純潔宣言
なぜ34歳の森嶋確志は純潔の上にさらに純潔を保つことを宣言したのか。精神病で崩壊した森嶋の人生の記録
「あと1km/hだ! あと1km/hでレベル7なのに!」
BMW Z3で最高速アタックした確志は叫んだ。もうストレートが終わりコーナーに差し掛かり、全速力を出してもスピードは落ちてしまう。それにコーナーでの全速力は、危険だ。「ミッション、コンプリート。ディセント(減速)!」と確志は勢い良く叫び、アクセルを離した。センターコンソールのスピードメーターはMax.219km/hと記録されていた。
いつも確実に正確なGPS計測ができるiPhoneスピードメーターは、この車のアクセル全開からさらに奥にあるキックダウンスイッチを思い切り蹴落とすと、狂ったように数値が上がるが、180km/hから穏やかになり、200km/hからはごくなだらかな上昇になる。そして、どんなに全開加速しても、どれほどのテクニックを使っても、ほとんど必ず219km/hで止まってしまう。
219km/hを記録するのはすでに12回目だった。218km/h、217km/h、216km/hはもはや数えきれない。それに200km/h以上を記録するのはごく毎日の事だったので、レベル3である200km/hは完全に意味を成さなくなっていた。
確志の車はオープンカーだった。雨をしのぐための形ばかりの幌と骨組み、すなわち布切れの厚いものが頭の上に付いているだけなので、この車で転覆横転したら文字通り首がなくなってしまうことは明らかだった。まして200km/hを超えて衝突したら、転覆横転しなくても100%命が無くなることは当然のことだと確志はもちろん知っていた。
首都高湾岸線へ続くずっと手前、京葉道路の上り線、市原ICから蘇我ICまでの、ほんとうに真っ直ぐな直線12km。深夜1時半に通りかかるのは、いつも確志の車ただ一台だった。
ここでレベル7を達成するために、何度最高速アタックをしただろう。
なんでまた命を懸けて最高速アタックをするのだろう。
自分でもわからない。
*
森嶋確志には初恋というものが思い当たらない。
初恋の定義は、普通なら初めての男女間の特別なというか普通な関係、英語で平たく言えば「stay one night」とか「make love」ということになるだろうが、確志にはそれが全く思い当たらない。
初恋の定義を少し変えて、心からその人と共に生涯を過ごしたいと思い、その思いを生涯絶対に守り通すと決めた人、というのなら、思い当たる。東元花梨である。
その初恋があまりにも衝撃的な結末だったので、確志は34歳になってもなおまだ世間一般でいうところの初恋を経験していないのであった。
*
その初恋の人、東元花梨とは、新卒で入社した会社で同期として出会った。新卒採用が80人もいるという大企業で、研修室が3つに分かれていて、別々の研修室だが、出会った。
私は1浪1留で大学院まで出ているので26歳で、大卒ストレートの新卒で入ってくる22歳からは完全に浮いてしまっていた。さらに私は人見知りしがちなタイプで、あまり良く話せない。全員集合して受ける研修は、仲良い人が集まり出して、私のようなちっぽけな人間はいつも長机に1人ぼっちだ。
そこにいつだったか、花梨が突然来て「おはようございます。ここ空いていますか?」と挨拶をして座った。それからずっと。
もうその頃から花梨は私のことを気にしてくれていた。そしてそれは私にも、ちゃんとわかっていた。
花梨の友達に上村稲子という子がいる。稲子もこの会社の新卒の同期で、花梨と稲子はとても仲が良い。ただ私は、隣に座ってくれる花梨より、稲子の方に興味が向いてしまった。そして稲子に唐突にラブレターを出した。研修室の稲子のロッカーに、そっと差し込んだのだ。
ところが翌日、期待していた稲子ではなく花梨に唐突に呼び止められ、白い無地の封筒をそっと差し出された時は、ひょっとして花梨から私にラブレター?と人生初めての出来事にびっくりしたが、花梨に「森嶋さん、これ稲子宛のですよね。私のロッカーに間違えて入ってしまったんだと思います。お返しします。」と言われた時には、その内容を思い出し、私は1秒と待たずにトマトのように真っ赤に赤面してしまった。
*
花梨は明らかに、私に、しっとりした好意を持ってくれていた。しかし私は稲子に舞い上がっていて、事もあろうに花梨の私への好意を使って稲子にアプローチできないかと、ずるいことを考えた。
まず、花梨に「東本さん。ちょっと相談したいことがあるんだけど、業後にカフェでも行きませんか。」と言って花梨を期待させた。花梨は自分への相談事=私からの好感度アップと思って必ずついてくることを、私は知っていた。
そして小一時間ほど雑談をした後に、花梨に向かって「私は稲子がどうしても好きで、告白したいので友人として力を貸して欲しいんだ。」と言った。そして私がどれほど稲子のことを思っているか、すごい勢いで花梨に力説した。
花梨は自分への告白ではなく友人の稲子に心底惚れてしまったという私の話を聞いて気落ちしてしまったが、花梨が立場上、私に協力せざるを得ないことは容易に私にも想像がついた。本当に私は狡賢い。花梨に頭を下げて無理にお願いし、ついに稲子と待ち合わせを仲介してもらった。ある夏の日の業後、JR品川駅の時計台の下に、稲子を一人で来させてくれるよう花梨を言いくるめた。しかし初恋と定義するにはあまりにも儚い状態で、たったデート1回で、私は稲子に振られてしまった。
稲子とのファーストデートで、かつ最後のデートは、JR品川駅港南口のインターシティの中にある、ロムレットというオムライス屋さんに行った。2人で何ともぎこちなくオムライスを食べた。稲子の将来の夢を聞いたりして、なんとなくな雰囲気に持っていった。デート経験がほとんどなくてもそのくらいできるというものだ。
私は稲子にとある疑念、というか確信を持っていた。それを稲子に確認するのが、このデートの真の目的だった。それをガードが固い稲子が普通に答えてくれるはずはないので、私からこう言った。
「僕って、女性とお付き合いしたこと無いんだ。だから今日みたいな女性と2人で食事というのも、初めてかもしれない。」
稲子はびっくりして、しかしある意味で私の予想通りピッタリの答えを返した。
「私も、異性と2人きりで一緒に食事をするなんて、無いかもしれません。」
そうだと思っていたのだ。天使だったのだ。私もそうだから、そのお互いの天使性の確認だけで充分だ。私は本当に幸せな気分になった。同志を見つけたのだ。
私たちはロムレットを後にして品川駅までの1kmの道のりを、お互いに一定の距離を保ちながら、歩いた。純潔そのものの距離感を保って。
JR品川駅の人混みから天使をかばうように、水色の京浜東北線ホームの入口の階段まで付き添った。そして、
「今日は楽しかったよ。機会があれば、また会いたいな。」
と言った時に、稲子の表情が変わった。蔑みのような、哀れみのような、泣き出す前のような、忍び笑いのような、そんなよくわからない、あるいは全部混ぜたような表情だった。
「森嶋さんと今後一切そういうことはありません。友達となることもお断りします。」
ショックだった。ファーストデートで、いきなり振られた。
私も、天使であることを確認したばかりの稲子に、しかも今まで1000回位これは恋かもしれないと自問して1000回ともそうだろうと結論づけた私の思いがあるのに、ここで稲子に友達付き合いすら拒絶されたら、一生後悔することになると思い、私は必死に粘った。
3時間くらい押し問答になった。
しかし普通に考えて、稲子は、もう会いませんので近づいて来ないで下さいさようなら、と言って逃げてしまえる状態なのに、私と3時間も押し問答している稲子もよほど滑稽で正直だ。よく聞くと、稲子としては私に未練を持ってもらわないように、この場で、きれいさっぱり、私を振りたいのだという。
稲子はどこまで真面目なんだろう。
あまりに長時間、同じ場所で話を続けているので、駅員さんが5回も様子を見に来たが、やましいことをしているわけではないので、捕まらなかった。
そんな外野のことより、稲子にここで絶交宣言をされることのほうが痛かった。
「稲子、友達でいてよ。」
「いや、それも絶対ないです。」
「いや、僕の中では稲子は友達だから。たとえ稲子からどう思われていても。」
「それも嫌です。友達付き合いも一切お断りします。連絡もしてこないでください。あなたは花梨さんをどれだけ傷つけたかわかっているんですか。自分のしたことの残酷さを理解していますか。」
痛かった。稲子は花梨を心からの親友だと思っており、花梨の私への好意を利用して騙して稲子への仲を取り持たせた私が憎いのだ。そしてその残酷さは、私はよくわかっていたので反論の余地が一切なかった。
最後はもう強引に、
「稲子は何と言われようと友達だから!」
と一方的に友達宣言して、横須賀線の終電に向かってダッシュした。終電に乗って7秒後にドアが閉まった。いやいや、私も私で粘り過ぎだよ、と動き出した終電の中でつぶやいて、でも稲子のことは無理にでも忘れたほうがいいな、それが彼女の心からの意志だから、と思った。
「友達付き合いも一切お断りします、か。」
声に出して反芻してみた。彼女を心から思うのならば、稲子の意思を尊重するべきだろう。本当に稲子を思っているのなら。本当に稲子を思っているから、稲子から離れなくてはいけないのか。稲子のために。
涙がぽろぽろ出た。失恋はあるが、面と向かって振られた経験は、この時が初めてだったのだ。
しかし、花梨のほうが心で泣いていたのかもしれない。
*
そのようなわけで、稲子は私の初恋の人にはならなかった。花梨が私の初恋の人になったのだ。
花梨とは仲良くなった。週1で休日に待ち合わせてJR川崎駅近くのカフェに行き、いろいろ話をするようになった。気づくと、11時のオープンから22時のクローズまで、カフェで花梨と話をしているのだ。
花梨のしっとりした好意は心地よかったし、私自身にも花梨への友情というか愛情というか、なにか大切なものが心の奥底から芽生え始めてきた。
花梨はいわゆる顔立ちが整った可愛い容姿ではく、24歳で身長は163cm。おしゃれもあまりしない地味系の女性であったが、心はなんと綺麗なのだろうと思った。
花梨とこんな会話になったときは心底驚いた。
「森嶋さんは、上村さんにアプローチされましたけれど、今まで何人くらいの女性とお付き合いされてきたりしたんですか?」
「うん、お付き合いの定義にもよるけど・・・正式に男女交際を宣言してお付き合いしたことって、実は無いんだ。何というか、片思い以上って、無いんだよね。」
「えぇ!そうなんですか!?実は私も男性とお付き合いしたことはないんです。」
花梨も、天使だったのだ。
花梨は鳥取県米子市出身。立命館大法学部卒、立命館大学法科大学院修了。立命館大学は関西の早慶上智と言われる有名大学だ。大学時代は弓道部の女流主将で、全国大会日本一を目指して必死に毎日、弓を射ていたという。的を射ることにあまりに熱中して、男の人のハートは射抜いたことがないという。なんと可愛らしい。
おじいちゃんが警察官で、家系が公務員家系だったこともあり、将来は国家公務員1種、いわゆるキャリア官僚を目指したという。弟3人と姉である自分1人という大家族で育ったため、そのような社会的弱者を国の施策として支援したく、厚生労働省のキャリア官僚を目指そうと高校生の時に決意したそうだ。その達成のために立命館大学法学部を選び、法学の勉強に明け暮れ、その上毎日主将としてチームを率いて弓を射て全国大会を目指し、さらに大学院に進学して勉強したという。
花梨は、真剣にこの国の制度を国家公務員としての立場から良くし、社会の皆が幸せに生きる手助けをするために、キャリア官僚になりたいと心から思っていたという。だから花梨は心もまっすぐ成長させた。
それを聞いた私は、これ程正直で、将来の目標にブレがなく、常にまっすぐ生きてきた花梨の人生に共感し、その強さと真面目さと優しさに思わず涙が出そうになったことを覚えている。
花梨は、国家公務員1種の1次試験、すなわち筆記試験に合格した。そして、2次試験、すなわち面接試験で、たぶん本当に僅差で、落ちた。
花梨ほど真っ直ぐな人を国家公務員試験に落とした試験官を、名前も顔も知らないし会ったこともないが、私は心から恨んでいる。花梨の人生を狂わせたから。
しかし、花梨は、私が入った大手のIT企業に、どうしても公共に携わる仕事がしたいといって、入ってきた。花梨は国家公務員になる夢に挫折して打ちのめされたが、それで夢を完全に諦めるような軟弱な人間ではなかった。この企業は厚生労働省をはじめとして、官公庁のシステムも数多く作ってきたのだった。
そして、私も、憚りながら同じく公務員を目指してやはり挫折し、しかし公共系の仕事に強い未練と情熱があった。花梨と私は、この大手IT企業に、公務員から弾かれた者として拾われるように入ったのだった。
*
花梨と、お互いの過去や未来を、その夢を、カフェでではあるが、何日も何晩も一緒に語り明かすうち、私たちの間に何か強くシンクロするような感覚を感じるようになった。そして私は、花梨の真っ直ぐでやさしく、人のために役に立ちたいという純粋で強く、そして男性とお付き合いもしたことの無いという真っ直ぐできれいな心に強く動かされ、花梨の私への思いが、私の心にまるで染み入るように徐々にゆっくり入り始めた。そして、しっとりとした花梨からの好意が私の心を満たし、膨らみ、私も花梨をいつの間にか思っているのだった。
私は花梨への思い、この純情純粋な女性を私が心から愛せること、ただその幸せだけで私の心はどんどん満たされた。もう風船のように。気球のように。どんどん私が浮いていく。花梨という高く青く清く天井のない空に向かって。
私は週1、2回の花梨とのカフェがどんどん待ち遠しくなり、待ちきれなくなり、日常の業務もままならなくなってしまった。私の頭はいつも仕事より花梨のことでいっぱいだった。花梨との待ち合わせの日はもうその待ち合わせ時間まで我慢できずに、待ち合わせのカフェに2時間も早く着いてしまう有様だった。花梨を待たせたりしないように、花梨が早く来たら一分一秒でも長く話せるように。
*
私はマイカーを持っていて、しょっちゅう旅に出る人間だ。私が新人研修の時に「週末は秋田に車で行ってきたんですよ。先週末は岐阜の下呂温泉。あんまりいい温泉ではなかったなぁ。」などと旅話をすると、大抵の人には信じてもらえなかった。事実として、マイカー持ちの私は1日1000kmを移動する能力があったが、そんな移動を普通に車でしたことのない新人同期には、事実だと思ってもらえなかった。花梨もそうであったに違いない。
ある時、カフェで、花梨は私にこんなことを言った。
「森嶋さん、御朱印帳って、知っています? 私、こう見えて神社ガールなんですよ。全国の神社やお寺でもらえる、御朱印というのを、集めているんです。森嶋さんも、旅先で、貰ってきてもらえませんか?たいてい大きい神社やお寺に行けばもらえますから、旅のついでとかにちょっと寄っていただくだけです。1回300円程度ですし。」
「へぇ、神社ガールなの。意外だね。花梨の今までの御朱印というのも、見せてもらえたりする?」
花梨は顔色がすっと変わり、「いや、実は最近始めた趣味なんですよ。大学は京都でしたが、まだ御朱印に目覚めていなかったんです。でも、日本全国回って、いろいろな御朱印集めたいなぁ。森嶋さんが集めてくれる御朱印を見るの、とても楽しみにしていますよ。」とうまく切り返された。そして「私、どうしても広島県の厳島神社の御朱印、ほしいんですよね。もし行かれた時は、ぜひ貰ってきてくださいね。」と話した。
花梨の危惧は、何となく分かった。私があまりにもいろいろなところを旅している話が、出鱈目かもしれないので本当か確認したい、ということだ。しかも、写真はネットで手に入るし合成も簡単なため、御朱印帳で記録として見せてほしい、というのだろう。
そんなことを言われた私は、花梨にまで疑われていたのかと思い、少しカチンと来てしまった。そして、その翌週、ゴールデンウィークだったのだが、年休を上手に使って9連休にしてしまった。さらに、こともあろうか9連休で日本縦断の旅を思いついて決行した。花梨をびっくり仰天させるために。
まず、東京から福岡まで車で24時間かけて走り抜いた。これをやるのは相当しんどい。そこで車中泊。翌日、日本の文明が始まって以来初めて中国に日本が国家として認められた証である金印が発見された志賀島を一周して、太宰府天満宮へ。御朱印GET。そこで出会った人の家に3泊の民泊。帰りに、花梨が欲しがっていた広島県の厳島神社に寄り、御朱印GET。さらに、帰りがけの駄賃に、三重県の伊勢神宮に寄って御朱印GET。翌週にカフェで花梨に見せたら、花梨の目が点になって、「森嶋さん、本当に厳島神社に行ってきたんですか?しかも太宰府天満宮と、伊勢神宮にも行ってきたんですか?本当ですか?」と完全に驚いていた。
正直、花梨を驚かすためなら何でも出来た。花梨を驚かせたくて、東京から九州への車の旅を決行したのだった。結局もう花梨が好きでたまらず、花梨のことを考えればどこにでも行くことが出来た。花梨はその私の行動力を御朱印で確認して完全にびっくりしていて、その驚く顔を見る私は満面の笑みだった。その呆気にとられた花梨の驚く顔が、すこぶる可愛かった。
花梨の、私が口八丁しているかの確認のために御朱印を求めた戦略も実に見事だ。御朱印には、日付が和暦で書かれるし、神舎仏閣固有のスタンプが押されるので、偽造のしようがない。だから御朱印は、パスポートの旅券欄のようにその人がいつどこに行ったかを雄弁に語れる。それも相手に、あなたの嘘を疑っていますと意識させずにだ。
そして厳島神社の御朱印がほしいと花梨が言っていたのは、おそらく花梨が過去に厳島神社に行ったことがあり、自分の御朱印と私が貰ってきた御朱印のスタンプの陰影を指紋認証のように比較できるからなのだ。花梨のその図抜けた戦略性にも私は全く脱帽した。
そして私が「今回のゴールデンウィークは、時間の関係で島根県の出雲大社には寄れなかったんだよね。」と話したところ、「出雲大社って、出会いの神様って言われていて、私の出身の鳥取県のすぐ隣なんですよ。いつか一緒に行きたいですね。」と言われた。私は花梨が私のことをそこまで思ってくれているのだと思い、とてもとても嬉しい気分になってしまった。そして花梨は「私、結婚式を挙げる時は神前にしたいんです。いつか、出雲大社で式を挙げられたらいいなぁ、って思っています。」と言った。私は、その相手は自分なのかなと想像して、こんな話までしてくれる花梨は、私のことを、そこまで考えてくれているのかもしれないと思い、そう思うと嬉しくて嬉しくて、幸せで幸せで、寝られなくなってしまうほどだった。
*
私は花梨を何度もデートに誘った。何としても花梨を、世間一般でいうところの初恋にしたかった。心から好きだった。私の純潔は花梨に捧げるべきだと信じた。下心を抜きにしても、花梨と、もっと親しくなり、もっと心から思い、もっと一緒にいたかった。ほんの少しの時間でも、花梨と一緒にいたかった。
「私、マイカーもあるし、日帰りのドライブに行こうよ。遠くだったら、岩手県の花巻温泉郷の大沢温泉とか。とっても雰囲気があっていい所だよ。近場だったら茨城県の霞ケ浦の玉造町とかどうかな。風車がきれいで、霞ケ浦にかかる橋は車で走ると本当に気持ちいいよ。」
「すいません、本当に他意は無いんですけど、私、車に酔うんです。」
そう来るか。花梨も防御力最高レベルだ。
「じゃあ電車で行こうよ。伊豆の修善寺とか、電車でも行けるし、いい所だよ。お寺の前に茶店があって、そこの抹茶と和菓子がとてもおいしいんだ。」車で何度も行っているから、事実だった。修善寺の御朱印も花梨に見せたこともある。
「あの、実は電車も長時間乗ると酔ってしまうんです。」
すごい防御力だ。車も電車もダメでは絶対にデートは無理じゃないか。
花梨は自身の純潔を守るのに必死になっていることが分かり、それはそれで可愛らしく愛すべき所作なのだが、デート無しは正直きつい。
確かに花梨とはほぼ毎週カフェで会って一日中話をしているが、花梨のガードが固すぎて、茶飲み友達から一向に前に進まなかった。でもきっとそんなものだろう。やはり、女子の初めてとなれば、1年や2年の緩やかな交際関係が必要なのだと、私も巷の情報から何となく知っていた。私は全然それでも良かった。花梨を心から好きで、1年やそこらで花梨への思いが冷めることは想定できなかった。花梨もしっとりとした好意をずっと私に示していてくれていたし、私も花梨と心が通い合える、その喜びだけで、何の肉体関係もなく、私は花梨を心から愛した。
純愛。お互いに純潔な私と花梨に実にふさわしい、本当にきれいな心の交流。花梨とそういう仲でいられること。そのことが、私はとてもうれしかった。
*
ある日、いつものカフェで花梨と話していたところ、花梨が、最近テレビで晩婚化の話が話題になっていますけど、という前ふりの後、話を振ってきた。
「森嶋さんは、結婚するとしたら何歳くらいで結婚したいですか。」
「そうだねぇ、35歳くらいかな。」
「どうして35歳なんですか?」
「今、私は26歳じゃない。35歳くらいになれば、自分の収入も安定してきて、家を建てたり、結婚資金の面で余裕が出てくると思うんだ。人生設計が立てられるというのかな。30代前半はまだ正直適齢ではないと思うんだ。収入も低いし、社会的地位も安定しないし。やはり7、8年は継続して働いて、安定してきてから結婚するのが王道だと思うよ。だから私の場合の適齢期は、35歳くらいじゃないかなぁ。」
花梨はほっぺたが引っ込んでしまって、がっかりしてしまったことは明白だった。
「私は、女性の結婚適齢期は、若ければ若いほどいいと思うんです。」
「そうなの?何で?」
「女性は子供を産んだり育てたりしなくてはいけないじゃないですか。そのためには子育ての時間もありますし、年齢が上がると子供を産むのが難しくなるんです。なので、女性の適齢期は、20歳を過ぎたらすぐ、私のように就職した場合は就職してから2、3年後だと思います。」
「というと、大学院卒の花梨は24だから、26歳くらい?」
「ええ。そのくらいがいいかなぁって。」
「そうなんだ。でもちょっと早すぎるんじゃない?世間一般には今どきは20代後半か30歳くらいが女性の適齢期って言われているじゃない。それに結婚を焦るとよくないんじゃないかなぁ。」
花梨は少々考え込んで、顔を少し赤くしながら聞いてきた。
「森嶋さん、もし結婚するとしたら、子供は何人くらいほしいですか?」
「えぇ?そうだねぇ、一人っ子というのもかわいそうだし、2人くらいかな。」
「私、実は弟3人の姉の私が1人で4人兄弟なんです。」
「そうなの?知らなかった。」
「たくさん兄弟がいるって、楽しいんですよ。子供の人数って、幸せの数だと思います。なので、私は早く結婚して、子供がほしいんです。」
「そういう考え方もあるのね。うちは2人兄弟だったけど、確かに子供が多いと楽しいかもね。」
「ですよね。だから私は元気に子供が産めるうちに早く結婚したいんです。森嶋さんは、35歳くらいがいいんですかぁ。そうすると、カテイの話ですけど」
「家庭の話!」
私は完全に目が白黒になってしまった。まだお互いに純潔なのに結婚や子作りの話をしていることは非常に滑稽でそれだけでもびっくり仰天だったが、その上、家庭の話!
私は展開が早すぎてついていけていなかった。
「えっと・・・花梨は私と家庭の話、つまり私と、未来の家族を作る話、家庭を作る話を、しているの?」
花梨は真っ赤になりながら訂正をしたが、本質はあまり変わらなかった。
「いえ。カリの話、仮定の話のことです。すいません。誤解させてしまって。それで、仮の話ですけど、森嶋さんの適齢期が35歳だと、もしですよ、もし私が森嶋さんと、ということになると、私は32歳になってしまっていて、子供を産むのが大変になってしまいます。最初の子供は20歳台前半で産むのが良いと言われています。32歳だと、私はもう高齢出産の領域になってしまって、とても怖いと思うんですよ。それに女性が子供を産めるのは35歳までと言われています。そうすると、子供は一人か、よくて二人になってしまいますよね。私はやっぱり子供は多いほうが幸せだと思うんですよ。」
「そうか。そういうのもあるかもしれないよね。そうすると結婚ってやっぱり早いほうがいいのかな。」
「そう思うんです。私、もし30歳になってしまったら、どんなに良い方とそれまでお付き合いしていても、結婚できないようでしたらすぐに別の人を選んでしまいますね。」
「ずいぶんドライだね。」
「ええ、でも女性にとって子供を産むって、表現は上手くないかもしれませんが、本当に重いことなんですよ。だから私は、20代で、遅くとも30歳までには子供を産みたいんです。だから、私は出来れば早く結婚したいんですけど、私ならもし結婚を遅らせたとしても、30歳が限界ですね。30歳を超えてしまったら、本当にいい人がいても、すぐに結婚してくれる他の男性を探してしまいます。」
花梨は意外と現実主義だ。その上、純潔なのに早く結婚を決めたいと、まだ24歳の身で焦っている。そんな花梨の一面を知って、私は花梨と結婚することになる可能性を、現実のものとして、考えざるを得なかった。
花梨に、適齢期を過ぎたからと言われて、逃げられたくはなかった。しかしどうしても、すぐ結婚というのは、まだ26歳の私にとっては現実感が無いというか、遠い将来の話のような気もするのだった。
しかし、花梨が結婚や将来のことについて、私に真剣に話したということは、花梨も私のことを結婚の対象として見てくれているとしか思えず、そう思うと私は幸せな気分になり、なんとなく私は将来、花梨と結婚するのだろうか、と考えるようになった。
*
ある日、花梨とカフェで話していたら終電間際になってしまった。カフェの営業時間はとっくに終わってしまっていたが、私たちはJR川崎駅の連絡通路で長い間立ち話をしていたのだ。お互い離れたくなくて。でも2人とも終電まで時間が無かった。私が
「ごめん、終電で帰るからまた今度。」
と言うと、花梨は
「森嶋さん・・・あの、終電で帰らずに、私の家に来てほしいんです。」
と言った。そして、顔を赤くしながら、言い澱んで、そっと、
「その…今晩、泊まっていってください。」
と言うのだった。
この場合の意味は、誤解なく、ただ一つだった。
正直、私は今までそのようなことをしたことがなかった。花梨もそれをしたことがなかった。花梨が決断してくれたことが心より嬉しくて、嬉しさのあまり、ふたりとも笑顔で一杯になり、思わず手を取り合った。
ところがその時、私はあらぬことを急に思い出してしまった。私はアルコール依存症の親を持つ機能不全家庭で育った。幼少期に虐待経験を持つ。このような人は子を虐待する可能性は高い。愛する花梨の子を虐待なんて。そのリスクをまだ花梨に話していなかった。
*
私は警察関係で公務員の横棟舞利子と、機械工をしている森嶋偽男の間に生まれた。
私の誕生は、完全な事故だった。
舞利子は歯科医の卵とお付き合いをしており、その人生はすべて順風満帆だった。その遊び仲間の1人に偽男がいた。偽男は車を持っており、みんなでスキーに行くときのアッシー君だった。そのアッシー君が舞利子を突然襲い、もはやどちらの子かわからない形で、舞利子を妊娠させた。
舞利子は、お腹の子がどちらの子か、迷いに迷ったらしい。しかし日時的には偽男の可能性のほうが高く、舞利子の両親からの「そんな機械工の子供は堕ろせ」といった批判に晒されながら、舞利子、すなわち私の母親はそれでも出来てしまった子供を生むことに決めたらしい。
出産の3ヶ月前に、入籍。結婚式も挙げられなかった。
そして私が誕生したが、母親は私が実は歯医者の子だったということになると厄介なので、赤ちゃんの血液検査を拒否し、その子が育っても決して血液検査をさせなかった。なので私は28歳でこっそり検査するまで自分の血液型を知らなかった。
私は、偽男にとっては実の子か判らないまま、舞利子にとっては人生を捻じ曲げられた存在として、生まれて来ないほうが良かった子どもと恨まれながら、育てられた。
いや、育てられたは正確ではない。虐待され、それでもただ体だけ大きくなった。
私は、物心ついた頃には、非常にぼろい、築40年の今にも崩壊しそうな木造の借家で、生活していた。事実、地震のたびに一部崩壊しては修理を繰り返した。
偽男の機械工の収入は少なく、舞利子も高卒の公務員であったために給料はすごく少なかった。
加えて、私のすぐ後に、妹が生まれた。1歳1ヶ月しか違わない。産褥期を考えると、これも、もはや完全な事故としか考えられなかった。
このボロ屋は、隙間風がびゅうびゅう吹き、夏は暑く冬は寒く、蜘蛛やゴキブリが信じられないくらいたくさんいた。毎日、ゴキブリとの格闘だった。1日3回の敵襲は普通で、1日11回が記録だった。コックローチは1日で使い切ってしまうこともあり、お金もかかるため、専用のスリッパを用意してあった。
電気やガスや水道は、本当に頻繁に止まった。ガスが止まったので今日は水風呂だね、という時もよくあった。食料も乏しく、食パンを夕食に食べたり、良い日でもスーパーで半額の腐りかけて臭う鯵や鮭の干物ばかりだった。小学1年生になるまで、家に電話も無かった。
舞利子は私によく言った。「お前は近くのドブ川にかかる橋の下で拾ってきたんだ。うちの子ではない。黙って言うことを聞かなければ、いつでも捨ててやれるんだ。」
当時4歳の私は、子どもながらにそうなのかと思っていた。だから保育所に入った時、周囲の子どもが、皆、両親から産まれてきたと言っているのを聞いて、本当に羨ましいと思った。私は川に捨てられていたゴミ同然の人間で、いつでも親に捨てられるような子どもなのだから。
舞利子はよく私を虐待した。得意技は平手打ち、決め台詞は「警察学校のほうが厳しいんだ。手加減してやっているんだ。感謝しろ。」であった。
この平手打ちのため私はよく鼓膜が破れて、中耳炎という名目で耳鼻科に連れて行かれた。炎症が無いのに鼓膜が破れている私を、お医者さんは毎回いつも不思議そうに診察していた。
ゴミ屋敷同然のボロ家だったため、布団や毛布のダニがものすごく、体じゅうに発疹ができ、アレルギー性の喘息で苦しんだ。しかし、ゼーゼーとひどい呼吸音がしていても、どれだけ苦しくても、お金が無いから病院に行けないという。
本当に呼吸困難で意識がなくなることも何度もあった。倒れてしまうと、両親は仕方なく病院に連れて行く。それでも薬は貰わない。薬は高くて、喘息の薬3日分で家族全員の2週間分の食費が無くなってしまうからだ。
応急処置で意識が戻った後に、よく舞利子に「薬と家族みんなのご飯とどっちがほしいんだ。」と聞かれた。「家族のご飯」と私が言うと、褒められた。そしてお医者さんに「そんなに辛くないです。お薬は嫌いです。」というのが私に課せられた任務だった。うっかり、「苦しいです。お薬ください。」とか言おうものなら、家に帰って50発のビンタと2日間の食事抜きだった。
偽男も舞利子に劣らず虐待をした。舞利子は素面で虐待するが、偽男は酔っ払って虐待する癖があった。酒癖が非常に悪いのだ。得意技は高い高いからの床への叩きつけ、決め台詞は「お前のせいで父さんは働かされているんだ。俺のためにお前も働け。出来ないなら死ね。」だった。
偽男は戦争で父親を亡くし、貧しい祖母1人の手で育てられた。そのため父親像が全く無く、戦前の家父長制度のような家が普通だと信じていた。
家にはいつも偽男用に4Lの樽のようなビールが2個常備してあった。偽男の酒量は舞利子が調整していたが、適度な飲まし加減に舞利子は苦労していたようだ。
偽男は飲み足りないと外で飲んでくるため、酒量が限度を越える。
偽男が飲みに出かけたり、夜遅くまで帰って来なかったりした場合は、舞利子が私と妹に、寝たふりをするよう指示した。
うっかり起きていると、全く何の理由も原因も無く因縁をつけて絡まれ、蹴飛ばされ、投げ飛ばされる。寝ているふりをすると、凄い力でつねられたり、バケツに水を入れ布団にぶち撒かれたりするが、舞利子が止めに入る時間稼ぎにはなる。
荒れている時はむしろすぐに飲ませて酔い潰すほうが早いようだった。だが偽男の方が一枚上手だったかもしれない。飲めない時は子どもを虐待して酒を要求できることに気付いていたのだから。
偽男は私が5歳になる頃に、務めていた製作所が潰れて無職になった。酒に入り浸り、昼間から飲むようになった。
職を探すよう言う舞利子に「失業保険があるから月1回職安に行けば働かなくてもいいんだ。半年は金が出るんだから、仕事がなくても困らないだろ。失業保険金は俺が取りに行く。」と言って、その失業保険金で、昼間から酒浸った。
舞利子は警察関係の仕事のため、昼間の偽男は管理できない。偽男はそれを良いことに昼間から酔っ払い、「お前も父さんと一緒に酒を飲め。親の言うことも聞けないのか!」と言って子どもに酒を飲ませようとしたり、止め処無く子供に暴力を振るった。無職のアル中の偽男は、手の施しようがなく、危険だった。
舞利子は、偽男の酒癖を治すため、無理繰りローンを組んで、車を買った。ホンダのシビックシャトルという車だった。酒を飲むと車は運転できないから、車を運転したければ酒を飲まないようにしなさい、と舞利子は偽男に言った。偽男は喜んで車を乗り回すようになった。その分だけ、家庭は、多少安定した。しかし、さらに金は、無くなった。
両親による虐待とそのアル中による機能不全家庭は、私が小学校に入ると複雑になった。
体が痣だらけの子どもは、学校の教室では目立つ。偽男も舞利子も、私が遊んでいて転んだりぶつけたことにしろと厳命した。しかし、体のあちこちに出来、大きくてなかなか良くならない痣は誰がどう見ても不自然だった。子どもながらに、先生に聞かれた時は「いつなったか、よくわからない。」が一番無難な答えであることを学んだ。
そして、給食費が一番の難関だった。給食費は毎月学校に、封筒にお金を入れて持って行かないといけないが、そのお金が家に無いのだ。
母親に給食費がほしいと言っても「小学校は義務教育でお金は要りませんと言いなさい。」と言われ、機嫌の良い時は「なんとかごまかして、給料日まで伸ばしてもらいなさい。」という。
私だけ給食費を持って来ないことを、担任の先生はクラス全員の前で、ひどくなじった。「クラスで給食費を忘れた人がいます、立ちなさい!」と何度もやられた。
そういう時は私は気を利かせて「家に忘れました。」とか「学校に来る途中で落としました。」とか、「お母さんに給食費の封筒を渡すのを忘れました。」とか言うのだが、担任の先生は「家に取りに帰りなさい。2時間目には戻ってくるのよ。」とか、「通学路を探してきなさい。お金は大事なんです。」とか、「給食費の封筒をお父さんお母さんに渡していないなんて何事ですか。そんな子は学校で勉強する資格はありません!」とか、まるで見当外れで子どもの力では解決できないことを言われ、本当に困った。
ある日、給食費を3ヶ月も持ってきていないことに、ついに担任の先生は切れて、「給食費を持ってこないなら、学校に来る資格はありません!明日給食費を忘れたら、もう2度と学校に来ないでください!」と言われた。
案の定、舞利子にそれを伝えても給食費は無いと言われた。
翌朝、舞利子が仕事に行く時、必死にしがみついて「学校へ行けないから給食費を出して下さい。」と懇願したところ、ランドセルを家の外に投げ捨てられ、私も家の外に蹴り出されて、私の腹を数発殴って身動きが取れないようにしてから「帰ってきたらビンタ百発だ!」と怒鳴って家の鍵をかけて仕事に行ってしまった。
私は学校にも行けず、玄関の前でただ泣いていた。一日中、泣いていた。
空がオレンジ色になる頃、担任の先生が私を家まで探しに来て、事情を察したのか、給食費を持ってこなくても学校に来ていいことになった。しかし、そのことは連絡帳に書かれ、連絡帳を持って帰った夜は、ビンタを200発された。
偽男と舞利子が一番恐れていたのは家庭訪問だった。体の痣や給食費の問題の真実が曝露される恐れがあるためだ。事実、嘘はいつか破綻するものだ。
家庭訪問の前の日は、舞利子は20発数えてビンタをした後に、「嘘はつくな、いいな!」と言う。そして、「給食費はなぜ払えないんだ。」と私に問う。
私は、「お金が無いからです。」と言う。バチン。10発。
「嘘つき。嘘をついたから殴られたんだ。違うだろ、お前がお母さんに給食費をお願いするのを忘れたんだろう?違うのか?」と舞利子は言う。
私は、「お母さんに給食費はお願いしました。お金が無いからからです。」と言うと、バチン。20発。
「嘘ってのはなぁ、お母さんが言っていることと違うことを言うことだぁ。こう言ってみろ。「『私が給食費をお母さんにお願いするのを忘れました。』だろ!」舞利子は言う。
仕方なく私は、「私が給食費をお母さんにお願いするのを忘れました。」という。バチン。2発。
「今のはさっき嘘をついたからだ。覚えておけ、お母さんの言ったとおりに家庭訪問で話すんだぞ。嘘をついたらビンタ100発じゃ済まないぞ。」と舞利子が言って、私は開放される。
家庭訪問当日は、偽男には車で出かけてもらう。車があると金があると思われるからだそうだ。車は近くの空き地に停めておくことになっていた。その場所も、いつも決まっていた。そして家庭訪問が終わると、舞利子と車まで歩いて行き、家庭訪問の私の受け答えの出来により、それに応じた外食に行くのだった。
家庭訪問の時、もちろん両親の虐待やアル中や車のことは話してはいけない。給食費も私が母親にお願いすることを忘れたためということにする。しかし、先生も執拗に食い下がる。舞利子に事前に仕込まれた話から2段、3段、踏み込んだ話になることもあり、言い間違えると、その夜は容赦なかった。
後日、車は担任の先生に見つかってしまった。近所の他の家庭を訪問した帰りに通った時に、新車がボロ屋の前に止まっているのを見つけたのだという。
でも担任の先生は、私に学校に来ないでください、とはもう言わなかった。
しかし給食費の催促は容赦なくなってきたので、舞利子は担任の先生に、ローンでお金がありませんと言うよう私への指示を変えた。しかし小学校の先生は納得してくれなかった。
私は偽男に「ローンって何のこと?」と聞いたところ、「お金の代わりだよ。」と言う。
そこで私は担任の先生に、「給食費はお金の代わりにローンで払えますか?」と聞いたところ、先生はびっくりしてしまって、「もう給食費は払える時だけでいいの。先生が悪かったわ。ごめんなさい。本当にごめんなさい。」と言って、ともかく事情は察してくれたようだった。
3回目の家庭訪問でついに化けの皮が剥がれてしまい、しかしそれはほんの一部の事実だけだったが、とにかく児童相談所の人が家や学校に来るようになった。
児童相談所の人はみんな若く、黒いスーツを着ているからひと目で分かる。
「嘘はつかなくていいよ、何でも聞いてあげるから。本当のことを話してごらん。」
と優しく、何度も言われた。私は混乱して、
「嘘ってよくわからない。うちのお母さんは、嘘をつくっていうのは、お母さんの言っていることと違うことを言うことだって。だから、本当のことを話しても、嘘になるから、どう話していいかわからない。」というところから話して、ひととおり家庭のおかしいところを、児童相談所の若い職員に話してしまった。
児童相談所の人は、頻繁に家や学校に来てくれるようになった。時に通学路で見守っていてくれることもある。
私は数が300まで数えられるようになった。児童相談所の人が、ビンタの数を数えて教えてほしいからと言って、300までの数え方を教えてくれたからだ。ビンタも、その数を正確に報告することになった。しかし、300を超えるビンタの数も普通になっていて、計測不能の日も多かった。風呂で冷水を何十分も浴びせたり溺れさせる水責めも、この頃から始まった。
ある日、風呂のお湯の中に顔をつけられて水責めにされた時、思い切り何度もバスタブの壁を蹴って、もがいた。すると、玄関に来客があり、水責めは緊急中止となった。その来客は児童相談所の人で、私を気遣って夜に張り込みをしてくれており、風呂場は道路側にあるため虐待時の音が聞こえて玄関に駆けつけてくれたのだった。
その後も、児童相談所の人は、毎日ではないけれど張り込みをしてくれて、家から異音がしたときは駆けつけてくれた。
両親は虐待が出来なくなった。その代わり、食事抜きが常套手段になっていった。
私は見る間に痩せこけてしまい、小学校の健康診断で栄養失調と診断された。その痕跡は34歳になった今も私の体にある。子供の頃の栄養失調により骨格が歪んで生じる漏斗胸という肋骨の形成異常が私の体に残っている。
児童相談所の介入と虐待の発覚で、両親は大問題になった。
舞利子は警察関係者ということもあって、児童相談所の介入は信用問題に関わり、緊急事態だった。そこで、偽男と舞利子は、どこで何を調べたのか、魔法の言葉を言うようになった。「この子は、知恵遅れなんです。」
この魔法の言葉、知恵遅れは、児童相談所の人にはとても有効なようだった。すぐに効果が現れ、撤退の兆しを見せたのだ。両親は喜んだ。
しかし、小学校の担任の先生が、授業の成績も悪くないので知恵遅れの可能性は無いこと、車のローンで給食費を払えないことを誤魔化すために私をビンタで虐待したことなどの実例を上げて異論を唱え、ついに児童相談所と学校との共同要請と言う形で、私に知恵遅れかどうかの脳波検査を大病院で受けるように両親に指示した。費用は国が全額補助するという条件まで出して。両親は5ヶ月間もそれを渋っていたようだった。
私はある日、予告なしに今まで行ったことのない非常に大きな病院に連れて行かれ、知らないおじいさん先生から、たくさんの質問や、学校の授業では習わないようなたくさんの問題を解答するよう言われた。そして、とても甘くて粉っぽい液体をコップ1杯飲むよう指示された。飲んだあと急に眠くなって意識が無くなってしまった。この時に脳波を測ったらしい。目が覚めると、私はベットに横になっていて、頭にたくさんの電極が付いていた。
後日、私は知恵遅れではないとの診断書が両親や関係者一同に届いた。
両親は激怒し、私を虐待した。
「こいつは知恵遅れじゃないから、いくら虐待してもいいんだ。俺たちに迷惑をかけた罰だ。」
どんどん全身に痣ができ泣き叫び風呂に溺れる様子を見て、両親は2人してとても楽しそうだった。げらげら笑いながら。何時間も、何日も、何晩も。何回も。何十回も。何百回も。
児童相談所の人が、学校で私に言うようになった。「お父さんお母さんと離れて暮らすのは、どうかな。住む場所は変わるけど、同じようなお友達もたくさんいるよ。」つまり、児童保護施設への収容の検討だ。そういう段階に来ていた。
両親とは数ヶ月に1度しか会えなくなるが衣食住をはじめ給食費なども全部出してくれること、お金はかからないこと、生活環境がずっと良くなると思われることなどを何度も丁寧に説明してくれ、私の意思を確認してくれたが、私はいつもこう答えた。
「私がいなくなると、妹へお父さんお母さんからの虐待が始まります。私がやられることで、うまく妹への虐待を減らしているんです。妹を残して行くことは、出来ません。」
それは私の心からの本心だった。
しかしこの私の妹への過保護が、妹を気違いにしてしまう要因になることは、当時の私には、まったく判るはずもなかった。
*
花梨が私に自分の家に泊まってほしいと言っている、つまり私に純潔を貰ってほしいという急展開で、私も飛び上がるほど嬉しいのだが、しかしその前に花梨に伝えるべき事実を伝えなくてはならない。
私の過去を。
私は両親からの虐待により幼少期を破壊された。このような被虐待経験のある私は普通に親になり子育てできるのだろうか。
それは非常に大きな、解答のない、しかし重大な設問だった。
その問題はたった今解けるわけではないし、少なくともパートナーになる可能性のある人にはそのリスクは共有されてしかるべきだと思った。誰だって子供を虐待する可能性のある人を生涯のパートナーにはしたくないはずである。自分がそうならないとの自信は、どこにもなかった。
ましてや私が花梨に、私が生まれた経緯のような事故を負わせて、その結果花梨がいきなり母親に、私がいきなり父親になるという事態は、正直極めて怖かった。
それに、花梨の両親にもまだご挨拶していないのに、花梨と今晩すぐにそうなっては、まったく申し訳がないではないか。
他にも花梨には話すべき共有すべきことがたくさんあった。心から愛していることについて。一緒に生涯を共にしたいと思っていることについて。
だから、まず契りを交わし、両親にもご挨拶をしてから、ちゃんとエンゲージリングも渡して、そして一緒になりたかった。
花梨が望めば、結婚式場の祭壇に向かうその道を、まさに文字通りの状態で歩かせてあげたいという気持ちが、私にはあった。
まさか今日、花梨に言われるままに突然に花梨の純潔を汚し奪い去ることは、花梨の尊厳を深く傷つけると思った。
本当に心から大切な花梨。
今無理には、出来ない。
だから、私はたった今、2人で手を取りあって喜び合った花梨に
「本当に嬉しいんだけど、でも、もう少し、ゆっくり時間がほしいんだ。」
と正直に言ってしまった。
花梨は食い下がった。
「どうしても今日、一緒にいて欲しいんです。森嶋さんと一緒にいたいんです。」
私は、そういうことは、どうしても今すぐはしてはいけないような気がして、しかし花梨の一緒にいて欲しいには応えてあげるべく必死に妥協点を探った。
「じゃあ、今晩は一晩中、語り明かそう。いろいろ話そうよ。」
と私は言う。つまり、一緒にいるが、寝ない、ということだ。
花梨は、
「いや。眠くなっちゃう。私と寝てください。」
と言う。花梨もけっこうストレートだ。とても乙女とは思えない。そして本気だ。どうしよう。
「わかった。じゃあ、私は床で寝るから、毛布とか枕みたいなの、貸してよ。花梨はベットに寝ればいいよ。それならいいよ。」
「そんな。森嶋さんを床に寝かせるなんて出来ません。ちゃんとベットで寝て下さい。」もう懇願、というか涙声だ。
私はたまらず聞く。
「花梨の家のベットって、2人用なの?そんなに大きいの?」
「そんな。ダブルベットなんて持っているわけないです。1人用です。でも2人で寝られます。大丈夫です。」
私は、我慢できず、思っていることを、ついに全部言ってしまった。
「そんな!男女2人が同じベットで寝たらどうなるか、花梨だってわかるでしょ!それはまだ早いよ。ダメだよ!」
花梨は驚愕と絶望を綯い交ぜにしたような表情で、顔がぐちゃぐちゃになってきている。「私は、そんなにダメなんですか?森嶋さんにとっては、ダメなんですか?」声が震えている。涙が一筋、頬を流れた。
私は急いで付け足した。
「花梨がダメとかじゃないんだ。僕も本当に花梨を心から思っている。本当に。だから、まだ早いと思うんだ。花梨のご両親にもご挨拶していないし。最低限それはしないといけないでしょ。」
「じゃあ森嶋さん、今日森嶋さんのご両親に会いに行ってもいいですか?」
私はその切り返しにびっくりした。
「えぇ?いいけど、もう終電で帰ってこれないよ。それにもう寝ちゃっていると思うし、いきなり実家に泊めるわけにもいかないし、後日改めてにしようよ。2、3ヶ月以内には紹介するから。別にそこまで急がなくても。」
「ほら森嶋さんだって。ご両親へのご挨拶なんて、後でいいんですよ。2、3ヶ月後に私も森嶋さんに自分の両親に会っていただくようセッティングしますから。」
花梨も口が立つな、と思った。
「それに明日は月曜じゃない。私、私服だし、セキュリティカード無いし、それに花梨だって、そういう後って体調とかあるだろうし、出社できないよ。」
「年休取ればいいです。」
花梨の即答は強烈だ。
長い沈黙。
「…花梨が本気なのはわかった。よくわかった。その気持は受け取るよ。意味もわかった。でも、いきなり今日は、ダメだよ。もう少し心の準備を、させてよ。本当に、心から、花梨が好きだから、大切で純粋な花梨をそんなに急に傷つけたくないんだ。なんというか、大切すぎて。本当に、大切なんだ。花梨が、心から、大切なんだ。」
沈黙。花梨はうつむいている。髪で顔が隠れて表情は伺えない。
「わかりました。いつならいいですか。」
「少なくとも花梨のご両親にご挨拶してから。それから少し話しておきたいことがある。」
「両親に会っていただいたら、いいんですね。」
間。
「え?う、うん。い、いよ。」完全に困って裏返った私の声が駅の連絡通路に響く。
再び、長い沈黙。
突然、花梨は走り出した。小さな水滴が5、6個宙を舞う。
いけない!私はその挙動の意味を悟って急いで追いかけた。
「花梨!待って!」
花梨は体育会系だから足は早い。あっという間に20mも差をつけられ、花梨は終電に走り込んでしまった。
よかった。飛び込み自殺ではなかった。
しかし花梨に逃げられてしまったら私の人生終わりだ。大好きな花梨。もう、どうしてもなら今日一緒になっても良い。もう、それしかない。
私もあらん限りのスピードで花梨を追いかけて電車に飛び乗ろうとしたが、私の目の前で南武線のドアが勢い良く閉まった。私は全速力のままドアに顔を激突させてしまい、星が10個ぐらい飛び散り鼻血を出しながらホームに倒れた。
ゆるゆる立ちがり、ドアを思い切り何度も叩いたが車掌さんは開けてくれなかった。
花梨は電車の床に体を伏せて泣き崩れてしまっていた。
電車は動き出した。
花梨とは音信不通になった。
*
花梨は3ヶ月もすると、またカフェで会ってくれるようになった。特殊事情が発生したからだ。
私に大きな異変が発生していた。
職場で、先輩社員が私に嫌がらせをしようとする。それがひどくなり、うつ状態へと移行した。
別の部署の花梨の耳にそれが届いたのは、私と同じ部署の稲子からの第一報だったらしい。花梨の行動は早かった。数日後には花梨がセッティングする形でカフェに2人で向かい合っていた。私は、花梨にありのままを話した。
*
事の発端は、会社から客先出向していた私を含む3人チームがうまくいかないことだった。
5期上に谷田部という先輩社員がいた。申し訳ないが私のほうがデータベースやプログラム周りに詳しかった。
お客様から緊急の呼び出しがかかった折、谷田部さんに相談したが、「お前1人で出来るでしょ。行って来い。」と言われて、私1人でお客様のところに駆けつけて対処した。
しかし社の規定では、2人以上で行動しなければいけないことになっている。谷田部さんはそれを知っていて私を1人で行かせたのだった。
そして谷田部さんは、大先輩のチームリーダーに言った。「あいつが勝手に相談無しで1人で行ったんですよ。責任を取らせるべきです。」
私は嫌になった。理由もチームリーダーに正確に述べた。しかし社則を破ったことになるので始末書だった。
谷田部さんは、それだけに留まらず、現場内に危険な新人がいる、と方方に吹聴して回った。そして親会社との人脈を使って、親会社経由で圧力をかけてきた。「あの新人、プロジェクトから外したほうがいいですよ。危険です。」と。
部長呼び出しが度々かかった。現場がうまくいっていないらしいという噂を耳にしたのでヒヤリングしているという体裁だったが、結局、私をどうするかで親会社と揉めている、という話だった。
勘弁して欲しかった。
四面楚歌。孤立無援。同じ会社の人間が、外圧を使って疎ましい私を排除しようとする。
そんな人間関係とストレスにより、夜全く眠れなくなり、朝から眠くてしょうがなくなった。
1日3時間寝られればいいほうで、大抵1時間半。
一度寝てしまうと大抵朝が極めてつらかった。辛うじて起きて着替えはするが、その間の意識や記憶は無く、家を出る。目を瞑って10秒20秒歩いては、おっと寝てしまった、と進路修正して、また歩きながら寝てしまう。
電車の中で座って、ぐっすり寝てしまい、記憶も消し飛んでいて、隣の人に小突かれて目を覚まし、ここはどこだ?となって、なんとなく自分が朝起きたあと着替えて職場に向かっていることに気付く。
仕事中に眠すぎて15:00頃まで仕事にならない。
そして次の日の夜、全く眠れない。
そんなことが1か月も続き、もうダメだと思い、心療内科にかかった。麻薬及向精神薬取締法で取り締まられる向精神薬のお世話になることになった。診断はうつ病だった。
しかし、妙なことに、親会社の人たちが騒ぎ始めたのだ。あの新人、すなわち私は統合失調症だと。
うつ病と統合失調症は大きく異なる精神疾患だ。うつ病は気分の落ち込みが見られる病気で、ごくまれに自殺もするが、たいてい持ち直し、予後は良い。統合失調症は気分の落ち込みの他、誇大妄想、血統妄想、被害妄想、関連妄想などの奇異な行動が見られ、予後が悪い。よく、頭に電波が入ってくるとかいう人がいるが、それが統合失調症だ。精神疾患の中でも統合失調症は重篤で、一生涯、治らないと言われている。発症すると法的責任能力が無くなり、すなわちお金も借りられなくなり、無条件で離婚が成立するというくらい、重篤である。
そして気分が落ち込んでいる私が、統合失調症だと、親会社の人は部長に伝えたらしい。
つまり、ひどい気違いは現場に出さないで下さい、と。
私は客先出向を外され、本社待機となった。
*
「魔女には注意したほうがいいですよ。」
川岸さんが私に言った。川岸さんは本社勤務の1期上の先輩社員で、しかし年は私より6歳も下だ。そして高等専門学校卒なのにひどく頭が良い。
魔女とは、会社お抱えの産業医の事だった。60歳近いだろう、ひどく痩せていて、眼にすごく大きな隈があり、アイシャドウがどぎつく、見るに耐えない。ものすごく間延びした話し方をする、薄気味悪い女性だった。
魔女とはピッタリのあだ名だ。
「部長さんからお話は聞いております」非常に間延びして、切れ目が全く無いフラットな口調で言う。声も魔女みたいな感じだ。底意地悪いというより、掴みどころがなく、こちらから話しかける間もない。
「あなたは統合失調症と思われますので私の知っている精神科の先生に診察してもらってくださいさい、これは社命です」
もう通院している病院があり、うつ病と診断されているのに、お抱え産業医はわざわざ息のかかった精神科を受診しろと社命で指示をする。
どうもおかしい。
しかし社命なので逆らえない。
仕方なく指示のあった精神科に行く。するとそこでの診断は、統合失調症なのだ。
私はその恐ろしさに戦慄した。
しかも自費で診察を受けたのに、会社に自動で診断書が送られていた。裏契約があるとしか思えない。会社に都合のいい診断書を手に入れるために、会社はこれを狙ってやったのか。さらに戦慄が走る。
会社は私が統合失調症なら無条件で解雇が出来る。診断書が会社に渡った以上、私の人生は会社に掴まれたも同然だった。
私の主治医は、その事態を私から聞くと、必死に抵抗した。会社に出すようにと言って、うつ病の診断書を発行してくれた。すると魔女は、「主治医の先生は信用できません、私が医療機関を探しますのでそこにかかってください、その時は会社からの紹介状と診断書も持って行って下さい、その先生からの診断書を持って来て会社に提出して下さい、主治医変更は社命です」とのたまわった。
つまり、会社に都合の良い統合失調症の診断書が下りる主治医が見つかるまで、永遠に私は社命で主治医を変えなくてはならない。どう考えても、会社に騙されているとしか思えない。
思い切って、「会社として統合失調書の診断書がどうしてそんなに欲しいんですか。次々に病院を社命で変えさせて、うつ病の診断をさせないようにするのは、おかしくないですか。診断を捏造するつもりですか。」とその方針に反論したところ、「そのような周囲から嵌められている感が被害妄想そのもので、統合失調症の典型的な症状です、あなたは典型的な統合失調症です、すぐに治療が必要です」と魔女は平気で言うのであった。
*
花梨は私の話をすべて聞き、「信じられない、それおかしいですよ、絶対。」と言った。
そして私の焦燥ぶりに、というよりもはや萎れてこの会社では生きていけないのではないかという悲観ぶりに、心を痛めてしまったらしい。
「森嶋さんはそんなひどい病気じゃありません。私もできる限り支えますから、頑張ってください。」と花梨は言った。
もちろん花梨は精神科医ではないので、精神病の診断はできないのだが、花梨のその言葉は私の生きる勇気となった。
*
「森嶋さん、この仕事に向いていないんじゃないでしょうか。」
人事部長から突然呼び出しを受けたのは、その3ヶ月後の事だった。
ある晴れた夏の昼下がりに、クーラーが効きすぎて寒い部屋で、私はその寒さではない震えで肩を震わせていた。
「親会社から変な人事部長が来たんで注意した方がいいですよ。」例の賢い川岸さんが2週間前にそんな情報を私にくれた。川岸さんは労働組合の書記をやっているので人事情報に詳しい。「その人事部長、首切り人事部長、って噂されていますよ。」
その通りだった。
この仕事に向いていないんじゃないでしょうか、は平たく言えば会社辞めて転職して下さい、ということなのだ。それを初対面で平然と述べる人事部長に腹が立った。
私は「この社のために頑張っています。この仕事が向いてないとは思いません。」と反論した。
すると、首切り人事部長はさもそれが楽しいかのように、
「じゃあ、それをご自身の手で証明して下さい。」という。
「出来なかった時は、ご自身の手で、どうするかわかっていますね。会社としても、考えざるを得ませんね。」と付け加えた。反論の隙を全く与えず即座に、同席した課長と事前に摺り合わせていたらしい内容を私に伝えた。
「3000ページの仕様書のレビューを2週間でやって下さい。残業は一切許しません。1人でやって下さい。」
耳を疑った。3000ページ。2週間。できっこない。
「3000ページの仕様書がどれほどの分量かわかっているんですか!出来るはずないじゃありませんか!」私はさすがに怒った。
人事部長はさらに大きい声で
「あなたは証明する立場です。抗議する立場じゃない。これは会社の要求なんだ!有無は言わせない!出来ないのだったら能力がないのだから会社をお辞め下さい!」と凄んだ。ようやく意味が飲み込めた。首切りの手法の一つ、達成不能なノルマを与えるやつだ。
私は完全に首切りコースに乗せられたのだ。そう確信した。
気が狂うような2週間の後、なんと3000ページのレビューは奇跡的に終わり、不具合を134箇所発見した。誤字脱字レベルの不具合から、書いてある仕様の間違いといった致命的なものまで含まれていた。
あまりの数の多さに、仕様書の作成を担当した15年目のベテラン社員から、「もう不具合上げないでもらえますか。ちょっと手加減して下さいよ。」と泣き落としが入るほどだった。
首切り人事部長も、さすがにぐうの音も出ないだろうと思っていたところ、呼び出しがあった。
「森嶋さん、あなた3000ページのレビューがちゃんと出来なかったようですね。」
私は耳を疑った。3000ページをちゃんと終わらせて、134箇所の不具合に全て付箋を付けて、一覧表に書いて、課長に渡してある。
課長が言った。「3000ページのレビューで不具合が134箇所見つかるのは普通で、むしろ少ないです。300箇所から600箇所位見つけないと。取り残しがあるはずです。」
資料は、私がレビューをする前に他の人2人がレビューをして不具合をすべて取り除いてあると聞いていた。つまり不具合は0箇所のはずの資料から、134箇所の不具合を私は見つけた。功績大ではないか。それに対してこの言い草はおかしい。
それを論理だって説明した後、「では、そこまで言うのでしたら、残り発見できるはずの166箇所の指摘をあなたがされてはどうですか。」と人事部長に切り返した。
人事部長は嘲笑し、「私は技術系じゃないのでそんなこと知ったことではないですが。技術系の課長さんがおっしゃるのだから、あなたが目標を達成できなかったことは事実なんですよ。わかりますか。あなたは、できなかった。理解できますね。理解できないのなら、会社をお辞め下さい。」とのたまわった。
そもそも人事部長は、3000ページのレビューを私にやらせて、出来ないと踏んでいたが、私が出来てしまった。そこで、目標をすり替えて、レビューは出来たが不具合の件数が足りないので能力が無いことが証明された、というわけだ。
なんとひどい攻め方だろう。
人事部長はこう続けた。
「会社はあなたに機会を与え、能力を証明してもらおうとしたが、あなたは目標に達成することは出来ませんでした。つまり能力不足です。また課長さんのおっしゃる目標数字に反論したことは、指揮命令違反で、懲戒処分の対象です。おわかりですね。あとは、ご自身で決断するか、会社で判断するかという違いだけですね。少し考えるところもあるでしょうから、時間を与えましょう。また2週間後に呼び出しますので、その時までに全員が納得できる結論をお持ち下さい!」
首切り人事部長は冷酷という言葉がピッタリの口調でそう言い放ち、席を蹴るように立った。
*
暗い。夏なのにひんやりしている。心地よい。真昼のはずなのに暗闇で何も見えない。ただ下の方に、ほんの2mmほどの隙間から細く弱い光が漏れている。音もなく静かだ。静寂。誰も来ない、秘密の場所。
私は、隠れ家にいた。
この隠れ家は偶然発見したものだった。
本社の非常階段の最上階の上に、扉が1つある。その扉を開けると、畳2畳くらいの狭い空間がある。中に入って扉を閉めると、真っ暗で静寂な、小さな隠れ家になる。
勤務時間中、蝕められ、苦しめられると、私はそっと席を抜け出し、ここに来る。そして隠れ家の静寂と暗闇と冷気の中で、ただぼんやり、座っている。
2週間ほど前に、隠れ家にロープを持ち込んだ。6mmのクレモナロープ、4mだ。クレモナロープは、船の係留に使われる非常に強いロープで、鉄鋼の2倍の引張強度があると言われている。6mmだと、縛っていても200kgの負荷に耐えられる。充分だ。
いつでも死ねるという感覚は、この会社から首が確定していて、もはや人生が終わったも同然の状況下においては、少なくとも精神的平和のためには必要だった。自分の意志で、いつでもすぐに、楽になれる。苦しまなくていい。これ以上会社に苦しめられなくてもいい。そう考えるだけで、多少は持つというものだ。
しかし、ここ数日は、もうロープを手に持って感覚を確かめるだけでは満足できずに、もやい結びで首に結んで、反対側も結んで、ドアの取手にかけて座った状態で体重をかけてみる。少し苦しい。ただし実行はしない。実行する時は、隠れ家のドアを開けたところにある非常階段の手すりにロープを結び付けて、階段の内側に飛び降りるようにすれば、簡単にすべて終わることも知っていた。
でも、実行しようか悩んで、こうやって予行演習している時に、それももう3度目なのだが、ふと、花梨の顔が浮かんでしまうのだ。
花梨は、私が死んだら、泣くだろうか。お葬式とか、来てくれるだろうか。お墓にも毎年、来てくれたりするんだろうか。花梨は、何年くらいお墓に来てくれたら、私のことを忘れられるだろうか。10年くらいかな。10年も、花梨に、そんなことさせてしまうのかな。そう思うと、涙が溢れるように出てきてしまう。
そういえば、私は生まれてこのかた、口づけもしたことがないではないか。せめて花梨と口づけくらいしてから、死にたいな。
それに、私も純潔で何も知らないまま死ぬよりは、花梨と一度くらい一緒になってから死にたいな。
でも本当は、花梨がずっと一緒にいてくれるのなら、死ぬより一緒に生きるほうがいいような気がする。
よし、とにかく、花梨に会おう。それまでは実行は延期だ。
そう決めると、涙をワイシャツの袖で拭って、ロープをきれいに畳んで隠し、隠れ家を後にした。
*
花梨は衝撃のあまり口がきけないようだった。角砂糖を10個放り込めそうなくらい、口が開けっ放しになっている。
いつもの花梨のお気に入りのこの明るいカフェで、完全に暗い話をするのは気が引けたが、花梨が場所をここに指定してしまったから仕方がなかった。
私が正直に現在の状況と、そしてロープの話も述べると、花梨は凍りついたように固まってしまって、口をぽかんと開けたまま、こちらを見ている。
私も生気のない目でまっすぐ花梨を見ていると、1分くらいそうしていただろうか、やがて花梨は静かに、左右に視点を交差させながら目線を下ろし、うなだれてしまった。私の様子から、本当のことを言っているのだと悟ったらしい。
花梨は、声を震わせながら、「森嶋さん、お願いですから死なないで下さい。私がなんとかしますから、お願いですから死なないで下さい。」と言った。
「ロープは私が処分します。森嶋さんが死んだら、私は悲しいです。耐えられません。大切な人に死なれたら、耐えられません。お願いですから、森嶋さん、生きて下さい。私が支えますから。助けますから。」
その日、その後花梨と何を話したか、いつ、どのように帰ったのか、覚えていない。
辛い出来事をショックで覚えていないことの反対で、感動のあまり出来事をすべて忘れてしまうこともあることを、知った。
翌日、隠れ家に行くと、既にロープは無くなっていた。
花梨は、私を自殺の危機から救った。
その日以来、私の感情はジェットコースターのように昇ったり落ちたりした。
片や、会社を首になり無職で野垂れ死ぬ絶望とそれを防ぐための自殺。
片や、命を救ってくれた花梨との愛と幸せな未来。
完全におかしな相反する組み合わせが、1時間毎に、いや30分毎に交互に頭をよぎり、ひどく私を不安定にさせた。
しかし、花梨ともし出会わなかったら、私は絶対に最初の方、つまり自死になっていたことは間違いない。だから、花梨が私を救ってくれたのだ。花梨が私を生かしてくれたのだ。
そう思うと、花梨がどうしようもないほど眩しく、強く明るく、もう太陽のように、もう天使のように、もう神様のように、この世で一番素晴らしいものに思えてきて、もう花梨が私のことを思っていてくれていることは疑いようがなく、もう私が花梨を愛していることも疑いようがなく、私は心から嬉しく、花梨がもう心から愛おしく、心から花梨を信じて、心から花梨を思い、心から花梨を愛した。花梨のために、生きたい。花梨と共に、生きたい。きっと生きていける。
花梨との未来こそが信じられる私の希望だった。
花梨との未来の設計図を描くことが私にとって最高のひとときだった。
そのような花梨への愛が、徐々に、だが確実に、自死への暗い願望を、全く見えないほど遠くに追いやっていった。
死にそうなほど追い詰められていたのに、死にそうなほど明るくなった私は、周囲から驚かれた。
そして、私がさっさと会社を辞めるだろうと高を括っていた人事部長の思惑を覆し、私は会社に居座った。
*
今日も花梨とカフェで会う。今日は花梨に、私の愛を、告白するつもりだ。
つまり、花梨がもう心から好きでどうしようもないことを、生涯を一緒に共にしたいと決意したことを、伝えたい。
ただその前に、私が花梨を愛してしまった時のリスク、これを包み隠さず正直にすべて花梨に話そうと決心した。つまり、花梨と結婚する前に共有すべきことを、過去も未来も全部明らかにする。それでも、花梨が納得してくれるなら、生涯を共にしたい私の心からの思いを、伝えるつもりだった。
花梨は午後2時の待ち合わせの時間より41分も早くカフェに来た。私を見てびっくりしている。
「森嶋さん、いつから待っていたんですか?」
私はしらを切って、
「ほんの5、6分前に着いたところだよ。花梨も早いじゃない。」
と言って誤魔化す。実は4時間前に開店前にすでに並んでいた。待ちきれなくて。
花梨はいつものカプチーノを頼む。この店のカプチーノは美味い。店員さんがコーヒーカップを手に持ってきたところで、私も冷めてしまったカプチーノのカップを、さも温かいかのように手に持ち、花梨に言う。
「僕もカプチーノだよ。」笑う。
花梨も笑い返す。
そして二人でカプチーノを啜る。その幸せな味。
さて、どうやって切り出そうか。
まず私が花梨を愛してしまった時のリスクからだ。正直この話に花梨が耐えられるか、わからなかった。私なら耐えられないと思うことだったからだ。なので、ぼかしながら、話に入った。
「花梨、今日はちょっと私の家族の話をしたいんだけど。」
「ええ、たしか千葉で実家暮らしでしたよね。」
「うん、そう。それがね、ちょっと変わった環境で育ったものだから。花梨も知っておいたほうがいいかなと思って。まあ、ちょっと、特別なんだよ。」
私は、両親から被虐待経験があること、妹がほとんど気違いであることについて述べた。妹は少なくとも3回以上、包丁を振り回して身内を襲っていること、それを私が実力で阻止したこと、父親が今でも私や妹に暴力を振るうこと。そのような私の家庭の異常性について、包み隠さず話した。そしてその生い立ちの不幸さを、正直に話した。
花梨は話を聞いた後、長い間考えていたが、
「森嶋さん、運命ってあると思いますか。」
と言った。花梨の言いたいことはすぐわかった。運命など決まっていないから、私が子供を虐待したり未来の家族がおかしくなるとは言えない、ということだ。
「運命って、あると思う。避けようのない運命とか。」
「どんなものですか。」
花梨は私を論破する気で言う。
「例えば、私が花梨と出会ったこととか、運命だと思う。」
花梨は完全に不意打ちを受けて思わずぷっと吹き出した。すぐに口を閉じたが、笑いを抑えきれなくてほっぺが膨らんでいく。そしてその言葉の意味を悟るとみるみるほっぺが赤くなっていった。小さな林檎のようだ。齧りついてしまいたい。口には出せない。目線が合うと、お互いもう恥ずかしくてきょろきょろ下を向いてしまう。私はそんな花梨が本当にどうしようもなく、好きだ。
私も花梨とそっくり同じような顔をしていたと思う。自分で言ったことが、あまりにも恥ずかしくて。
「森嶋さん、森嶋さんは偶然あまり良くない家庭に生まれてしまったと思います。でも、そういう家庭に生まれてしまったからといって子供を虐待してしまうのが森嶋さんの運命というわけではないですよね。」
「まあ、そうかもしれない。」
「運命なんてものは無くて、自分で切り開いていくものですよ。私はそう思います。だからアル中の親に虐待されて育ったからといって、何の引け目を感じることもありません。親は親で、妹さんは妹さんで、森嶋さんは森嶋さんです。それに森嶋さんが子供を虐待するなんてことは間違いなく無いです。断言します。」
花梨は本当にまっすぐに私にそう言う。そうすると、正直私は感動してしまって言葉が出ない。
花梨は、アル中による機能不全家庭で育った人を自分の子の父親にしても良いという意味のことを私に言っている。そうとしか思えなかった。
嬉しすぎて言葉も出なかったが、本題はもっと大きかった。
「ただね、こちらのほうが極めて深刻で重要なんだけど、私は心の病気と診断されている。平たく言えば精神病だよ。」
「森嶋さんのうつ病は治ります。調べました。うつ病は治るって、どの本やネットにも書いてあります。大丈夫です。」
「いや、医者から統合失調症と言われている。」
「そうじゃないかもしれないです。医者にそう言われたからといって、決めつけるのは良くないです。」花梨は怒ったように言う。
「まあ、そうだね。でも、仮に最悪のケースで、私が統合失調症だとして、将来どうなるか、どういう事態が想定されるか、花梨、わかる?想像つく?」
「いいえ、急に言われてもわからないです。」さっと顔が曇る。花梨は素直ですぐ顔に出る。
「まず、統合失調症の人の予後、つまり未来の話ね、は30%の人が薬をのむ限りもう発症しない。30%の人は生活水準が下がる。つまり身の回りのことがあまりよく出来ないようになる。そして30%の人は、人格水準が下がるって言われているんだ。だから、60%の確率で悪化して、30%の確率で、人格がおかしくなるんだよ。結構怖い病気なんだ。そして、残り10%の人が、自殺する。」
花梨は一瞬固まってしまった。しかしゆっくり話しはじめる。
「でも森嶋さん、全然普通に見えますし、悪くなっていることなんて全く無いじゃないですか。大丈夫ですよ。」
「今はね。薬もちゃんと飲んでいるし。でも、10年後、20年後、あるいは将来を見ると、けっこう確率的には分が悪いんだ。もし、結婚した相手が、人格水準が下がったり、発狂して精神病院に隔離されたら、それは嫌でしょ。もちろん、この病気を発症した人とは法律で離婚できることになっているけど、仮に結婚した相手が狂ってしまったら、辛いよ。」
「森嶋さん、悲観的になりすぎです。仮に森嶋さんが統合失調症だとしても、30%でも前向きな人生があるんですし、そっちの方を考えましょうよ。森嶋さん全然普通です。おかしくなんかありません。」
涙が出てくるほど嬉しいが、この話はまだ序段で、ここからが難題だった。
「あのね、花梨。もう一つ。この病気は、遺伝するんだ。」
「遺伝!?」花梨は素っ頓狂な声を出した。
「そう、遺伝。100%そうなるというわけではないけれど、子供が、同じ病気にかかるリスクがあるんだよ。それもけっこう高い。」
花梨は完全に真顔になって固まってきている。少し青みが注す。悟られまいとしているが、病気が遺伝するという話に恐怖を感じているのは明らかだった。
躊躇わず私は続ける。
「子供にこの病気が遺伝した場合、一番起こり得るのは、15歳から20歳位で、突然、わけのわからないようなことを言い出したり、幻覚や被害妄想とかが出るケースなの。思春期に、いきなり発病するんだ。もちろん、可能性の問題だけど。20から30%位の確率らしいけど。でも、でもだよ、もし仮に、夫が精神病を発症したら離婚でなんとかなるかもしれないけれど、自分の愛する子供が精神病を発症したら、花梨の人生がめちゃくちゃになる恐れがある。最悪、病気が遺伝して子供が自殺する可能性もあるんだ。正直それは怖いでしょ。」
私の正直さにも程がある。花梨がパニックになったことは一目瞭然だった。
「やめましょう。もうこんな話、やめましょう。ただの確率の話です。そうなるかもわからないですし、あんまり話していても意味無いです。やめましょう。やめて下さい。お願いです!やめて下さい!何かもっと楽しい話をしましょう!」
わかっている、花梨。あまりにも怖い話になって、花梨が私と結婚した後に私が狂って母子家庭になってしまった時とか、その上で自分の子供が気違いになって自殺してしまった時とかを、リアルに想像してしまったのだ。
その日はもう何かもっといい話をすることは無く、ましてや愛の告白など出来ず、花梨を南武線のホームまで送っていった。花梨はげっそりと疲れ果てた顔で、私の前で伏し目して、電車が来るまでぼうっと線路を見ていた。
私は花梨にかける言葉も無かった。
私がもっと狡ければ、花梨に事実を伝えないことも出来た。でも、私は花梨の前では常にフェアでありたいと思っていた。花梨を心から愛しているから。
私は自分の幸せより、花梨の幸せを、心から願っていた。
だから、花梨が私と結婚した時に起こり得るリスクを花梨に全て正直に伝える義務があると、私は信じていた。
結果として花梨に不幸な人生を歩んでほしくなかった。少なくともリスクについて知った上で、それでも花梨が、私と一緒になりたいと本心からそう思う時、その時を、私は待ちたいと思った。だから、私は自分が罹っているかもしれない病気の怖いところを、花梨に全部伝えてしまった。
私には花梨の気持ちが通じ合うように、わかる。そう思っていたが、しかし私だってまだ受け入れられないこの現実のものすごい重さを、2人の未来、いやもっとたくさんの未来の家族たちへの極めて大きいリスクを、いきなり花梨にすべて背負わせることが、どれほど花梨にとって恐怖で、残酷で、ひどく、惨たらしく、耐えられないことだったのか、その時の自分はまだわからずにいた。
*
花梨が、カフェに誘っても会ってくれなくなった。メールもあまり返ってこなくなった。花梨が、私からどんどん離れていく。それは私にとって考え得る中で最悪の事態だった。
花梨は、精神病の人と結婚したり、精神病の子供を持つことが怖かったのだろう。そう思うと、自分の病気がもう本当に憎らしく、そしてそれを全部正直に伝えて花梨に全部背負わせてしまった自分がもう本当に憎くて、憎くてしょうがなかった。
でも花梨に嘘をついて、リスクを隠して一緒になることは私は絶対に許せなかった。
花梨を心から愛していたから。
花梨こそが心から大事で、大切で、花梨の前では絶対に誠実で正直であるべきだった。それが正しい愛だと、私は信じた。
それで花梨が離れてしまうなら、もう心から辛くて体を引き裂かれる思いだが、それでも花梨が事実を知って受け入れられないのなら、心から愛している花梨を失わなくてはいけない、それは私も無条件で受け入れないといけない、そう思った。
もうそう思うと、辛くて、苦しくて、心が引き裂けてしまうようで、気が狂ってしまいそうだった。
こうなると、だんだんと追いつめられ、本当に嫌なことだが、一旦は完全勝利したかに見えた自死の影が私にそっと忍び寄ってくるのを感じ、心からおぞましく、恐怖に戦き、だからこそ花梨をもっと強く思おうとし、花梨との未来を考えようとするのだ。
引き裂かれつつあるその愛が、唯一の私の救いだった。
もう生きる意義を見失うのは、怖かった。
人を愛することを知ってしまった。花梨を愛してしまった。これはもう嘘偽りようがなかった。心から、花梨を愛していた。たとえ世間一般に言われている愛の基準、すなわちmake loveを満たしていなくても、どうしても花梨への思いは、これはもう愛としか言いようがなかった。
*
花梨が私から離れていき、会社からはまた日々尋常でないノルマを課されるようになった。直属の部長からは、2年目の成果発表会に向けて、「お前何もやってないんだろう。成果なんか何もないんだから、発表できねえだろう。その前に休職したり結論出したらどうだ?」と言われた。
これを「部長から退職を示唆するようなことを言われて辛いです。」と会社の産業カウンセラーに正直に話すと、統合失調症の被害妄想の症状が出ているとして会社に報告された。
しかし、当時の私は、産業カウンセラーや医務室の看護師が、「プライバシーを守る義務があるので安心して私たちには話していいんですよ。」というのを真に受けて正直に話していたが、まさか全部会社に漏れていて悪意に解釈されているとはまったく想像できなかった。
私はそれ程、世間知らずで純朴だったのかもしれない。
私は入社2年目にして窓際族だったので、多少時間があった。成果発表会では、おそろしく出来の良いスライドを持って行った。
しかも発表本番で、壁に映し出された大スクリーンの中に飛び込み、思い切りスクリーンである壁を叩いてプレゼンをした。スクリーンをジャンプして叩いた瞬間に聴衆から「おーっ」という驚きの声が上がり、予想外にも優秀者上位2位の審査に私が食い込んでしまった。上位2位に選ばれると、全社発表に抜擢される。全社発表は、社長も出席する大舞台だ。
1度決まったらしい審査に例の退職を示唆した部長が割って入り、私に多少似たプレゼン内容を普通にした人が上位2位に選ばれた。私に全社発表されると、部長は私を退職させにくくなることは明らかだったからだ。
そんな茶番劇を見た私は、燃え尽きて疲れたわ、一区切り付いたし、もういいかな、と正直に思った。
私にだけ与えられる際限ないノルマ、それも昨日掘った穴を今日埋めて、明日また掘る的なアウシュビッツ式ノルマと、離れていった花梨の影響で、もう会社に来ることが辛くなってきていた。
もう相談相手もいない。
こんな会社で病んで死ぬより、まだ休職のほうがいいと思った。
翌日、休職を人事部に申し出た。待ってましたとばかり、即日受理された。
*
2ヶ月後、戦意を回復した私は会社に復職願いと医師が書いた復職可能との診断書を出したが、産業医の魔女に門前払いされた。
何回も復職願いと診断書を提出した。
魔女に邪魔されないよう人事部に直接郵送したりもしたが、提出経路が違うと差し戻され、そして提出経路である魔女に就業不可能と言われた。
「保健福祉手帳を取得して会社に提出すれば道があります、それを提示すると医療費も安くなります、すぐに取得して持ってきてください、これは社命です」と魔女に言われ、言われたとおりに役所に行き保健福祉手帳の申請をしたところ、窓口の女性に「ご本人様ですか?どこに障害がおありなのですか?肝臓ですか?」と言われて、どう答えてよいかわからなかった。
なぜ保健福祉手帳とやらに、障害、という言葉が紐づいているのか、まるで理解できない。
とにかく、こころと難病の相談係というところに回されて申請は出来て、1か月後に保健福祉手帳が届いたので会社に提出したところ、魔女は「やっと持ってきましたか、早く取らせたかったのにずいぶん手こずらせましたね、それは障害者手帳ですよ、あなたに精神障害があることが明らかになったので就業を認めません」と言った。
平たく言えば魔女の言っていた保健福祉手帳というのは障害者手帳のことで、私の与り知らぬ間に、3級という重篤な等級付きの精神障害者として私は認定を受けてしまっていたのだ。3級の障害とは法律的には『精神又は神経系統に、労働が著しい制限を受けるか、又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの』となっており、例えば身体障害の等級でいうと腕や足が1本無くなって働けなくなったのと同じくらい重篤な障害等級なのであった。
そして魔女は、「もう障害者手帳を持っているんですから、あなたは今後の人生を障害者として生きていく方法を考えないといけないですね、精神障害者なのですから復職は不可能です、障害者らしく生きるしか道は無いのですよ、なんせあなたは精神障害者ですからね」と言い放った。
障害者。
私が、精神障害者。
そんな話、聞いていなかった。
会社に、騙された。
完全に、騙された。
あまりの扱いに、労働組合に訴えた。労働組合の幹部は「森嶋さんの件も大事だけども、今の春闘の時期には全社員のベアがかかっていますからねぇ。」などと言った。ひどい御用組合で、全社員の数百円ばかりの賃上げ要求の前に、私が不当解雇になりそうだとの訴えなど会社の心象を損ねるのでゴミ同然なのであった。
社会に訴え出るべく、労働基準監督署や法テラス経由で弁護士に相談したが、いずれも私が精神障害者で、それも統合失調症とわかると、態度を翻したように会社の主張が妥当です、と言ってきた。
もう、会社も、社会も、精神障害者である私には、無条件で気違い扱いをして、気にも留めないようだった。
私は、ただ統合失調症の精神障害者3級として取り扱われる、社会のゴミになってしまった。健常者から精神病扱いされ、精神障害者3級の烙印が押されるまで、たったの5ヶ月しかかからなかった。
愕然とした。私は、気違いとして生きなくてはならないのか。もう社会で生きていけないのだろうか。
私は休職扱いだったので1年半ほどは会社に籍が残る。魔女は3ヶ月に1度、私を会社に呼び出した。
ある時は、「3.11のボランティアで福島に行きなさい、人を募集しているから紹介します」と言った。精神障害者だから放射線をいくら浴びてもいいってか。こいつ本当に医師か、と心底疑った。
また、別の時には「森嶋さんは精神障害者なのだから、年金事務所で申請をして障害年金を貰う権利があります、申請に行きなさい」と言われた。
言われたままに年金事務所に申請に行くと、職員にたいへん嫌な顔をされ、5時間待たされた挙句、管轄が違うから別の事務所に行ってくださいと言われ(いやたしかに管轄はそこの事務所だった。数回通うとそれは認めた)、年金は年間3万円になりますが(月間でなく年間だ!)、ハローワークでの障害者雇用への申請を継続して6ヶ月以上していなければ貰えません、などと言う。
その雀の涙ほどの年金をもらうためにハローワークにも通ったが、障害者雇用というのは求人が低く、週3日、1日4時間、時給700円のアルバイトしかありませんという。
たとえ職にありつけても、月収3万3600円。
年金と合わせても年収50万円以下。
健常者として年収350万円だった私は精神障害者として7分の1の価値しかなくなってしまった。
常識的に考えて年収50万円で食っていけるだろうか。不可能だ。生きていけるだろうか。不可能だ。
ハローワークの職員から、「大丈夫です。生活保護を申請できますよ。生きるチャンスはあります。がっかりしないでください。」と言われた。
社会から精神障害者という烙印が押されただけで、私がどれほど社会のゴミになり、生活能力が奪われたか、社会から疎ましく思われているか、嫌がられているか、関わりたくないと思われているか、かろうじて生かしておけば良いや程度に思われているか、本当はいなくなってほしいと思われているか、本当に本当に分かってきた。
もう見る間に、私は自分で生きていく能力を失い、希望を失い、金を失い、まもなく職を失い、そして人生を失うことは明らかだった。
こんな絶望感は人生で初めてだった。
生きる前に、理論上、生きていけない。
生きることが困難な現実。
こんな絶望と苦しみを味わう人など、まずいないだろう。
それが精神障害者の現実だった。魔女が命じた、保健福祉手帳を取って来なさい、というのが、生き地獄より苦しい、精神障害者として生きることへの入口だった。
騙された。
*
私が中学校の頃、中学校近くの崖の上に、坂上記念病院という精神病院があった。
歩いてすら登れないようなとんでもない坂道の上にある、高層アパートのような6階建ての建物だった。中学校からそれはよく見えた。
窓という窓に黒く太い鉄格子が填められ、雨ざらしで清掃もできない外壁は、元はクリーム色だったのだろうが、薄灰色に汚れさらに鉄格子から流れ出た赤錆が外見を醜い刑務所かそれ以上に劣悪なものに見せていた。
それに、その病院から出てくる患者たちは、「ア~~」とか「ウ~~」などと意味不明のことを言う人ばかりで、その病院周辺は地域で最も危険な忌まわしい地区として、中学校の先生たちからも精神病院に近づかないように指示が出ていた。
精神病院からは、たしかに日中に奇声が聞こえてくることがあった。
中学校時代の友達とのジョークのオチは、たいてい「お前、あの病院に入ったほうがいいんじゃない?」だった。
私は、その精神病院に入ったことがあった。
私は小学校4年の頃から空手を習っていたが、師範がその病院の作業療法士だった。気違いの患者を取り押さえるため、空手の師範になったという。
普段は小学校の体育館を借りて空手の練習をするが、試合前でどうしても場所が取れない時に、といっても年数回あるかないかだが、その師範の仕事場である精神病院内の観劇ホールを使って空手の練習をするのだ。
その病院の入り口は陰湿で、夜間には太さ10cmくらいある鉄格子が正面受付を封鎖している。そのため通用門から出入りするのだが、師範が事前に中に入り、ホールに通じる横脇にある通路という通路、全てに鍵を掛けてから入るのだった。
中は完全な迷路で、案内表示もなく、誘導がなければ絶対にそのホールには辿り着けない。
しかもホールに通じるルートには、必ず2重の鉄の重い扉がついていた。
そして空手団員が全員ホールに入ると、師範がホールを内側から施錠するのだった。
そのホールは、小学校の教室くらいの広さで、壁が薄灰色でシミだらけで、天井に場違いなミラーボールがあり、監視カメラが2台あって、床には埃が積もっていた。誰も掃除しないのだろう。その薄気味悪いホールで、みんな嫌がりながらも練習するのだ。ここはキチガイな人が使うところなのだと思いながら。
精神病院の中に入ったことがあるなどと、中学生の私は口が裂けても友人に言えなかった。そして、その忌まわしい、刑務所より劣悪に見えるその建物とその中に住む住人のことを考えると、私は将来絶対になりたくないものとして、精神病の患者になってしまい精神病院に収容されることを真っ先に想像したものだった。
しかし、私は精神障害者になってしまった。
その絶望感。
私も、キチガイになってしまったのか。
あのような病院に収容されて余生を病院内から出られずに過ごすのだろうか。
いつ発狂するのだろうか。
医者は薬を飲んでいる限りそのようになることはほとんど無いと言っているが、本当なのだろうか。ほとんど無いの裏返しは、多少ある、ではないか。
信じられなかった。
自分が精神病患者で、しかも精神病院に収容される類の統合失調症という重篤な精神疾患で、いつ発狂してもおかしくないという事実。これは想像だにできないほど恐ろしかった。
私も、キチガイなのか。キチガイになるのか。
収入もほとんどなく自立して生きていけいない精神障害者兼生活保護受給者。そのうち狂って精神病院に収容。
それが今の私に定められた運命なのだろうか。
絶対にそうなりたくない。
私は必死の抵抗を行った。
薬は欠かさず飲んだし、医師の方針には必ず従った。
会社に復帰できるよう何度も働きかけた。
精神障害者であることを明らかにして転職活動も行った。
市役所や年金事務所の要請に応じてハローワークにも通った。
しかし精神障害者である私を雇用したいという企業などというものは、全く無かった。形ばかりの障害者求人の募集があるだけで、いずれも勤務条件が劣悪で、週2日の4時間のパートなど、とても収入にならない案件しか無かった。
*
休職から1年半後、私は、休職満了解雇で、会社から解雇された。
私は、会社というものを失って、社会というものにも見放され、もう人生何も無いという時に、唯一思い浮かんでくる希望が、花梨への愛だった。
花梨だけが、私の心の中の唯一の希望で、生きがいで、明るさで、暖かさで、あり得る最高の存在だった。
花梨への思い、それさえあればもう何もいらなかった。
花梨と会える、その希望さえあれば何でも出来た。
もう会ってもくれない花梨を、会ってくれなくても、心から愛していた。
そして、花梨とは毎日1通ほどのメールだけで、文字通り微弱電波の上に載ったパケットだけで、繋がっていた。
私にはその通信は地獄から唯一天国へと続く蜘蛛の糸だった。電波だけあって、全く掴みようのないけれど、たしかにそれは、蜘蛛の糸だった。
その糸は、ある日、呆気無く、切れた。
*
私の退職後、花梨は、1度だけ私と会ってくれた。そして、私に、自分の生涯の目標、夢を決めたと言って、教えてくれたのだった。
「私、決めました。地元の鳥取県に帰って警察官になります。絶対にこの夢を実現させます。」
さらに、「森嶋さんも、森嶋さんの地元の千葉県で市役所の公務員になりましょう。応援します。」と花梨は言った。「絶対なれますから。仕事は9時5時で楽ちん。1日ぼんやりしていれば終わってしまうような仕事です。障害者雇用枠あり。大丈夫です。絶対いけます。」と言って私を励ました。
花梨に言われるがままに、4ヵ月間、みっちり、公務員試験の勉強をして、市役所の試験を受けた。
そして落ちた。
それでも、花梨はずっと市役所、市役所と私にメールを投げ続けた。
年に1回しか試験がないのに、「1年間勉強すれば必ず受かります。絶対。森嶋さんのためです。勉強しましょう。」と言ってくる。
しかし、花梨の言うことを、よくよく精密に考えてみると、花梨は地元である鳥取県に帰り、警察官になる。私は千葉県のどこかの市で公務員になる。
2人とも、離れ離れになる。
それに、花梨が警察官になる夢は、私が配偶者になった場合には絶対に叶えてあげられなかった。身内に犯罪者がいると警察官になれないように、配偶者が精神障害者である者は警察官にはなれないのだった。
どう考えても花梨はそれを知っていて、私に自分は警察官になりたいと言っているとしか思えなかった。
そんな夢を、これが私の夢だと、森嶋さんも一緒に夢を叶えようよと、花梨は、真剣に、熱心に、まじめに、強く、信じきって、もうこれしかないと言って私に話した。何度も。ゆるぎなく。絶対そうなろうと言って。
私は、花梨が真に伝えたいこと、その目的を、5ヶ月間もかけて、ようやく理解した。
つまり、2人の未来は無いと、花梨が決断したとしか思えなかった。
もう森嶋さんとは関わりたくないです、生涯に渡るお付き合いはありません、ということ。
そして、花梨はお情けで、精神障害者で自殺しかねない私に付き合って、公務員お勉強の支援をしてあげています、早く自立して下さい、という構図。
そして究極は、花梨は私に付きまとわれるのが嫌だから、いざというときには警察官になって森嶋さんは配偶者には絶対になれません、という花梨のメッセージ。
いや、でもそんなのは信じたくない。
唯一あるとすれば、地元で警察官になりたいというのは花梨自身の確かな夢なのだ。
そう信じたい。
でも、でも、その花梨の夢が叶う時、花梨に私は100%入り込めなくなる。花梨の配偶者にはなれない。
私が花梨の配偶者になりたいと思えば、私が花梨の生きていく夢や希望を、破壊する。
それは私にとって愛している花梨にしてはいけない、最悪の、花梨の人生そのものの破壊だった。
私の幼少期が破壊されたように、私が花梨の将来を破壊する。そのくらいなら死んでしまいたかった。
花梨は、一緒になれない、というメッセージを、少しわかりにくくして、私にこっそり伝えたのだ。私は頭が鈍くて、すぐその意味に気づかず、わかるのに5ヶ月を要したのだ。
その花梨の一連の挙動は、私を完全に絶望の淵に叩き落とした。
花梨が想定していたと思われる、ゆっくりした落ち方ではなかった。
私の生きていく意味を感じる最後の夢、希望が、完全に無くなった。
精神障害者になった。
会社を解雇された。
市役所採用試験に落ちた。
貯金が底をついた。
花梨を失った。
生きる希望を失った。
残った私は、空っぽだった。心もなく、ただ抜け殻の、社会から捨てられた、生きる社会のゴミ。当てもなく平日の昼間、公園を散歩して、独り言を言っている類の、正真正銘の、精神障害者だった。
そんな人間に、花梨はメールを送り続けた。偽の、生きる希望を書いて。花梨が偽善者に見えた。
*
花梨は週3くらいでメールを私にくれ、たまに電話で話すこともあった。だがそれは、私には本当に苦痛なことだった。偽善者からの、自殺させないための偽の希望と愛情の施しのメール。死なない程度に時々。
毎回、毎回、市役所採用試験に落ちてその能力がないことが明らかになっている私に対して、「森嶋さん公務員の勉強ちゃんとやっている?私も警察官の試験に向けて体力試験の訓練しているよ。一緒に、がんばろ。」なんて、もう2人に未来は無いね、さよなら。と言われることより100倍も1000倍も悲しかった。
メールを見るたびに、その空々しい夢を書かれるたびに、私の心はちぎれ、出血し、絶望という傷口が広がり、耐え難い苦痛を味わった。
平たく言えば、死にたくなった。
花梨も花梨で、精神障害者の自分に支援をしているように思ってやっているのかもしれないが、しかし花梨にも私への依存性が見られた。
私がメールや電話を止めると、しつこいくらいに連絡してくる。
もう連絡取りたくない、などと私が言うと、1日30通のメールがあったりする。
つまり、花梨が、自分が森嶋さんを支えないと、森嶋さんが死んでしまうと思い込んでメールや電話をしてくるとしか思えなかった。
アル中を支えてアルコールを買い与えて結果として殺してしまうイネーブラーのように、花梨は精神障害者を支えて偽の希望や愛情を与えておいて結局相手を捨てる、イネーブラーそのものだった。その幻想の反動で本人を殺す偽の擁護者、花梨。
私は偽の希望や愛情はいらなかった。きっぱり断った。
なのに次々と与えられる大量の偽の希望と愛情。どんどん、どんどん量が増えてくる。
花梨が自分に酔い痴れて中毒的に偽の希望を私に与えようとする行為がたまらなく辛かった。花梨も実は花梨自身の心を満たすために、私に偽の希望や愛情を与えることに中毒になっていることはどう考えても明らかだった。
私はそのたびに私が精神障害者として、自殺願望者として花梨から見られていることを知って、花梨がまるで私の保護者であるかのように振る舞うことに、深く傷ついた。
それを露も知らずに、あるいは知っていてもなお、花梨はメールも電話も止めてほしいという私に耳を貸さず、きれいきっぱり花梨との間を終わらせようと努力する私にすごい量のメールや電話をしてきた。
1日メール114通、もう嫌がって携帯の電源を切っていても着信履歴43回。私が出るまで何度でも何度でも掛け直してくる。
もう、耐え難かった。
会ってくれなくなってから、ずるずる1年間も連絡を取り続けてくる花梨に、私は本当に腹が立った。
2人の未来が無いならきっぱり終わらせて欲しい。
花梨の偽の希望やお情けのやさしさなど、いらない。
花梨が私への愛情中毒になる様は見るに堪えない。
花梨が本当に偽善者に思えた。
私は傷ついた。深く傷ついた。花梨の愛情を感じれば感じるほど、その偽物さ加減に深く傷ついた。何より花梨が私が傷つくことが分かって傷をつけている行為そのものが、本当に、耐え難かった。
死ぬより、耐え難かった。
だから、私は、地元に帰って警察官になりたいという花梨の夢を叶えてあげるため、つまり私が花梨の配偶者になる可能性を完全に排除するために、すなわち花梨との関係を私から完全に絶ち切るために、偽善者・花梨への復讐のために、花梨のTwitterを、わざと炎上させ、花梨との絶交を図った。
夏だった。花梨は渓流のマス釣場に行って、釣りたてのニジマスの塩焼きを食べてきたとツイートした。私は釣りが趣味なので、私を喜ばせようとしてくれたのだろう。
だが私は復讐のチャンスを伺っていたので、これしかないと思った。花梨は純粋すぎて生命倫理に関わるようなこの手のものに反撃できないことも、私は知っていた。
Twitter タイムライン
「渓流のマス釣り場でマスの塩焼き食べてきたよ。美味しかった。」@花梨
「釣ったニジマスをそのまま焼いて食べたの?」@森嶋
「うん。新鮮ですごく美味しかった。」@花梨
「え、釣ってすぐの生きたニジマスを串刺しにして火炙りにして焼いて食べたの?あなたなんて残酷な人だったの。そんな人だとは思わなかった。」@森嶋
「ちがうの、ニジマスは釣ったあとに施設の人が持って行って、焼いてくれたの(涙)私が焼いたんじゃないの(涙)」@花梨
「へぇ、施設の人が生きたニジマスのお腹を切り裂いて内蔵を取り出して、生きたまま火炙りにしたの、そんなに美味しかったの?凄い残酷だね。あなたってそんな人だったの?」@森嶋
「ちがうの。誤解です。(涙)」@花梨
「そんな残酷な話し初めて聞いたわぁ。タグ付けさせてもらうね。拡散希望。#魚を生きたまま火炙りにして食った残酷な女・東本花梨」@森嶋
私は偽善者・花梨を徹底的に攻撃して破壊したかった。
関係を断ち切りたいと言っているのに、ずるずると電話やメールしてくる花梨に止めを刺したかった。
偽の愛情を寄越して自殺防止のように思っている花梨の傲慢な心を、破壊したかった。
私を精神障害者に貶めた会社と、それに所属する花梨を、完全に葬り去りたかった。
人を精神障害者に貶めた社会の屑どもと、その操り人形である社会を代表した偽善者・花梨に復讐したかった。
この現実。花梨が作っている、花梨によって見せつけられているこの現実。
生まれてこのかた愛を知らない私に対する偽の愛情。偽の希望。偽の職。偽の幸せな人生。偽の2人の未来。未来のない精神病者に平然と嘘を語る花梨。偽の愛を語る花梨。
偽の愛。これまで何年も。これからもずっと。
そんなもの、もう耐えられない。我慢できない。
私は精神障害者として社会からゴミ扱いを受けた。
偽善者・花梨の心のおもちゃとして扱われた。
私が愛を知らないのをいいことに偽の愛を語って弄ばれた。
その社会と花梨の扱いの劣悪さから死にたいと1000回思わされた。
私は深く傷ついた。耐え難い苦痛を受け続けていて、死ぬより辛く、苦しく、全く終わらない。
全て花梨のせいだ!
絶対に許せない!
絶対に容赦しない!
花梨は、死刑に値する!
ネット死刑だ!
公開処刑だ!
私は2ちゃんねるの中でも取り立てて攻撃的な住人が多い掲示板に、Twitterのハッシュタグと花梨のIDをひたすらたくさん貼り付け、生きた魚を火炙りにして喜んで食べている女がいるのでかまってやってほしい、と書き込んで2ちゃんねらーの興味を煽った。2ちゃんねらーがTwitterに集まりだしたところで、このゴミ女は嘘をついて精神障害者の支援をして悦んでいるナルシストで偽善者だからぶっ潰そう、とツィートしてふっかけた。そして花梨の会社名、勤務場所、花梨の過去とプライベートを徹底的に暴露した。
特に花梨が国家公務員の厚生労働省キャリアを目指していたという話は、嘘つき障害者支援とリンクして格好の餌食だった。しかも都合の良いことにネタはすべて事実だった。ネットにもたくさん情報が転がっており、花梨の過去の高校や大学弓道部主将の経歴や、大学院での論文がネットでそのまま公開されており、ネタが全て事実であることを雄弁に物語っていた。
私はネットという仮想空間の中で、Twitterという見渡す限り大平原の枯草の上に花梨を連れて行き、2ちゃんねらーという極めて燃えやすい素材をふりかけて、放火した。花梨を火あぶり死刑にするために。
あっという間に炎上した。
花梨の地元と高校を暴露したところ、聖地巡礼と称して花梨の高校の写真を撮って載せる輩まで現れた。さらに勤務場所を暴露したところ、出口の前で毎日待ってるよ、という花梨の勤務場所の写真付きのツィートまであった。
2ちゃんねらーの書き込みに乗じて、私は花梨の人格を徹底的に攻撃、破壊した。
私は愉快だった。花梨が傷付き、その心が砕け、人が信じられなくなり、会社を辞めたくなり、私に偽善を施す気力も無くなり、絶望の淵に叩き落とされて、心に一生癒えない障害を負い、死にたくなるほどの絶望を味わい、今の私のように空っぽになるのが目に見えるようだった。
2ちゃんねらーの花梨への攻撃は1週間で3000件ほど続いた。あまりの事態に花梨の友人数名が駆けつけ花梨を援護したが、2ちゃんねる経由のこの規模の炎上が数名ではどうにも出来ないことは明らかだった。もはや完全に花梨がネット中傷で立ち直れない打撃を受けたところを見届けた上で、私は犯人探しに巻き込まれないように、Twitterを退会した。
当たり前だが、花梨はTwitterを炎上させられネット中傷を受けた恐怖で、完全に私に連絡できなくなってしまった。さらに止めに、私は携帯キャリアを変えた。電話番号もメールアドレスも変わった。花梨から絶対に連絡が取れないようになった。
完璧だった。
花梨が傷付く様を見ると、私の心にも、もっと深く傷が付くことを除いては。
*
えげつなく凄惨なむごたらしい方法で花梨を攻撃し、花梨と絶交を図った。
この悪質なTwitter攻撃は花梨と絶交するためには必要だった、と思うことにした。
そもそも、花梨との絶交は、花梨の夢の実現と花梨の新しい幸せの獲得のために、必要であるはずだ。花梨に片想いしていた精神障害者、すなわち私が、花梨から離れたところで、花梨にも悪い影響は無いはずだった。
花梨には、精神障害者の私と違って、美しい未来を手に入れる権利がある。精神障害者と結婚して精神障害者の子を産んだりする未来ではなく、健全な人とお付き合いして、幸せに結婚できる権利があるはずだ。
私は精神障害者である自分を花梨から完全に絶ち切ることで、花梨が真の幸せを獲得する権利を守る、その支援をした。ただそれだけだ。
そう思うことにした。
そう思わないと整理できなかった。
そう思っても整理できなかった。
花梨を傷つけた。生涯心に残るであろう傷を負わせた。
その過程で、自分もシンクロして傷付くのを感じた。
やはり、私は花梨を心から愛していたことを、ネット上の公開処刑で、知ってしまった。
もう遅かった。実行してしまった。
花梨。絶交したけれど、私はあなたを心から愛していた。
でも、やはり精神障害者である私は、手を引くべきだったのだ。こんなひどい方法を取ってしまったが、花梨のためだった。
もう、花梨は健常者との美しい幸せな未来を、手に入れる時だと思う。花梨の幸せが、私の幸せ。それは花梨の幸せのためだった。それしか道はなかった。
ごめん。
そして花梨にはもう私抜きで幸せになってほしい。
そう思って、100日位、1人で泣いた。
101日目、私は精神障害者の肩書を捨て、健常人として、就職した。新卒から、4年経っていた。予定年収は花梨と同期で入った会社の1年目と同額の、年収350万円だった。医者は就職したこととその年収を聞いて飛び上がるほど驚いていた。統合失調症の人間がまともに就職したうえに、通常の患者の10倍の年収だったのだから。
*
確志は風邪で職場を早退した。ちょっと具合が悪く、早めに休養したほうが良いと思ったからだ。それで、午後3時半という早い時間に、ガラガラのJR京葉線に乗り込んで、千葉の自宅近くのかかりつけのお医者さんに行こうとしていたのだ。
それにしても、まだ太陽が出ているではないか。なんて早い時間なんだ、と確志は思った。
確志の職場は激務だった。都内の東の外れにあるこの職場では、終電ギリギリの午後10時半まで粘ることもいつものことだし、たまに午後9時に帰る時でさえ、「今日は早いですね。」と同僚に嫌味を言われる始末だった。まして午後6時の定時に上がろうものなら、翌日の仕事を倍増させられることまちがいなし。
だから確志は、定時上がりの経験も全く無い。アフター5どころかアフター11も無い、働き詰めの32歳のサラリーマンなのだ。太陽がまだ空にあるうちに帰った試しがない。そういう現場なのだ。
だから、当然彼女なんてものもできるはずがない。寂しい限りだ。
午後3時半に新木場駅からJR京葉線に乗り込む。まだ夕日にもなっていない。こんな時間に電車に乗るのは何年ぶりだろう、と確志は思った。
それにしても日中は電車が20分に1本しか来ないのか。JR京葉線も夢の国を抱えているのに、けちだなぁ、と確志は思った。
電車は定刻通り発車した。各駅停車で、中はガラガラだ。誰もいない電車。確志はぽつんと座席に座る。
電車は、確志の呼称では夢の国駅、正式名称は舞浜駅に着いた。わずかに人が入る。
「真っ昼間から遊んでいる人もいるんだなぁ。私は太陽が降り注ぐ時間には外にも出られずずっと内勤なのに。いいなぁ。」確志は内心つぶやいた。
電車は夢の国駅を離れ、ゆっくり蘇我へと向かって走っていく。のろのろの各駅停車。この時間は快速が少なく、各駅停車のほうが早いことも多いのだ。我慢しなくてはならない。
しばらくすると、目の前に2人の女子高生が席に座っているのに気付いた。ああ、夢の国駅から乗ってきたんだな、と推測した。手にミッキーのロゴ入りの紙袋を下げていたからだ。友達2人のようだ。仲良く話している。
それにしても・・・正面に座っている1人は、すごく背が高い。席に座っているのに異様に足が長く見える。いや、事実、足がすごく長い。座高も相当高い。ひょっとしたら180cmくらいあるのかもしれない。とても女子高生には見えなかった。まるで外国のモデルさんのようだ。
しかし、目の前のその女性は隣に座っている明らかに高校生とわかる背丈恰好の女の子と同じ制服を着ているし、女子高生であることは間違いないようだった。それにしても、初めて見るようなすごいプロポーションだ。顔立ちは端正で、ざっと見、身長180cm、スリーサイズとかはよくわからないが、スレンダーで胸は正直目立つ。それに、スカートが、マイクロミニくらい短い。
あまりにもスカートが短いので、確志は一瞬直視してしまったが、それはまずいと思った。正面に座っているのだ。まともに見たら、あれ、つまり、下着が見えてしまうだろう。それはいくら健康な32歳男子の私とはいえ、女子高生の下着を覗いたりしてはいけない。
確志は正面の女子高生の、その筋肉質だが脂肪がついてぱっつりと張った立派な太ももから目をそらした。大の大人が女子高生に目を釘付けにしてしまうなんて、いかん、いかん。
目を逸らしたところ、笑い声が漏れてきた。女子高生2人が話しているのだ。しかし目を逸らしながらも、2人がこっちを見ているのに気付いた。しまった。私の目線と私の頭の中の考えに気づかれてしまったのかな。
確志は目をふわふわさせながら、通報されちゃったらどうしようかな。などと考えた。いや、覗いても触ってもいないし、向こうが正面に座ってきてしまったのだから、仕方ないではないか。
その時、正面でガザガサと音がしたので、確志は反射的に正面を見た。
するとそれは、正面の背の高い女子高生が、紙袋を足の前に持ってきて、ちょっと蹴飛ばす形で音を立てたのであった。確志は思わずむっちりと張った太ももとそのマイクロスカートを凝視してしまった。
ああ、いかん、いかん。また見てしまった。見てはいけないものではないか。女子高生だろう。まだ子供ではないか。覗いてはいけない。と確志は凝視してしまった視線をまたふわふわと、そこはかとなく外し、横を見る。それにしても刺激的だ。
前の二人はまた笑っていて楽しそうにしている。しかし、どうもこちらを見ているように感じるのだが、気のせいだろうか。
カタン。正面からなにか落ちるような音がしたので、確志は思わず正面を見た。それは女子高生が紙バックを足元に落としたのだった。女子高生はごくゆっくりそれを拾い上げて、椅子に置いた。笑っている。そして、確志の視線が一瞬太ももに移る。すると女子高生は、すっと足を上げて、さっと足を組んだ。
あまりの出来事に確志はびっくりしてしまった。そして釘付けになってしまった。その太いが筋肉質な太ももがさっと交わり、もう下着が見えてもおかしくなかった。下着が見えないように足を組めたのが奇跡だった。
いや、危なかった。もう少しで見えちゃうところだったよ。確志はその動作に釘付けになったことを恥じた。いかん、いかん、女子高生だぞ。守り保護すべき存在の子供なのだから、そんな正面からスカートの中を覗くような視線をしてはいかんだろう。
確志は再び目をそらした。だが、女子高生は、足を組み替えたあとに、確志を見ていた。その間際に目がまともに合ってしまった。笑っていた。そのあたりから、確志はこれは妙だと思い始めた。
そしてまた2人が笑っている。
これは・・・ひょっとして、私をからかっているのかな?そんなふうに思い始めた。わざと音を立てたりして視線を向けさせて足を組むとか、どうしても不自然だ。これはどうも、変な感じだな。そう思い始めた。
正面でさっと何かが動き、確志は反射的に正面を見た。女子高生が手を素早く動かして手振りつきで話している。また真正面の太ももとスカートが嫌でも目に入ってしまう。
次の瞬間、女子高生はすっと股を開いた。「ひぇっ!」確志は思わず口走った。飛び跳ねてしまったかもしれない。
しかし、通常マイクロミニの女性が股を開いてしまった時に見えるもの・・・下着、は辛うじて見えなかった。女子高生がすっとスカートを上から手で押さえたからだ。
おひょーっ、今のは神業的ギリギリだったわ。確志はその大胆な動きにびっくりした。そして、こんなシーンは見たことがない、と思った。スカートを押さえたのも本当にギリギリのタイミングだった。見えてしまっていてもおかしくない。そして疑念は確信に変わった。正面の2人の女子高生は、私に下着を見せる素振りをして、私をからかっているんだと。
その確信は事実だった。女子高生2人はこちらをチラチラ見ながら笑っている。そして1人が、足を組んだり、少し開いたりして見せて、確志の目を釘付けにしているのだった。しまいには足を組んで手でスカートの裾を掴み、ひらひらさせている。
確志も、本当に下着が見えそうなその曲芸的な足と手の使い方に釘付けになってしまい、ついに自分の太ももの内側辺りが熱くなってきて、脈打つ感じの痛みを感じた。
うわ、これはまずい。絶対にまずい。確志は必死に理性で抑制しようとしたが、段々と熱さや痛みは増していき、どうしようもないレベルにまでなってしまった。確志は自分のものがもう、完全に反応してしまっているのを、隠しようがなかった。
正面の女子高生は、確志をちろちろ見ながら友だちと話して笑っていた。電車内でうるさいので、声はよく届かない。だが女子高生も、こちらの困った反応に気づかないはずがなかった。確志はもう、もぞもぞしていて、股の痛みに耐えながら膝の上に置いた通勤バッグで押さえつけるようにその膨らみを隠さなければならなかった。
まさか女子高生に、魅せつけられて反応してしまうとは。しかも相手に悟られてしまっている。確志は本当に恥ずかしくて顔まで真っ赤になってしまった。それに確志は座席を変えるなど逃げ出そうにも逃げ出せなかった。膨らんだものに、毛がたくさん挟まってしまっており、動こうとすると毛が引き抜けてしまうので非常に痛いのだった。
動くに動けない。確志は完全に真っ赤になりながら、なんとか理性で抑え込もうと思った。
そうだ、片思いしているあの子のことを考えよう。あの天使のことを。
あの天使とは、同じ職場に入ってきた新人だった。おそらく22歳。身長155cmくらいでスレンダーだが、胸が非常に大きいのはもはや隠しようがなかった。時期は真夏だ。夏物の薄手のブラウスは透けやすい。しかし、その子は黒色の非常に厚手のババシャツをインナーに着用しており、下着の響きや透けを一切許容していなかった。その清潔感が非常に良かった。
そしてその清潔感は、どう見てもその子が男性の視線を気にして、徹底的に自分の身を守っている、すなわち純潔の象徴に思え、おそらく確志はその子はそうなのだろうと、強く確信していた。
さらに、その子は本当に綺麗な声をしていた。まるでウグイスのような、ひばりのような、いやもっと美しい。とにかく形容しがたい、とても良い声をしているのであった。聞こえてくるとうっとり聞き入ってしまう、そういう本当に美しい声だった。合唱でソプラノを歌ったら最高だろう。
そんな天使のような人に片思いしているのだ。だからこんな女子高生には反応してはならない。目の前の女子高生は明らかに男性の視線を集中させることに長けている、プロのような女性なのだ。こうやって男性を挑発するのにも慣れているに違いない。悪魔なのだ。確志は理性の声で頭のなかを満たそうと必死に努力した。
しかし確志は、よくよく考えてみると、天使の事を考えても自分が反応してしまうことに気付いた。ああ、私はなんて動物なんだ。どうしようもないオスだ。確志は体中の血がすべて逆流して頭に上り、顔が真っ赤になってしまうのを感じた。
自分も天使級の純潔なのに、目の前の女子高生に挑発されて反応してしまい、さらに純粋な片思いの天使の子にも反応してしまうなんて、なんてみっともない。確志は本当に惨めな気分になった。そして、どうしても太ももの真ん中の反応は、収まりそうになかった。
目の前の女子高生が笑っている。本当に面白そうに笑っている。そしてうるさい電車内だが、女子高生の声が聞こえてきた。
「おなか空いたね。稲毛海岸でいい店知っているんだ。食べに行こうよ。」「うんうん、いいね、でもお金欲しいね。ちょっと足りないね。」
どうも2人の会話は私にも聞こえるように言っているらしい。確志もうすうす気づき始めた。この女子高生の激しい挑発は、どうやら私に食事を誘ってくれるように仕向けた上での、援交狙いのものだと。
援交狙いか。なんとなく読めたぞ。しかし・・・前のモデルのような女子高生は、正直強烈に確志を刺激していた。いったい、いくら位なんだろうか。本当にモデル級の女子高生だ。5万円くらいなら、いや、10万円くらいなら、その価値はあるんじゃないだろうか。最高と言っていいほどのプロポーションだ。
そう思った確志は、援交は犯罪であるし、あの天使への片思いのことを痛烈に思い出した。
そして、目の前の援交を誘ってくるようなことを言っていやらしい動作をしている悪魔と、片思いしている天使の間で心が大きく揺れた。正直、悪魔は本当に魅力的だった。お金を出してでも、すぐにでも買ってしまいたいような悪魔だった。しかも手に入ることは確実にわかっている。だが、私は純潔だし、同じ純潔の片思いの人が・・・。あの天使のような、あの子が・・・私はあの子が好きだ。どうしようもなく好きだ。あの子がどうしても好きなんだ!
確志は、その瞬間、目の前の悪魔ではなく天使につくことに決めた。自分も天使なのだ。こんな悪魔に買収されて金を払ってそんなことなど、絶対にダメだ。純潔は純潔の思いを貫くのだ。あの天使への思いを私の初恋にするのだ。そう決めた。
そうすると、あの熱くなってズキズキと脈打つように痛んでいた太ももの間も、急速に穏やかになっていくのを感じた。やった。悪魔の誘惑に勝った。確志は心のなかで、思いっきり、純愛万歳!と叫んだ。
悪魔は挑発を続けたが、確志はなんとかやり過ごすことが出来た。最後には女子高生は本当に太ももを広げて確志はその中まで見せつけられてしまったが、もう確志のものは反応しなかったし、確志は女子高生に声をかけることはなかった。
稲毛海岸駅に着くと、女子高生2人はすぐに降りずに発車ベルが鳴り終わるまで室内にいて、相変わらず確志を見て食事の話をしていたが、発車ベルが止まると、あれ?何で?という感じで席を立ってドアから外に出た。確志を何度も振り返りつつ、まるで忘れ物でもしたかのような感じだったが、そこで電車のドアがピシャリと閉まった。
電車はゆっくりと発車し、女子高生2人はまるで数万円入りの財布を電車の中に置き忘れたかのように電車を呆然と見ていた。事実、数万円のその日の収入を失ったからなのだろう。
確志は、悪魔の誘惑に、天使への純愛で勝った。
「いや、この天使と悪魔の勝負は、本当に危険で際どかったな。負けていたかもしれない。」確志は思った。だが、純愛と純潔を、ものすごい誘惑の前で守り抜いたことへの安堵感が、確志を本当に安心させた。
いや、ほっとした。よかった。確志はくたくたになってシートにもたれかかり、自分の純潔としての強さと、純愛の強さを心から実感したのだった。
しかし、さっきから太もものあたりがやけに冷たい。気持ち悪い感触。これは。
「しまった、漏らしてしまった。」
確志は気づかぬ間に種を大量に漏らしてしまっていた。
確志は種の処分を20日間ほどしていなかった。純愛していると種の処分も汚らわしいことに思えてしまうからだ。
女性が月に1回、面倒な処分をしないといけないように、男性も1週間に1回程度、その種を使用するか処分しないといけないのだ。定期的に種を処分しないと、あらぬところで暴発する。
「うひぇぇぇぇ、気持ち悪いよぉーーー。」
確志はその冷たくネバネバな、どうしようもなく気持ち悪い感触を我慢して、医者などにも行かず家に帰り、すぐにシャワーを浴びることにした。
「悪魔の置き土産だ。そそのかされた罰だ。なんてひどい結末だ。」確志はその太ももの気持ち悪さに、思わず背中に寒気が走った。何度も。繰り返し。どんどんひどく。
そして心に誓った。
「もう女子高生には絶対にそそのかされない。私には純情と純愛があるんだから、短いスカートや若さなど、どうでもよいのだ。絶対にだまされないぞ。」
32歳のスーツを着た確志は、ようやく夕日になりつつある太陽の下を、ものすごくぎこちない、蟹股のような歩き方で家に向かって歩いていった。その下着に付着したものと、純愛について考えながら。
*
クリスマス・イブ。9ヶ月前に死んだあの子に、ケーキをあげたい。そう思って、わざわざ平日のクリスマス・イブに、九十九里浜まで来てしまった。
その子の死後、1週間後に、私はケーキを2つ買って九十九里浜に来た。1つを海に流し、1つを食べた。
その子は、職場の同僚であった。
はじめは気にしなかったが、私にだけ妙に挨拶をするので、いやがうえにも気付いてきた。何か、普通の人と違う目で見られているかもしれないと。
1ヶ月後、何故かその子の教育係となった。32歳の私に29歳のその子だから、正直妙齢で、困った。しかし、私は花梨に私から連絡する決意ができていた。つまり、その子には冷たくあたって、文字通り冷やしてしまおう、という戦略だった。
ある日、その子が、私が教えた役員会議の資料作りでひどいヘマをしでかし、役員会議が途中で中止となり、私は上席に怒鳴りつけられた。びっくりした私は、その子を呼んで事情聴取し、あまりのヘマぶりに私も思い切りその子を怒鳴りつけた。こんなひどい様子では、仕事を任せられませんよ。2度とミスしないで下さい。2度とです。
その子は、2度とミスしなかった。翌日、自殺したから。
私が、人を殺した。
私は生きる意味を失った。
あの子も、同じ気持だったのかもしれない。
それから、私の人生、変わった。
ひどい胃痛と突発性難聴。心因性のものだと言われた。
9ヶ月経っても、まだ立ち直れない。
もうこの世へいないあの子へ、ケーキを食べさせてあげたい。そう思って、今日はケーキを持って九十九里浜に来た。あの子が、私が真冬にアイスを食べているのを見て眼を丸くしていたことを思い出し、アイスも添えた。発泡スチロールの台に乗せ、ろうそくを点けてそっと海に流す。
あの子は私に惚れていたのだろうか。死ぬ前日、もう2度としません、とその子は言った。その言葉を守るため、その子なりに考えて、2度とミスをしないために、自殺したのだろうか。
1人だけの九十九里浜で、即席の灯籠の1カンデラの明かりを見ながら、心に傷を負ったサンタクロースの視界は、ひどく歪む。今の私の現実と同じように。
私も死んでしまったら、半分は海に散骨しよう。あの子と、半分だけ一緒になれるように。
*
人を殺してしまった。9ヶ月も1人で悩み、もう抱えきれない。こんな時は、花梨に逢いたくてどうしようもなくなる。もう何年も連絡を取っていない花梨に、話を聞いて欲しい。心から辛く、どうしようもないこの気持ちを、人を殺してしまった私の愚かさを、花梨に聞いて欲しい。
過去に固く支え合った花梨は、でももういない。
絶望だった。やはり花梨のいない、3年間は、絶望だった。
我慢できない。
助けてほしい。
花梨に、助けてほしい。
私には花梨が必要だ。どうしても花梨に会いたい。
何年経っても私には花梨が染み付いていて、あの時、生涯愛そうと思っていた決意はやはり本物だった。そして今も私は心から花梨を必要としている。もう、今度会ったら絶対に花梨を離さない。プロポーズしよう。決めた。私の人生、花梨と生涯を共にしたい。どうしてもしたい。どうしても。私を死の絶望から救ってくれた花梨を、生涯を賭けて幸せにしたい。
花梨、愛している。嘘偽り無く、花梨を心から愛している。
*
花梨に連絡した。出会いの神様、出雲大社の御朱印を添えて。3年ぶりのメール。ネット死刑にしてしまった花梨から返信がある可能性は、1%もないだろう。しかし、1%に、賭けた。
2015年1月4日
「花梨へ 森嶋です。お元気ですか? 3年ぶりでしょうか。友人から手に入れた出雲大社の御朱印を送ります。」
翌日、返信があった。
「森嶋さん 本当に3年ぶりですね!御朱印ありがとうございます!今年も良い年になるといいですね。」
やった!思わず叫んだ。
2週間に1回くらいのペースだがメールに返信があった。どんどん期待と気持ちは高まる。もう3年間も会っていないのに、花梨の笑顔と優しさはメールからホログラムのように浮かび上がってくるように湧き出てきて、何年経っても変わらぬ愛と友情がそこにあることを確信する。
2ヶ月半後。意を決めた。花梨にプロポーズする。
「花梨へ 久しぶりにアフタヌーンティーに一緒に行きませんか?」
アフタヌーンティーは、花梨と初めて入った、そしてたびたび通ったカフェの名前だ。プロポーズのロケーションは、そこ以外に考えられなかった。2人の歴史が詰まった、思い出のカフェ。愛する花梨と思いを語り合った、あのカフェ。花梨と一緒に最初に入った、そして最後に入った、あのカフェ。
花梨、お願いです、来てください。心から、来てください。神様、お願いします。
メールを送る。
返信があった。
「初夏に結婚式を挙げることになり、バタバタ忙しくて、ごめんなさい。」
*
気がおかしくなった3日間の後、気がつくとフラレターを出していた。ラブレターの反対、つまり振られた人が出す手紙をフラレターと定義する。もはや1%も無くなった、それでも残る、もう宝くじ一等より低い天文学的確率に賭けた、最後の最後の、恋文だった。
*
――――――――――――――――――――
最初で最後の花梨へのラブレター
2015年2月22日13:33、そのメールの内容に驚いて立てなくなってへたりこみ、寝込んでしまったのも無理はありません。強烈な胃痛で苦しんでいるのも、当然でしょう。私が花梨にしたことを考えれば、今後数年間、苦しみ続けて当然です。私は花梨の人生を狂わせ、不幸にしたのですから。
花梨に出会ったのは2008年4月のことでした。新卒で入社した会社の新人研修で一緒だったのです。
私は花梨ではない、花梨の友達の稲子に夢中になり、稲子に近づく手段として花梨に話しかけて、花梨をアフタヌーンティーに誘ったのが始まりでした。花梨は友人の稲子に夢中になって、稲子への思いを花梨に力説する私の姿を見て、どんなふうに思っていたでしょうか。花梨を別の人への思いのために利用しようとした、私はどれほどずる賢かったでしょうか。
そして私は稲子に宛てたラブレターを、間違えて1段違いであった花梨のロッカーに突っ込んでしまったのです。それを読んだ花梨は、一体どう思ったでしょうか。
数ヶ月後、花梨に頼み込み、稲子をJR品川駅に来させました。稲子をお食事デートに誘いましたが、食事後に思いの丈を語ったところ見事にふられました。友達付き合いもお断りします、と。
その後、花梨と普通な友達付き合いをするようになったことが、私が今生きているきっかけとなったことは後に語りましょう。
1年後、激務により私は身も心も疲れ果ててしまいます。その時、心の相談に乗ってくれたのが花梨でした。忙しい時でも、土日に時間を取ってくれ、JR川崎駅で待ち合わせてカフェに行ったのはいつまでも覚えています。カフェで処方薬の胃薬(ガスター20とマーズレン)を飲もうとした時、花梨はコーヒーで飲もうとした私を見て、店員さんに水をすぐに求めました。胃の中では一緒になることはわかりきっているのに、胃を痛めている私を気にして、水をもらおうとしてくれたのです。花梨はどれほど親切なのでしょう。
そして私はどんどん花梨に惹かれていきました。2週間に1回の花梨とのカフェでの雑談が、どれほど楽しかったでしょうか。あっという間にカフェの営業時間を過ぎてしまい、花梨と離れてしまうことがどれほど、どれほど辛かったでしょうか。
一緒になりたかった。花梨を駅のホームに見送りに行くたび、花梨が乗った電車の扉が閉まるときに、飛び乗ろうか、また行ってしまった後に、数本の電車を見送りながら、この電車で後を追いかけようか、などと何度も思ったものです。
また、花梨から、「こんなに遅いのに無理に帰らなくてもいいんじゃないかな」などと言われた時もありました。私はその意味に気づかず、「行けるところまで行ってからタクシーで帰るよ。ホテルに泊まれるお金も持っているし、大丈夫。」などと言って帰ってしまいました。
花梨も私もあまりにも純粋すぎて、その心の中の思いをお互いに相手に充分表せられなかったのです。
リーマンショックで経営が傾いた会社に、親会社から首切り部長と呼ばれる人事部長が派遣されてきて、私がターゲットになってしまいました。やがて、私は病んでいきます。
首切り人事部長とグルになった部課長から、達成不能なノルマを課され、毎日血反吐を吐くような過酷な状態に置かれて日に日にやつれていく私を、花梨は相談に乗ってくれて心のケアをしてくれました。しかしそれも叶わず、私は最終局面に突入します。
会社の、8階建てのビルの、窓のない非常階段の一番上の階の、扉で閉ざされた、畳2畳くらいしかない踊り場。そこが私の最後の拠り所でした。業務時間中に、どうしてもいたたまれなくなった時、私はそこへ行くのです。
職場で3000ページのレビューを2週間でやれ、残業は一切許さない、などの達成不能なノルマを次々に課され、職場に居場所の無くなった私が最後に行き着く場所はそこだったのです。その狭い電気が消せて誰も絶対に来ない狭い鉄筋コンクリートの踊り場で、持ち込んだ6mmのクレモナロープを手に持ち、何度私は涙したでしょう。
そんなことを知った花梨は、私のその事態の告白に驚き、私がその狭い踊り場の消火用ホースの下に隠し置いた6mmのクレモナロープを、撤去してくれたのです。それも2度。
そして、私は、そこに行き、最後の選択をしようかと悩む時、花梨が私を支えてくれるから、花梨を悲しませる訳にはいかない、そんなふうに思い、いつも私は、ロープを首に当てたところで、花梨の顔を思い出し、花梨の優しい声をまた聞きたいと考え、そう思うと、思いとどまるのでした。
そして、休職。2か月後に診断書と復職願いを持って会社を訪れても、勤務できる状態にないと門前払いでした。
花梨に、就業規則と、退職願のサンプルを郵送してもらいました。
そして、退職。
時々、花梨は誘うとまたいつものようにアフタヌーンティーに来てくれました。ただし、花梨は、こう言うようになりました。「森嶋くんは勉強して、地元の公務員になりなさい。私も地元に帰って警察官になるのが夢だから。夢を叶えようよ。」と。
しばらく意味がわからなかったのですが、よく考えるとこういう意味としか捉えられません。「森嶋くんは地元で頑張ってください。私も地元に帰ります。そして二人は遠く離れて、もう会うことはありません。私は森嶋くんがパートナーとなっては成立しない職業に就きます。未練を持たないで下さい。」と。
花梨の夢がもし国家公務員になりたい、でも良かったのです。私はずっとついていきます、と言えるから。今の会社にいます、でも良かったのです。私も近くに住めると言えるから。
しかし、地元に帰って警察官になりたい、は絶対に叶えてあげられません。パートナーがそのような病を持っている場合、警察官には絶対になれないのです。私がパートナーだと、絶対に実現できない夢を、花梨は叶えるのだと、私に強く、何度も、ぶれずに、まっすぐ、繰り返し、迷わず力説するのです。
そんなことを言いながら、それでも私と親しくしようとメールで連絡をしてくる花梨の、将来の夢を私は実現させてあげるため、また花梨の言いたいことの根本を理解したつもりで、2人の将来は無い、と花梨が考えて、私に直接傷つけまいとやさしく、そっと、意味なさげに伝えようとする、花梨の優しさにかえって私は強く打ち砕かれ、私はやむを得ず強硬手段に打って出ます。
音信不通。
それもTwitterで、花梨が私の趣味である釣りに行って釣った魚をバーベキューしたことをわざわざ書いてくれ、私を喜ばせようとしたその時に、「生きた魚を串刺しにして火炙りするなんて、なんて残酷な人だ」とふっかけてTwitterを炎上させ、それが原因で私が花梨を見捨てて二度と連絡を取ってほしくないかのように振る舞いました。
私は、本当はどれだけ花梨のことが好きで、生涯を共にしたいと思っていたのに・・・。その私の小さく切ない、小さいが本当に実現したい夢を、唯一の私の希望と夢を、花梨が地元の警察官になりたい、と言ったことで拒絶されたと思い込んで、花梨の優しい心を蹴り飛ばして自ら謀って音信不通にしてしまったのです。
何度も一人泣き、花梨を幸せにする方法は、音信不通しか無いのかと自問自答しました。そして、花梨を幸せにする方法は、私が音信不通で離れていくことしかない、という結論に至ったのです。幸せにしてあげたいのに、離れる。こんなひどい結論をどうやったら導けるのでしょうか。私の心は張り裂けてしまいました。それでも、それが花梨を幸せにできる唯一の道なら・・・。
そして、私は実行してしまいました。
嘘でもいい、花梨から、私に、生涯一緒になっても成立する夢を私に語ってほしかった。
そうであったら、私と花梨の人生は、確実に変わっていた。
不幸なことに3年経ちました。
病んでしまった私の治療はとてもうまくいき、普通の人以上に元気に、並より少し低い給料を、自分で稼げるようになりました。
別の若い女性に、恋心を抱いていたこともあります。
でも、辛い時、苦しい時が来ると、いつも花梨が思い出されるのです。
過去の私と同じ病気を持つ人が職場にいて、それと気付かず失敗したその人を強く叱責し、その人はいなくなりました。なお、い、は取ってもらって構いません。
そんな時、私は花梨を思い出し、心を鎮めるのです。そして、心が静まるのです。
でも、私から音信不通にしておいて、今さら連絡を取ることは出来ない。そう思って、ついぞ不幸なことに、3年の月日が流れてしまいました。出会った時、私は26歳、花梨は24歳。今、私は33歳、花梨は31歳。
2015年1月4日、私は勇気を持って、花梨に連絡を取りました。花梨が大好きだった、神社仏閣で貰える御朱印を、実に3年ぶりに収集し、花梨にメールで送ったのです。
それも、私の島根県出身の友人に頼み込んで、元旦に釣りたての真鯛を山ほど贈り、そのお礼として縁結びの神様、出雲大社の御朱印を頂戴してもらって、メールで送ってもらい、それを花梨に贈ったのです。
100%、完全に、重要で特別な意味合いを持って、最高の縁になるように、3年間の時と束縛を乗り越えて、どんな困難も乗り越えて、もう一度花梨とやり直したく、最後の恋愛にしようと決心して、私の人生の中で最も策略的に、最も欲しい物を、最も大切な物を手に入れるために、私は花梨にそれを贈ったのです。
花梨から返信が来たときは、やった!やったぞ!と、天にも登るような思いでした。100に1つと諦めた心もありましたので。そして2週間に1回のペースでメールをやりとりし、きっとうまくいくと心から確信しました。
そして、ついに、音信不通になってから3年ぶりに、初めて誘ってから実に7年ぶりに、あのアフタヌーンティーに誘ったのです。直接会って、私から、やり直そう、一緒に生涯を考えたい、ということを伝えようと強く固く決心して。
花梨から返信がありました。
「初夏に結婚式を挙げることになり、バタバタ忙しくて、ごめんなさい。」
メールを見た瞬間、血の気が引いてしまい、ベットの上に倒れこみました。全くその展開を考えていなかったからです。
私は、数年前、その純粋さ故、花梨を不幸のどん底に陥れたということ。これは紛れもない事実です。
ですから、私は、花梨が、今、幸せであるならば、どんなことも言わず、花梨の幸せを心から生涯かけて願います。そしてきっとそうなのでしょう。
これが一番ハッピーエンドなのかもしれません。適齢期に3年間もほったらかしにして、病気を持っていた私が、回復したからといってやっぱりこっちを向いてほしい、などとは言えません。
花梨が今、幸せならば、これでよかったのでしょう。これが一番ハッピーエンドだったのでしょう。それでいいと思います。
ただ、100万分の1くらいの可能性で、どうしても私の心の奥底で、もしかすると花梨が故意に私に嘘を付いているかもしれないと、極めて正直な花梨にその可能性がほぼ全くないことを知りつつ、思うのです。
ほぼあり得ない可能性ですが、そうであれば、私は今すぐ花梨のところに飛んでいき、この思いを伝え、許しを請うでしょう。ごめんなさい。やっとわかりました。3年間かけてやっとわかりました。花梨が心からほしい、と。また、もしや花梨の中に、ほんの少しでも私のことを忘れられずに思うところがあり、やっぱり私が、ということにならないか、そんな1000万分の1の可能性も、私は考えてしまいます。
花梨は、私の命の恩人であり、花梨がいなかったら今の私はないのです。
そして、私を助けてくれた花梨を、私は心から好きで、どうしても一緒になりたかったのです。
そして、今、一緒になりたいと心から願って、アプローチしようとしていたのです。
一緒に幸せになりたい。
この過去と、未来へのストーリーに嘘偽りはありません。
これは曲がりようもない事実のみで構成された、純粋な理論であり、物語であるのです。
ただ、物語が紆余曲折を受け、想定外のストーリーへと変わって誰も思いつかなかった結末に辿り着くように、花梨と私は、ひょっとしたら共に思い惹かれ合いながらも一緒になれない運命だったのかもしれません。花梨は嘘をつけない人なので、花梨のメールを見る限り、多分、運命は既に別れてしまったのでしょう。クリティカルノーリターンポイントは、既に過ぎてしまったのでしょう。恐らく、花梨の30歳の誕生日の日に。ひょっとしたら、私が、ほんの少し遅かったのかもしれません。
冒頭で、花梨を不幸にした、と書きました。
私は、花梨に強い思いを寄せながら、花梨の優しさと思いやりを強く感じつつも、私の誤解かもしれない事案を受けて、謀略の上、花梨を3年間もほったらかしにして、花梨を不幸にしました。
私は花梨を襲わなかったことで、花梨を不幸にしてしまったのかもしれない。
襲ってしまっていたらよかったのかもしれない。事実として、それは実現できたと思います。
しかし、私は純粋すぎた。病気を持っていた私と一緒になった場合、花梨が不幸になるリスクのほうが、当時はきわめて大きかったのです。
だから、私は、花梨に、私とは別の道で幸せになってほしいと、花梨との縁を切ろうとして謀りました。そして成功しました。
でも、本心は、私が花梨を幸せに出来るならば、幸せにしてあげたいと強く思っていました。ひょっとしたら、両思いだったかもしれないのです。お互いに結ばれたかったかもしれないのです。それなのに別の道を選ばざるをえない運命ならば、これほど残酷な運命はないでしょう。これが私の恣意であったならば、これほどひどいことはないでしょう。
私は、あの3年前の出来事を、後悔しています。私の人生最大の失策です。
しかし、既に決行され、3年が過ぎ、お互いに別の道を進むようになってしまった。
お互いに思っていたけど、結ばれなかった。そして分岐点が過ぎてしまった。
不幸ですが、これが事実なのでしょう。
そんな花梨に、最初で最後のラブレターとして、伝えます。
私は花梨が心から好きです。花梨が助けてくれた命、大切にしながら今も生きています。
私が幸せにしてあげたかったが、それは無理のようです。私が幸せにできなくても、花梨は、花梨の道で、幸せになれますように、心から願います。
今まで本当にありがとう。幸せに生きて下さい。私も幸せになります。
あの時、お互いに純粋すぎて結ばれなかった、命の恩人で生涯忘れられない人へ。
そしてもし100万分の1の可能性が現実なら、迷わず私と、結婚して下さい。
お願いします。
2015年8月1日23:59まで、返事をお待ちしています。
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*
私は居ても立ってもいられなくなり、フラレターへの返信が来る前に、最後の神頼みをしようと決意した。すぐに、かつて花梨が一緒に詣でたいと言っていた出会いの神様、出雲大社に、向かった。出雲空港行きの直行便は予約が取れなかったので、隣県の鳥取県にある米子空港を使った。そこは、偶然とはいえ、花梨の故郷でもあった。
私は、花梨が青春時代を過ごした高校を一目見ておこうと思い、立ち寄った。ありふれた高校だった。その高校に程近い丘の上に、神社があった。境内に上がってみると、その高校の学生たちの受験用の絵馬が目についた。そして、私にとってとても残酷だが、結婚や新しい家族の幸せを願う絵馬もあった。
私はすぐに、花梨宛の絵馬をここに書こうと思った。ここの絵馬なら、人目にも触れないし、花梨にも迷惑がかからないだろう。
私は、正直に、願いが叶うことだけを記載して、心から祈って絵馬を奉納した。
「東本花梨が幸せになりますように。森嶋確志」
決して、花梨と私が結ばれますように、とか、花梨がこちらを向いてくれますように、とは書かなかった。この期に及んで分かったが、一見健常者であるが実際は精神障害者である私が、花梨を幸せにできる可能性は露もなかった。
だから、純粋に花梨の幸せを願う。
この旅はそういう目的で果たされるべきだと思った。決して自己都合で花梨が欲しいなどと言ってはいけなくて、花梨を失うことを自分の心に納得させる、そういう旅だった。
苦しい旅だった。
出雲大社は米子空港から電車で1時間半ほどだった。
自分にとって残酷なことに、私はここですることを決めていた。
花梨の思い出をすべて捨てる。
私は花梨との思い出になるような品は、極力収集しないようにしてきた。私は花梨の写真を一枚も持っていない。偶像崇拝するくらいだったら本人に会いに行く努力をすべきだと信じていたからだ。
だから花梨との思い出の品は、3冊の御朱印帳と、花梨に見せたことのある外国製の銀貨だけだった。これを、神職に事情を話してお願いして処分していただくことは、出来なくはないことだった。
まず、花梨との最初の思い出の御朱印帳、これは太宰府天満宮で貰ったものに、出雲大社の御朱印を頂いた。
あとは祈祷所に行って事情を話して御朱印帳を処分してもらうだけだったのだが、そこで、どうしてもその御朱印帳を、捨てることは出来なかった。花梨と出会ってからの7年間が私の頭の中を矢を射ったようにさーっと流れていき、自分でもわからないのだが、その御朱印帳を大切に撫でてしまっている自分がいた。もう花梨への最後の思いが、その御朱印帳を守ろうとしている、そうとしか思えなかった。
過去に、捨てると決意して捨てられなかったものが私にはあるだろうか。思い当たらなかった。だがどうしても御朱印帳を捨てられないと思った。私が愛した花梨との、たった1つの思い出の品。
そっとリュックに仕舞った。
出雲市内に一晩泊まり、翌朝、出雲大社にもう一度詣でて、米子空港へ向かった。
雨の米子空港に着き、一階のターミナル内を歩いている時、心臓を弓矢で射抜かれたように私は飛び上がって視界が真っ暗になった。
花梨がいる。
到着ロビーの待合室に、花梨がいる。
15mの距離。ちらっと横にいる人に話しかけるようにこちらを見たその顔姿は、どう見ても花梨だ。
私はとにかく逃げたい思いでいっぱいになり、近くの階段から二階に逃げた。えらく動悸がした。殺人をした直後に犯人が警察を見たような感じだった。
身を隠すために急いでトイレに入った。追跡があれば躱せると思う充分な時間だけ、個室に篭った。
今のは花梨だったのだろうか。なぜここにいるんだろうか。3年前に離れ離れになった人が、たとえここがその人の故郷だとしても、いるはずないじゃないか。完全な空似だ。
しかし目に見たものはどう考えても花梨だった。
花梨がここにいるとしたらどういう時だろう。10分くらい考えたろうか。
わかった。花梨が結婚する相手をご両親に紹介するために、相手を乗せた飛行機を待っている。それなら可能性としてあり得た。その日は3月1日、大安だった。これ以上の良い日取りはない。
花梨の新しい船出を邪魔してはいけない。そう思ったが、さらに10分も経つと、どうしてももう一度最後に花梨と会いたい気がした。話しかけられなくても、到着ロビーの隅のベンチから、そっと花梨とその夫になるであろう人を見送るのは、なんとか許されなくもないと思った。
そっと一階に降りていったところ、あの花梨は、もういなくなっていた。
夢だったのだろうか。幻だろうか。最後に神様が、花梨の姿を私に見せてくれたのだろうか。よくわからない。
2時間後、私は花梨の故郷をあとにした。
*
絶望的な毎日が過ぎていった。
フラレターを出してから花梨が結婚するまで、推定4ヶ月あった。この間に、花梨に、もうどうしてもの絶体絶命のアプローチをしようかと、何度も悩んだ。
まず、花梨がいなくなるなんて、私は本当に死にたくなってしまうのだ。事実だから仕方がない。死にたいからその前に1度でいいから会ってほしい、と自分の死を賭けて迫る方法もあった。一時期の花梨のように、1日100通のメールを4ヶ月間送り続けるけることも可能だった。
もっと残酷な方法もあった。フラレターをFacebookに実名で公開して、ネット上で花梨を有名人にしてしまうことだ。花梨は何らかの対応をせざるを得なくなる。実際、睡眠薬を飲んで寝ぼけている時に、フラレターを花梨の名前は隠したが「友人のみ」で公開してしまった。翌日、それに気付いて、それは私がしてしまった公開処刑と同じで、花梨にとってそれがどれだけ残酷でむごいことかを思い、急いで消した。
私はどんな方法を使っても、花梨を取り戻したかった。取り戻せないことはもはやどうしようもなく明らかだが、どうしても花梨を取り戻したかった。
花梨と繋がっているのは、共通の知人が1人。あとはメールのみ。
共通の知人に、私の思いの丈をぶつけてみた。
「森嶋くん、あなたは完全なストーカーで花梨に被害を与えた。絶対に君に協力などしない。2度と花梨には近づくな。」それが共通の知人の回答だった。
私はほんとうに気が狂いそうになってしまった。実際に気が狂っていたのかもしれない。
何も出来なかった。
幸せになっていく花梨がいるのだったら、私が出て行ってぶち壊すことは、花梨をひどく、取り返しのつかない形で、不幸にすることだった。
つまり、私は何も出来なかった。
絶望のうちに時は経っていった。
私はずっと前、花梨が私と結ばれたいと決意してくれた時に、花梨を奪えなかった私自身の純情純潔さを、心より呪った。そしてその病魔に蝕まれた人生そのものを100倍呪った。そして花梨が結婚を決める前に私の心からの思いを花梨に伝える手段を取れなかった不甲斐ない私を、その1000倍呪った。そして花梨をネット死刑にした私の罪を、その10000倍呪った。私こそが死ぬに値する罪人であり、その罪を償うには花梨の幸せをただひたすら願うことしかなかった。
*
私は花梨にプロポーズできる可能性のあるごく僅かなチャンスに、もし花梨が1度でも私と会ってくれるのならばの話だが、花梨にいかにして逆転プロポーズを承諾させるかということに、考えを注ぎに注いだ。そして、どんな愛が出発するにも、その速度が重要なのではないか、という仮説を立てた。思えば、花梨とは、どの乗り物でも一緒に移動したことがなかった。ドライブデートには100回くらい誘ったが1回も来てくれなかったし、電車デートも1度たりともダメであった。車にも電車にも酔うから、というのが花梨の言い訳だった。しかし、花梨は会社の同僚の車に同乗して仙台に行ったり、通勤に電車に乗っていたり、各地に旅行へ新幹線で移動していたはずだ。結局、花梨と私は、共に移動することを避けた。『共に移動する』ことが恋愛にとってもっとも重要なことであると私は仮説した。
そこで、この世で考えうるべき最高のシチュエーションで、最高の速度で、花梨にプロポーズしようと思い、思いついた。
オープンカーに花梨を乗せて、オープン最速と思われる220km/hを超える速度で、花梨にプロポーズしよう、と。
4年前に、離れていく花梨を何とかとりとめてドライブデートに誘いたいと思い、退職金で思い切ってBMW製のオープンカー、Z3を買っていた。1998年式の古い車で28万円で購入したが、追加で60万円かけて万全のメンテナンスをしており最高時速は200km/hを楽々超える。私が所有してから、もちろん女性を一度も乗せたことがない、持ち主相応の純粋な車だ。今こそ、その出番だ。
確志による深夜の高速道路でのBMW製オープンカーによるスピードアタックが開始された。200km/h以上での走行は困難と思われているオープンカーでの、空力と本能的恐怖と実際の危険性との、格闘だった。しかし確志は、そのオープンカーを200km/h超で走らせる行為が、危険というよりは花梨と結ばれるための唯一の希望でありチャンスだと思っているため、もはや全く躊躇なく200km/hをらくらく超え、220km/hの壁に何度も、諦めずに挑戦するのだった。
まるでそんなことをすれば花梨が人生を共に歩いてくれるとでも約束されているかのように、そんなあり得ない得ないことを考えながら確志は狂ったほどにそのオープンカーの速度を追い求めた。
そして220km/h以上出せれば、レベル7、すなわち宮部みゆきのように何もかもすべて忘れられる。花梨を愛したことも、両親に虐待されたことも、精神障害者になったことも、人を殺してしまったことも、その極限状態で、すべて忘れ、ただ、走る。
それは快楽ではない。むしろわずか0.1mmのハンドル操作に死が伴走すると言ってよい生死の極限が交錯するその速度状況下で生じる極度の緊張と集中により、それを経て1週間ほどは全ての苦を思い出せず忘れられることが、確志の唯一の救いであった。
その速度での事故死があってもそれは花梨への届かぬ愛への忠誠を誓った殉死であり、もはや確志にとっては殉死でも良かったのかもしれない。もう、確志には愛と死の区別がつかなくなっていた。ただ、はっきり、自殺だけは花梨の美しい心を汚してしまう一番劣悪で卑怯な行為だと、そう思っていたのは、花梨への唯一の、本当に花梨のための確志の心からの思いであったのかもしれない。
どうせなら、220km/h出して、すべて忘れて死にたい。花梨への愛に殉死したい。それでもいい。本望だ。そう思うとやはり私は花梨を心から愛していたのだと、狭いオープンカーの中で、219km/hの速度で、いつも何度も同じことを繰り返し考える。花梨と結ばれたかった。花梨を心から愛していた。その花梨に幸せになってほしい。幸せになってほしい。
しかし、完全忘却であるレベル7の220km/hが出ないあまりに、花梨を思い出したまま、忘れられなくなる。その花梨の思い出が本当に愛おしい。それは速度が落ちるともはや会える可能性が全く無いという現実が蘇り、強いにがみ、苦しみに変わるが、それは0km/hの速度で、100%の現実にただ、のた打ち回ることに比べれば、はるかに良かった。
*
オープンカーでのスピードアタックを確立している間に1ヶ月が過ぎた。残り3ヶ月。
私が生きていくためには、どうしても花梨が必要だ、という結論に達した。
どうしても。もうどうしても絶対。他人と結婚しようとしていても、それでも絶対。
絶対に花梨を取り戻す。奪い返す。オープンカーに花梨を乗せて最後のプロポーズをするためにどんな手段も行使し行動して花梨を動かす。そう決意した。
もうどうしてもなので1日100通のメールを送ってもいい。毎日ラブレターを書くくらいなんでもない。そうしよう。絶対にやる。毎日100通ラブレター。それしかない。決意した。そして花梨に絶体絶命のアプローチを開始するまさにその時、とんでもない史上最悪のタイミングで、気違いの妹が、本当にとち狂った。
*
ある日、帰り道にFacebookを見ようとiPhoneを手に取ると、母親から無言メッセージを含む着信履歴が13回記録されていた。嫌な予感がした。自宅最寄駅に着いて折り返し電話をしてみた。
「なんか電話した?」
「今どこ?」
「最寄駅だけど。何かあったの?」
「良かった。間に合った。妹が狂ったの。今逃げてきてホテルから電話しているの。」
「なにそれ?何があったのかわかるように説明して。」
母親の説明は説明になっていなかった。正確には、説明にならないようなことで妹が狂ったというのが事実らしい。
母親から電話で27分の通話で説明されたひどくややこしい内容と、そのさらに複雑怪奇な背景事情を整理するとこうだ。
その10日ほど前、新車で購入してから15年落ちの家族で使っている車が老朽化の上、故障連発で手に負えなくなって、車検を前に廃車処分することにした。エアコンも壊れて修理が出来ず、ひと夏をエアコン無しで過ごしたような有様だったから、廃車は当然だった。
車が無いと千葉の田舎では到底生活できない。しかし、父親は警備員のパート、母親は無職で、貯金も現金もない。そこで、私はオークションで安く車を購入することを両親に提案した。それもアウディ・A3だ。高級車の部類だ。ただし予算が全く無いので、2002年式の中古車で程度が良いものを、たったの10万円で入手できるように算段を立てて、オークションで落札した。あとは落札代金を支払うだけだった。
ところが妹が、いきなりオークションでの車の購入など許さない、フォルクスワーゲンの新車を購入しろと言って、包丁を台所から持ち出して振り回して暴れ、母親から財布を取り上げて母親を監禁して家に立て籠ろうとしたという。
その言い分はこうだ。さらに遡ること4年前、母親が親戚からフォルクスワーゲン・ポロを20万円で譲り受けてセカンドカーとして我が家で使っていたが、妹が車のキーを奪い取り、車は自分のものだと言い張って占有してしまい、故障のたびに母親の名前を使って正規ディーラーで修理代金をツケで修理させて母親に支払わせていた。しかしついに大きな故障があり母親は修理代金を払えなくなって、母親はディーラーに相談し合鍵を作ってもらって妹に無断で車を持ち出して廃車処分した。5ヶ月前のことだ。妹は自分の車を無許可で勝手に処分したと言って激怒し、代わりに新車を買えと言って数か月にわたって家庭内暴力を振るって母親を脅迫していた。
さらに、妹は家の車も私物化して運転するようになった。その車が、処分され、たった10万円の中古車に買い替えられるというので妹は激情した。そして妹が、自分の車、それもフォルクスワーゲンの新車を買えと言って母親を包丁で脅して監禁したと母親は言った。
そもそも妹は、私が幼少期から家庭内で保護し守っていたことから自分は特別な存在だと思い込み、性格が完全に歪んでしまっていた。さらに悪いことに、母親が警察関係だったことから学校での非行行為は母親がフォローするのでやりたい放題やって母親を困らせ、母親は非行をしないことを約束させ代わりに金銭を手渡した。
さらに妹は賢く、金や愛情が欲しいときは非行をしたり家庭内暴力を振るえば母親から愛情や金銭が無制限に貰えることが分かってしまった。次第に、自分の物と他人の物の境界も解らなくなり、母親を脅せば何でも自分の物にできる、自分の思い通りになると思い込んだ。母親も金で解決できるならと暴力に対して金を渡して妹の機嫌を取り続けた。
家庭内暴力や非行に対し金や褒美を与えるという逆しつけにより、家庭内暴力や非行が条件反射的に定着し、親子べったりな特殊な母子関係が発生した。
こうして、妹は精神病の中でも治療が全く効かない性格異常の病気である境界性人格障害となり、症状が固定化してしまった。平たく言えば妹の気違いは家庭環境により作られた。
その気違い妹が、母親を包丁で脅せば、自分が無職で家族に金が無くても新車が買えると思い込んで、母親を包丁で刺し殺す演技をして、家族で唯一まともな収入のある私に、自分の好きな新車を買わさせようと企てた。それが妹の狂言殺人未遂と殺人予告、すなわち新車を買わなければ包丁で母親、父親を刺し殺すという私への強迫に繋がった。
母親が、妹が狂ったのでホテルに逃げた、新車を買えば全て丸く収まる、という風に私に電話してきたことも、その説明を聞いているうちに私の中でようやくすべての辻褄が合った。母親をうまく使った妹からの脅迫だ。私を脅迫して新車を買わせるため、母親を人質に取っていつでも刺し殺せる演技をする、というわけだ。人質の母親も自分が刺し殺されるかもしれないので妹と同調して私に新車を買ってあげて頂戴などと言っている。
気違いのゴミ妹めが。
私は妹の気違いの様子、その人格障害の病理病態をよく知っているので、妹とは一切関わり合わないようにしていた。最後に直接口をきいたのは4年前、3.11の時だ。以降、同じ家に暮らしていても一切口をきいていない。その私と口もきけない妹が母親を介して私を脅迫するというひどい構図だ。
私は新車を買うように説得してくる母親の話を拒否して、中古車の購入を完了させた。
妹は台所から刃渡り20cmのチタン製の先が鋭く尖った包丁を持ち去り、自室に隠し持っているのでいつでも母親を刺し殺せる、私も刺し殺せるという強迫を母親経由でしてきて、事実としてそれを実行できる臨戦態勢に入った。
私にとって自宅は恐怖のホラー屋敷と化した。
毎日、家に帰ると家族が刺し殺されていて死体が転がっているかもしれない。
毎日、私自身、新車を買わなかったことを逆恨みされて刺し殺されるかもしれない。
私は完全に動揺してしまい、妹の思う壺だった。そして、そんな状況で、気違い妹に母親を使ってうまく脅迫され、その境遇に思わず自殺したいほど気分が落ち込んだ。そして私が妹に他殺される可能性も事実としてあった。自殺、他殺とも過去に経験したことのないほどのリスク量となり、普通の人間がマネジメントできるリスクの範囲を大幅に超えて、毎日、他殺の恐怖に震え、私は自身のコントロールを完全に失った。
私は家に帰れば起きているときも寝ているときもいつでも、気違い妹に包丁で刺され、のた打ち回り出血多量でじわじわと死ぬという現実の死の恐怖に怯え、震えた。
自衛のためにナイフ5本、自動車用発炎筒50本、爆竹10箱、エアガン2丁を用意し、ナイフ1本と発炎筒3本は枕の下に常に忍ばせているが、そんなものはぐっすり就寝中に刺されたら、まるで意味をなさないものでしかない。
家族が、刺し殺されるかもしれない。
自分が、刺し殺されるかもしれない。
私は、現実の自分の死の恐怖の前で、史上最悪のタイミングで、花梨へのアプローチが出来なくなってしまった。
私はこの気違い一家を身内に持った自分の境遇を、つまりすべての私の、花梨を拒否してしまった原点を、自分の純情純潔さの1億倍呪った。しかし、呪ってどうにかなる類のものではなかった。
私が自分の死の恐怖に怯えている間に残り3ヶ月はあっという間に去ってしまった。花梨は他人と結婚してしまった。終わってしまった。
*
2015年8月1日、フラレターで宣言したゼロデイが来た。私は出雲大社に、2人乗りのオープンカーで、ただ1人、詣でた。
ここで初夏に他人と式を上げたかもしれない、花梨の幸せを心から願うために。
*
私は思う。花梨がまだ結婚していない可能性や、結婚後に寡婦、すなわち夫に先立たれたり不幸な事態で未婚の母になる可能性を考えて、花梨のパートナーとして花梨を支えてあげるべく、私は独り身を維持し、純潔のまま生き続けるべきではないかと。
そしてどんなに辛いことがあっても、車に乗って200km/hも出すと、花梨のことを思い出してしまう。その花梨への想いが、わずかでも残っているのなら、私は、たとえ精神病であろうと、生きることが辛くなり諦めようとしようと、気違いの身内に刺し殺される恐怖に怯えようと、それでも、やはり、生きよう、と思う。花梨のために。
そうやって、また、まだ何年間も、何十年間も、花梨を思い出しながら、私は生きていくのだ。きっと。
いなくなった花梨に支えられながら。その純愛に支えられながら。
*
純潔宣言
あなたは、いつ何時も、花梨を愛し、花梨に尽くし、決して花梨を裏切らず、何があっても花梨を守りぬくことを誓いますか。
・・・誓います。
あなたは、花梨があなたではない夫を持ち、その子を持ち、孫を持っても、花梨と、その花梨の宝である子と孫を、自らの子や孫と同じように心から愛せると誓いますか。
・・・誓います。
あなたは、花梨のために、自らの純潔を保ち、花梨が寡婦となった場合はその夫となり、またいかなる困難障害が花梨を襲っても、その時、花梨の人生を支えることを誓いますか。
・・・誓います。
よろしい、あなたに純潔の誓いをここに授ける。
花梨を求めてはならない。しかし花梨から求められることを許可する。
その心が純粋で在り続け、その体が純潔で在り続ける限り、花梨への愛を持ち続けることを許可する。
*
確志は、花梨への叶わぬ愛により、そのけがれない純潔を保つことを決定した。
純潔宣言
著者が一番怖いことはこれは自小説ということだ。事実を下敷きにしているどころか事実そのものである。その時々で書き残したメモや短編相当の編集物を持ち寄り全体を再構成した。後半に出てくるメールはほぼ原文ママ。(数行は変更を加えたがほぼそのまま。)
本物のキチガイ認定を受けた精神障害者の著者が書いた、世にも恐ろしい実話がこの小説である。