Sea Mail
少女は海沿いの小さな町に住み、海の向こうを思い描く毎日を送っていました。
そんな彼女がいつものように浜辺へ行くと―――
海沿いの小さな町、少女にとってその町が世界のすべてだった。無限に広がる海を眺めながら、町の外の世界を思い描くのが少女の日課だった。
少女はいつものように海を眺めていた。
どこまでも広がる青い海、空には入道雲が太陽に手を伸ばしている。
少女は思う、この海の向こうには町があるのだろうか。それとも、森や川があるのだろうか。
ふと、波打ち際に何かが煌めいたような気がした。今まで貝殻や海藻が打ち上げられているのを見つけたことはあったが、光る貝殻を少女は見たことがなかった。
なんだろう、少女はそれに近づいた。
それはガラス製の小瓶だった。口の空いていない小瓶の中身は液体ではなく、一枚の紙きれだった。
手紙だ。海の向こうから手紙が届いたのだ。少女は嬉々として小瓶を拾い上げた。
ひんやりと海の冷たさを感じる。この小瓶はどこから来たのだろう。少女は小瓶を抱えて走り出した。
小瓶を持ち帰った少女は慎重に手紙を取り出した。便箋はシンプルなものだった。それでも、少女にはそれが賞状のようにさえ感じられた。
「僕の手紙が届いていますか」
手紙はそんな一文から始まっていた。
少女は「届いてるよ」と口ずさみ便箋に目を走らせる。
どうやらこの手紙の主は男の子らしく、サッカーが好きで今度大会がある、海沿いの町に住んでいて、いつか大きな船で冒険に出かけると書かれていた。
少女は嬉しかった。無限に広がる海の向こうに、誰かがいると分かったのだ。
その日の夜、少女は両親に小瓶の話をした。彼らは少女の話を聞くと返事を書いてみたらどうか、と便箋を買ってきてくれた。端に小さなクマのイラストが添えられた可愛らしい便箋だったが、少女は小瓶に入っていたようなシンプルな紙が良かったな、と心の中で思った。
手紙を書き終えたのは夜が明けて朝日が昇り始めたころだった。
どんな文章が良いのか、手紙を書いたことのない少女には分からず、迷った末自分の思い描く世界のことを書いた。
海の向こうには大きな街があり、人がたくさん住んでいてみんなが笑顔で暮らしている、そんな世界を便箋に描いた。
彼は喜んでくれるだろうか、そもそも、ちゃんと彼の元に届くだろうか。不安を抱えながら少女は小瓶を海に流す。やっと海の中から出てきた太陽が波に乗る小瓶を照らし、小瓶はキラキラと輝いていた。そんな風景を見ていると、彼の元へちゃんと手紙が届くような気がした。
それから一週間ほど経っただろうか、いつものように浜辺に来ていた少女は波打ち際に小さな影を見つけた。見間違えるわけがない、それはいつかの小瓶だった。
小瓶の中には便箋が丁寧に詰められている。シンプルな便箋、彼の手紙に間違いなかった。
手紙は誰かに手紙が届いたことに対する喜び、その手紙に返事を書いてくれた事に対する感謝が記されていた。
返事をくれてありがとう、僕の名前はシーメール、君の描く世界はとても素敵だ。いつか僕が船で旅をするとき、君も一緒に乗せてあげるよ。
自分の世界を素敵だと言ってくれて、船旅にも誘ってくれた。彼はきっと優しい少年だ。少女は遠い海沿いの町に住む、そんな少年を思い浮かべた。
彼の名前はシーメール、海の手紙。
素敵な名前だ。本名ではないかもしれないけれど、そんな素敵な少年に、少女は会ってみたいと思った。
返事を書くにあたって、少女は自分も名前を書こうと思った。どんな名前が良いだろう、どんな名前なら、彼を喜ばせられるだろう。
結局手紙が完成したのは明け方のことだった。迷った末、本名を伝えることにした。
ぺトラ、父が考えてくれた自慢の名前だ。
彼ならきっと素敵な名前だと言ってくれる。次はどんな話をしようか、少女は期待を込めて小瓶を海に流した。
それから一週間程度の間隔で文通は続いた。彼の好きなもの、好きな場所、色々なことを知り、ぺトラも自分の好きなものや場所の話をした。
やりとりを初めて一年になろうとした頃、彼の手紙は唐突に終わりを迎えた。
今までありがとう、僕はしばらく君に手紙を書けなくなると思う。遠い町に行かなきゃいけなくなったんだ。でも、いつか迎えに行くから、いつか君を僕の船に招待するから、どうか待っていてほしい。その時、僕も君に名乗ろうと思う。
ぺトラ、君のことを愛している。
ぺトラは海の向こうで戦争が始まったのを知っていた。だから、彼がどこに行くのか、想像するのは簡単だった。
泣いて、泣いて、涙も枯れて、戦争が終わっても彼は迎えに来てはくれなかった。
戦争が終わった頃、ぺトラは一冊の本を書き上げた。遠く離れた町に住む二人が互いの気持ちを小瓶に詰めて海に流す。お互いの気持ちが交錯し、時に傷つけあい、時に愛し合い、そして長い文通の末二人は夕日の浜辺で出会い、互いの愛を確かめ合う。そんな小説を、そんな世界を書き上げた。
本はよく売れ、たくさんの手紙が連日ぺトラの家に届くようになった。
それでも、彼の手紙は二度と届くことはないのだろう。
ぺトラは今も浜辺で物思いにふける事がある。夕日が沈むのを眺めながら、あの頃を思い出す。
ふと、あることに気付く。
見たことのない船が、港に泊まっている。
動悸が激しくなるのを感じる。
「ぺトラさん、ですよね」
声がする、文字越しに思い浮かべていた声が。
ぺトラは振り返る。そこに立つのは背の高い一人の青年だ。サッカーが好きで、船で旅出るといった青年。
彼は名乗る、愛を伝えるために。
「待っていてくれてありがとう、僕の名前は──―」
Sea Mail