五色の龍(旧版)
こんにちは。黒井桜というものです。
こちらの作品は元々学生時代に連載をしていたものですが、今回改めてリメイクを行うこととなりました。
その為途中にはなりますがこちらは事実上打ち切りという形になります。
学生時代の黒井の拙い文章を読みたいという物好きな方がいればご自由にご覧下さいませ。
それでは、五色の龍。お楽しみください。
第零話【奪われた平穏】
その日、僕は母と街に買い物に出掛け、そして帰路についていた。
「ねぇ、母さん?」
「どうしたの?キルナ。」
「母さんの好きな動物って何?
僕は、鳥。あんな風に、自由に空を飛んだりしてるの、スッゴク羨ましいと思う。」
問いかけておきながら、自分が勝手に答えている。よくよく考えればおかしいその言動にも、母は優しく笑って、
「ふふっ。私も鳥が好き。いつかは私も翼をって、小さい頃何度も夢見てた。」
と、穏やかな暖かい声で答えてくれた。
いつもと変わらない、楽しくて平和な親子の日常。僕は、この日常が本当に大好きだった。
「じゃあ、キルナは鳥だったら、どんな鳥になりたい?」
母は、笑顔のまま問いを投げ返してきた。
「え?・・・う~ん・・・・・あっ___」
僕は一瞬悩んだが、すぐに答えは出た。
「鷹。
鷹になりたいな。あの大きな翼で、大きな青い空をいっぱい飛んでみたい。」
そう、家の窓から何度も見たことのある、鷹。僕はその鷹の美しさと力強さに憧れていた。
「そっか。ふふっ、お父さんと同じこと言ってる。」
母はそう言ってクスクスと笑った。
「父さんと・・・?」
「ええ。本当に全く同じ。あの人も、鷹になりたいって言ってた。理由もそのまんま。」
そう言うと、母はまたクスクスと笑った。その優しい笑い声は、聞くだけで包まれるような感覚があった。
「でも・・・僕は父さんのこと判らないから・・・似てるのかも判らないや。」
少し寂しげに、僕はそう呟いた。
僕の父は、アレイドというらしい。だけど、知ってるのはそれだけ。今どこで何をしているのか、どんな仕事をしているのか・・・それら名前以外のすべてのことを、僕は覚えていなかった。
「・・・大丈夫よ。貴方は、お父さんにそっくりだから。
もしもお父さんのことが知りたくなったら、自分のことを知ればいい。貴方なら、そうするだけでも、お父さんを知ることになるくらいなんだから。」
母は優しく微笑みかけながら、僕にいってくれた。その言葉が、僕はなんだか誇らしかった。
「そういえば、重くないの?母さん。」
よくよく気がつくと、買い物の荷物、そのすべてをいつの間にか母が持っていた。
「大丈夫よ。私は龍人だから。このくらい、小さな貴方をだっこしてたときと変わらないわよ。」
母は表情を崩さず、僕にいってくれた。確かに、母は重い洗濯桶も軽々持ち上げてしまう。こんな華奢な腕で、すごいパワーを持っているんだ。
「で、でも、さすがに全部は悪いよ。ほら、その重そうなの一つ持つよ。」
そう言うと、僕は半ば強引にその重そうな荷物を盗った。うん、やっぱり重い。
「・・・ふふっ、ありがとう。確かに、少し楽になったわ。」
母は、またいつもの優しい笑みを僕に投げ掛けてくれた。
「ほら、もうすぐ獣道だから、気を付けてね。」
少し先の森の方を指差しながら、母が教えてくれた。
「うん、わかった。よいしょっ・・・。」
重い荷物がズレたので、持ち直してまた歩き出した。
瞬間、僕と母さんの回りにはいくつもの人の影が突然現れた。
「・・・・・母・・・さん・・・・・?」
突然の出来事に戸惑う僕を庇うかのように、その柔らかな手は指先まで大きく広がり、僕の目の前で止まっていた。
僕の周りには、金属製の鎧をまとい、剣や弓を構えた大人たちが何人も立ち、兜越しでも判る程に鋭く、僕を・・・そして僕のすぐ目の前で身構える、僕の母を睨んでいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
母は険しい表情を浮かべ、鎧の大人たちの中心にいる、兜をしていない男をじっと見つめている。
男はゆっくりと僕らを眺め、そして薄く笑みを浮かべた。
「・・・クフフ・・・・・クフフフフハハハハハハハ!!
これはこれはぁ!かつての戦友・・・シクリネ嬢では御座いませんかぁ・・・・・?」
高笑いに続けて、男は何かを蔑むような口調で母の名を呼んだ。
母は表情を変えることもなく、普段とは違った声で
「・・・・・今さらなんの用でしょうか?バレンティナ第二軍副長・・・。
私が軍を抜けるとき、国軍は以降私に関わらないという約束を呑んだ筈です。
・・・貴方達国軍騎士団も、例外ではないでしょう・・・・・?」
淡々と、何かを探るような口調で話す、今までに見たこともないような母の一面に、僕は驚きを隠せずに母を見上げた。
すると、母の頬に、一筋汗が流れるのが見えた。
「えぇ、えぇ、まったくもってその通りですよ…。
いえ・・・・・・その通り”でした”・・・と言いましょうかねぇ?」
男は気味の悪い表情のまま、自らの髭をいじりながら話を続けた。
「”でした”・・・・・?どういうことですか?」
母は眉間にしわを寄せながら、男に問いかけた。
すると、男はまるで瀕死の獣にとどめを刺すかのような調子で、こう言った。
「変わったんですよぉ・・・軍も、王政も・・・。
そう、先日のあの事件でねぇ・・・・・・・!」
「っ!!?」
母は驚きを隠しきれずに反応した。
あの事件・・・・・王という単語から、僕も何となく予想がついた。きっと、十日前の『国王一家暗殺事件』だ。
「・・・一晩のうちに、城内にいた国王プロトス四世とその家族が殺害された事件・・・・・ですね?」
母も、やはりその事件が頭に思い浮かんだらしい。
「えぇ・・・その通りです。亡くなった国王一家のことは、私もお悔やみ申し上げましょう・・・・・。」
「ですが、何故その事件で王政が変わるのですか?たとえ現国王が没しても、新たに王家から新国王が出る筈では・・・。」
母は問い詰めるように強い口調で男に問いを投げた。すると、男の口からは信じられない言葉が返された。
「その”新国王”が、変えたのですよ。」
「えっ・・・・・?」
あまりに唐突なその言葉に、母は動揺した。
男は気にも留めず、続けた。
「シクリネ嬢・・・貴女も知っての通り、この北部イルビア帝国の王家は、二つの家系からなります。
例の事件で、プロトス四世の家系・・・《プロトス王家》は壊滅状態です。なぜなら、唯一国王と直接的に繋がっていた王女も、殺害されてしまったのですからねぇ・・・・・。
国王交代時の掟第四にのっとり、『先代国王と直接的な血縁関係を持つ者がいない場合、次期国王の座はもう一つの王家の現当主に譲渡』されます。つまり、今国王の座に就いているのは、もう一つの王家・・・《スレイバル王家》の第六代当主、ラムルス=スレイバル様ということになりますねぇ・・・・・。」
淡々と説明されるその内容は、確かに不自然のない納得のできる内容だ。だが、それを聞いた母の表情は、みるみる深刻なものとなっていった。
「ラムルス・・・・・あの男が、国王に・・・?
そんな・・・それじゃあ、王の作り上げたあの王政は・・・・・。」
「そう、貴女のご想像のとおりですよぉ・・・?
知ってのとおり、元国軍総軍長ラムルス様は、隣国との戦でその名を国中に知らしめた戦の英雄であり、他の誰にも負けぬほどの戦争狂で御座います。今回、国王に即位した際も、最強の戦争国家を作りだすとおっしゃいましたねぇ・・・・・。
ですが、そのためには軍を強化しなければならない・・・前国王が、貴女を含む熟練の戦士を多く手放してしまいましたからねぇ・・・・・。
それに、王政改正後・・・あの部隊が反乱軍側につきましたからねぇ・・・・・。」
僕は、母と男との話がよく解らなくなっていた。
母さんが熟練の戦士?一体なんの話をしているのだろうか・・・?僕が生まれてから十五年が経つが、その間、一度も母が何かと戦っている姿を見たことが無い・・・。
・・・・・いや、本当のことは判らない・・・僕には、三歳から十歳までの記憶が殆んど無い・・・その七年間のことは、僕には判らない・・・・・。
だから、もしもその間に母が兵士だったとしても、僕には・・・・・・・。
「さて、それでは本題に入りましょうかねぇ…?といっても、貴女ほどの鋭い方なら、もう判ってると思いますがねぇ・・・・・。」
男は、これまでにない程に不気味な笑みを浮かべながら、母に一歩近づいた。母は、それに反応して半歩後ろへ後ずさった。
「簡単に言いましょう。
アウリナ龍人族屈指の魔術師シクリネ=ワーカー殿。貴女に、今一度国軍に戻ってきて欲しい。
・・・・・いえ、戻ってきていただきます、ですかねぇ・・・・・?」
男は目を見開きながら、さらに一歩詰め寄った。母も後ずさりしようとしたが、後方の兵士の殺気に反応したのか、その場で留まった。
「・・・・・もしも、それを拒否したら・・・・・・?」
母は、少し怯えたような震えた声で、男に問いかけた。
「ふむ・・・そうですねぇ・・・・・。」
男は、髭をいじくりまわしながら、考えるような動作をした。そして・・・・・。
「そこにいる貴女のご子息を、代わりに差し出してもらいましょうかねぇ?」
僕に視線を向け、また気味の悪い笑みを浮かべた。
「えっ?!」
突然自分に話の矛先を向けられ、思わず声が出た。
僕を・・・差し出す?誰に?なんの話をして・・・。
「か、母さん・・・・・・・・?」
「・・・外道・・・・・本当にその言葉が似合いますね、貴方は・・・!」
見上げた母の顔には、これまでに無いほどの怒りが露になっていた。
「なんと言われようとも構いません・・・・・私はあくまでも、"命"を果たしているだけの、一人の忠臣に過ぎないのですからねぇ・・・?」
男は母の怒りに怖じけることもなく、変わらぬ声色で言った。
「さて・・・どういたしますかねぇ・・・シクリネ嬢・・・?
もしも貴女が来ないと言うのなら、そこにいるご子息を_______」
『セドニア=アレクス・・・』
男が言い終わるのを待つこともなく、母は謎の言葉を口にした。
「っ・・・・・!?」
男はその言葉に反応し、その場にピタリと静止した。
「なんのおつもりですかねぇ・・・シクリネ嬢・・・・・?」
先程までの薄気味悪い笑みは消え、真剣な殺意のこもった眼差しを母に向けながら、男はそれまでよりも低いトーンで話しかけた。
「簡単なことです。
私は、かの戦争狂につくつもりもありませんし、かといって大事な我が子を差し出すつもりもありません。」
対して、母はまるでなにかを決めたような笑顔を男に向けながら答えた。
「・・・それを、我々が許さないと言ったら・・・・・?」
男が探るように聞くと、母は一時の間も開けずにこう答えた。
「その時は・・・私が貴方を負かせばいい。」
そう言い終わるか終わらないか・・・
「っ総員!即刻捕らえよ!!」
男の声が響き渡り、兵士達が一気に迫ってくる。
そして、その兵士の手が僕の手を掴む寸前・・・
『バクス=アールマティア!』
母は、謎の言葉を強く叫んだ。瞬間、僕は自分の身体が浮くのを感じた。あまりの出来事に、とっさに母さんの方を向いた。
母さんは、いつもの優しい笑顔を僕に向けてくれた。その表情に僕が安堵しかけた次の瞬間、僕の意識は真黒な闇に途絶えた。
気がつくと、僕は一人で、森の中の獣道に倒れていた。
顔をあげ、道の先を見つめると、目の前には見慣れた風景が続いていた。
「ここ・・・家の近くの・・・・・。てことは・・・・・・・。」
立ち上がると、僕はいつも歩く道を進んでいった。
やがて道は開け、草原のような場所に出た。そして、その中にポツリと、見慣れた小さな木の小屋があった。
本来なら母さんと帰ってくるはずだった・・・僕たちの家だった。
ギイイィ・・・・・
重く軋む扉を開け、家のなかをみた。荒らされたような痕跡もない・・・あの男達は、この家のことはまだ知らないようだ。
「でも・・・・・。」
母さんは、きっと捕まった。やがてこの家もあの男達・・・もしくはその仲間達が調べに来る。そしてそれは時間の問題だ。
「・・・・・・・・・・・・。」
僕は、いつも座っていた椅子に腰を下ろし、少し考えた。これからどうするのか・・・母さんはどうなるのか・・・・・。
考えれば考えるほど、嫌なことしか思い浮かばなくなってくる・・・。どうせ逃げても捕まってしまう。母さんも、もしかしたら殺されてしまっているかもしれない。そんなことばかりが、頭のなかを駆け巡った。
「・・・・・・・・いっそ・・・・・・。」
いっそ、捕まってしまおうか。そんな考えがふと頭に浮かんだ。そうすれば、母さんに会えるかもしれない。もし殺されたとしても、きっと母さんと一緒だ。どうせ捕まるなら・・・いっそ・・・・・。
カタン・・・・・
「っ!?」
嫌なことばかりで思考が押し潰されそうになったその時、母のベッドの近くの窓から、なにかが倒れる音がした。
まさかもう来たか。そう思いとっさに振り返ると・・・いつも立ててあった、母さんの写真立てが、なぜか倒れていた。
「・・・・・?風なんて吹いてきてないよな・・・?」
なぜ倒れているのかわからないまま、僕はその写真立てに近づいた。そして、手にとって立て直そうとした時、
「あっ・・・・・。」
写真立ての裏のコルク板に、なにかが記してあった。小さな小さな、何かの文字・・・。
僕は、レンズを取り出すと、その小さな文字を解読した。そこには_______
『生きろ。シクリネ、キルナ。生きてくれ。』
と、少し乱暴な文字で書かれていた。
「これ・・・父さんの・・・・・?」
そう断定できるわけではなかった。だが、なぜかその文字は、父が記したものだと直感的に思った。
「生きろ・・・・・。」
そこには、確かにそう記されている。まるで、今この状況になることが解っているかのような、そんなメッセージだった。
「・・・そうだよね・・・・・生きてなきゃ・・・意味、無いもんね・・・っ。」
涙が零れそうになるのを必死でこらえながら、僕はそのメッセージに答えた。
「っ僕は、生きる。きっと母さんもそうしたはずだ。だから、僕は生きる。」
そうと決まれば・・・と、僕はいつもの布袋に、必要なものを詰めた。夜の明かりになる光灯石も、必要になることが多いだろうナイフも、川の水をいっぱいまで入れた金属製の丸い水筒も、庫の中に余っていたパンとハムも一つずつ、布で包んで入れた。
そして、最後にベットの下に手を突っ込んで・・・。
カチャ・・・
という音とともに、少し小さな剣を取り出した。母さんが、僕に父さんからと言って渡してくれた、大事な御守り代わりのマチド鋼の剣。それを腰にしっかりと指した。
荷物をもって、扉の前にかかってたボロボロのローブを取ると、
「・・・行ってきます。」
そう言って、僕は家を出た。薄い灰色を帯びたボロボロのローブをまとい、腰に御守りの剣を指して。
目指すは王都。そこにいけば、きっとなにかしらのことができるはずだ。
「待っててね・・・母さん・・・・・!」
決意を込めてそう呟くと、僕はさっきの獣道に向かった。あの道を抜ければ、街への道に出る。街を西に抜ければ・・・後は一本道だ。
歩き出す。都に向かって。
歩き出す。母に向かって。
歩き出す。歩き出す。歩き出す。
奪われた平穏を、この手で取り戻すために。
_______これは、僕が戦士になるまでの物語_______
第一話【必然の出逢い】
「・・・・・・ついた・・・」
小さくそう呟くと、僕は眼前の大きな門を見上げた。北部イルビア帝国中心街・・・王都の入り口だ。
王都は、僕たちの住んでいた小屋から一番近い街から山を一つ挟むほど離れている。三日かけて、野宿を繰り返しながら・・・今日、やっと辿り着いた。
「・・・待っててね・・・母さん・・・!」
僕は王都に入ると、食べものを少量買いながら、商店街の人たちの話に耳を立てた。・・・とは言っても、聞こえてきた話は、そのほとんどが世間話。
「昨日潰れた店のオーナー、新王に逆らって国を追われたそうじゃないか。」
「そう言えば、例のあの部隊が国軍を逃亡したらしいぞ。」
「反乱軍の奴ら、すぐ近くのアス山に隠れ家を作ってるらしいぜ。」
・・・聞き分けても、情報として使えそうなのはこのぐらいだ。
(・・・アス山?)
ふと、僕はその中のアス山という単語に反応した。アス山・・・僕の通ってきた王都と街に挟まれている少し小さな山だ。僕が通ってきたときは比較的高度の低い楽な道を通ってきたが・・・
(反乱軍・・・隠れ家か・・・)
行ってみる価値はあるかもしれない。僕は、目的地をアス山に変えた。じゃあ門に戻らないと。そう思って、僕は少し狭い路地に入った。その時、
「!」
僕の目の前には、見たことのある顔と名前が記された、少し大きな貼り紙があった。そこには____
《指名手配》
キルナ・ワーカー
報酬金6000万パルタ
生け捕りのみ
という記載と共に、僕の精密な似顔絵が記されていた。
「・・・・・・・・・」
僕は、その場に硬直した。
もうこんなものまで出回っている。これじゃあいつ捕まってもおかしくない。そう考えると、無性に怖くなった。怖くて、怖くて・・・僕はその場で身震いをした。
「・・・っ・・・・・・っ・・」
震えが止まらない。自分が、これ以上ない悪逆をしているような・・・そんな気分にさえ襲われた。
「・・・怖い・・・怖いよ・・・母さん・・・・・っ!」
震える唇は、意思とは関係なく言葉を生んだ。母さん・・・その言葉が頭に反響し、そして脳のどこかを叩いた。
「っ・・・・・!」
途端に、僕の身体から震えは消えた。まるで・・・そう、母さんに抱き締められているかのように・・・不思議な安堵が僕を包んだ。
・・・うん。そうだね。そうだよね。僕が諦めたら・・・
「母さんは助からない。」
そうだ。この程度で止まれば、平穏は取り戻せない。約束したんだ。自分自身と・・・あの家に。平穏を取り戻すって。
「・・・さて、アス山だ・・・そこに行けば・・・」
何かがある。不思議と今は、そんな確信が心にあった。僕はもう一度ローブをしっかりと被り、気を引き締め直して、アス山に向かった。
ふと何処かで・・・僕の名前が呟かれたような気がした。
・・・・・・重々予想はしていた。対策も覚悟もしてきた。でも____
「やっぱり・・・キツいな・・・」
アス山は、標高856m・・・国が道として整備した、僕の通ってきた道以外は、全て獣道。急な坂も多く、登るのは大変だ。
国の兵士も、整備した道以外は通りたがらない。つまり・・・
「隠れ家にするならうってつけ・・・なのかな。」
そう、ここなら確かに、反乱軍とやらが隠れていてもおかしくはない。問題は、“何処に隠れているか”だ。
(・・・普通に道を通っていって行けるような場所にはないと仮定すると・・・)
幼いながらに、僕は自分の頭を回しに回した。
(何処か・・・隠れられそうな場所は・・・)
地図とにらみ合いながら考える。ここは・・・ここも・・・。当てはまりそうな場所を見つければ、そこを目指して足を進める。が・・・
「・・・ない・・・」
何処に隠れているか・・・全くもって検討がつかない。最後に残った予測場所は・・・
(山頂・・・・・・)
僕はアス山を見上げた。標高自体は他の山に比べてそれほど高くはない。が、やはり急な坂が多い。
(・・・・・・)
気が滅入りそうになった。でも、行くしかない。じゃなきゃ母さんを助けられない。そう考えるだけで・・・
(・・・まだ足が動く。)
僕は覚悟を決め、獣道を山頂に向けて歩き出した。
どれくらい歩いたか・・・山頂は着実に近づいている。しかし、僕の体力は限界に近づいていた。
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
息を荒く、絶え絶えに、足を進める。しかし、思うようにうまく足が進まない。
「・・・すこし・・・すこし休憩を・・・」
そう呟くと、僕は近くの岩に腰を下ろした。
深く息を吸い込み、吐く。足を少し伸ばして、空を見上げる。空には、満天の星が輝いている。その星一つ一つは、今までに亡くなった人々の魂が輝きを放っているものだ。そう母さんに聞いたことを思い出す。
「・・・・・・」
僕は、少しその星空にみとれていた。この光が全部、人の魂だとしたら・・・気が遠くなりそうな時間のなかで、これほどの人が亡くなっていった・・・そう思うと、少し切なくなった。
「・・・さてと・・・」
休息も十分だ。もう一度山頂に向けて歩き出そう。そう立ち上がった時だった。
ガサッ
頭上の木の葉が、不自然に落ちてきた。
「?・・・・・・っ!」
しまった!反応が遅れた!腰に差した剣を抜くのもつかの間。僕の回りには、三人の鎧の兵士が現れた。
「・・・確かに、キルナ・ワーカーのようだ。」
「あの店の店主は、真実を述べていたようだ。」
「報酬を考えた方が良さそうだ。」
兵士たちは、兜の下で口々に言った。店の店主・・・何となくわかった。僕が食料を買ったあの出店。あの店の店主には、確かに顔を見られてもおかしくはない。
「さて・・・小僧。大人しく我らと共に来てもらおう。バレンティナ第二軍長殿が、貴様のことを待ちわびているのでな。」
一人の大柄な兵士が、僕に向かって歩み寄った。手にした大きな剣を見れば、戦っても敵わないのは一目瞭然だった。でも・・・
「黙れ!僕は、貴方達には着いていかない!」
僕は鋭く、大柄な兵士を睨み付けた。
「・・・・・・では、手荒だが無理矢理にでもつれていこう。我等はそうしても構わないと命じられている。
ようは貴様が生きていればいいのだ、小僧。」
大柄な兵士は、僕を見定めるように見ると、ゆっくりと重心を落とした。
「っぁあああああ!」
僕は地を蹴り跳ぶと、大きく振りかぶった剣を相手へと振り下ろした。
ガギィンッ
「・・・やはり子供。力が足りないな。」
大柄な兵士は、僕の一振りを容易く剣で防いでいた。そして____
「フンッ!」
ドゴッ
鈍い音と共に、僕の腹には兵士の籠手越しの拳がめり込んでいた。
「ぐっあぁ!」
僕は鈍い痛みに声を漏らした。そして殴られた衝撃で、僕は先程跳んだよりも高く宙に飛んだ。
ドサッ
勢いよく地に落ちる。打ち付けられた背中と殴られた腹の二つの痛みに挟まれながら、僕はなんとか立ち上がった。
「ふーっ・・・ふーっ・・・」
「・・・なるほど、さすがは一人で母を救おうとする男だ。子供だと侮ったが・・・これでもまだやろうとするか。ならば___」
大柄な兵士は、手にした大きな剣をゆっくりと構えた。
「殺さぬ程度に御相手しよう。貴様がまだ戦うというのなら、我等は貴様を武人と認め、相応の相手をせねばならぬ。」
先程までとは違い、その声には確かな力がこもっていた。彼は、僕と戦う気だ。
「・・・望むっ・・・ところっ!」
僕は痛みを我慢しながら、もう一度剣を構える。と___
「しかして我等を忘れては困るがな。」
目の前の兵士とは違う、少し高めの声が後ろから聞こえた。とっさに振り向くと、少し小柄な兵士が剣を振りかぶっていた。
「セイッ!」
ギィインッ
とっさに剣でガードをする。斬撃こそ防げたが、その反動で僕はバランスを崩した。
「その通り。我等は一人ではなく三人で貴様の相手をしよう。」
今度は左から声がした。残った三人目の兵士が、短剣を僕に突き刺そうとしていた。
ドスッ
「ぐっ!」
僕はなんとかガードをした。しかし、ガードをした僕の左腕には、少し大きな刺し傷ができてしまった。
「くっ・・・」
僕はなんとか体をを立て直すと、左手を庇うようにまた剣を構えた。
「まだ抗うか。」
「子供にはあるまじき精神だ。」
「普通の者ならば最早命乞いをしてもおかしくはないぞ。」
三人の兵士は、僕を囲むように立っている。普通に戦えば、殺されはしなくとも負けは決まっている。
(どうにかして・・・ここを切り抜ける・・・どうにか・・・)
考える間も無く、小柄な兵士が僕に向かって剣を振る。同時に大柄な兵士もまた剣を振り、もう一人の兵士は短剣を振りかぶっていた。
(同時にっ!?マズイっやられっ!)
僕は敗北を・・・そして死を覚悟し、目を閉じた。
____ィィンッ__
微かな耳鳴りだった。遠くで金属がぶつかり合ったような・・・
目を開くと、僕は宙に舞っていた。足の裏にジンジンと染み付くような痛みが、僕が自らの足で跳躍したことを教えてくれた。
下を見ると、三人の兵士は僕を見上げて固まっていた。今だ。僕はそう思うが早いか、剣を構えて狙いを定めた。
「やぁあああああああっ!!」
落下しながら、僕は剣を振り下ろした。ガンっと、剣を伝って腕に衝撃が走る。
__僕の剣は、大柄な兵士の兜の頂点を捉え、まっすぐに命中していた。
グラッ・・・
大柄な兵士は、脳に衝撃を受けたせいか、そのままバランスを崩し倒れた。
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・」
僕の息は、まるで限界まで走り続けたかのように荒くなっていた。体力を過度に使ったのか・・・少しずつ、意識が遠のく感じがした。それを見計らうかのように・・・
「っ貴様ぁ!」
短剣の兵士は僕に向かって短剣を投げつけてきた。
「っ!しまっ__」
避けれないっ!僕は必死で防御しようと剣を握り振ろうとした。
瞬間、投げられた短剣は、鋼鉄を纏った右手に掴まれ、停止した。
「えっ____」
訳が解らなかった。突然目の前に、鎧をつけた右手が現れ、投げられた短剣の刃を正確に三本の指で止めていた。
僕は右手の持ち主を見上げた。背中になにか見覚えのある模様が入った黒いコート。少し長い一本くくりにされた銀の髪。そして腰に差された二本の剣。
“彼”は、焦りなど微塵も出さぬ凛とした後ろ姿で、僕の前に立っていた。
「・・・・・コレはまた、随分と若そうな戦士さんですね。」
振り向かぬまま、“彼”は僕に言葉をかけた。
「あ、貴方は・・・?」
「話は後です。それよりもまずは、現状を打破しなければなりませんからね。」
僕の問いかけにそう答えると、“彼”は短剣を放し、腰に差された二本の剣に手をかけた。
「きっ貴様は!あの手配書の!」
「その顔!幾度となく見たぞ!あの手配書にて!」
二人の兵士は、“彼”の顔を見ると、揃って声を荒げた。
「えっ・・・え?」
僕はなにも理解できぬまま、少しずつ意識が遠退いていくのを感じた。
「・・・おや、お疲れですか・・・?
仕方ありませんね。どうぞ、ゆっくりお休みください。
目が覚めたら、先程の問いに答えましょうか。」
“彼”の優しい言葉が聞こえる・・・そう感じたのを最後に、僕は意識を失った。
「____っは!」
古布のような感触のなにかを弾き飛ばしながら、僕は飛び起きた。辺りを見回すと、同じようなベッドがズラリと並べられ、布の壁で仕切られた部屋のようなところだった。
「?・・・ここは・・・?」
「あぁ・・・起きたんだ。」
不意に後ろから声をかけられ、僕は驚きながら身構えた。
「だっ誰ですかっ!?」
見ると、傷や汚れだらけの服に、厚そうな革手袋。・・・まるで作業員のような格好をした、年の近そうな黒い髪の少年だった。
「・・・起きたんなら、兄さんに知らせないとか・・・」
少年はそう呟くと、気だるそうに立ち去っていった。
「な・・・なんだ?」
僕は寝起きもあってかこの状況もあってか、何も理解できないままだった。
少しすると、中性的な顔立ちの男の人が入ってきた。そのコートと右手の籠手、そして銀の髪から、“彼”だということが判った。
「目が覚めたようですね。
おはようございます。気分は如何ですか?」
“彼”は優しい言葉で語りかけてきた。
「は、はい・・・その・・・ここは・・・?」
僕は驚き、緊張しながら言葉を紡いだ。すると、彼は優しく笑って__
「ここは、私たちの医療用テントです。先の戦いのあと、貴方をここまで運んだんですよ。
幸い、貴方はとても軽くて、苦にはなりませんでした。」
と、変わらぬ優しい声で話してくれた。
「は、はぁ・・・」
それでも、僕はうまく理解できなかった。私たち?医療用テント?そもそも___
「そういえば、貴方の質問にまだ答えていませんでしたね。」
彼は呟くようにそう言うと、僕の隣のベッドに座り、僕と向かい合った。
まだこの時、僕は思いもしなかった。彼が、後の戦友となり、師となり___そして敵となることを。
「私はユーフィル。貴方の名前を、聞かせてくださいますか?」
第二話【朱き瞳と不思議な少女】
「私はユーフィル。貴方の名前を、聞かせてくださいますか?」
ユーフィルと名乗った“彼”は、変わらぬ声色で僕に問いかけた。
海原の如く透き通った蒼い瞳は、まるですべてを見透かしているような・・・そんな何かを秘めているように感じた。
「ぼ、僕はキルナです・・・キルナ=ワーカー・・・
あの、ここはどこでしょうか・・・?それに、貴方たちは・・・?」
僕は素直に自分の名前を答え、そして質問を返した。
「先程もお答えしました通り、ここは私たちのキャンプの医療用テントです。
私たちは《反乱軍》と呼ばれています。現国王の発布した強兵政策に非を唱え、それを打倒しようとする人々の集まりです。
“軍”とは銘打っていますが・・・その実は三百名程度の小さな反乱組織です。」
ユーフィルは丁寧に説明してくれた。口調や声色、そしてその表情や姿勢まで・・・彼は一見すれば、とても丁寧な普通の人だ。あくまで、“一見すれば”だが____________
「・・・すみません。いきなりで失礼だとは思いますが・・・警戒を解いてくださいませんか?その・・・とても嫌な感じなので・・・」
「!」
そう、彼は一見しただけでは判らない内側で、とてつもない警戒心を渦巻かせている。さっきからそれが肌で感じとってしまい、どうにも痛痒い気分なのだ。
「・・・なるほど。どうやら、先の小競り合いで一人を打ち倒したのは、まぐれでは無いようですね。
失礼しました。場所が場所なので、どうにも外部からの人間には敏感になってしまいまして。一戦士への無礼をお許しください。」
と、ユーフィルは警戒を解くと、座ったまま深く頭を下げた。
「いっいえ!解いてさえいただければ僕は大丈夫ですから!そんなに頭を下げないでください!」
僕が慌ててそう言うと、ユーフィルはゆっくりと頭を上げた。
「では・・・こちらの本題に入らせていただきましょうか。
キルナさん。貴方は、私たちの事を探していた様子ですが・・・何故でしょうか?
それに、貴方は国軍の兵士に狙われていました。その理由についてもお聞きしたいのですが・・・」
彼は真剣な表情を浮かべ、少し強く僕に問いかけた。
「は、はい。実は________」
僕は彼に、今までの事を話した。出来る限り分かりやすく、詳細に・・・
「______なるほど、理解しました。
では、貴方は母を取り戻す為に、我々を頼りたい・・・ということですね?」
「はい。ご迷惑なのは重々承知の上です。ですが、母さんを助けるためには、僕だけでは不可能なのです。
どうか手を貸していただけないでしょうか・・・?」
僕はベッドの上から地面に降りると、「お願いします。」と、地面に正座をして、深く頭を下げた。
「・・・迷惑なのは重々承知の上・・・と、言いましたね?では、私たちがその願いを拒否する可能性があるのも、当然解っているのでしょう?
それでも、貴方はその頭を下げ続けるのですか?」
ユーフィルは、少し冷ややかな声色で言った。
当たり前だ。こちらはあくまでお願いしている立場。この願いが拒否されたとしても、何も言えない。でも・・・それでも_______
「たとえ、ダメだと言われても、嫌だと言われても・・・僕は、この頭を下げ続けます。
母さんは、僕にとっての全てです。僕の唯一の家族です。絶対に・・・助け出したいんです。たとえ、それで僕が叛逆者と蔑まれることになろうとも・・・!」
僕は、心の内の全てをさらけ出した。助けたいという気持ちを、戦うという覚悟を、その全てを。
「・・・・・・・・・・・・」
ユーフィルは、ずっと黙ったままだった。あぁ、ダメか・・・やはり、こんな突然のことを、二つ返事で承諾してくれる訳が________
「・・・頭を上げてください。元より、私は貴方と共に戦いたいと望んでいました。
むしろこちらからお願いしたい。キルナ・ワーカーさん、小さな戦士。どうか、我々と共に戦っていただけないか。と・・・」
僕はおどろいて、キョトンとした顔のまま頭を上げた。すると、ユーフィルは優しい笑みを浮かべ______
「貴方からのお願いに対して、私たちは喜んで“応”と答えましょう。ということです。
私のことは、気軽にユーフィルとでもお呼びください。これからよろしくお願いしますね、キルナさん。」
涙が溢れそうだった。断られると思っていた。一蹴されると思っていた。それがどうだ、彼は優しく笑い、その手を僕に差し伸べている。共に戦おうと、そう言ってくれている。
「あ・・・ありがとう、ございますっ・・・!!」
僕は差し出された手にしがみつくと、泣きそうになるのを堪えながら、しかし堪えることもできず、泣きながら感謝の言葉を何度も繰り返した。
母さん、待っててね。少し時間がかかっちゃうかもしれないけど、必ず助け出すから。この人たちと一緒に、絶対に助け出すから。_____心の内で、僕はそう呟いた。
十数分程涙を流し、やっと泣き止んだ僕は、少しの喉の乾きと、少しの充実感を得ていた。
「・・・さて、同胞となった貴方には、私たちの事をもっとしっかりと知ってもらう必要がありますね。」
僕が落ち着いたのを見計らって、ユーフィルさんはそう言った。
「先も言った通り、私たちは現国王“スレイバル六世”こと、ラムルス=スレイバルが作り上げた王政・・・強兵政策を中心とした強国王政に異議を唱え、反乱を決意した人々からなる集団です。
区別なく数えれば、その数は約三百名。しかし、決定的戦力となる者は・・・私とその部隊を含めても十人には届かないほどで、その他は、ただ即席の鎧を纏い、武術を習ったわけでもないが、安物の剣や槍を持ってがむしゃらに戦うだけの民兵たちです。戦闘を生業とする国軍勢、総勢約千七百名を相手取るには、これではあまりにも戦力不足としか言いようがありません。
ここが、私たちが貴方を仲間に迎え入れたいと言った一番の理由です。貴方は戦力になる。先の小競り合いで、それは既に確認済です。」
ユーフィルさんは真剣な面持ちで説明してくれた。
「さ、三百人もいるのに、戦力となるのは十人弱・・・確かに、これで軍に喧嘩を売るのはあまりにも無謀ですね・・・。」
そう、あまりにも無謀だ。きっと、彼は・・・ユーフィルさんは強いのだろう。彼の言う十人足らずの戦士達も、きっと強いだろう。
でも、足りない。そう、例え数匹の獅子が群れたところで、何百頭もの暴牛の群れに飛び込むなど、自殺行為以外の何物でもないのだ。
「その通りです。
・・・私たちが、普通の兵士なら、ですが。」
彼は少し不敵な笑みを浮かべながら呟いた。
「ど、どういうことですか?そういえばさっき、“私とその部隊”と言っていた気が・・・」
「はい。この反乱戦争の要は、その“部隊”です。」
ユーフィルはまっすぐに僕を見て、声を強めて言った。
「その部隊の名は《龍士隊》。
私・・・ユーフィル=ウィクテリスが部隊長を務める、“龍の眼”を持つ四名の戦士で構成された小さな部隊です。」
「りゅ、龍士隊・・・?龍の眼って・・・?」
僕は混乱が頂点に達しかけていた。それを理解したのか、彼は少し声を弱めて_____
「そうですね・・・まずは、龍士隊そのものについて説明しましょうか。
龍士隊。前国王の代に作られた、国軍に所属するのではなく、国王に直接仕える戦闘部隊です。
隊長である私こと“ユーフィル”、そして副隊長の“クーリュー”、そして部隊員の“アイネラ”、“ヤグリーヌ”の四人から構成されます。そしてこの四人は皆、“龍の眼”と呼ばれる特殊な力をその身に宿しています。」
優しく、静かに、淡々と・・・ユーフィルは解りやすく説明してくれたのだろう。でも、やはりまだ解らないことがあった。それは_____
「・・・ユーフィルさん、その、“龍の眼”とは、どんなものでしょうか・・・?」
そう、“龍の眼”のことだ。二、三度会話に言葉として出てくるが、それがなんなのか、その実態がつかめない。
「・・・なるほど、まだ自覚はしていないのですか・・・」
ユーフィルはポツリと呟いた。そして______
「解りました。これに関しては、実際にお見せした方が遥かに速いでしょう。」
そういうと、ユーフィルは左手で自分の左目を大きく開いた。
「キルナさん、今の私の瞳は何色ですか?」
「えっ?えっと・・・蒼、です。透き通るような蒼・・・」
僕は突然の質問にそのままのことを答えた。
「解りました。では、この瞳の色を覚えておいて下さい。」
そう言うと、ユーフィルはゆっくりと眼を閉じた。
________一瞬、空気が変わったような感覚がした________
彼は、三秒ほど眼を閉じると、ゆっくりと、その瞼を持ち上げた。その奥にあったのは________
「・・・え?」
深紅。まさしくそう表すにふさわしいほどの、真っ赤な瞳だった。
「________これが、“龍の眼”の名の由来です。
正確には、これそのものが龍の眼というわけではありませんが・・・この瞳は、眼を宿している何よりもの証となります。」
ユーフィルは声色を変えることもなく、同じ様に話した。
「あれ・・・?だって、ついさっきまで・・・蒼かったはず・・・え?」
僕は訳がわからなくなっていた。突然、目の前で、ユーフィルさんの瞳の色が変化した。常識では考えられないことが、今目の前で起きたのだ。
「・・・動揺するのも無理はないでしょう。では、ここからは言葉で説明させていただきます。」
というと、ユーフィルはまた眼を閉じて、そして開いた。その瞳は、また蒼に戻っていた。
「この世界・・・《イルビア》には、“龍”と呼ばれる生物が生きています。彼等は強い力を持ち、全ての生物の頂点に立つ者とまで言われています。ここまでは、恐らくキルナさんもご存じの通りでしょう。」
「は、はい・・・見たことはありませんが、母からそういう話は聞いています。
龍人と呼ばれる人種がいるのも、この龍の影響だと・・・」
「その通りです。今生きている龍人の先祖は、人の姿へと成り、人と交わった古代の龍たちです。
では・・・もしもそんな強い力を、人間達が運よく奪うことが・・・もしくは、何らかの理由で、龍からその力を借り得ることができたら・・・」
ユーフィルはそこまで言うと、また眼を閉じた。そして______
「彼等の力は、宿主の眼に宿ります。
その者に宿った龍の力そのもの・・・それが、“龍の眼”の正体です。」
と、また眼を開けながら言った。
僕がまだうまく理解出来ていないままでいると、彼は優しい声色で________
「こうして瞳が変色するのは、その副作用のようなもの。力を宿し、行使しようとした眼は、こうして瞳の色を変えるのです。
宿したのが“黒龍”の力ならば“赤”に、“聖龍”の力ならば“金”に変色します。」
と、眼を指差しながら説明した。
「じゃ、じゃあ・・・ユーフィルさんは、龍から・・・黒龍から、力を奪った・・・ということですか?」
僕はふと疑問に思ったとこを問いかけた。もしそうだとすれば、彼の強さも納得できるからだ。
ユーフィルは、何故か一瞬言葉を詰まらせた。そして________
「・・・えぇ、そういうことになります。」
と、少し決まり悪そうに答えた。
「・・・私が宿したのは、《黒騎龍》と呼ばれる黒龍の力です。具体的な力は『闇を操る』という能力。
その他にも、龍はそれぞれ様々な力を持っています。たとえば、『風を操る』や、『炎を操る』・・・『見えない物を見る』という面白い能力もあります。」
と、彼はその場の空気を払うように少し早口で話した。
僕は、先程の彼の挙動が少し怪しいと思った。そしてその事について問い詰めようと口を開きかけた時________
「ユーフィルさん?もうすぐ皆寝る時間なので、ここの灯りも消したいのですが・・・宜しいですか?」
テントの入口と思われる方から、少しボロボロの服を着た美しい少女が入ってきた。
「あ、あぁ、解りました。申し訳ありません、リーエ嬢。
ということなので、話の続きはまた明日の朝に・・・で、構いませんか?キルナさん。」
彼は少し慌てたような素振りを見せながらそう言った。
「キルナ・・・?」
ふと、少女が僕の方を見つめてきた。
「ど、どうも・・・」
「あぁ、ユーフィルさんが連れてきた方ね。
よかった、目を覚まして・・・・・そう、キルナさんというのね。
私はリーエと申します。どうぞ宜しくお願いしますね、キルナさん。」
少女は屈託のない笑顔を僕に向けると、その小さな手を僕の方へと差し出した。
僕は少し戸惑いながらも、その手を軽く握り返した。
「では、私は自分のテントに戻りますね。リーエ嬢も、しっかりとお休みください。
キルナさんは、今晩はひとまずそのままそのベッドをお使いください。また明日、ちゃんとした寝床を用意しますね。」
と、ベッドから立ち上がりながらユーフィルは言った。
「はい、解りました。色々とありがとうございます。」
「いえ、こちらこそありがとうございます。
では、よい夢を・・・お休みなさい。」
そう言い残すと、彼は少女を連れながらテントを後にした。
「・・・あれ?リーエ・・・どこかで見たような名前・・・どこだったっけ・・・?」
ふと、リーエという少女のことが引っ掛かった。確かにありふれた名前だが、そういう感覚じゃない。何か、とても大切なことだった気が・・・・・
「・・・ダメだ、思い出せないや・・・」
僕は少しうなだれながら、ベットに少しずつ横になった。
その夜は、深く眠った。三四日ぶりのベッドがそうさせたのか、鎧の兵士との戦いがそうさせたのか、はたまたその両方だったのだろうか・・・僕自身も、よくわからないままだった。
今思えば、なぜあの時思い出せなかったのだろう。何度も何度も、その名前を見たはずだったのに。僕がまだ、何も知らなかったその間にも、死んだはずのその人は、幼いながらにも、頑張って抗っていた。自らを守るために亡くなった、偉大なる父と、愛しき母を想いながら。
第三話【龍士隊】
どんなに寝付きが良くても、寝覚めが悪いこともある。そう、例えば________
「きゃああああああ____!」
「っ!?」
突然の悲鳴で叩き起こされたりしたら、良い寝覚めとは言い難いだろう・・・っ!?
「っ何がっ!」
ベッドの横に置いてあった剣を手に取りテントの外へと飛び出す。眩しい朝の光が瞳の奥に突き刺さり、思わず眼を閉じ腕で影を作った________と、突然その影よりも遥かに大きな影が光を遮った
「な・・・んだ・・・これ・・・」
目の前には、明らかに人のシルエットではない何かが立っていた。歪に膨らんだ腕のような何かが、ゆっくりと上に振りかぶられていく。そして________
「っく!」
危険を感じ、左へ飛び退く。と、瞬く間にその鉄槌の如き塊は振り下ろされ、僕が先程まで立っていた所には、爆発でも起きたのかという程の大きな窪みが生まれていた。
「なんなんだ、コイツっ!」
剣を抜き、正中に構える。体の至るところから岩のようななにかの突き出たその化け物は、ゆっくりとこちらに顔のような部分を向ける。
「えっ________?」
瞬間・・・そう、本当に一瞬の間に________その化け物は僕の目の前に飛び込んでいた。反応が遅れる。そして________
ドガァンッ
と、大きく鈍い音をたてながら、僕の体は化け物の腕に弾き飛ばされた。
「ぐ・・・っ!」
幸か不幸か、飛ばされた先に壁などはなく、なんとか受け身を取りながら地面に落ちる。が、その受け身の隙に、
「__っ!?」
化け物は、僕の真上へと跳躍し、そして両手を握り振りかぶっていた。
________まずいっ!これは避けられない!
僕がそう思い眼を閉じたとき、瞼越しに、僕の目の前にもうひとつの影が現れた。
・・・なにも起きない。それに疑問を持ち、ゆっくりと瞼をあげる________と、
「________どうも、貴方と居ると退屈しなくて済みそうですね。キルナさん。」
昨日と同じだ。背中に模様が入った黒いコート。少し長い一本くくりにされた銀の髪。そして腰に差された二本の剣。そして、右手だけにつけられた金属製の籠手。
「ユーフィル・・・さん・・・」
彼は、昨日と同じように、僕の前に突然現れ、そして僕を守っていた。昨日と違うのは、僕に向けられた殺意の形が、短剣なのか、拳なのか・・・そして、彼がそれをうけとめているのが、右手か左手かの違いだけだった。
「ふっ!」
彼はその拳とは呼び難い肉塊を容易く片手で払いのける。化け物はバランスを崩し、ゆっくりと後ろに倒れ込んでいく。
「あの・・・の化け物は・・・?」
その隙をついて、僕は一番の疑問を彼に投げ掛けた。彼の口から返ってきた答えは・・・
「昨夜、貴方を襲撃した国軍兵士の一人のようです。」
「・・・え?」
信じられない言葉だった。兵士?この化け物が・・・?
「・・・早朝、捕らえていた木組みの檻が破壊されていると報告があり見てきましたが・・・大柄な兵士と小柄な兵士が喰い千切られたような大きな傷を残して殺害されていました。恐らくですが、残りの一人の兵士が、なんらかの理由で謎の変貌を遂げた。そして二人を喰殺、今に至るのでしょう。そう仮定せざるをえませんし・・・あの生物が貴方を執拗に狙う理由としても十分でしょう。」
「・・・・・・」
確かに理由もしっかりしているし、聞いた上ではその仮定が一番筋が通っている・・・が、それでも僕は、その事実を受け入れられないでいた。昨日、敵としてとはいえ、立ち合った人間が、たった一晩のうちに人間ではない何かへと変貌する・・・これをすぐに信じろと言われても、それはできないと答えるしかなかったのだ。
「どう、して・・・」
僕の呟いた独り言とも呼べないその声に、彼は少し憤りの混じった声で答えた。
「恐らく、バレンティナ殿の仕業でしょう・・・彼は人体改造系統の錬金術を好んで使います。そして彼は・・・例え自分の部下であろうと、手柄のためなら容易く道具として扱います。自らの功の為の、使い捨ての道具として・・・っ。」
ふと彼を見ると、あんなに優しかった彼の顔は、激しい憤怒に歪んでいた。そうか、彼は許せないんだ。大事な部下を________大事な仲間の命を、安物のように使い捨てる、このやり方が。
「・・・彼は、どうするんですか?」
「________こうなってしまった以上、現在私達の持ちうる技術で、彼を元に戻すことは不可能です。意志の疎通も出来ない・・・。
・・・彼も一軍人である以上、敵として死合うことは覚悟の上ですが・・・このような姿の人間を殺すのは・・・あまり気が乗りませんね。」
彼はゆっくりと右手を腰の左側に指した剣の柄へと伸ばした。あぁ、そうか・・・殺すしかないんだ。
「・・・わかり・・・っました。」
僕もゆっくりと、剣を正中に構え直す。と________
「・・・?」
気のせいだろうか?僅かに、剣が熱を持っている気がした。
「・・・っと、とにかく!」
自らを鼓舞し、かつて人間だったその生き物を視界の中心に捉える。
改めて見ると、その異形のシルエットは、やはり化け物と呼ぶしかなかった。ボコボコと歪に膨らんだ腕のような物。指の跡らしき溝が刻まれた肉だるまと化した拳。何倍にも膨れ上がった、肉の風船のような身体からは、岩石のような謎の物体が幾つも飛び出ている。頭と呼べるのかも判らない、肉に埋もれたグシャグシャの頭部からは、まるで感情を宿さない硝子玉のような瞳がこちらをじっと見つめていた。こんなものが、本当に“元人間”なのかと疑うほどに、その姿は人間からはかけ離れた、まさに“化け物”だった。
こんな化け物を、どう倒すのか・・・僕は検討もつかず、彼を見上げた。と________
「キルナさん、剣を下ろして戴いて構いませんよ。」
「________え?」
突然の言葉だった。剣を・・・下ろす?
「な、何を!それじゃああれをどうするんですか!?」
あまりに突然すぎる言葉に、僕は少し声を荒げた。彼は穏やかな、しかし闘気に溢れたような眼差しで、その化け物を見つめていた。
「________どうやら、私達が手を出す必要は無さそうです。万が一があったとしても、手を出すのは私だけで充分です。」
彼はいつもの穏やかな声色で、表情を変えることもなくそう言った。
「・・・手助けは、必要ありませんね?“クーリュー”。」
彼は、僕ではない誰かへと語りかける。そして、一寸の隙もなく________
「舐めんな隊長。あんたの部下だろ。」
初めて聞く、少し乱暴な声。彼の物ではないその声は、後ろの方から聞こえた。
「えっ________」
驚き即座に振り返る。が、その人はもういなかった。その代わりに・・・
ガァンッ________
と、重たい何かがぶつかるような音がした。化け物のいる方向から。
振り返ると、バランスを崩し、後ろに倒れかけている化け物の姿。そして________深海のような暗い青色の鎧を着た、黒髪の青年。その左手には、大きな槍斧が握られ、その刃には、化け物のものと思われる血が付着し、ギラギラと朱く光っていた。
クーリュー。記憶違いでなければそう、昨日ユーフィルの話していた《龍士隊》とかいう部隊の副隊長だ。
「隊長、ありゃなんだ?明らかに人間じゃねぇっつー見た目なのに、血の味は人間そのものだ。」
頬についた返り血を舐めながら、クーリューは軽やかに地を脚で捉えた。・・・不思議な形の脚鎧が、ふと目を引いた。
「昨晩捕らえた国軍兵士の一人のようです。恐らくは________」
「あぁ、バレンの野郎のか・・・
哀れだな。あんな奴の下に就くなんざぁよ。」
嘆息混じりの言葉を漏らしながら、彼は手にした槍斧をしっかりと握り直し、構える。その様は、まるで獲物を仕留めんと狙いを定める獅子の如しだ。
「殺して始末ってことでいいんだな?隊長。」
「・・・えぇ。そうするしかないことが、とても悔しいですが・・・。」
ユーフィルは苦々しい表情を浮かべた。すると________
「例えバケモンになってなくたって、こいつぁ軍兵だったんだろ?なら、戦場において余計な情けはかえって失礼だ。
しかと全力で、兵士として殺してやるのが、せめてもの救いだろうがよ。」
表情一つ変えることなく、クーリューはユーフィルの悔しそうな言葉を一蹴した。
「・・・ソレが、一番なのかもしれませんね。
解りました。弔いの準備はしておきましょう。・・・任せましたよ、クーリュー。」
「_____了解。」
そう言うと、ユーフィルは少し早足にその場を去った。残ったのは、僕と、クーリューと・・・そして、目の前の“兵士”だけだ。
「小僧、お前もあっちいってろ。死んでも知らねぇぞ。」
不意に、彼は僕に話しかけてきた。優しさとは程遠いその言葉遣いと声に、少しムッとしながら________
「・・・あの兵士は、僕が連れてきてしまったも同然です。だから、僕にも彼を救う責務があります・・・!」
僕はそこに立ち続ける決意を述べた。しかし、彼は僕をちらりと見て、再び口を開いた。
「・・・その震える手で斬ったって、かえってアイツを苦しませるだけだろうが。本当に救いたいなら、せめてその震えを抑えてから来い。」
「っ・・・!」
もっともだ・・・今の僕があの兵士を斬りつけたところで、致命傷を与えることなど出来はしないだろう。
でも、そうだとしても________
「例え何も出来なくても、僕には、ここに立つ義務がある!
ここでもし逃げたら、僕はきっと・・・きっと、自分の母さえ救えない!」
「・・・・・なるほどな。」
彼は、納得したというような表情で兵士に目線を戻す。
「死ぬ前には逃げろ。本当に誰かを救いたいなら、お前がもっとも重要視するべきはお前の命だ。
お前が死ねば、救えた命も救えなくなる。ただ無駄死にすることだけはするな。」
「っ・・・はい!」
僕の返事を合図にするかのように、兵士は拳を振り上げながらこちらへと突っ込んでくる。ソレを見計らって、彼と僕も前進する。
距離は近い。戦闘にはいるのに、一分とかかりはしなかった。
拳が振り下ろされ、槍が突かれ、剣が振られる。
一見暴力的なその闘いの中には、邪念と呼べるものは一切無かった。ただ、救いたい。ただ、楽にしてやりたい。ただ、その者を殺したい。研ぎ澄まされたように純粋な三つの想いが、剣となり、槍となり、拳となってぶつかり合った。
いったいどれ程の数、互いの想いが衝突しただろうか・・・やがてゆっくりと・・・その兵士は、自らの巨躯をゆっくりと大地に落とした。
「はっ・・・はぁっ・・・」
それと同時に、僕もまた、大地へ膝をつく。自分でもわかっていた。これ以上の戦闘は避けるべきだと、もう限界だと、身体が訴えかけていた。
「・・・・・いや、充分に頑張ったさ、その小せぇ体にしちゃあな。」
と、汗一つ流すことなく、クーリューは槍をくるくると回しながら言った。その化け物じみたスタミナと洗練された武術の動きは、自分が成そうとしている業がどれ程の力を要するかを体現しているようだった。
「っまだ・・・出来ます・・・!」
身体に鞭を打ち立ち上がろうとする僕を、クーリューは片手で制止した。そのまま槍をぐっと握り、伏した兵士の上に乗った。
「・・・小僧、名は。」
「えっ・・・き、キルナ・・・です・・・。」
突然の質問に、慌てて答えた。そういえば、まだ名前を言っていなかったっけ・・・。
「キルナ・・・しかと見届けな。人を殺すってのが、命を奪うってのがどういう物なのかをな。」
彼の声が止むが早いか・・・彼は、握った槍を兵士の胸へと突き刺した。グシャっと、肉が一気に裂かれる音が響く。
『・・・燃えよ、命繋ぐ清廉なる紅き血よ。宿りし命を火種とし、彼の者を包む弔いの業火となるがいい!』
彼の声が響く。不思議な熱を秘めたその声に呼応するかのように、彼の槍斧が淡く光り・・・そして、突如として槍が突き刺さった箇所から、兵士の身体が丸で紙のように燃え上がった。
「えっ・・・!?く、クーリューさん?!」
慌てる僕とは対照的に、彼は当然のように燃え上がる兵士の上から平然と降りると、そのまま槍を大地に突き刺した。
「なにも騒ぐこたぁねえよ。俺の“眼”の力で、こいつの肉体を弔っただけだ。」
そう言いながら振り向くクーリューの瞳は、血のような深紅に染まっていた。
「眼・・・“龍の眼”、ですか・・・?」
「あぁ、俺の“眼”は《狂血飛龍》。血を操るっつー能力を持ってんだよ。今のはその応用。血を一気に発熱、発火させて身体を燃やしてんのさ。」
「血を・・・操る・・・」
なんとも不可思議な能力だ。魔術の五大属性のどれにも含まれない、極めて特殊な、血という属性・・・いや、属性として操るのとはまた違うのかもしれないが・・・
「・・・安らかに眠れ、かつての同胞よ。」
ふと、クーリューが小声で呟いているのが聞こえた。気になり顔を見上げると、そこには悔しさと哀れみの入り交じった表情が浮かんでいた。
「クーリュー・・・さん・・・」
「・・・ちっ・・・そら、隊長の所行くぞ。
戻ってくる頃にゃ骨と灰になってんだろ・・・そしたらちゃんと弔ってやらねぇとな。」
静かな空気を切って捨てる用に言葉を続けると、地に刺した槍を抜き歩き出す________よりも一瞬早く、その音は空を切り裂き響いた。
___ドゴォオオオンッ
何か重いものが爆ぜるような、低く大きい、お腹に響くような轟音。何百メートル先までも届きそうなその音は、瞬く間に僕たちの耳を貫いた。
「ッ!?」
咄嗟に僕とクーリューさんが振り向くと、テントの向こうから黒煙が上がっていた。
「こっ今度は何がっ!?」
「・・・あのテントの向こうは・・・っ!」
途端に彼は僕を抱えると地を蹴り走り出した。
「ど、どうしたんですか、クーリューさんっ!」
「あの位置は、恐らく捕虜収容場だ!つまりあそこには、死んだ兵士の遺体があるんだろ!」
「っ!まさか________!」
嫌な予感が脳をよぎる。先の化け物も、元は国軍兵士だった。それが魔術で改造されて、あんな化け物に変わり果てた。
ならもし、その魔術が、死体さえもを変えて、化け物にしてしまうのだとしたら?もし、その化け物が、蘇っていたとしたら?
「そんな・・・さっきのが、まだ二体も・・・?」
「可能性は大いにある!だからこうやって急いでんだろうが!」
そうだ、可能性は大いにある。そして、もしその予感が当たっていたら・・・このキャンプで、多くの犠牲が出るかもしれない。その光景を想像するだけで、とても怖くなった。
「あと・・・すこし・・・!」
そういうと、彼はテントの間を縫うように抜けていき、そして、辺りが開ける場所に出た。
「なっ・・・!?」
化け物が二体立っている・・・それが、僕たちの考えうる最悪の状況だった。だが、その先に広がっていた光景は・・・僕たち二人の想像とは違う、驚くべき光景だった。
第四話【優しき無慈悲】
それは、あまりにも衝撃的な光景だった。
散乱する檻に使われていたであろう木片は、所々が焦げていて、そして時折血を染み込んで赤く染まっていた。大地にはいくつもの亀裂が走り、微かな黒煙が幾つも立ち昇っていた。破壊の限りが尽くされたその地に、見慣れない二つの影が倒れていた。かつて兵士であったのだろうその肉の塊のような二体の化け物は、どちらも頭と思わしき部位が無く、そして体の至るところからは、まだ生命を感じさせる深紅の血を流れさせていた。
“災厄”、そう呼ぶに相応しかった。そこに広がっていたのは、まさしく“災厄”が残した爪痕だった。破壊と、殺害。おおよそ人の手で成されたとは言い難いその光景の真ん中で、“彼”は一人佇んでいた。
「・・・ユーフィル、さん・・・?」
「________おや、そちらは片付きましたか?クーリュー、キルナさん。」
優しそうに微笑む彼の手に握られた、綺麗な二振りの剣。日光を反射して輝くその刀身には、兵士達の体から流れるソレと全く同じ深紅の血が滴り、まるで自らがこの破壊を成した張本人だと主張しているようだった。
「おいおい、まさかとは思うが・・・隊長、コイツら二人とも・・・アンタが?」
「ええ、あの兵士と共に弔おうと思ってここに来たのですが・・・ご覧の通りこちらの二人も怪物と化していまして。
何もなければそのまま弔おうと思ったのですが、案の定蘇り襲いかかってきたので・・・やむなく迎撃をした、といったところです。」
「やむなくって・・・これでかよ・・・」
辺りを見回すクーリューさんの何とも言えないような表情は、よく理解できた。この惨状は、迎撃と呼ぶにはあまりにも凄惨過ぎる。これでは一方的な虐殺だ。
「相変わらず、いざ死合いになると加減を知らねぇなぁ・・・隊長は。」
「加減なんてしていたら、此方が殺されるかもしれませんからね。当然と言えば当然でしょう?」
悪びれた様子もなく、きょとんとした顔で僕たちを見つめる彼が、こんな戦い方をするのはとても想像できない。
だが、ソレでも目の前に広がるのは、彼が成したこの事実だけだった。
「さて、クーリュー。彼等の遺体を焼いてくださいますか?弔いはキチンとしなくてはいけませんからね。」
かちんと軽く金属がぶつかり合う音を立てながら剣を鞘に納めると、ユーフィルは軽く泥を払いながら言った。
「お、おう・・・」
兵士たちを焼いた灰は、山の頂上の青い岩の下に撒かれた。クーリューさんいわく、“ミクリ・クシナ”と呼ばれる龍人族に伝わる古くからの弔いの儀式だそうだ。
幸か不幸か、犠牲者は三人の兵士だけに留まっていた。多少の怪我人こそ出たが、皆軽傷で済んだらしい。それはきっと、喜ぶべきことなのだろう。けれども僕は、どうしても心に引っ掛かりができていた。そう、ユーフィルさんについてだ。
「・・・クーリューさん、すこしいいですか・・・?」
儀式が終わってすぐ、僕はクーリューさんの元を訪ねた。もちろん、ユーフィルさんのことを訪ねるためだ。
「・・・ああ、キルナか。来るだろうとは思ってたよ。」
そういいながら、クーリューさんは快くテントに僕を迎えてくれた。
「・・・それで、その・・・ユーフィルさんの________」
差し出されたコーヒーを飲みながら、恐る恐る僕は口火を切った。否、切ろうとした。だが、彼の言葉が僕の問いかけを遮った。
「隊長のことだろう?目を見りゃわかる。」
「・・・はい。」
まるで魔法のように僕が聞きたかったことを言い当てると、テントの真ん中を貫いている大きな支柱に寄り掛かりながら、彼は気まずそうに口を開いた。
「お前の気持ちはよくわかる。現に、俺もあの人の戦いを見たときは呆気にとられたし、少なからず恐ろしいとさえも感じた。」
まるでおとぎ話の語り手のように話しながら、彼は手に持っていたコップいっぱいのコーヒーを一口で飲み干した。
「________アレに関しちゃあ、もう慣れるしかない・・・ってのが、俺がお前にできる限りの助言だ。
俺だってそうしたし、他の奴等もきっとそうしてるだろうからよ。」
「・・・そう、ですか・・・。」
諦めの混じったような表情で話すクーリューさんを見ればわかる。あの人は、反乱軍のキャンプを荒らされたことに憤慨してあんな惨状を産み出したんじゃない。彼にとっては、アレが普通なんだ。
「・・・まあでも、少なからずあの人は悪い人じゃないってのは言える。ソレはお前もわかるだろ?」
「・・・そうですね。確かにそうでした。」
悩みがなくなったといえば嘘にはなるが、それでもある種の納得はできた。僕はほんの僅かな収穫を得て、クーリューさんテントを後にした。
かなりどたばたとした日中が過ぎていき、気がつくと夜だった。ユーフィルさんに案内されて、キャンプの皆さんと久々のまともな夕食を食べていると、一人の男の人が駆け込んできた。
「た、隊長さんっ!!これっ!さっきフクロウが運んできたやつがっ!!」
焦りを露にした表情でユーフィルさんに近づいた彼の手には、一通の手紙のような紙切れが握られていた。
「・・・・・なるほど、わかりました。届けてきたフクロウはまだいますか?」
「は、はい!」
その手紙を読み終えると、ユーフィルさんは懐からペンを取り出し、その紙の裏にすらすらとなにかを記すと、男の人に返した。
「これを持たせて、北西の方向へフクロウを飛ばしてください。そうすればきっと届くはずですので。」
「はい!」
男の人が慌ててテントから駆け出していくと、リーエさんが彼に近づいた。
「ユーフィルさん、今の通達は、まさか・・・?」
「はい、偵察班からの通達です。国軍に動きが・・・」
コソコソと話す二人を眺めていると、不意にユーフィルさんが僕と目を合わせて手招いた。
「ゆ、ユーフィルさん、リーエさん・・・どうかしたのですか?」
恐る恐る二人に近づき訪ねると________
「・・・王都内、およびその付近に駐留させていた偵察班から連絡がありました。これまで小さな動きしかしてこなかった国軍が、慌ただしく動き出したそうです。
妙なタイミングの一致からして、恐らくきっかけはあの兵士かと・・・」
ユーフィルさんがゆっくりと話し始めた。一方、リーエさんは怯えたような表情をして立っているだけだ。
「あの兵士・・・で、でも彼らはしっかりと倒して弔ったはずですよね?なのにどうして・・・?」
「恐らくですが、あの三人の兵士の誰か一人の身体に、観測計が埋め込まれていたのだと思います。観測計は、対象が死亡、もしくは何らかの大きな異常を抱えた場合、計測者側へと通告する仕組みになっているので・・・」
つまり、あの兵士たちを殺したため、国軍に通達がいってしまったと言うことだ。
「・・・あれ?でもソレじゃあここの座標もばれてしまっているんじゃっ________!」
つい大きな声を出しそうになって、慌てて自分で口を押さえる。まだ確定してもいないのに、不確実な情報をばらまいてここにいる人たちの不安を煽るのは愚行だ。
「大丈夫ですよ。観測計だけならば位置までもを知らせる機能はついていないので。
ですが用心するべき、という点では賛成です。リーエ嬢、明朝アイネラのもとへと向かってもよろしいでしょうか?」
ふと僕はアイネラという名に反応した。記憶が確かならば、昨日のユーフィルさんの話に出てきた、龍士隊の一人だ。そして、名前の響きから、恐らく女性・・・
「・・・ええ、構いません。ですが念のため、クーリューはこちらに残していってくださいませんか?万が一に備えて、ここを手薄するわけにはいかないので・・・」
「わかりました。では________」
「ぼ、僕もいかせてください!」
思わず言葉を漏らした。だが、ここでコソコソとしているよりは、できるだけ前線に近いところに身を置きたかった。
「・・・もちろんです。最初からそのつもりでしたよ。今夜のうちに、最低限の身支度を済ませておいていただけますか?」
「は、はいっ!」
僕は早速残っていた夕食をかきこむように平らげて、自分の荷物を取りに戻った。最悪の場合を考えて、昼食、夕食とは別に少量の食料、それと残っていた光灯石。ナイフと水をいっぱいにしてもらった水筒。そしてすぐに腰にさせるように、布袋の横にお守りの剣を立て掛けた。
「________い、おい。起きろよ、キルナ。」
投げ掛けられた声と身体を揺さぶる手に起こされ、とっさに身構えてしまった。
「おう、警戒心が強いのはいいこった。だがそれで味方を殺したりしないでくれよ?」
「あ・・・す、すみません、クーリューさん・・・」
「お目覚めですか?キルナさん。」
からからと笑うクーリューに挨拶をすると、まるで見計らったようにユーフィルさんが現れた。
「はい、一応は・・・」
「よかった。
では最後の身支度を済ませたら私のテントの前に来てください。」
「は、はい!」
慌てて服を着替えてローブをまとい、荷物を片手にテントの前へと向かった。
「・・・全員集まりましたね。といっても、私を含めてこの五人だけですが。」
テントの前にはユーフィルさんとリーエさん、そしてクーリューさんと見覚えのある青年がいた。
「・・・あっ、あのときテントの中にいた・・・?」
「・・・・・ヤグリーヌ。」
ぼそぼそとやっと聞き取れるほどの声の大きさで、青年は喋った。
「ヤグリーヌ・・・ってことは、貴方も龍士隊・・・?」
ヤグリーヌ、ユーフィルさんが言っていた、龍士隊のメンバーの一人だ。だが、その見た目は青年とはいえ若すぎた。恐らく僕と五つも離れていないだろう。
「おや、まだ彼に自己紹介をしてなかったんですね。
では、私とヤグリーヌ、そしてキルナさんの三人でアイネラのもとへと向かいます。クーリュー、その間こちらの守りは任せましたよ。」
「了解、そっちも任せたぜ、隊長。姐さんによろしくな。」
槍を片手に頷くクーリューさんは、飄々としてこそいるが微かに気が立っているのがわかった。そしてそれは、恐らくここにいる全員がおなじなのだろう。
「ユーフィルさん、キルナさん、ヤグリーヌさん・・・どうかお気をつけて。」
心配そうな顔で僕らを見送るリーエさんの声は、どれ程の不安がこもっているのか図りきれないほど震えていた。
「ご安心を、リーエ嬢。私たちは大丈夫ですから、どうか貴女はここの人々を精一杯励ましてあげてください。長い間この生活で、荒んでしまっているものも少なからずいるでしょうから。」
「・・・はい。」
険しい山道をゆっくりと下山していく。急ぎ足で降りてしまったら、何らかの痕跡を残して所在がばれてしまう危険性もある。急ぎたいのは山々だが、それでも慎重に、ゆっくりと。
「・・・ユーフィルさん。アイネラさんはどんな方なんですか?」
不意に僕が投げ掛けた問いに、ユーフィルさんは微かに足を止めた。
「そうですね・・・龍士隊唯一の、純粋な人間・・・ヒュルマであり、そして唯一の女性です。」
やはり女性だったらしい。だが、唯一のヒュルマ?
「唯一ってことは・・・他の、ユーフィルさんやクーリューさんは違うんですか?」
「私もヤグもクーリューも、皆龍人ですよ。私とヤグは“アウリナ”、クーリューは“ミクリ・クシナ”という種の龍人です。」
あぁ、なるほど・・・だからあの兵士たちを弔うときは“ミクリ・クシナ”のやり方で弔ったのか。と一人納得していると、ユーフィルさんがその歩を止めた。
「・・・あ、あの?ユー________」
「ヤグっ!!」
突然響いたユーフィルさんの声と同時に、木々の葉や草の影から、幾人もの人影が現れた。見慣れた作りの鎧と、胸に刻まれた国の国証________国軍の騎士たちだ。
「わっちょっ!?」
突然のことに慌てる僕を、ヤグリーヌさんが後ろから押し倒す。と同時に、数人の騎士達の鎧に小さな矢が刺さった。よくみると、ヤグリーヌさんの左手にはボウガンのようなものが握られている。
「・・・立て、くるよ。」
グイッと今度は無理矢理身体を起こされて、微かによろめきつつ僕も剣をとる。が、体勢を整えるよりも先に、漏れた兵士が僕へと斬りかかってきた。
「くっ________!」
パンッ________
なんとか剣で防ごうと構えるより早く、小さな風船が割れるような音が響いた。よろめきながら体勢を整えて兵士に目をやると、彼はピタリと停止していた。
「え・・・?」
その兵士だけじゃない。他の兵士も、立っている者の四割近くが完全に動きを停止させている。残った兵士たちは、呆気にとられて動けないでいた。
「ごめんなさい、ユーフィル・・・討ち漏らしがこんなにいるとは思わなくて・・・」
その兵士達の更に奥、僕たちが進もうとしていた先から、綺麗な声が聞こえた。
「・・・いえ、多少減らしてくださっていただけでも十分ですよ。アイネラ。」
ユーフィルさんは穏やかな笑みで、ヤグリーヌさんはほっとしたような表情で、そして僕は、呆気にとられたような表情でその声の主を見つめる。一歩、一歩と歩み寄ってくる“彼女”の手には、一振りの長い剣が握られていた。
その様は、妖艶な悪魔のようでもあり、美麗な天使のようでもあった。だが、もっとも的確にソレを示すならば、例えるべきは、天使でも悪魔でもなかった。
________そこには、刃が立っていた________
第五話【竜の眼】
人の形をとった刃。
そう例えるのがもっとも相応しいだろう。それほどまでに、彼女から発せられる闘気、殺気はあまりにも濃厚で、さながら刃のごとき鋭さを持っていた。
けれども、その鋭い殺気とは裏腹に、そこに立つ彼女は美しかった。踊り子のようにきらびやかな美しさではなく、静かで清廉な、見惚れるほどに純粋なまでの美しさ。
アイネラと呼ばれた彼女のその不思議な魅力に、僕は眼を奪われていた。
「流石は、《空灰竜》…少人数対多人数での戦闘において、その力には本当に救われますね。」
穏やかな笑みを崩さぬまま、ユーフィルさんは呟くように話しかける。
「嫌味かしら?ユー。貴方の力の方が遥かに強いじゃない。一対一も、一対多も、ね。」
その笑みに返すように溜め息混じりの呆れ顔を浮かべるアイネラ。
見た目から察するに・・・歳は恐らく二十代後半、といったところだろうか。簡易的な鎧と、綺麗な黒髪・・・そして真っ先に目を引く、美しく煌めくレイピア。騎士と呼ぶには軽装だが、戦うのには十分な、必要最低限の装備だ。
「それで、そこの見慣れない子が貴方が文で言っていた“決定打”・・・かしら?」
ちらりと僕に目線を移して、アイネラはポツリと問い掛けた。
「あっ、えっと・・・き、キルナです。
よろしくお願いします、アイネラ・・・さん?」
慌ててお辞儀をする。が、少し気にかかる言葉があった。そう、“決定打”だ。彼女は僕のことを、決定打と呼んだ。
一体何のことだろう?ふいとユーフィルさんを見ると、彼はクスクスと優しく微笑みながら僕たちをみていた。
「自己紹介は済みましたね。では、下山を続け________」
ふいっと停止した兵士たちに目を向けながら彼は呟く。と、呆気にとられて固まっていた兵士の一人が我に返り、振り向いた。
「きっ貴様ら!何をした!」
さっと剣を抜きながら、兵士は突っ込んでくる。が、何故かその時は僕でも恐れなかった。その兵士が真っ先に向かっていったのが、ユーフィルさんだったからだ。
「私が止めたわけではありませんが・・・まぁ、部下の無礼は上司の責任でしょうか?」
おどけたような声色で呟きながら小首をかしげる彼は、当然のようにその兵士を驚異と認識していない。そんな彼の雰囲気が空気となっているのだろうか、その場に兵士を驚異と感じたものもまた一人もいなかった。
「くっ・・・舐めるな!逆賊風情がぁっ!」
剣を振り上げながら叫ぶ兵士。が、ユーフィルさんは剣を抜くそぶりも見せない。
「堕ちていても騎士ならば、言葉遣いには気を配ることをおすすめしますよ。」
そんなどうでもいい日常会話を交わすように、彼は右手の手甲を盾のようにして剣をいなしながら、にっこりと微笑んで兵士の懐へ一歩踏み込んだ。
「っ・・・な・・・!」
勢いよく振り下ろしすぎたせいだろうか。兵士の剣は勢い余って地面を抉り、その衝撃に兵士の腕は一瞬制止した。
そしてその一瞬を突くように、ユーフィルさんは兵士の鎧の首もとを掴むと足をさらに一歩前へ出し、その足を軸に回転させるように兵士を容易く投げた。
「ぐっぁ・・・!」
どしんっ、と重たい音と共に兵士の身体は強く地面に叩きつけられた。重量がある上に、衝撃を直に伝えてしまう硬い鎧のせいだろう、一瞬息ができず苦しむ表情を浮かべ、そのまま兵士は白目をむいて気絶した。
「・・・っう・・・うわぁああああっ!!」
「おっおいっ!待て!置いていくな!」
他の兵士たちも我を取り戻し、そして慌てて撃ち出されたように逃げ出していった。
「・・・半分は逃げたわね。情報、伝えられるわよ?」
「構いません。今伸びていただいた彼も、逃げていった兵士たちも、皆同じ所属章を付けていました。【第四軍二隊】の所属兵でしょう。だとすれば、一度アス山の麓のどこかにある駐留基地に戻るはず。
あの第四軍です。一度は逃げたとて、こちらに残した仲間を見捨てることは無いでしょう。」
荷物の中からロープを取り出しながら、ユーフィルさんはてきぱきと兵士を縛り樹に繋いでいく。気絶している兵士はともかく、何故か動きが止まった兵士たちも、抵抗する様子が見られない。
ユーフィルさんは、先刻と彼女の能力を呼んだ。名前からはどんな能力か想像もつかないが・・・一体どんな能力なのだろうか?
「さて、改めて下山しましょう。ちょうどいいですし、目的地は第四軍の駐留基地と定めて。」
ポフポフ・・・と土埃を払いながらユーフィルさんは立ち上がる。
「________っ!き、貴様らっ!このような反逆、長く続くと思うなよっ!ラムセス公が必ず貴様らを・・・っ!」
動いていなかった兵士の一人が、突然鞭打たれた馬のように吠え始める。
「・・・アイ、能力を解いたのですか?」
「えぇ、使い続けるわけにもいかないもの。どうせ十メートルも離れれば勝手に解けるわ。遅いか早いかの違いでしょう?」
きょとんとした表情を浮かべるユーフィルさんと、呆れたように肩を竦めるアイネラさん。そして、他の兵士たちも八割が呆気にとられたような表情をしていた。
「・・・兄さん、見つけた。麓の沿い、ちょうど王都の反対の方向。強い気配が何人も集まってる。配置の仕方からして隠れ砦だ。」
そんな状況を壊したのは、ヤグリーヌさんだった。
目を閉じて、直立したまま動かなかった彼。そんな彼が、不意に口を開いた。
「了解です、ではそちらに向かいましょう。アイ、私たちと同行してもらえますか?」
「えぇ、他の偵察班はもう登らせてあるし、その方が得策ね。」
「ヤグは定期的に“眼”で砦の様子を見張っていてください。もしなにか大きな動きがあれば報告を。
さぁ、下山再開です。」
ヤグリーヌさんとアイネラさんに指示を出した後、ユーフィルさんは僕たちを連れてまた歩き始めた。
二時間ほど歩いただろうか、麓近くの崖の上に僕たちは居た。そしてその崖の下には、質素だが堅牢そうな小さな砦が構えられていた。砦の周りには、国の旗が掲げられて。
「・・・あれ、だよ。多分、兄さんが言ってた四軍の駐留基地。」
「えぇ・・・ですが、どうやら本隊は駐留していないようですね。ヤグ、中に居るもっとも強い気配に覚えはありますか?」
「ん_____無い、な。少なくとも軍長か副軍長では無いよ。もっと弱い。」
崖の上から基地を偵察しながら、二人は状況を探るように話し合っていた。
かくいう僕はというと・・・
「それで、貴方はそのお母さんを助けたくて私たちを頼ったの?」
「は、はい・・・情けないですけど・・・。」
何故か、アイネラさんに捕まって質問責めを受けていた。
「ふぅん・・・でも私たちと協力しても、お母さんを助け出せるっていう保証はないでしょう?そんな不確実な可能性に懸けて、よく国を裏切るなんて判断が出来たわね・・・?」
「それは・・・。」
そう言われると、自分でもわからない。彼女の言うとおり、僕はあまりにも不確実なリターンのために、あまりにも大きなリスクを犯している。
普通に考えれば、選ぶことはない選択肢だ。だが・・・
「反乱軍のことを聞いたとき、何故か、その人たちなら頼れるって確信したんです。彼らとなら、きっと母さんを救えるって。」
「・・・なるほどね。もしかしたら、なにか運命が繋がっていたのかもしれないわね、私たちと貴方。」
くすくすと微笑みながらブロック状の携帯食を一口大に砕いて口に運ぶ彼女。僕も一口かじりながら、水筒に口をつける。
「にしても、見た感じ竜の眼も持ってない上に、戦闘慣れもしてなさそうよね。本当に貴方が私たちにとっての“決定打”なのかしら?」
「・・・ケッテイダ?」
自分でもビックリするような片言で彼女の台詞を復唱する。
「あら、違ったかしら?
昨夜のユーからの文には“決定打たる最後の仲間を得たり”と書かれていたから・・・状況からしてもてっきりあなたのことだと思ったのだけれど・・・?」
ユーフィルさんが、そんなことを・・・?いったいどういう意味だろう。正直、自分でも自覚できるほどには僕は弱い。意を決してこんな行動に出たのも、今思えばただの自殺行為に等しい。
そんな僕が、“決定打”?
「あの、ユーフィルさ_____」
彼の真意を聞こうと、ユーフィルさんに声を掛けようとする。が、名を呼びきるよりも一歩早く・・・
「キルナさん、アイネラ、休息は終わりです。大体の戦力はわかりました、突入しましょう。」
ユーフィルさんはこちらを振り向きながら逆に声をかけてきた。
「は、はいっ!」
慌てて言われた通りに携帯食や水筒を片付ける。結局真意は聞き損ねてしまった。
「どう行くの?まさか正面から堂々と?」
「いえ、せっかくの少数精鋭です。分担して隠密行動を取りましょう。アイネラ、あなたはキルナさんと共に。」
「は、はい!」
テキパキと指示を出すユーフィルさんと、テキパキとそれに応じるアイネラさん。対して僕は、片付けに慌てっぱなし。まったくもって情けない・・・。
見張りの兵士が一人、砦の壁に沿ってゆっくりと回っていく。隙だらけにも見えるが、仮にも国軍の兵士だ。油断はせず、じっとその様子を観察する。・・・後ろから。
「アイネラさん・・・本当に大丈夫なんですか、これ・・・?」
ヒソヒソと可能な限り声量を抑えに抑えた声で、隣を歩くアイネラさんに尋ねる。
「大丈夫よ、信じなさいな。それに、普通の話し声程度なら音も遮断されてるわよ?」
先程となにも変わらぬ表情、そして声色で話す彼女。普通なら、この会話や後ろをついていく足音で当然気づかれる。だが、兵士は僕達の気配どころか、音にさえ耳を傾けることはしない。不思議、というか不可思議だが・・・信じるより他にないのだろう、彼女の“眼”の力を。
竜士隊唯一の女性でありヒュルマ、アイネラ=キート。彼女が持つ竜の眼の名は、《空灰竜エアブライドドラゴン》というらしい。
その力は《空気を操る力》だと言う。山の中腹で兵士たちの動きを一瞬にして止めたのは、彼らの周りの空気を固定させたから。そして今、何事もなく兵士の後ろをついていっているのは、なんでも真空の層と歪んだ空気の層を僕達の周りに作って、僕達の姿や物音をある程度まで遮断しているから・・・らしい。
ユーフィルさんが賞賛するのも納得だった。空気はどこにでもある。水の中にだって、解けた空気が微量に含まれている。それらを操れる・・・これほど強力な能力はないだろう。
「・・・すごい、ですね。そんな力を持ってるなんて・・・どうやって、手に入れたんですか?」
隣を歩きながら、彼女に尋ねる。すると、彼女は苦笑いを浮かべながら・・・
「私の力は、借り物よ。空灰竜なんて強大な竜を、私なんかが倒せるわけ無いもの。とある理由で彼女、空灰竜から借り受けたの。来るべき時が来たら、返す約束でね。」
とはにかむように答えた。竜から力を借り受ける・・・想像がつかない。どんな状況になれば、そんなことができるのだろうか・・・?
「それより、ちゃんと前を見て歩きなさいな?あの兵士と付かず離れず・・・じゃなきゃ入り口を見失うわ。」
そう言われて、慌てて兵士の方を見直す。これだけ話しててもまったく気がつく様子もない。
「向こうは・・・ユーフィルさん達は大丈夫でしょうか?」
ふと別行動をとった二人のことが気になる。彼らには自分の姿を隠す術は無いはずだ。どうやって隠密行動を取るつもりなのか・・・?
「むしろ、向こうの方が安心よ。隠密行動にしても、最悪見つかった場合にしても、ね。だってヤグがいるもの。」
クスクス微笑みながら彼女は答える。
ヤグリーヌ=ウィクテリス・・・ユーフィルさんの弟だと言う彼は、なんと僕と二つしか違わないらしい。その若さで竜士隊の隊員を務めるのは、彼が持つ竜の眼が極めて特殊なモノだからだと言う。
その力は《番竜ガーゴイル》。様々な神話やお伽噺にも出てくる、有名な竜の一種であり、一説には善き行いを成すものの家の屋根に住み着き、その家に災いが降りかからぬよう門番として眼を光らせ続けるとか。
そんな番竜の力は、端的に言えば《千里眼》。お伽噺の千里眼ほど有能ではないが、何かひとつのものに特化して、それらを“視る”ことができるらしい。彼の力は、特に“気配”を視ることに特化しているそうだ。
確かに、そんな力を持つヤグリーヌさんと、無類の強さを誇るユーフィルさん。あの二人なら、何も問題はないと感じてしまう。僕のこんな心配さえ、ただの杞憂でしかないように思える。
「竜士隊の皆さんは・・・やっぱり、スゴいんですね。ユーフィルさんの話を聞くだけでもすごいと思いましたが・・・実際にこうして目の当たりにすると、尚更・・・。」
思わず感嘆の声を漏らす。彼らが居れば、国軍を相手取るのは容易いとさえ思えるほどに、彼らの力は見れば見るほど凄まじい。
「そうねぇ・・・普通は人間が竜の力なんてものを得ることがおかしいもの。稀有であり異常。私自身、この眼の力にはいつも圧倒されてばかりよ。」
同じく感嘆の声を漏らすアイネラさん。貴女は当人じゃないか、と思ったりもするが、それほどすごい力なのだろう。
「僕も、竜の眼を持てば・・・もしかしたら母さんをすぐにでも救えたのかも・・・」
不意にそんなことを漏らす。これほどの強い力、これがあれば、僕だって人並み以上には戦えるはずだと。
「・・・羨望の眼差しは嬉しいけど、正直おすすめできないわ・・・。
さっきも言ったけど、私たち人間が竜の力を得ること自体が異常。それでも私たちのようにその力を得ているのは、それだけの理由、それだけの過去が私たちにはあるの。
あなたの母を取り戻したいと言う気持ちを否定するわけではないけれど・・・そんなあなたよりも、もっと過酷な状況下に、私たちは一度落ちているのよ。」
諫めるように、咎めるように、彼女は僕の方を見ながら言葉を紡ぐ。言われてみれば、というところだ。僕の今の状況が普通だとはさすがに思いはしない。だが、どんなものにも上には上がいる。僕よりも辛い過去を乗り越えて生きている人だって、きっと居るはずだ。たとえばそう、僕の隣辺りに。
「アイネラさん・・・。」
「しっ。あったわよ、正面以外の入り口。」
彼女の言葉で我に返り、前を歩く兵士を見る。兵士は、ぴったりと閉ざされているように見えた石の壁に空いた穴に、自分の剣を刺している。そしてその剣を回すと、カチリと音がした。どうやら、あの剣が鍵になっているらしい。
「あそこが別の入り口・・・ここからなら入れそう、ですね。」
「えぇ、覚悟を決めなさいな?ここからは敵陣のど真ん中に入るわよ。」
石壁に偽装された扉を兵士が開けると同時に、意を決してその中に滑り込むように小走りで入る。
そうして、国軍の砦制圧作戦は、思ったよりも簡単に始まった。
五色の龍(旧版)