ある暑い日
今日は稀に見る猛暑だった。先刻の夕立と相まって、むしむしとしたうっとおしい暑さが続いている。今夜も寝苦しい夜になるだろう。八王子志貴は自宅アパートにある壊れかけのエアコンに思いを馳せた。――今日はなんとしても家には帰りたくない。
ヴヴ、とズボンのポケットの中のケータイが震えた。
ナイスタイミングである。この時間帯のメールは、しごとの呼び出しかもしれない。さらば熱帯夜。おとなのおんなのひとのいえで尽くし尽くされるのが彼のしごとである。
ばこん。ガラケーを開くとずれたねじの部分からなんとも大仰な音が鳴った。
今ではすっかりと世間に浸透したメッセージアプリの通知メールが1件。どうせまた、人づてにアドレスを入手した名前も知らない誰かからの、垢にまみれたメッセージだろう。自分のアドレスが知らないところで取引されている現状に辟易としながらも、内容を確認する。
“From:Akira Rokudou”
なんと。差出人は、気位の高い猫のような想い人からであった。
“明日ちょっとだけ時間ある?付き合ってほしい場所があって。忙しかったら別にいいんだけど。”
彼女は本の虫なので、どうせまた本屋で散財するだろう。俺は荷物持ちというわけだ。まあ、今はそれでもいい。どんな形であれ必要とされること、そして自分を選んでくれることが嬉しかった。彼女は都合よく人を使いっぱしりにすることが多いが、その中にひとかけらの気遣いがあった。彼女は俺のしごとに勘づいている。俺の家が貧しいことや、家がただの『巣』でしかないことも。そういうのを踏まえて、俺の動向を気にしている。おそらく、心配している。
今日はアパートに帰ってもいい、急にそう思った。
木造二階建てのおんぼろアパート――狭くて汚くて、こっそりと猫を連れ込むことも多いので壁紙もところどころはがれていて、トイレの電気は切れたままのあの場所に。母は帰ってこないだろう。なんせ今夜は灼熱地獄なのだから。
明日会うとき、彼女はどんな顔でそこに立っているのだろうか。きっと、「今日はシキティーんちのにおいがするわ」とゆるく笑ってくれるのだろう。その安心したような、少しだけ嬉しそうな顔を見るたびに、心臓のあたりが縮む心地がする。セックスでは感じられないような癖になる痛みだった。らしくない鼻歌を歌いながら、家路をたどる。途中でコンビニによって、アイスでも買って帰ろう。
ある暑い日
高校生のころから書いているひとたちの一人です。