かなしい家族
絵を、描かされています。
人より少し絵が描けるのだからと、絵を描くことを強要されているのです。母に。
母は、ぼくを産んだ実の母ではありませんで、ぼくの兄を産んだ母ではありますが、ぼくを産んだ母はどこかに行ってしまって、生死は不明です。
かなしくはありません。
ぼくを産んだ母のことで覚えていることといえば、目が覚めるほどの真っ白なワンピースばかりを着ていたということだけでありますが、顔や声を思い出そうという気は、いまさら、さらさらありませんので、ええ、ぼくを産んだ母の話は早々に、やめとしましょう。
つまりは、ぼく自身が絵を描きたくて描いていること、ではなく、ぼくのことを意思を持たない人形か何かと思っている母に、絵を描かされていることが目下の、ぼくの悩みなのでありました。
ぼくは、きょうも、絵を描いています。
一時間前から、描き始めました。
人物画です。
モデルは、兄です。
母は兄のことが、大好きなのでした。溺愛しているのでした。目に入れても痛くないし、食べちゃいたいくらい可愛いし、一生閉じこめておきたいくらい愛している、のだそうでした。母は常々、そう言っており、兄はそれを聞いても、うれしいとも、迷惑とも、ありがたいとも、うざいとも、何とも感じていないような無表情で、まいにち、まいにち、母のつくった朝ごはんを食べて、お弁当を食べて、夜ごはんを食べるのでした。兄はすでに、いろんなものを失っているのでした。
失っている。
というよりも、母に吸い取られてしまった、といった方が正しいかもしれない。
母は、老けないのです。
いいえ、年老いている気配は目元のしわや、肉が削げて骨が浮き出てきた指、手の甲の血管、ロングスカートの裾から時折覗く足首の、筋張った感じから伝わってくるのですが、それにしたって同世代である友人の母親と立ち並んでみれば一目瞭然、母は明らかに老化速度が遅いのです。少女のように頬は赤らみ、染色したことがないという髪に白髪はまるで目立ちません。
母のそれが、兄のなにがしかを吸収し、摂りこんだ結果かは当然、確信も、証拠もありませんが、兄はといえば大学一年生にしては活気のない、鬱屈した雰囲気をまとい、母に言われるがままに、絵のモデルをやっている。
生きていることを苦痛だと思ったり、母のことを呪ってやりたいと思ったり、ぼくのことをぶん殴ってやりたいと思ったことはないのかと、兄にたずねたことがありますが、絵を描いているときの、母が席を外したものの一分程度のやりとりだったので、兄の本音を聞くことはできませんでした。それ以前に、ぼくの声などまったく耳に届いていないようで、兄は、照明しかない天井をじっと見つめ、椅子からぴくりとも動かなかったのです。
まさに人形でありました。
ぼく以上に、人形でありました。
あやつり人形だと、ぼくは思いました。思いながら、ぼくは、兄の絵を描いたのでした。
そのときに描いたのは兄の、右足のくるぶしでしたが、ぼくは右足のくるぶしよりも、左足のくるぶしの形の方が好きだなと思いました。
きょうは、胸から上の兄を描いています。
描き甲斐のある美しい顔でしょう、と、母はにたにた笑いました。気持ち悪いと思い、吐き気を催しましたが、なんとか堪えました。
兄の絵はインターネットで、母曰く、割と良い値で売れるのでした。
「いちばん高値がついたのは、腰から上の裸のやつよ。あれを買ったのはきっと、どこかの会社の変態社長ね」
と、母は嬉しそうに言っていました。
ぼくは、絵を描くことが、日に日に嫌いになっている。
母の目を盗んで鉛筆を真っ二つに折り、絵筆の毛をすべてむしり取り、キャンバスを叩き割り、大きな穴を開け、絵の具を燃やし尽くしたいと考えている。
兄はそういう衝動すらも、母に吸い取られてしまったようでした。
兄は相変わらずの無表情で、きょうは、部屋の隅の一点を、じいっと見つめています。
父親は三年前から、帰ってきていません。
かなしい家族