絶望少女の幸福[上]
彼は彼女を愛するが故に、彼女を満たし守り抜 く。彼女はもはや何も望まない。望む必要がな いのだ。いつでも、彼女は幸福感に包まれてい る。一方、とある「幸せな監禁事件」を解決してしまった男の正義の行方は――?
『絶望少女の幸福』―――
第1幕 幸福な少女
≪PCの方は「縦書き」読みを推奨いたします!≫
彼女は絶望していた。
生まれたばかりの彼女には、ただ本能と感情だけがあった。
しかし、俺が甲斐甲斐しく彼女の本能を先回り満たしてやるうちに、彼女の本能は深い眠りについていった。
本能とは、すなわち警告である。
従って、彼女に絶対的安心感を与えることで、それを排除――とまではいかないが、少なくとも無意識の彼方へ葬り去る――ことができたのだ。
むろん、彼女の感情は、今もただ喜びと安堵に満ち満ちている。
絶望的幸福感の中で、彼女は今日も俺だけに微笑みかける。
「あぁ、可愛い可愛い俺だけの絶望少女よ。
どうか今日も、俺の望むままに生き続けておくれ――」
彼女は微笑む。
俺は彼女の分まで望む――どうか、この先もずっと、この笑顔が守られますように。
何者にも脅かされることのありませんように。
そして幸運なことに、ただ一人、俺だけがその望みを叶えられるのだ。
彼女は今日も安らかに絶望していく。
その愛らしい口許に、小さな微笑みだけを灯して――
第2幕 ビギナーズラック
「いやはや、世の中にはとんだ変質野郎がいたもんですねー、先輩」
今年、刑事課に配属されたばかりの部下があまりにもお気楽な調子でそう言うので、呉乃(クレノ)は思わず呆れてしまう。
「お前な、気を抜いている暇はないんだぞ。俺たちの仕事はまだ終わっちゃいないんだ」
それを聞いても、気楽な後輩は依然ニヤニヤと微笑んだままだ。
「先輩こそ、いつまで気を張っているつもりなんです?犯人はもう捕まったんだし、坊やも無事にご両親の元へ返せたじゃないですか。
いやー、それにしても初めての刑事事件で、こんなに気持ちの良い結末を迎えることができるとは思ってもいませんでしたよ。
あ!もしかして、これがビギナーズラックっていうやつなんですかね?」
浮かれまくる後輩をよそに、あぁ、今のこいつには何を言っても無駄かもしれないな、と呉乃は思っていた。
このお気楽な坊やは、文字通りビギナーズラックに酔いしれている最中なのだ――ある意味では。
彼にも似たような経験ならあった。
呉乃は、自分が初めて手柄を挙げた「あの事件」のことを思い出していた。
あの時の呉乃も彼に負けず劣らず浮かれきっていた。あの時のように事件の解決を純粋に喜べたのは、後にも先にも例がない。
あの達成感こそが、呉乃にとって最初で最後のビギナーズラックだったのに違いない。
「……――まぁ、浮かれるのは勝手だがな」
だから、呉乃は小さな声でそう呟くことしかできなかった。
そんな彼の目の前では、47時間ぶりにお互いの姿を確認し、喜びの涙を流しながらひしと抱き合う母と息子の感動的な再会劇が繰り広げられている最中であった。
この少年はきちんと幸せになれるだろうか――あの「絶望少女」の悲劇を二度と繰り返したくはない。
呉乃は複雑な思いを抱えながら、目の前で母親に抱かれる少年の今後を憂いた。
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絶望少女の幸福[上]
下巻に続く……彼が初めて出会った事件は絶望少女の監禁事件。少女と犯人の奇妙な関係とその結末とは――?絶望少女の幸福[下]へ⇒:URL