彼の元にも日は昇るのだから不思議だ。

へなちょこな彼の元にも、日は昇るのだ。

ネット小説家の兄がいる。兄は偏屈屋だ。

自称ネット小説家の兄がいる。
彼は縛られるのはごめんだと言って新人賞には終ぞ作品を送ったことがない。それでも小説家だと言う。
彼は大学時代ノイローゼになり、障碍者年金をもらいながら生きている。
彼の金は主に両親へのプレゼントと消え、後はわずかな貯蓄と消え、毎日を苦労もしないで苦悩しながら生きている。
彼の日常は、儚い。

兄が散歩から帰ると、従姉妹の赤ちゃんが来ていて、「おお、ここちゃーん」と笑うと、昼飯を食べていた従姉妹が「チッ」と切れかけた。
彼の人望はほとんどない。彼はすぐに二階に上がり、声の聞こえないベランダで梨木果歩の家守奇譚を読んでその日は過ごした。

彼の人生は、ほとんど他人に気を遣うことに絞られてきた。
幼い私たちに気を使い、両親に甘えず、従兄たちにプロレス技を掛けられ、友は意外といて、でも大学に入るとなんだか気鬱になり、それが脳の疾患だと気づいたころには遅すぎた。

秘かに憐れむ、私は彼の昔飼っていた犬だ。
私は雌だった。だから妹。
彼は私が死んだとき、わんわん泣き、儚んでくれたが、見送りには怖すぎたのか来てくれなかった。
彼に憑りついて、8年になる。

え?彼の病気は私のせいじゃないかって??

まあそれも無きにしも非ず。彼は最後の日に散歩に連れて行ってくれなかった。その復讐だ。私は存外嫉妬深く、彼の初恋が実らなかったのも、これから先結婚できそうにないのもひとえに彼を想うからである。

ああ無情。

階下からの笑い声を聞きながら、彼はマルボロメンソールを吸い、蜂の死骸をそっと見やった。昨日彼の部屋に蜂が出た。彼は冷静に対処し、ハエたたきで殺したが、自分のやったことが罪深いことではないかと何かを恐れている。地獄に落ちるのが怖いのだ。
心配しなくていい、死んだら私の手下にしてやる。
私はそう笑い、くるりと宙返りをした。

彼はぞくりと寒気を感じ、ぶるぶると震えた。

とある日、地元出身の都知事が凱旋パレードを開き、名高い祖母の元にも見え、兄は呼ばれたのだが、「俺政治家きらーい」と寝床から返事し、兄は大変後悔した。
何か起きるのではないか。
彼は常にそんな恐怖心を抱いている。
安心したまえ、ちょっとおバカだと笑われるだけだ。
父にぽんと背中を叩かれて、彼は鬱モードから復活した。苦労人の父の前では、鬱モードは止めると決めている。彼はもりもりと夕飯を食べ、ビートルズを聞きながら、ふんふん歌って部屋へ上がった。

と、階段を踏み外してこけた。

あーっと落ちていく最中、彼は私の尻尾が見えたとか見えなかったとか。
彼は入院中私の悪夢にうんうんうなされ、やはり私を見殺しにした自分が悪かったとぎゃん泣きして、その様子を小説に鼻をぐすぐす言わせながら書いた。隣の爺さんに孫共々「アホー」と笑われ、睨みつけたら知らんぷりされた。
彼は家に帰ってから、仏壇に線香を上げ、勝手にドッグフードを盛ってチーンと合掌していたら、「こんなん、来ていらん!」と祖母が怒りでドッグフードをひっくり返した。
彼は折れた足で、一粒一粒それを拾い、またぐすぐすと「ごめんよ婆ちゃん」と泣いた。

ここまで書いてお気づきだろうが、彼はよく泣く。
カップルとすれ違っても泣く。気温差で泣く。花粉症で泣く。とにかくよく泣く奴なのだ。
「阿保か」と父に言われながら、皆にはははと笑われて、彼はうううっと悔しそうにした。しかし怒るという選択肢は彼には無い。
彼は常々、父が仕事の電話で頭を下げるたび、心に何か響く痛みのようなものがあり、それが罪悪感だと気づいてからは、以降金を一切合切渡すようになった。

「こんなん、もろてもしゃーないんやけど」

そう言って受け取らない父に代わり、母に渡した。母は貰えるものはきちんと受け取る強い女だ。彼は常々思っている。金の切れ目が縁の切れ目。

彼はご近所のうわさ話が、自分のことに聞こえてしゃーない。それを病院で切々と訴えると、先生は優しい目でうんうんと聞いてくれ、色々とアドバイスをくれてから、「お婆さんと、よーくお話してみてください」と言った。
言われたので、その日から彼は祖母に今日まで思ってきたことを話してみた。
犬の幽霊がいる気がする。自分は疫病神だ。父に申し訳ない。

祖母は「あんたみたいな人間も、この世に必要だ」と言ってから、夕飯の用意を手伝わせ、その日の鍋を見せて、「見なさい、この世にはつみれのような奴や、白菜の様な人、椎茸のような上等なのもいて、あんたはこれだ」と言ってシラタキをばらばらと鍋に入れた。
「俺、シラタキ?」
彼が涙目で聞くと、「シラタキだって、美味い具には違いない、栄養はないが、味がある」と言って祖母は鍋の蓋を閉めた。

その日は28歳の誕生日だった。

おめでとうと母に言われ、父に酒を注がれる中、彼はじっと考えていた。
俺、シラタキなんだ。
栄養はないけど、味はある。食べながら、シラタキ美味いと思った。

さて、彼が描く小説は骨身のないものが多かったのだけど、その日父に見せた小説は骨太で、父に「これはイケるぞ」と言わせ、彼は大変鼻が高かった。
なのでそのままコンビニでコピーし、軽い気持ちで新人賞に送った。

数日後、彼の予想通り編集者から「残念ながら、落選です」と電話が来て、「でも、僕は面白いと思いました、もっと書いて送ってください」と言われ、それから彼は少しだけ、日々を上向けることにした。

今日までの負け戦も、なんだか笑える日々なのだから不思議である。

と、ここまで書いて、彼は私のイメージイラストを原稿に添えた。

彼の元にも日は昇るのだから不思議だ。

割と身近にいる人です。

彼の元にも日は昇るのだから不思議だ。

彼はとっても、へなちょこだ。へなちょこ作家の第一作。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-07

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