並行世界で何やってんだ、俺 (9) 決戦・完結編

伸るか反るか

 玄関を出ると、目の前に黒塗りの高級車が止まっているのが見えた。
 そう言えば、最初に玄関を出て忘れ物に気づいた時も同じような車が家の前で止まっていた。
 自分の家の真ん前で駐車されるのは気分が良くないから覚えていたのだ。
(こんなところで高級車を見かけるのは珍しい。道に迷ったか?)
 と思った途端、車はスーッと発車して去って行った。
 気にはなるが、急いでいるのでこれ以上詮索しなかった。

 ここから十三反田(じゅうさんたんだ)公園前駅までは住宅街と商店街を駆け抜ける必要がある。
 住宅街は妹が言っていた通りで、外出を控えた人が多いためか、途中で出会うのは巡回中の女兵士くらいだった。
 何故巡回しているのかというと、不審者を捜しているからである。
 不審者とは敵のスパイ等のことである。たまに市民の格好をして紛れている東洋人がいるらしい。検挙騒ぎも聞いた。

 俺が後方支援部隊関係者の服である濃い緑の服を着ていたからだと思うが、伝令か何かと勘違いされているらしく、走っていても不審に思われて呼び止められることはなかった。
 ただ、この格好をしている男が少ないので、振り向かれたり二度見されたりすることはしょっちゅうだった。
 こちらの並行世界に来て、女性ばかりに囲まれていたからもう慣れたつもりでいたが、こうも視線が注がれると顔がくすぐったい。

 住宅街を抜けて商店街に入る。
 ここの道路は車道と歩道の境目を示す白線みたいなものがない。そのため、ついつい車道を走ってしまう。
 客足が途絶えてガランとした商店街は、シャッターを閉めた店がかなり多い。
 たまに開いている店に客がいるなと思ったら、全員が女兵士である。買い物袋を持っていないので、当然、巡回しているのだろう。
(もうすぐ駅前へ通じる道に出られる)
 そう思った時、後ろからクラクションを鳴らされた。
 車道と歩道の明確な区別がない住宅街を走っていた流れで、いつの間にか商店街の車道、それも道の真ん中を走っていたことに気づく。

 速力は落とさず、後ろを見ないで左側に避け、車に道を空けた。
『どうぞ、お先に』のつもりだったが、車は俺を追い越さず、速度を落として横にピッタリ付けて走っている。
 おかしいと思って右を見ると、車は黒塗りの高級車。
 その後部座席の窓を開けてこちらに手を振っている女の子がいる。
 それまで等速運動のように走っていたランナーは、伴走車の乗員に驚き、石もないのに(つまず)いて蹌踉(よろ)けた。
(リクだ!)
 とその時、トマス達の言っていたことが頭の中で呪文のように木霊(こだま)する。

『彼女は今日、全自動戦闘システムを完成する。
 俺が大怪我をすると、そのシステムがフル稼働して最終戦争が引き起こされる。
 彼女と俺が結婚して生まれる子供は救世主になる。
 リゼが新たに創造する世界で神として君臨する』

 車もランナーを気遣い、急ブレーキがかかった。
 彼女は窓から少し身を乗り出してニコッと笑いながら、アニメに出てくる小さな女の子によくある可愛い声で言う。
「マモルさん、また会えたね」
「ああ」
 半分の笑顔を返すが、残り半分は引き()っていた。

 挨拶がてら窓越しに車内を一瞥すると、乗っているのは運転手とリクを含めて四人であることが分かった。
 助手席の女だけよく見えた。こちらを向いていたからだ。
 オールバックでサングラスを掛けている。
 白い肌で濃い赤の口紅が印象的だ。
 肩の辺りが黒いので、黒いスーツ姿なのだろう。
 これは、前に見たボディーガードと同じ格好だ。
 ボディーガードなら、残りの二人もおそらく上から下まで同じ格好だろうと想像できる。

「何急いでいるの?」
「知り合いと待ち合わせ。遅刻するから急いでる」
「ちょっと待って。乗っていいか聞いてみるね」
 彼女はそう言いながら後ろを振り向き、ボディーガード達と何やら小声で話をしている。

(彼女はもう、全自動戦闘システムを完成したのだろうか。
 完成したシステムを制御するため、これから司令室の椅子に座るのだろうか。
 いずれにしても、ここで彼女を止めないといけない。
 そうしないと、最悪は最終戦争が引き起こされる)

 しかし、ここでトマスの言葉を思い出した。
『未来を知ったあなたは、きっと自己判断で変えようとする。それはわたくしが分岐させた世界に、あなたが干渉することになるのですぞ』
 ということは、思いつきの判断で勝手な行動するのは危険だ。
 ならば、しばらくこの運命の流れに身を委ねるしかない。

 割と長い話が終わって、彼女がこちらへ向き直る。
「乗っていいって」
「四人乗りの車じゃ、狭いだろ」
「ゆったりしているから大丈夫」
十三反田(じゅうさんたんだ)公園前駅から3つ目の駅だけど」
「3つ目って、どっち方向?」
「下り」
「あ、それなら同じ方向へ行くから、一緒に乗って」
「助かる」

 誘われるままにドアをくぐる。そして、後部座席へ体を全部押し込めてから分かった。
 当たり前の話だが、ゆったりしていたのは彼女が小柄だったからだ。
 いくら彼女の体型が小さいからといっても、俺の乗車のせいでギュウギュウ詰めになった。
 そもそも、彼女の膝の上にデカいクマの人形があるから定員オーバーのはずである。

 彼女が時計を見る。俺も時計を見た。
 11時45分だった。
「ここからだと、たぶん12時ジャストか、ちょい過ぎには着けるはずよ」
 ここで鎌を掛けてみる。
「ありがとう。……ところで、元々どこへ行く予定だった?」
「ゴメンなさい。それは秘密なの」
 彼女は乗ってこなかった。

 彼女は左ポケットの中に手を入れて何やらゴソゴソ探している。
 やっと取り出したのは、金色の鎖が付いた水色のお守り袋のような物だった。
「前にあげたお守り、まだ身につけている?」
「ああ」
 首からぶら下げているお守りを服の中から引っ張り出して、彼女の顔の前でチラチラさせる。
「あ、まだ肌身離さず持ち歩いてくれてるんだ。ありがとう。とっても嬉しい!」
「お守りだからさ」
「今度グレードアップしたお守りをあげるね」
「それのこと?」
「そう。受け取って」
「ああ」

 俺は右の手の平でお椀のような形を作って彼女の方に差し出す。ジャンケンのパーの形では物欲しそうな仕草に思えたからだ。
 彼女は手の平のお椀の真ん中にお守りを入れて両手で包み込むように握る。握られた手の平はお守りを具にしたオニギリになった。
 小さな手で温かかった。
「ありがとう。こっちのお守りは?」
 さっき引っ張り出したお守りを、左手でちらつかせる。
「返さなくていいの。持っていて。これで御利益(ごりやく)二倍よ」
「ああ」

 早速、水色のお守り袋を首に掛け、服の中に押し込んだ。
「前のより厚みがある」
「中は見ないでね。御利益(ごりやく)がなくなるから」
「分かった。前のも見ていないから」
御利益(ごりやく)あったでしょう?」
「ああ、無事に帰って来れたし」

 とその時、彼女は、クマの人形を右隣の女に預けると、いきなり俺の首に左腕を回して抱きついてきた。
 この展開は全く予想しておらず、正直言って、彼女に襲われたと思った。
 逃げ場がなく動揺する俺を彼女はガシッと捕まえて、口を耳元に近づけ息を吹きかけるように(ささや)く。
「お願い。また無事に帰ってきて」
「あ、……ああ。お、お守りがあるから大丈夫」
 彼女は抱きついたまま、俺の右腕に小柄な体の正面をグイグイ押しつけてくる。
 これを動揺せずに我慢していられようか。否である。
 とその時、右腕にチクッと何かが刺さった気がしたが、体重を乗せられているのでそちらに気を取られ、忘れてしまった。

 そのうち右腕も首に回してさらに強く体を押しつけ、耳元に息を吹きかけてくる。
 彼女の大胆な姿勢から想像される彼女の生身の体に加えて、頭の中は<結婚>と<子供>の言葉が渦巻き、一気に顔が逆上(のぼ)せてきた。
 顔の穴という穴から煙が出そうなほど熱くなる。
 首から下の全身も火照(ほて)ってくる。

 ここで急にトマスの部下が話してくれたリゼの手口を思い出した。
『あなたとリクが結婚して生まれる子供が世界を救う、とリクに吹き込むのです』
 つまり、今こちらに体を押しつける彼女の背後にはリゼがいる。
(これって、リゼの洗脳だよな。……本心じゃないよな)
 そう考えると全てがまやかしに見えてくる。
 おかげで急に熱が下がり、冷静になってきた。

 だいたい、長く付き合っているわけでもないのにこれほどベタベタくっついてくるのはおかしい。
 さっきから、右頬に二、三回キスをしてくるのだが、ここまで親しくなった覚えはない。

 そこで洗脳の度合いを試すため、彼女の方に顔を向けた。
 案の定、彼女は目をつぶって唇を重ねてきた。
 その温かくて柔らかくてちょっと甘い香りのする唇を重ねたまま動かない。
 彼女はなおも体を押しつけてくるので、鼓動まで伝わってくる。
(抵抗するとリゼが干渉して来るかも知れないから、ここは彼女にされるがままにしておくか)
 そこで、抱き枕状態を維持した。諦めたわけでもなく、受け入れたわけでもないのだが。

 しばらくすると、彼女は脱力したように唇を離し、首から両腕も離した。
 見ると、彼女の両方の頬を伝ってツツッと水が流れ落ちる。初めて見る彼女の涙だ。
「マモルさん。死なないで」
「大丈夫。後方支援部隊は戦闘にならないから」
 彼女にも嘘をついた。何度も死にかけている。
「お願い……」
「ああ、大丈夫だから、心配しないで」
 彼女の嘆願ぶりはどこまでが本心でどこからが洗脳なのか、サッパリ分からなかった。

 ふと左の窓の外へ視線を向けると、ちょうど目的地の駅前の風景が見えた。
 我に返った。
「あ、ここでいいです! 着きました!」
 しかし、車は速力を緩めないし、誰もが黙っている。車中で一人取り残された気分だ。
「あのぉ、通り過ぎましたが-」
「ちょっとだけ付き合って」
「え? ゴメン、あそこで人を待たせているから」
 と言って、右手の人差し指で車の後ろの方向を指さすと、彼女はその指を両手でギュッと握る。
「ちょっとだけ」
「それは困る」
「直ぐ終わるから」
「何が?」
「着いたら教えてあげる」
「いやいやいや……」
「大事なことなの」
「だから何が?」

 急に車が減速して左折し、歩道に乗り上げた。ガタガタ揺れた。
 外を見ると、車の向かう先はビジネスホテル前の駐車場のようだ。
 車のブレーキが掛かる。
「着いたわ」
 彼女の声がホワンと耳元で鳴った。
 急に体がだるくなった。右腕が(しび)れる。耳もジーンとしてくる。頭がクラッとする。
(しまった! こ、これは……薬……麻酔か)
 全身が火照(ほて)った時、血の巡りが麻酔の効きを早めたのかも知れない。
 そのために彼女は体を押しつけたのか。
「あら大変。フラフラしているみたい。ちょっとここで休みましょう」
(じょ、冗談じゃない……)
 ふらつきながらも力を出してドアを開け、転がるように外へ出た。
 助手席にいた女が、俺を追うように降りてきたのが視界に入った。

 ここで実にタイミング良く、右のポケットに入っていた携帯電話が鳴った。
(願ってもないチャンスだ!)
 女が俺の左腕を(つか)んだが、右腕はまだフリーの状態。
 咄嗟(とっさ)に右手で携帯電話を(つか)むと「連隊長からの電話だ!」と叫んだ。
 連隊長と聞いて女が(ひる)み、(つか)んでいた手を離した。
 画面を見ていないのに分かる訳がないのだが、階級の名称は某副将軍の印籠の如く効果絶大だった。

 もちろん、真っ赤な嘘だ。妹からである。
 フラフラするも、全身の力を振り絞って直立不動の姿勢で応答した。
「はい、鬼棘(おにとげ)マモルであります!」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
(空気読め、馬鹿!)
「はい、今集合場所の近くにおります!」
「ああそう。……あのね、さっき連隊の人から電話があって-」
「はい、何でありますか!」
「変にかしこまらないで、もう……。あのね、明日8時の集合を早めて、今日14時の集合にして欲しいって。これは命令だって-」
「命令でありますか!」
 妹は半泣きになった。
「……急すぎるよ。……酷すぎるよ」
「直ちに向かいます!」

 俺は電話を切って、側に立っている無表情の女に向かって嘘を言う。
「連隊長からの呼び出しで……今すぐさっきの駅前の場所に集合せよ、と……だから、悪いけど……ここから……歩かせてもらう」
 酔っ払いのように呂律(ろれつ)が怪しくなる。フラフラしているので、立っているのがやっとだった。
 リクが後部座席から降りてきて、溜息をつく。
「こっちは『完成した』と言っているのに、どうしても軍部は軍部で先に動くのね。必要もないのに」
 もちろん、彼女が何を言っているのかを知ってはいるが、知らぬ振りをする。
「完成? ……何が? ……軍部って?」
「こっちの話。でも、マモルさんはそのお守りがあるから絶対無事のはずよ。安心して」
「……分かった……お守り……大事にする」
 さすがに立っていられなくなったので、ヘナヘナと座り込んでしまった。
「あらあら、それでは集合時間に間に合わないわね」
「それは……困るから……何としても……行かないと」
「ちょっと、ここのホテルで休んで行って」

 後部座席からも同じ姿の女が降りてきて、先に降りていた女と二人がかりで俺を抱きかかえる。
 フラフラした病人を支えるのではなく、このビジネスホテルへ強引に連れ込もうとしているのはバレバレだ。
 そこで、両足を動かず全身をダラリと脱力させて抵抗を試みたが、女どもの力は半端なく、丸太よろしくズルズルと引きずられる。

 彼女が後ろから小声で言う。
「私達、これから(ささ)やかだけど結婚式を挙げるの。今しか出来ないし。……こんなことして、ゴメンなさい」
 俺の耳が聞き取る音はボワーンとした響きになってきたので、その言葉を聞き取るのがやっとだった。
 また頭の中で<結婚>と<子供>の言葉が渦巻いたが、その頭も(しび)れてきて、徐々に意識が遠のいた。

ホテルからの生還

 ドアがノックされる音で目が覚めた。
 最初に見えた物は、シャンデリア風の照明器具とアイボリー色の天井であった。
 頭がクラクラするので、それだけでは何処にいるのか見当も付かない。

 音のする方を見ると、紺色の制服を着たホテルの従業員のような若い女性が立っていた。
「お目覚めですか?」
 俺はまだ全身が(だる)いので、首だけ横に向けて応対する。
「ええ。……それより、ここは何処ですか?」
「駅前のビジネスホテルです」
「俺、何故ここで寝てるんですか?」
「お疲れで起きられないから、とのことでしたが」
「そう言いましたっけ?」
「お連れの人から聞きました」

『お疲れ』の訳がない。
 麻酔のような薬で眠らされていたのは間違いないが、それをこの従業員に説明してもしょうがないだろう。
「今、何時ですか?」
「13時30分です」
「ええええっ!」
 14時集合だったことを思い出した。遅刻は絶対にマズイ。
「なんでもっと早く起こしてくれなかったんですか!?」
 上体がなかなか起きない。
 体で弾みを付けたり、もがきながら、やっとの思いで両肘を付ける高さまで起き上がった。
「13時30分になったら起こしに来るように言われましたので」
「言っていない」
「こちらのお部屋を予約されたお連れの方からです」

 体に弾みを付けて上半身を起こした。下を見ると少し固めのシングルベッドの上にいることが分かった。シーツはそれほど乱れていないので、身動き出来ないほどグッタリしていたのであろう。
「お帰りですか?」
「ええ」
「お代は済んでいますので」
「ありがとう」

 何としてでも、時間までに集合場所へ辿り着かないといけない。
 (もつ)れる足に苛立(いらだ)ち、壁に手を付かないと歩けないことに苛立(いらだ)ち、階段を何度も踏み外しそうになり、やっとの思いでホテルから出た時は13時40分を過ぎていた。
 車の外から見えていた風景の記憶を頼りに、ガードレールを(つか)みながら、病人のように歩道をユックリ歩いた。
(20分で辿り着けるか? ヤバいかな?)

 人が歩く速さが時速4キロだとして、おそらく今の歩きだとその半分の速度しか出ていないだろう。車の速度が時速50キロだとして25倍。通り過ぎて1分くらいでホテルに着いたから、ここから25分。
(無理かも……)
 算数の計算をしていたら、体力まで消耗した気分になった。余計に足が鈍くなる。

 厳罰を覚悟で歩いていると、歩道の向こうから誰かが右手を高く上げて大きく振りながら走ってくるのが見えた。
 濃い緑の服を着た関係者だ。
(知り合いか? 誰だろう?)
 頭がボーッとしているので、顔が判別できないのだ。
 その人物が口の周りに手でメガホンを作り、大声を出す。
「マモルさ~ん!」
 ミキの声だった。
 その声に安堵して、足が止まった。
 彼女が走り寄ってきて、「急いで!」と言いながら肩を組み歩き始める。
 足の紐が外れた二人三脚状態だったが、ミキの力で前より速く歩けるようになった。

「ゴメンな。12時に間に合わなかった」
「最初は無視されてヒドイなと思ったけど、きっと何か理由があると思って」
「大ありだよ」
「どうしたの?」
「途中でリクに会った」
 彼女がビクッとしたのが肩を通じて分かった。
「駅まで送る、と言うので車に乗ったら、お守りをくれて、その後……おそらく麻酔を打たれた」
「麻酔?」
「そして、そこのビジネスホテルに、連れ込まれた」
「何されたか覚えている?」
「今から言うことに怒らないでくれ」
「内容によるけど」
 ミキは眉を八の字にした。そして、何かを覚悟しているかのようだった。
「たぶん、そんなんじゃない」
「どんなのよ?」
「高校生にはまだ早いことを思っているだろ」
「思ってないわよ」
「俺は、あれはまだ早いと思う」

 ミキは足を止めてこちらを心配そうに見た。
 急に止まったので蹌踉(よろ)けた。
「何ですって!? 『まだ早いこと』をしたの!?」
「そう怒るなって」
「されたことによっては怒るわよ!」
「実は……リクは結婚式と言っていた」
「はあ!?」
「それで麻酔って、意味が分からんだろ?」
「……」

 ミキは渋い顔をして少し考えていたが、意を決したように駅の方向を見て再び歩き出した。
 俺も従った。
「麻酔は、逃げられないようにするためね」
「やっぱりそうだよな」
「それだけならいいけど」
「何心配している?」
「失敗したぁ! 悔しい! あの人形女!」
(人形ちゃんに人形女か……)
「マモルさんみたいに、未来人に時間を巻き戻してもらいたいわ」
「巻き戻す? 誰に??」
「それより、お守りもらったって?」
「ああ」
「そんな物、捨てて。麻酔打った人のでしょう?」
「前に、お守りのおかげで生きて帰れたからなぁ」
「いいから捨てなさい」
(うーん、縁起物だからなぁ……。粗末に扱って罰当たるのもイヤだし……)
「あ! もう見えてきたから急ごう! 早く早く!」
 駅前に2台のトラックが止まっているので、俺達は急いだ。
 時計は13時58分。
 助かった。

ミステリー・トラック

 トラックへ近づくと、側にセーラー服姿の妹が見えた。
 妹は、俺のバッグの取っ手を両方の手で握り、悲しそうな顔をして立っていた。
 そういえば、ヘルメットはバッグに入ったままだった。無帽で戦場に行くところだった。

 妹はこちらを見ると、行方不明だった兄貴が現れて安心したのか、それともいきなりの出発で悲しんでいるのか、泣きながら抱きついてきた。
「急すぎるじゃない!」
「ゴメンな」
 俺のせいではないのだが、そうでもないような気がしてきた。
 志願さえしなければ、こんなことにならなかったのだから。
「荷物をありがとう」
 妹はバッグを手渡すと当時に、何かを思い出したようにハッとした表情で言う。
「煮物忘れた」
「食べる約束守れなくてゴメンな」
「ううん。帰って来たらたくさん食べてもらうから」
「楽しみにしてる」
「死な……元気でね」
(品?)「ああ。行ってくる」

 エンジンが掛かったトラックの荷台に滑り込むと、左の長椅子にミイとミルがいる。
「みんなも呼び出されたんだ。いつものメンバーが再会だな」
 と笑いながら彼女達に声を掛けて見渡すと、二人多いことに気づいた。
(左にいる縦ロール頭は……)
 ミルの左隣にルイが座っている。
 今朝方まで話をしていたルイとこんなところで再会するのは、何かの縁と笑っている場合ではない。
 彼女がここにいること自体、異常事態である。
(右にいるもう一人は……)
 面長で西洋人のような顔立ちをしていて、黄色く染めた美しく長い髪。肌が白く蝋人形のようだ。見たことあるような、ないような女性である。

 まずルイに尋ねてみる。
「ついに生徒会長も志願ですか?」
「いいえ、招集が掛かりまして、ですわ」
「学校の指名ですか?」
「いいえ、学校は休校です。直接電話で招集ですわ」
 やはり異常事態だ。
(いや……これはリゼがルイに何かを仕掛けてきたからだ。そうに違いない)
 トマス達が警告していたことが、早くも起こってしまったのだ。
(あらが)うか? それとも従う風に見せかけるか?)

 ここで、気がかりなことがあった。
 今この場では名前を出せないので、ルイに目で合図を送りつつ、短い言葉で尋ねた。
「(イヨは(かくま)われたまま、今も)一人に?」
「(イヨさんは今も家に)そのままに」
「(彼女の)具合は?」
「(イヨさんは)落ち着いていらっしゃいますわ」
「(取り戻した指輪の)その後は?」
「(イヨさんの宝の)箱に」
 ルイの勘が鋭くて助かった。

 右の長椅子にミキがいるが、その右隣にいる黄色い髪の女性に声を掛けてみた。
鬼棘(おにとげ)マモルです。はじめまして。」
魚万差(うおまさ)ミカです。はじめまして。皆さんと同じ高校です」
「じゃ、ウオマサ ミカさんも招集?」
「いいえ。志願です。」
「それは珍しい」
「母が、『軍楽隊に入りなさい』と言うので。……ヒドイんですよ。お金になるからって」
「軍楽隊? 楽器が弾けるの?」
「ピアノの弾き語りなら得意だけれど」
「ピアノ弾きながら行進は無理じゃない?」
「いや、軍楽隊に入れば慰問であちこち回れるって聞いたの。慰問ではピアノも有りなの」
 俺はミカへ視線を向けた。
「後方支援部隊に軍楽隊ってあったっけ?」
 彼女は首を傾げる。
「なかったわ」
 それを聞いたミカは、急に落ち込んだ顔になった。
「これから行く先は、軍楽隊のない後方支援部隊なの?」
「そう」
 彼女は俯く。
「話が違う……。友達の家に寝泊まりして迷惑かけるよりはこっちの方がいいと思ったから志願したのに。……音楽が出来ないなら意味がない」
 事実だから嘘は言えないが、人の期待を裏切るイヤな役回りになってしまった。
 気持ちがペシャンコになって落ち込む彼女を見るのが耐えられなくなった。

 俺がミキの左隣に座ると同時に、幌が降りて辺りが暗くなった。
 幌のつなぎ目から光が漏れるので真っ暗ではないのだが、ここに蝋燭(ろうそく)があれば、怪談話を始めるには打って付けだ。
「窓ぐらい付けて欲しいよな」
 ルイとミカ以外は笑ったが、ルイは落ち着きながら意味深に言う。
「きっと、見られては困るところに連れて行くのですわ。……逃げられないように」
 彼女の最後の言葉に、みんなは冗談と思えずゾッとしたはずだ。

 トラックが急に発進する。
 俺達は将棋倒しになりかけた。
 前もそうだが、軍の運転手は運転の仕方が荒っぽい。どこまでやればエンストするのか試してはいないだろうか。
「まあまあ、お仲間ということで、これから仲良くやっていこう」
「ええ」
「おそらくこれから訓練があるはず。そして、後方支援の連隊に連れて行かれる」
 俺は1ヶ月前に経験したことを面白おかしくルイとミカに説明した。
 ルイは、驚いたり、感心したり、笑ったりして話を聞いてくれた。
 ミカは、始終表情が暗かった。
 彼女はずっと心が晴れないようだ。
 もっと彼女を笑わせよう、元気にさせようと思ったが、車の揺れが前よりヒドイので話は30分で中座した。
 気分は最悪であった。

 1時間ほどして、急にトラックが停止した。
 運転席のドアが開いてバタンと音がした。エンジンは掛かったままだ。
 靴音が遠ざかる。
 しばらくして、靴音が近づいてきて運転席のドアが開き、バタンと音がした。
 トラックの前方から、ギイーッと金属の軋む音が聞こえてきて右から左にゆっくりと移動する。
(ああ、前もそうだった。あそこへ戻ってきたんだ)
 トラックのエンジンが吹かされて、ゆっくり発進した。
 クネクネ進むと思っていたが、真っ直ぐ進んでいく。
 どうやら、場所が違うところに来ているらしい。遠くでたくさんの銃声が聞こえるのである。
 ブレーキが掛かった。エンジンが切られた。
 トラックの横から、「おい、降りろ!」と女の声がして、幌がポンポンと叩かれる。

 荷台のあおりを倒し、幌を開けて覗いて見ると、学校の校庭に似た敷地だった。
(気のせいかな? 同じ場所に思えるが)
 目の前には背が高い女兵士が一人立っていた。サングラスをかけている。
(たぶん、この人も教官だろう)
 俺達は、怒られる前に荷台から飛び降りた。
 女兵士は、「そこの二人、こっちに来い。他は待て」という。
 そこの二人とは私服姿のルイとミカのことだ。

 10分ほどすると、軍服姿のルイとミカが戻ってきた。
 俺達後方支援部隊の服と少し違う。
 濃い緑は僅かに暗い緑で、腕や胸にいろいろポケットが付いている。
(ついに服が不足したのか?)
 女兵士は、「夜まで訓練だ。付いてこい」と言って、銃声がやまない方角へ俺達を連れて行く。

 辿り着いた場所は、射撃訓練場だった。
 前に経験した訓練場とは違い、この訓練場は横幅が倍以上あって、たくさんの人が人型の的に向かって拳銃を撃っている。
(何かが違う)
 俺は違和感を覚えながらも、射撃訓練をこなしていた。
 一発も黒い円の中には当たらず、的どころか人型の板にも当たらず、効果があったのかは定かではないが。

 射撃訓練が終わると、荷物を回収された。またここに戻ってくるので後で返す、と言われた。
 どうも信じられない。
 バッグからヘルメットだけ取り出した。もちろん、携帯電話は没収だ。
 でも、マユリの写真がヘルメットの中にあるので、今は他に何もいらない。
(そう言えば、他にお守りがあった)
 リクに最後に渡された水色のお守りを服の中から取り出して眺めた。
 お守りにしては中身が分厚い。普通のお守りの4倍以上の厚みがある。
 気にはなるが、『中を見ないで』と言われているので、元に戻した。

 その後は、校庭のランニングとか、座学とか、腹筋や鉄棒とか、無節操で無意味とも思えるカリキュラムに取り組むことになった。
 途中、休憩は殆どなかった。
 午後10時。いい加減休みたいのに、教官が「班分けをするからこっちに来い」と言って3階建ての廃校のような建物に俺達を連れて行く。
 ルイがこちらに近づいて耳打ちする。
「聞いていた話と違いますわね」
「俺も不思議に思う。何か違う」
「あら、頼りない先輩ですわ」
「頼りなくて結構」
「か弱い後輩を大事にしてくださる?」
「同級生だろ」
「これから何処へ参りますの?」
「知るか」

 俺は、怒られるのを覚悟で皆の代表のつもりになって、教官に尋ねた。
「後方支援部隊の班分けですか?」
 教官はこちらを振り向かずに答える。
「貴様らが気にすることではない」
「行き先は?」
「聞くな」
 (がん)として答えないので、言い方を変えてみた。
「ここは後方支援部隊の訓練場ですよね?」
「違う」

 今更に確信した。
 俺達は(だま)されていたのだ。
 てっきり前の連隊に配属されると思っていた。
(もしかして、乗り込むトラックを間違えたという落ちではないだろうか?)
 慌てて乗り込んだバスが別の系統だった、飛び乗った電車が逆方向だった、という類いの間違いであってくれと、つい先ほどまで勝手に期待していたのだが、『違う』の一言で完全に打ち砕かれた。

 俺達が乗り込んだのは、ミステリー・トラックだったのだ。

素人集団の小隊誕生

 いくつもの空き教室を抜けて俺達が連れて行かれた先は、体育館であった。
 すでにそこには百人以上が集まっていて、小さなグループに分かれてガヤガヤと話をしていた。
 班分けとは、正確には十人ずつの小隊の編制だった。
 俺達六名の他に女性四名が加わって、十名で<普通小隊第11班>と名付けられた。
 11は<ひとひと>と呼ぶ。
 この並行世界では階級や施設の名前等おかしなことが多かったが、小隊の名付け方も俺の元の世界とは異なる。まあ、郷に入れば郷に従うしかないのだが。

 班長にはミカミという人がなった。
 夜会巻きの髪型が見事で、垂れ目と和やかに笑う口が特徴的。
 ホンワカした優しい50代のお母さん、という雰囲気の人である。
 何をやるにもおっとりしていて、話し方も呑気っぷりがよく出ている。「まあ、何とかなりますわ。頑張りましょう」という具合だから、ついて行く部下は不安である。
 軍隊の経験は全くないと言う。

 副班長はヤマヤという人がなった。
 こちらはロングヘアでギョロッとした目をしてプロレスラー的体格。
 強引に突っ走る感じの20代後半のお姉さん、という雰囲気の人である。
 声がデカくて、「敵が来たら突撃あるのみ! 銃より腕力勝負!」という調子なので、これもついて行く部下は不安である。
 こちらも軍隊は初体験なのには驚いた。てっきり経験者と思ったが。
 とにかく、とんでもない長が二人もいる班に配属された訳である。

 他の二人は別の高校から招集されたらしい。軍の経験がない、全くの素人とのこと。
 ヤマヤをお姉さんと慕ってベッタリくっついている。
 ここに俺達後方支援部隊の経験者四名に素人二名。
 合わせて十人衆。
 こんな素人集団がろくに訓練も受けず、小隊として扱われている。
 粗製濫造だ。
 これ以上戦争が続くと、仕舞いにはオモチャの鉄砲を担いだ小中学生まで編入されかねない。

 班分けが終わると、教官から薄汚い食堂へ案内された。
 五十人ほど入れる部屋だが、ほぼ満席だった。
 トレイに載せられたのは丸パン1個、豆を煮たスープ、小鉢のサラダ、バナナ1本だった。夜食と言って良いほど遅い食事である。
 トレイを受け取ると、仲間らしい六人が固まっていた席がちょうど空いたので、俺達六人がそこを占拠した。他の四人はバラバラに座った。

 誰もが疲労の極みで無言だった。訓練ではなく疲れさせるだけのイベントを振り返る気にもならない。
 空腹に耐えきれず、『いただきます』の言葉も忘れて誰もが我先にと食事にありついた。
 だが、スープの一口目で期待は見事に裏切られた。
 激マズイ食い物なのだ。

 しかし、ここで吐き出してはこの先食事にありつけるか分からない。
 味覚がおかしい調理人が作ったと割り切るしかないのである。
 調理場へ抗議に言っても、奴らは、『調味料が不足している』と自分の腕のせいにはしないだろう。
 ルイもミカも、しかめっ面をして食べている。他の皆はこういうマズイ物は経験済みなので、少しはマシな顔だった。
 よく見ると、サラダは萎びた葉っぱにビチャビチャと水を掛けて新鮮さをカモフラージュしているし、バナナは所々痛んでいる。
 だから、食堂は回転が速い。味を楽しむ気にもなれないからだ。

 食事の後、空き教室で寝ることが出来るかと思ったが、期待は空しく、教官から追い立てられるようにしてトラックに乗った。
 積み込まれたというのが正直なところだ。
 臭い寝袋でもいいから、思いっきり正体もなく寝たかったのだが。

 トラックは15台ほどがエンジンを掛けて待機していた。
 1台に付き1小隊十人ずつが乗ったので、割と大移動である。
 教官の話では、他に別の基地からの増援が合流するらしい。
 もちろん、作戦は極秘なので、何処に行くかも伝えられていない。
 誰もが無口だった。
 初対面の仲間二人は、心配そうな顔をしてこちらを見る。きっと、俺達の顔も向こうにはそう見えていたに違いない。
 誰もが心底不安なのだ。

 午後11時。トラックが出発した。
 このトラックの幌には、有り難いことに小窓がいくつかあった。この方が、外が見えて助かる。
 しかし、今は真夜中なので、まだ小窓の有り難みは感じられない。
 長椅子の下からガタガタと伝わる不快な揺れはやがて眠りを誘い、いつの間にか眠りこけた。

リク鮫作戦発動

「おい、起きろ! サッサと降りないか!」
 小声ながらもドスがきいた声がする。目を開けて声の方を向くと、幌を開けてこちらを覗き込む女兵士が見えた。
 顔の輪郭から、おそらく、出発の時に見た運転手だ。

 トラックはいつの間にか停車していた。
 寝ぼけ(まなこ)のままトラックから降りると、煌々(こうこう)と満月の明かりが映し出しているのは、どこかの田舎の風景。
 月が明るすぎて満天の星が十分拝めない。
 辺り一面を見渡すと、そこは草地らしかった。

「最前線だ! 心してかかれ!」
 最前線という言葉が冷や水を被った気分にさせる。
 おかげでブルッと震えて、すっかり目が覚めた。
 さっきから激が小声なのは、周囲を警戒してのことだろう。
 時計を見ると、午前2時。
 一緒に出発した15台のトラックが辺りに勢揃いかと思ったが、月明かりの中、目をこらしても、うちの1台しか見えない。
 他は何処へ行ったのか。散開したのか。
 何も聞いていないだけに不安になった。
 ここは最前線なのだ。

 運転手が「武器を支給する」と言うので期待して行くと、拳銃と弾薬の包みを渡された。
 鉄の塊は重量感があるが、包みの大きさから類推するに、弾はそんなにたくさんあるとは思えなかった。
(マジで? これで戦争しろと?)
 装備も防具はヘルメットだけ。防弾チョッキなどない。
 前にカワカミが自動小銃を持っていたが、運転手は持っていない。
(ついに物資が不足してここまでになったのか。最後は竹槍かも……)
 こんな装備では、今敵に襲撃されたら2分で全滅であろう。
(マユリ……。兄ちゃん、お前の煮物、食べてあげられそうにない)
 情けないことだが、暗闇で敵を前にして貧弱な装備で事を構えるとなると、すっかり自信がなくなった。
 訓練の時だって、1発も的に当たらなかった。こんな腑抜けが相手なら、敵は素手で突撃して勝利しかねないだろう。
 しばらく待機となった。俺達六人は草むらにしゃがみ、自然と寄り添うように集まり、先ほどの安眠の続きを(むさぼ)った。

 近くで枝が折れるような音がしたので目が覚めた。
 時計を見ると午前3時。夜明けはまだまだである。
 音の方向を見ると、ミカミがタブレット持って、何やら操作しながら円を描いて歩いている。音の主は彼女だろう。
 タブレットの明かりが彼女の珍しく真剣そうな顔を映し出している。
 そのうち、何を思ったのか、スタスタと遠くへ歩いて行く。

 彼女が何をそんなに真剣に見ていたのか気になるので、後を追った。
 俺の足音に気づいた彼女は、立ち止まってこちらを振り向いた。
「班長。それ、何ですか?」
「ああ、これ? 便利になったわよねぇ。これで戦争するんだから」
「タブレットで戦争!? まさか、今ゲーム中じゃないですよね?」
「これゲームじゃないわよ」
「何をしているんですか?」
「じゃあ、行くわよ。攻撃開始!」
「ちょ、ちょっとちょっと」
「えーい、ポチッとな…………あらぁ??」
「フーッ、……やめてくださいよ。心臓止まりますって。まだ命令出ていないし。どこに敵がいるんですか?」
「ここよ~」
「え?」

 彼女が見せるタブレットの画面には背景が黒地、文字は白色の地図が表示されていて、赤い凸のマークが転々と10個ほど配置されている。
「この緑の●マークが、私達が現在いる位置。赤い凸マークが敵の皆さんがいる位置なんですって」
「凸マークの規模ってどれくらいですか?」
「さあ」
「ガクッ……」
「小隊規模かしらね。私達の小隊が●マーク一つだから」
「となると、敵は中隊規模ですね。これじゃ敵の数も位置までも丸見えだ」
「なんでも、システムがこうやって敵の位置を割り出して、自動で作戦を立てるんですって」
(ついにリクのシステムが起動したか)
「で、もうその作戦がタブレットにダウン……ダウン……ダウンジャケット? 何だったかしら?」
「ダウンロード」
「そうそう、作戦がダウンロードされて、今はタブレットのボタンを押すだけの状態なの」
「だからって、勝手に押しちゃ駄目ですよ」
「え? もう『攻撃開始』って書いてあるのよ」
「マジですか!?」

 その時、後ろの方から誰かがこちらに向かって走って来るような音がする。振り返ると小柄な人影が見え、何やら小声で叫んでいる。
「伝令です! 普通小隊ひとひと班! 何しているの! サッサと攻撃しなさい!」
「すみませ~ん、操作が分からなくて」
「基地で習ってないの!?」
「えーいえーい! こうかしら?」
「班長、それフリップ」
「フリップ? 違うの? じゃ、これかしら」
「それピンチアウト」
「あ! 大ピンチよ! 画面が大きくなったわ」
「逆にすると戻るはず」
「ホントだー」
「それがピンチイン」
「小ピンチ?」
「違いますって」
「大ピンチ小ピンチの方が覚えやすいじゃない」
「ピンチオープン、ピンチクローズの方が覚えやすい」
「もー! 二人とも何やっているの! 『攻撃開始』ボタンを5秒長押ししてください!」
「ボタンの長押しだって。5秒間の」
「そうなんだぁ。てへ」
「てへじゃない」
「てへぺろぺろ」
「何か多い」
「もー!! 早くううううう!!!」
「じゃ、行くわよ~。えーい。ギューッと押ましたよ~。いーち、にーい、さ-」

 と突然、50メートルくらい離れた一帯から、閃光と耳をつんざくような発射音を残して数え切れないほどのミサイルが飛び出した。それらは一方向ではなく、複数方向に分散して、闇の中に光の放物線を描きながら消えていく。
 巨大なロケット花火の発射なんて、優雅なことを言っていられない。鼓膜が破れていそうで耳の中が痛いのだ。
「あらあら。5まで数えていないわよ。なんで~?」
「班長の数え方が遅いんです」
 まだ耳に残響が渦巻くが、その数秒後、遠くで火柱が高く何本も上がり、続けて大音響の爆発が連続して聞こえてきた。
 タブレットを見ると、最初赤い凸のマークが10個あったが、バタバタと消えて地図上から完全になくなった。
「あらあら、簡単ね」
「はい! これで敵の前哨ミサイル部隊を殲滅! ご苦労様!」
 伝令はそう言うと、「疲れた」と言い残して一目散に去って行った。
 他のトラックに乗った別の班の女兵士だろう。
 やはり、他のトラックは散開していたのだ。

 俺の両耳はまだジンジンする。
 本当は『攻撃開始』の言葉からミサイル発射を予想して耳を塞ぐべきだったが、班長との漫才に気を取られ、ボタンを押すと何が起こるかまで気が回らなかったのは失敗だ。
「終わったんですって」
「耳鳴りは終わりません」

 ミキを含めて班の全員が突然の大音響に驚いて、班長と俺の所に駆け寄ってきた。
 ミキが俺の右腕にギュッと抱きついて、体を押しつける。
 腕から伝わる小刻みな振動。彼女は震えているようだ。
「何があったの?」
「ミサイルを発射した」
「敵は?」
「殲滅したそうだ」
「本当?」
「ああ。リクのシステムが起動した」
「そうなんだ。……ついに、始まっちゃたんだ」
 左腕も抱きつかれた。
「こ、怖い……」
 ミイだった。
 後ろの方でミカが震える声で言う。
「私も怖い……」
「大丈夫。いざという時は、俺がみんなを守るから」
 ルイがすぐ後ろから声を掛けてきた。
「こんな装備で、いざという時は大丈夫かしら」
「何とかしてみせる。絶対にみんなで無事に帰ろう」
 ミルも後ろから声を掛けてきた。
「ええ。私達もマモルさん一人にお任せしないで、力を合わせて頑張りますから」
 俺達は互いの顔を見て無言で(うなづ)いた。
 月明かりが照らす皆の顔は、決意に燃えていた。

   ◆◆

 陸軍の司令室は地下7階にある。
 広さは百人が椅子に足を伸ばして座ったとしても余裕のある広さ、高さは一般家屋の2階建てがスッポリ入る高さだ。
 仮に真上の地上でミサイルが落とされても、ここまで到達することはないと試算して設計された。壁の厚さは約5メートルあるので、貫通も難しいはずと言われている。

 リクのシステムが稼働し、最初の攻撃が成功するや、集まった五十名以上の軍人や政治家から歓声が上がり、鳴り止まぬ拍手が司令室を埋め尽くした。ここにいる軍人も政治家も全員女性である。
 今回の作戦名は『リク鮫作戦』。
 彼女は部屋の中央で、多数の制御機器や自分専用のノートパソコンを前に座っていて、その賞賛を一身に浴びていた。

 彼女の椅子は特別に作らせた三人掛けの椅子で、彼女は真ん中に座り、右にはクマの人形、左にはサメの人形を従えていた。実は、彼女の後ろに後4体の人形が控えている。
 さらに椅子の両横には、長身でサングラスを掛けたオールバックの女が一人ずつ立っていた。白い肌に濃い赤の口紅が印象的である。

「最前線の敵のミサイル部隊は全滅ですね。おめでとうございます」
「ありがとう。カシマ元帥」
「これがあれば我が国も一気に形勢が逆転できますわ。ありがとうございます」
「敵の降伏が早まりますわ。ミノベ中将」
「取りあえず、前哨部隊殲滅おめでとうございますとでも申し上げておきましょう」
「ありがとう。キリシマ少将」
 賛辞を述べる関係者は、次々と彼女に握手を求める。
 全員がこの小さな英雄に近づこうと、順番待ちの行列が出来た。

 彼女の正面中央にある140インチモニターに映し出された地図は、その地図上に展開している部隊の指揮官達が持っているタブレットの画面と同期している。
 戦地は複数あるので、注目している地域だけが選択されて正面に映し出されるが、それ以外は左側に4✕4の16、右も4✕4の16、合計32台のモニターに各地の戦況として映し出されている。

「タジマ。スペードのエースの状況は?」
 リクの右方向に2メートルくらい離れた所に大きめの制御装置があり、その装置を操作している女が『タジマ』と呼ばれてリクの方を見る。
「心拍数、呼吸とも問題なしです。位置を映し出しますか?」
「常時映して」
「かしこまりました。中央のモニターをご覧ください。黄色のスペードのマークがそれです」
「ああ、あれね」
「左様でございます」
「黄色はないわね。スペードは黒よ。黒に出来ない?」
「お嬢様。黒ですと、地図のベースの色と被って見えなくなりますが」
「地図のベースを黒から緑に変更して」
「緑にすると、味方の位置の●マークの緑と被ります」
「適当でいいわよ!」
「かしこまりました」

 地図のベースは緑、スペードのマークは黒、味方の●マークは水色に変更された。
「あのスペードのマークは、指揮官のタブレットに映っていないわよね?」
「もちろんでございます、お嬢様。あれだけはヒドゥンモードです」
 スペードのマークが少しずつ移動しているのを見て、彼女は呟く。
「必ず生きて帰ってきてね……」
 その声は震えていた。
 何故なら、スペードのエースが最前線にいることはリクの想定外だったのだ。

 今の位置では敵に近すぎて危険なのに、ここを決めたのはシステム側。
 システムは小隊を含めたすべての部隊の配置を自動で決めるので、修正は出来ない。
 仮に出来たとして、自分の都合がいいように変更することは、軍関係者に何らかの疑念を植え付けることになる。
 全てはシステムが決めている、ということを彼らの前に見せないといけない。
 だから不安で動揺していても、それを心の中に封じ込めて平静を装いながら、彼女は周囲に笑顔を振りまいていた。

   ◆◆

「あらあら。黒い地図がいきなり緑になっちゃったわよ」
 ミカミがタブレットを(のぞ)き込んで不思議そうに言うので、確認してみた。
「本当だ。班長、どこか変なところ触りました?」
「何もしていないわよ。あ、●マークが水色になった」
「ほら、変なことしたからあちこちおかしくなるんです」
「……あ、また赤い凸のマークの皆さんが上からワラワラと出てきましたよ~」
「それって、増援部隊ですよ! 呑気なこと言ってていいんですか!?」
「あ、ダウンローンが始まった」
「ダウンロード。いい加減、覚えてください」
「は~い。あ、終わった」
「どれどれ」
「何もしなくていいみたいよ」
「何故分かるんですか?」

 彼女がタブレットの一番下を指し示す。
 画面の一番下にバーがあって、『自動攻撃中。ミサイルから離れたし』と表示されている。
 指示はこのバーの上に書かれるので、ミカミはそれを見たようだ。
 システムが作戦を立てるから、何もすることがない。
 そのためだと思うが、『攻撃開始』ボタンはグレイになっている。

「おい、こっちに貸せ」
 ヤマヤがいつの間にかやって来て、ミカミからタブレットを奪い取る。
「このボタン押せばいいんだろ? それ! 攻撃だ、攻撃! 行け行け~!」
 そう言いながら、画面を連打している。
 当然、グレイのボタンを押しても無反応なのであるのだが。
 すると、タイミング良く、またミサイルが閃光と耳をつんざくような発射音を残して多数飛んでいく。
 今度は事前に耳を塞いでいたので助かった。
「お! GO! ごーごーごー!」
 ヤマヤは本人の操作で動いたと勘違いしたらしく、叫び声を上げて右腕を振り上げる。数秒後に、再び遠くで火柱が高く何本も上がり、続けて大音響の爆発が連続して聞こえてくる。
「くぅー! 何か記号が消えていくぞ! いいねいいねぇ! よし、全部消えた! 勝利勝利! うう~ん、快感!!」
 彼女はタブレットを持ったまま、ガッツポーズを取る。

 思えば恐ろしくお気楽な戦争が始まった。
 人はタブレットが指示する場所へトラックでミサイルを運ぶ。何故なら、さすがにシステムがトラックを自動運転させてミサイルを運べないからだ。
 運んだら、人はタブレットの指示通りにミサイルを配置する。
 呑気な母さんがボタンを長押しする。
 後は全自動洗濯機よろしく何もしない。
 単にタブレットを眺めて戦況を確認するだけで良い。
 機械がドンドン攻撃を実行するからだ。
 ミサイルがなくなれば人がトラックで運んでくる。
 それの繰り返し。

 その時、また後ろの方からこちらに向かって誰かが走ってくる音がする。
「伝令です! 普通小隊ひとひと班! 端末の指示に従って移動し、増援部隊と合流!」
 俺達がタブレットを活用していないことがバレているようだ。
 だから気になって、いちいちこちらに言って来るのだろう。
 ヤマヤが伝令に向かって敬礼する。
「へーい」
 伝令は、また「疲れた」と言い残して一目散に去って行くと、ヤマヤはこちらに顔を向けて、「端末の指示って、何処見りゃいいか分かんない。お前にパス」とタブレットを放り投げる。
 暗闇なので、タブレット画面のライトを頼りにキャッチする。
 単に一番下のバーを読むだけなのだが、それが分からないとは理解に苦しむ。
「『全小隊北上し、到達した川のそばで待機せよ』と書いてあります」
「お~い、呑気な母さん、北上だと」
「あ~い」
 再びトラックに乗り、俺達は移動を開始した。

物言わぬ白き戦友達

 午前3時30分。俺達は川岸に立っていた。
 川幅は5メートルほどある。
『待機』と言われて待機するのだが、ここでいきなり『渡河せよ』と言われたら、見渡した感じでは近くに橋がないので、この水の中に入るしかない。
 手を入れると、ヒヤッとするほど冷たい。そばで背丈くらいの長い枝を拾ったので川に刺すが、何の抵抗もなく枝が丸ごと水に浸かる。
(これは深いぞ。水は冷たいし、渡河は不可能だ)
 月が川面に映し出されてユラユラしているが、その揺らぎから察するに川の流れは速そうだ。泳ぐと確実に流される。

 リクのシステムが、ここを泳いで渡れという愚かな指示を出さないことを願っていると、ミカミがタブレットを持ってこちらに近づいてきた。
「ねえ、これどう思う?」
 差し出されたタブレットを(のぞ)くと、バーには『川に沿って左に移動し、▲地点で合流』と書いてある。
「ああ、▲マークの場所へ行けってことですね。地図のここですよ」
「それは分かるんだけど、これ」
 彼女が指さす先に水色の■マークが3つあって、▲マークに向かって徐々に移動しているようである。
「援軍じゃないですか?」
「そうなの?」
「いや、知りませんけど、敵の攻めてくる方角と逆から来ていますから味方ですよ」
 自分でも適当なことを言っている気がしてきた。
 敵の狙いが挟み撃ちなら、もちろん敵である。どうやら、彼女の呑気ぶりが移ったようだ。
(でも凸マークじゃないし、あの■は赤じゃなかったよな)
 早速トラックに乗り込み、タブレットが指示した場所へと向かう。

 合流地点は橋の(たもと)だった。
 川がとうとうと流れる音が、橋の下から聞こえてくる。
 その音に混じって、遠くから3台のトラックがこちらへ向かってくる音がする。
(あれが援軍だな)
 トラックが停止し、エンジンが切られた。
 運転手が降りてきて、急いで幌を開いてあおりを降ろすと、荷台から地面に向かって斜めにニューと板が伸びてきた。
 その板がガタンと地面に着地すると、荷台から誰かがユックリと降りてきた。
 俺達と違って、白い服を着ているように見える。
 相当用心しているようで、ノロノロと板の上を歩いている。
 彼は重いのか、板が(たわ)む。
 すると、次に続く者がユックリ降りてくる。そして、また次と、まるで行進しているかのように一人ずつ降りてくる。
 トラック1台から十人ずつ降りてきて、合計三十人が整列した。
 今まで月に雲が薄くかかっていて見えにくかったのだが、雲が晴れて彼らの姿がよく見えるようになった。
(あれは、ロボットだ!)
 スペースファンタジーの映画にでも出てきそうなロボットが30台、自動小銃の筒先を斜め下にさげて整列している。
 横一列に並ぶ姿は壮観で、実に頼り甲斐のある援軍だ。

 彼らの外観は白が基本だが、手首と(くるぶし)から下は黒である。
 白ではなく迷彩柄の方が目立たなくて良いと思うが、これは誰の趣味だろう。それとも、白い方が(かえ)って目立って、敵を威圧するのに都合が良いのだろうか。
 実のところ、月明かりだけでも十分目立つ。
 顔は、フルフェイスヘルメットを被っているので、表情が見えない。
 口の部分は、防毒マスクを着けた時みたいな筒がある。これはちょっと不気味だ。

 彼らを乗せてきたトラックの1台から、誰かが降りてきてこちらに向かってくる。
 恰幅の良い年配の女兵士だ。
「アンドロイド連隊第二小隊隊長のアンドウだ。普通小隊ひとひと班の班長はどちらに?」
 ミカミがタブレットを持ったまま手を上げる。
「はーい。班長のミカミでーす」
「アンドウです。よろしく。……さて、ここからはうちの部隊が敵を押し戻しますから、後ろから援護してください。援護の指示はそちらのタブレットにも出ているはずです」
「かしこまりでーす」
「ミカミ班長。そのぉ、もっと緊張感を持って援護してくれませんか?」

 アンドウはそう言うと、タブレットのボタンを長押しする。
 それに呼応して、アンドロイド達が二列縦隊で行進を始め、橋を渡っていく。
 どうやって実行しているのか分からないので、俺はアンドウに近づいて尋ねた。
「彼らはそのタブレットの指示で動いているのですか?」
「君は?」
鬼棘(おにとげ)マモルです」
 彼女は俺を上から下まで眺めてから言う。
「この戦場で男は珍しい」
「みんなそう言います」
「ハハハ。鬼棘(おにとげ)くん、よろしく」
「こちらこそ」

 とその時、別の方角から懐かしい声が聞こえてきた。
「もしかして、マモルくん!?」
「はい! カワカミさんですよね?」
 月明かりしかないので顔がはっきり分からなかったが、あのカワカミに間違いない。
「ここで会えるとは偶然だねぇ」
「どうしてここへ?」
「今回はアンドロイドの搬送の手伝い。運転手さ」
「俺は後方支援部隊からここに回されました」
 アンドウが俺達の会話に入ってくる。
「何だ、君たち知り合いか」
「はい」
「世間は、もとい、戦場は狭いな」
「そうみたいです」

「そうそう、話の続きだが……」
「すみません、話を中断させて」
 アンドウが咳払いをする。
「ええと、……タブレットで彼らが動くと言っても、こちらが最初に『攻撃開始』のボタンを押すだけ。後は勝手に、彼らが周囲や敵の状況を判断して行動していく。彼らの状況は敵の状況も含めて情報として司令部に自動で送られて、司令部が一括して管理している。こちらからいちいち司令部へ言葉で報告する必要はない。集中管理された情報で彼らは動く。後はタブレットで彼らの動きを見ているだけ」
「それで大丈夫なんですか?」
「司令部はお墨付きだが。ま、現場から言わせてもらうと、今回実戦は初めてだから、少々不安は付きまとう」
「さっきの援軍は、アンドウ隊長の作戦ですか?」
「いや。作戦は全部自動で立案されている。援軍はどの部隊が担当するとか、どこへ配置するとか考えなくていい。こちらはタブレットの指示通りに動くだけ」
「もし、『攻撃開始』という指示を無視したら?」
「その時は、一定時間が過ぎると操作者が死亡していると判断して、勝手に動く。便利だろ?」
「タブレットが敵の手に渡ったら?」
「定期的に指紋認証プラス静脈認証を行わないと、つまり常時持っていないとロックされるから大丈夫」
「手を怪我したら?」
「君も心配性だな。死亡と同じ扱い。ま、操作できる者が複数いるから大丈夫だが」
「へええ、凄いですね」

 俺達は何故、アンドロイド達の援護をするのだろうか。
 何故それをシステムが決定したのだろうか。
 敵がレーダーに探知されないように土の中で息を潜め、アンドロイド達をやり過ごした後にゾンビのように現れることを想定しているのか。
 司令部が、というかリクが絶対的な自信を持ってプログラムしたシステムに、万一抜かりがあることを想定した最後の防波堤代わりなのか。
 人間に援護を指示したのはシステム、ということは、人が人に指示をするのではなく、システムが人に指示をするのである。
 見方を変えると、人間がシステムを使うのではなく、システムが人間を使っていることになる。
 俺は、リクが作り上げたシステムに非人間的な一面を見た。

白き戦友達の失策

「ミカミ班長。彼らの後ろに続いてください。ただし、距離は50メートルを保つこと」
「50メートルジャストね。メジャーなら持っているわ」
「測らなくていいですから」
 アンドウ隊長の指示で、俺達十人プラス運転手一人は拳銃を持ち、暗闇に飲まれていくアンドロイド達の後ろを追った。
 本当にこんな装備で大丈夫なのか、全く自信がない。
 アンドロイド達の陣形が崩されたら、それこそ一巻の終わりである。

「あ!」
 ミカミがタブレットを見ながら小声で叫ぶ。俺は彼女の後ろからタブレット画面を(のぞ)き込む。
「どうしました?」
「アンドウさんちの皆さんが横に広がったの」
 見ると■マークがおそらく30個あるはずだが、画面やや下で横へ横へと一列に展開していく。一番下にある●マーク11個は俺達のことらしい。
「画面がさっきと変わったけど、何かしました?」
「拡大したの」
「へー、出来たんだ」
「そうよん。ピンクアートで」
「ピンチアウト」
 相対(あいたい)して凸マークが30個ほど画面の上側にあって、こちらはジッとして動かない。いや、よく見るとジリジリ下に向かって移動している。
 つまり、こちらに警戒しながら侵攻しているのである。
 橋を奪取するつもりなのだろう。

 とその時、前方でダダダダッと銃撃戦が始まった。
 全員が思わず地面に伏せた。周りは背の低い草ばかりで、身を隠すところがないからだ。
 さっきまで歩いていた状況から察するに、俺の前にミカミが、右横にミキが、左横にミイがいるはずで、ミルとルイとミカの三人は俺の後ろにいるはずだ。他の連中がどこにいるかは、暗くてよく分からない。
 俺はミカミの所まで匍匐前進し、タブレットを(のぞ)き込んだ。
 タブレットでリアルタイムに戦況が見えるから、どうしても気になるのだ。
 凸マークが一つ一つ消えていく。敵が(たお)れたということだろう。
 すると、残りの凸マークが一斉に画面の上方向へ移動した。後退したのだ。

 いや、一つだけ■マークの間をかいくぐり、こちらに近づいてくる。
「ヤバい! 敵一人、こちらに向かって来る!」
 俺は周囲に向かって、そう小声で叫んだ。
 ヤマヤが「よし! 任せろ!」と言って、中腰の姿勢で飛び出す。
 画面では●マークが上に動きだした。これがヤマヤだ。
「副班長、2時の方向!」
「おうよ!」
「よく分かるわね~」
「班長、ここの凸マークと、ここの●マークの位置関係をよく見ててくださいね!」
「そうなんだぁ~」
「早く覚えてください」
「ねえ、なんで2時なの? 今3時過ぎじゃない」
「後で説明しますから、今は-」
 とその時、暗闇でパーンパーンパーンと銃声がする。こちらに向かっていた凸マークが消えた。●マークが下に戻ってくる。
「イエィ、やったぜ!」

「ねえ、凸マークが画面から消えちゃったけど」
 まだまだ兵士がいたはずで、一気に殲滅されるのはおかしい。
「後退したんですよ。さあ、行きましょう」
 俺達は横一列の隊形を維持したまま前進するアンドロイド達を追った。
 移動すると、画面の上方向にまた凸マークが現れたが、10個ぐらいに減っている。
 ということは、辺りに死んだ敵が横たわっているのだろうが、確認するのは恐ろしいので、そのまま先を急いだ。途中、草むらに人の姿らしい影が見える度に恐怖を感じた。

 アンドロイド達の銃撃はまだまだ続く。
 移動していくうちに凸マークがドンドン減って、最後は全て消えてしまった。
 すると、■マークが二列縦隊になって、一斉に画面の下方向へ移動してくる。
 実際、こちらに向かってドスドスと音を立ててやって来る白い姿が見えている。
「終わったみたいですよ」
「そうなの? あっけないわね」
 タブレットの画面下のバーに『作戦終了。帰還せよ』と表示されていた。

 橋まで戻ると、アンドウ隊長が俺達の帰りを待っていた。
 彼女はアンドロイド達の緒戦が成功したので安心した様子らしい。そして俺達にねぎらいの言葉をかける。
「援護、ご苦労様」
 ヤマヤが得意そうに言う。
「あんたんちのひよっこが敵を一人取り逃がしたので、うちがズドンとやっつけたわよ」
「初めてだから、ミスもある」
「敵がフラフラこっちに来られたら、ミスなんて笑ってられないし」
「確かに。取り逃がすはずないのだが」
「ちゃんと調整した方がいいわよ」
「それは司令部が今考えているはず。このモニターは司令部もリアルタイムで見ているから」

   ◆◆

「アンドロイド部隊がちょっとしくじりましたね」
 キリシマ少将の言葉に、リクは苦々しく答える。
「キリシマ少将。あれは偶然です。二体のちょうどド真ん中を通過されたので、二体のどちらが攻撃するかお見合いをしたのです」
「ほほう。ということは、弱点があるとおっしゃるわけですね。確か、連係プレイはソフト側でやっていましたよね? プログラムのバグですか?」
『バグ』
 通常、プログラムにはバグが付きまとう。バグのないプログラムはない、とも言う。
 しかし、リクにとってそれが最も嫌いな、プライドを傷つけられる言葉だった。
「その時は両方が攻撃すればいい!」
 彼女は怒りに震え、キーボードを目にも止まらない早さで叩く。
 最後にエンターキーをビシッと叩いて、その手を高く上げた。
「今、パッチを当てました。もう大丈夫です!」
 彼女はそう言って、まだ興奮しながら右の椅子に置いてあったクマの人形を掴み、胸の前でギュッと抱きしめた。

 キリシマ少将はフンと鼻で笑った。
「二体が間を抜かれる時に向かい合って攻撃したら、二体が同士討ちになりますよ」
「それも考慮に入れました!」
「じゃ、三体が正三角形に位置して、ど真ん中に人がいたら?」
「考慮に入れました! 正方形でも!」
「ほほう。正三角形や正方形の配置でもとおっしゃる……。実験の時からいつも横一列しか見たことがないから、馬鹿の一つ覚えかと。では、後でお手並み拝見といきましょう」

   ◆◆

「アンドウ隊長、聞いていいですか?」
「うん?」
「どうしてこういう風に、敵や味方の位置が一人ずつ分かるんですか?」
「ああ、原理は詳しく分からないが、このトラックとか、あっちの山の上とか、空の上とかに超高性能のレーダーがあって、周囲の生体反応や金属反応を調べてデータを司令部に集め、分析しているから分かるらしい」
「なるほど」

 何となく原理っぽいのが分かったが、同時に弱点も見えた。
 それらのレーダーを破壊すればいいのである。
 リクは当然この弱点を理解しているだろうが。
 しかし、弱点があっても、気づかれないうちに、または気づかれても全てを破壊されないうちに敵の戦力を弱体化させればよい。
 最後は敵を降伏にまで追い詰めればよいのだ。
 だから時間との勝負になる。

「わわわっ!」
 突然、ミカミがタブレット画面を見て素っ頓狂な声を上げる。
「班長、どうしました?」
「あ、私も見た! これですね!?」
「アンドウ隊長、そちらもどうしました?」
 俺はアンドウ隊長のタブレットを(のぞ)き込む。
 見ると、■マークが画面の下へ移動しているのはアンドロイド達だが、その直ぐ後ろに1つの凸マークが同じく下へ移動しているのである。
 それだけではなく、ポツッポツッと凸マークが画面の中央から現れ、合計3つになった。つまり、敵が三人湧いてきたのである。
「モグラかしら~?」
「ミカミ班長。モグラは映りませんよ」
「でも~」
「あ、ミカミ班長! 敵は死んでいなかったのかも! もしかしたら死んだふりとか!?」
 その時、アンドウがタブレットの画面を連打しながら、慌てふためいて声を張り上げる。
「おいおい、ボタンを押しても反応しない! ボタンはグレイのままだ! アンドロイド達にどうやって攻撃の指示を出せるのか分からん!」
 タブレットを見ると、■マークは凸マークの出現に無反応で、ゆっくり画面の下へ移動する。
 つまり、こっちに引き返してくるのである。
 彼らは後ろに全く気づいていない。帰還命令だけを実行しているのだ。
 しかも、タブレットには再攻撃のボタンはない。攻撃開始のボタンはグレイのままだ。

   ◆◆

「フフフフッ、ハハハハッ、あいつら何やっているんですか!?」
 キリシマ少将が、さもおかしくてたまらないと腹を抱えて笑う。
 リクはムッとして彼女を睨むが、攻撃しないのは事実なので、言い返せない。
「敵は直ぐ後ろですよ。30台もあって、どいつも背中を向けて逃げる気ですか?」
 リクは彼女の皮肉を無視して指先に力を込め、キーボードを叩きまくるようにコードを打ち込む。
『あれはカウント0で止めている……サーチを続けてマークを積算して……プラスになったら攻撃再開……』
 そうブツブツ言いながら、エンターキーをビシッと叩く。
「これでどう!?」
 キリシマ少将はニヤニヤする。
「どうって? 何も起こらないじゃないですか」
「今パッチを当てました。ダウンロード中です!」
「ハハハハッ!」
「何がおかしいのですか?」
「何がって、……戦争しながらデバッグしているじゃないですか」
「……」
「今まで起きていることは、私には、ひじょおおおおに初歩的なミスとしか思えませんが、いかがですか?」
 リクは苦々しい顔をするが、痛いところを突かれたと思っていた。
 そして、目はモニター画面のスペードのマークに釘付けになった。
 彼女は、システムが勝手に最前線に送り込んだスペードのマークの人物を守ることに今躍起になっているのである。

   ◆◆

「おいこら、戻らんか!」
 アンドウ隊長は駆け足で橋を渡り、戻ってきた先頭のアンドロイドの胸を押すが、彼らは前進を止めない。彼女は腰を低くして全身に力を入れて押し戻そうとするが、アンドロイド相手では相撲の力士に小学生が押されるようなものだ。
「ミカミ班長! アンドロイドが言うことを聞かない! 援護を頼みます!」
「皆さ~ん。よろ~」
 ヤマヤが「出番だぜ!」と言って、チーターの如く、アンドロイド達の横を走り抜ける。

 とその時、アンドロイド達が一斉に後ろを向き、横一列に展開する。
 司令部が遅蒔きながら攻撃命令を送ったのだろうか。
 後ろの物音に気づいて振り返った彼女は、彼らに向かって両手を振る。
「わわわわっ! 撃つな、撃つな、撃つな! 敵は私じゃない!」
 俺は咄嗟(とっさ)に叫んだ。
「副班長! 伏せて!!」
 彼女は、地面へ潜らんばかりにベタッと伏せた。
 とその時、30台のアンドロイドが一斉射撃した。
 アンドウ隊長のタブレットの画面に映っていた3つの凸マークが消えた。
 終わったと認識したらしく、アンドロイド達は一斉にこちらを振り返り、二列縦隊になって橋を渡り始めた。
 アンドウ隊長はタブレットの画面を叩く。
「今頃攻撃するとは。まったく、司令部は何をやっているんだ!」
 ヤマヤは両腕をダラリと下げて、ヨロヨロしながら帰ってきた。
「縮んだ寿命を返せ、コラア!」

 タブレットから待機命令が出たので、橋のそばの草むらに腰掛けた。
 ルイがこちらにやって来た。
 また月が薄雲に隠れ、僅かな月明かりしかなく暗いため、判別には縦ロールの髪型が頼りだ。
 彼女は俺の左横に座って溜息をつく。
「戦いは、いつもこうですの?」
「いや、こんな最前線に来たのは初めてだから、いつもこうなのかまでは知らない」
「正直、何もしなくて嬉しいのですが、いざという時に心配です」
「心配なのは皆同じ」
「タブレットを全面的に信用してよろしいのかしら? 先ほどのこともありますし」
「ああ、レーダーなんて天候で狂うし、所詮最後は人の戦いになる」
「おお、恐ろしい。わたくし、拳銃の訓練の時に一度も的に当たりませんでしたわ」
「俺も同じ」
「まあ」
 彼女は笑う。
「前に、拳法使いの敵兵と拳でタイマン勝負して勝ったことがあるけど、拳銃はからきし駄目なので、ズドンとやられたら終わりだな」
 急に右腕に誰かが抱きついてきた。
「そんなこと言わないで!」
 ミキだった。
「冗談さ」
「冗談でも言わないで!」
「……ああ、わかった」

敵の本陣は眼下にあり

 午前6時。ようやくタブレットから北上命令が出た。
 今目の前にある橋を渡るのかと思ったが、川に沿ってさらに行ってから橋を渡るという指示だった。
 おそらく、この方が目的地に近いのだろう。
 俺達のトラックと、アンドロイド達のトラックが指示された場所へ向かう。
 道が舗装されていないので、トラックの揺れが(ひど)かった。

 幌の小窓から外を(のぞ)くと、辺りはのどかな農村の風景である。
 牛がいる。馬もいる。
 農家の人達は、こちらに無関心のように早朝から農作業を続ける。
 山の麓を通り、谷を抜け、平原を横切った。

 午前7時。トラックから降りてみると、目的地は見渡す限りの牧草地帯だ。
 タブレットはここを待機の場所として指定したのだから不思議である。
 隠れるような建物はない。岩陰もない。
 ただただ茫洋とした牧草地帯の真ん中にポツンと陣を広げるのである。
(ここで何をしろと言うんだ?)
 牛や馬みたいに、草を食べろと言うわけではないだろう。
 システムは何を考えているのか分からない。
 ミカミはトラックの荷台から簡易充電器を取り出してタブレットを充電し始めた。その間は電源を切ることになるので、しばらく周囲の状況は分からない。
 タブレットの電源を入れたら、『移動せよ』と表示されることを願った。

 荷台から携帯食料を取り出し、みんなで朝食として携帯用の乾パンを食べた。
 味気のない乾パンだが、昨日の夜食よりはマシだ。
 特に、氷砂糖が有り難い。
「姉さん食べる?」
 ミキがミルに乾パンを渡す。
「要らないの?」
「氷砂糖でいい」
「ずるい。それ仲良く半分こしよ」
「氷砂糖が1個余るけど、割れない」
「俺のをやるよ」
「あ、ありがとう」
「ありがとう。妹に優しいのね」
「いえ」
「照れちゃって」
「いやいや」

 快晴の青い空。
 微風が頬を撫でた。
 草の良いにおい。
 野鳥がさえずっている。
 小さなチョウチョが花を求めて舞う。

 戦争が終われば、みんなでここへピクニックにでも来たい気分だった。
 それはそれは、良い想い出になるだろう。

 ミカが皆から少し外れたところで崩した正座の姿勢で座っていて、黒革の手帳に鉛筆で何かを書いている。
 視線は手帳に落としたままだから、風景をスケッチしているのではなさそうだ。
 何をしているのか気になるので、彼女の右横に腰を下ろし、横から(のぞ)いてみた。
 鉛筆で音符のような物を恐ろしい速さで書いている。
「何しているの?」
 彼女は何も言わない。真剣そのものだ。
 聞こえていると思うのだが、話しかけないで欲しいという意思表示だろう。
 邪魔すると悪いので腰を上げた途端、彼女が万歳の姿勢をする。
「出来た~!」
 急に叫ばれたので、驚いて尻餅をついてしまった。
「何が出来たって?」
 彼女が手帳を見せる。そこにはたくさんの音符が書かれていた。
「曲を作っているの?」
「いや、写譜」
「写譜?」
「みんなは作曲って言っているけど」
「ふーん、凄いな」

「私、将来は弾き語りでも何でもいいから、ピアノが弾ける職業に就きたいの」
「例えば?」
「コンサートは夢だけど、結婚式の披露宴で演奏とかレストランで生演奏とか」
「バーでも演奏が出来そうだけど」
「お酒飲む人は大嫌いだから、そういうのはイヤ」
「ピアノの先生も良いかも」
「1対1は苦手。みんなに聞いてもらいたいから、本当は、出来ればだけど、コンサートがいい。サロンでもいい。みんなに囲まれて歌いながらピアノを弾くの。それが夢なの」
 その時、遠い記憶が蘇った。

(みんなに囲まれて演奏……作曲……そうだ……いつだろう……よく思い出せないが……俺はミカとどこかで会っている気がする)

「前に、放課後とか、学校の音楽室でピアノ弾いてなかった?」
「ん? あのことかな?」
「音楽室に生徒が何人か集まって、そこで-」
「たぶんそれ、ミカ・アーベント」
「やっぱり弾いてたんだ」
「そだよ」
「聴いたことがあるなと。昔、会っていたかも」
「私も……」
 彼女の真剣な眼差(まなざ)しを前に、目を()らすことが出来なかった。
 そして、その美しい双眸(そうぼう)に吸い込まれそうになる。
「言われてみると、会ったことがあるかも」
「ああ、俺もそんな気がするんだ。会ったというか、どこかでこうして肩を並べて話していた気がして」

 その時、ルイが俺達を家に呼んだあの日、俺がミカも救った、と言っていたことを思い出した。
(だが、ミカって彼女のことか?)
 ルイは上の名前を言わなかったので、同じ名前の別の生徒かも知れない。
(ルイに聞いてみるか……)
 でも仮に、俺が救ったミカが目の前にいるとしても、『あなたは俺によって救われましたよ』なんて自慢げに話をするのは、何様だとなりかねない。
 彼女はまだこちらに視線を注いでいる。
「私、今思い返しても最近会っている記憶がないから、実は私と前世で会っていたみたいな?」
 もしも時間が巻き戻る前の未来の記憶が前世の記憶として扱えるなら、そうかも知れないと思った。
「前世か……。ロマンチックな話だな」

 急に右腕を誰かに(つか)まれた。
 ミキだった。
 彼女は俺の右横に腰を下ろす。
「何話してるの?」
「ああ、ミカさんが作曲しているから、凄いねと」
 ミキはミカを見て、俺の右腕に左腕を絡めてくる。
 彼女に対する明らかな意思表示だ。
 ミカはその意思表示に応える。
「仲いいんだ」
「そうよ」
「羨ましいわ」
「付き合って長いの」
「じゃ、もう約束したの?」
「え?」
「結婚」
 ミカはずいぶんとストレートなことを言う。
 彼女は、カーッと照れて赤くなった俺達の顔を見てニコッと笑う。
「結婚式の時は呼んでね。ピアノ弾いてあげるから」
「いやいや、まだ早いって」

 ふと視界に何か揺れている物が映った。
 よく見ると、胡座(あぐら)()いたカワカミが右手で『こっちに来い』と手招きしている。
 俺は招きに応じて彼女の正面に座る。
 彼女はニヤニヤして言う。
「心配したよ」
「何がですか?」
「あの時は鈍かったし」
「だから何がですって?」
「やっと付き合ったみたいだね」
「ああ、そのことですか。ええ、まあ」
「黄色い髪の子じゃないよね?」
「いいえ違います。何言ってるんですか」
「じゃ、あの痩せた子?」
「どうしてそうなるんですか」
「じゃ、あの、目のパッチリした子?」
「え、……ええ」
「ふーん。じゃ、もう黄色い子と浮気?」
「ち、違いますって」
「ハハハ」
「楽しんでません?」
「あの時ホント、片思いの子に囲まれているっていうのに鈍いから心配したよ」
「しなくていいですって。俺、やる時はやります」
「ほほう、よく言った! で、ドコまでいったの?」
「と言われても……」
「ついに一線を越えた??」
「高校生に何を期待してるんですか!?」
「今みたいな非常時は、明日は来ないかも知れないよ。やる時はサッサとやらないと」
「だから何を期待してるんですか!?」
「『やります』って言ったのは君じゃないか。思わせ振りだな、ハハハ」
「笑わないでください-」

 とその時、ミカミが素っ頓狂な声を上げる。
「何これー!?」
 声の方を見ると、彼女が草むらに腰を下ろし、左手でクローバーの花を弄りながらタブレットの画面に視線を落として、首を傾げている。
 今度は彼女の右横へ行って腰を下ろす。
「どうしました?」
「充電が終わって今タブレットの電気付けたら、『待機せよ』って指示が出ているけど、画面の上半分に凸マークがいーっぱいあるの」
「え? どこに?」
 彼女が差し出すタブレットの画面を見た途端、驚愕の事態に声も出なかった。

 画面の上半分が凸マークで埋まっている。
 つまり、敵の大集団なのである。

 100個はあるのではないか。こうも密集していると、壮観を超える。
「ま、まさか、……目の前は敵の本陣!?」
 しかし、前方を見ても敵の姿はない。
(どこだ!?)
 立ち上がっても背伸びしても見えない。
 腰を下ろしてまたタブレットを見る。
 画面下には●マークが1つと■のマークが3つ。つまり、味方は今いる俺達だけだ。
 拡大モードにすればこっちだってマークの数が増えるのだが、相手はもっと増えるだろう。
(こんな敵が密集する場所を前にして、今までノンビリと会話してたなんて……)
 またブルッとした。
(こういうのって、ダモクレスの剣だったか)
「班長、ここは撤退じゃないですか!?」
「でも、ホラ」
 彼女がこちらに差し出すタブレットでは、バーの表示は『待機せよ』なのだ。

 ヤマヤが近づいて来た。
「何だって? 敵の本陣だって?」
 彼女はタブレットを(のぞ)き込む。
「すっげー! 何これー!」
 それから、彼女は額の辺りに手を翳して遠くを見る。
「でも何も見えないじゃん」
「そうなんです。見えないんです」
「壊れてるんじゃね?」
 俺は本当の敵の兵力数が分からないので、ミカミに質問をぶつけてみる。
「班長、凸マークってどういう単位でしたっけ?」
「分かんな~い」
「あのねぇ……」
 確か、前に班長から小隊規模とか適当なことを言われた気がするのだが、それすら答えてくれず、期待した俺が馬鹿だった。

 そこへカワカミがやって来て、助け船を出してくれた。
「表示の単位かい? そのマークは十人単位。だいたい小隊規模かな」
「じゃ、マークの位置に小隊の十人が固まってるんですか?」
「それは表示の(あや)。人数を10で割って表示している。だいたいその辺に十人いることになるのだが。一人一人の位置を見たければ、拡大すればいい」
「なるほど。じゃ、これだけあれば……」
「千人以上。1個大隊だね」
「マジですか……」
「地図の感じだと、ここは高台だ。おそらく、ここからなだらかな坂になっていて、下に敵が集結している」
「あ、だから見えないんだ!」

 いつの間にか、ヤマヤがズンズンと敵の方向へ歩いて行く。
「あ、待ってください、副班長! 危ないです!」
 彼女が立ち止まって顔をこちらに向ける。顔は45度傾いている。
「何で?」
「どうもここは高台の上だったようです。だから、そこを歩いて行くと下りになっていて、下に敵が集結しています」
「ちょっとくらい偵察に行ってもいいじゃん」
「駄目です、顔を出しちゃ!」
「尻出してやれ」
「見つかりますって!」
「遠くて見えやしないよ。気にしない、気にしない」
 彼女は手を振って前に向き直り、歩みを再開した。
 偵察というより野次馬の見物だろうが。

   ◆◆

 司令室の全員は徹夜明け状態のため、疲労感が漂っていた。
 ミノベ中将が眠そうに言う。
「これまでで敵の前哨部隊は壊滅、飛行中隊も壊滅、艦隊も壊滅、海上輸送を含む補給部隊も壊滅。残るは、戦車中隊とあの1個大隊のみです」
 そう言い終わると目を閉じて船を漕ぎ出した。
 カシマ元帥は和やかに笑う。
「ついにここまで敵を追い詰めた。輸送船団がないから、海を渡っての敵の増援には時間が掛かる。これで全兵力を、今モニターに映っている1個大隊に向ければ作戦は終わり。後は軍人が出て行く必要はないので、政治の場で決着していただきます、コノミ外相」
 コノミ外相は返事をせずに欠伸(あくび)をしていた。
 もう戦後処理の話をされても、賠償金やら何やらの交渉内容は誰も考えていないのだ。

 キリシマ少将は疲れも見せずにまだニヤニヤしている。
「ところで、1個大隊を前に、何故普通小隊ひとひと班とアンドロイド連隊第二小隊だけなんですか?」
 リクは、彼女に言われる前からそれに気づいており、青ざめて震えていた。
(これはおかしい……絶対におかしい……AIが導き出した作戦がこんなはずないわ)
「しかも我が国の主力部隊を5キロ後方に下げて。リクさん。これはあなたのプログラムが導いた最良の作戦なのですか?」
 リクは答えられない。
 何故なら、プログラムが導いたのは最良の結果のはずだが、誰の目から見てもこの無謀な小隊の配置を、最良だとは説得できない。
「囮ですか? それともアンドロイドが百人力千人力なんですか?」
 彼女は、少将が答えを導いたような気がした。
「敵の油断を誘うためです」
 さも知っていたかのように言葉を返したが、AIが導き出した作戦にまだ疑念が残っていた。

 少将にしては珍しく頷きながら答える。
「なるほど。システムも考えましたね。……おや、凸マークが1つ前進してきましたよ」
 リクはハッとした。
 向かう先にはスペードのマークがある。
(マズイマズイマズイ!!!)
 彼女は震えが止まらず、心臓の鼓動はバクバクと音を立てていた。

   ◆◆

 確かに、ここは高台だった。
 ズンズンと歩いて行ったヤマヤの体が200メートル向こうで徐々に沈んでいき、すっかり隠れたからだ。
 あそこから先は坂にでもなっているのだろう。

 とその時、それまで見えなくなっていたヤマヤの頭がヒョコッと見えたと思うと、びっくり箱から飛び出すように彼女の全身が現れた。
 そして、こっちに向かって脱兎の如く逃げ帰ってくる。
「おーーーーーい! 敵は直ぐそこだ! バイクに乗った連中がワンサカこっちに向かって来たぞっ!」
「だから駄目ですって! 姿見せちゃ!」
「駄目って言われると、やりたくならない?」
「それは副班長だけ!」
 彼女が敵に向けて尻を見せて、パンパンと尻を叩く姿が思い浮かぶ。

 ミカミがタブレットの画面を切り替えて拡大モードにする。
 こちらに向かって動いている凸マークが30以上表示された。
 つまり、向かってくる敵は30人以上いることになる。
 それにしてもバイクで突っ込んでくるなんて、偵察用ならまだしも、今時どこの軍隊で大規模なバイク連隊を編成しているのかと思う。
 画面下のバーの表示は『アンドロイド連隊攻撃開始』になった。
 ここはアンドロイド達のお出ましだ。
 しかし、トラックから降りるのに時間が掛かるという難点がある。
 俺達は草むらに伏せて、拳銃を構えた。俺の右横にミキが、左横にミイが伏せた。ミルとルイとミカは俺の後ろにいるらしい。他の連中の位置は不明だ。

 もたもたしているうちに、バイク連隊の頭が、体が、バイクに跨がった全身が見え始めた。
 先頭の集団は10台ほど。
 こちらにトラック等が見えるので警戒したのか、スピードを落とした。
 その時、アンドロイド達がドスドス足音を立てて、横一列に並び、前進し始めた。
 この異様な光景に恐れをなしたのか、バイク連隊の先頭集団がバイクの向きを変えて元来た道を引き返そうとする。
 しかし、後続の全員が勢いよく坂を登り切ったので、お互いが衝突寸前になり、仲間内でうろたえ始めた。
 そこへアンドロイド達が一斉に射撃をしたから堪らない。
 俺はミカミが伏せているところへ匍匐前進し、タブレットの画面を見せてもらった。
 敵が斃れるのを間近で見るのが怖かったからだ。
 凸マークが一つまた一つと消えていき、画面上から全て消えた。
 ミカミがタブレットの画面を拡大モードから標準モードに戻すと、凸マークで動いている物はない。
 バイク連隊は全滅したようだ。
 画面下のバーの表示は『攻撃中』から『作戦終了。待機せよ』に変わった。

牧草ファイター

 午後0時。タブレットを見ても、敵には動きがない。
 いつ何時敵が攻めてくるか分からないので、腹ごしらえは必要だ。
 そこでトラックの荷台にある携帯食料を探すと、ある程度の量はあったものの種類が少ないのでガッカリした。
 皆で肉の燻製みたいな物と堅パンを食べた。

 大量の敵を前に呑気に食事するとは度胸がいる話だが、喉を通らないと言う者は誰もおらず、普通にピクニックで昼ご飯を食べるように、時には冗談まで言い合っていた。
 たぶん、何かあればタブレットが知らせてくれるから、と安心しきっていたのであろう。
 食べ終えたら交代で休憩した。
 草の上にゴロリと転がる。
 まるで、草のにおいがするシーツの上に横になっているようだ。
 鳥のさえずりを聞きながら、いつの間にかウトウトしてしまった。

 左肩を叩かれたので目が覚めた。
 顔を左横に向けると、カワカミがしゃがみながら遠くを見ている。無言のままだ。
 上半身を起こすと、彼女の視線は敵とは反対方向を向いている。
 振り返って彼女の視線の先を見ると、100メートルほど向こうに軍服を着た人物が立っている。
 服の感じでは味方の女兵士のようだ。

 カワカミが左手の親指を立ててそれを人物と反対方向に指し示し、『行け』と合図する。
 タブレットで確認しろ、という意味だ。
 俺は赤ん坊のハイハイの歩き方でミカミのそばへ行く。
 タブレットの画面を見せてもらうと、俺達の●マークの下側、つまり女兵士が今いる位置が■マークになっていた。
 味方のマークだ。
 またハイハイ歩きでカワカミに近づきそのことを伝えると、彼女は、「付いてこい」と言って立ち上がる。
 彼女にしては珍しく丸腰だった。味方だから警戒が緩んだのか。
 俺も丸腰で従った。ヘルメットを被り忘れたから、こちらも気が緩んでいたようだ。

 二人で近づいていくと、女の背丈は170センチ以上あるだろうと思われる長身だった。
 顔立ちを敵味方で言うと味方の人種だが、敵に時々混じっている東洋人にも見えた。
 痩せ形で面長。目はパッチリしていて口元はちょっとニコッとした感じで、第一印象は『可愛い大人』。
 昨日までファッション雑誌のモデルをやっていたが、今日招集されて軍服を着たみたいな雰囲気を醸し出している。
 だが、直感ではあるが、服の下はスラリとした肉体ではなく固い筋肉が隠れていそうだった。

 俺達は女と5メートルくらいの距離を取ると、足を半開きにして止まった。
 カワカミが型どおりの質問をするかのように、無表情で女に声を掛ける。
「所属は?」
「普通小隊、第、なな班」
「名前は」
「酢間田 箱子」
「スマダ ハココ。ここで何をしている?」
「小隊全滅。合流する小隊探した」
 カワカミがこっちを見て『離れろ』と目配せする。
 俺は彼女から3メートル横に離れた。
「どこで全滅した?」
 女は右手で後ろを指し示すが、顔も体もこちらを向けたままだ。
「敵の数は?」
「たくさん」
「歩兵か?」
「たくさん」

 カワカミが少し間を置いて問いかける。
「まだぎょうさんおったんやな」
 女はキョトンとし、眉を(ひそ)めて黙っている。
 俺も突然の方言に首を傾げた。
 カワカミがフッと鼻で笑い、まだ女の方を向きながら、声だけは俺に向かって言う。
「マモルはん。気いつけなはれや」
「え?」
「目の前に、あいつらのダチがおるんちゃう」
 やっと、彼女が方言を使う意図が分かった。
「ホンマでっか」
 俺達は女に悟られないように身構えた。
 女は「小隊どこに?」とこちらの質問を無視する。
 するとカワカミが、意味の分からない言葉を発した。
 急に女の顔がほころんだ。
 カワカミが女の方を向いたまま、小声で素早く言う。
「やつらの冗談が通じた。今からやつらの言葉で『敵だ!』と叫ぶから、後ろの連中に伝えろ」

 そして、彼女は短いが意味の分からない言葉を叫んだ。
 女はビクッとして、バレたという顔をした。
 俺はそれを合図に後ろを振り返り、「敵だ!」と叫ぶ。
 向こうに座っている仲間のいくつかの顔がこちらを向いた。気づいてくれたらしい。
 直ぐさま女の方へ向き直るが、途中、カワカミがヨロヨロと倒れるのが見えたので二度見した。
 左胸にナイフが刺さっている。
(飛び道具!?)
 俺が女の方を見ると、すでに女が距離を縮めていて、こちらに光る物を投げた。
 すかさず右に避けると、光る物が左腕の服に当たった。
 いや、刺さった。
 痛みから判断するに、皮と少々の肉は削られただろうが、深く刺さらなかったようだ。
 服に刺さったナイフを抜いて、敵の手に渡らないように遠くへ投げた。

 女が豹のように飛びかかる。
 さらに右に避けたが、急に現れた左の拳が顔面に炸裂した。
 鼻が砕けたかと思った。
 思わず蹌踉(よろ)けた。
(早い! 移動方向を先読みされた!)
 女は続けざまに右の拳を繰り出す。
 これもまともに食らったので、膝を折った。

 女はカワカミのところへ突進し、素早く腰の周りを探っている。
(飛び道具を探している!)
 二人とも丸腰で助かった。

 俺は女の脇腹を狙って蹴り上げる。
 女が咄嗟(とっさ)()けたので、足は空しく宙を蹴る。
 その足が女の右腕で払われた。
 バランスを崩した。
 女が立ち上がった。
 軸足を変えて腹を目掛け、蹴りを繰り出す。
 またもや宙を蹴る。
(え?)
 こちらを向いていた女の顔が消え、服が宙に浮いた。
(何!?)
 バク転で後方に避けられたのだ。
 身の軽さは半端ない。
 曲芸を見ているかのようだった。

 女が立ったので、俺は拳を振り上げて飛びかかった。
 すんでの所で脳天を殴られた。
(ええっ??)
 女の腕は両側にある。しかし、ニヤリと笑った女の頭の上に片足がある。
 もう片足は確かに体を地面の上で支えている。

 何が起きたのか、女がどんな体制で攻撃したのか判断出来ずに混乱する。
 女の狙いはそこにあった。
 不意を突かれた。
 女の両腕からマシンガンのように拳が繰り出された。
 数え切れないほど殴られた。
(破れかぶれだ!)
 後ろに体を少し離し、女との間を開ける。
 そして、後ろ向きに倒れる振りをしながら空中を蹴り上げる。
 つま先に手応えに似た感触。
 女の顎に蹴りが当たった。
 顎を押さえながら女が蹌踉(よろ)めく。
(借りは返す!)
 ボコボコにやられる女を頭に描いて突進したが、逃げられた。
 こちらの動作が緩慢だったのだ。

 3メートルくらい離れて体勢を立て直した女が、何かの拳法の構えをする。
 俺は空手の構えをした。
「カラテ ワタシニ カテナイ」
「ふざけんな!!」
 威勢を張ってみたものの、十中八九『カテナイ』が現実味を帯びている。
 女の攻撃が圧倒的に当たっているのだから。

 構えたままジリジリと回転し、徐々に互いの距離を詰める。
 女が左手の指先で『カモン』のポースをして挑発する。
 その手には乗らない。
 (しび)れを切らしたのか、先に女が動いた。
 突進する女へ前蹴りを繰り出す。
 女がバク転で避ける。
 逆の足で前蹴り。
 またバク転。
 その時、一瞬だが女の弱点が見えた。
 バク転した後で正面を向く時に隙がある。
(試すか!)
 再度前蹴り。
 今度は右に避けられた。
(畜生!)
 こちらの意図を読んだのか。頭がいい女である。
 感心していたので隙が出来た。
 女が連続で回し蹴りをする。
 全てまともに食らって、目眩(めまい)がして蹌踉(よろ)けた。

 しかし、女も蹌踉(よろ)けた。
(何が起きた!?)
 見ると、カワカミが女の腰へラグビー選手のようにタックルしていた。
 二人は一緒に倒れ込んだ。
 女はカワカミを滅茶苦茶に殴って腰から引き離そうとするが、彼女はガシッと抱きついて離れない。
 女は夢中なので、こちらに注意を払わない。
 隙あり。
 俺は女の側頭部に渾身の蹴りを入れた。
 女はクラッとして倒れた。
 それから何度も何度も何度も顔を殴った。
(これは俺の分! これはカワカミさんの分!)
 こうなると自制が効かなくなった。
「もういい、気絶している」
 上半身を起こしたカワカミが苦しそうにそう言って、俺の右腕を(つか)む。
「こいつは丸腰だ。もういい……」
「カワカミさん! 大丈夫ですか!?」
 しかし彼女は、力尽きたように倒れ込んだ。

 駆け寄ってきたアンドウに「縄を持ってきて!」と頼んだ。
 彼女は急いで縄を持ってきてくれた。
 二人で女を縛った。
「君に弾が当たりそうだったから拳銃が撃てなかった。悪かった」
「いいですよ。それよりカワカミさんの傷の手当てをしてください」
「ところで、味方の服を着た敵は、タブレットでは味方になるんだな」
「服で判断しているんですかね。だとすると、大問題です」
「寝返ったと思いたいが……。システムがどういう判断基準で敵味方を区別しているのか分からないからな……」
 女の言葉の感じでは、味方が敵に寝返ったのではなく最初から敵であることは明らかだ。味方の服を盗んで、それを着てこちらに近づいた目的は、女が黙秘を貫いたので不明のままだった。

   ◆◆

 タジマが首を傾げながら報告する。
「スペードのエースの心拍数と呼吸が上がっています」
 リクが不思議そうに言う。
「でも、あそこに近づいてきたのは味方よね?」
「ええ。そうなんですが」
 キリシマ少将がからかう。
「美人に興奮しているんじゃないですか?」
 リクは彼女をキッと睨んだ。
「そんなことは絶対あり得ません」
 しかし、心拍数と呼吸の数値は一向に平常にならない。
 タジマは気になって仕方がない。
「どう思います?」
 スペードのマークと■マークが接近しているから、少将のからかいが現実味を帯びてくるも、リクは成り行きを見守るしかなかった。

 しばらくすると心拍数と呼吸は正常値に戻った。
 スペードのマークと■マークが●マークに近づく。
 誰もが合流と思ったので、注意を払わなくなった。

 敵の1個大隊には動きがない。
 その間、残る敵戦車部隊との激しい攻防に注目が集まっていた。
 モニターはそちらの戦況に切り替わった。
 敵戦車はこちらの戦車の誘いに乗らず、地形を熟知しているらしく、翻弄したあげく確実にこちらの戦車を一つまた一つと討ち取っていく。
 タブレットの指示通りに動いてもまるで歯が立たない。システムが苦戦しているのだ。

   ◆◆

雨中の決戦 その1

 カワカミはトラックの荷台に収容された。
 彼女の治療はアンドウ隊長が行った。俺も手伝った。
 一応トラックには医薬品を積んでいたので助かった。
 彼女がたまたま左胸のポケットにおやつ代わりに忍ばせた肉の燻製数枚の上からナイフが刺さっていた。そのおやつのおかげで深い傷ではなく、二、三日で回復するだろうとのことだった。
 捕虜となった女は、プイッと横を向いたまま言葉を発しなかった。

 女の襲撃の後は、目の前の敵に動きはない。
 副隊長の悪戯心が、意図せず敵のバイク部隊の全滅に繋がったのだが、出鼻をくじかれた敵は極度に警戒しているに違いない。
 タブレット上では、マークの数だけで見ると圧倒的不利な状況は続いている。
 味方の援護はない。
 この状況を敵が見たら今すぐにでも攻めてきそうなのだが、何故だか奇妙な睨み合いが続いていた。

 午後4時。昼過ぎまでは天気が良かったのだが、だんだん雲行きが怪しくなってきた。
 このため、陽は落ちていないのだが、薄暗くなった。
 タブレットの画面は依然『待機』のままだ。
 俺は(しび)れを切らしてミカミに進言する。
「班長。いつまでもここにいるのは、敵の餌食です。身を隠せる場所まで後退しませんか?」
 彼女は疲れた表情で言う。
「でも、指示はここで待機なの」
「いや、おかしいですって。敵の大群が目の前にいるんですよ。夜になればきっと動きます。ここじゃ俺達は訓練所の的と同じです」
 ルイが加勢する。
「どう考えてもおかしいですわ。このシステムを設計した人、人間をロボットだと思っていません? 生身の体は鉄砲の弾をはじけませんわ」

 ミイが何か思い出したらしく、助言する。
「さ、さっき、て、適当なトイレの場所探しに行った時に穴があった」
「穴?」
「蛸壺ですの?」
「い、いや。よ、横に長い穴」
「それって、塹壕かも」
 ミイに案内されて穴の場所へ行くと、幅が3メートル、長さが20メートルほどの塹壕が3列あった。
 古い塹壕らしく、一部は崩れて土砂が埋まっている。
「ナイス、ミイさん」
「あ、ありがとう」
 二人でハイタッチをした。

 戻ってからミカミ班長とアンドウ隊長に進言すると、直ぐに許可が下りて、古い塹壕の方へトラックを移動した。
 敵に近い方の塹壕に俺達高校組六名、班長と副班長と他校二名の計四名はその後ろの塹壕、アンドウ隊長を含めた運転手達は一番後ろの塹壕に入った。
 カワカミはトラックの荷台の長椅子をベッド代わりにし、捕虜を見張っていた。
 彼女は時折捕虜の国の言葉で話しかけたりジョークを言っていたらしいが、一切口をきかなかったそうだ。

 午後5時。厚い雲のせいで薄暗くなった。
 俺は頭を出して後ろを振り返る。
「班長。敵はどうなっています?」
 ミカミが塹壕から顔を出す。
「何か動いているわよ」
 アンドウも塹壕から顔を出す。
「敵が近づいてきた! アンドロイド達の出動命令が出た! 準備するからまだ動かないで!」
 二人は頭を引っ込めた。
 俺は向き直って前方を見た。まだ敵は見えない。

 途中から雨が降り出した。
 コートを持ってきていなかったので、雨具はヘルメットだけである。
 寒くなってきた。不安も募った。
 そろそろアンドロイド達が全員トラックから降りる頃、遠くの方で紺色の人影が多数、地面から湧き出て来る。
 坂を上ってきたのだ。
 中腰の姿勢でユックリこちらに近づいている。
 ざっと五十人はいる。横一杯に広がっているらしい。
 もしアンドロイド達が間に合わなかったら、とてもじゃないけれど、あの人数相手の戦闘は絶望的だ。
 膝がガクガクする。拳銃を持つ手も震えが止まらない。
(アンドロイド急げ!)

 後ろでミカミが根を上げたような声で言う。
「ねえ、この意味分かんないんだけど」
「タブレットですか?」
「そう。変なのよ」
「はいはい、今行きますよ」
 体をねじって塹壕を出ようとすると、それまで肩を寄せ合うように左側にいたミキが俺の右腕をガシッと(つか)む。
「お願い! 行かないで!」
 俺は彼女の手を振り払って、「ちょっと見てくるだけ」と言って塹壕から身を乗り出す。

 後ろで複数の銃声がした。
 その途端、背中の真ん中が何かで抉られたような激痛が走り、背中から胸に向かってその何かが通り抜けたような感じがする。
(え???)
 息が止まった。
 ドスッと前のめりに倒れた。
 これは俺の意思ではない。
 胸と地面に挟まれた右手に温かい物がドクドクと流れる。
 悲鳴のような声が耳を叩くが、意識が遠のく。
 何を言っているか分からない。
「……」
 (うめ)き声すら出ない。
 電池が切れそうなロボットの如く力が抜けていく。
(ミキ……誰かが……死ぬって……俺?)
 瞼を閉じてもいないのに目の前がスウッと暗くなる。

雨中の決戦 その2

 午後5時。厚い雲のせいで薄暗くなった。
 ちょうどミカミから、敵が動いたと聞いた。
 アンドウが塹壕から顔を出す。
「敵が近づいてきた! アンドロイド達の出動命令が出た! 準備するからまだ動かないで!」
 俺は前方を見た。まだ敵は見えない。

 途中から雨が降り出した。
 そろそろアンドロイド達が全員トラックから降りる頃、遠くの方で紺色の人影が多数、地面から湧き出て来る。
 いよいよお出ましだ。
 相手はざっと五十人。横一杯に広がって近づいてくる。
 もしアンドロイド達が間に合わなかったら、と思うと絶望的な気分になった。

 後ろでミカミが根を上げたような声で言う。
「ねえ、この意味分かんないんだけど」
「タブレットですか?」
「そう。変なのよ」
「はいはい、今行きますよ」
 体をねじって塹壕を出ようとすると、それまで肩を寄せ合うように左側にいたミキが俺の右腕をガシッと(つか)む。
「お願い! 行かないで!」
 俺は彼女の手を振り払って、「ちょっと見てくるだけ」と言ったが、今度は彼女が両手で右腕をガシッと(つか)んで後ろに体重を掛けながらグイグイ引っ張る。
「わかった、わかった」
 俺は諦めて腰を下ろした。
 ちょうど敵の方から銃撃が始まった。弾が頭の上を通過するような音がする。
「班長、何が分からないんですか?」
「敵のボコってマークが-」
「あのー、ボコって凹んでいる方で、出っ張ってるデコの方が敵ですよ」
「そっかー。そのデコマークが点滅しているの」
「え? 点滅!?」

   ◆◆

 キリシマ少将のにやけ笑いもさすがに消え失せ、口はへの字になっていた。
「やっと今頃我が国の主力を向かわせるとは。遅すぎやしませんか?」
 リクは無言だった。
「敵もこちらの動きを察知したのか、ようやく重い腰を上げましたね。まだ準備に手間取っているみたいで、一部しか動いていないようですが。で、囮はどこまで持ち堪える計算ですか?」
 これにも無言だった。

「ところで、何ですか? その点滅」
 それは彼女も気づいていたが、プログラムのせいではないのは分かっている。
「レーダーの誤差を補正しているからです」
「それで点滅?」
「雨や濃霧では表示に誤差が出ます。それを現しているのです」
「表示に誤差が出る。となると、このシステムは雨の中では使えない。そうおっしゃっているのですか? 火縄銃みたいですね」
「いいえ」
「いやいやいや。こんなの使えないでしょう」
「ハードウェアがいけないのでは?」
「ハードの誤差は物理現象だから避けようがないのです。だったら、ソフトで何とかするのが筋でしょう」
「ハードウェアの誤差が大き過ぎるから、ソフトウェアでの補正が追いつかないのですが」
「何をおっしゃる。ハードの精度を上げろと? そうじゃなくてソフトが馬鹿だからでしょう?」
「ソフトウェアは馬鹿ではありません!」
「馬鹿でしょう? ほら、今見てご覧なさい。点滅どころか、消えてしまって、いつの間にか現れる。モグラですか、これは?」
「ハードウェアからそういうデータが飛んでくるから、こう表示されるのです!」

 彼女はもちろん、レーダー等の誤差を計算に入れていて、補正するプログラムを組んでいた。しかし、実験を重ねても雨や霧の場合、補正が間に合わないほど誤差が大きくなり、異常値で表示がおかしくなることは分かっていた。だから、これらの事象は今になって分かったことではない。
(軍部がシステムの完成を急がせたからこうなったのよ!)
 リクはこの場で叫びたい衝動を必死に抑えていた。

 ミノベ中将が水掛け論の仲裁に入る。
「まあまあ、お二人とも。今まで十二分に成果を上げてきたではありませんか。非常に苦戦しましたが、敵の失策もあってようやく敵の戦車部隊は殲滅され、残りはここだけ。よくまあここまで追い詰めました。今、天候が悪いのは運が悪いと思って」
 仲裁に入られた当の二人は、プイッとそっぽを向いた。
 キリシマ少将は皮肉を込めて、しかし口をへの字にして言う。
「それより、囮とは言え、貴重な人材。あの状況を放置してこのまま15名ほど失うのですか? リクさん。敵はあのスペードのそばにも近づいていますよ」
 モニター画面では●と■のマークのそばに凸マークが5つ近づいていた。そのうち、スペードのマークには凸マークが1つ近づいていた。
 リクは慌てたが、全自動システム故、人の手が介在できず、自分ではどうすることも出来なかった。

 キリシマ少将は哀れんで言う。
「可愛そうに、あの小隊は拳銃しか持っていませんよ」
 リクは、ハッとして彼女の方を見る。
「だって、あなたが『軽装備でいい』っておっしゃったじゃないですか? システムが確実に敵を攻撃するから重装備は要らないって」
 リクは泣きそうな顔になる。
「昨日半日程度の訓練を受けただけの素人ですよ。拳銃を扱えるのかどうか分かりませんけど。一体どうするのです?」
 キリシマ少将はさらに畳みかける。
「むざむざ殺されて敵に糠喜びさせるためだけの囮ですか? リクさん」

   ◆◆

 点滅しているのはシステムがおかしくなったからだ、さあどうしよう、という不安が彼女達の間で広がった。
 しかし、俺は冷静だった。
「点滅はおそらくレーダーのせい。こういう雨だと、うまく映らないのかも知れない。だとすると、表示だけの問題だ。こうなったら、人間が判断するしかない」
 アンドウ隊長が声を上げる。
「分かった。そっちからタブレットが見えないと思うから一応言うよ。敵のマークが5つ近づいて来ている。横一列に展開している。今、アンドロイドの準備が整った。まずは、こっちに任せて!」
「はい!」
 ミカミが会話に割り込んできた。
「ねえねえ。アンドロイドに傘を持たせたら?」
「ミカミ班長。それでは銃が撃てません」
「そっかー」
「それより班長! 今は拳銃で応戦!」
「ロジャー!」
「そう書いてラジャーです!」

 ようやくアンドロイド達がドスドス足音を立てて横一列に並び、前進し始めた。
 しかし、連携にぎこちがない。
 どうも雨の影響でアンドロイド達の間のレーダーかセンサーか何かが影響を受けているらしい。
 いつもなら等間隔で綺麗に並ぶのだが、立っている位置が左右も前後もバラバラなのである。
 銃撃も敵をきちんと認識して出来るのか、不安が付きまとう。

 敵はアンドロイド達の異様な姿に驚いて退却するか、一斉射撃で斃れたが、中には勇気を振り絞ってアンドロイド達を迂回し、こちらに向かって来る奴がいる。
 俺は奴らを見逃さない。
「10時の方向!」
「2時の方向!」
「また10時の方向!」
 すり抜けた敵は、冷静な俺の監視の目で確実に捕らえられる。
 だから全員が指示された方向に一斉に拳銃で応戦するだけでいい。
 まぐれ当たりもあると思うが、すり抜けた敵を全員倒した。
 ヤマヤが大声を出す。
「右に左にって、向くのがめんどい。そっちは右専門、こっちは左専門でいいんじゃねぇ!?」
(それもそうだ。自分で何とかするって考えから抜けきれなかった。任せれば楽になるじゃないか)
「お願いします! アンドウさんは真ん中をお願いします」
「了解!」
 こうして三方向の分担が確立された。

 とその時、俺の近くで爆弾が炸裂した。手榴弾か。
 激痛が全身を走り抜けた。
 泥水の中に倒れ込んだ。
 塹壕の中でミキが必死に看病してくれるのが分かるが、動くことが出来ない。何度も気を失いかけた。
(ここは我慢だ……)
 ふと、お守りのことを思い出した。
(これで前に助かったから、今回も……)
 俺は服からお守り袋を引っ張り出した。一つしか出てこない。もう一つはまだ中らしい。出てきた一つを堅く堅く握りしめた。

   ◆◆

 タジマが大声を上げる。
「スペードのエース、攻撃を受けた模様です! 心拍数、呼吸とも低下!」
 リクは絶句する。
 モニターではスペードのマークが赤く点滅した。
 生命の危険がある場合、このように表示されるようになっていた。
「さらに低下! 危険な状態です!」
 リクは目を見開き、頭を抱える。
「許せない……
 許せない……許せない……
 許せない……許せない……許せない……
 許せない許せない許せない許せないいいいいいいいいい!!」

 彼女の錯乱に司令室の空気が凍った。

 その時、彼女の後ろにボゥッと人影が見えたかと思うと、全身黒タイツの人物が現れた。
 リゼである。
 突然に人が湧いてきたので、司令室の中は大混乱になった。

 リゼは機械人形のような声で「マモルさんを傷つけたのは敵。憎むべき敵に制裁を」とリクに(ささや)く。

 彼女は同意し、不気味な笑みを浮かべて天を仰いだ。
「お前達は天の裁きを受けろ!!!」
 それを合図に、リゼは恐怖に怯えるタジマの右腕を(つか)んで、装置のとある場所でタジマの右の手の平をスキャンする。
 指紋認証と静脈認証をしたのだ。
 そして、タジマのキーボードから何かのコードを打ち込んだ。
 それを見ていたリクは、手前の装置のとある場所で左の手の平をスキャンする。
 これも同じ認証だ。
 そして、自分のキーボードから何かのコードを打ち込んだ。

 リクは叫ぶ。
「この世界は私とマモルさんの世界になるの! 生まれてくる子供が救世主になるの! 邪魔はさせない!」
 リゼは続ける。
「さあ、一緒に新たな世界を創造しましょう」

 リクは緊急用のボタンに左手を掛けた。リゼはリクの右肩に手を置いた。
「いっけええええええええええええ!!!!」
 リクの左手の上からリゼが左手を被せると、二人は力一杯ボタンを押した

 複数の大陸間弾道ミサイルが、敵国とその同盟国の首都へ向けて発射された。
 間もなく敵国とその同盟国から、それの報復として複数の大陸間弾道ミサイルがこの国およびこの国の同盟国の首都へ向けて発射された。

 報復合戦が始まったのである。

 マモル達が戦っていた敵の1個大隊は、この国の主力部隊が救援に駆けつけたおかげで降伏した。
 孤軍奮闘したマモル達全員は救出された。
 しかし、喜びも束の間、戦争はこのような一地域の小競り合いの次元をすでに超えてしまっていたのである。

 エスカレートする報復合戦は連鎖を呼び、やがて並行世界における最終戦争へ発展するのだった。

   ◆◆

雨中の決戦 その3

 ようやくアンドロイド達がドスドス足音を立てて横一列に並び、前進し始めた。
 しかし、雨のせいか、連携がぎこちない。
 敵が容易にすり抜ける。
 すり抜けた敵は、俺の指示する方向へ一斉に拳銃で応戦し、まぐれ当たりもあると思うが、全員を倒した。
 ヤマヤの提案で、三方向の守りの分担も出来た。

 とその時、俺の近くで爆弾が炸裂した。手榴弾か。
 激痛が全身を走り抜けた。
 泥水の中に倒れ込んだ。
 塹壕の中でミキが必死に看病してくれるのが分かるが、動くことが出来ない。何度も気を失いかけた。
(ここは我慢だ……)

   ◆◆

 ミキは、マモルの胸に手を当てる。
 彼女は彼の鼓動が弱くなっていくのを感じた。止まる寸前に思えた。
(ここは心臓マッサージだわ!)
 本来は心臓が停止していないので心臓マッサージの必要はないのだが、気が動転しているのか、彼女はそれを始めようとした。

 ミキは、マモルの服のボタンを外して開いた。
 彼は服の下を着ていなかったので、彼女はちょっとドキッとした。
 と同時に彼がユックリとスローモーションのようにお守り袋へ手を掛けようとした。
 彼女は、『捨てなさい』と注意したはずのお守りが彼の胸にまだあることに気づき、彼より先にお守り袋へ手を掛けた。
「このお守り、邪魔!」
 彼女は彼が掴みかけた二つのお守り袋を素早く奪うと、袋の鎖を力強く引っ張って首から引きちぎり、それらを放り投げた。
 お守り袋は二つとも塹壕の水溜まりに落ちた。

 そこへルイがやって来た。
「手伝いますわ!」
 その時、彼女は水溜まりに落ちたお守り袋を見つけて手に取った。
「これ、確かマモルさんのお守りですわね。マモルさんの首に掛けて差し上げないと」
 ミキはルイを見て強く拒絶する。
「それ縁起悪いお守りなの!」
 彼女はルイからお守り袋を奪うと足で踏みつけた。
 袋は二つとも水溜まりの下の泥に埋まった。
「私がお守りの代わりになる!!」
 彼女は心臓マッサージを再開した。

 ルイは、「何興奮していらっしゃるの?」と、ミキが心臓マッサージを行っている傍らで心配そうに見守る。
「心臓止まったの!?」
 ミキは返事しない。
 ルイはミキが心配するほど悪い状況ではないと半ば直感で感じ取り、マモルの左手の脈を診る。そして、ミキの肩をポンポン叩く。
「ミキさん! ミキさん! もう大丈夫ですわ!」
 ミキは手を止める。
「ホラ、ちゃんと脈が復活していますわ!」
 元々止まった訳ではないので、動いていて当たり前なのだが、ミキは自分が救ったと思ったらしい。
(私がマモルさんに恩返しが出来たのね……)
 そこにミイ、ミル、ミカも集まってきた。
「し、止血しなきゃ! た、大変だ!」
 ミイとミルは持っていたハンカチを取り出す。ミカは、自分の服の袖を破る。
 ルイが叫ぶ。
「アンドウ隊長! 援護をお願いしますわ!」
「分かった!」

 五人の誰もがマモルの手当に必死だった。

   ◆◆

 タジマが大声を上げる。
「スペードのエース、攻撃を受けた模様です! 心拍数、呼吸とも低下!」
 リクは絶句する。
 モニターではスペードのマークが赤く点滅した。
 生命の危険がある場合、このように表示されるようになっていた。
「さらに低下! 危険な状態です!」
 リクは目を見開き、頭を抱える。

 タジマが真っ青になって、力が抜けたように言う。
「……スペードのエース、……ロスト」
 リクはキョトンとした顔でタジマの方を向く。
「え? ……ロスト? 今ロストって言った?」
「……はい」
「ロストって?」
「……心肺停止です」
 キリシマ少将は、苦々しく言った。
「囮はまだ攻撃を受けていますよ。このままだと全滅です」
 リクは朦朧となった。
「攻撃……ロスト……全滅……攻撃……ロスト……全滅……」
 そして、バンバンバンバンとキーボードを叩く。
「嘘よ……
 嘘よ……嘘よ……
 嘘よ……嘘よ……嘘よ……
 嘘よ嘘よ嘘よ嘘よおおおおおおおおおお!!」

 その時、彼女の後ろにボゥッと人影が見えたかと思うと、全身黒タイツの人物が現れた。
 リゼである。
 突然に人が湧いてきたので、司令室の中は大混乱になった。

 リゼは機械人形のような声で「マモルさんを傷つけたのは敵。憎むべき敵に制裁を」とリクに(ささや)く。

 そして、リゼは恐怖に怯えるタジマの右腕を(つか)んで、装置のとある場所でタジマの右の手の平をスキャンする。
 指紋認証と静脈認証をしたのだ。
 そして、タジマのキーボードから何かのコードを打ち込んだ。
 しかし、リクは止めどなく涙を流し、髪の毛を()(むし)り、何やらブツブツ言いながら体を揺さぶっている。
 リゼは「さあ、コードを打ち込むのです」と()かす。
 すると、リクは何を思ったのか、パソコンのキーボードからユックリと噛みしめるようにコードを打ち込み、力一杯エンターキーを押した。
 リゼは予想もしなかったリクの動きに慌てて、彼女の左腕を(つか)んで装置のとある場所で彼女の左の手の平をスキャンしたが、すでに遅かった。

 モニター画面の中央に『ou9xl06fdq0squ3』という文字列が現れた。
 それは彼女が先ほどキーボードから言葉を噛みしめるように打ち込んだ文字列だった。
 それだけでは意味不明な文字列だが、実は、上の文字列を逆からキーボードに打ち込むとしてカタカナ入力で同じことをすると『アナタトワタシハオワリサヨナラ』になる。
 そんな意味があるとは、その場の誰もが気づかなかった。

 同時にシステムが停止した。

 何故ならその文字列は、敵の手に万一システムが奪われた時、システムを全て停止し、プログラムを自動で破壊するためのコマンドだったのだ。
 ストレージに格納されていたプログラムは修復不可能なほどランダムな文字で埋め尽くされ、最後は自動でオールゼロが書き込まれて、完全に消去された。

 リゼが事態に困惑していると、彼女の後ろでボゥッと3つの黒い影が現れた。
 影が実体になると、それはトマスと屈強な二人の男だった。
 トマスの「捕まえろ!」の命令で二人の男がリゼを捕らえて手錠を掛ける。
 部屋にいた人々は、次々と起こる不思議な現象をポカンと口を開けて見つめていた。

 トマスが周囲に向かって(にこ)やかな顔で言う。
「これはこれはお騒がせいたしましたな。今捕らえられた彼女は、歴史に極度に干渉する罪により、厳正な裁きを受けますのでご安心を。もうこの世界の運命は曲げられることはないでしょう。そして……」
 彼は、俯せになっているリクに哀れみの目を向ける。
「リクさんは、歴史に干渉した彼女の被害者です。どうか、彼女を裁かないでください」

 とその時、トマス達の隙を見たリゼは、難なく手錠を外してリクの所へダッシュする。
 そしてリクを両手で抱きかかえると二人ともボウッと煙のように消えた。
「追え!」
 トマス達も煙のように消えた。

   ◆◆

 敵はアンドロイド達の攻撃に被害が拡大するのを恐れ、前進を諦めて一斉に退却した。
 と同時にアンドロイド達は、射程距離内に敵がいるにも関わらず銃撃を止めた。
 本来なら射程距離内に敵がいる場合、殲滅を指示されているのでまだ攻撃を続けるはずなのだが、何故か銃撃をピタリと止めてしまったのだ。

 ミカミが大声を上げる。
「あら!? 画面が固まったわ!」
 アンドウ隊長も大声を上げた。
「本当だ! ……あ! 今度は画面が真っ暗になった!」
 ミカミが不安そうに言う。
「どうしましょう!? お先真っ暗よ!」
 ヤマヤがミカミの肩をパンパンと叩いて叫ぶ。
「それって、自分で判断してやれってことさ! やってやろうじゃん!! うおおおおお!!!」

 その後、敵は体制を立て直し、今度は2個中隊でマモル達のいる場所へ前進を始めた。
 ところが、そこへようやく主力部隊が駆けつけた。
 味方の2個大隊である。
 それが複数の中隊に別れて敵を徐々に包囲しつつ、まずは前進を開始した敵の2個中隊を押し戻した。
 それに成功すると、敵の1個大隊を三方向から囲んで、総攻撃を加えた。
 簡単に突破できるはずの小隊に撃退された上に主力部隊の圧倒的な火力に押され、敵は混乱に陥り、潰走した。
 もちろん、主力部隊の作戦指示はタブレット上の指示ではなく、その場の現場の判断で行われた。

 敵はその後、逃げ場を求めて海岸へ達したが、海上へ脱出するための船舶が(ことごと)く破壊されたのを知った。
 主力部隊と海に挟まれる形で全員が投降した。
 午後9時だった。

 リク鮫作戦は、結果的に敵の降伏を早めたが、成功かというと失敗の部類だろう。
 全自動で戦闘するシステムは、人間の判断や行動を超えて、最短かつ最適な攻撃作戦を立案・実行するように設計されたが、実戦では欠陥だらけで目的を達し得なかった。
 華々しく始まったリク鮫作戦は、昔からある電撃作戦の形になって敵を混乱させた。
 それから、作戦が途中の悪天候でグダグダになったのだが、敵が弱体化していたから助かったようなものだ。迅速に動かれたら、どうなっていたのか分からない。
 だから、作戦が成功したとはお世辞にも言えないのである。

 ただ、実態はそうであっても、敵は投降し、結果的に勝利した。
 この国が保有する戦闘システムに脅威を感じた敵国は、これ以上の派兵を諦めた。
 実際は、当のシステムはすでに消去されていたのだが。

 早期に行われた停戦交渉によって一時停戦となり、交渉は政治の場へと移った。
 長い戦争は両国民を疲憊(ひはい)させていたので、再度戦争を起こすことはなく、お互いが冷静になって平和な未来を作るよう交渉を進めて行くだろう。
 そして、もう全自動戦闘システムなど考える必要のない世界になるはずだ。

 並行世界で新たなる歴史の一歩がスタートした。

コングラチュレーション

 5年後。
 春の暖かい日差しが復興の進む街に(あふ)れるとある日曜日。

 ルイは正装でかしこまりながら、マイクの前で祝辞の挨拶を述べた。
「……といろいろございましたが、その後、新郎は野戦病院で奇跡的に助かりました。これは彼の類い希なる精神と肉体がなせる技でもありますが、加えて新婦の献身的な看病と愛もあったからでございます」

 ここは披露宴会場。

 さきほど教会で式を挙げた新郎新婦が、来賓の祝辞に耳を傾ける。
 披露宴と言っても、数少ない身内と限られた友人だけの極ささやかなものだった。

 新郎は君農茂(きみのも)マモル。
 新婦は君農茂ミキ。
 もう鬼棘(おにとげ)ではないことを公表したので、君農茂の名前になったのだ。
 妹も君農茂マユリに改姓した。

 彼はあの戦いの後、野戦病院にて未来人から装置の修理完了の連絡を受けたが、元の世界に戻ることを断っていた。
「偽の俺については、あんたが責任取れよ」
 そして彼は、この並行世界に残ることを改めて決意したのだった。
「あ、それから」
「まだ何ヨ」
「並行世界を移動する時は、裸にならないようにしてくれ。変態扱いされる」

 マモルの白いタキシードは、借り物の衣装のようで皆の笑いを誘った。
 ミキの白いドレスは、皆の羨望(せんぼう)の的になった。

 一通り祝辞が終わり、歓談となった。
 BGMはミカのピアノ演奏。

 有志による余興が始まった。
 ミイとミルの手品は意外に受けた。
 ルイのセミプロ並のフルート演奏には、誰もが驚いた。
 ミカがこの日のために作曲した新しい歌の披露もあった。
 いや、彼女なら『写譜したの』と言いそうだが。
 素晴らしい演奏と歌に拍手が鳴り止まなかった。
 会場には、拍手をするロマンスグレーの紳士の姿もあった。もちろん、今日は礼服である。

 ミキは、友人の余興に微笑むマモルを横で見つめながら、5年前のことを回想していた。

(私は最後にマモルさんを救うことが出来た。……彼と違って、記憶を保ったまま何回過去へ戻ったのかしら)

 彼女はフフッと笑った。

並行世界で何やってんだ、俺 (9) 決戦・完結編

並行世界で何やってんだ、俺 (9) 決戦・完結編

ついに並行世界で全自動の戦闘システムが起動した。緒戦は華々しい戦果を挙げたが、徐々にシステムの欠陥が露呈して行く中、システムは何の計算間違いをしたのか、敵の本陣が目の前にある場所へ俺と俺が救った女生徒が所属する小隊を配置した。兵力差は桁違いで、まともに戦えば瞬殺だ。システムが決定したこの奇抜な作戦の意図は何か。それよりも、果たしてこの状況で生きて帰ることが出来るのだろうか。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-10-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 伸るか反るか
  2. ホテルからの生還
  3. ミステリー・トラック
  4. 素人集団の小隊誕生
  5. リク鮫作戦発動
  6. 物言わぬ白き戦友達
  7. 白き戦友達の失策
  8. 敵の本陣は眼下にあり
  9. 牧草ファイター
  10. 雨中の決戦 その1
  11. 雨中の決戦 その2
  12. 雨中の決戦 その3
  13. コングラチュレーション