太陽が眩しい。
ベンチで空を仰ぎながらそう呟く男が一人。
彼は高校を卒業してからずっと家にひきこもり、ゲームと動画を漁ることを生き甲斐とする齢35歳のニートだった。
何故彼が外に出たのかは、公園の水なら無料で飲めるからだ。
親は三年前に他界し残してくれた遺産も食い潰し水道も止められてとうとう残りの通帳残高は二桁を切った。
人生詰んだ。
男は死を覚悟していた。
どうせ悲しんでくれる友も家族もいない。
ならば死んでも良いだろう、と腹を括っていた。
日溜まりと風のざわめき。何処からか聞こえてくる小鳥たちの鳴き声に交じって耳障りな音がする。
真っ昼間の公園、近くを見渡しても男以外誰も歩いていなかった。
声のもとを探すと隣のベンチで何かが蠢いている。
白い布に包まれた赤ん坊だった。
「ンギャアアア」
母親を探して泣いている。いや、単にお腹がすいたのかもしれない。もしくはおしめを変えたいのかもしれない。
何かを求めて泣いているのには違いなかった。
男はその生き物を遠くから見詰つつも冷静に観察した。
こんな昼間に公園に置き去りにされた生まれてまもない赤ん坊。
近くを探しても誰もいない。戻ってくる気配もない。
ということは捨てられたのだ、と瞬時に悟った。
かわいそうに、とは思わなかった。
なぜ生んでしまったのだ、という思いの方が強かった。
生まれても誰にも必要とされずただ死ぬのを待つだけ。嫌な人生だ。
でもきっと大丈夫。まだ小さいからこの子供はきっと誰かが手を差しのべてくれるだろう。
そう願って男はその場を後にした。
その腕の中に赤ん坊を抱きかかえたまま。
翌日、男は子供を保育所に預け仕事を探した。
学歴のいらないきつい肉体労働だったが二人とも餓死するよりはマシだと思い死ぬ物狂いで働いた。
子供の母親は失踪したということにして何とか誤魔化し出生届を出した。
名前は男でも女でもいいように光と名づけた。
光は喜怒哀楽の激しい子供だった。
お腹がすいたときは大声で泣くし、楽しいことがあると笑いだし、嫌なことがあると直ぐ様泣き叫ぶ。
でもそれが唯一の救いでもあった。
言葉の通じない相手とのやりとりは表情で読みとるしかない。
ミルクの作り方やとおしめ代えにもだいぶ慣れてきた頃、光と一緒に公園に散歩に行くと見ず知らずの若い男女が歩いていた。
きょろきょろと辺りを見回し何か大事なものを探しているようだった。
スマホだろうか、彼氏の指輪だろうか。
それが今男が抱いている子供だと気付いたのは彼女が子供を置き去りにしたベンチに突っ伏していたからだ。
「ああ…神様…お願いします…」
「お前ここに置いてきたの?」
「そうだよ!何もかもあんたのせいよ!」
どちらもまだ十代くらいの幼い見た目で何やら口論になっている。
ここにいますよ。神様じゃないけど。
と男は心の中で独りごちたがその子を渡す気は全くなかった。
一度捨てたわが子をこの親たちはちゃんと育てられるのだろうか。
何のつもりで会いに来たのかはわからない。
育てるためか。後悔してるからか。生きているか確認するためか。
その娘たちはどうやら後者だったらしい。
「はぁ…何処にもいねぇし…もう帰ろーぜ」
きっと誰かが施設に預けにいったに違いない。
そういって興味をなくしたようにバッグをもって立ち去っていく男とそれについていく女。
今すぐ後ろを見ろ。
お前たちの子供がここにいるんだぞ。
お前らが生んだくせに何でわからない、と怒りが込み上げた。
俺はこの子と血も繋がっていない。
だけどこれだけはわかる。
あいつらに預けるよりましだ。
この子はあいつらよりも立派に育ててみせる、そう誓って男は公園を後にした。
娘は難しい年頃になった。
中学生になり生理が来た途端、父親に対して反抗的になったような気がする。
あんなに素直だった娘もついにそういう時期に来たのかとしんみりする。
男は娘の為に学費を貯めたくて仕事をもう1つ増やした。
そのせいか夜遅く帰ってくることが増えますます会話もなくなった。
ただいま、と家に帰っても返事もせず冷たい視線を寄越すだけになった。
それでも娘が愛しいという気持ちは変わらなかった。彼女のためなら何でも頑張れる。例え自分の身が壊れようとも。
幼い彼女が笑ってる写真を胸に抱きながら男は眠りについた。
それから十年が経ち、遂に娘が成人した。
大人になった光は見違えるように美しく、穏やかになっていた。
今日は二人で回らない寿司を食べに行った。
娘は大層喜んでいた。男もその顔につられてついつい酒の量が増え顔がゆるんでいた。
今日は彼女に伝えておかねばならないことがある。
そう思うと緊張して酒を飲まないととてもじゃないが乗りきることが出来なかった。
二十年ずっと彼女に隠し続けてきた真実。
打ち明けたらきっと彼女は自分のもとを離れていくだろう。
光は俺の生きる意味だった。
それがなくなってしまうことがどんなことよりも男は怖かった。
だがこれからどうするかは彼女の自由だ。
彼女のために伝えなければならない。
帰り道、彼女と出会った公園を二人で歩いた。
誰もいない、静かな夜だった。
光は覚えているだろうか。
小さな赤ん坊だったからわかるはずもない。
あの頃の記憶が走馬灯のように蘇る。
ここで死のうと考えていたことも思い出した。
全てをこらえて、男は真実を打ち明けた。
「光、ごめんな。お父さんは光のお父さんじゃないんだ」
本当の親は別にいてきっと生きている。
それだけ告げて彼女の側を離れようとした。
きっと彼女はこれから一人でもやっていける。
そして俺はやっと死ぬことが出来る。
そう思っていた。
だけど光は言った。
「知ってたよ」と。
その言葉に振り返ると、光は初めて会ったときのように涙を流していた。
「お父さんがお父さんじゃないって知ってた。私を、此処で拾ってくれて有難う」
悲しいはずなのに彼女は笑っていた。
男も嬉しいはずなのに泣いていた。
それから二十年後、男は末期がんで娘とその家族に見守られながら生涯を閉じた。
男の目に最後に映ったのは、優しくて柔らかい光だった。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-17

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