初めて好きになったのは
あなたが初めて誰かを好きになったのはいつですか?
今までじゃれあっていたクラスの男の子に、それまでと違った意識を寄せるようになった、小学校高学年くらいですか?
それとも、中学生になって、いつもみんなの輪の中心にいる誰それ君が気になったときでしょうか。
そういうのって、意外と憶(おぼ)えているもんなんですよね。
――え、僕? 僕もちゃんと憶(おぼ)えていますよ。
僕は、生まれてからずっと、あなたのことが好きだったんだと思います。
昔から大人しくて、人見知(ひとみし)りする性格だった僕は、あなたをたくさん不安にさせたことでしょう。
一人で学校に行くのが嫌で、いつまでも玄関で泣きじゃくっていた僕を辛抱強く諭してくれました。叱りつけないで、優しく、僕を安心させようとしてくれました。
友達ができたと報告したときの、あなたの心から安堵(あんど)した表情はきっと忘れられないだろうと思います。
中学生になるまでオネショが治らなかった僕のために、不平も言わずにシーツを洗濯してくれました。臭かっただろうに、触って気持ちのいいものじゃなかっただろうに。おかげで毎夜、快適な眠りに就くことができました。
お父さんが死んだとき、僕はまだ保育園に通い始めた頃でした。女手一つで、ベビーカーに乗った僕を通わせたのはきっと大変だったでしょうね。電車の中でビービー泣いて、周囲の白い目に晒(さら)させてしまったのではないでしょうか。ごめんなさい。
でも、疲れた素振りや、不機嫌そうな顔をしなかったことだけは記憶にあります。だって、どんなに思い返そうとしても、浮かんでくるのは微笑むあなたの柔らかい眼差しだけですから。
僕が大きくなってからも、仕事帰りのあなたは僕を迎えに来てくれました。やんちゃになって、わがままを言い始めた僕は、ときに、不快な思いにさせてしまったはずです。それでも、そんなことはおくびにも出さないで、慈愛(じあい)を注いでくれたのです。帰り道に買ってくれたチョココロネ、半分にした肉まん――ささやかな幸せが、僕にとってなによりの宝物です。
あなたが初めて誰かを好きになったのはいつですか?
お父さんが初めての恋人だということは知っていますけど――まあ、深く追及しないでおきましょう。
小学校の授業参観の日、一人の生徒を、その生徒の親の前で友達が紹介する、ということをしていました。
運動が大好きなタカシ君は、「元気」とか「明るい」とか「うるさい」とか言われていました。
髪がさらさらの茜ちゃんは、「勉強ができる」「真面目」と言われていました。誰かが、手を上げていないのに「かわいい!」と叫んでいました。くすくすと、みんな笑っていました。
僕の番になったとき、みんなは口を揃えて「優しい」「思いやりがある」と言ってくれました。どう思いますか? 僕は、大人しくて、気の弱い男です。人の気持ちを汲(く)み取れるわけじゃなくて、誰かを傷つける勇気がないだけではないでしょうか。だけど、それも「優しさ」と言うのかもしれませんね。
今、この瞬間、僕は自分の胸の内に宿る「優しさ」を疑っています。だって、こんなにあなたを憎んでいるから。憎い。あなたが憎い。
僕を残して、ひと足先にお父さんの元へ向かおうとするあなたが、僕は憎いです。
さようなら、お母さん。
そして、ありがとう。
初めて好きになったのは