エキストラ
「よーい、ハイ!」と声がかかったので、俺はなるべく声をひそめて話し始める。
「僕、佐藤晴久っていいます。どうぞよろしく」
「え、あ、はい」
「だめですよ、そんな慌てた顔しちゃ。僕らはただの背景なん」
「カットー!」やけに早いなと思ったら、主演の女優が「すいませーん」と半笑いの表情で周囲にぺこぺこ頭を下げている。どうやらNGを出したらしい。
俺は向かい合って座っている女の子に軽く笑いかけた。女の子は明らかに緊張していた。結構可愛い顔の子だと思うけれど、カメラには背を向けているので画面に映ることはない。実にもったいない。
「よーい、ハイ!」
「大丈夫ですよ、そんなに緊張しなくても」
「あ、ありがとうございます。でも、あの、何を話したらいいかわからなくて」
「何だっていいんですよ、どうせ声は入らないんだから。幸せなカップルらしく、優しく微笑んでさえいれば、たとえどんな汚い言葉で罵り合ってたって視聴者には」
「カットー!」「すいませーん」またか。そんなに難しいセリフなのだろうか。僕らはコーヒーを飲みながら微笑み合い、主演の彼女が恋人との口論の末カッとなって店を飛び出していくところを見送り、怪訝そうな表情で顔を見合わせなければならないのだが、いつまで微笑み合っていなくてはならないのだろうか。
「よーい、ハイ!」
「いや、実は僕がこのバイトを始めたきっかけもそれなんですよ。つまり、ドラマとかで画面の後ろの方で話してる人たちって一体どんなことしゃべってるんだろうって気になり出しちゃって。実際、自分でいくつかやってみると、まあいろいろですね。今日みたいに適当にしゃべっていいって言われたり、一切声出すなって言われてしゃべるふりしたり。でも一度ある映画の撮影で、きっちりセリフが用意されてたことがあって、びっくりしましたね。声入らないのにね。神は細部に宿る、みたいなこだわりなんでしょうけど、悲しいかな、そうやって緻密に作られた作品が愚にもつかんクズ映画だったりもす」
「カットー!」「すいませーん」いかん、一人でしゃべりすぎた。それに、罵倒し出すと止まらなくなる悪い癖も出てしまった。いかんいかん。
「よーい、ハイ!」
「何回NG出しても、すいませーんってへらへらしてられるんだからすごいよね。もう少し申し訳なさそうにしてもよさそうなもんだけど、やっぱりあれくらい面の皮が厚くないと芸能界じゃ勝ち残れな」
「カットー!」「すいませーん」
「よーい、ハイ!」
「まあ、彼女もこれがドラマ初主演だから仕方ないのかな。あー、名前なんていったっけな? そうだ、香澄凛だ。はは、AV女優みたいな名前しやが」
「カットー!」「すいませーん」
「よーい、ハイ!」
「だいたい、ちょっと口喧嘩したくらいで店を飛び出すってどんな気違」
その後も俺は気が済むまで悪口雑言を吐いて、撮影は無事終了した。その間、俺は静かな微笑みを常に絶やさなかった。向かいの彼女の顔はどんどん引きつっていったが、どうせ映らないんだから、かまやしない。画面に映るものだけが真実だ。
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