さみしいけど、さようなら

毎日の終わり、そして始まり

「・・・・では続いてのニュースです。政府が膨れ上がった人口の対策について、尊厳死案を本格的に検討していることが本日の会見で発表されました。尊厳死案とは、国民の中から約3億人を無作為に選出し、選ばれた国民は尊厳死という名のもとに安楽死剤投与が行われ、死ぬことが命じられる案というものです。日本の人口が約10億人を超えたことを危惧し、これによって肥大した人口を縮小するのが狙いです。この案に対し、各地では連日反対運動が行われており、国民の反対は否めないものになっています。・・・」
「ねー母ちゃん、本当にこんなことあるのかな、あったら選ばれないかなー」
「バカなこと言ってないで早くお風呂入って来ちゃいなさい。」
んー。と返事をしてケータイをいじりながら浴室へ向かう。友達に「なぁ、ニュースみた?」ってメールでもしておくか。

僕の名前は雨宮瑞希。高校三年生で、会社員の父、近くのスーパーでパートをしている母、上京した二つ年上の姉がいるごくごく普通な四人家族だ。来る日も来る日も特に変わったこともなく、平凡な日常を過ごしていた。
ついこの間までは・・・

それは、まだ夏が顔を出し始めようとしていたころの話だった。
今思えば、この時からしっかり慌てておけばよかったのかもしれない。
きっと何も変えられなかったけど、何も考えないよりはマシだった。そう、今は思っている。

次の日、高校では尊厳死案についての話で持ち切りだった。
早速下駄箱で上履きに履き替えていると、
「おはよー瑞希。お前昨日のニュース見た?あれおっかないよなぁ」
同じクラスの篠崎裕だった。
裕とは小学校からの仲で家も割と近所というのもあり、いわゆる幼馴染だった。
まぁこんな田舎町、大半が幼馴染みたいなものだけど。
「見た見た。あれ本当にやるんだったら選ばれないかな。」
「そう言ってるやつは大体生き残んだよ。やべ、チャイムだ。教室いくか」
二人で急いで教室に向かった。ぎりぎり時間に間に合ったけど、また担任の先生に注意されてしまった。

あっという間に昼休みになり想像通りに学校のいたるところで尊厳死案について話している様子だった。
僕らはあまり深くも考えていなかったので、いつも通り裕と二人で昼食をとっていた。
購買に自販機に飲み物を買いに行くと言ったら裕に「俺のも買ってきて」と言われたので一人で東棟へ向かっていた。
自販機にお金を入れ、何を買おうかと悩んでいた時に後ろから手が伸び勝手にコーヒー牛乳のボタンが押された。
驚いて後ろを振り返るとお腹を抱えて笑っている唯がいた。
「お前さぁ、ふざけんなよほんと。」
「いやね?あれコーヒー牛乳なんてあったんだーって思ってさ?見ようとしたらボタン押しちゃったんだよ」
「うそつけ、お前毎日コーヒー牛乳しか飲んでないじゃんか」
「えー、それは誤解だよー。ねぇこれいらないの?」
「もういいよ、俺牛乳苦手なの知ってんだろ。あげるよそれ。」
ラッキー!と言いながら唯は友達の元へ戻っていった。
僕は呆れながら自分の分と裕の分の飲み物を買って、教室に戻った。
 
彼女の名は藤代唯。唯とも幼馴染で、幼稚園の頃からの仲なので裕よりも長い付き合いになる。唯は僕とは違い、元気で活発な子なんだけれど、元々病気がちで体が強い方ではなかった。それもあってか校庭でみんなが遊んでいるような時も二人で教室で過ごすなんてことも多かった。なので女の子と話すのがちょっと苦手な僕だけど、唯の前ではいつもの僕でいれた。そんな存在だった。

裕が「遅い」と文句をたれてきたけど、「買ってきてやったんだからありがたいと思え」と飲み物を渡して、二人で昼食をとり終えた。
校内はあの話題で少しどよめきつつも、無事に一日の授業が終わった。
僕は部活に入っていなかったので、サッカー部の部室へ向かう裕也を見送り、そのまま家に帰った。

ニュースがあった翌日の今日はみんなあの話題に関心があったようだけど、あの後しばらく音沙汰はなく、徐々に僕らの記憶から消えていった。
きっとなにか悪い冗談だとその時僕も、多分他の人も思っていた。

そして突然、来たるべくしてその報せはやってきた。

赤い報せ、恐怖

約一ヶ月後のとある日曜日、その日は珍しく両親は買い物で出払っていて、家には僕しかいなかった。
リビングでぼーっとテレビを見ていたら、いきなり報道フロアのような場所にいる緊張した面持ちの女性が映っている画面に変わった。

「緊急速報です。たった今行われた会見で、尊厳死案が正式に施行されることが決定致しました。繰り返します。尊厳死案が正式に施行されることが決定されました。・・・」

はっとした。その話はもう忘れていた。
そこで初めてその案についての情報を調べた。
多くなりすぎた人口を減らそうという目的で発案されたこれは、日本国民から約3億人を無作為に選出し、安楽死剤投与によって死なせるもの。選出された国民のもとには「政府認定尊厳死決定状」というものが届けられるらしい。それを国民の間では実際のその紙の色、そして死を呼ぶものと掛けて通称「アカガミ」と呼んでいるようだ。

怖かった。まるで映画の世界の世界に迷い込んだようだった。
死ぬかもしれない。それがこんなに近くに来るなんて。
おばけとか、犯罪者とか、そういうものに対して感じる恐ろしさとはまた違った、
こんなことがこの国の中の正しさになっていって、それに殺されるような抗いようのない恐怖。
その時はただただ、何もできずにいた。

夕方になると父と母が帰宅した。あのニュースをもうどこかで知っていたのか、深刻そうな表情だった。
「ねぇ父ちゃん、あのアカガミってやつほんとに来るのかな」
「まだよく分からないけど、国の色々な機関があんな強引な事をすんなり許すとは思えないけどな。」
食事中になってもその話が気になってしまい、いつもほど食事が喉を通らなかった。
「とにかくお父さんも瑞希もさっさとごはん食べちゃいなさい。今考えたってどうにもならないんだから」
うちの家族はどちらかというと女性が強い。母ちゃんも姉の遥も基本的に何があっても狼狽することがない。僕と父は色々と考えてしまう方なので、こんな人が母で良かったなと、呑気にも思ってしまった。
でもやはりそんな母も気が気ではなかったらしく、姉に電話をかけていた。
姉は大学やアルバイトで忙しいらしく、しばらくこっちには帰ってきていなかったけれど、さすがに今回のことが不安で、明日帰省してくることになったらしい。

その夜、テレビでは日本各地で尊厳死案に対する反対運動が激化し、暴動も起きているというニュースが流れていた。
あまりにひどい場合は暴動を起こしていた人たちは警察に逮捕されるなんて話も耳にした。
きっとみんな必死なんだろう。一番人間らしい行動といえば人間らしい行動なのかもしれない。

お風呂を済ませてベッドに入ってからも、僕はまだその現実を受け止められずに、夢であるようにと祈った。
なかなか眠りにつくことはできなかったけど、気付いたら眠っていたようだ。

次の日教室に入ると、あの話題で持ち切りなのは以前と同じだったけれど、
話しているみんなの表情が明らかに深刻そうだった。
これは僕も含めてだけど、みんなずっと他人事だと思っていたことが実際自分に関係してくるかもしれないとなってくると、もうどうでもいいなんて言える人はいなかった。
まるで、漠然とずっと先にあると思っていたはずの「死」が突然目の前に現れた。そんな感覚だった。
生きている以上、常に死ぬ可能性はある。それを頭では理解している。
だけど、実際明日死ぬかもしれないと思って生きている人間なんて、病に侵されているとか特殊な状況じゃない限りいないだろう。
僕らは17、18歳にして、最も恐ろしい恐怖と対面していた。
こんな時に授業なんか受けてられないと、教室を出て行ったり、無断欠席はある程度いたらしいけれど、それによる暴力沙汰はうちの学校では起こらなかったようだ。
「裕、聞いた?僕たち殺されるかもしれないって。」
「あぁ知ってるよ。でもまぁ今どんだけ騒いだって国はこの方針を変えないだろ。」
「反対運動とかデモとかすごいらしいね、都会の方は。それにしても裕は落ち着いてるよね。」
学校中、いや日本中が恐怖で覆われているようなこの状況でも、裕は相変わらず動じていないように見えた。特に騒いでる様子にも怯えている様子にも見えなかった。
「俺だってそりゃ怖くて仕方ないけどさ、運命だろ。死ぬときは死ぬし、生き残るときは生き残るだけだよ。俺が後者だとは言い切れないけど。」
なんでこんなに俯瞰して物事を捉えられるのだろう。
裕は元々両親を幼くして亡くしており、祖父母とともに暮らしていた。
彼はあまり自分のことを語ろうとしないが、生死に関しては嫌でも向き合わなければならない人生を送っていたのだろう。
それもあってか、何事にも達観しているように見えた。

その日は生徒、教師も、共に動揺を隠しきれずにいた様子だったけど、通常通り授業は行われた。
みんな必死にいつもの日常を装っているようにみえた。
この現実と向き合おうと覚悟を決めたのか。あるいは、あれは何かの間違いだと疑っていたか。この時の僕は完全に後者だった。
それは人によって違うと思うけど、この非日常になってしまうかもしれない現実の中で、できるだけ日常を装おうと一生懸命なんだと思う。僕だってそうだった。
そしてその日、時間はあっという間に過ぎて、放課後になった。

「瑞希ー、今日部活休みになったから帰ろうー。」
「あ、ごめん裕。ちょっと課題残っててさ。これやんなきゃだから先帰っててよ」
「お前こんな時に勉強って。変なとこ真面目だよな。じゃまた明日な」
変なとこってのは余計だ。
さっきも言ったけど、こんなことがあってもやっぱり裕は相変わらずだった。
クラスメイトが続々と教室を出ていくなか、僕は机上の課題をすすめていた。
しかし、尊厳死案が正式に決まったことが頭から抜けず、課題はなかなか捗らなかった。
気が付くと時刻はもう完全下校時間になっており、教室には僕だけが残っていた。
さすがにもう帰ろうと思い荷物をまとめて廊下に出ると、そこにたまたま唯が通りかかった。
彼女も委員会で残っていたらしく、廊下には二人きりだった。
珍しく元気のなさそうな様子だったので声をかけてみた。
「唯、どうした?」
「あ、瑞希。ううんなんでもないよ」
唯は僕に気付くと驚いた様子で、一瞬で表情を笑顔に変えた。
「何でもない様子には見えないけど」
さっきの唯は普段見たことないような深刻な表情をしていたので心配だった。
「あはは、ばれたか。あの尊厳死案?だっけ。あんまり考えないようにしてたんだけどさ、すごい恐くて。友達と話してればなんとなく気が紛れるんだけど一人になるとどうもね。」
当然といえば当然の反応だ。
唯はこんな性格だけど17歳の女の子なんだ。
「きっと大丈夫だよ。反対運動だってすごい数起きてるらしいし。それ全部無視して実行なんてできないよ。中止になるさ、多分。」
「でも、実際決定されてるんだよ!?あたしも、瑞希も、お母さんやお父さんも、友達だってみんな死んじゃうかもしれないんだよ!?」
呆気にとられていた。唯はいつも声が大きいけど、こんな風に声を荒げているのを初めて見た。そして同時に、僕の中の忘れようとしていた恐怖が再び顔を見せた。
「あっ・・・、ごめん。あたし誰にもこわいって言えなくてさ。じ、じゃあもう帰るから、また明日ね。ばいばい。」
いつもは元気のない僕を叱ってくるような奴だったのに。
こんなに怯えている彼女を見るのは初めてで動揺していた。

そして輪郭の見えていなかった恐怖は、僕の中でその姿を現し始めていた。
考えていなかったわけじゃない。頭では理解していたんだ。
自分は死ぬかもしれない。それはわかっていた。
だけど自分の周りの人、大切な人も死ぬかもしれない。
自分のことで精いっぱいだった僕はそれを改めて理解した瞬間、また大きな、そしてどす黒い恐怖に覆われた気がした。

例えば家族が死ぬことになったら。
友人たちが死ぬことになったら。

そして唯が死ぬことになったら・・・・。

唯のことを異性として好きとか、嫌いとか、そういうのは思ったことがなかった。
あまりにも幼いころから一緒に居過ぎたし、彼女との思い出というと、情けない僕をいつも叱ってくる姿だった。そのせいなのかなとも思った。
こんな僕も恋愛の一度や二度くらい経験したことがある。なかなかうまくいかなかったけど。
そして同じように唯に彼氏ができたこともあって、その時はなんだか少し寂しいような、僕の方が唯のことたくさん知っているのに。という名もつけられないような感情になった。それはもう恋だという人もいるかもしれないけれど、そう簡単に僕の唯への思いは片付かなかった。

でも一つだけ言えるのは、唯は僕にとって、間違いなく大切な存在ということだ。

そんな彼女の命もどこかの偉い人達に天秤にかけられていると思うと、許せなかった。
唯には笑顔が一番似合うから、これからも笑ってほしい。笑っていてほしい。
ただ、そう強く思った。

その後、僕は職員室に課題を届けに行った。
職員室では今回の件についての会議なようなものをやっていた。
先生たちだって自分や家族のことで精一杯なはずなのに、こうやって僕らのことを考えてくれている。
すごいとも思ったけど、同時にかわいそうにも思えてきた。
無事課題を担当の先生に届け終え、時刻は19時を回ろうとしていた。
いつの間にか辺りは暗くなっており、家へ帰った。

「ただいまー。」
「おかえりー。遅かったわね。」
「あれ?姉ちゃん帰ってくるって言ってなかったっけ?」
「それが帰ってこれなくなったらしいのよ」
姉は今日帰ってくる予定ではいたんだけど、いつアカガミが届くかわからなかったし、
国から、アカガミは住民票に記載されている住所の元に届けられるから、しばらくはその住所の場所にいるようにと呼びかけがあったので、帰省することが難しくなって帰ってこれずにいた。
母はとても心配そうにしていた。僕だって父ちゃんだって姉のことが心配だったけど今僕らはどうすることもできなかった。


それからのこと、テレビや新聞では尊厳死案を取り挙げたものがほとんどになってきて、反対運動は激しさを増していたらしい。
それによって、政府が考え直すことになればいいなと思っていたけど、案の定そんな簡単なものではなかったのだろう。反対運動が法的に禁止され、公的に処罰されるようになり、政府も力尽くで反対組織を潰しにいっているというのが見て取れた。
その後、反対運動は段々となくなってきて、僕はそれが非常に恐ろしい光景に見えた。
それから二週間ほど経ったけど、実際に僕ら国民にアカガミは送付されてくることはなかった。
なにかに怯えるということは存外、心も体も疲れるもので、みんな疲れ切っていたのか、
段々と普段の様子に戻っていった。

そしておよそ二週間後・・。
---------------------------------------------------------------------------------

希望、絶望


その時間のニュース番組はほとんど同じ会見の生中継をしていた。
「えー、以前実施を決定した尊厳死案ですが、明日より順次送付することが決定致しました。送付は東京都から順に送付される予定になっており、現在各地に届く明確な日程は決まっておりません。次に・・・・・・・・・・・・・・」
ついに始まった。
始まってしまったんだ。
僕らの抱いていた淡い期待は粉々に砕かれ、無残に散っていった。
ニュース番組は家族で見ていて、誰も言葉を発することがなかった。
その夜、テレビは通常の予定を変更し、しばらく尊厳死案に関しての特別番組が放送されていた。その特番ではこの決定に怒号を飛ばし続ける人、冷静に現在状況を分析し続ける人、その出演者の姿は様々で、それを見て改めて日本中が巻き込まれているんだと理解した。

その日の僕の気持ちは、いや、わざわざ言うまでもないだろう。
ずっと疑い続け、そして希望を信じ続けていたんだ。
言葉を発する余裕もなく、いつもよりずっと早く床に就いた。

翌日の朝のニュース番組で、初めてアカガミが届けられたのは都内に住む70歳ほどのおじいさんだったという報道があった。画面には報道陣に囲まれたおじいさんの姿が映っていた。意外なことにそのおじいさんの表情は穏やかなもので「自分の命が未来のある若者の命の代わりになれるならそれは願ってもないことだ」そんなことを言っていた気がする。
本当にこれが死を目の前にした人の姿かと、目を疑った。
そして同時に悲しくなった。
自分が唐突に、理不尽に殺されしまう、しかもそれを見世物のように取り扱かわれているというのに、そんな状況でも見ず知らずの他人の幸福を願えるこんな素晴らしい人が、よりにもよって殺されてしまうということが無念で仕方がなかった。

その後も続々とアカガミが届けられた人が増えてきているらしかった。
幸運なことにも、東京に住んでいる姉の元にアカガミが届くことはなかった。
僕らは家族の中で一番最初にアカガミが届く可能性がある姉のことが心配で気が気ではなかった。
毎晩母は姉と連絡を取り合っていたけど、届く様子は無く、送付先が東京から段々離れていった時初めて安心することが出来た。

その時期のテレビ番組はほとんど尊厳死案のことばかりで、そのせいで嫌でも辛い現実に視点を合わせなければならない生活が続いた。
テレビに出ている芸能人たちにもその火の粉は降り注いでいたらしい。
撮影中の映画やドラマ、バラエティやラジオの出演者降板の報せがたて続いていた。
僕は基本的に芸能事に関しては疎いので、降板の出演者の名前を見てもいまいちピンと来なかったけど、僕がよく聞いている歌手も選ばれていたらしく、それはショックだった。

送付が決定したあの日から約一週間が過ぎたころ、一番最初に選出されたあのおじいさんの処置が無事完了したという情報がニュース番組で取り上げられていた。
知り合いでもなんでもないけれど、僕は確かにあのおじいさんの存在を知っていて、そして確かにあのおじいさんは死んでしまった。
でもこの前あの人が言っていたように、おじいさんの命のおかげで、必ず誰かの未来は救われた。それを信じ続けたかった。

その頃、季節はもう秋に入りかけていた。
いつ来るかわからないあの死の宣告を恐れながらも日々は待ってくれるわけがなく、流れるように時は過ぎていった。
あれからも順調に尊厳死案の処置は進められており、亡くなった人は一億人を超えたらしい。
僕が住んでいるのは東北地方にある小さな町で、その町周辺でアカガミが届けられたという報せはまだ入っていなくて、裕は「この町は小さいからきっと忘れられてるよ」なんてこと言ってたけど、本当に心からそうだったらいいなと思った。

今まではただ平凡で、普通で、同じことを繰り返す毎日が苦痛だった。
だけど、こんなことになってしまって。
今になってやっと日々生きることの幸せさを理解した。
人間という生き物は哀れなものだ。
大切なものは無くして初めて気が付くと言うけど、本当ににそうなんだと思ってしまった。
そしてこれからも強く、そう思い続けることになる。
---------------------------------------------------------------------------------

訪れた日

アカガミの送付が段々と首都圏から離れ、その方向は東西南北各地に散らばっていった。
そしてもちろん僕が住んでいる東北地方にもその手は伸びてきていた・・・

その時はいつものように授業を受け、帰りのホームルームをしている時だった。
「みんなに大切な報告があります。」
突然、担任の先生が深刻そうな表情を浮かべながら僕らにそう言った。
ガヤガヤとしていた教室内は一瞬で沈黙に包まれた。
「明日からこの学校はしばらく休校となります。」
教室の中がざわついた。みんな尊厳死案の影響だろうと一瞬で理解できただろうけど。
「正式には自由登校という形になります。登校したい生徒がいれば登校できますが、強制ではありません。先生という立場でこんなことを言うのはよくないことかもしれないけど、勉強のことは忘れてください。友達と過ごしたり、家族で過ごしたり、一人で過ごしたり。過ごし方はみんなの自由です。でもこれだけは言わせてほしいです。後悔の無いように過ごしてください。」
なんだかとても意味深な発言に聞こえた。
まるで死ぬことに決まった人が、このクラスにいるような、そんなことを思わせる言い回しだった。
「僕はみんなの担任になってまだ半年ほどだったけど、とても素敵な思い出が出来ました。ありがとう。」
先生は微かに、目に涙を浮かべているように見えた。
僕らの担任の先生はまだ先生になって間もない若い男の先生だった。確かに色々戸惑っていたようだったけど、いつも一生懸命で常に僕らのことを考えてくれていると思えるいい先生だった。学校の先生っていう生き物が僕は苦手だったけど、この先生は好きだった。そんな人だった。

放課後、クラスメイトから、クラスの中で一人にアカガミが届いていることを聞いた。
その子は野中さんという。女の子だ。
野中さんは両親の仕事の都合で、高校一年生の時にこの町に引っ越してきたと聞いたことがあった。僕はあまりしゃべったことがなかったけど、物静かで頭が良い印象だった。
彼女はその日学校を欠席していて、野中さんといつも一緒に居る松永さんからその情報は広まった。松永さんはとても心配そうだったし、親しい友人の死がショックだったんだろう、急に泣き出してしまっていた。
きっともう野中さんに僕は会うことがないのかもしれない。
僕だって、クラスのみんなだってショックを隠し切れずにいた。

その後、僕には確かめたいことがあった。
隣の隣の教室へ様子を見に行ったが、そこで僕の目的は果たされなかった。
今日一日、唯の姿を見ていなかったのだ。
彼女は元々体が弱くかったのもあって学校をよく欠席していた、だから学校にいないのはよくあることだった。
しかし、このタイミングで学校を休んでいるということは・・・・・。
悪い方向にしか考えられなくなった。

そして同時に、僕や家族の元にアカガミが届いているかもしれないことを思い出した。
僕は自身を、自分本位な人間だと思っていたけれど、他のことに気がまわっていると案外自分のことを忘れてしまうらしい。
そして不安に煽られ、急いで家に帰った。

玄関を開けリビングに向かい、そこにいた母に叫んだ。
「母ちゃん!!アカガミ、来てた!?」
驚いた顔をして、母が振り向いた。
「瑞希か、びっくりした。大丈夫よ、うちには届いてないわ。」
片道約20分の道を全力で走ってきて息が上がりきっていた。
ずっと入り切っていた体中の力が抜け、きつく痛んでいた脇腹を抑えながら床に倒れこんだ。とにかく安心した。
「そっか、よかった。とりあえず一安心だ。」
「そうね、それにしてもあんたがそんなに走って帰ってくるなんて珍しいわね。心配してくれてありがとうね。それはそうとして、とりあえず靴を脱ぎなさい。」
急ぎ過ぎて靴を脱がないままリビングに上がってしまったらしい。その後、床を掃除させられた。

とりあえずは一安心した。送られてくる場合は市町村でまとめてその日に送付されると言われていたからだ。だから逆に言うとこの町でアカガミが届けられることが決まってしまっていた人は今日中に届けられるということになるわけだ。
そうなると、心に引っかかっているものがなんなのか、すぐに気付くことが出来た。
唯に電話を掛けてみた。だけど唯が電話に出ることはなく、折り返し電話が掛かってくることもなかった。
本当に心配だった。今すぐにでも唯の元へ行きたいと思ったけど、夜も更けていたのでとりあえず今日は大人しく寝ていようと決めた。
自分でもこんなにも唯のことを心配しているというのがなんだか不思議に思えた。
とりあえず明日唯から返事がなかったら、唯の家へ行ってみよう。
そう決心して、眠りについた。

その日は珍しく、長い夢を見た。
---------------------------------------------------------------------------------

昼下がりの宵闇


僕は夢を見ていた。
雨が降っている中、傘もささず僕は大きな川の畔に女の子と立っていた。
そして橋を渡って対岸へ進もうとする彼女を僕はなぜか必死に止めていた。
しかし、彼女は「大丈夫」と笑い、僕の手を振りほどいて向こう岸へ渡って行った。
何故か僕はその後を追って行けずに、ただ泣きながらそこに立ち尽くしていた。

目が覚め、それが夢であったことを知った僕は安心し、そしてこれが何かの前触れなのかと勘ぐってしまった。
あの女の子が誰だったのか、それは全く分からなかった。

意識が朦朧としながらも携帯を覗き込む。
相変わらず唯からの連絡は来ていなかった。
時間が8時半を過ぎていたことに焦ったけど、今日から学校が休校になっていたことに気付きホッとした。

とりあえず部屋着を着替え、リビングに降りて行った。
父も母ももう仕事に行っていたので、作り置いてあった朝食をとりながらニュースを見ていた。
もうすでに全国にアカガミが届けられ、亡くなることが決まった人の人数が2億人を超えたとアナウンサーが伝えていた。
現在は反対運動もほとんど起きていないらしい。
革命を夢見た人々も圧倒的な権力、圧力の前では無力だと思い始めてしまったのだろうか。
そんなニュースが続き、偉そうな人があーでもない、こーでもないと論議を交わしているのを見続ける気になれず、テレビを消した。

ともかく僕の心境としては、なによりも唯のことが気がかりで仕方なかった。
とりあえず会いに行ってみよう。話はそれからだ。
朝食を済ませ、歯を磨いて出かける準備をした。
その時になっても唯から返信は無かったので、一応今から唯の家に向かうと連絡を入れ、家を出た。
唯の家はうちから歩いて30分ほどの住宅街にあった。


町を歩いていると、心なしかこの町自体もいつもより活気がないように思えた。
僕は周りに対しての心配でいっぱいいっぱいだったけど顔をあげてみると、この国にいる人全てに矛は向けられているということを思い出した。

犬を連れているおじいさんおばあさん。

職場へ向かうサラリーマン。

子供を幼稚園へ連れていくお母さん。

みんな誰かの死を背負っているのかもしれないと思うと
僕より辛い人はきっと沢山いて、それでも前を向いているんだと気付いた。
だけど尊厳死案が無かったとしても僕が知らないだけで、
誰かは、大切な人の死を背負っている人はいるのかもしれない。
なんとも言葉にし難い気持ちだったけど、ただ今は僕に出来ることを。

唯の家への道を半分ほど進んだころだっただろうか、携帯に唯から着信が入った。
「もしもし瑞希?連絡くれてたのにごめんね、バタバタしてて。」
「あ、うん。ちょっと心配でさ。大丈夫?」
「うん、大丈夫だよありがと。でもちょっと今うち都合悪くて。港の近くのちっちゃい公園あるじゃん?そこ向かうからそこでもいい?」
「わかった。今からそっち向かうね。あ、急がなくていいから気を付けてね」
「ありがと!じゃあ、あとでね」
ということだったので方向を転換し、海沿いの道へ出て公園に向かった。

公園に着いたのは僕の方が早くて、ベンチに腰掛けて読書をすることにした。
それから10分ほど経って唯が来た。
「ごめんー。待った?」
「ううん、僕も今来たとこだよ。」
唯はあー疲れた。と言いながら僕の横に腰掛けた。
「ごめんね。ほんと心配かけちゃって。」
「ううん、何事も無かったならよかった。」
唯は僕の言葉に反応し、複雑な表情を浮かべていた。

さっきの電話の声を聞いてから、正直僕は安心しきっていた。
いつも通りの元気な唯だ。
昨日はきっと、いつものように体調を崩してしまっていたんだろう、と。
だけど、唯がそんな表情をした瞬間、悪い予感が胸をよぎった。

ついこの間まで暑いくらいだった潮風が、もう冷たく、そして強くなっていることに気付いた。
---------------------------------------------------------------------------------

涙色、茜色


唯と出会ったのは、物心も着く前の時だったからあんまり覚えていなかった。
多分保育園の頃だったかな。
よくみんなで遊んでいて、その中の一人に唯がいた。
唯はいつもジャングルジムの頂上にいて、ずっと空を眺めていた。
その理由は分からなかったけど、なぜかそんな彼女が幼い僕には魅力的に見えた。
そのまま同じ小学校に上がり、小学5年生上がった頃くらいに、唯は体が丈夫じゃないということを初めて知った。
今までずっと一緒に遊んでいたのに彼女はそんな素振りを見せなくて、それを知ったときはショックだったことを覚えている。
中学に上がってすぐ、彼女は入院することになった。
詳しいことはわからなかったけれど、唯は「検査するだけだから大丈夫」といつものように笑っていた。
その1週間後くらいには、学校にまた元気な姿を見せていた。
少しずつ大人になっていった僕らは、付き合う友達も徐々に変わってきて、以前ほど一緒にいることがなくなってきていた。
同じ高校に進学し、彼女はこれまで短かった髪も伸ばして、なんというか綺麗になった。
でも唯が僕に接する態度は今までと同じで、相変わらずいい友達という関係だった。

唯とはずっと友達でいれると思っていた。
だけど、この時、横に座っている唯を見つめて初めて気づいた。
僕はもう彼女に対して特別な感情を抱いてる。

人生のほとんどを共に過ごした彼女のことが、どうしようもなく、好きだ。

これからも唯と一緒に居たい。
だからこそ、ちゃんと聞かなきゃいけないと思った。
それを聞くのはとてもこわかったけれど、彼女に恋をしている僕だからこそ、覚悟を決めなければならない。
片手に収まるほどの僕の小さな勇気を振り絞って、聞いてみた。


「ねぇ唯。」

・・・・・きっと大丈夫。

「ん?」

・・・・・・こんなに笑っているじゃないか。

「唯に聞きたいことがあったんだ。今日」

・・・・・・今日だって元気そうだし。

「なに??」

・・・・・・ほら、笑ってる。大丈夫。



「唯、死なないよね?」


・・・・・なにばかなこといってるのって言うよね?



「・・・・・死ななきゃいけないんだってさ。あたし。」




胸のあたりが、大きく、早く、そして強く鼓動した。
そんな気がしていたんだ。
唯の心が、僕に伝わっていたのかもしれない。

「あと一週間もないってさ。さすがにちょっと早すぎだよね。」
微笑む彼女の表情とは裏腹に、彼女の頬には雫が流れていた。

その瞬間、僕の中で何かの糸が切れた。
涙が止まらなかった。

「なんで瑞希が泣くのよ。」

唯も我慢していたんだろう。
大粒の涙が零れだしていた。

僕の右手と彼女の左手は重なり合っていた。
彼女の温度が掌に伝わってきた。
これから確実に失われてしまうであろうこの温かさがとても、悲しかった。


二人とも泣き疲れて、そこで少し眠ってしまっていたらしい。
気付いたら空は綺麗な茜色になっていた。


あぁ、僕はこの子のことが好きなんだ。
今まで心の隅でもぞもぞとしていたものの正体が今、たった今やっとわかった。
あれはきっと恋心だったんだ。

知ってしまった。僕が唯のことが好きだということに、僕が気付いてしまった。
大切な人の存在を知ってしまった。

つながりというものは、いつか必ず途切れてしまう。
持ってしまった瞬間、離れることが約束されているんだ。

決して報われることのないであろう僕ら。
どうせ離れなければならないこの運命なら、最初からこんな気持ち知らなければよかった。

怒りでも、悲しみでも、憂いでもない何かが、僕の心で渦巻いていた。


「あと何日あるの?」
「五日だって。」
「そっか。」
「うん。」

この抗いようのない現実で何もできない自分が、とても無力に思えて情けなかった。

僕らはつないだ手を強く握りしめて夕日が沈むのを見ていた。

彼女が居なくなった世界になっても
きっと今までと同じように日は沈み、日は昇るんだろう。

でも僕は。
僕はそんな世界でこれからも生きていけるのだろうか。

あまりにも残酷なこの世界。
壊せるものなら、こんな世界、地球ごとぶっこわしてやりたい。
でもそんなことできるわけなく、
ただただ涙を流し、残りの時間を見つめることしか、僕らには出来なかった。

---------------------------------------------------------------------------------

笑顔の理由


もう辺りは暗くなりはじめていた。
唯の親御さんが心配すると思い、唯を家まで送っていった。

「あら、瑞希くん。久しぶり」
「お久しぶりです。こんな時間まで唯のこと連れ出しちゃってすみません。」
「いいのよ、むしろ瑞希くんとだったなら私も安心よ。」
唯のお母さんとは幼いころから面識があった。この親あってこの子あり、と言えるほど親子で性格がそっくりで、とても明るい人だった。
しかし、愛娘が死ぬことになってしまったこの状況で、明るい自分を保っているのはさぞかし辛いことだろう。その表情は疲れ切っていた。
僕はそんなお母さんに、どんな言葉をかけていいか分からず、ただ頭を下げて自分の家へ帰っていった。

家に着くと、父も母も仕事を終えて家に帰っていた。
「おかえり、今日から学校無かったんでしょ?」
「うん。・・ごめん、今日夕飯いらないから。」
家族はこんな僕を心配そうな目で見つめているのは分かっていた。
だけど、申し訳ないけど今僕は家族に気を遣えるほど余裕はなく、黙って部屋に戻った。

唯には連絡が出来ずにいた。
後悔しないように、とあれだけ思っていたはずなのに、実際に唯がいなくなってしまう現実を間近にしてしまった今、心は身動きの一つも取れずにいた。
今日唯と会うまであったはずの大きな確信とか、覚悟とかっていうものが、崩れかけていることが分かった。
それほどまでに唯が死んでしまうという現実がショックだった。

真っ暗な部屋の中、机の引き出しを開け、以前裕がうちに置いていった煙草を取り出した。
窓辺に座り、煙草に火をつけた。
「ゲホッ、ゲホッ」
喉が焼けるように痛いし、口の中は気持ち悪いし、煙が目に染みて涙が出た。

痛みが。苦しみが。・・・・欲しかった。

この現実で僕の心はとてつもなく痛んでいたし、苦しかったけど、それは精神的なものだ。
何か体で感じる痛みがないと、ひとり悲しんでいる唯に置いて行かれる。
僕が痛みを伴うことで、やっと唯は一人じゃない。と言える気がしたんだ。
こんなことしても無意味だということもわかっていたし、普段の僕は無意味だと思うことはやらない主義だったけれど、体が勝手にそうしていた。
唯が違う世界に行ってしまうような気がして、
僕だけ取り残されてしまう気がして、
とてもこわかった。

煙草を飲みかけのペットボトルの中へ入れると、頭がくらくらしてきてその場に倒れこんでしまった。そしてそのまま眠りについた。


翌日、床で寝ていたからか頭と体に鈍い痛みを感じていた。
そこに一通の着信が入った。
「もしもし、瑞希?昨日はありがとうね。昨日家に帰ってから急に倒れちゃってさ、夜中救急車で運ばれちゃって、また今日から入院することになっちゃったんだ。」
電話は唯からだった。
耳から入ってきた情報がなんなのか頭で理解出来ず、混乱していた。
「え・・。だって唯は・・・。」
「うん。だからね、それはお医者さんと家族と相談してこれからのことは決めることになったの。」
唯に病院名を聞くと、新幹線が止まるような大きな駅の近くにある有名な大学病院だった。
この時は、とにかく唯の元へ急ぐことが最善だと思い、病院に向かった。

うちの最寄りの駅から30分ほど電車に乗った先にその駅はあった。
病院の受付に唯の名前を伝え、唯のいる病室へ向かった。
ノックをすると扉の向こうから唯のお母さんの声が聞こえ、扉を開けてくれた。
「あ、瑞希くん。心配ばっかりかけちゃってごめんなさいね。」
「いえ、こちらこそ突然お邪魔してしまってすみません。」
「うぅん、そんなことないわよ。唯は瑞希くんが来てくれるって嬉しそうにしてたもの。」
「ちょっとお母さん!余計なこと言わないでよもう。」
あはは。と笑いながら唯のお母さんは売店に出かけて行った。
とりあえず二人とも見た目は元気そうで安心した。
「ありがとね瑞希。来てくれて。」
「ううん。そんなことより体調は?」
「うん。正直あんまりよくないみたいでさ。」
「そうなんだ。っていうか僕、唯が何の病気かっていうのも知らないんだけど。」
今までずっと唯の体が丈夫じゃないことは知っていたけど、その詳細までは聞いたことがなかった。今まで何度も聞いていたけれど、その度に唯にはぐらかされていた。
「そんなことはいいの。どうせもう死んじゃうんだしさ。」
いやにその表情は明るかった。
強い光はそれに比例して影も濃くなる。なぜだかそんなことを考えていた。
そして彼女は自分のあまりに短すぎる余生を笑って過ごそうとしているということが伝わってきた。

そんな笑顔で見られたら、もう僕は君の前で悲しい顔はできないじゃないか。

心の中でそう呟くと、さっきまで崩れかけていた覚悟を、より一層強く固めた。
唯の余命は今日を入れて残り4日、下を向くのは唯が居なくなってからでいい。

お母さんも病室に戻ってきて、3人で他愛もない話をしていた。
唯は昔から高いとこが好きだった。とお母さんが言うと、
それは唯がお馬鹿さんな証拠ですよ。と笑いながら僕が言って
そんな僕にチョップしてくる唯。
とても温かい、優しい時間だった。

あっという間に面会が終了の時間になっていた。
「瑞希、今日はほんとにありがとう。なんて言っていいのかわかんないけどさ、瑞希がいてくれてあたし良かったよ。ほんとに」
少し恥ずかしそうに、だけどまっすぐ僕の目を見てそう言った。
その言葉でまた泣きそうになってしまったけど、歯を食いしばり、涙を堪えた。
「大袈裟だよ唯は。また明日も来るから。」
「うん、待ってる。早く来てね。」
満面の笑みを浮かべた唯がとても愛らしかった。
お母さんに挨拶をして、僕は病院を後にした。

帰りの電車から見えた夕焼けが、昨日唯と見た景色と重なってまた悲しくなった。
けれど、僕は最後まで彼女の横で笑っていようと誓った。
部屋から持ち出した煙草を握りつぶし、駅のごみ箱に捨てて帰った。

町を眺めていた太陽はゆっくりとその姿を海の向こうへ沈めていった。

そしてこの日が、僕が唯と居ることが出来た最後の日となった。
---------------------------------------------------------------------------------

雨空の下で

その日は雨だった。
優しい雨がしっとりと優しく町を包み込んでいた。
やけに目覚めがよくて、起きてから何故か僕は部屋の窓から薄暗い雨空を見ていた。
少し肌寒い風が部屋に流れ込んでくる。
その時はまるで、この星に僕しかいないんじゃないかと思えるほど、静かな朝だった。

相変わらず両親は仕事で出払っていたので、一人で朝食を食べた。
シャワーを浴び、着替えてから、唯に病院に向かうと連絡を入れて家を出た。

今日は唯と何をしよう。
彼女は車椅子生活を余儀なくされているから、あまり無理に連れていくことはできないけど、この雨空を近いところから一緒に見たいな。なんて思っていた。
少しずつ僕の気持ちは前向きになってきていた。
やっと本当の意味で唯の命と向き合い始めることが出来たんだと思う。
もちろん悲しくて仕方のないことは変わらない。
けれど、悲しむことと向き合うことっていうのは同じではないんじゃないかと思い始めた。
だから一生懸命最後まで生きる彼女の姿を心にきちんと刻むために
僕も一生懸命彼女と向き合うことに決めた。

昨日と同じく電車で病院の最寄り駅まで向かい、そこから歩いた。
もう唯の病室は分かっていたので、受付に聞くことなく直接病室に向かった。

ノックをしても返事がなかったのでおかしいなと思い、扉を開けた。

そこに唯の姿は無く、あったのは片付いたベッドだけだった。
近くを通った看護師さんに
「あのすいません、この病室にいた藤代唯ってどこに行ったんですか?」
と聞いた。そうしたら
「藤代さんは、昨晩お亡くなりになられました。」

わからなかった。この人が一体何を言っているのか。
そして目の前が真っ白になって、そこに倒れこんでしまった。

「大丈夫ですか!?すみません!誰か来てください!!大丈夫ですか!?」
朦朧とした意識の中で看護師さんの声が聞こえた。
ごめんなさい、大丈夫です。と言いたかったんだけど、体が言うことを聞かず、そのまま意識を失ってしまった。

目覚めると僕は病院のベッドの上に居た。
倒れてから5分ほど経っていたのだろうか。
ベッドの横で唯のお母さんがうずくまっていた。
「あれ?お母さん?」
「瑞希くん!大丈夫?ごめんなさい、ショック受けちゃったわよね。」
聞くと、僕が倒れこんだ事をを病院内にいた唯のお母さんが知って、ずっとそばにいてくれたらしい。
「あの、僕。すみません、余計な心配かけて。」
「ううん、いいのよ。それに瑞希くんにはしっかり話さなきゃと思ってたの。」
その部屋は病院の先生が気を回してくれたらしく、個室だったので気兼ねなく話を聞くことが出来た。
「昨日の夜中にね、急に容態が悪くなったって病院から連絡が来て、急いで駆け付けたんだけど・・・・。間に合わなかったの。」
「病気で、ってことですよね?僕、唯の病気のこと知らなくて。聞いても教えてくれなかったんです。」
「私も唯から、瑞希には教えるな!ってきつく言われてたわ。・・・・・・癌だったの、肝臓の。」

・・・知らなかった。癌だなんて、そんなのドラマの中だけだと思っていた。
彼女は理不尽な死に脅かされるだけでなく、そんな大きな病気とも戦っていたのか。

悔しくてたまらなかった。なにも気付いてやれず、何もできなかった自分が情けなくて、苦しかった。
そして、ずっと堪えていた涙が少しずつ頬を伝い始めた。
そんな僕を見てお母さんは、優しく笑っていた。
「ごめんね、心配してくれるのわかってたんだけど。だからこそ唯は瑞希くんにこれ以上心配かけたくないって言って聞かなかったの。」
最後まであいつは、唯は僕のことばかり心配していたんだ。
唯のお母さんによると、元々体が弱かったのはあったけど癌が発覚したのは本当に最近のことらしい。もうその時には癌は末期にまで進行していたらしく、正直安楽死が先か、病死かわからない状況だったらしい。
「ずっと辛そうにしてたのに、瑞希くんが来てくれるって知ってからあの子、すごい元気になったのよ。最後にあんな幸せそうな唯を見れて私・・・・・」
ずっと笑顔を保っていたお母さんもついに泣き出してしまった。
きっと昨日からずっと泣いていたんだろう。
そんなお母さんに僕は言葉の一つもかけてあげることが出来なかった。

「きっと唯は瑞希くんのこと大好きだったんだろうね。」
むしろ僕が励まされていた。勇気づけられていた。
「僕も唯のこと好きです。今も変わらず好きです。」
こんなことを言う必要があるのかないのかは別として、これだけは伝えておきたかった。
お母さんはありがとう。と微笑むと鞄の中からある手紙を取り出した。

「昨日瑞希くんが帰ったあと、唯が瑞希くんにって手紙書いてたの。あたしが死んだらこれ瑞希くんに渡してくれって言われてたの。よかったら読んであげて。」
水色のかわいい封筒だった。少し驚いたけど、唯が僕のために書いてくれたと思うと嬉しかった。
「お母さんも一緒に読みませんか?」
と聞くと、いいの?と嬉しそうにしていたので一緒に読むことにした。
手書きで「瑞希へ」と書かれた封筒を見て、読んでしまうと本当に終わってしまう気がして一瞬躊躇ったけど、その封を開けて手紙を取り出した。
---------------------------------------------------------------------------------

手紙


----------------------------瑞希へ
突然ごめんね。瑞希に伝えたい事がまだまだ沢山あるんだけど、時間は待ってくれないみたいだから手紙を書きました。
今これは病院のベッドの上で書いています。

瑞希とは小さい頃からずっと一緒だったね。
あたしは昔からいつも瑞希に文句ばっかり言っていた気がします。
「もっと男らしくしろ」とか「もっと強くなれ」とかね。
それで喧嘩とかもよくしたね。ごめんね。あたしはちょっと普通の女の子より気が強かったから。笑
でもあたしは瑞希のこと、本当に優しい人だと思っています。
優しい人なんて、この世界にはいっぱいいるけど、瑞希みたいに本当に心が優しい人はあんまりいないと思います。
そして、そんな瑞希のことがいつの間にか好きになっていました。
今ではもっと早く言えばよかったなーって後悔しています。
二人で水族館とか、遊園地に行ったりするのが憧れでした。
でもこの気持ちを伝えたらあたしたちの関係が壊れちゃうんじゃないかって怖くて、言い出すことが出来ませんでした。ごめんね、ちゃんと言えなくて。

でもあたしにアカガミが届いたって瑞希が知ったとき、
普段あんまり泣かない瑞希が泣いてくれたよね。
本当に嬉しかったです。
でも同時に、そんな瑞希の前からいなくならなければならないあたし自身の運命を呪いました。
病気のことはもうお母さんから聞いちゃったかな?
それも黙っていてごめんなさい。
もうこれ以上、瑞希には心配かけたくなかったんだ。
アカガミにも、病気にも命を狙われてしまうなんて、前世でとんでもないことでもしたのかな。笑
実は怖かったし、苦しかったし、悲しかったです。
なんでこんなことになっちゃったんだろうって毎日泣いていました。
でも瑞希がそばにいてくれて、本当に心強くて、気持ちが少しだけ楽になりました。
だから今は残りの4日間を思いっきり生きたいって思ってます。
明日も瑞希は来てくれるみたいだから、とっても楽しみです。
車椅子になっちゃったからあんまり外出はできないけど、一緒に綺麗な空が見たいなぁ。

本当はもっともっと一緒に居たいんだけど、あたしはこれから多分死んでしまいます。
わからないけど、友達とか、家族とか、きっと悲しむかなって思います。
その時には、優しく励ましてあげてください。
幽霊になってみんなのこと見守ってるよって言ってあげてください。笑
あ、もちろん瑞希のこともちゃんと見てるからね?
あたしが死んだことで、きっと瑞希は悲しんでしまうと思います。
それはあたしからしたら嬉しいことだし、ありがたいんだけど、
瑞希にはこれからもちゃんと生きてほしいです。
瑞希は割と生きることに関しては不器用だから、

いっぱい悩んで、
いっぱい苦労して、
いっぱい挫折して、
いっぱい落ち込んで。

いっぱい笑って、
いっぱい楽しんで、
いっぱい幸せで、
いっぱい幸せになってほしいです。

あ、あたしからの最後のお願い、いいかな?
たまにはあたしのこと、少しでも思い出してくれると嬉しいな。
辛い時でも、悲しいときでもいいです、もちろん嬉しい時でもね。
あたしのこと忘れないでいてくれたら、それだけであたしは充分幸せです。

こんなあたしとずっと一緒に居てくれてありがとう。
ちゃんとあたしの命と向き合ってくれてありがとう。
本当に瑞希と出会えて良かった。

心から瑞希のことが大好きです。

今までありがとう。

さみしいけど、さようなら。
                           藤代唯より。

---------------------------------------------------------------------------------

さみしいけど、さようなら


「・・・・なので冬休みに入ってもしっかり気を引き締めた生活を心掛けるように。」
「起立、気を付け、さようならー。」

「瑞希ー、帰ろうぜー。」
「うん、帰ろー。」
うちの高校は明日から冬休みに入る。
少しずつだけど、僕らは以前の平和な生活を取り戻しつつあった。

あれからもう三ヶ月が経った。
あのまま無事にあの案件は実施され続け、尊厳死案は終了した。
僕のクラスでは三人がアカガミで亡くなった。その内の一人は当時の担任の先生だった。

その後、改めて国のお偉いさんたちが尊厳死案についての議論を交わし、あの案件は強引過ぎたものだったという結論に至り、あれに関わっていた政治家はそれぞれに処分を受けることになったらしい。
国民のほとんどが「ふざけるな」とか「取り返しのつかないことを」っていう反応を示していたけど、正直僕はもうどうだってよかった。

唯が死んで、しばらくして葬式が行われた。
葬式には彼女の友人、クラスメイト、部活の後輩、たくさんの人が訪れ、その早すぎる死に涙を流した。
その人たちの中にも、きっと他に身近な人間の命の終わりを経験している人もいたはずなのに、それだけたくさんの人が涙を流している光景をみて、彼女はやっぱり色んな人から好かれていたんだなと思い知った。
僕は会場の後ろの方で、ただただ彼女が安らかに眠れるように祈った。

あの手紙を読んだ後、僕と唯のお母さんは次第に溢れて止まらない涙を流し続けていた。
弱々しく、だけど力強い彼女の文字。
数滴、雫が零れたような濡れ跡。
消しゴムで所々黒くなっていた紙。
手紙のどこからも彼女の命を感じるようだった。

唯は僕のことを好きでいてくれた。
心は後悔の念で押しつぶされそうになった。なんでもっと早く僕が唯のことが好きだとはっきり気が付かなかったのだろうか、と。
だけどそれ以上に、心を温かい毛布でくるんでもらったような、そんな気持ちになった。
その言葉だけじゃなく、彼女からの手紙は僕にこれから生きていくためには充分過ぎるくらいの勇気をくれた。

あの手紙は唯のお母さんが「瑞希くんに持っていてほしい。」と僕に預けてくれたけど、最初に読んだあの時以来、手紙は開けていなかった。
しっかりと前を向いて生きていくと誓ったから。

「お前さ、冬休み何すんの?」
「うーん、あんまり考えてない。だけど、冬休み中にはこれからのことちゃんと決めなきゃなーって思ってる。裕は?」
「俺はバイトかなー。まぁ暇になったら連絡するわ。」
裕は今日用事があるらしく、校門を出たところで別れた。

さっきまで降っていた雨は上がり、美しい夕焼け空を見て立ち止まった。
少しだけ、涙が出た。
きっとこれが唯を思って流す、最後の涙だろう。

唯。
大丈夫、もう心配いらないよ。
君がいなくなったこの世界を、きっとこれからも生きていくから。
だからもうゆっくり休んでね。
ありがとう、本当にありがとう。
さみしいけど、とってもさみしいけど、
さようなら。

---------------------------------------------------------------------------------

さみしいけど、さようなら

「さみしいけど、さようなら」
読んで頂き、ありがとうございました。
もしかしたら、これからもまた、所々修正を入れるかもしれませんが
とりあえずここで瑞希と唯の物語はおしまいです。

このお話の元は、私が夢で見たお話でした。
その夢が覚めた瞬間、すぐにメモをとり、これを元に物語を書こうとおもいました。
それから約半月ほどです。
如何だったでしょうか?
ほぼ初めての作品でしたので、読者の方々にどういったことを伝えられるかというのが全く想像がつきませんでした。なので自分が思うように書き続けてきました。

実際にこの作中のような状況になることはないと思います。
ですが、自分の大切な人たちがずっと生きていたり、ずっとそばにいてくれるという保証はどこにもないと思うんです。
それに、みなさんと同じように、その大切な人も皆さんのことを同じ風に考えていると思います。
何を言いたいのかと言いますと、これはこの作品にこめたメッセージでもあるんですが、
日々を大切に生きてほしい。ということです。
自分の純粋な気持ちを邪魔するものってたくさんあると思います。
見栄とか、プライドとか、世間体とか。
でも大切な人にちゃんと「大切だ」って伝えることって本当に忘れちゃいけないことだと思うんです。
好きな人には「好き」と伝えること。
感謝を忘れずに「ありがとう」と伝えること。
間違ったことをしてしまったらしっかり「ごめんなさい」ということ。
なんか説教臭くなってしまって申し訳ないのですが、
伝えることの大切さ。これを改めて伝えられたらいいなと思いながら書きました。
そうやってこの世界が少しでも優しくなっていったら素敵だなって思います。

長くなってしまいましたが、
何よりも伝えたいのが、これを読んで下さった皆様への感謝です。
拙い文だったとは思いますが、最後まで読んで下さり本当にありがとうございました。
これからも引き続き、物語を綴っていきたいと思っていますので
これからもぜひ、よろしくお願い致します。   六笠はな

さみしいけど、さようなら

人口13億人を超えた日本。人口縮小のため政府は「尊厳死案」を実施することとなる。 「尊厳死案」とは国民の5分の1を無作為に選出して選ばれた人は安楽死剤を投与し、人口を減らすのが目的の案件で、その抗いようのない悲しい現実に向かい合っていく物語。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 毎日の終わり、そして始まり
  2. 赤い報せ、恐怖
  3. 希望、絶望
  4. 訪れた日
  5. 昼下がりの宵闇
  6. 涙色、茜色
  7. 笑顔の理由
  8. 雨空の下で
  9. 手紙
  10. さみしいけど、さようなら