魔女の教え人

師匠 -1-

貴女には魔女の素質があります。心地よい春風が吹く町の中で、いつものように男をナンパしていたら、魔女の姿をした女性にそう声を掛けられた。
今時、魔女なんて本の中でのみ存在するようなもので、ほとんど姿を見ることはない。私だって、こうして実際に魔女の姿を見たのは初めてで、驚き言葉に迷ってしまった。
どうして私が? なんてより、まずは目の前の魔女の存在を疑った。いきなり話しかけられて、そして魔女の素質がある、なんて言われてもすぐに事情を飲み込めるわけがない。

「人違いじゃない?」

ようやく口から出たのは、そんな疑いの言葉。真剣な表情をしているのはわかるが、それでもまだ少女の面影が残る魔女の言葉を鵜呑みにはできない。

「いえ、人違いではありません」

魔女は、少し震える声でそう応えた。

「魔女は直感で生きる者ですから……貴女で、間違いありません」

通りを歩いている複数人が振り返るぐらいの、力強い声。だから私も、それならばとその魔女の話を聞くために、私の仕事場……兼、自室へと連れて行った。

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魔女は私より一才の年下で、けれども魔女としての力は本物だった。ヒトやモノの記憶を操り、自由に扱うことのできる力。危険な力だと何度も釘を刺され、そして私もその通りだと思っている。
文章にも残さず、今の魔女が口頭だけで伝えられている。そうしないと、悪用でもされたら簡単に人の世は混乱してしまうから、とのことだった。
けれども……この魔女はとにかく話が長い。話し好きではないみたいだから、きっとどのように話そうか前日にでも考えて、何度も推敲して、こうやって私にその力の何たるかを伝えているのだろう。
だからどこか理屈っぽく、そして単純に面白くない。眠くなるし、そもそも私はこういった勉強はあまり好きではない。夏が終わって風は涼しく、果物が美味しくて眠くなるこの陽気。
目を閉じれば、ほらこうして……すぐにでも、眠ってしまいそうな―――――……。

「……聞いていましたか?」

オセっちの、少し怒気を含んだ声。オセとは魔女の名前で、真名らしい。魔女が真名を伝えるのは、特別な人に対してだけだって聞いたことがある。
私はリィリ。源氏名で、真名は知らない。そればかりかどこで生まれたのか、両親の声も名前も顔さえも知らない。物心が付いたときには、もう教会の孤児院でお世話になっていた。

「きーてましたー」

なんて返すけれど、明らかにオセっちは怒っている。帽子を脱いで、つい先日に私が切ったばかりの短い栗色の髪を涼しい風に揺らし、私を睨み付けている。

「……魔女に嘘をつこうだなんて、良い度胸ですね」

また説教されるのか、と身構える。そんなこんなで、オセっちは私の師匠になった。私は魔女になるために、オセっちに色々と教わっている。かれこれ半年は経っただろうか。
こうして私が適当なことを言って、それに対してオセっちがお説教をして……私は魔女としての力を磨いていく。実際にいくつかの魔女の力を教わって、いくつかは実際に利用したことがある。

「……仕事まで時間がないのでしょう? ……まったく、間に合いませんよ?」

私は華を売って仕事をしている。と言ってもまだ成人していないから身体を売っているわけではなくて、あくまでもお喋りをして楽しませているだけのお仕事。
私の性格に合っていて、とても楽しく仕事をさせて貰っている。中には合わないって人もいるみたいだけれど……それは、しょうがないと思う。私は幸運なのだろう。

「もーちょっと簡単な話にできないのー? 面白くないって」

嘘をつくことのできないから、オセっち……師匠とは本音でやりとりをしている。師匠もその方が良いらしい、何を考えているのかわかっているから、嘘を言われると逆に気を使ってしまうのだという。
私も本音を言うのはあまり抵抗がないから、はた目にはギクシャクしそうな会話でも不思議と良い関係で会話をすることができている。

「……面白くしようとはしているのですが、どうも……」

師匠はあまり話し上手な人ではない。自分の考えを口に出すことも苦手としている。その反面、文字にして書くのは上手いし、すごく面白い。

「手書きで渡してって、その方が面白いんだからさー」

だからこうして、文字にして渡すようにいつも言ってるのだけれど。

「ダメですよ! もしそうして文字に起こしたものを貴女が紛失して、誰かに拾われて――――……」

そして悪用されたらダメ。そんな言葉をこの半年で何度、聞いたことやら。

「はいはい、わかりましたよーだ」

その言葉を遮るように大きなあくびを漏らして、立ち上がる。教室は青空の下で、周りに誰もいないことを確認した上でしている。
誰かに聞こえるんじゃないかって、最初は不用心だと思っていたけれど、どうやら青空教室の回りに細工をしているらしい。
私たちの言動はある範囲を超えて聞こえることはない結界、のようなもの。最近はこの結界を作るのは、私の役目になりつつある。
結界は地面に魔方陣を書いて、張っている。だから足先で少し魔方陣のひと文字だけ蹴飛ばせば、その結界もかき消える。

「じゃ、仕事に行ってくるね。師匠も、たまに遊びに来たら良いのに」

なんて言っても、師匠の答えは決まっている。

「そうですね……考えておきます」

そんな受け答えが、一ヶ月間も続いている。

師匠 -2-

町の中は、あまり好きではない。数多もの記憶が氾濫していて、息が詰まりそうになる。
師匠からは、気にしすぎると身体を壊すと注意された。
実際に師匠はついにこの記憶の混流に耐え切れず、私という弟子を残して自決した。
まだ三十も半ばで、黒髪の美しい女性だった。優しく、強い人だった。憧れでもあった。
巷に溢れる記憶は話し声とよく似ている。違いは、普通の会話では話されないようなもの、
悪意や……聞くに堪えない、無秩序な話し声は、耳をふさぎたくなる。
けれども魔女は、この記憶を聴きつづけなければならない。両手で耳をふさいだって、
聞こえてしまうものなのだから。

それに、中には本当に困っているって人もいる。今日だってほら、子どもの声が聞こえた。
濁流の中のわずかな揺らぎではあったけれど、聞き逃すはずはない。
私はこのために、魔女になったのだから。どうしても、人の役に立ちたいのだから。

この記憶の中でその声だけを探し出すのは、決して容易ではない。
例えるなら藁の中の針、もしくは水槽の中のガラスのコップ。言葉を悪くすれば、
糞の中のたった一つの宝石。色々な邪魔な記憶が聞こえる中で耳を澄ませて、
その声の主を探す。どこにいるのか、どこで困っているのか。ああ、泣かないで。
すぐに見つけてあげるから。自然と足が速くなる。早歩きから、小走りから、
ついに走り出すぐらい。近くなっている感じはする。泣いているみたいだから、
他の人も(かわいそうに)とか(うるさいな)とか……思い思いの記憶が渦巻いている。
もう少し……本当の泣き声も聞こえてきた。

「……いた」

見つけた。

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「大丈夫だよ、泣かない泣かない」

そうはいっても、この子にとって私は知らない人。そうやって声をかけても、
一瞬は泣きやんで私を見て、すぐに泣きだし始める。
他の人も私たちのことを訝しげに見ている。けれども、それは当然だろう。
なんせとんがり帽子をかぶった魔女が、子供を泣かしているのだから。
はやく泣き止ませろよ、とか、ひどいことをするのね、とか、色んな記憶が聞こえる。

「男の子だもんね、強い強い」

草色の髪に手を伸ばす。頭をなでる意図ともう一つ、とにかく泣き止ませる意図がある。
初対面の人の記憶を操ることは、本当はしたくないのだけれど……この場だと、
針のむしろで落ち着かない。とにかく、落ち着ける場所に行きたかった。
その子に暗示したのは、泣き止むことと素直に私についてくること。手を引っ張られても、
暴れないこと。それとそれらに対して何も不思議に思わないこと。
少し悪用すれば簡単に人をさらうことのできる、魔女の術。

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そうやって連れてきたのは、私の一歳年上の弟子、リィリさんの仕事場だった。
自室も兼ねているらしいから、そこに甘えることにした。
甘く良い匂いがする部屋。白を基調に、綺麗に整えられた不思議と落ち着く空間。
小奇麗な机に色々な衣装が入っていると思われる、やはり白いクローゼット。
寝台は一つで、二人は寝ることができるほど広い。一緒に寝ることもあるのだという。
けれども窓は全て白い布で覆われ、日光が入り込むことはない。
今この空間では時間を忘れて楽しんでほしい、そんな意図があると聞いた。

「……で、迷子?」

リィリさんの素っ頓狂な、小さな声。泣き止んだ男の子は、安心したのか泣き疲れたのか、
真っ白いシーツで整う寝台の上で眠ってしまっている。
起きるまではゆっくりしてあげよう、二人でそう決めて声も潜めることにした。

「迷子です」

名前も知っている。この子の頭を撫でた時に、記憶をすべて読み取ってしまったのだから。

「住んでいるのは町のはずれですね……後で送ってあげようかと思います」

なんて話していて、リィリさんの顔が嫌そうに歪んでいるのが見えた。
もっとも、なぜリィリさんがそんな顔をしているのかは、既にわかっている。
恐怖している、と言えば最も正しいだろうか。言葉にならぬ、記憶の混流。

「……そうですね、だから……」

そう言いかけた私の言葉を。

「……うん、だいじょーぶ。約束したんだもの、オセっちに楽させるって」

少ない言葉で、けれども力強く、返してくれた。
リィリさんは決して物覚えの良い方ではない。むしろ、悪い方かもしれない。
けれどもその優しさには、私の幾度もなく救われている。
いつも優しいことを考えているから、私もリィリさんのそばにいると安らぐことができる。

「そうですね」

いつもありがとう。そんな言葉は、心の中にしまっておくことにした。

魔女の教え人

魔女の教え人

その魔女は若くして私の師匠となり、私は魔女としての力を教わった。 「この力は決して貴女を決して不幸にしない」その言葉が、師匠の口癖だった。

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更新日
登録日
2016-10-06

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  1. 師匠 -1-
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