偽装作家生活
斯くも無残な、大先生!
ああ、斯くも悲しきことがあるとは・・・。
これがお前らのやり方かー!!
私はついさっき仕上げた傑作が、斯くも無残に消え去ってしまった画面を悲し気に見ながら、そう叫びたいのを我慢した。
んん、と口を押える。
ここは地下三階のエレベーター式マンションで、音が反響するのでくれぐれも騒がないようにとのお達しを隣住民から受けている。
その鬱屈とした同じく作家志望の怖い三白眼の青白い顔を見て、こいつだけは敵に回すまいと私は固く決意した。
女の身だ、太刀打ちできぬ。
さてさて、WiFi環境の最悪なこの環境下で、USBメモリも無しに書き上げるというのは至難の業だ。
それを指して彼は私に、命惜しくばくれぐれも騒ぐでないわと云わば脅したのだ。私はおお怖、と手をすり合わせて、へっぴり腰に引っ越し蕎麦を渡した。彼の手には、殺傷力のありそうな作家ペン。インク滴らせて握りつぶされそう。
ぴかり光るその光を背中に感じながら、私はそそくさと逃げ去った。自分の部屋へと。
ここにはベタ一匹、小エビを一緒に入れて人工光に照らされて、金の掛かった餌を一日に21粒だけ食べて生きている。私の最愛の家族である。
さて最初の文面に話を戻すが、何故そう叫びたくなったか、というと、私達偽装作家、通称ゴーストライターは、こうして大作家先生の邸宅の地下に住処を分け、共に助け合いとまではいかないが、競い合うようにして、いや実際競い合って作品を上げては先生のサイトにアップしている。
半分以上が実力重視、生半可な覚悟では書けない。私ももっぱらこの貧相な人生の経験から話をひねり出して書いていたのだが、さて先ほど100件以上作り上げた妄想ネタ話をアップしたところ、「つまらん」とのご意見と共にぷつっと作品が消えてしまい、私は全部没と言うお墨付きのダメダメさを頂戴したわけだ。
これがお前らの、あなたのやり方か!!
私は日ごろから心酔して止まなかった優し気なコメディを描く先生が、斯くも無慈悲な大先生だとは露知らなんだ。なんじゃらほい!そりゃねえわ!そりゃねえだろほい!と一人じゃんけんをして無言でストレスを潰す。ここには脳の妨げになるとゲームもない。私はひたすらほい!ほい!とお決まりのじゃんけんをして一人勝ちする。
それを隣の部屋の女が、「きひひ」と笑いながら共通の通気口から覗いているのを見たときにはがくがく驚愕した。
女は目が合うと、ぱたんと通気口を閉じて視界から消えた。その後カタカタとなる電子音。
きっと私をネタにしたに違いない。
キーッ!キーッ!ともがくうち、がちゃっと扉が開いて、ソファの上で空中ボクシングをしていた私に「うるさいんだけど」と左隣の顔色悪い三白眼が告げ、私はぴたりと動作を止めた。
そして「飯」とくいっと顎で外を示され、はい、と着いていき、鍛えられた彼の体をしげしげ眺めながら、半ばはあはあ言いながら、カンカンと音をさせて三階分の階段を上り、「あの、エレベーターは?」と聞くと、「頭使うから、体動かした方がいいと思って」と心にもない善意を吐く。
私はそいつにべーっ!と心の中で舌を出した。
さて一階の久々の地上、豪奢なリビングに集められ、作家約50名が席に揃い、先生を待ちわびた。
目の前には、カップラーメン。
こ、これが格差社会・・・!
ごくりと生唾を飲み込み待つこと一時間。
先生はスマートなハイネックのセーターを着て、颯爽と現れ、席に腰かけると自分はプロテインとダイエット食材を取り出し、「諸君、乾杯」とビリーっとそれを破いてぱくぱくっと食べ、すたすたと立ち去ってしまった。
我々は伸びた麺をがっつき、少ないスープを啜り、何の気なしに出されたお茶をこれでもかと言うほど飲んだ。
私は自腹で焼きそばパンを買って来て、地下に戻りひっそりと食べながら、しゃーっとベタが怒った顔をしてこちらを睨むので、「ベタ、お前もか」と言いながらベタのひかりベタと言う名の餌袋から7粒摘まみ、ぽろぽろと水面に落とした。
今日もぱくぱくと食べ、最後の一粒をぺっと吐き出す。
いいな、私もベタになりたい。
人に飼われて、少ない飯食って生きていくんだ、と夢見て、それからハッと思い付き、このままの生活をそのまま舞台化したかのように書いてみた。
すると、通った。
「ベタって、闘魚なんでしょ?人間食べたりしたら面白いじゃない」
そんな物騒なことを言う先生が、ピラニアやくらげがふわふわ泳ぐ水槽を背にして言うので、私は金魚鉢に入れられた私のベタを抱きかかえるようにして縮こまり、「はあ」と言った。
「この子可愛いね、名前はなんていうの」
先生が言うので、「あの、ベタさんです」と自信なさげに言うと、「ん?ベタさん?」と先生、俄かに立ち止まり、ぴきっと固まって、数秒顎に手を掛け考え込んだ。
そしてぴーんと指を立て、「インスピレーション湧いたー!」と叫び、割と和式な作家机に座ると、パソコンを開いてかたかたと打ち出した。
「君、もう帰っていいよ、あ、ベタさん置いてってね」
は、と固まり、「いやベタさんは私の、」「私の、何」とキロリと睨まれ、「か、家族です」と言うと、「家族ねえ、家族、ベタだけが唯一の家族の殺し屋・・・」などとぶつぶつ呟きだし、「いいねー!」と言った。満面の笑顔だった。
君は君のままでいてくれ、ベタさんは必ず返すから、と言われて部屋を出され、ついでに「今日原稿料振り込んどくから」と言われて通帳を渡され、ゆうちょに行くと(そこは庶民的と言うか、簡単なシステム)50万振り込まれていた。
50万・・・!
それからもベタさんについての私の熱いトークと先生の妄想、隣の女の私がいかにクレイジーでワイルドで且つイノセントな趣味を持っているかが実しやかに語られ、私且つ空想のキャラクターは出来上がり、遂に私は1000万という大金を手にして、「ベタ・メイ・キル・ユー」という微妙なタイトルのミステリーは瞬く間に売れ、その日私を迎えに来た左隣の三白眼は、青白い顔に炎を灯して、「出ろ」とまた顎で指し、私は最後までそそくさと逃げるように負け腰でそいつに付き従い、地上へと階段を上ったのであった。
今度は地上三階にて、先生と共同生活を送るらしい。
「いやー、君とは相性がばっちし合うよ、同じ趣味みたいだし、これからよろしくね」
スレンダーな先生に手を握られ、私は「手を離せ骸骨野郎」と思いながら笑顔を貼り付け、「早速ですが、ベタさんは?」と聞くと、「ああ、彼ならそこに」とある水槽を指さされた。
そこには無数のベタが泳いでいた。
赤青黄、白、虹色、色々。
私はベターっと水槽にへばりついて離れなかった。どれだ、どれが私のベタさん。
「仲間ができたみたいで、とーっても喜んでるよ!」
僕も嬉しい、と先生は珈琲を入れながら、砂糖とミルクいるー?と無邪気に聞いてきた。
私はそれどころじゃなく、どれだ、どれが私の、と未だに探し続けていた。
あの暗闇に紛れた日々は、もう戻ってこないのである。
偽装作家生活
創作する日でした。