ひとつの恋 ☆ 4

哀しい強さ



秋の匂いがするってあなたが教えてくれた

意識して大きく深呼吸してみると
その匂いを知ることができた。




私は高校一年の夏休み前からアルバイトをしていた。

働くことは好きだったし何よりとにかく早く大人になりたかった。

トゥシューズも履かずに爪先立ちしたバレリーナが背伸びしたかのように

無理をしてでも早く自立した、意思を持った人間になりたかった。



制服はたった3年間の勝負服だ。初めは(くるぶし)まである長いプリーツスカートが当たり前で、それがいいと思っていた。

ちょうどこの頃、雑誌ではミニスカートにルーズソックスという制服スタイルが流行っていた。

私は長いスカートを持ってクリーニング屋に行き店員のおばさんに

「 ほんとにいいんですね? 」

と何度も念を押されながら、ロングスカートの半分をバッサリ切ってもらう。

こうしてこの田舎町にもたちまち、初めての制服ミニスカートが流行していった。



私の初めてのアルバイトは、大型シュッピングセンターでお惣菜コーナーの調理だった。

本当は高校でアルバイトを禁止されているから
隠れて出来るこの裏方の仕事を選んだ。

先輩アルバイトに玉葱の剥き方から切り方、煮込み作業など一連の動きを教わる。

閉店すると余ったお弁当や丼、お寿司など全てを廃棄しなくてはならない。

先輩は、大きなビニール袋に感情もなく詰め込みコンテナの中へと捨てていく。

私はこの作業だけはいつまでも慣れることはなかった。

この誰にも食べられることのない沢山のお弁当を、世界中の恵まれない子どもたちに届けられたらどんなにいいだろう……と胸がチクリと痛むのだった。

私は今日もそんなことが出来る筈もなく、無力さを実感しながら、また袋にお弁当を詰めていく。



バイトは夜9時には終わる。
家に帰ろうと急いでエプロンを外しタイムカードを押す。

金曜日で忙しかったから疲れたし今日だけ近道して帰ろうか。

家までは自転車で25分の距離、近道だと15分とかからない。





私は気まぐれに工場地帯に入って行く。ちょっと薄暗いけど街灯も点々とある。

道路は2車線で対向車線との間には街路樹がおい茂り、壁のように高くそびえ立っている。

ゴォーンゴォーンと何かが製造される音が、規則的に両側の工場から耳に入ってくる。


人の気配はない。


ふと、目の前に真っ黒なセダン車が停まっているのに違和感を感じる。

なんでこんな所に車が……と思ったけど、払拭するかのように軽く考えてしまった。


「 ちょっとごめん、すいません… 。 」


男の人が車の中から窓を開けて、私を呼び止める。私は自転車にブレーキをかけ振り返る。


「 健康ランドってどこですか?」


至って普通の二十過ぎくらいのお兄さんが聞いている、私は親切に教えようとする。


「 方向、逆です … 。 」


場所を簡単に説明している時、車内を見るともう一人助手席に男性がいた。


「 ありがとう…… 。 」


そのお兄さんは感じよくそう言うと、車のウィンドウを閉めた。

私は良いことをした位にしか思っていなかった
再び自転車をこぎ始める、早く帰ろう。


そのセダンが動き出し私を追い越したかと思うと、何故か前方の路肩にまた停車した。

今、反対方向だと言ったのに……… さすがにおかしいとは思ったけど、ここまで来たら引き返す訳にもいかず、この道を行くしかない。


私は妙な胸騒ぎがした、立ちこぎして急いでセダンを追い越す。


瞬間、バッと運転席のドアが開く。


運動神経はそこそこいいはずの私だったが、スローモーション送りのようにしか動けない。


気が付くとすでに、私の後方から両肩に乱暴な腕が回る。


その魔物から煙草と酒が入り交じった濃い匂いが襲い、一瞬で恐怖の香りに支配される。



ガシャーン



自転車が倒れて私は道に転がっている、何が起きているのか理解出来ない。


私の右腕をガシリと掴んでその魔物は離さない。


「 早くしろ こっちや! 」


助手席にいた男性は30代に見えた。

魔物が指示すると30代は、素早く運転席に乗移り、慌てて車を近くまで寄せようとする。


私はやっと(さら)われるんだ……と頭をよぎった時


無意識に


「 やめてください、やめてください 。 」


私は必死に、何故か敬語で繰り返し懇願している。でもその声は虚しく工場の豪音にかき消されていった。


魔物には感情などない。抵抗する私をアスファルトの地面に引きずっていく、もう駄目かと思ったその時……


遠く後ろから別の車のヘッドライトが光った。


「 あかん、乗れ! 」


30代の一言で、私の右腕は解き放たれた。


魔物は急カーブしながら素早く木々の間をUターンすると、エンジン音とタイヤの焦げた臭いを残しあっという間に逃げて行ってしまった。


私は力が抜けヘナヘナと道端に座り込み、正気を取り戻していく。



本当の恐怖の後は泣いたりなんかしない。


食品工場から白衣に衛生帽を被った男性2人が道端まで出てきて

「 なんや、痴漢か… 」

たった一言だけ吐き捨てると、冷ややかに我関せずと工場へと戻っていく。



「 大丈夫ですか?え…しおりちゃん?しおりちゃんやん!どうしたん!? 」


車のヘッドライトの主は、幸運な事にこの先に住む同級生の女の子と母親だった。


助かった、助かったんだ……… 。


私は安堵したものの、右腕に痛みと膝には擦り傷が出来ていた。ストッキングは破れてボロボロになっていた。



次の日にもうバイトは辞めた。事情を説明すると店長は渋々納得せざる得なかった。

バイトは辞められたが私は途方に暮れる。車の横を通るのが怖い、今までになく男の人が怖い。

事実何もされなかった、ただのかすり傷で済んだ、だが言い知れぬ恐怖がまとわりつく。

ふとした瞬間にあの光景が思い出され、もしあの時、友人の車が来なければと考えてしまう。

ひとつ間違えれば、車に押し込められていたかも知れない。


その先はきっと地獄だ。


なぜ安易に近道を選んだのか自分を責め続け悔やみながら、心が張りつめていた。




放課後の教室、あなたの帰りを待つ。



三階の窓から見えるシンボル的な噴水。水が繰り返し吹き出るのを頭を空っぽにして、飽きもせず
ただ見ていた。


私は水が感覚的に好きだった。


流れるときに発する音も透明の色も、例え水道水であっても清らかで落ち着きを放つ。



「 バイト辞めたの……… 。 」



私が影を落としてそう言っても、鳴海くんは深くは聞かない。



いつだってそうだ



あなたは誰よりも第六感が冴えている。


人の感情をまるで音符でも並べるかのように
いとも簡単に人の気持ちを汲み取っていく。


本当の怖さは後からやって来る。


あなたが黙って傍にいてくれて安心したのか
一筋の涙が頬を伝う。



鳴海くんはその横顔を切ない目で見ると
本能的に私の傷を癒すかのように



私の肩をゆっくり引き寄せ、温かい腕が背中へと伝う。



優しくそれは優しく、私の哀しみを包んでいく。


特別な学ランの胸が私を抱きしめる。


見上げると


その小さな唇が鳴海くんの厚い唇と重なり



そっと息を感じる。




この唇はあなただけのものだ。



あなたの無条件の温かさが、私の不安や哀しみを溶かしていく。


いつも、どんなときも



頑なに私を守ると決意が滲む。




星屑の中から信じて拾い上げた
この大切なひと




どうか私から離れないでいて






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ひとつの恋 ☆ 4

ひとつの恋 ☆ 4

哀しい強さ

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-06

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