畦道
そこら中にほら、思い出が転がり落ちているでしょう。
私は、歩く。
生まれ育った田舎町の、畦道を。
学校へ行く時も、遠くに出かける時も、大抵何処へ行く時にも通るこの畦道は、もう見慣れたものだった。
この道を泣きながら歩いた事もあるし、膝小僧から血を出して歩いた事もある。大き目のランドセルを背負って、重いなぁなんてぼやきながら歩いた事もあった。
とにかく、私はこの道を飽く程歩いている。
正直なところ、こんな何もない田舎よりも、テレビや雑誌で見るような都会に憧れていた。美味しそうなハンバーガーショップも、可愛い服が売っている店も、楽しそうなアミューズメント施設だって、都会には沢山ある。でも、私が生まれ育った田舎町には、そんなものは一切なかった。
コンビニに行くのだって、車を使わなければ行けないのだ。
ここにあるものといえば、植物と、川と、季節によっては大量の蛙。くたびれた様子の冴えない食料品店に、道すがらに放置された野菜の無人販売所。コンクリートより土の方が多いし、ヒートアイランド何ちゃら、とかいう現象とは無縁のような土地だ。ビル風なんてものには、吹かれた試しはない。
私は、明日、引っ越す。
親の仕事の都合で、東京に移ることになったのだ。
東京。
私が憧れてた、日本一の都会。
きっとなんでもある。ドラマのような世界が広がっているに違いない。
私は、わくわくしてならなかった。今日を最後に、私は田舎者から脱却するのだ。そして、日本一の大都会で、ビル風なんかに吹かれながら、ドラマのように生きるのだ。
私はわくわくした。
私はわくわくしていたのだ。
わくわくしていたはずなのに、どうして今、私は泣いているのだろう。
憧れの東京で暮らせるのだ。可愛い服も沢山買えるし、美味しいハンバーガーやパン ケーキのお店だって気軽に行けるようになる。コンビニなんてちょっと歩くだけですぐに立ち寄れるのだ。もしかしたら、芸能人に出くわすかもしれないし、まるでドラマのような大恋愛を繰り広げるかもしれない。
友達にも、東京生活を自慢しようかな、なんて思っていたほどに、私は都会で暮らせる事を楽しみにしていた。
今日だって、朝の登校時は意気揚々としていたものだ。クラスメイトにだって、「東京に住めるの羨ましいなぁ」なんて言われたりもした。
それなのに、どうしたわけか、夕陽が照らすいつもの畦道を歩いて帰宅していると、涙が出てきて止まらなくなってしまった。
まだ実をつけていない青々とした稲穂が、生ぬるい風に吹かれながら夕陽に赤く染まっている。
蛙のゲコゲコという声も、その辺から聞こえてくる。
嫌でも視界に移る山々が、赤い顔をして佇んでいる。
蛙の声に負けじと、虫の音も聞こえる。
冴えない食料品店には、よく見知った顔のおばさんが入っていった。
無人販売所では、おじさんがきちんとお金をおいて、茄子を持ち帰った。
私の歩みは、遅くなる。
生まれてからずっとずうーっと見てきた、歩いてきたこの畦道が、明日から私の世界からぽっかりとなくなってしまうのだ。
泣きながら歩いたことも、友達と走る速さを競ったことも。
母親と手を繋いで、歩いたことも。
父親に肩車をしてもらって、歩いたことも。
全部が、全部が、この何もない畦道には、有った。
沢山の、沢山の、私の何気ない思い出が、この畦道には所狭しと転がり落ちていたのだ。
私が居なくなった後、ここに転がり落ちている私の思い出は、どうなってしまうのだろう。
風に飛ばされて、どこかへ飛んでいってしまうのだろうか。
それとも、雨と共に地面に染み込んでいくのだろうか。
分からない。
分からないけれど。
私はのろのろと、畦道を歩く。
これが最後なんだと、地面を大切に踏みしめる。赤い夕陽が一層赤くなり、私の何もかもが転がって居る畦道とその景色を、真っ赤に真っ赤に染め上げた。
ぼろぼろ、ぼろぼろ、私の目から零れ落ちた涙が、頰を伝って、終いにはセーラー服の襟元を湿らせた。
きっと、夕陽で赤く染められていなかったとしても、私の顔は今、真っ赤に染まっているに違いない。
何も無い、と思っていた田舎町。
そんなことはなかったんだ。
私のこれまでのことが、いい事も悪い事も、沢山沢山、転がり落ちていた。
私が居なくなった後も、これらが風化してしまう前に、誰かがこの思い出を見て、拾い集めてくれるだろうか。
私は、歩く。
夕陽で赤く染まった、田舎の畦道を。
私は、歩く。
これが最後なんだと、泣いて赤く染まった顔をして。
畦道
私自身が地元を離れる際に感じたことです。地元を離れて4年が経った今だからこそ、文字の中で当時の感覚を女子高生に演じてもらいました。