宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第四話

まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
 金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
 普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。

金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
嬬恋花耶…真耶の妹で小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については第四話で。
嬬恋希和子…真耶と花耶のおばにあたるが、若いので皆「希和子さん」と呼ぶ。女性でありながら宮司として天狼神社を守る。そんなわけで一見しっかり者だがドジなところも。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。
(登場人物及び舞台はフィクションです)

 気がつけば来月には教員採用試験が始まるのである。
 実習と並行して猛勉強中なのだ、一応これでも。七月は都道府県や大都市の採用試験の集中月。同じ日にいくつも重なっていることも多いのだが、打てるならなるべく数を打っていこうと思う。なにせ私は企業への就職活動をせず教員試験オンリーでやっているのだから。関東地方にこだわらない。日本中どこへでも飛んでいく。

 でもとりあえずは、目の前にあることを片付ける。つまり、教育実習をしっかりやり遂げる。そのためにまずは一日のスタートを気持ちよく切ろう。
「おはようございます!」
「…」
 朝、気持ちよく挨拶をすればその日一日ハッピーに過ごせる。規則や決まりの少ないこの学校でもその教えは徹底していて、私の指導を担当してくれている渡辺先生もそれを実践している。私も見習って毎朝出会った生徒や先生方に大きな声で挨拶しているのだが、それを返してくれない先生がいらっしゃる。
 私、嫌われているんだろうか? 教育実習というのは受け入れる学校にしてみれば骨である。ただでさえ日常の業務で忙しいのにお邪魔虫が加わるのだ。それで報酬が増えるわけでもなく、見返りといえばせいぜい実習生が持ってきたお茶菓子くらいのもの。すべては教師のボランティア精神におんぶしているわけだ。そのくせ実習生がすべて教師になるとは限らない。試験に受からず挫折したり、また私のような女子大だと「嫁入り道具」として免許を取る子もいる。お見合いなどの時「真面目ないい子」というアピールが出来るっていうわけ。そんなことのために学校教育を利用されてはたまらないという受け入れ側の本音も分からなくはない。
 「そんなわけで、やはり私、邪魔者なんでしょうか。いえ、こんなこと言うのもなんですけど、渡辺先生くらいにしか相談できなくて…」
思い切って打ち明けてみた。先生はちょっと考えたが、私の頭に手をやった。私の不安を見ぬいたのか、まるで生徒に接するように優しく頭を撫でながら、
「気にしなくていい。あれは単に面倒くさがりなだけだ。君は他の人に対するのと変りなく挨拶をしていればいい、…まぁそうだな、丸太ん棒にでも話しかけているつもりでいればいいさ」
と笑った。

 「って、渡辺先生は言うんだけども、やっぱりねぇ…。ことばが返ってこないのって、なんかダメージあるなぁ」
思わず愚痴ってしまった。ここは嬬恋家の食卓。せっかく美味しい夕食をいただいているのだから明るい話題のほうが良かったのに、反省反省。
「うん、わかる。でもなんであの先生そんなことするんだろう?」
それでも真耶ちゃんは同意してくれた。ただその後に続く言葉はちょっと意外だった。
「あたしたちに挨拶しろって一番うるさいのあの先生なのに」

 翌朝。例の先生に私は凝りずに挨拶するがやはり返事は返ってこない。浮かない顔なのが分かってしまったのか、渡辺先生に言われた。
「気にするなって言ったろ?」
私は落ち込むと引きずるタイプだ。そう言われて簡単に気分転換できるほうでもないが、気を使ってくれたことに礼をしつつ、昨日嬬恋さんにこの話をしたことを報告した。今私たちはいつものとおり、校門に立って登校してくる生徒たちに挨拶をしている。こちらは皆元気におはようございますと声をかけてくれるので気持ちがいい。
 「あの先生って、生徒には挨拶するよう言うんですよね? だから生徒にはちゃんと挨拶するってことですよね?」
ところが、渡辺先生が考えこんでしまった。そしてややあって、意外な答えが返ってきた。
「あまりそういうのは見たこと無いな。おう、とか、せいぜいそんなものだろう」
先生の顔が一層困ったようになった。
「生徒にやらせて、自分がやらないってのは、あまり感心できる話では無いのだがな。昨日は面倒臭がってると言ったが、それでは済まない問題ではあってな…」
そこまで先生が話した時のことだ。校舎のほうから一人の生徒が駆けてきた。
「せ、先生、大変です! つ、嬬恋さんが!」

 「なんで挨拶しないかと聞いているのだ!」
「…い、いえだから、先生は挨拶がお嫌いなんだと思って…」
「適当なことを言うな!」
駆けつけてみると、廊下に怒号が響いている。怒号の主は、私に挨拶を返さない例の先生。そして怒られているのは、嬬恋さん。素直で聞き分けもよく、怒られるようなことはしない子なのに、なんで?
「すみません、ちょっと穏やかではないですね。どうしたんですか?」
割って入ったのは渡辺先生。自分のクラスの生徒が怒鳴られているとあっては黙ってみてはいられないだろう。言葉は穏やかだったが、内に怒りを秘めているのが分かる。ただ、その先生もひるまない。
「生徒を指導することの何が悪い。こいつは、教師に対して挨拶をしなかったのだぞ!」
「生徒をこいつ呼ばわりとは関心しませんね。だいいち、嬬恋がそんなことするはずが無いでしょう。何かの間違いか、聞き逃したかなんじゃないんですか?」
「何を? 貴様は先輩教師の言うことが信じられんのか!」
激しい口論が続くが、渡辺先生は頭に血を上らせず、冷静に言葉を重ねる。嬬恋さんはまごまごするばかりだったが、やがて勇気を振り絞るように渡辺先生の袖を軽く引っ張った。
「あの、先生…」
「なんだ!」
落ち着いた口調とは裏腹に顔はかなり険しくなっていて、そのまま嬬恋さんに向き直ったことに気づくと慌てて表情を戻し、何かね? と尋ねる。
「あ、あの…挨拶しなかったのは…本当なんです…」
 誰もが目を見張った。例の先生だけはほら見たことかという顔で説教を再開しようとしたようだが、渡辺先生がそれを遮って嬬恋さんに聞く。
「な、なんでだよ。嬬恋のことだからなにか理由あるだろ? な?」
嬬恋さんは小さいけれど、でもはっきりした声でこう言った。
「昨日、金子先生に挨拶しない先生がいるって聞いたので、もしかして挨拶が嫌いな先生もいるんじゃないかと思ったんで、しませんでした」

 「くだらん言い訳をするなと言っているだろう!」
例の先生はなお一層怒り始めたが、嬬恋さんも引かない。
「ホントです! 本当に、そう思ったんです! だから私達にも挨拶しろって言うのも、仕事だから嫌々言ってるんじゃないかって。だったらあたし達も挨拶しないほうがいいんじゃないかって」
例の先生は怒鳴ることすらやめて、両手をグーに握ってブルブル震わせている。むしろ怒りが溜まってきているような感じだ。そこに、嬬恋さんの一言が効いた。言ってみれば、痛いところを突かれたのだ。
「だって私達にも、挨拶返さないじゃないですか」

 その先生の巨大な手、というか恐怖のあまり巨大に見えただけかもしれないが、それが嬬恋さんの顔めがけてうなりを上げながら振り下ろされた。
 が、瞬間、それを渡辺先生がつかみ取った。それに続く言葉は、やはり感情を押し殺した、それでいて今までに無く厳しいものだった。
「自分の悪いところを生徒に指摘されたからといって、八つ当たりは無いでしょう? それとも何ですか、正しい事を言う生徒の存在が許せないから暴力で口を封じるおつもりですか? まぁ、挨拶ひとつ出来ない非常識な大人にとって、常識と節度を持った生徒というのは目障りでしか無いのでしょうね」
今気づいた。渡辺先生は冷静な時のほうが怖い。確実に相手をやっつけてやるという決意がにじみ出ている。そして最後の一言がとどめとなった。
「おはようという言葉を知らなくても、国語の先生ってできるんですね。初めて知りました」

 「まああの手合いはどこの職場にもいるけどな、他人に厳しく自分に甘いタイプ。あちらも学年主任なんつーご大層な役職背負ってるから、周りもなかなか注意出来ずに増長させてたわけだ。ただそういうダブルスタンダードってやつが生徒に良い影響及ぼすとは思えないしな。灸をすえるにはいい機会だった」
いつの間にか始業時間が近づいているので、このままみんなで教室に行くことになった。嬬恋さんの頭に手をやると渡辺先生は言った。
「キッカケを作ったのは嬬恋だ。よくやった」
とその時、嬬恋さんが立ち止まった。そして渡辺先生の腕をぎゅっと抱きしめると、
「怖かったよぉぉぉ」
と、涙をポロポロと流し始めた。よしよし、と反対の手で嬬恋さんの頭をぽんぽんと叩く渡辺先生。その姿は教師と生徒ではなく、「史菜さんと真耶ちゃん」の関係に戻っているようにも見えたが、すぐそうではないと思い直した。おそらく生徒の誰が同じ立場になったとしても同じ事をするだろうから。
 教室から続々とクラスメイト達が迎えに来る。嬬恋さん大丈夫? と皆が口々に言う。私達の歩みよりも早く騒動の一部始終が伝わっているのは一瞬びっくりしたが、私が中高生の頃も同じだったと思い出した。うわさ話が大好きな年頃だ。
「それにしても、考えたよねー真耶ちゃん。あいつの揚げ足取るなんてそうそう出来ないよ?」
「…?」
泣き止んだ嬬恋さんが、何を言われているかわからないといった表情でキョトンとしながら、話しかけてきた霧積さんを見ている。キョトンとされた方も戸惑っていたが、横から御代田さんが何かに気づいたような顔で話しかけた。
「って、もしかして真耶、あいつ本気で挨拶が嫌いなんだって思ってたの?」
「うん」
と嬬恋さんは答えると、こう続ける。
「…それがどうかしたの?」
ああ。前に聞かされていたこと忘れてた。嬬恋さんはとんでもない天然だって。

 「まぁあいつは素直なのはいいんだが、まっすぐすぎるのは玉にキズだな。ただ正しいと思ったことは曲げない芯の強さがある。なよっとしてるがハートはタフだぞ」
渡辺先生の嬬恋さん評は的を射ていると思う。それゆえピントがずれたことをしたりもするけど、結果的に良い方に転ぶのはそういう素直さが味方しているのだろう。
 「まあいずれにせよ、生徒が成長するのを嫌がる大人がいるってことだな」
私たちは職員室で話している。騒動も一段落ついて授業を一時限こなしたあとの空き時間。今朝の出来事について渡辺先生がまとめてくれているところだったが、その意味はちょっと分からなかった。
「成長するのは、いいことなんじゃないですか?」
「いや、いるんだよ。子供が子供のままいてくれたほうが都合いいって輩が。」
まだ首をかしげている私のために、噛み砕いて説明してくれた。
「ガキのまま大人になってくれたほうが扱いやすい、と言ったほうが分かりやすいか。彼らの大人の理想像は、自分で考えることも意見を選ぶこともしない、言われたままに行動するだけの大人。上には歯向かわず怒りを下に向ける大人。もし彼らが八つ当たりはいけないという言葉を吐いてもそれは嘘。本音は自分より偉くない奴に当たれ、だ。悪いのが本当は自分なんてときはなおさらだな」
要は彼らの言う「立派な大人」ってのは自分たちの言うことだけを黙々とこなすロボットみたいな奴ら、ってことだと先生は断言する。
 「でも悲しいかな、この木花中にもそういうのを好む連中がいるってことだ」
派閥があるのだという。生徒に悪い影響を及ぼしかねないから表立っての対立は避けていたのだが…と渡辺先生。
「それはあまり嬉しくないですね」
私は先生のいきどおりに同意する意見を言った。
「まあな。ただ幸いなことに保護者も村人もこっち陣営だ。それになんといっても強い味方がいる」
「誰ですか?」
先生はちょっと微笑みながら言った。
「神様だ」
 信心とか非科学的なものとは無縁に見える先生にしては意外な答えだったが、その心はこういうことだ。
「天狼神社の存在だよ。あそこを敵に回すのは村全体を敵に回すのと同じだからな。だからこの村をどうにかしようとすればまず天狼神社、すなわち嬬恋家を丸め込もうとするだろうし、今までもいろいろ工作してきた奴はいたんだろうが、キー子だって馬鹿じゃない。それに肝心の真耶がいまの校風を気に入っている以上、校内の不穏な勢力がそれをしようとしても無理ってことだ」
キー子とは希和子さんのことだ。区別するため嬬恋さんのことも下の名前で呼んでいる。
「そんなわけで敵に回った以上は向うも作戦変更せざるを得ないってことだからな。つまり」
先生の顔が真剣になった。
「より強い味方を探すってことだ」

 渡辺先生の言葉は心に引っかかっていた。多分これからも似たようなことは起きるだろう。だがそれはそれとして勉強を進める必要が私にはある。気がつけば教育実習も大詰め。早くも実習期間最後の週末なので授業の総まとめをしつつ試験勉強もやっている。
 それにしてもここは勉強がはかどる。東京のようにジメジメしていないし、騒音に悩まされることもない。住環境も素晴らしい。私の実家は団地だ。今時エレベーターも付いていないような古風な造りは昭和の風情と思えば悪くないのだが、そこに私を含め三人の子どもが両親とともに住んでいるので大変ではある。
 そもそもうちは子沢山なのだ。一番上の兄こそ結婚して家を出ていったが、それ以外はまだ実家に残っているので狭くて仕方なく、弟の大学受験がぶつかったりしているので机の確保もままならない。しかも近くの新居に移ったはずの兄夫婦はしばしば我が家に一歳の息子と共に戻ってくる。世間で言うのと全く逆で嫁姑の仲が非常に良く、しょっちゅうお泊りしているのだ。この子が人一番元気で、泣くわ笑うわはしゃぐわで。幼子相手ではそう強くも言えないので、こちらが我慢するしか無い。嫌いなわけではないが事情が事情なのでちょっと困る。
 おかげで私の自宅学習環境は最悪である。かといって図書館は席取りが大変。喫茶店とかの机を借りるとしてもお金がかかるわけで、大した額ではないかもしれないが毎日それではボディーブローが効いてくる。バイトも出来ないしそのくせ試験を受けに行くのにはお金が要るのだ。実家が嫌いなわけではない。むしろ同年代の友人と比べても仲が良い家族だと思う。でもいまの私にとってあそこは合わないというのが正直なところだ。

 戻りたくないなぁ。
 ただそんな感想が漏れるのは、五月蝿い実家に戻るのが憂鬱なだけではない。ここの暮らしが気に入ってしまったのだ。自然が豊かで環境がいいというのはもちろんある。でもそれ以上に人が優しいのだ。私を実習生として受け入れてくれた渡辺先生をはじめとする先生方。生徒のみんな。もちろん生徒の中には私が居候する天狼神社の神使様、嬬恋真耶ちゃんもいる。もちろん嬬恋家の人々も私に親切だ。
 最近私も、「お勤め」をさせてもらうようになった。平日は早い時間から学校に行くので無理だが、休みの日は早起きして真耶ちゃんや花耶ちゃんと一緒に神社の掃除をしている。居候させてもらっているのだからそれくらい当然なのだが、実はこのことを最近まで知らなかった。たまの休みくらいゆっくり寝かせようという配慮から私には内緒だったのだ。ところがこないだ明け方に目が覚めると真耶ちゃんたちの部屋から物音がするのに気づいた。どうしたのかと聞いたら、ああバレちゃったねと。というわけで休日くらいはぜひとも参加させて欲しいとお願いした次第。
 まぁ堅苦したったり大変だったりする作業でもないし、おしゃべりしながらやっている。そんな時だ。真耶ちゃんが手を止めて私の顔をじっと見た。
「どうかしたの?」
どうかしたの、って別にどうもしないけど、と答えようとして引っかかった。確かにどうかはしているのだ。だってこうやってお勤めをさせてもらえるのもあと数回、そして来週にはこの地を去らなければいけない。寂しい。そんな思いが顔に出たのだと思う。
 「えっとね…」
隠しても仕方ないので正直に言った。
「あと一週間でここからお別れだと思うと寂しいなぁ、って」
「…!」
真耶ちゃんの顔が急に曇った。もしかすると同じ思いだったのかもしれない。二人してうつむいてしまった。
 その時。
「おーい、二人とも手が止まってるよー」
花耶ちゃんに言われて気がついた。そうだ、今はお勤め中だったのだ。
「ていうかさー、四週間って決まってるんだから仕方ないじゃん。だったらそこでいい思い出いっぱい作ったほうがよくない? ぽじてぃぶしんきんぐ、ってやつだよ」
…ああ。確かにそうだ。来てしまう別れはしょうがないものとして受け入れ、残った時間を密度濃く過ごすことに全力を傾ける。そういえば花耶ちゃんはいつもポジティブシンキングだし、その「姉」である真耶ちゃんはいち早くその大事さに気づいたようだ。
「そういえばこの神社のことちゃんと説明してませんでしたね。案内しましょうか。せっかくここを気に入ってくれたんなら、いっぱい知ってほしいです」

 決して立派でも大規模でもない、むしろ質素でこじんまりとしたどこにでもある普通の神社。でも落ち着いた雰囲気で、なんだか心が安らかになる感じがある。私はこういうの好きだ。
「この神社の神様はオオカミさんなんですよ」
境内をゆっくり歩きながら解説してくれる真耶ちゃん。言葉には時々敬語が残るのだが、無理に直すこともないと思っている。
 賽銭箱が置かれ、お祈りを捧げる建物を拝殿と言う。境内には他にもう一つ建物があってそれが社務所。以前は地区の集会所も兼ねていたのだが長い石段を登らなければならいのが不便なので別の場所になったのだという。今は建物の半分が神社の休憩所になっている。ここの掃除は夕方に希和子さんがすることになっている。一日開けているとチリやホコリが結構入ってくるので閉める前に掃除したほうが効率的なのだ。だから私たちは朝の掃除の締めくくりに鍵を開けるだけなのだが、今日は真耶ちゃんについて中を見学する。
 建物の中には土間と、広い畳の小上がりがある。ちょっとお休みするには良い感じだし、村のパンフレットなども置いてあってちょっとした観光案内所みたくなっている。ヒモでくくりつけられた大学ノートが壁から下がっているのもそれらしい。要するにコミュニケーションノートだ。表紙に犬のような動物のイラストがあるが、先ほどの真耶ちゃんの話からするとオオカミなのだろう。脇にはウサギもいる。
「ああ、それは苗ちゃんが描いてくれたんですよ」
真耶ちゃんが補足してくれる。苗ちゃんとは御代田さんのこと。へぇ、絵が上手なんだ。マンガっぽいオオカミとウサギが仲良く並んでいる。
「このふたりは、神様のお使いなんです」
動物を「ふたり」と表現するあたりに敬意が表現されているのかもしれない。神道だとこの神様のお使いという役割はお稲荷さまだと狐、八幡さまだと鳩、天神さまは牛、といった具合に神様ごとに決まっているのだそうだ。で、ここ天狼神社はもともと二体のオオカミがその役目を担っていたのだが、そのオオカミたちを従えていた神様が多忙のため、職務を片方のオオカミに任せた。そのさい空位になったお使いの座、これをウサギが引き継いだのだという。
 「だからここでは神使がオオカミとウサギの二種類なんです。この両方を一緒に祭っているのは全国的に見てもうちくらいかもしれません」
真耶ちゃんの解説が続く。そうか、神使がオオカミとウサギの二種類って贅沢、ってあれ? この神社で「神使」ってもう一人いたような…。
「お姉ちゃん、自分忘れてる」
花耶ちゃんのツッコミで私も真耶ちゃんもようやく気づいた。そうそう、今私の目の前にいる真耶ちゃんも、神使だと言っていた。
「あ、そうだった。えっと、天狼神社の神使は、オオカミさんと、ウサギさんと、あと、あたし。三種類です。で、人間が神使というのは多分日本中探してもここだけです」
真耶ちゃんが訂正した。え、でもしかし、人間が動物と同格って、それアリなの? というか、神様が獣でその使いが人間って? 面白い決まりごともあるものだ。
 「ちなみにウサギさんは村の中の他の場所に奉られていて、今はそっちが本職なんです。だからほら、あそこ見てください」
建物の外、鳥居の下あたりを真耶ちゃんが指し示した。そこには二つの台座があり、片方にはオオカミを形どった石像があるが、もう片方の台座の上は空っぽ。
「あたしが小さい頃はウサギさんもあそこにいたんですよ? 神使が幼い時にはウサギさんが神使の仕事を手伝ってくれるんです」
渡辺先生がこの神社に初めて来た頃、真耶ちゃんはまだ幼稚園児だったのでウサギがいたんだそうだ。今は本来いるべき別の神社に戻っている。
「神使って、鳥居の左右に一体ずついるもんなんだそうです。キツネさんとかそうですよね? でもこの神社の場合、ふたりいたオオカミさんのひとりが神様になって、そのかわりにやってきたウサギさんも今は別のところにいるから…」
ああなるほど、ということは今あそこにいてもいい立場なのは…と気づいたところで真耶ちゃんが説明の続きを言いよどんだ。私がおやっと思うまもなく、花耶ちゃんが言葉を継いだ。
「だからあそこは今お姉ちゃんのポジションなの。ちっちゃい頃とかあそこの上によく座ってたんだよ、オオカミさんみたいに両手を前についた座り方で。花耶なんとなく覚えてるけど、あたしがこの神社守るの! って言いながら。雨の日もレインコート着てずっといるんだよ」
「花耶ちゃんそれ言わないでよ~」
神使は神社を守る役目、その言葉の意味を真に受けて小さい頃の真耶ちゃんはよく空になった台座の上にちょこんと座っていたのだそうだ。今となってはそれが恥ずかしいことなので真耶ちゃんは言葉に詰まったのだけど、なんだか可愛らしい。
 でも確かに、台座は低くて小さい子でも乗っかることが簡単なのだ。

 でもそのときは、花耶ちゃんも一緒にレインコート着て横に座っててくれたんだよ、と真耶ちゃん。なんだかんだで仲良し姉妹だ。
「人間の神使は、神様を自分の身体に宿すことができるんですよ。というか、そのために神使になるんです」
壁には写真がいくつも貼ってあり、真耶ちゃんがひとつひとつ説明してくれる。神使が神様をその身に宿す祭りは毎年夏に行われるという。賑わった境内の様子が写真に収められている。
「年中行事を紹介するためにこれを貼ったんです。大体一年かけてこんなことをやるんですよ」
お正月から始まって、春から夏、秋、そして冬と、いろいろなやるべきことがある。七五三みたいな神社につきものの行事にも真耶ちゃんと花耶ちゃんは参加するし、見ていると天狼神社以外の場所でも色々とやっているようだ。
「さっき言ったみたく、この神社以外にも神様もいれば神使様もいるから、やることはたくさんあるんですよ」
「大変なんじゃ?」
私は率直な感想を言ったが、これまた率直な答えが返って来た。
「うん。でも楽しいですよ」
大変ではという問の答えが否定ではないが全肯定でもない。マイナスもプラスに転化できる子なのかもしれない。
 でも確かに、どの行事も楽しそうだ。そう思っていると真耶ちゃんが、
「あづみさんにも、この神社のいろんな行事を見てほしいな」
私もすかさず、
「ずっといたいな」
「ずっといましょうよ」
 気がつけば、教育実習終了後もここに居続けることが決まっていた。文系の大学四年生だから授業なんてそうそう残っていないし、私は月曜日にすべての授業を集めている。だから週一回東京の実家に戻って授業を受けたら帰ってくればいい。希和子さんも二つ返事で承諾してくれたし、実家にそのことを伝えると、可愛い子には旅をさせろだ、と嬉しいことを言ってくれる。まぁ狭い我が家が少しでも広くなるのは歓迎だってこともあるのだろうけど。
 「でもお姉ちゃん、いいぷれぜんだったよね。ぐっじょぶだよ」
花耶ちゃんがいつもの通り難しい言葉で褒める。でもその通りだ。真耶ちゃんのおかげでしばらく幸せな日々が続けられそうだ。

 気がつけばあっという間に実習の四週間は終わってしまった。まあ私はこれからもしばらくこの村に残るわけだ。もちろん教員採用試験は始まるわけだし、いよいよ勉強も大詰め。ゆっくりしてはいられないが、この村の環境は頑張るにはベストだ。

 それにしても、授業の話を一度もしてこなかったな、私…。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第四話

 というわけで、あづみを軸にした物語はまだまだ続きます。この子には特別個性を設けていないので、語り手として使いやすいのです。便利な存在ではありますが、便利に使うだけでも可哀想なのでもう少し色々動かしてみようと思います。
 今回は二つのエピソードがつながったような形になっています。前半における教師間の対立は今後も描く予定です。また後半ですが、真耶の天狼神社における位置づけをキチンと説明した覚えがなかったので設けた話です。多少説明的になった部分は否めませんが、教育実習の時期というのはとりたてて大きな行事が無いもの。むしろこれからが書いて楽しい季節だったりすると言い訳させてください。
 そう、夏です。期末テストが終わって木花の子どもたちがいかにはっちゃけるか、を描いていく予定です。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第四話

村はずれの小さな神社に住まう嬬恋真耶は一見清楚で可憐な美少女。しかし居候の金子あづみは真耶の秘密を知ってビックリ! 教育実習もいよいよ大詰め。このまま無事に終わるかと思いきや一大事発生! われらがヒロイン(?)嬬恋真耶の身に危機迫る!

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-03

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