そのまま食べて、ぼくの右手

 ぼくの、この右手が、きみのからだのなかの骨と肉を、揺さぶるよ。
 細胞が踊っている感覚が、するでしょう。
 肉が激しく収縮している感じが、するでしょう。
 骨が悲鳴をあげているのが、わかるでしょう。
 いやだね。
 ああ、いやだ。
 うつうつとした部屋、だね。
 足の先から、からだが腐っていくようだ。
 きょうは、雲ひとつない秋晴れだよ。
 紅葉を見に行こうと言ったら、きみは、男とふたりで行ってもつまらない、と笑った。
 ぼくはあたたかいほうじ茶を、きみはつめたい牛乳を飲みながら、ぼくはさいきん買ったデジタルカメラできみのことを撮影し、きみは、ぼくのカメラをわずらわしそうにかわしながら、テレビを観ている。
 まいにち誰かが生まれて、誰かが死ぬ。
 まいにち誰かが何かの一等賞をもらって、誰かが地の底に転がり落ちる。挫折する。夢をあきらめる。未来に希望を持てなくなる。
 まいにち誰かが誰かを好きになる。一生大切にしたいと思う。一生ひとりじめしたいと思う。ぐちゃぐちゃの、ぼろぼろに、壊したいとも思う。
 牛乳を飲みながら、きみは言う。
「ねえ、やってよ」
 ぼくはカメラを構えたまま、首を振る。
「いやだよ。もう、いやだ」
 きみは、ぼくのデジタルカメラのレンズを、グラスを持っていない方の手で覆い隠して、怒ったような口調で命令する。
「やれよ。はやく」
 意志薄弱なぼくはそうしてまたこの右手で、きみのからだのなかの骨と肉を、揺さぶるの。
 細胞が踊っている感覚にうっとりしているきみを見るのが、つらいよ。
 肉が激しく収縮している感じを愉しんでいるきみを見るのが、くるしいよ。
 きみの骨が悲鳴をあげているのがわかるから、耳をふさぎたいのにああどうして、右手が、この何の変哲もないただの右手がさ、いうことをきいてくれないんだ。
 テレビでは芸能人の誰彼が不倫していると報じてる。
 どうでもいい。
 芸能人のスキャンダルほど、ぼくたちの人生に関係ないものはないと、ぼくは思う。
「集中力が足りない」
と言って、テレビに意識を持っていかれているあいだに緩んだ右手を、きみが噛んだ。
 そのまま食べてしまいそうな勢いでがじがじと、噛んだ。
 ぼくは泣いた。
 まったくうれしくないはずなのに、すごく気持ちよくて、泣いた。

そのまま食べて、ぼくの右手

そのまま食べて、ぼくの右手

やめたいのにやめられない男と、いためつけられたい男

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-15

CC BY-NC-ND
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