失われた夏 10 Midnight Call

今は、八月の最後の日の午後の浅い時間だった。
今日は、朝から快晴のいい天気だ。

既に、夏色の空は何処にも無い。爽やかな風が吹いてくる。秋と言ってもおかしくない日だった。

夏木雅人は、独りでステーションワゴンを運転していた。

彼は、先程まで空港にいた。今は、その帰り道だ。

森下彩と阿木貴子は、空港からニューヨークへ旅立った。

リゾートホテルのバーで別れてから、彼は途方に暮れていたところだった。

森下彩から連絡が来たのは、昨日の真夜中の事だった。

彼は真夜中に帰宅して、リビングでコーヒーを入れて飲んでいた。

棚にあるオーディオから、Herbie HancockのAlone and Iが静かに聴こえている。

コーヒーの深い香りを楽しみながら、独りで真夜中の時間を過ごしていた。

一杯目のコーヒーを飲み終えるところだった。

リビングの入り口の電話が鳴った。

彼は、白いコーヒーカップをテーブルに置くと立ち上がった。

入り口の電話まで、ゆっくり歩いていき受話器を取った。

「はい。夏木です」

「今晩わ」

森下彩の声だった。彼は、何か救われた様な気分で彩の声を聞いた。

「ああ。今晩わ」

「こんな真夜中にごめんなさい」

「いいよ。どうしたんだい」

「私達、明日の午後にニューヨークに出発するわ」

「そうか」

「このあいだは、酷い言い方してごめんなさい」

「きみが謝らなくてもいい。二人と関係をもった僕が悪い」

「少し、苛立っていたのよ」

「すまない」

「あれから、二人で冷静に話し合ったの」

「うん」

「子供は、貴方の血も受け継いでるわけだから。やっぱり連絡先はお互いに知ってた方がいいかなと思って」

彼女の言葉に、雲間から差し込む太陽の光の様な気分になった。

「そうだね。嬉しいよ」

「子供達には、貴方が父親であることをいつか伝えるわ」

「うん」

「何か起こった時には、子供が困らない様に協力してあげて」

「勿論、そうする」

「夏木くん」

「はい」

「お願いがあるの」

「何」

「明日の午後、私達を見送りに来てほしいの」

「いいよ」

彼は、出発時間と空港の搭乗ゲートの場所を聞いた。

「明日、まってるわ」

「ああ」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

彼は受話器を置いた。彼はテーブルに戻ると、コーヒーカップを持ってキッチンにいき二杯目のコーヒーを入れた。

曲は、エンディングに近い。
彼は、浮き足立った気持ちを落ち着かせる様に、コーヒーの香りを楽しんだ。

翌日の午前中、彼はステーションワゴンで空港に着いた。

駐車場にステーションワゴンを駐車してから、彼女達のいる空港の搭乗ゲートへ歩いた。

彼は、はやる気持ちを落ち着かせながら、空港内を綺麗に歩いた。

回廊の様な長い通路を歩いていくと、やがて搭乗ゲートのロビーへ出た。

広い窓の外は、沢山の離陸前の飛行機が見える。彼は、射し込んでくる眩しい光に目を細めた。

それから、搭乗ゲートを見渡した。

搭乗ゲートのロビーのソファに、彼女達がいた。

彼に気がついた二人は、立ち上がり手を軽く振った。

それに彼も、応えた。

彼は、微笑しながら彼女達の所へ歩いていった。近くまで来ると、彼女達に声をかけた。

「やあ」

彼女達は、彼を見て微笑した。

「夏木くん、見送りに来てくれてありがとう」

「君達に、もう一度だけ逢いたかったよ」

彼女達は、安堵した様な表情で微笑した。

「嬉しいわ」

「子供の名前……。決まってるなら教えてほしい」

「いいわ」

「二人とも女の子なら、あなたの名前からもらうわ。雅子、夏子」

「男の子なら、あなたと貴子の名前から貴人。それと、あなたと私で雅と彩で雅也」

「そうか、いい名前だ」

「夏木くん」

「何」

「ごめんね。こんな事になってしまって」

「いいんだよ。僕が悪いんだ」

「夏木くん」

「はい」

「いままで、ありがとう」

「逢えないのは淋しいけど、見守っているよ」

「子供の写真は、いつか手紙と一緒に送るわ」

「うん。ありがとう」

「じゃあ、そろそろ行くね」

「うん、二人とも元気で」

「夏木くんも元気で」

「ああ、いつかまた逢えたらいいね」

「そうね。またいつか」

「あ、ねぇ」

彩が、彼を見た。

「なに」

「最後に、私と彼女をもう一度抱きしめて」

「ああ、いいよ」

彼は、森下彩を抱きしめた。

「あなたのこと、忘れないわ」

「僕もだ。君のことを忘れない」

「さよなら」

「さよなら、元気でいてくれ」

「あなたも」

その後、彼は阿木貴子と抱き合った。

「私は、今でもあなたと過ごしたあの夏の日の海岸を思い出すわ」

「あの夏の日は、僕も忘れないだろう」

「あの頃が懐かしいわ」

「元気でいてくれ」

「ええ。あなたも」

「さよなら。貴子」

「さよなら」

彼は、先程の空港での出来事を何度となく思い出した。

フォトグラフのように、記憶が鮮明に思い出させる。

彼は、サングラスごしに遥か彼方に視線を向けた。

夏の終わりの眩しい陽射しの風景は、少し滲んで見えた。

「ラストシーンにしては、いい出来だ……」

彼は、静かに淋しく呟いた。

失われた夏 10 Midnight Call

失われた夏 10 Midnight Call

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-16

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