気高き王のアレ的なやつ
真名板法丁は、南部小珠にどうしても伝えたいことがあった。
とはいえ、ひどく勇気のいることだ。ただでさえ自分はクラスでも目立たない地味な存在なのに、そんな自分が、クラスの女子を取り仕切っているような南部にソロで話しかけるなんて、これまでならたとえ天地がひっくり返ろうとないことだと思っていた。ぼくは今日、死ぬかもしれない――そんな大げさな不安さえ、この状況ではありえない話ではないと思えてくる。
正直なところ、真名板は女子と会話をしたことがほとんどない。自分と同じ、気の弱い男子が平民だとすれば、強気な男子は貴族や王族、女子は未知の怪物のように感じているのが実情だ。いつ襲われて、骨ごと食われてしまうかわかったものではない。だから自分は、常日頃から息を潜め、空気に溶け込んで気配を消して生きなければならない――もちろん冗談ではなく、本気でそう思っている。
そんな真名板が、怪物の長たる南部に声をかけようというのだ。自殺行為と見て問題なかろう。
あと数分で次の授業が始まる。早く言わなければ、早く伝えなければ、彼女が教室に着いてしまう。そうなると、自分にとってとてもひどいことになる。ひどくひどいことになる。それだけは防がなければならない。放置すれば死に至るであろう傷も、今ならぎりぎり生き残れるかもしれない。怪物の怒りが頂点になる前に、先手を打つのだ。立ち上がれ、平民よ。
階段に差し掛かる手前――最初のステップに気が向いている今こそが好機。こちらに向ける注意が分散するであろう今こそ、話しかける絶好のチャンスだ。
「あ、あの……」
人生で一番勇気を振り絞ったと自負するその声は、あまりにもか細く、彼女には届かなかったようだ。一段、二段と階段を上っていってしまう。初手は外したようだ。
ならば、と今度は全身の筋肉を使い、明日の筋肉痛を考えず、ありったけの声でもって話しかける。
「あの……! な、南部さんっ」
怪物の名を呼ぶ行為に、ひどく精神力を削られる。平民の自分が怪物の名を呼ぶことによって、もちろん自分が呼んだからだけれど、自分のアクションによって怪物がこちらに気がつき、その視界に自分が入ることがとても恐れ多く、申し訳ないような気持ちで、一気に胸がつかえてしまう。
あえて期待という言葉を使うけれど、真名板の期待どおり、怪物は、南部小珠は肩から首をめぐらせ、獲物をその視界に捉えた。身長は男子である真名板のほうが若干高いが、階段を数段上っている分、今は南部が真名板を見下ろしている形になる。
さあ、怪物は振り返った。獲物を見つけた。ここからが勝負だ。
「南部さん、その……」
「うっさい。気安く話しかけんな」
「はい」
――勝負は終わった。
瞬殺だった。為す術もなかった。手も足も出なかった。出そうとすることさえ許されなかった。
これが怪物の力か――がっくりと崩折れそうになる心と身体を、真名板は最後の勇気でもって堪え、その場に踏みとどまった。
まだだ。まだ自分は生きている。平民である自分が怪物の攻撃を受け、満身創痍ではあれど、まだ生を保っている。がんばれ、真名板法丁。負けるな、真名板法丁。自分の未来は、自分の手で切り拓け。
ふつふつと闘志が湧いてくる。最後の戦いだ。いくぞ――。
真名板には秘策があった。先ほどの南部の言葉の中に、攻略の糸口を見つけていた。
――気安く話しかけんな。
そう。彼女はたしかにそう言った。これこそが打開策のヒントだ。気安く話しかけるなということは、そうでなければ話しかけてもいいということだ。どんどん話しかけてくださいということだ。
では気安くない話し方とは何だろう――真名板は考え、そして唐突にひらめく。
『安い』の反対は『高い』だ。『高い』の反対には『安い』と『低い』があるが、『安い』の対義語としては『高い』しかない。これは間違いない。つまり、気安く話しかけるのではなく、気高く話しかければいいということだ。気高く、自分より数ランク上の男子たちのように、貴族や王族のように、平民を寄せ付けない誇り高き強さでもって、怪物と渡り合えばいいのだ。
見せてやるぞ。気高き王族の魂を。
「おい、小娘!」
階段を上りゆく南部に向かい、真名板はビッと人差し指を突きつける。その姿はまさに、どんな困難にも立ち向かい、国を守り通してきた国王のそれだった。
怪訝な表情を浮かべる南部に、そして王は告げたのだった。
「貴様、パンツが丸見えであるぞ!」
真名板の指す先には南部の腰。そこには、スカートがめくれ上がってあらわになった、ピンクの下着があった。
この場所には自分たち二人しかいない。ということは、これが教室でクラスメイトたちに指摘された場合、「真名板が後ろにいたけど何も言われなかった。きっとあいつ、じろじろ眺めてたんだよ。気持ち悪い。あいつはマジで最低な男だな」と噂が流れ、クラスでの自分の居場所がなくなってしまう。だからこそ、自分はそんな下衆なことはしませんよという意味も含め、早期に教えてやったのだ。今でなくてはいけなかったのだ。
ようやく……、ようやく怪物と対等に渡り合えた。その感動が、その達成感が、真名板の全身を包む。自分はやりきったのだ――。
そして、スカートを正しながらそんな真名板を睨めつけ、怪物、南部小珠はこう告げたのだった。
「死ね」
……さようなら、真名板法丁。たったひとりの国の、たったひとりの王様。
放心する国王を尻目に、きっと彼女は、教室に帰ってクラスメイトたちにこう言うだろう。
真名板にじろじろパンツ見られた。気持ち悪い。あいつはマジで最低な男だ、と。
気高き王のアレ的なやつ