、秘密を見破る者はいなかった。
例外は、傭兵フレイだった。君主シャルルと対面したときに、その匂いで女だと見抜き、美しく高潔な君主に恋をした。
フレイはその国に傭兵として雇われたばかりだった。高貴な風貌をしており、青を基調とした装備を身につけ、白馬に乗っていた。超人的な身体能力で数々の武勲を挙げてきた。彼が超人的な能力を備えていたのは、エルフの血が混じっていたからだが、そのことは誰にも知られてはならない秘密だった。
フレイの思いは抑えられない。寝室の君主を訪問し、秘密を暴き、思いを遂げようとする。その最初のラブシーンに、稽古の時間を費やしてきた。
今も、その場面と向き合っていた。
きりえはもりのの思いつめたようなまなざしに惹きつけられた。自分を深く愛し、情熱的に求めていた。危険な侵入者を排除しなければならないのに動けない。まっすぐな愛情が届き、理屈抜きに信頼できた。そっと手を差し出す。
もりのは手をそっと合わせて長い指をからめると、きりえを抱き寄せた。きりえは、もりのの身体の大きさと温かさを実感し、胸が高鳴った。身体が熱くなるのを感じる。
この先は、もりののリードでキスをし、ベッドへ。再びキスから首筋の愛撫へと移ったところで暗転という流れだった。キスするとき、実際には相手の唇や肌に触れない。そう見えるようにすることで、観客の想像力をかきたてる。それが宝石流のラブシーンだ。
キスしようとするもりのを、大きな美しい目で熱っぽく見つめると、もりのは息をのんだ。身体が突然硬くなり、動きがぎこちなくなる。
「あ、またや、もりのちゃん」きりえはもりのの目をじっと見る。「また、かたなった」
「すみません」もりのは目を伏せ、ため息をつく。
「なんでかたなるん?」
きりえは追及する。これを解決するために、自主稽古に誘ったのだ。もりのが逃げられないよう、背中にまわした手に力を入れる。
「きりえさんがきれいすぎるんです……。そんなきれいな目で、至近距離で見つめられたら……たまらない気持ちになるんです」
切なそうな表情で意外な言葉を言われて、きりえはうろたえる。
二人は互いの腕をといた。
「ちょっと座ろっか」きりえは照れ隠しに、ぶっきらぼうな手つきで、ベンチを指差した。
もりのはおとなしくついてきて、隣に座った。
「外れてたら、めっちゃ恥ずかしいねんけど、私のこと好きなん?」
「はい、大好きです」もりのは即答した。
「――ありがと」
きりえは照れる。そうやんな、と心のなかでつぶやく。初めて手と手を合わせて抱き合ったとき、恋としかいいようのない化学反応を感じたのだ。辛口の演出家がほめたほど、二人は相性がよく、幸先のいい滑り出しを見せた。それなのに、どういうわけか、もりのの不調が始まった。毎回、及第点の出来ではあったが、初めてのとき以上の化学反応が起きなかった。
その一方で、ヴァイオラ演じるシャルルの替え玉として、フレイが同盟国の姫君と初夜を迎える場面では、自然なラブシーンを演じた。姫君を演じるのは、きりえ本来の相手役である娘役トップスターのまりだった。ヴァイオラはそれを命じておきながら、激しい嫉妬におそわれる。きりえはそれを生々しく表現できた。
「でも、なにもそんなにかたくならんでもええやん。まりちゃんにはええ感じやのに」きりえは形のいい唇を無意識に尖らせた。「年上の男役より、若い娘役のほうがええんかなってちょっと思ってんねんよ」
「そんなこと思ってたんですか?」もりのは心底驚いた風で、「ありえないです。誰よりも、きりえさんがいいです」と断言した。
「そんなに真正面から言われると、照れるやん」きりえはもじもじした。
ひとまず、きりえのもやもやは晴れた。心の奥底では、言葉や目線や空気でもりのの好意を感じていた。もりのは会うたびに、「会うのを楽しみにしてきました」「今日もかわいいですね」などと、恋に輝く瞳で言い、それは本心だと感じられた。
「どうやったら、変な力抜けると思う?」きりえはもりのをそっと見つめる。
「それは……」もりのは目を伏せる。「なんといっていいか……」
「このラブシーンってめっちゃ大事やん。最初にグッといっとかんとあかんやん」きりえはこれまでも繰り返してきたことを言う。「思ってることはなんでも、バーンッと言ってや。ちゃんと受け止めるから」
もりのが言いあぐねていると、
「貫録ありすぎで、かわいないんやろ?」きりえは冗談めかして言った。
「かわいいですよ。かわいくてたまらないです」もりのは切なげな表情を浮かべる。「きりえさんに思い入れが強すぎて、うまくいかないんです」
「思い入れかぁ。どうしたらええんやろなぁ」きりえは思案する。
「たぶん……」もりのは何か言おうとして、やめる。
「思ったことあるなら、ちゃんと言ってや」
きりえはもりのの肩にやさしく手をかけた。
もりのは身体をかすかに震わせ、悩ましい顔をする。
「ためこんでないで、言ってや」
きりえはもりのの肩をやさしく撫でた。手のひらに、ぬくもりとともに骨格の手ごたえが伝わる。広く、しっかりとした厚みがある。もりのの身体に惹かれるところがあり、つい触ってしまう。
もりのは自分の肩に置かれた手を、大きな手で包み込む。きりえはハッとして、もりのを見る。熱っぽい目をしていた。胸がドキドキする。きりえの手は身長のわりに大きかったが、もりのの手はさらに大きかった。その手が、冷えやすい手をやさしく温めてくれる。真冬であっても、もりのの手は冷えとは無縁のようだった。
「きりえさん」もりのは思い切ってという風に口を開く。「きりえさんとのラブシーンは、嬉しすぎてつらいんです。したくなるから、抑えてしまうんです」
きりえの頬はピンク色にそまった。「ちゃんと言ってくれてありがとう」動揺しながらも、なんとかそう返した。
大胆なアイデアを思いつき、きりえはさらに赤くなる。いっそのことキスしてしまえばいいと思った。抑えるよりも、進んでしまったほうが、荒療治になるかもしれない。タカライシ人生で一度も試したことはないが、作品のためなら、もりののためなら、やってみてもいい。
それに――。きりえはもりのの唇をそっと見つめる。小さな白い顔のなかで、ふっくらとした血色のいい唇が誘いかける。キスしてみたいと思った。
「もりのちゃんがやってもええなら、私といっぺんしてみる?」
きりえは照れながら誘った。
もりのは何をするのか問い返しもせず、「いいんですか?」と顔を輝かせた。
きりえは恥ずかしそうにうなずき、「もりのちゃんからきてや」とささやいた。
もりのはこくりとのどを鳴らした。距離をそっとつめると、肌触りのいい長い指で、きりえの髪や頬をやさしく撫でる。形のいい頭や、卵型のきれいなフェイスライン、なめらかな肌をゆっくりと味わうように。
きりえは撫でられただけで、官能的な気分になったのが恥ずかしかった。「もう、はよきてよ」とせかした。
「きりえさん、大好きです」
もりのはささやくと、まぶたから頬にかけて小さくキスをした。長い指先で唇をなぞり、やさしく、それから深くキスをした。
静かな稽古場に湿った音を立てながら、何度も求める。もりのの唇はどこまでもやわらかく、舌はどこまでもなめらかだった。とろけるような感触と、ほとばしるような 情熱にからめとられ、きりえは夢中になる。自然と抱き合い、背中や首のうしろを撫でていた。華奢なきりえは、もりのの厚みのある身体にすっぽりと包みこまれる。鼓動が早く打ち、身体がうずく。
もりのは吐息をもらしながら、きりえの細いあごから、長い首筋にかけて唇をはわせる。もりのは明らかにその先に進もうとしていた。
きりえもしたかったが、自分を横たえようとするもりのの腕から逃れる。
「ちょ、ちょっと待って」
「きりえさん……」もりのは切なそうな顔をする。「ダメでした?」
「そんなんちゃうねん」きりえはもじもじする。「キスだけのつもりやったから」
「あ」もりのは赤くなり、片手で小さな顔をおおった。「どうしよう、すみません」
「なにが、あ、やねん」きりえは乱れた稽古着を整えながら笑う。「普通、こんなとこでせえへんやろ。だいたい役のためにそこまでする? もりのちゃん、何考えてんの」
「ただ、きりえさんとしたかったんです」
「さらっと恥ずかしいこと言うねんから」きりえはもりのの肩をかるく叩いた。
「白状すると、初めてのラブシーンであなたに触れて、見つめ合ったときに、恋したんです」
「ヴァイオラに恋したんとちゃうん」きりえはひざの上で両方の人差し指をちょいちょいと合わせる。
「ヴァイオラに心底惚れてます」もりのはまっすぐ見つめる。「きりえさんはヴァイオラそのものなんです。強い人ですけど、そばにいて、守りたい存在なんです」
「告白してるん?」
「はい」もりのはきっぱり言った。
「さっきまでうじうじしてたくせに」きりえは照れながらも突っ込む。
「うじうじ」もりのはちょっと笑うと、きりえを愛おしそうに見つめる。「きりえさんのことが大好きです。もう後戻りできません」
きりえはドキドキしてうつむく。
「私はわからへん。もりのちゃんのこと好きやけど、フレイやからかもしれへん」
「それで十分です」もりのはやさしく微笑んだ。「でも、付き合ってくれたら、すっごくうれしいです」
「ほんまに直球やなぁ」きりえは笑った。「女の人と付き合ったことあるん?」
「あります」
「私な、こういう女ばっかりの環境やからって、そうなることもあるよねって感覚に抵抗あるねん。特殊な環境にいるからこそ、普通の感覚を大切にしたくて。同性愛を否定してるんやなくて、環境のせいにしたないねん。ましてや、役のせいなんて。ほんまに好きって思えたらでいい?」
「考えてくれるんですか?」もりのは目を輝かせる。
「うん」きりえは照れ笑いを浮かべた。
「やった!」
きりえはやさしく微笑んだ。
「きりえさん、大好きです」
もりのはきりえを抱き寄せ、キスしようとする。
「もりのちゃん、今日はもうおしまいやって」きりえはドキドキしながら、身体を離す。「わあってくるから、びっくりするわ」と笑い、動揺をごまかした。
その夜をきっかけに、二人の仲は深まっていった。連日、昼食をともにし、夜の稽古場でキスをした。
昼食は、きりえがお弁当をつくる日は、もりのの分も用意した。社員食堂で、まりやダイヤ組ダンスリーダーのみその、もりのの同期のあやとひかるらと食べた。
もりのは、お弁当に食堂の一品とみそ汁をあわせた。野菜と良質なたんぱく汁をとれるお弁当に毎回感動しながら、おいしそうに食べた。
「黒豆ごはんなんてはじめてです。香ばしくておいしい。見た目もピンク色にそまってきれいですね」「ほうれん草の胡麻和え、大好物なんです」「かぼちゃの煮つけの味付けが絶妙ですね」「この豚の角煮、絶品です」
もりのは心からの賛辞をくれた。
きりえはもりのの食べる様子を見るのが好きだった。おいしそうな顔で、一つひとつ丁寧に味わう。おいしさに満面の笑顔を浮かべたり、賛辞をくれたりするとき、小さく粒のそろったきれいな真珠色の歯が輝くのだった。
そんなもりのを見つめるとき、愛おしそうな笑みや、かわいらしい笑みを自然と浮かべていた。
「きりえ先輩ともりのちゃん、いい雰囲気じゃん」みそのは冷やかし、「きりえ先輩、私にもお弁当つくって、つくって」と冗談っぽく甘えた。
「ダメ」きりえは笑いながら、「なんであんたにつくらなあかんねん」
「なんでもりのちゃんにはつくってあげるんだよ」
きりえは照れくさそうに髪をかきあげ、「私がヒロインで、もりのが相手役やからやん」
もりのは一年先輩のみそのとは気心が知れているため、みそのをみて、ニヤッと悪っぽい笑みを浮かべた。
「もりのちゃん、ずるい!」みそのは大げさに地団太を踏んだ。
きりえは日を追うごとに、もりのにときめきを感じた。稽古の合間に、しばしばもりのに見惚れた。もりのも同じようにきりえに見惚れているようで、二人はたびたび目が合い、親密な笑みを交わした。
もりのはすっと立っているだけで絵になる二枚目で、フレイそのものに見えた。
フレイはきりえにとって理想の男性だった。きりえには女性の理想の男性像である男役を追求するからこそのヒロイン願望があり、フレイはそれを満たしてくれた。フレイはヒロインの傍らに静かに控え、いざというときに命をかけて守ってくれる。深い愛と包容力にあふれ、風のような自由な空気をまとっていた。
競り合うことを避け、穏やかなやさしい微笑みを浮かべて「懐の深い男役」だけを頑なに目指すもりのは、小さすぎる顔とあいまって押し出しの弱さを感じさせることもあった。しかし、芯は強く、不思議な包容力と、飄々とした雰囲気、そこはかとなく漂う色気があった。そんな持ち味が、フレイにぴったりだった。
「今日も時間ある?」きりえはもりのを誘った。
「もちろんです。私から誘おうと思ってました」もりのは嬉しそうに微笑んだ。
きりえは自分から行動しているのが新鮮だった。きりえは容姿端麗なタカラジェンヌのなかでも目立って美しかった。ほどよく広い額、日本人離れした高い鼻、二重瞼の大きな美しい目、形のいい唇、きれいな卵型の輪郭と、細いあごをしていた。
美しい目は様々な表情をもっていた。甘く、涼しく、凛々しく、慈愛をたたえ、無邪気で、コケティッシュだった。少しでも力を込めると、強烈な目力を放った。
きりえは美貌と実力、チャーミングな魅力をそなえており、とにかくモテた。周囲から、キラースマイルと称される、誘うような笑みを自然と浮かべることがあり、男性や男役にその気もないのに惚れられた。自分から好きになったことはない。もりのと惹かれあう感覚は新鮮だった。
二人はいつしか、公認のカップルになっていた。
「こういうのも芸の肥やしよ」などと、きりえは照れ隠しにわざと組子に言うのだった。
二人きりになると、お互いの身体に触れながら、愛撫のように濃厚なキスをした。吐息がもれ、鼓動が早く打ち、身体が火照り、甘いうずきとともに濡れた。それなのに、先へ進もうとするもりのの手をとめてしまうのだった。自分からその手に触れ、形をなぞり、導いておきながら。
もりのは真っ白な肌をピンク色にそめ、切なそうに吐息をもらすのだった。
きりえは寝る前に、もりのの手や唇の感触を思い浮かべる。濡れたところを自分で触れる。やがて愛撫している手がもりのの手にかわり、その手が唇にかわる。きりえは男性にそれをされるのは好まなかった。もりのの手は男性の手と違ってすらりとエレガントで、皮膚がやわらかくなめらかだった。唇も舌も違う。唇はふわふわで、舌はなめらかだった。こんな手や唇で愛されたらやみつきになってしまう。きりえは恍惚の笑みを浮かべ、身体をふるわせた。
満たされると、もりのと寝るという想像にしり込みをする。自分がそれに夢中になって、乱れてしまうんじゃないかと思った。でも、自分をとめられないこともわかっていた。そうなるのは時間の問題だということも。
稽古は順調に進み、最終日を無事に終えた。あとには公演が行われる名古屋への移動と、舞台稽古が控えていた。
その夜、もりのは一段と情熱的に求めてきた。唇や耳たぶや首筋などに、きりえを味わうようにキスしながら、稽古着の上から手を這わせる。
長袖のシャツを脱がすと、二の腕にかけてほどよく筋肉のついたやわらかな肌があらわになる。もりのは腕を撫でてキスをする。それから唇をTシャツの上に移し、胸を唇と手で愛撫した。Tシャツのなかには胸押さえをつけているため、刺激は弱まっている。それでも、情熱的な振る舞いに、きりえは濡れてどうしようもなかった。
もりのはトレーニングパンツの上から愛撫する。濡れているのが伝わりそうで、恥ずかしかった。肌に直接触れようと、長い指をトレーニングパンツの中に入れようとする。身体は歓びにふるえて待ち構えているのに、きりえはとめてしまう。
「あかん、待って」きりえはもりのの耳元でささやく。
もりのはつらそうな吐息をもらす。「どうしても?」とかすれた声でささやいた。
「こんなとこでしたないの」
「場所変えましょうか」
もりのは甘く笑い、きりえのやわらかな髪をやさしく撫でる。
「どこ?」
「きりえさんの家に行ってもいいですか?」
「あかん。散らかってるもん」
「わりと散らかってますが、私の家はどうです?」
「きれいなときに呼んで」きりえはもりのの広い額をやさしくはじいた。
「ホテルは?」
「この辺のホテルじゃ目立つやん」
「車は?」
「あほ、あかんに決まってるやろ」きりえは叱りながらも、「めっちゃ食い下がるなぁ。どんだけ、いろいろ思いつくねん」と笑ってしまった。
「すみません」もりのは自分の髪を照れくさそうにかきあげ、笑った。
「真面目な話、今日はもう帰るで。全然、名古屋に行く準備できてへんねんから」
「実は私も」
着替えると、それぞれ、ファンの出待ちに応えるため、大股で歩く。
楽屋口の手前で、「名古屋でしよ」ときりえは恥ずかしそうに言った。
感動して立ち尽くすもりのを置いて、きりえは扉を開けた。冷たい外気が火照った身体に心地よかった。微笑むと、颯爽と歩き出した。
二 名古屋、デート、ホテル
宛先:もりのちゃん
件名:誕生日のお祝い
遅くにごめん。急やけど、明日の夜空いてますか?
遅くなったけど、二人で誕生日のお祝いをしたくて。
昼公演だけやから、夕方からでも。
そのあと、よかったら私の部屋にきて。泊まってくれてええからね。
きりえはドキドキしながらメールを送信した。「私の部屋」のくだりは、遊びにきませんか、一杯やりましょう、過ごしましょう、と何度も書き直した。どう書いても恥ずかしかったので、一番短い言葉を選んだ。
ほっと一息つく間もなく、メールの受信音が響いた。もりのだった。
こんばんは。ありがとうございます。すっごく嬉しいです!
ぜひ、泊めてください。
もりのらしい、簡潔なメールだった。きりえと同じく、絵文字をめったに使わない。愛想のいいメールではなかった。それでも、喜んでいる姿がありありと浮かび、微笑みがもれた。
きりえは待ち合わせの時間と場所を伝えるメールを返すと、ベッドサイドに携帯電話を置いて、ふとんを頭からかぶった。恥ずかしさがぶり返してきた。ついに、誘ってしまった――。
名古屋でのトップスター就任お披露目公演は、初日から四日しか経ってなかったが、評判を博していた。自己評価にシビアなきりえ自身、手応えを感じていた。
舞台でのもりのとの化学反応は素晴らしく、その余韻は舞台をおりても続いた。オンとオフの切り替えが明確なきりえにとって、ほとんど初めての経験だった。記憶では、誰ともほとんど言葉を交わさない荒んだ役をやったときに、引きずったことがある。陰惨な気分が続いて、きつかった。
ホテルに帰ってからも、もりののことを思った。普段、愛犬のハルオキのことしか思わないきりえにとって、珍しいことだった。
公演が始まってから、昼と夜の二公演が続き、二人で会う時間がなかった。舞台で毎日抱き合っているのに、実際にはキスを交わせないのがもどかしかった。舞台化粧をして、青の甲冑を着こなすもりのは、かっこよさに磨きがかかり、惹きつけられた。
もりのの唇や手を見ると、やさしく濃厚なキスと愛撫がまざまざとよみがえり、身体が熱くなった。もりのも、きりえを強く求めていた。言葉にしなくても、全身から伝わってきた。
きりえは深呼吸をして高揚をしずめる。ベッドサイドに飾ってあるハルオキの写真――フレンチブルドッグの雄で、往年の映画俳優のような貫録がある――に、おやすみのあいさつをする。名古屋公演中は実家に預けていた。ハルオキが恋しくなって、携帯電話に手を伸ばす。ハルオキが派手ないびきを立てて眠る動画を見ると、心が和んだ。もう一度おやすみのあいさつをして、眠りについた。
約束の時間に、きりえは二十分遅れた。プレゼント選びに時間がかかったのだ。
オーナーシェフ一人できりもりするフレンチの店は、こぢんまりとしていた。ディナーには早い時間だったため、客はもりのだけだった。入口に背を向け、カウンター席でワインを静かに飲んでいた。
「ごめんな、おそなって」きりえはもりのの肩にそっと手をかけた。
もりのはきりえを見上げると、顔を輝かせて、さっと立ち上がった。ロイヤルブルーのスタンドカラーのシルクシャツに、爽やかな白パンツを着たもりのは、高貴なムードもあいまって、惚れぼれするほどかっこよかった。
「楽しんでました」もりのはやさしく微笑むと、照れくさそうに、「これもデートの醍醐味です」
きりえはカウンター席に座り、もりのに甘い流し目を送った。
おまかせコースを頼んだ。新鮮な野菜と魚介、素材の良さを生かした料理はおいしく、会話も弾んだ。お酒もすすみ、ボトル一本のワインを空けた。好きな音楽や小説、映画、舞台について語り合い、趣味と感性が合うことを発見した。ハルオキの他愛ないエピソードを聞くもりのは心底楽しそうで、きりえは話す喜びを感じた。
デザートが運ばれる前に、きりえはプレゼントを贈った。
「お祝いしてもらえるだけで胸がいっぱいなのに」もりのは感動した。「嬉しいです、ありがとうございます!」
きりえは照れくさそうに笑い、「開けてみて」
もりのは丁寧にリボンと包み紙をとると、歓声をあげた。上質な白のコットンネルシャツだった。
「めっちゃ悩んでんけど、肌触りが気に入ってん」
「極上の肌触りですね」もりのはうっとりする。「それに襟がさりげなくおしゃれ」
「わかる? なんかイタリアのブランドみたい。ちょっとおしゃれよね」
「めっちゃ嬉しいです」もりのは心の底から嬉しそうな顔をした。
「ネルシャツやからラフに着れるし、サイズも大丈夫やと思う。でも、一応あとで着て見せてな」きりえはにこにこ笑った。
もりのはうなずくと、シャツを大事そうにしまった。「私からも」ときりえにプレゼントを渡した。「日頃の感謝を込めて」
「わあ、サプライズやん!」きりえは喜ぶ。豪快に包み紙をとると、クリーム色の上質なシルクニットだった。「こんな高級そうなん、ええの?」
もりのは微笑む。「きりえさんはクリーム色が似合うと思って」
「ほんまにありがとう」
店をあとにすると、タクシーでホテルに向かった。ワンメーターで着いた。並んでエレベーターに乗り込む。きりえはチラッともりのを見る。グレーのロングコートをさらりと着こなすもりのは、紳士然として素敵だった。
互いに意識しているようだった。きりえはドキドキしていたし、もりのも表情にこそ出さないが、おほんと突然咳払いしたりしている。ドアを開けるのに緊張し、カードキーをうまく使えない。「あれれ、あかんわ」きりえがつぶやくと、もりのはきりえのバッグとショッピングバッグをさっと持つ。今度はうまくいく。
ドアが開いた。後ろからいきなり抱きしめてきたらどうしようと期待半分、不安半分だったが、もりのは紳士然とした態度を崩さなかった。「ここでいいですか?」と荷物台にきりえのバッグを置いた。
「ありがと」
「素敵な部屋ですね。あ、ダブルなんだ。いいな」もりのはのどかな会話をするが、声がかすれていて、高まっていることがわかった。
きりえはクローゼットにベージュのカシミアコートをかける。
「もりのちゃんもコートちょうだい」
もりのはコートを脱ぐと、きりえの方に静かに近づき、「ありがとうございます」と渡した。きりえはコートから伝わるぬくもりを感じながら、しっかりした木製のハンガーにかけた。
振り向くと、すぐそばにもりのがいて、きりえを見つめていた。
きりえはドキドキしながらも何でもない風を装って、「明日着る服も出しといて。しわになったらあかんから」
もりのは黒の革バッグから着替えを取り出した。
「もりのちゃんの服、大きいね」
きりえは嬉しそうに笑うと、ざっくりとしたニットを自分の身体に当てて見せた。
もりのはやさしい笑顔を返した。
「もりのちゃん、飲み足りなくない?」
「今夜は十分いただきました。でも、きりえさんが飲み足りないなら、いくらでもお付き合いします」
「もりのちゃんがええなら、私もええわ」
きりえはそう言うと、素面そのもののもりのを見つめ、「私も強いほうやけど、もりのちゃんめっちゃ強いよね」
「お酒には強いみたいですね」もりのはきりえをそっと見つめ、「でも、きりえさんには弱いです。すぐに酔っちゃって、もうふらふらです」
「ふらふらって」きりえは照れ笑いし、「そんなんで、ちゃんとできるん?」
「え?」
二人は顔を見合わせて、赤くなった。
きりえはなんてことを言ったんだろうと、恥ずかしくなる。
もりのは長い指で自分の唇をいじり、「できますよ」とつぶやいた。
きりえは耳に少しかかった髪を何度も耳にかけながら、「そんな格好じゃ寛げへんから、先にお風呂入り」
「じゃ、シャワー浴びてきます」
「うん。私も勝手に寛いでるわ」
もりのがシャワーを浴びる音がする。きりえはバスローブに着替えた。着ていた服をハンガーにかける。もりののシルクシャツが目に入り、手に取って顔をうずめた。甘く爽やかないい匂いがした。
きりえがソファに座って寛ぐ間もなく、白のバスローブを着たもりのが出てきた。濡れた髪をタオルで拭きながら、「気持ちよかったです」と笑顔で言う。劇団のお風呂で、もりののバスローブ姿は何度も見てきたのに、二人きりだと耐えきれない色気が漂っていた。
もりのもきりえのバスローブ姿をちらっと見て、そわそわと首筋を触った。
きりえがシャワーから出ると、もりのはバスルームで歯磨きをした。フロスをかけ、形の違う二種類の歯ブラシを使い分けている。
きりえはドライヤーで髪を乾かしながら、その様子を感心して眺めた。
「丁寧やね。だから、そんなに歯が真珠みたいにきれいなんやな」きりえは大声で言った。
「きりえさんもきれいですよね」もりのも大声で言った。
「歯磨き粉のおかげちゃうかな。エナメル質を強化してくれるやつ使ってるねん」
「何を強化するんですか?」もりのは聞き返した。
「エナメル質」きりえは大声で返した。
きりえは髪を乾かすのも、大声を出すのも面倒になってドライヤーをとめた。
歯磨きを終えたもりのは、「ちゃんと乾かしました?」と尋ねる。
「ザッとね」
もりのはきりえの髪に触れる。「まだ湿ってるじゃないですか」とあきれたように笑う。「私が乾かしてあげます」
「そんなん悪いわ」きりえはもじもじする。
「いいから、ドライヤーください」
もりのはドライヤーを手にすると、音がうるさくない程度のパワーを選んだ。髪をすくい、丁寧に乾かす。身長差があるため、ドライヤーをかけやすいようだった。
きりえは鏡越しにときどきもりのを見ては、甘い気分にひたる。大きな手で頭を何度も包み込まれるのが心地よかった。
「きりえさんの髪は細くてやわらかくて、気持ちいいですね」
もりのは、動物や人間の子供が好みそうなやさしい声質と話し方をしている。独特の包容力もあいまって、甘えさせてくれる雰囲気がある。
何でもテキパキこなし、人の世話を焼くことの多いきりえは、誰かに甘えたり頼ったりするのが得意ではない。それでも、年下のもりのに自然と甘えられるのだった。
もりのはドライヤーを楽しげに振っている。きりえのことがかわいくてたまらないといった風で、「かわいい」とつぶやいた。ドライヤーをとめると、「よし」と微笑み、髪にさりげなくキスをした。
きりえが歯磨きを終えてバスルームを出ると、部屋に薄明りが灯されていた。
もりのは窓辺に立ち、均整のとれたうしろ姿を見せて、高層階から見える夜景を楽しんでいた。
ミネラルウォーターで喉をうるおすと、その隣に静かに立つ。
「夜景が好きなんよね、もりのちゃんは。よく一人でドライブするって言ってたな」
「覚えてくれてたんですね」
「うん」
「名古屋の夜景もきれいですね」
「そやな」
二人の間にささやかな沈黙がおりる。
「でも、どんな夜景よりも、きりえさんのほうがきれいです」
もりのはきりえを見つめて、かすれた声でささやいた。
「もう、ベタやなぁ」きりえは甘く笑うと、もりのの肩にそっともたれかかる。「おもろいこと言って」
もりのはそっと腰に手をまわす。きりえはドキドキしながら見上げる。
「おもろいこと言う余裕なんてないです」
もりのはささやくと、そっとキスをした。
きりえはもりののキスを受けながら、「大事なこと忘れてた」とささやいた。
「なんですか?」
「シャツ着てみて」
「今ですか?」もりのはびっくりした顔をした。
「うん、素肌に着てみてほしいねん」
もりのは身体を離すと、クローゼットの方へとぼとぼ歩く。
「下も履いた方がいいですか?」
「ううん、シャツだけ着てみて」
もりのは背中を見せて、バスローブをするりと脱ぎ捨てた。きりえは息を呑んだ。女すぎず、男すぎない、性を超越した美しい裸体だった。
小さな頭に広い肩、なめらかな逆三角を描く背中、シンプルな下着に包まれた小さな形のいいおしり、驚くほどすらりと長い手脚をしていた。全体的にしなやかな筋肉がついている。薄明りでも肌の白さがわかる。
さらりとシャツをまとうと、きりえのそばにやってきて、「最高に気持ちいいです。サイズもいい感じ」と顔を輝かせた。
「めっちゃ似合ってる」きりえは抱きつくようなかっこうでシャツに触れ、うっとりと目を閉じる。「めっちゃ気持ちいい」
やわらかなシャツに包まれた温かな身体から、石鹸のいい匂いがした。そうしたくて、きりえは首筋に顔をうずめ、長い腕や背中を撫でた。
もりのは吐息をもらし、「きりえさん……」とかすれた声を出した。
もりのを見上げるきりえの美しい目は妖艶だった。
「もう無理……」もりのは切なげな顔で、「もう我慢できません」
きりえは率直な言葉に思わず笑ってしまう。
「笑わないで」
もりのはきりえの背中に腕をまわすと、しっかりと抱きしめた。熱をもった身体を真正面から受け止めると、きりえのたがが完全にはずれた。唇を首筋にあてて、吐息をもらす。
もりのは目を伏せ、きりえの細いあごをつまんで上に向かせると、そっとキスをした。気持ちを確かめるように見つめ合い、小さな音を立ててやさしく何度も唇を重ねる。
きりえは自分から身体を密着させ、うなじに手をまわして引き寄せると、もりのを深く求めた。
それが合図だった。互いの身体に触れながら濃厚なキスを交わし、ベッドにもつれこむ。
もりのはきりえの上になると、やさしく微笑んだ。
「やらしい顔してる」きりえはシャツの胸元をいじる。
「夢にまでみた瞬間ですから」もりのはやさしく髪を撫でる。「待ちに待ってました」
「ほんまにもう」きりえは照れ笑いする。
「すっぴんでもほんとにきれいですね」もりのはうっとりした顔をする。
「もりのちゃんはかわいいね。仔犬みたい」きりえはもりのの小さな顔を撫でた。
「仔犬」もりのは苦笑する。「色気ないですね」
「ううん、色っぽいで」きりえは甘く笑った。
「きりえさん、大好きです」
もりのは唇から頬、首筋にかけてキスをすると、バスローブのひもをゆるめた。胸のふくらみと引き締まったおなかがのぞく。
耳たぶと首筋に口付けをしながら、バスローブのなかに手を滑り込ませる。もりのの熱い吐息と、繊細な愛撫に、きりえは感じて小さな声をもらす。恥ずかしくて、手で口をおおった。もりのは指の一つひとつにキスをする。きりえは指まで感じてしまう。もりのは唇で手をどけると、そのまま唇にキスをし、バスローブを脱がせた。
もりのはきりえの裸体をみて、うっとりとため息をついた。
「たまんない……ほんとにきれい……」
「もりのちゃんも脱いで」
きりえはそうささやくと、シャツのボタンを外していった。
もりのの裸体は、間近でみても、性を超越した美しさだった。豊満な胸でさえ、あまりに美しく、清潔感があるため、生々しい女っぽさがない。あわいピンク色の小さな乳首がかわいくて、きりえはぱくっとキスをした。もりのがピクッと反応するのもかわいかった。
「もりのちゃんのここ、かわいいね」きりえはやさしく指先で触れると、微笑みかけた。
「無邪気に触れないで。感じちゃうから」もりのは白い頬をピンク色にそめた。
裸で抱き合うと、言いようのない心地よさと幸福感に包まれる。もりのの大きさは華奢なきりえを包むのにちょうどよく、特別に誂えたようにフィットした。ミルク色の肌はすべすべとやわらかで、肌なじみがよく、とけあうようだった。
もりのは感じやすいところを避け、時間をかけて愛撫する。唇や舌や手だけでなく、身体のすべてで愛おしむ。愛おしむという表現がぴったりだった。抱かれていると、愛情がしみわたり、自分がとても尊く、とても大切なものに思える。
感じやすいところを直接触れられていないのに、これ以上の愛撫には耐えられないほど、高まっていた。
「きりえさんのここ、かわいいですね」
もりのがそうささやいて、乳首にやっとキスしたとき、きりえは途方もない快感におそわれた。やわらかな唇となめらかな舌でやさしく吸ったり舐めたりを繰り返し、ときどき刺激を強めたりする。
きりえは眉根を寄せ、静かにあえぎ声をあげる。とろけるような快感に、腰を動かして身悶える。もういい加減、触れてほしかった。シーツまで濡れてしまっている。
濡れたところにようやく手が触れる。長い指でやさしくなぞられただけで、強い快感がはしる。もりのにふるいつくと、強く抱き返してきた。もりのは手のすべてで愛おしむ。長く味わいたいのに、もちそうもない。
二人の身体は区別がつかないほど熱くなり、心拍数があがる。
もりのの重みと乱れた吐息、肌にうっすらとかく汗が愛おしく、心地いい。きりえが甘美な波にのまれると、もりのもその渦にのまれ、きりえの上でぐったりした。
きりえは紅潮した顔に、艶っぽい微笑みを浮かべた。
「もりのちゃん、めっちゃよかった」
「きりえさん、最高です。タカライシに入って、がんばってきてよかった……」
「大げさやなぁ」きりえは笑った。
「男役冥利につきる役に出会えて、その上にきりえさんを抱けるなんて。幸せすぎて天に召されそう」
「もりのちゃんも、しよっか」きりえはもりのをそっと見つめる。
「え、そんな……もう眠いでしょ? 私も一緒にイキましたから、大丈夫ですよ」
きりえはもりのの上になると、じっと見つめる。
「あかんよ、遠慮したら」
「そんな色っぽい目で見ないでください。目だけでどうにかなってしまいそう……」
きりえはふっと微笑むと、唇にキスをした。
「もりのちゃんみたいに、うまく抱いてあげられるかわからへんけど、させて」
もりのはかわいい顔でこくりとうなずいた。「すぐイッちゃうと思います」
きりえは甘く笑うと、もりのの乳首にキスをする。素直にかたくなるのがかわいかった。やさしく吸ったり舐めたり噛んだりすると、もりのは小さなあえぎ声をもらして、静かに乱れる。
かわいがりたい欲求と、興奮と、愛しさがあふれる。形のいい唇で全身を愛撫する。両手を開いて、いい匂いのするわきの下を味わうように舐めた。もりののしっとりとした汗は、美容成分のように、きれいに感じられた。
内腿にふれると、もりのは切なげに吐息をもらした。たっぷりと濡れていた。愛しくて、唇と首筋にキスをしながら、思いを込めて愛撫を重ねる。もりのに呼応するようにしていると、自分もまた深く感じる。昇りつめるもりのを受け止めると、きりえの腰はもったりと重くなった。
「最高でした……生きててよかった」もりのは至福そのものの表情を浮かべる。
「ほんまに大げさな人やなぁ」
「歌って踊れるスーパースターは、ベッドの中でもエンターテイナーですね」
「そんなん初めて言われたわ」きりえは爆笑した。
「きりえさん、女の人の経験ありますよね?」
「もりのちゃんが初めてよ」
きりえは恥ずかしそうに笑うと、もりのの指に自分の指をからめる。
「きりえさんは、なんでもセンスがいいんですね」
きりえは嬉しそうに笑うと、もりのの指にキスをした。「もりのちゃんの指が好き」
もりのはきりえを抱き寄せる。
「そんな風に触れられたら、またしたくなっちゃいますよ」
「もりのちゃんって絶倫なん?」きりえは甘く笑った。
「きりえさんにだけ、もしかしたら」
その夜、二人は何度も愛し合った。
「エンドレスやん、どうしてくれるん?」
きりえは冗談めかして、本音を言った。もりのに抱かれたら抱きたくなり、抱いたら抱かれたくなるのだ。きりがない。
「ちょっと待ってくださいね」
もりのはベッドを抜け出す。少しして、冷たい水とホテルの清潔なパジャマを持ってきた。
パジャマを着てから冷たい水を飲むと、官能の余韻がしずまる。
もりのはきりえをやさしく抱きしめる。森林浴をしているような、清々しく穏やかな心持になる。
二人は急激に眠気におそわれ、ほとんど同時に眠りにおちた。
三 名古屋、ホテル、あさ
初めて肌を重ねた次の日も、その次の日も、二人は愛し合った。
セックスの相性は素晴らしく、きりえは愛欲に溺れる感覚を初めて味わった。
ふとした隙間の時間に、もりのを思う。自分のために神様がつくってくれたようにしっくりくる身体のサイズ、すべすべの肌、ふっくらとした唇、なめらかな舌、つるつるの歯、さらさらの唾液、やわらかな長い指。白磁のように美しい肌は熱く、ピンク色に色づき、きれいな汗がうっすらと浮かぶ。かけねなしの愛情を注ぐ、甘くやさしく情熱的なまなざし。やさしい会話、重なり合う吐息――。きりえは抱かれることにも、抱くことにも夢中になった。
芯までとろけきってしまうセックスの後には、愛にあふれた抱擁が待っていて、幸福感と安心感に包まれた。眠りの時間を削り、長い時間をかけてセックスをしても、不思議と疲れなかった。それどころか、エネルギーが満ちた。ストレスが大敵の持病をもつきりえに、セラピーのような効果をもたらした。
もりのなしでいられなくなる自分を予感し、困ったことになったと思った。
名古屋公演から初めて迎える休演日の前日、もりのが部屋にやってきた。ドアを閉めるなり、外の冷気をまとったもりのに抱きつき、熱い抱擁とキスを交わした。
きりえはシャワーからあがったもりのをベッドにそっと押し倒す。首筋に残っていた滴を舐めとり、ふっくらとした唇にキスをした。
「今日は反省会やで」
「反省会?」
「みんなの前で告白したやろ」きりえはもりのの額をはじいた。
「しちゃいましたね」もりのは照れくさそうな顔をした。
もりのはこの日収録されたタカライシ歌劇団専門のCS番組で、どさくさにまぎれて、きりえへの思いを告白したのだった。公演終演後にレポーターに公演の感想を聞かれ、「日に日にリアルに感じるんです。自分を投影できる役に出会えて、すごく幸せで――」隣に立つきりえを見つめ、「すごく愛してます」
「公共の電波で言っちゃたね」
きりえはそう茶化したが、不意打ちに動揺を隠せなかった。
「困らせてしまいましたか?」
「困るよ。あんなことしたら、もう二度ともりのちゃんと二人きりで会わへんから」
「すみません。気をつけます」もりのはしおらしい顔をする。
きりえは笑って、額にキスした。それから目をちょっと伏せて、「真面目な話な、この関係は期間限定やから。この公演が終わるまでって思ってる」
「そうなんですか?」もりのはショックを受けた顔をする。「てっきり私のことを……ちゃんと好きになってくれてると思ってました」
「ちゃんと好きやで」きりえはやさしい表情を浮かべる。もりのの豊かな髪をやさしく撫でる。「どんどん好きになってるねんよ。このままやと、もりのなしでおられへんようになりそうで……いややねん」
「きりえさん」もりのは胸を打たれたような顔をする。「私はもうあなたなしでいられません」抱きしめると、きりえの上になった。「愛してます」
熱っぽい目で見つめられると、情熱が駆けめぐり、きりえは一瞬息ができなかった。
「私も好き」きりえは美しい目で見つめた。
着ているものを脱ぐと、もりのはきりえの頬を長い指でやさしく触れる。
「なめらかな肌ですね。このキュッとしたフェイスラインが好きなんです。顔がキュッと小っちゃいの」
「めっちゃ顔が小っちゃいもりのちゃんに言われると、嫌味やわ」きりえは苦笑した。
「思ったことを言ってるだけですよ」もりのは戸惑った表情を浮かべる。
「うん、わかってるって」きりえは奥行のある頭をやさしく撫でた。
「きりえさん、愛してます」
「私も」
二人は心のこもった口づけを交わすと、微笑み合った。
もりのはやさしく愛撫する。口のなかに乳首をそっと含んで味わい、わきのくぼみを舐めた。背中にまわると、手のひらで乳房をやさしく包み込むように愛撫しながら、背骨にそって唇をはわせた。
もりのの唇は、ひきしまったおなかから内腿へと移る。熱い肌が離れると、半身が少し冷える。きりえは乳房を隠すように、自分を抱きしめた。
もりのは太腿から内腿にかけて唇と手で丁寧に愛撫する。膝をさりげなく押し開くと、脚のつけねを指先でやさしく撫でながら、下着の上からキスをした。薄衣をとおして感じる熱い吐息と唇の感触に、きりえはうっとりとする。
下着をとると、きりえはギュッと脚を閉じる。もりのはすべすべの脚に手をかけると、そっと力を込める。
「もりのちゃん、恥ずかしい」
「キスしたいです」もりのは甘いまなざしを向ける。
「そんなん恥ずかしい」きりえは頬を赤らめる。「めっちゃ濡れてるもん。もりのちゃんを汚しちゃうやん」
「いいですね……」もりのは目を伏せ、やらしい笑みを浮かべる。「きりえさんにまみれたいです」
「なんてこと言うんっ」
真っ赤な顔で恥ずかしがるきりえの唇に、そっとキスをする。
「ほんの少しだけ……あなたのことをもっと知りたいんです」
きりえは甘くにらみながら、「ほんまに少しだけやで」
「いいんですね」もりのは嬉しそうな顔をする。
きりえは口元を手でおおい、うなずく。
もりのは脚をそっと押し開く。きりえは思わず脚に力を込めるが、内腿から脚のつけねにかけてキスしてきたので、ふっと力を抜く。もりのは自然な流れで、濡れたところにやさしく唇をあて、うるみをすくいとるように舐めた。
きりえの身体はまた一つ、もりのの味を覚えた。うっとりとした微笑みを浮かべながら、想像をはるかに超える快感に身を委ねる。初めてキスしたときから、もりのの唇と舌が好きだった。健康的なきれいな色合いをしていて、感触はなめらかでやわらかく、繊細でありながら大胆な振る舞いをする。その唇と舌が、舐めたり吸ったりなぞったり、いろいろなことをして、すみずみまで味わってくる。もりのの口と自分の身体が立てるやらしい音に鼓膜が刺激される。とめどなく奥からあふれる。ほしがって動く腰の動きも、あえぎ声もとめられない。
「きりえさんにキスできて幸せです」もりのが甘い声でささやく。
「うん……」
「かわいくて、おいしいです」
「なんてこと言うん」きりえは乱れながらも突っ込む。「おしゃべり」
「すっごく幸せ……」
もりのをそっと見つめる。目を閉じて一心に愛撫する姿は、愛にあふれていて、ロマンチックだった。生々しい淫らな行為のはずなのに、尊く美しく感じられた。もりのは自分の全てを愛してくれていて、好きでこれをしてくれている。
「もりのちゃん、もっとして……」きりえは自然と素直になっていた。
もりのの身体が熱を帯びる。きりえは豊かな髪におおわれた奥行のある頭を撫でる。愛しくてたまらなかった。
きりえが身体をふるわせてイクと、もりのは背中にしっかりと腕をまわして抱きしめてきた。きりえは息を乱し、呆然としたまま抱きしめ返す。
呼吸が落ち着くと、恥ずかしさがこみあげてきた。もりのから身体を離すと、くるりと背を向けた。もりのは華奢な背中をそっと抱きしめる。
「どうしました?」
「すごい姿見せてしまったやろ?」
「とっても素敵でしたよ」もりのは甘く微笑んだ。
「もりのちゃん、うまいね」
「うまいとかじゃないです」
きりえはもりのの方へ身体を向けると、甘くにらむ。
「今までいっぱい泣かせてきたんやろ」
「ひどい。心外です」もりのは傷ついた顔をする。
「ごめんごめん」きりえは頭をよしよしと撫でる。
微笑みを浮かべ、見つめ合う。
「めっちゃ気持ちよかった」
「ほんとですか?」
「わかってるくせに」きりえは頭を小突く。
もりのは小突かれたところを照れくさそうな顔で触った。
「今度は私の番」
きりえはそうささやくと、もりのの上になった。唇に深く口づけをしながら、下着に触れると、濡れてあふれていた。
「めっちゃ濡れてる」きりえは淫らな笑みを浮かべる。
「きりえさんとあんなことしたんだから……」
もりのの乳首にやさしくキスをすると、感じたときの声を小さくもらす。脚の長さに感心しながら、唇をすべらせる。きれいな足指をしゃぶり、すべすべの肌の感触を手で楽しみながら内腿にキスをする。
下着をとると、うるみを舐めとるように唇と舌を使った。もりのは静かにあえぎ声をもらす。「きりえさん、気持ちいいです……たまんない……」とかすれた声でささやいた。きりえは長いまつ毛を伏せ、高い鼻を埋めるようにして、情熱的に愛撫する。どうすればもりのが歓ぶか、自然と感じ取れた。自分の髪をやさしく撫でる長い指にときどき力が入る。
愛する人の高ぶりを感じて、きりえもたまらなかった。表情が見たくて、そっと見る。半開きの口から浅い息をもらし、目を閉じて官能にふける姿はエレガントで、色気にあふれていた。ねっとりとした愛撫を重ねると、もりのはシーツをつかんでイッた。
きりえの身体をそっと引き上げると、紅潮した頬に至福の笑みを浮かべる。「きりえさんの口はエッチ向きですね」とささやき、唇と舌を味わうように深くキスをした。
「エッチ向きってどういうこと?」きりえは困り顔で笑った。
「こんなに気持ちよかったの初めてです」
「そうなん?」きりえはちょっと晴れがましい気分になった。
「きりエッチさん、どこでこんなやらしいこと覚えたんですか? うますぎます」
「きりエッチさんって」きりえは苦笑する。「スケベなあんたに言われたないわ」
「きりエッチさんは魔性ですね」もりのは長い指できりえの唇をなぞる。「どうしてくれるんですか、やみつきになっちゃいましたよ」
きりえは甘く微笑みながら、長い指を口のなかに含む。もりのはそっと眉根を寄せ、吐息をもらす。感じてる表情に、きりえもうずく。
もりのはきりえの手をとり、目を伏せてキスをする。それから筋肉質な二の腕にかけて唇をすべらせた。
「明日はお休みだから、いいですよね?」
「休みじゃなくてもするくせに」
「そうでしたね」もりのは微笑む。
「もりのちゃんのス、ケ、ベ」きりえは耳元で冗談めかしてささやいた。
もりのはくすぐったそうに笑う。
「あなたのせいですよ。あなたなら、いくらでも貪れます」
「どうしよ」きりえはもりのの顔を両手で包み込むと、やさしくキスをした。
繁華街から少し外れたところにある、松阪牛の鉄板焼店は賑わっていた。豪華な内装の店内は広々としていて、客席がゆったりと配置されていた。ワインセラーがあり、ワインの品ぞろえが充実していた。
魚介が苦手で、お肉が好物なあさのためにこの店を選んだ。
あさは前ダイヤ組男役トップスターだった。退団から二ヵ月も経っていないため、伸ばし始めた髪はまだ短く、あごにかけて際立って細い三角形の顔もシャープなままだ。舞台化粧の映えるあっさりとした目鼻立ちをしている。ストイックな雰囲気はやや柔らかくなってはいたが、男役の雰囲気をかもしていた。
すでに芸能活動をスタートしていたあさは、退団後初ライブの準備で多忙だったが、きりえのお披露目公演のために東京から名古屋へ駆けつけてくれた。あさと親しいみそのは後援者との食事会があったため参加できず、きりえともりのがあさをもてなすこととなった。
前菜、スープ、ステーキ、ガーリックライスのコースを注文した。スパークリングワインで乾杯したあとは、しっかりとした赤ワインをボトルで頼んだ。
あさは感心しきった表情で、舞台の出来栄えを称えた。
それから急に、にやにやしながら二人を見た。
「急ににやにやしはって、どうしましたん?」
「いつになったら報告してくれるの」
「報告?」きりえは首をかしげた。
もりのは自分の唇をちょいちょいと触る。
「いつからデキてるの」あさは単刀直入に切り出した。「みそのから聞いてたんだけど、今日二人を見て確信したよ。デキてるよね」
きりえは赤くなる。もりのは襟足を触る。
「CS番組でもりのちゃんが告白したときにはもうデキてたの? いい雰囲気だったけどさ」
「見てはったんですか?」
「テレビっ子なのよ」あさは胸を張る。「で、でだよ。いつからデキてるのよ」
「いつやったっけ?」きりえはもりのを照れくさそうに見る。
「この公演のお稽古のときです」
「うん、そやったね」きりえは稽古場でのキスを思い出して赤くなる。
「ビッグカップルじゃん。お似合いだよ」あさは満面の笑みで冷やかす。「で、どっちから行ったのさ。うん? 言ってみな」
もりのがおずおずと手を挙げた。
「やっぱりもりのか。きりえはノンケだから、自分から行かないだろうなって思ってたよ。きりえ、ノンケだよね?」
「女の人とこうなったんは、もりのちゃんが初めてですね」きりえは正直に応えた。
「もりのがきりえの初めての相手なんだ」あさはにやにやする。「すごいよ、もりの。先輩にモテモテで、難攻不落のきりえさんをモノにするなんて」
「モノになんかしてませんけど」もりのは髪をいじりながら、「光栄で、夢みたいです」
あさはひゅうひゅうっと冷やかす。
「あささん、私そんなモテモテちゃいますよ」きりえは手を大きく振る。
「自覚ないんだよ、この子は」あさはあきれ顔をした。それからもりのを見て、「もりのもノンケみたいな顔しといて、隅に置けないね。もりのを狙ってる人もけっこういたんだよ。娘役が多いけど、男役にもいたな」
「そうなんですか?」もりのは驚いた顔をする。
「この子も自覚ないんだ」あさはやれやれと首を振る。思い出したようにワインを飲むと、にっこり笑う。「いいんじゃない。二人、お似合いだよ」
「ありがとうございます」
きりえともりのは同時に言い、目を合わせて笑った。
鉄板焼の店を出ると、あさはきりえを次の店に誘った。
「もりのちゃん、悪いけど、きりえさんを借りるね」
もりのは一瞬寂しそうな顔をしたが、「あささんに会えて嬉しかったです。今日はありがとうございました」と礼儀正しく言った。少し屈むと、きりえの耳元で「先に帰ってます」とささやいた。
近くのバーに入ると、奥のカウンター席に案内された。モヒートで乾杯した。
「ごめんね、一緒に帰りたかったでしょ?」
「そんなことないですって」きりえは図星をさされたのをごまかすために、なんでもなさそうな顔をした。
「二人ともわかりやすいね。好き好きオーラ全開だった」
「え、ほんまですか?」きりえは赤くなった。
あさはモヒートを一口飲むと、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「もりのちゃん、部屋に入り浸ってるでしょ」
きりえは耳たぶをいじる。
「わかりやすいね、きりえさん」あさは笑う。「絶対入り浸ってる」
「あきませんかね」
「いいんじゃない、盛り上がってるんだから。というか、仕方ないよね」
「まあ、そうですよね」
「で、どうなの、もりのちゃんは?」あさはにやにやしながらわき腹を小突く。
「どうって?」
「あっちの方はどうなのよ」
きりえの顔はカーッと赤くなる。
「言っておくけど、手をつないで寝てるだけなんて言われても信じないからね」
「そんなん聞かんといてくださいよ」きりえは顔を両手でおおってうつむく。
「きりえ、かわいいよ」
「からかわんといてください」きりえはますますうつむく。
「もりのちゃんも、きりえさんがかわいくて仕方ないだろうね。よく言われるでしょ?」
きりえは素直にうなずいた。
「きりえがもりのを選んだの、なんとなくわかるよ」あさはグラスのふちを触りながら、目を細める。「きりえにはヒロイン願望があるじゃない。もりのは、見た目も中身も紳士で王子だからね。すっごくやさしいしさ。そういうのに弱いんじゃない?」
「そうかもしれませんね」
「エッチもやさしい?」あさはにやっと笑う。
「やさしいですよ」きりえはつい応え、赤くなった。
「やさしいんだ」あさはかみしめるような顔で、「ごちそうさま」
ダイヤ組新体制の話になった。きりえの相手役である娘役トップスターのまりを、あさは高く評価した。一緒に前を見て歩んでいける、素晴らしい戦友になりそうだと。
自分の成長で必死な若手中心の体制になるため、きりえに負荷がかかることが痛いほどわかっているあさは、持病のあるきりえをいたわった。
「きりえは甘えるのが苦手だから。面倒見がよくて、世話焼きで、何でもできちゃうし。私もずいぶん支えてもらって、感謝のしようがないよ。でも、きりえさんも甘えないとダメだよ。もりのちゃんに甘えなよ。やさしくて穏やかなだけじゃなくて、芯がしっかりとあるの。それこそ頑固なくらい。誠実で信頼できる人だよ。私は人として尊敬してるの。もりのちゃんは包容力があるし、何でも受け止めてくれるよ。それに、癒してくれる。きりえを支えてくれるよ」
きりえはうなずくと、モヒートを飲み、アーモンドをかじった。
「きりえ、ますますきれいになったね」あさは目を細めた。「恋してるからかな」
「この公演が始まってから、よく言われるんです」
「嬉しそうな顔しちゃって」
「嬉しいけど、ちょっと複雑なんですよ。もりのはかっこいいとか、男役の色気が増したとか言われてんのに、私はかわいい、ですからね。男役として大丈夫なんか実は心配なんです」
「大丈夫だよ」あさは自分の胸をポンとたたいた。「男役のときは、貫録があって立派なもんだよ。ゆるぎないから、心配しないでいいの」
「あささんは説得力があるから、ちょっと安心しました」
「ほんと、説得力あるよね」あさは得意気な顔をした。
帰る間際に、あさが真面目な表情で切り出した。
「トップスターになることは、タカライシ人生の終わりの始まりを意味するよね。退団するときにね、もりのを連れてってほしくないの。いい役に出会え、きりえさんと付き合い、自信がついた気がするの。殻を破ったというのかな、開花したと思うの。これからもっともっと開花するから、もりのがたとえついていきたいと言っても、連れてっちゃダメだよ」
「もちろん、わかってます」きりえは真剣な顔で応えた。
「ごめんね、変なこと言って。なんだか二人はとってもお似合いだから、ちょっと心配になったの」
きりえは物思いにふけりながら部屋に戻った。なぜ、自分はあさにもりのとの関係は期間限定だと言わなかったのだろう。なぜ、退団するときにもりのを連れていくなと言われて、寂しかったのだろう。
部屋は静まり返っていた。
「もりのちゃん?」きりえは小声で読んでみる。返事はない。
灯りをつけると、ダブルベッドの左側で安らかな寝息を立てて眠っていた。あどけない寝顔に、微笑みがもれる。
寝支度を整えると、きりえは隣に横になった。薄明りのもと、もりのを観察した。白磁のような美しい肌、うすい色のほくろ、小さいけれどあごがしっかりとした立体的な輪郭、ふっくらとしたピンク色の唇。寝息は静かで、寝相もいい。おとぎ話のような人だと思った。
もりのは幸せそうな顔をしていた。かわいくて、顔のあちこちにキスをした。
起きる気配がなかったので、手や脚を触ったりして、ちょっかいをかける。反応はなかった。ぬくもりがほしくて、もりのに抱きつく。甘い幸福感が満ちる。
「もりのちゃん、愛してる」
もりのの首筋に顔をうずめる。甘い匂いがした。
「きりえさん?」もりのが眠そうな声で言った。
「ごめん、起こしてもうた?」
もりのはきりえをぼーっと見つめる。それから微笑む。
「すみません、ちょっと眠るつもりが、爆睡してたみたいですね」
「疲れたまってたんやろ」
「楽しかった?」
「楽しかったで」
「よかった」もりのはやさしく微笑んだ。
「ありがと」
もりのは髪をやさしく撫でる。
「夢のなかにもきりえさんがいたんですよ。楽しかったな」もりのはにこにこする。「淡路島にドライブしてたんです。淡路島が大好きで」
「私も好きやで」
「今度行きましょうね」もりのは嬉しそうに続ける。「行きたいところがいっぱいあるんです。いろんなところにドライブしましょうね」
「私ら、期間限定なんやけど」
もりのは一瞬固まったが、ケロッとした顔で「ハルオキは今頃何してるんでしょうね」
「きっと寝てはるよ」きりえは苦笑する。「人の話聞いてた?」
「ああ、ドライブですね。行きましょう。楽しみですね」
「だから、期間限定なの」
「ハルオキってパジャマ着て寝るんでしたっけ?」
「めっちゃごまかしてる」きりえは笑ってしまった。
もりのも笑った。
「夢のなかの出来事だと思ってたんですけど、私に触ってました?」
「うん」きりえは赤くなる。
「嬉しいです」もりのは色っぽい目つきをする。「どんな気分ですか?」
「もう遅いし、穏やかに寝たいな」
「手をつないで寝ましょうか」
「うん」きりえはやわらかな笑みを浮かべた。
四 名古屋、千秋楽、ホテル
きりえは冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを取り出すと、グラスに注いだ。酔い覚ましに、一気に飲み干した。
先ほどまでダイヤ組のメンバーで宴会を行い、名古屋公演の成功を祝った。千秋楽を無事に迎えた安堵感とともに、公演が終わってしまったことへの寂しさを感じていた。
いつものように、穏やかなノックの音が響く。こうしてもりのと会うのも最後かと思うと、切なかった。いっそのこと、このまま関係を続けようか。あいまいな気持ちのまま、迎え入れた。
「おじゃまします」
黒のカシミヤコートに身を包んだもりのは、ぎこちなく微笑んだ。普段通りを装っているが、緊張しているのが伝わってきた。きりえは大切な話があると呼び出したのだ。
もりのは入口で所在なげに立っている。
「なに、ぼーっと突っ立ってんの。コート貸して」
「あ、はい」
もりのはあわててコートを脱いだ。その様子がかわいくて、きりえは美しい目を細めて笑った。もりのもようやくほっとしたように微笑んだ。
「水とコーヒーとお茶、どれにする?」
「水をいただけますか」
きりえは水をグラスに注ぎ、窓辺のソファに座った。もりのはテーブルをはさんで向き合うようにして座った。背筋をピンと伸ばし、大きな手を膝の上に置き、うかがうような目できりえを見ている。思慮深い幼犬のような表情だった。
「緊張してるやろ」
「そうですね」
「そりゃ緊張するか」きりえはやさしく微笑んだ。
もりのはうなずいた。
「私ら、いったん解散しよっか」きりえは軽い口調で切り出した。
「いったん、解散」もりのはかたい表情でちょっと沈黙してから、「別れるってことですか?」
「う~ん、別れるっていうか、どう言ったらええんやろ……」
あいまいな態度に、もりのは急に力を得たようだった。「別れるのとは違うんですね?」と真剣な顔できりえの目をのぞきこむ。
きりえは耳元の髪をちょいちょいといじる。
「冷却期間を置きたいねん」
「どうしてですか?」
真っ直ぐなまなざしに耐えられず、きりえは目をそらす。
「いろいろ見極めたいねん。もりのちゃんもそうしたほうがええと思う」
「私の気持ちはずっと変わりません」もりのは深い響きの声で続ける。「愛してます」
「うん……ありがとう」きりえは胸の高鳴りを感じながら、小さな声で応えた。
「でも、きりえさんには冷却期間が必要なんですね」
きりえはうなずいた。
「一番引っかかってるんは、もりのちゃんが相手やと、女になってまうことやねん。今回は役柄的にプラスに働いたけど、この先もそうやったら、男役として困るやん。もりのちゃんと男役を両立してうまく付き合えるか、見極めたいねん」
「きりえさんほどのお人が、何をおっしゃるんですか」もりのは心底驚いた顔をした。「きりえさんは一流の男役ですよ。絶対に大丈夫ですよ」
「こんなん初めてやから、困ってるんやんか」きりえは頬をふくらませて怒ってみせた。
「その顔、かわいすぎです」もりのはとろけるような顔をした。
きりえはかわいいと言われて、照れ笑いを浮かべた。
「男の人と付き合っても、大丈夫だったんでしょ? 私とも絶対に大丈夫ですよ」
「男の人とは大丈夫やったよ。もりのちゃんとはなんかちゃうねん。男役って女性の理想の男性像やん。普通の男の人には、女っぽくなるどころか、いろいろと教えてあげたくなるくらいやってん。ほんまの男前はこうやでって」
もりのは笑ってから、「わかるような気がします」
「もりのちゃんもそうやった?」
「いえ、私は男の人にそういったことは求めてないので」もりのは考えるような間を刻み、「『存在の耐えられない軽さ』の頃のダニエル・デイ=ルイスだったと思うんですが、彼は女性のなかの男らしさに、男性のなかの女らしさに魅力を感じるという風なことを、インタビューで応えてたんです。当時、私は子供だったんですが、共感したんですよね」
「おませさんやなぁ」きりえはもりのの額を小突いた。
もりのは笑って、小突かれたところを触る。
「ダニエルの言葉、なかなか興味深いね」
もりのは深くうなずき、「男性で、きりえさんほどの男前はなかなかいないと思いますよ」
「そやな」きりえは苦笑した。
「もちろん私も、きりえさんと比べたら、まだまだです」
「もりのはけっこう理想的やで」きりえはうふふっと笑った。
「いやいや」もりのは謙遜する。
「みんな言ってるもん。もりのはフレイをやってから、めっちゃ男役度があがって色気が出てるって。私はかわいくて、もりのはかっこいいねんて」
「光栄です」もりのは嬉しそうな顔をする。
「ま、もりのがこんなにかっこよくなったんは、私のおかげやけど」
「もちろん、きりえさんのおかげです」
きりえは水滴のついたグラスを手に取ってひと口飲む。
「複雑な心境、わかってくれた?」
「わかりました」もりのは真っ直ぐなまなざしで、「私が身を引く理由はありませんね。見極めてください。待ってます」
「意外にハート強いねんなぁ。押しも強いなぁ」きりえは感心する。「舞台でもこのくらい押しが強かったら、トップスターになれるのに」
もりのは苦笑し、髪をかきあげる。
「見極めて、終わるかもしれへんよ?」
「かまいません」
「保証ないのに……」
「惚れてしまったんだから、仕方ないじゃないですか」
「ほんまにええんやね?」きりえは念を押しながらも、もりのの決然とした態度にときめいていた。
「この恋は私にとって一生に一度なんです。どんな形でも愛しますよ」
「そんなん口だけやわ」
「私の愛を甘く見ないでください」もりのはそう言うと、眩しそうに目を細める。「雲の上の存在だったきりえさんと、束の間でも恋人になれたんですよ。この上ない幸せに感謝しながら、余生を送ります」
「余生って、年寄りくさいなぁ」きりえは笑った。
「完全にフラれたとしても、愛し続けますから」
きりえは照れながら、「そんなん迷惑やわ」
もりのはちょっと落ち込んだ顔をする。
「うそうそ」きりえはすかさずフォローし、「でも、なんのかんの言って、もりのちゃんは恋愛体質っぽいからなぁ。すぐに好きな人できそうやけど」
「私が恋愛体質なのは、きりえさんにだけです」
「うまいこと言うなぁ、恋愛上手さんは」きりえは照れ隠しに茶化した。
「そんなんじゃないから」
「よしよし」
きりえは豊かな髪を撫でてあげた。ひとしきり撫でると、膝の上に両手を置いて、かしこまった。
「この先も支えてくれるん?」
もりのは嬉しそうな顔で、「支えになれるなら、喜んで」
「ありがと」きりえは微笑み、喜びをかみしめる。「心強いわ」
もりのは水をひと息に飲み干すと、立ち上がった。
「どしたん?」
「今夜は帰ったほうがいいですよね」
「ううん」きりえは立ち上がり、背の高いもりのを見上げる。「帰らんといて」
「でも……」
「とりあえず、今日は一緒に寝よ」きりえはもりのの手を取った。
ベッドに入ると、もりのは仰向けになって目を閉じた。深く呼吸し、眠ろうと努力しているようだった。
すぐそばにもりのを感じると、触れたくなる。パジャマに包んだ身を寄せた。触れたところが熱くなる。もりのは落ち着かなげに身体をちょっと動かす。冷却期間に突入したことを律儀に守る態度は好ましいが、もどかしいような、物足りないような気もする。
きりえは長い腕に自分の腕を絡める。もりのはため息をもらす。きりえはうす灯りのもと、整った横顔をじっと見つめる。
「もりのちゃん、起きてる?」
唇が肌に触れそうな距離でささやいた。
「起きてます……眠れないんです」もりのはかすれた声で応えた。
「こっち向いて」
もりのはきりえの言葉に従う。切なげな顔をしていた。
「真面目やなぁ、もりのちゃん」
「真面目ってなんですか」
「おもんないなぁ、もりのちゃん」
もりのは困った顔をする。
「まともに寝る人いる?」きりえはもりののパジャマのボタンを指先で弄びながら、挑発するような目をする。「一緒に寝よって言ったやん。意味わかるやろ?」
「そんな風に思っちゃいけないって、我慢してました」
「今日までええやん」
きりえは首筋に手をまわすと、身体を押し付けながら、深く味わうようなキスをした。情熱的に応えるもりのの白い肌が紅潮し、熱を帯びる。火がつくのを感じ、ゾクゾクする。
「あなたは魔性ですね」もりのは吐息をもらす。「私をおもちゃにしてます?」
「してへんよ」きりえは妖艶な笑みを浮かべ、甘いキスをする。
「おもちゃでもいいよ」
もりののささやきと、色っぽい表情に、きりえの心は奪われる。
もりのはきりえの唇にやさしくキスすると、腕のなかに閉じ込めるようにして抱きしめた。
ほどよい重みと、肌の火照りを感じながら、熱のこもった大胆で繊細な愛撫に身を委ねていると、きりえは震えるような官能を覚える。身をよじらせて感じながらも、もりのの反応に神経を尖らせる。もりのは愛撫しながら、切なげに目を閉じて浅い呼吸を繰り返している。もりのが感じていることを感じて、内臓からわきあがるような歓びを感じる。
「さっきから人の顔を見て……余裕あるんですね」
「もりのちゃんを見てたいねん」
「私も……」
見つめ合いながら愛撫を重ねる。互いの境目がなくなり、圧倒的な一体感に包まれた。
もりのは、きりえより先に眠りの世界へ沈んでいた。
きりえは至福の手触りがする肌に触れながら、自分がつけた痕跡を思い起こす。真っ白な背中には痛々しい爪あとが、上半身の繊細なところにはキスのあとがある。つけてしまったことをわびると、もりのは「嬉しいです」と幸せそうに微笑んだ。
痕跡が消えるまで時間がかかる。肌を見るたびに、もりのは自分のことを思い出さずにいられない。きりえは甘いうずきを感じた。
五 宝石、散歩、家
雲と空の境目があいまいなパステル調の空を見上げる。きりえはゆるめたリードを持ったまま、大きく伸びをし、春の終わりの爽やかな空気を肺に送り込んだ。華やぐような色めくような、心のざわつきはおさまらない。
視線を感じて足元を見る。愛犬のハルオキが、フレンチブルドッグらしい愛嬌満点の笑ったような顔で見上げていた。落ち着きのないパートナーをなだめるような顔つきにも見えた。きりえは満面の笑みを返し、しゃがんで筋肉質の背中を撫でた。
エンジン音と、タイヤがアスファルトに接地する音がする。見上げると、ロータリーに一台の四輪駆動車が入ってきたところだった。コンパクトタイプのSUVだ。もりのは窓越しに片手を上げて会釈する。きりえは、やっぱりこの人かっこいいなと、胸のうちでつぶやいた。
きりえのそばに停車すると、窓を開け、「おはようございます。ハルオキもおはよう」と明るい声で言った。
早朝にもかかわらず、眠気ひとつ感じさせない輝くような笑顔だった。艶やかな白い歯がこぼれる。
ハルオキが興奮しかけたので、きりえはリードをクイッと手元に引き寄せ、落ち着ける。
「おはよ。朝早くからありがと」
「大喜びできました」もりのの声は弾んでいた。眩しそうな目で、「そのシャツ、すごく似合ってますね」
きりえはモノクロのタータンチェックの上質なシャツに、ライトブルーのジーンズという格好だった。
「ありがと」きりえはちょっと得意気に、「おろしたてやねん」
「すっごく似合ってます」
「うん」きりえは照れ笑いしながらハルオキを撫で、「せっかくの休みやのに、ハルオキの散歩になんか付き合わせてええの?」
「めっちゃ嬉しいです。いつでも誘ってください」
「いつでもって」きりえは嬉しくなりながらも苦笑した。
「ほんとにいつでも」
きりえは照れ隠しにそっけない口ぶりで、「朝、強いんやね」
「そうですね。この季節はだいたい六時には起きてますよ。カーテンが太陽の光をまともに通すので、日の出が早くなると、自然と起きちゃうんです」
「ハルオキみたいやな」きりえは笑う。「私もそうやねんけど」
「気が合いますね」
「そやな」
二人は微笑みを交わす。
「車を停めてから散歩します?」
「車に乗せてもらっていい? 宝石山の滝の小路を散歩したくて」
「いいですね」もりのはうきうきした様子で、「新緑の季節だから、最高に気持ちいいですよ」
「よく行くん?」
「たまにですけどね。朝散歩したり、夜景をみにドライブとか」
「ええね。一人で?」
「もちろん、一人で」
きりえはもりのの即答に安堵した。
「滝の小路入口にある駐車場までばっちりやんな?」
「もちろん」
「じゃ、とりあえずそこまで運転してもらえる?」
「了解」
きりえはうきうきしながら、ハルオキを乗せ、自分も助手席に乗り込む。
「ハルオキと乗るの、初めてやな」
「きりえさんが乗るのも数えるほどしかないですよね」
「そやった?」きりえは上機嫌で、「窓開けてええ? この車からの見晴らし好きやねん」
「いい季節ですしね」もりのはやさしく微笑み、「じゃ、出発しますね」
穏やかで落ち着いた頼もしい運転だった。膝の上のハルオキのぬくもりを感じながら、もりのとドライブするのは格別だった。ハルオキもすっかりくつろいでいた。
もりのはときどき、甘くやさしいまなざしできりえとハルオキを見た。きりえに多幸感がじんわりと広がる。このまなざしが恋しかったのだと思い知る。まなざしだけじゃない。耳たぶをくすぐるようなキスや、体中をめぐる甘い感触が。
きりえはふっくらとした唇をそっと見つめた。
「きりえさん、いい匂い……」山道を巧みに運転していたもりのが、おもむろに口を開いた。
もりののささやくような声に、きりえはドキドキする。
「香水ですか?」
「石鹸かシャンプーちゃうかな。さっき入ったとこやから」
「いつも朝風呂ですか?」
「いや、休みの日はハードなワークアウトするから」
「私もです。がっつり身体動かして、汗流してきました」
「身体動かさへんと気持ち悪いんやろ」
「そうなんです」
「もりのちゃんも、いい匂いする」きりえは爽やかな匂いを味わう。
「そうですか?」もりのは照れくさそうに髪をかきあげた。
きりえは膝の上のハルオキを撫でながら、もりのをなぞるように見つめる。白の着慣れたコットンシャツがよく似合っている。ハンドルを握る大きな手は美しく、動きがなめらかでセクシーだった。ゆったりとしたダークブルーのジーンズに包まれた脚は長く、コンパクトな運転席の中で少し窮屈そうだった。奥行のある横顔には微笑みがずっと浮かんでいる。自分と同じように久しぶりに会う歓びをかみしめているようだった。
視線を感じたもりのが、「どうかしましたか?」と笑う。
「久しぶりやなって」
「毎日会ってますよ」
「二人で会うのは久々やん」
「そうですね……」
『君主ヴァイオラ』の千秋楽から一ヵ月半、二人きりで会うことはなかった。宝石大劇場でのお披露目公演は、ミュージカルの大作『ロミオ&ジュリエット』で、中日が過ぎていた。
きりえはベテランの学年でロミオのような若者を演じるのはいかがなものかと思ったが、やるからには必ず成功させようと意欲的に取り組んだ。ジュリエット役のまりも大人のヒロインが似合う女役だったため柄ではないが、意外性のある二人の化学反応もおもしろいだろうと考えた。
前作では、もりのにかまけてまりを放ったらかしにした後ろめたさがあり、この公演ではまりと積極的に関わった。
「どうされたんですか、きりえさん」とまりは笑うのだった。「そんなにかまってくださらなくて大丈夫ですよ」
「前作ではフォローできへんかったから」
「なにをおっしゃるかと思えば」まりはあきれたように笑い、「十分フォローしてくださってましたよ」
「そう思ってくれるん?」
「もちろんですよ。私はきりえさんと前を向いて歩き、ともに戦えるのが嬉しいんです」
「たくましいジュリエットやな」きりえは感心しながら笑う。「生命力にあふれてる」
「私ならあとを追って死にません」
まりの屈託ない明るい態度に、いい相手役に出会った幸運をかみしめた。
多忙な日々のなか、もりのを思わない日はなかった。もりのはティボルト役だった。二人は敵対する以外に絡むことはない。けれど、稽古場でほとんど毎日顔を合わせていた。
ティボルトは、少年時代から伯母や複数の女性と肉体関係を重ね、やさぐれながらも、従妹のジュリエットにひそかに思いを寄せている、セクシーなキャラクターだった。ティボルトを演じるもりのにうっかり心奪われることもあった。
きりえは窓の外を見ながら、「もりのちゃん、案外ティボルト似合うよね」
「ありがとうございます。でも、案外なんですね」もりのは苦笑した。
「うん、もりのちゃんは本来ロミオ役者やもん。恋に輝く純粋な瞳とか」
「きりえさんをいつもそんな目で見てますもんね」
「うん?」きりえは耳元に少しかかる髪を何度もいじる。
「一途ですから」
「自分で言うな」きりえはもりのの肩をかるくはたいた。
もりのは笑うと、「養成学校時代に、ロミオやったことありますよ」
「やっぱり。絶対に似合うもん」
もりのは少し上ずった声で、「私がロミオなら、ジュリエットはきりえさんですよ」
「厚かましいなぁ」きりえは照れながら、「ええかもね」とつぶやき、赤くなった。
「やった」もりのは左手で小さくガッツポーズをつくった。
「客観的に応えてほしいんやけど、私とまりはどう?」
「きりえさんとまりちゃんも、意外に合いますよ」
「私らなりの、力強いロミオとジュリエットになったよね」きりえは苦笑する。「この二人なら、生き抜きそうやし、なんなら周りも説得できそうやけど」
もりのは大笑いした。
「そんなにウケへんでもええやん」きりえも笑った。
山の中腹にある駐車場に着くと、もりのは慣れた感じで駐車した。車を降りたったもりのは、ハットを無造作にかぶった。ショーのソフト帽の場面さながらの色気のある手つきだった。きりえは見惚れてしまい、照れ隠しにリードをぶっきらぼうに渡す。
「散歩していいんですか?」
「お手並み拝見」きりえは不敵な笑みを浮かべた。
もりのはハルオキに「よろしく」と言うと、リードをちょうどいいテンションで持ち、ゆったりと歩き出した。
きりえは感心した。初めての散歩とは思えない、なじみようだった。長年の付き合いのように息が合い、落ち着いていた。
「もりのちゃん、めっちゃええ感じよ」
「こんな感じでいいんでしょうか」
「たいしたもんやわ」
空気は澄みわたり、緑の息吹で湿っていた。楓の新緑が目に染みる。きりえは満足げな微笑みを浮かべる。川の音と、ときおりの会話が耳に心地よい。
トレッキングや散歩をしている人と、すれ違いざま、あいさつを交わす。二人を見て、あっと目を見開く人もいる。
「今日はよう見られるわ。もりのちゃんは目立つんやな」
「きりえさんが目立つんでしょ」
「私は普通の背格好やから、帽子かぶったら平気やねん。もりのは身体が目立つなぁ」
「そうですかね」
宝石山の見所のひとつ、大滝に着く。ちょうどよさそうな太さの木にハルオキのリードを結びつける。ハルオキに水をあげ、休息をとらせる。
きりえは川の浅いところにしゃがみ、水に触れる。清らかな水は脚をつけるには冷たすぎ、中に入るのを断念する。
「冷たくて気持ちいい」もりのは本当に気持ちよさそうな顔で水に手を浸していた。
きりえはいたずらしたくなり、もりのの顔にパシャッと水をかけた。
「なにするんですか」もりのは笑うと、顔の水を拭う。
「気持ちええやろ」きりえは何度もパシャッパシャッと水をかけた。
もりのも対抗してかけてくるが、いたわりが勝って、きりえは全然濡れないのだった。
「甘いなぁ、もりのちゃんは。こうすんねんで」きりえは嫌がるようで嬉しそうなもりのに特大のしぶきをかけた。
「おてんばさん、なにするんですか」もりのは甘い表情と口調で言う。
「もりのちゃんも、やってみ」きりえは得意気に笑った。
もりのも特大のしぶきをかけてきた。きりえの顔は濡れた。
「うわ、へたくそ、もろにかかったやん」きりえはおおげさに騒いでみた。
「すみませんっ」もりのはジーンズで手を拭きながら、飛んでくる。申し訳なさそうな顔できりえの正面に立つと、シャツの袖で顔の滴を拭う。「ほんとにすみません」と詫びるふっくらとした唇をそっと見る。キスを思いだし、きりえはドキドキする。
「ハンカチないん?」
「今日に限ってないんです」
「袖で拭くかなぁ」
「すみません」
もりのは自分の頬も袖で拭いた。
「また袖や」きりえは笑った。
もりのも笑う。
「なんか楽しいな」
「めっちゃ楽しいです」もりのはデレッとした表情をする。
「デートみたいやな」きりえは自分から言っておいて、照れてしまう。
「デートですよ」もりのはハットの滴を払った。
きりえはふふっと笑うと、ハルオキの元へ引き返す。もりのも黙って従う。言葉少なに、ゆっくりと歩く。穏やかで、幸せな心持ちだった。
「もりのちゃんといると、なんか落ち着くわ」
「落ち着いちゃうんですか」
「ええ意味よ。なんか、ほっとする」
「ほっとする、か」もりのはハットを手のひらで弄びながら、「私はドキドキしてるのにな」
「ふうん」
「ふうんって」もりのは苦笑した。
「ドキドキしてるで」きりえはそう言い残すと、ハルオキの元へ駆けた。「ハルオキ、お待たせやったね」リードを手にすると、にっこり笑った。
もりのは心を奪われたような顔で、突っ立っていた。
「帰ろっか」
「楽しい時間はあっという間ですね……」
「うち来る?」きりえはちょっと赤くなりながら、「コーヒー淹れたるわ」
「いいんですか?」もりのは顔を輝かせた。「ありがとうございます。嬉しいです」
家に着くと、きりえはもりのを先に部屋へ上げ、玄関でハルオキの脚を拭いた。ハルオキが人間のように器用に服を脱ぐのをサポートした。
「さすがですね。相変わらずお見事、ハルオキ」
「こんなんでほめてもらって、恥ずかしいなぁ」きりえはハルオキの筋肉質の背中を撫でた。
ハルオキはとことこ歩くと、ソファの袂の定位置で寝そべった。のどかな表情をしていた。
「もりのちゃんも休んでて。コーヒー淹れるわ」
もりのは立ったまま、部屋を興味深そうに見まわす。「きりえさんの部屋、素敵ですね。居心地がいいです。ちゃんと生活してる感がありますね。見習わないと」
「住環境は大事やで。快適に暮らしたいやん」
「家は風雨をしのげればそれでいいってタイプなんです。いけませんね」
「意外にワイルドやねんな」きりえは笑った。「風雨をしのげればいい、か。なかなかかっこええやん」
「そうですか?」
「うん」
「それにしても、きれいにされてますね」もりのはしげしげと見まわす。
「初めてみたいな顔してるけど、みんなと家に来たことあるやん」
「一人では初めてだから。新鮮なんです」
「そうなん」きりえはなんでもなさそうに返しながら、二人きりだということを意識し、ちょっと赤くなった。
「部屋を見てもいいですか?」
「なんもないけど、どうぞ。その間にコーヒー淹れとくね」
「ありがとうございます」
もりのの姿がリビングから消えると、きりえはコーヒーを淹れる作業に取り掛かった。豆の銘柄というより、鮮度を大事にしている。挽きたてのコーヒーを、ペーパードリップで淹れる。コーヒーに合いそうなアーモンド入りの焼き菓子を添えた。
リビングには、もりのの姿がなかった。きりえはベランダを見てから、寝室をのぞいた。もりのの姿に心臓が跳ね上がる。ベッドサイドに座り、枕を抱きしめ、顔をうずめていた。自分を求めていることがありありと伝わる。気づかれないよう、静かに寝室をあとにした。
動揺をしずめるためハルオキを撫でていると、もりのが爽やか笑顔で、「いい匂い。このコーヒーの香り、やわらかいですね」
「おいしいから、飲んでみて」
もりのはソファの隣に座った。「いただきます」きれいな手でコーヒーカップを手に取り、一口飲む。「おいしい! いつも飲んでるのと全然違う!」
「豆が新鮮なのと、ペーパードリップやから」きりえは得意気に言った。
「本格的ですね。すごい」もりのは感心しきりだった。「このクッキーもおいしい。コーヒーに合いますね」
「アーモンドのローストした風味が、コーヒーに合うみたい」
「さすが、きりえさん」
「いつもほめてばっかり」きりえは甘く笑った。
「仕方ないですよ。惚れ込んでるんだから」
もりのは切なそうにきりえを見てから視線をそらし、コーヒーを静かに飲んだ。
二人の間に沈黙が流れる。気づまりではなかった。もりのの愛情をひしひしと感じる。自分ももりのに強く惹かれていた。心にも、身体にも。ベッドで愛し合いたかった。今日は最初からそのつもりだった気もする。
きりえはもりのの肩にそっともたれかかる。互いの身体が熱くなる。
「さっき、枕抱きしめてたやろ」きりえはささやいた。
もりのの心臓が跳ね上がったのがわかる。つぶらな瞳を丸くして、白い頬をピンク色に染め、「見てたんですか」
「ちらっとね」きりえは美しい目でもりのを見つめる。
もりのは切なげな表情で目をそらした。
「なんで見てくれへんの」
「美しすぎて、目力が強すぎて、耐えられないんです」
もりのがかわいくて、いじめたくなる。両手で小さな顔をはさんで自分の方へ向けると、動けないようにする。
「ちゃんと目を見て」きりえは至近距離で見つめる。「もりのちゃん、私のこと今も好きでいてくれてる?」
「もちろんです。大好きです」
「ほんまかな。もりのちゃん、あれっきり全然やん」
「え?」もりのはびっくりした顔をする。「だって、きりえさんが見極めたいって」
「そんなん言うた?」
「おっしゃってましたよ」
「そんなん関係ないやん」きりえはもりのの顔を解放した。「もりのちゃんの気持ちはどうなんって話やん」
「そうなんですか?」もりのは大きな手で、解放された頬を挟む。
「そうよ」
「だけど、あんなことがあって、あんな風に言われたら、私からは行きづらいです」
「もりのちゃんにとって私って、その程度のものなんや」きりえは肩をすくめた。
「そんなぁ」もりのは情けなさそうな顔をする。
「私がなんも働きかけへんかったら、もりのちゃんはそのまんまやったんや。そのまま終われたんや」
「終わりたくなんてないけど、自分の気持ちを一方的に押し付けられないですよ」
「おもんない人」きりえはわざとため息をついた。
「おもんないって……」もりのはしょんぼりしたあと、一生懸命な顔つきで、「きりえさんのことが大好きで、大切なんです。だからこそ、納得のいくようにしてほしかった」
「もりのちゃんの愛ってなんなんやろ」
「元気でいてくれたら、究極、それでいいんです」
「あんたは親か」きりえは笑って突っ込んでから、腕を組んで首をかしげる。「それって大きな愛なんかな。それとも――」
「意気地がないのかもしれません」もりのは静かに言う。「正直、期待しないようにしてました。私みたいな普通の人間が、きりえさんみたいな素晴らしい人と、素敵な時をともにできたんだから、それでいいって。思い出だけで生きていけるって」
「もりのは自分の魅力をわかってへん」きりえは半分怒ったような声で言う。「自分がどんなに魅力的かわかってへんねんから」
きりえはもりのの顔を両手で挟み、じっと見つめる。
「最初からあきらめるの、やめてくれる」
「きりえさん……」
きりえは目の力をふっと弱め、甘い微笑みを浮かべる。
「う~」もりのは小さく唸ると、切なそうに目をつぶる。「そんな風に見つめないでください。耐えられないです」
ヘタレなもりのもかわいく、キスしたくなる。その代わりに、きりえはため息をついて立ち上がった。
「もりのちゃんはやっぱりもりのちゃんやな」
「どういう意味ですか?」
きりえは『君主ヴァイオラ』のときの情交を思い返す。
「あれはまぐれやってんな」きりえは独り言のようにつぶやいた。
「まぐれって、なにがまぐれなんですか」
きりえは応えず、キッチンに向かった。お湯を沸かし、温かい煎茶を急須に注ぐ。けしかけるような言動が急に恥ずかしくなった。
どんな顔でもりのを見ればいいんやろ――。
そう胸のうちでつぶやいたとき、「きりえさん」というささやき声とともに、うしろから抱きしめられた。息ができないほどのときめきがめぐる。この身体が、体温が恋しかった。
「きりえさん、大好きです」もりのは腕に力を込める。「愛してます」
きりえは胸が高まるのを感じながら、もりのの腕にそっと触れる。
「もう迷いがないなら、こっちを向いてください」
「もりのちゃん……そんなに力入ってたら、向かれへんよ」
「あ、そっか」もりのは恥ずかしそうな声を出すと、腕の力を抜いた。
きりえは正面を向くと、そっと見上げた。恋に輝く瞳に出会うと、にっこり微笑んだ。
「よかった……」
もりのの声には万感がこもっていた。きりえをそっと抱き寄せる。華奢なきりえは、もりのの胸と腕のなかにすっぽりと包みこまれる。鎖骨のあたりに頬をうずめる。やわらかな肌の感触も匂いもぬくもりも、求めたとおりのものだった。
「もりのちゃんや」きりえは安心したような声でつぶやいた。
互いをしみこませるように、しばらく立ったまま抱き合っていた。
「正式にお付き合いしてくれますか?」もりのは遠慮がちに念を押した。
「もう付き合ってるよ」きりえはいたずらっぽく笑った。
「やった! 絶対ですよ、やっぱりやめたなんて、通用しませんからね」
「わかってるって」きりえはやさしく微笑み、背の高いもりのの頭を撫でた。「もりのちゃんって、なんかかわいいな」
「かわいいって」もりのはかわいがられて調子がくるったような表情を浮かべる。
「今まで、先輩にいっぱいかわいがられてきたやろ」
「きりえさんこそ」
「まあ、かわいがられたかな」
「ちょっかいかけられてないでしょうね」
きりえは応えず、笑って受け流した。
「心配だなぁ」
きりえは誘うような目でもりのを見る。
「なあ、そんなんどうでもよくない?」
「そうですね、どうでもいいです」
もりのはやわらかな髪にそっと唇をつける。きりえは高い鼻をうずめるようにして、鎖骨のあたりの甘い匂いとすべらかな感触を楽しむ。
「どんな気分ですか?」
吐息まじりのささやき声が、きりえの耳元で甘く響く。
「たぶん、もりのちゃんと同じ気分」
もりのは赤くなりながら、「ベッドはどこですか?」
「知ってるくせに」きりえは甘く笑った。
もりのはきりえの手を取った。大きくてやわらかい温かな手は、かすかに湿っていた。
きりえは自然な風合いが好きで、リネンカーテンで統一していた。昼間は生成りのカーテンを開けて、レースだけにしている。寝室に入ると、生成りのカーテンも閉めた。それでもやわらかな日差しが届く。
やさしくキスをしながら、着ているものをお互いに脱がせ、裸になった。
もりのはそっと身体を重ねると、きりえを愛おしそうに見つめながら、髪を撫でる。慣れ親しんだ肌の感触と重みに、きりえの身体は自然と開く。自分の上にも下にも左にも右にも、もりのがいる。当たり前の感覚がよみがえる。
「明るいところでするの、初めてですね」
「朝したことあるよ」
「遮光カーテンだったから」
もりのはやらしい表情を浮かべる。
「やらしい顔して」きりえは赤くなり、「じっくり見んといてよ」
「心がけます」
もりのは深くキスをした。それだけで、きりえの胸はいっぱいになる。身体をぴたりと合わせ、頭や首筋や背中や腰やおしりを撫でまわし、何度も唇をあわせ、舌をからめる。身体の大きさ、広さ、厚み、重み、質感、体温、吐息、声――。もりののすべてが好きだった。特別な相手にめぐり合えたことに、心がふるえる。
もりのを全身で待ち構え、迎え入れる。もりのの愛撫はいつも想像と理想の上をいく。触れられるたびに、身体がもりのにもっと触ってほしいと訴える。深く感じて、身体のあちこちから淫らな音がもれる。もう手放せられない。
「体だけに惹かれてるんとちゃうけど」きりえは上気した頬に甘い微笑みを浮かべる。「もりのちゃんとするの、好き」
「私も好きです……大好きです」もりのは狂おしそうな、愛おしそうな目できりえを見つめ、吐息をもらす。「溺れてしまいそう……」
「もっとちょうだい」
二人はやわらかな果物を食べるようなキスをする。
もりのの愛撫にきりえは高まり、浅い呼吸を繰り返す。汗で湿った背中にしがみつくようにして昇りつめる直前に、口をふさぐようにキスをされ、意識が遠のくほどの強い快感にのまれた。
「いっぱいいれたやろ」きりえは甘くにらんだ。
「夢中になっちゃって」もりのは色っぽい表情で、「汗かいちゃった」
きりえは汗を舐める。感じたときの顔を目にすると、もりのを抱きたくなる。そのままやさしく丁寧に愛撫する。もりのは感じやすくなっていて、簡単にイッてしまった。
「もうちょっと、もってよ」きりえは甘く笑った。
「それもこれも、みんなきりえさんのせいだから」
「そうかなぁ」
「そうなの」
きりえはもりのを抱いたせいで、身体がうずいていた。もりののふっくらとしたピンク色の唇にそっと触れる。もりのは目を伏せ、指にキスをした。
きりえは恥ずかしかったが、正直にリクエストする。
「あれ、してほしい」
もりのは濡れたところを舐める。敏感になっていて、頭がどうかしそうなほどの快感がめぐる。もりのをそっと見つめると、幸せそうに、おいしそうに、味わっていた。
「おいしそうにしてくれるよね……」
「おいしいですよ。ずっとこうしてたい……」
「エッチというか、変態?」
「はい」もりのは微笑むと、時間をかけて愛おしんだ。
背中にやわらかな肌の感触とぬくもり、甘い吐息を感じて、目が覚めた。もりのがうなじや耳たぶを唇でやさしくくすぐっていた。きりえはうっとりとした微笑みを浮かべ、もりのの方を向く。
「いま何時?」
「三時です」
「やりまくったわ」
「やりまくりましたね」もりのはテヘッと笑った。
「おなか空かへん?」
「ペコペコです」
「買い物いこか」
そのまま服を着る。情事のあとの気配は気にしなかった。
リビングにいたハルオキは、尻尾を力いっぱい振って二人を迎えた。
「わあ、ハルオキが犬みたい」もりのはびっくりしていた。
「犬やで」きりえは笑う。
「いやぁ、いつもは貫録たっぷりのスター然としてるから、犬だというのを忘れちゃうんですよね」
「劇団に行くときは、自分をスターと思ってはるから」
きりえはハルオキが満たされるまで、愛情をこめて撫でてやった。
玄関でもりのはきりえに帽子をかぶせ、大きな手で頭をぽんぽんとした。
「もりのちゃんのこれ、好き」
「そうなの?」もりのは甘く笑った。
外に出ると、並んで大きく伸びをした。
「日が高くなってきたな」
「夏がきますね」もりのは爽やかに笑った。
アナザーきりもり