自分勝手なビーツ
何かしたいんだったら、とりあえずやってみればいい。後悔したって自分の勝手だから。
TATSUYAでCDを借りようとレジに持っていったら、店員に話しかけられた。
「お客さん、このCDよく借りられますよね」
紺色の布製手提げ袋に丁寧にCDが入ったパッケージを入れながら、そう言われた。
僕は別にやましいことをしている自覚はないから、正直な気持ちとして「そうですね」と一言だけ返した。
「好きなんですか?」
店員が僕が出したお金をレジに打ち込みながらまた訊いてくる。
「まあ」とちょっとだけ頭の隅がジリっとする感覚を覚えながら返す。
店員は見た目からして大学生のバイトっぽかった。男だ。短い髪の毛は少し茶色が入っていて、でもチャラい感じはちっともしなかった。業務用の笑顔が似合いそうな、でも詰め所で愚痴のひとつもこぼさないような、ある種の好青年といった印象を受ける見た目だ。
「また来てください」
業務用スマイルでCDの入った袋を僕に渡す店員。
「一週間後にまた来ますよ」
貸出期間は守るよ。
「別に気にしないで良いですよ、実はそのCD、あまり人気じゃないんです」
何故か店員の男はちょっとだけ嬉しそうにそう言った。
「はあ」と僕はその言葉に何も感じたように見えないように、取り繕った返事をする。「でも貸出期間は守りますよ」
店員の男は、業務用スマイルを崩さずに「待ってます」と答えた。
TATSUYAを出て、自転車のチェーン型の鍵を外してそれを借りたCDと一緒にカゴに投げ入れて、またがる。
空は快晴で、湿っぽさなんて微塵も感じない空気だったけれど、その代償として寒さには堪えるものがあった。
僕は気持ち的に濁った肺の空気を入れ替えるために、自転車にまたがったまま一回だけ深く深呼吸をして、そして漕ぎ出した。
僕が小説を書く時、はたして僕は何を考えているんだろう。と思うことがある。
プロットを練る時は当然どうすればこの物語を面白く、かつきれいにまとめられるかを念頭に頭を傾ける。
しかし、小説の本編を書いている時には、ほぼ自動的に組み立てたプロットの基本骨子に描写、台詞、ストーリー性を付け加えている。
そうやって自動的に指を動かして執筆している時、僕は何を考えているんだろう。何も考えていないんだったらそれはそれで良いんだけれど、どうせならそこにだって意味ってやつを見つけたかった。どうせならここに、意思っぽい何かを見つけたかった。
独りで煙草を喫っている時に考えることは大抵決まってる。
独りでろくに弾けもしないベースを触ってる時に考えていることは、大抵決まっている。
深夜に湯船に使って、耳鳴りがするほどの静けさを感じている時に考えることは、大抵決まっている。
それらをちょっと挙げてみよう。
例えば、君が飼っていた猫の名前。
例えば、君がよく話していた、元カレの趣味。
例えば、君が運転してくれた車に染み付いた匂い。
例えば、君が嫌いだったアイスクリームの味。
例えば、君が嫌いだったラーメン屋。
例えば、君が嫌いだった芸能人。
例えば、君が好きだった煙草の銘柄。
例えば、君が好きだった曲のテンポ。
脳内の空きスペースが一定以上になると、そんなことを僕は考える。考えてしまう。
君と別れてから、もうそろそろ一年半が経とうとしているけれど、僕は一週間の内に四日は君のことを考える。そして情けなくなって小説を書くことにする。小説を書き終えたら、やることがなくなって、あの頃は喫わなかった煙草を喫いながら、やっぱり君にまつわることを考えてしまう。
未練があるわけではないと思う。
フラれたから悔しいと思うわけでもない。
僕はただ、どうすれば君と並んで歩けるか、それを見つけたくて一年半を過ごした。
今の僕を君が見たら、はたしてどんなことを言ってくるだろう。
あれから僕は煙草を喫うようになったし。
あれから僕はベースを弾くようになったし。
あれから僕は自分のことを俺っていうのをやめたし。
あれから一度もペットを飼おうなんて思わなかったし。
あれから僕はテレビでバラエティ番組をみなくなった。
あれから僕は、結構変われたんだと思うよ。
だけどその変化が、僕にとって、そして今の君にとって良いことなのかは正直分からないんだ。
所詮僕が考える今の君は、僕の中で残っている君の残滓を引き伸ばしただけの存在で、だから君の中の今の僕も、あの頃の僕の残滓を引き伸ばしただけの存在なんだろう。でも君のことだから、僕のことなんて考えないだろう。君はとても前向きな性格の持ち主だったから。それはわかるよ。だから夢の中に君が出てこようと、憂鬱な朝は変わらないし、清々しい日曜日の昼間に君にメールを送ろうとおもってやっぱりやめることがわかってる。だけどやっぱり君は僕の中で結構でかい存在だった。
正直君と過ごした期間、僕はめったに笑わなかったけれど、そこそこ楽しかったんだ。
だから、僕はあれから小説を書き始めたんだ。
アパートの裏の狭い駐輪スペースに、自転車を半ば無理やり押し込めて、自分の部屋に向かい、ドアを開ける。大抵、鍵はかけない。遠出でもしないかぎりは、基本的にいつでもだれでも、このドアは開けられるようになっている。だからと言って誰かが入ってくることを期待しているわけでもない。逆に誰も入ってこないことがわかっているから、安心して僕は鍵をかけずに出かけられる。
TATSUYAで借りたCDと自転車の鍵と財布と煙草とライターを布団の上に適当に投げ、やかんに水を淹れてコンロで湯を沸かす。
お湯が沸くまで、僕はノートパソコンの置いてある作業机の前に座って、煙草を喫う。半分ほど喫ったあたりで、それを灰皿に押し付けて火を消し、ストーブの電源を入れる。そしてまた煙草に火をつける。フィルター際まで喫い終わったら、ちょうどやかんが甲高い音を上げ始めたので、僕はインスタントコーヒーの粉を白いマグカップにちょっと多めに投入して、お湯を注ぐ。マドラーがないので、昨日貰い物のゼリーを食べたスプーンでかき混ぜる。スプーンを台所のシンクの中に置いてマグカップを持って作業机に戻る。
僕は猫舌なので、いい温度までコーヒーが冷めるまで、CDを聴くことにする。TATSUYAの袋を開けて、パッケージを取り出し、その中からCDをパキッと取り外してコンポの中に入れる。リーディングが終わるまで指で膝を叩いて待つ。君の好きだったテンポで膝を叩く。再生開始ボタンを押して、音楽が流れ始める。僕は目を閉じて耳を澄ます。何回も訊いたことあるのに、なぜか懐かしく感じるのは、多分君のせいってことにする。僕は大抵のことは君のせいにする。もう会えないってわかってるから、遠慮なく君のせいにする。
二つのスピーカーからは、まったくもって自分勝手な歌詞を歌った曲が流れている。目を開くと、半分だけ開けたカーテンからは強い日差しが部屋の中を照らしている。光の筋は未だ漂い続ける煙草の煙をやけにくっきりと浮かび上がらせる。
パソコンを起動して、執筆に使っているアプリケーションを立ち上げる。
書きかけのプロット。
書きかけの本編。
書き散らかした小説のネタ。
どこかで使えそうな台詞や、好きな作家や詩人の名言の引用。
それらを眺めてながら煙草を喫う。
書きかけのプロットは完成させる気が起きなかった。
書きかけの本編を完結させる気も起きなかった。
書き散らかした小説のネタは使えそうにもないようだった。
どこかで使えると思った台詞や、好きな作家や詩人の名言の引用は、見てるだけで満足してしまった。
新しく何かを書こう。
でも何を書こう。
妙な脱力感と倦怠感を感じている今は、あんまりなにもしたくないけれど、今は君のことを考えたくないから、小説を書くしかなかった。
自分勝手なビーツを聴きながら、今僕は何を思う?
次の受診日は三日後だから薬にも余裕がある。
もう寝てしまおうか。どうせ寝れないからやめよう。どうせ夢に君が出てくるんだからやめておこう。
コーヒーを啜りながら音楽を聴いてるだけではなにか物足りない。
コンポは中に入っているCDに収録された曲を全部流し終えて、またリーディングして、最初から再生された。
大抵アルバムの最初の曲は盛り上がる曲か、メッセージ性の強い曲と相場は決まっているものだが(僕の中では)、このアーティストに関しては、最初の曲は群を抜いて自分勝手な歌詞とメロディが特徴だ。
僕はもう一度目を閉じて耳を澄まし、煙草の煙を肺いっぱいになるまで吸い込み、時間を書けてゆっくりと吐き出した。
目を開けると、何かがスッキリと頭の中を通り過ぎていった。
僕はその何かの尻尾を捕まえようと手を伸ばすけれど、するりとそれは掌から抜け出ていった。
僕はそいつを追いかけようとする。
僕はキーボードに手を置いて、通り過ぎていった何かを追いかける。
新しく小説を書こう。
今までなんてどうでもいい。
これからの小説を書こう。
内容はどうしようか。
プロットはどうしようか。
何について書こうか。
何を伝えるために書こうか。
「どうでもいいじゃんか」
自分勝手な小説でいいじゃんか。
好きなこと書いて何が悪い。誰も悪くない。誰かが悪いとしても、それは僕じゃない。それがもし僕だったとしても、結局それは君のせいってことにする。
短くて、簡単にかけるものでいい。
何か書きたいんだったら、なんでもいいからとりあえず書けばいい。
その後に君のことを考えようと、それは僕の勝手だろ?
僕は僕のやりたいようにやるよ。
どうせ先は長くないことだし、どう生きたって構いやしないだろう?
君が僕をどう思おうと、どう思わなくとも、君の勝手なことと同じように。
知ってるかい?
君の好きだったアーティスト、あんまり人気ないらしいぜ。
自分勝手なビーツ
続きます。(多分)