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ピントを合わせれば,トシオの恰好良さがより際立ってくる。ズームのままの画面の中に映る,くどいはずの顔が実に愛くるしく見えてくる。よく笑うからか,それとも,コメディアンみたいなメリハリのある動きによるものか,滑舌のいい台詞回しに,耳から絆された結果,目に見えるもの全てが彼の色に染められてしまうからか,理由をもって片付けられない,言いかえれば,なんとでも言えるキュートな説得力がそこにある。これを魅力というのなら,生でこれを味わえる観客は,ひと夜で終わらせることが許されない経験とともに,ここにまた足を運ぶことになるのだろう。リピーターの獲得は,興行を成功させるための肝となる。老若男女,といっても実際に全体を舐め回してみれば,その平均年齢は高めであるとしても,トシオを抜きにして,毎回,人々で詰まった日程をこなすことは考えられない。裏でも愛嬌いっぱいの彼であれば,なおのことである。スタッフも含めて,噂も絶えない彼であるが,惚れ込んだ愛妻に尽くす姿も有名である。彼の命も高額で捧げられている,という揶揄も,スポットライトを味方につけた彼の輝きの前では,その足下にたどり着くことすら叶わない。あるいは,平面に現れた彼の素敵な影がさっと手を差し出して,まるでお姫様のように,すくい上げては,ハッピーエンドに向けて,ひとつ踊りを披露するか。バカみたいな妄想である。しかし,そのバカさ加減すら,語りたくなる主役なのである。今夜のトシオの衣装は,仕事終わりとは思えない,皺ひとつないスリーピース。逃げ出すように走り去りそう,というトンチンカンとも思える印象は,彼の鍛え方が,先の愛嬌に負けた結果である。その彼は立ったまま,部屋の真ん中を行き来しながら,熱心に,テーブル向こうの空間に話し続ける。そこは,一人の女性に支配されているため,生半可な言動では,理性を保ちながら,その意味を届けることが不可能になったままの,妖しい空間である。その主は,トシオをじっと眺めている。足を組んで,見事に待っている。染めたとは思えないブロンドのロングが掻き上げられる度,他の男たちが吐く息を絡め取られているのがそこかしこで聞こえる。邪推することが至極当然,と言い張っても文句のひとつも出ないであろう,プロポーションの素晴らしさは,しかし,緊迫感に満ち満ちている。ここしかない,という場面場面で,綺麗な顔立ちと,明朗な数行が,オトコの喉元に突きつけられている。答えに窮するのは,無関係な人々においても変わらない。受け入れて欲しい,という願望は,何も言わずに聞き届けられることは決してないだろう。首を横に振れば,瞬きひとつで引きの映像となり,トシオとともに,彼女のシーンの出来上がりである。彼女の名前はヨーコという。本名でないのは明らかである。
二人は口論をしているのでない,というのはよく分かる。しかし,このままでは拉致があかないのでないか,という不安はどうしても拭えない。誰かそこに居て欲しい,と思ってしまう気持ちは,なのでとても理解できる。都合のいい展開は,誰もが欲する本心なのだ。
二人のいるここから,一番近くに住むのは,隣家のイシヅ氏であるが,本人が内心では雄弁であるにも関わらず,表舞台では非常に寡黙な人柄を押し通しているために,この場においても,ただただ,黙っていらっしゃることになるのが目に見えている。間に立つ,という仲裁役のようなものを期待するなら,二人のいるところから,地球を半周する外国に在る,トニィさんに任せるのが妥当である。トニィさんは明るく朗らかなところが,トシオに似ているし,一方で,国境をまたにかける営業マンなだけあって,人の懐に入り込むのが実に上手い。初対面のトシオもその例外でないだろう。また,彼はヨーコの元彼である。ヨーコの過去すべてを知っているわけでないが,ヨーコが信頼を置く人物の一人である。鉄壁の美しい矛先を,オトコの喉元から,ヨーコが少し下げる可能性がある。そして,二人とも,トシオの前で余計なことを喋ることはないと,断定できる。トニィさんは,現れれば,忘れられない白髪を魅せる。イシヅさんは,真面目なソフトモヒカンだ。したがって,仲裁役ならば,トニィさんがいい。しかしながら,トニィさんは遠い。だから,誰も彼を待つことはできない。
二人の間にある,テーブルは実は忙しくしている。トシオが喉を潤す水とグラスが置かれたり,溢れたり,齧られたクラッカーは,そろそろ一欠片が離れて落ちそうにしている。ヨーコは時々,トントンとテーブルを鳴らす。伸ばした手から,例のプロポーションが姿を見せるが,そんなことに構っていられるオトコたちは,この場にはいない。空いたグラスが色を残す。密かに震える。まるで,本心のようである。
落ち着かない気持ちは,そこに至る両脇の通り道にも表れている。締め切れなかったドアが,ヨーコの背後の窓から強風が吹いているかのような動きを見せ,少しもなびかないヨーコのスタイルが実に不自然に写る。その窓は窓で,誰かがしかと見聞きしているかのような開き方を見せ,ライト不足の原因は,これを疑わせるためにあるのでないか,という疑念を生んで,疼かせる。ピアノ線は,ある訳がない仕掛けである。
長丁場,二時間半を過ぎて,終わりなんて気配すら感じさせないとすれば,我慢できない人が出現しても可笑しくない。親切なパンフレットに,天井のアナウンスは,そうしてしまっても構わないと,事前にお知らせしている。若い男,それよりは歳上の男性。毅然とした女性。さすがに,サングラスを着けたりしている方はおられないが,精一杯抑え込んだ足音は,リズムを残して去っていく。背後の灯り,強すぎる灯り。混乱を防止するための案内役がそこにいるはずである。黒のスーツに,蝶ネクタイ。あえて無表情で勤めを果たすのは,むしろそっちの方が適切だからである。相手に気を使わせるサービスは良質ではない。要らない笑顔もこの世にはある。
さらに空調の音。夏でもないにも関わらず,暑い日があるとすれば,それに合わせた装いに人たちばかりになるのに不思議はない。そして,その人たちが凍えてしまう心持ちになることについても,同じある。調整役などいない。こんなところに,調整役なんていないのである。
二人のやりとりは,熱を帯びてくる。愛くるしいトシオの動きは激しくなり始め,段々とウソっぽさが強くなる。しかし,その発言内容自体は,ここに至って,やっと筋の通った説得力を持ち始める。聞く者を納得させる。真剣な面持ちになり,鋭い瞳がテーブルを固定する。水も無くなって,グラスは水差しの裏に隠れている。これに対して,ヨーコの様子はその外見に似合わなくなっていく。座っていられなくなり,すべてを晒し,終始喋り続け,喋り続け,周りを見回し続ける。その中身は,どうやら愛情の表現であり,許しであり,真実である。なのに,それを一切感じさせないのは,今のヨーコが実に女の子であり,純粋であり,そのために,見ているものの疑いを強くさせていく一方であるためなのだと,誰もがようやく気付く。もうすっかり巻き込まれ,席を立つことでしか,この問題と無関係でいられることはなく,しかし優先されるべきマナーとして,誰一人として席を立つことを許されない。トシオの格好良さが失われることはなく,ヨーコのすべては色褪せない。ピントはずれない。
非常ベルも何もない。トシオが唇を閉じ,ヨーコも,何も喋らなくなったら,そこを訪れる密度だけが残る。きゅうっと窄ませた筋書きに向けて,二人が立ち会い,二人が見せ始める。グラスが倒れるトラブルは,予定外の響きを効かせる。割れないタイプでなかったことは,良い事なのか,そうでなかったのかを判断しかねる。立ち会っている者の幸せである。
言うまでもない。瞬きは厳禁である。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-12

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