見えないものが見えるようになる病

 中指の先に、花が咲いたので、見えないものが見えるようになる病です。
 ぼくのおかあさんと、三つ下の弟と、友人のFくんと、友人のYくんの彼女が、見えないものが見えるようになる病になりました。
 左右、どちらかの中指の先端の腹、つまり、爪ではない方に、ある日とつぜん、赤い花が咲く病気です。
 咲くと言っても、ほんとうに生花が開くのではなく、赤い色の花のような痣が現れるのです。
 発症率は高く、ぼくの親戚のおじさんや、友人Hくんのお姉さん、二年三組担任の若い男性教諭、女子バスケットボール部のコーチにきている女子大学生も、見えないものが見えるようになる病なのでした。
 誰の指にも花は咲く、と、ぼくのおばあちゃんが言っていました。
 つまり、ぼくも、見えないものが見えるようになる病を発症する可能性があり、年齢性別問わず、誰もが罹りうる病ではありますが、この病気が原因で死んだ人はひとりもいないそうです。
 また頭が痛くなるとか、お腹が痛くなるとか、胸が苦しくなるとか、動悸がするとか、そういった症状は一切ないそうで、では、発症して何が変わるかといえば、中指の先に赤い花の痣が現れる他に、ただひとつ。
 その名称の通り、今まで見えなかったものが、見えるようになるということでした。
 それは、また、幽霊とか、そういう類のものなのかと思ったけれど、見えるものは、ひとそれぞれなのだと、友人のFくんは言いました。
「たとえば、おれには、死んだばあちゃんは見えなかったけど、妖精は見えたよ」
 Fくんの亡くなったおばあちゃんを見たのは、同じく見えないものが見えるようになる病を発症したFくんの従兄弟で、Fくんは学校の近くの原っぱで、とんぼのような翅をぱたぱたと動かし飛び回る妖精に、出逢ったそうでありました。
「ミニスカートをはいた、かわいい妖精だったよ。パンツが見えるかと思った」
などと、Fくんはほざいていた。
 ぼくのおかあさんもFくんの従兄弟と同様、死んだ人が見えるのだといいます。老衰で死んだひいおばあちゃん、ガンで死んだ隣の家のおじいさん、おかあさんの実家で飼っていた犬のコメ太郎。
 けれども、ぼくの三つ下の弟には、死んだ人は見えない。妖精も、見えない。
 弟に見えるのは、絶対にそこにいるはずのないもの、なのでした。
「あ、ライオン」
 とつぜん、弟が指をさす。
 弟が指さした先は動物園の檻ではない、商店街のど真ん中である。
 お肉屋さんと、お惣菜屋さん、向かいに薬局と、かばん屋さんがあるところの中心あたりであるが、もちろん、ぼくに見えるのは商店街を歩いている人間だけで、ライオンなど、影も形も見えない。
「のそのそ歩いているよ、ライオン」
 弟は言った。
「肉でも買いに来たのかなァ」
と、弟は続けた。
 ぼくには見えないな、と言うと弟は、見えたらやばいでしょ、と小さく笑った。
「パニックになっちゃうよ」
と言いながら弟は指し示したあたり、ライオンがいるらしいところに向かって、ずんずんと歩き出した。
「ちょっと、大丈夫なの」
「平気だよ。噛まれても、痛くないもの」
 噛まれるんだ、と、ぼくは思いながら立ち尽くした。
 そういえばこのあいだの夏は、家の近くの市民プールに、シャチが出たと言っていた。
 シャチはもちろん、弟以外の誰にも見えるはずもなかった。
 弟は三回くらい、くわれたと言った。
 けれど、くわれた瞬間にシャチは、幽霊のようにすうっとからだをすり抜けてゆくのだと、弟は説明してくれた。市民プールで泳いでいた人たちは全員、一度はシャチにくわれている、とのことだった。
「ねえ、兄ちゃん。おれの友だちも、この病気なんだけど、そいつの姉ちゃんの横にいつも男がいるんだって。でも、実際には誰もいないんだって」
と何かを撫でる仕草をしながら、弟は言った。
 弟がゆったりと手を撫でまわしているそこに、ライオンがいるのだ、と思った。
 ぼくにはライオンの姿などまったく一切、見えないのだけど。
「みんなには見えないものが見えるって、どんな気分」
 ぼくは弟に、そんな質問を投げかけてみました。
 弟はしばらく、ううん、だの、ええと、だの考える素振りを見せたあと、
「ちょっとこわいけれど、なんだかおもしろくて、すこしだけ困ることもあって、かなしくなるときもあるけれど、わるくない感じ」
と言いました。
 弟の手は相変わらず、ライオンの、おそらくたてがみをやさしく撫でつけるように、動いているのでした。
 ぼくは心の中でひそかに、いいなァ、と思いながら、ライオンがいるあたりに手を伸ばしてみた。
 なんだか幽かに、動物園のにおいがした気がした。

見えないものが見えるようになる病

見えないものが見えるようになる病

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-16

CC BY-NC-ND
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