わたしとイエス様
いきさつ
名前の運勢が最悪の凶数だった。幼い頃から夢か現実か分からない状況にさせられることがあったが昨日もあった。生きているか生きていないかの状態にさせられる。ギターや読書や仕事など沢山頑張ってきたことがあるのに。正に人事を尽くしても天命が来なかった。正直者が馬鹿を見る世界で正直に生きたらとんだトバッチリばかり食らわされる。生きている期待を未来に向けても裏切られた。いつしか自信もなく、抜け殻になっていった。友達を信じたら裏切られた。許すことに徹した。悪いことばかり運は起こるんだ。努力しても無駄だった。小説を書いても何も起こりゃしない。その仕打ちの努力も方向性が違うと努力が実らないばかりでなく、自信も失った。運が悪く親にも友達にも言えない。人は冷たいし馬鹿にする、それがわたしを苦しめた。あのおとといの波が激しい調子が起こったらいったいいつになったらそういう病気から解放されるのかさえ思う。酷いあんまりだ、わたしの38年間の人生は?今まで苦しんだ代償は?慰謝料は?貰えなかった。酷い目にあっても無視をしこんな状況からでも女はわたしを嫌った。嫌い小手先の恋愛ばかりして、こころを汚すばかりの人が沢山いた。生きる希望とは?テンションが常に上がっている普通の人とは逆に気持ちが下がりまくり苦しんだ。そんな同情すらされてもお金をくれるわけでもなく、さらにわたしを罵るのだからもう、空いた口が塞がらないとは正にこのことだった。子供だと馬鹿にされ精神に障害があることを誰もが子供だという。内面や今までの辛さも見ず形でわたしを批判した。その批判がわたしの幻聴となってさらに悪霊がわたしを傷つける。身動きが取れない状況にいつもさらされる。それでも一歩を出してみる。そして、出したら出したで食らわされる。悪魔や悪霊は本当に悪い。運がいいことはもうこれ以上起こらないんだと自信を持てない。そりゃそうだ、いつも精神がすり減りそうな状況にさらされている人間にとって普通の人が簡単に一歩をだしそれを上手くやるに普通の人が、反対に一歩出す前に苦渋な思いをしてエネルギーを使って出したとたん、わたしに食らわすのだ。もはや、空いた口が塞がらない。悪いがそんなにわたしは悪いことをしているわけではない。一生懸命に生きていても結果はなにもかも辛さを与える周りの人もそうだが、悪霊もそうだ。人はいう。それでも期待し生きれと!だから生きている。38年間15歳から彼女について行動をとってきたが、わたしには運命の糸はないのかと待たされ続けている。周りが恋愛を楽しんでいるのに、わたしは楽しんでないので、もはや性欲もなくなり、異性との楽しみも忘れた。それによって恋愛も出来ないし結婚も子供も遠ざかる。運のいいことが本当に起こって欲しい。胸が張り裂けんばかりの異性との甘い思い出も経験したかった。いまさらもう無理だろう。わたしを親しく思う女性は現れるのか?わたしを見て、ざまあみろ!と女は言わんばかりだ。わたしはモテもしないし、ロクな異性と付き合ってない。待てば待つほど、切なさが募って恋愛から逃げたわけでもなくて、正直、女がわからなくなった。そして、女は酷い。幸せとはいったい何だろう?異性と巡り合って恋愛をし、結婚して子供が産まれ、年老いて死んでいくものだと思っていた。果たしてわたしの人生はそのような一般的な人生は歩めなかった。運命の人がいるわけでもなく、おいに愛情を注いで一人で子供を抱え込むことがとても辛くなった。二人で育てる子供をいきなりわたしは一人なもんで、一人で抱え込む習性がある。それが辛い。しかも病気で現実か夢か分からない状態に今でもさせられるのだからいったいわたしは何を思えばいいんだろうか?わたしは何か悪いことをしたのか?悪いことよりいいことをしていると思う。地獄に堕ちれだかとか悪魔か、なんての幻聴はもう必要がない。わたしはいいことをしてもいつも悪いことが起こった。努力をしても無駄なんだななんて思うようになって、しまいには病院の人からかわいそうな人と言われる始末。わたしは努力をしても無駄で結果が伴わず金銭的にもダメで親に頼り親といるときもわたしは結婚出来るか、親に結婚式を見てもらいたいと思う気持ちも今の現状では情けない。そんな風に人のために親のために尽くしても思っても無駄なんだなと余計に苦しめる精神に性欲も湧かず、人を悪くさせ、穢れ、慌てふためくソワソワした精神に幻聴があり一歩出したら食らわされるのだから人には言えない事情があるのは当然だろう!それでも死なずに生きているのだから凄いだろう。その精神しかない。わたしは精神面でつよく強い気持ちを持っている。その気持ちが分からない女性が多いし他人に冷たくする環境では半ば腹がたってしょうがなかった。
そんな悩みを抱えるわたしを救いに導いたのは親でもなく友達でもなく神様だった。わたしは神様だけを信じて生きてきた。わたしのこのような切なる思い受け取りいつにもなく信じてくれた神様が何よりも嬉しくありがたいと思った。絶対にイエス様は裏切らない。想像すら出来ない痛みで何故に十字架を持ってゴルゴダの丘を登る途中、イエス様の痛みを拭う母親に対して「あなたの子供を拭ってあげなさい」そのような慈愛の言葉が出たのか!十字架を背負い苦しみに喘ぎながら死ぬ直前まで「人類は間違っている。人類を許したまえ」と最後の最後まで裏切らなかったのか、むしろ完璧な慈愛の中で恨むこともせず人類を許し愛した愛とはすさまじいものがあっただろう。イエス様の行いで神の子が初めて神と共に眠った。
ときが過ぎる中でわたしに起こる精神的な苦痛なおかげでわたしも次のように思うようになった。「わたしの人生は名前の通り最悪だろう、しかし死んだら本当に神と共に眠る」と!
わたしとイエス様
慈愛