月の標識
久々に再開された有人月面探査は、主要国の共同事業となった。宇宙開発のコストが、一国の経済力では賄いきれない時代になったためである。各国間での軋轢も多かったが、予算に余裕があるおかげで月面車を3台持って行くことができ、今までにない綿密な調査が可能となった。
《ギブソン船長、こちら月面車2号機のチョウです。地下約50センチに金属反応あり。掘削を許可願います》
《うむ、掘削を許可する。チョウ、鉱脈なのか?》
《わかりませんが、真上から見ると、ほぼ真円形をしています》
《ほう。まさかと思うが、どこかの国が密かに設置した地雷じゃあるまいな。慎重にやってくれよ》
《了解しました。まあ、人工物としても、地雷じゃないと思いますね。画像を見る限り、ものすごく薄っぺらなものです》
月面から掘り出されたのは、円盤状の金属プレートであった。直径が約3メートルあるのに対し、厚さはわずか2センチほどしかない。素材は未知の合金であった。エックス線による検査で、プレートの内部に何らかの電子回路があることがわかった。ただし、その回路パターンは、今まで知られているどんな国のものとも違っていた。爆発物である可能性はないと判明したため、地球に持ち帰り、詳しく調べることとなった。
地球では、物理学者を中心とした国際研究チームが立ち上げられ、各国から研究者が集められた。
やがて、研究チームのために準備された研究施設に、厳重に梱包された金属プレートが運び込まれて来た。月面での調査で内部に回路があることは判明していたが、いくら調べても動力源らしいものは見当たらなかった。そのため、調査に当たった研究者たちは、ある種のメッセージが埋め込まれたメモリーチップのようなものではないかと推測した。
「はるかな昔、月を訪れた宇宙人が残した置き手紙。ロマンチックですねえ」
女性スタッフのそんな感想に苦笑しながら、主任研究員の溝口は、もう一度金属プレートのデータを読み返してみた。
「うーん、それほど古いものとは思えないなあ。もっとも、金属が風化しない環境だから、正確なところはまだわからないが。まあ、内部に動力源がない以上、外からエネルギーを与えて反応をみるしかないだろうな。とりあえず、こいつに色々な周波数の電波を照射してみようじゃないか」
だが、通常通信に使用する波長の電波は、そこに何もないかのように素通りした。逆に、ほとんどの物質を透過するはずのニュートリノが、金属プレートによって何パーセントか反射されることがわかった。反射されたニュートリノは変調しており、何らかのメッセージが含まれていると思われた。
そこで、今度は言語学の専門家が集められ、メッセージの分析が始まった。比較になる言語がないため、解読は難航するのではないかと懸念されたが、いくつかの数学的な定理を元にしていることがわかると、一気に解析が進んだ。
数日後、言語学者グループのチーフであるクマール博士が、溝口のところへ報告に来た。
「およその意味がわかったよ」
「ほう。やはり、宇宙人からのメッセージですか」
「そうだ。まあ、正確には、我々へのメッセージではなく、他の宇宙人に向けたものだ。内容から考えると、ある種の交通標識だね」
「交通標識?」
「うむ。下世話に言えば『駐車禁止』の標識だ」
「どういうことです?」
「まあ、この場合、対象は車ではなく宇宙船だろうから、『着陸禁止』というのが正しい言い方かもしれんが」
「それは、月に着陸するな、という意味ですか」
「ああ、いやいや。着陸が禁止されているのは『太陽系第三惑星』、つまり、地球の方だよ。月に埋めたのは、その方が安全だからだろう。地球だと、すぐに掘り出されるおそれがあるからね。もっとも、地質年代測定班の報告によると、埋められたのはそれほど昔ではなく、1950年代らしい」
「しかし、その時代に宇宙船が地球に来たなんて話、聞いたことが」
溝口は、ハッと何かを思い出したような顔で、クマール博士を見た。
「まさか」
「ああ、その、まさかだと思うよ。この場合の宇宙船とは未確認飛行物体、いわゆるUFOのことだろう。実際、事故にあって不時着したと思われるケース以外、UFOが直接地上に着陸したという目撃例はほとんどないからね」
「でも、いったい何故、地球には着陸禁止なんですか?」
クマール博士は、深くため息をついた。
「理由もメッセージの中に入っていたよ。ここが『核兵器を所有している野蛮な惑星』だから、だそうだ」
(おわり)
月の標識