オタク男と肉食女
タイトルで韻を踏む縛りで書いたオリジナル恋愛小説です。うまくいったと思えるタイトルもあれば、これは苦しい……ってのもありました。
転勤と天気と転機
サーササーと鳴る微かなノイズの混じるボイス。「フィル。右後方に敵影」ガガピッと切断音。視点を右後方に切り替えてスコープ。ロックオン、発射。「Good job! 着弾成功!」
「それはエースコンバットじゃないかね」
「しまった。ノリを間違えたであります」
数人の笑い声がイヤホンマイクから聞こえる。いつものメンバーで戦術ゲームをしていた。最初はバイオハザードオンラインから仲間募集のWebサークルページで知り合って、そのなかでプレイスキル、買うゲームの趣向、ゲームにインする頻度、全員社会人、仕事はわりと忙しいと共通項が多いメンツが自然と残った。
仕事をしないでゲームする子どもとは話も価値観も合わないし、女プレイヤーも無理だ、話せない。ここ数年、職場の事務会話以外で女性と話したことなんかない、レジ店員だって俺には笑いかけない。
パソコン内の彼女たちは笑いかけてくれるけど、決まった台詞しか言わないし、そもそも触れない。日本のロボット技術の進化を熱望している。早く精巧な愛玩ロボットを作ってくれ、金の準備は万端なんだ。何処にも出かけないから貯まるのだ。
30歳、製薬会社勤務の研究員。毎日試験管と電子顕微鏡と実験器具に囲まれて、職場とマンションの往復。出かけるのはコンビニとスーパーと電気街。服はネットで買う。服飾店員となんて怖くて話せない、あの類の人達は俺みたいな人種はバカにして笑っていいものだと信じている。
自分に疑いを持てず、ただ他人を傷つける人との会話ほど苦痛なものはない。
大学在学中は無理をして馴染もうと必死だった。自分の趣味ではない流行りのスタイルを身に纏い、話したくもない会話のキャッチボールをして、何が良いのかさっぱり解らないものを褒め、可笑しくもないのに周囲に合わせて手を大きく叩いてバカ笑いをする。
周囲の同期生の態度を真似て合コンに行き、付き合おうと言われたので付き合った彼女。
高校生の時には幼馴染みと交際していたから楽だった。オタクな俺でもいいと言ってくれる変わった子だったし。地元に残って親の農業を手伝いながらJAに就職した彼女とはお互いの未来を考えて別れた。彼女は一人っ子だ。農家をついでくれる婿養子を探さなきゃならない。
その彼女と同じ人間とは思えなかった。ワガママで自己中心、ああ、失礼。これでは重ね言葉だ。
全てを気に入らないその女は周囲の何もかもに不平不満をこぼし、妥協もしなければ改善しようと自ら動く気も無いらしい。誰かにやってほしいのだと文句を垂れるだけだ、そんな要求通るわけないだろう。
ただ疲れただけのその女との付き合いも就職して1年で俺が彼女の所望するブランド品を買うつもりが全く無いことを解ってもらえるまで、いや諦めてもらえるまでで破綻を迎えた。要するにそういうことだ。彼女が好きだったのは俺の学歴と内定先の給料だった。
彼女いない歴は今年で7年になる。
だが特に不都合は無い。むしろ楽で仕方がない。
「転勤? ですか? けど、あの、俺は研究員で、営業なんて、絶対に、」
「君に営業なんてさせるわけないだろう」
人事課長の呆れた言い方にも怒りなんて覚えない。俺が営業に向かないことは紛うことなき真実だ。
「天気の話すら出来ないだろう、君は」
「はい」
力強く頷く。人事課長は嫌味が通じてない事に腹をたてた口調で続けた。
「姉妹工場の研究員に不足が出たんだ。出産と育児専念の為、退社する。育児休暇にしたらどうかと止めたんだが聞き入れてもらえなくてね」
「なるほど」
姉妹工場ならかえって現在のマンションから近くなる。車で通勤していたが自転車で通えるかもしれない。
ゲーム仲間でもある営業の同僚と離れるのはちょっと残念だった。あいつのおかげで昼休みも楽しかったんだが。今度の職場でそんな出会いは無いだろうな、よし、諦め完了!
期待も無ければ、特に不安もない転勤。仕事内容は現在と変わらないのだし。もともと研究職に人付き合いなど皆無だ。業務中の事務会話だけなら支障はない。
そんな心持ちで居たのに。
俺はものすごい衝撃的な出会いを迎えることになる。
カメラを構えた彼女
踏みしめた足が反発を受けて規則的に太股があがる。この感触が気持ちよく、前に前に漕いでいける。ランナーズハイと似たようなバイシクルハイってのがあると思うんだがどうか。
うっすらと額に汗をかく。風が頬をかすっていく。土手の上の舗装道路を駆け抜けていく合間に桜の花弁がいくつも目の前を泳いでいた。
「うっ、」
鈍くて低いうめき声がした。ムギュという何か柔らかいものを踏んだ感触。ガタタと自転車籠が揺れハンドルが暴れる。バランスを取りながら転んだりしないようにゆっくりブレーキをかけて止まると、おそるおそる後方を振り返った。
「うぉっ!?」
土手を横切るように黒い物体が転がっていた。頭髪が見える。腕がある。ゆっくりと動きながら、痛みに耐えているように見える。
というか、俺は人を轢いたようだ、何故!?
なんでアスファルトに寝転がってるんだ、こんな車が通れない場所で列車自殺の真似事は出来ないというのに。
ああ、そうか。車が通らないから寝ていたのか。いや、ダメだろ。一応公道だぞ。原付だって通る。こんなところで寝ているほうが悪い、つまり俺は悪くない。むしろ猫じゃなくて良かった!
よし、結論出たな。退却しよう。
そう思って自転車に跨りかけると黒い物体が起き上がってこっちに向かってくる。
文句を言われるのだろうか。ここで逃げたら俺が全面的に悪者にされるだろう。
黒い上下のウインドブレーカーに身を包んだその人は首からカメラをぶら下げていた。近付いてから視認できた顔には大きなサングラスをしているから性別も定かじゃない。
ズンズンと距離をつめられて、そいつが口を開く。
「タイヤに画用紙残ってないですか?」
高い声だ、え、女の人なのか?
「画用紙?」
自転車の前輪と後輪を交互に覗きこんだ。灰色の画用紙が後輪に巻き込まれていて、それを取ると大きさのばらけた丸い穴がくりぬかれている。これ? と伺うように彼女に渡した。
「これです。あー、大丈夫だ、破れてない。ありがとう」
「あの……」
「はい?」
「怒らないんですか? 俺、あなたを自転車で轢きましたよね?」
「いや、道路に寝てるこっちが悪いんで。かえってごめんなさい」
画用紙を両手で引っ張り皺を伸ばしながら彼女は淡々と述べる。
「痛くないですか?」
「けっこう痛いです」
「病院とか、行ったほうが」
「そこまでじゃないかな。あっ! 晴れた!」
雲に隠れていた太陽が顔を出した。彼女は俺に画用紙を差し出し「ちょっとこれ持っててもらえます?」と持たせる。持たせた後に俺の手首を掴むと高くあげて「このへん、かな。ちょっとそのままキープしててください」と言われた。
細い指先が軽く皮膚に食い込む。顔が赤くなる。久々にリアルの女体に触れた。柔らかい。
彼女は屈んでカメラを構えた。シャッターは切らない。地面に向かってアングルを固定したままファインダーに目を当て続けていた。
桜の花弁がひらひらと彼女の目の前に降ってきた瞬間、カシャシャシャシャシャと音がする。連写してるのか。
俺はカメラはさっぱりわからないが多分デジタル一眼レフだと思う。起き上がった彼女はサングラスを外すと撮れた画像を液晶モニタに呼び出してそれを俺に見せた。
「やった! 撮れたよ!」
モニタにはアスファルトを照らす木漏れ日と、それに重なって舞う桜が写っていた。
「この木漏れ日、丸くないんですね」
「うん! 今日、部分日食だから」
白い無数の欠けた月が花弁とともに道路に降り積もっていくように見える写真はたいそう幻想的だった。
なるほど、大きなサングラスは日食グラスだったのか。好きな感じの欠け具合になるのを待っていたのだろう。
「ありがとう。1人だと寝っ転がってもアングルがうまく行かなかったんです」
「いえいえ」
モニタから視線を外して、彼女を見ると、俺を見上げていた。
ショートボブの髪型と尖った顎がユニセックスな雰囲気を作っている。丸く、くりくりとした目は柴犬のようだ。鼻は小さくて低く、幼く見えるが、唇に引かれた紅がオレンジ系で知性と色気を感じた。というか好みの顔だ。
その好みの顔の女性が俺を見上げて。
「この写真、送りたいからメアド教えてください」
そう言ってにっこりと微笑まれたら。
期待をするなと言う方が無理だと思わないか。コンビニ店員だって俺には笑いかけないというのに。
電子の掲示に顕示
ひとつの大きな上弦月が小さくなり、複数に増えながら拡がって、桜が舞い散る。ふむ、綺麗だな。自作のスクリーンセーバーをサイトにUPする。
サイトアドレスはゲーム仲間にしか知らされてない。鍵付きの掲示板とチャット部屋があるが別に秘密の話をするわけじゃない。
オンライン戦術ゲームをするには人数が揃ってるほうが有利なので誰かの仕事帰りを待っている間に暇な時は2,3人でチャットするのに使おうぜ、とゲーム仲間のエンジニアが作ったのだ。
仲間のそれぞれのページがあり、日記とか写真とか今何処に居るとか“会社でくたばってる”って文とともに上司の机で寝そべってたりするのをUPするような。
基本的にはふざけ合ってる交流所だ。
男子小学生の放課後みたいで楽しい。
『なにコレ? フィルはアーティストになったのか?』
“フィル”は俺が使ってるアイリッシュ系白人キャラクターの名前だ。仲間内での通称でもある。チャット部屋に入ってきたのはカジマ。本名じゃない、こいつは日系キャラクターを使っている。カジマはフィリピンの言葉で“丈夫で壊れない”って意味だから、が名前の由来らしい。逆輸入ってやつか。
『貰った写真を加工して作ったんだ』
『女から貰っただろ』
『なんでわかった?』
『男から貰った写真を加工して動画にする奴とは一緒に戦えない』
『尻を掘られるからか』
『背中を任せられないな』
戦術オタクのミリタリージョークやりとり。世間は俺たちのようなタイプを勝手に内向的だと揶揄するけれど、仲間内では饒舌になるし笑いも取りに行く。
こちらを理解する気がさらさらなく譲歩も無い。そんな世間と話すのは疲れるだけだ。ただ好きなものが違うだけなのに多数派は価値が高いとされ、マイノリティは馬鹿にされる。
俺たちは内側を向いてるわけじゃない、多数派とは違うものを見てるだけだ。
自分には見えないものを下に見る人間にはならなくて良かった、そんなものに染まるくらいなら、多くの人に理解なんかしてもらえなくたって構わない。
彼女は違ったな。
思い起こす。メールアドレスを聞かれた俺はそうとう挙動不審になったはずだ。たぶん吃っただろう。
「ダメですか? 私には教えたくない?」
小首を傾げて不安気につぶやかれた。絶対にこの女は男慣れしてる。誘導が巧すぎる。警備員のバイトでもしてたのか。
「あ、アイホンだか、ら」
「赤外線出来ないんでしたっけ」
「う、うん」
「じゃ、ショートメール打つからナンバー教えてください」
それは電話番号を教え合うということにもなるじゃないか。俺にはハードルが高すぎる。けれど断りたいとは思わなかった。
『おー、それで携帯番号とメアド交換したんだ?』
カジマと途中から入室した隊長に経緯を説明した。隊長の由来はそのまま俺たちの部隊の隊長キャラクターだから。中味は俺と同じ会社の営業マンだ。転勤前までは社員食堂でよく昼食をともにした。
『ついに彼女居ない歴に終止符か?』
『そんなんじゃない』
『いやー、だってお前がそんな写真加工するほど興味を持つ女って初めてじゃないの?』
興味はある。たぶん好感も抱いてる。けれど。
『俺が電話番号を有効利用できるとでも?』
『無理だな』
『どうせメールの返信もしてないんだろ』
『してない』
『ひどい奴だな』
彼女から写真が送られてきたあと、なんて返信したらいいやら悩むには悩んだ。
自転車で轢いた身体は平気ですか? 痣とか無いですか? と聞こうとして、なんかセクハラの雰囲気を感じてやめた。
そういや名前を聞いてないし、俺も教えてないと思ってそれを返信しようとして、がっついてると思われたらどうしよう、と慌ててやめた。
そんな風に悩み続けていたうちに、気がつけばこのスクリーンセーバーを作っていた。
『この動画を彼女に送ったらどうだ?』
『怒られないか? 自分の作品を加工されたら嫌だろ』
『そうか? 上手く撮れて気に入った写真を送るためにメアド聞くような人なら、なぁ?』
『うん。それを送った相手が加工したら喜ぶんじゃないか?』
『少なくとも、お前が彼女の写真を気に入ってることと、送ってもらえて喜んでることは伝わるな。変に文章悩むよりいいんじゃない?』
一理あるな。
メンバーが揃ったのでチャットを退出し、誰かが眠くなるまでゲームをした。
朝になったら冷静になって送れなくなると思ったので、彼女に返信する。ゲームクリアー後でテンションも高かった。
作ったスクリーンセーバーを張り付けて送る。
“空を動かしてみた”
なんかスゲー気障な感じに自己嫌悪するのは翌朝のこと。
轢いて、引かれて、惹かれる
『強引でごめんなさい。もしかしてドン引き?』
彼女に携帯番号を教えて、彼女からショートメールで届いたアドレスに空メールを送信してお互いにアドレスを登録した。
その場で何を言って別れたのかは、俺は覚えてなかった。
その日の夜にそんな文面を添えて月型に欠けた陽と桜花弁の写真が送られてきた。
俺は何を返信したらいいのか解らなくてグタグダと悩み、結局4日も経過してからゲーマー仲間に促された勢いで、彼女の写真をもとに加工してあったスクリーンセーバーを送った。
それが5日前。彼女からの反応はない。
最初の返信をしなかったから呆れられたのか、そもそも俺みたいな奴とメアド交換なんてしたことを後悔しているのか、とにかく俺からフェードアウトしたいのか。
そのどれでもいい。そんな反応なら慣れている。俺が恐れているのは、彼女が自分の作品を加工されたことを怒っているのではという可能性だ。
俺が満足行くまでこだわり抜いて作ったガンプラを途中から他人に塗装されたらどう思う? 嫌だろ。絶交だ、口もききたくなくなる。彼女は写真オタクだと思う。俺は写真には詳しくない。なのに手を加えてしまった。彼女が俺と話したくないと思うのは当然ではないか。
そんなネガティブ思考がグルグルと回って、俺はゲーマー仲間からの『単に仕事で忙しいとかじゃない?』という慰めに乗れなかった。
仕事帰りに寄ったコンビニで煙草を購入して溜め息をつきながら帰路に着く。自転車に乗ろうと自動ドアから駐車場に出たところを不意に横から腕を掴まれた。
「うひょっ!?」
上擦った変な声が出て、自分の二の腕を掴んだ主を見下ろす。彼女だった。息を切らしている。
「やっと、見つけた」
「……え?」
汗で額に貼り付いた前髪を手櫛でかきあげながら彼女は微笑んだ。今日は上下黒のウインドブレーカーじゃなかった。身体にフィットした七分袖のグレーのシャツにクロップドパンツとスニーカーを合わせたカジュアルスタイル。
カジュアルなんだけど、なんとなく雰囲気はフェミニンだ。
「自転車のナンバー覚えてたから。毎日探してたの。」
俺は轢き逃げはしてないはずだが。だいたいメアドも携帯ナンバーも知ってるじゃないか? 何故探す必要が?
「よかった、会えて」
「用事あるならメールしてくれたら良かったのに」
「メールじゃ嫌。顔見て、直接言いたかった、どうしても、最初に」
彼女はバッグから携帯電話を取り出して俺に画面を向けた。俺の加工したスクリーンセーバーが画面には流れている。
「これ。ありがとう。嬉しい。すごく、すっごく嬉しい!」
そう言って頬を薄く染めてはにかんで見上げてくる彼女を、俺は、すごく、すっごく可愛いと思った。ことを口に出せるわけもなく。
「あ、いや、た、たいしたことじゃ、ない、し、」
緊張で脇汗をかきながら引き攣った頬で吃りながら話す俺は、君の目にどんな風に映っただろう。想像したら泣きたくなった。
揶揄う佳杏に敵わない
コンビニの駐車場で隣に立つ彼女と話をしてる間、俺はずっと落ち着かなかった。
伏目だと睫毛の長さが目立つ。色香にふらつきかけ、それでも目を見て話されるよりは緊張せずに居られた。
「もしかして、目を見て話されるの苦手ですか?」
こちらを見て微笑む彼女に焦って、何かを言いかけては吃る俺に最初に問うてくれたのだ。
「こうやって首のあたり見たら大丈夫かな?」
視線を下に外して確認してくれる彼女に頷いて、いや、頷いただけじゃ見えないだろ。と気づく。
「お手数かけてかたじけない」
「名前聞いてもいいですか? 私はカナンです」
「え、cannon?」
カメラ好きのお父様に名付けられたのかな、と思ったら違った。
「違います。ふっ、あはは、でもそれ、あだ名なんです。私の持ってるカメラもcannonですよ。佳杏です。にんべんに土ふたつの佳に、あんずの杏」
ファーストネームを先に言われたら、俺もそう言うべきなんだろうか? わからん。迷いながら「志村賢治です」と応えると
「加藤茶太郎とか友達に居ました?」
と聞かれたので
「茶太郎って名前の人はあまり居ないんじゃないですかね。茶三郎? いや、うーん」
と考え込むと隣でクスクスと笑われた。
「そこ、真面目に考えちゃうんだ?」
「あー、よく、受け答えが変だと言われます」
どうしてだろう。揶揄われているのに。女性にそうやって言葉の揚げ足を取られること、俺は嫌だったはずだ。
隣に立つ彼女を見下ろす。不意に視線を上げた彼女の笑顔を見て、さっと目を反らした。うわ、やってしまった。絶対感じ悪いだろ、この態度。
「あ。また目みちゃった。ごめんなさい、癖で」
「い、いえ、俺が悪いので」
「悪くないでしょう?」
「いや、いい年齢して、こんなコミュ障でかたじけない」
「コミュショー? って何ですか?」
「コミュニティ障害の略です」
「え? 賢治さんは照れ屋さんなだけに見えますよ?」
柔らかい口調。トゲも嫌味もなくて、人を安心させるような言葉を選んで話している気がする。照れてると知っていて揶揄ってるのは解るのに腹が立たない。参った。というか名前! サラッと呼ぶし!
「いい年齢なんですか? 私は26歳なんですけど」
「30歳です」
「若く見えますね。あー、私、同い年くらいかな? って思って時々敬語じゃなかったですね」
「敬語じゃなくてもいいですよ。気にしません」
「じゃあ仲良くなったら少しずつ崩していきます」
仲良くなってくれるんだ。彼女の言葉のひとつひとつに浮かれる俺が居る。彼女が立っている側の左半身が熱い。
「賢治さん、今日って予定あります? このスクリーンセーバーのお礼にご飯奢りたいんです」
「いや、そんなつもりで送ったわけじゃないですし、奢りなんて、そんな」
「ダメですか? あの、奢りたいは口実で。ごはん一緒に食べに行きたいだけなんですけど」
俺はどうしてこう気の回らない奴なのか。全部彼女に言わせて翻弄されてばかりで。俺だって彼女と一緒に居たいし、話したいし、会いに来てくれて、探してくれて、嬉しいのに。
それを伝えるどころか、まともに目も見れず、会話もうまく出来ない。
「ダメじゃないです。まったく問題ないです」
必死に絞り出した言葉はなんともお粗末だった。
定石と定説だけは饒舌に
青緑の畳に掘りごたつの黒いテーブル。真ん中には鉄板があり、ジュワジュワと音を立てて涎を誘う。かつおぶしの香ばしい香りがした。
佳杏に食べられないものとかあります? と聞かれ、茄子と椎茸が苦手ですと答えたら、なんだか賢治さんらしいと笑われた。
そうか、俺は茄子と椎茸が苦手なような雰囲気を醸し出してるのか。
お好み焼きが好物だそうだ。いつも行っているお店でいいかと問われたので、茄子と椎茸が入ってない料理が食べられるなら何処でも構わないと伝えるとまた笑われた。けど彼女になら笑われても良かった。笑顔可愛いし。
「昔、デートにお好み焼きなんてありえないって言われたことがあるんです」
「ありえないって言葉、私は好きじゃないなー」
「と、言うと?」
「だってありえないことなんてそもそもそんなに無いでしょう。ありえないって言葉を使う人って、その可能性があるかないかの確率で使ってるわけじゃなくて。自分が嫌な事や嫌いなものを排除したり虐げたりしたい場合に使ってません?」
「その台詞は仕事において使うならいいかもしれませんね」
「あー。そうですね。利潤目的なら」
「最適化、合理化で取捨選択を繰り返すなら、このパターンはありえない、と。素早く決めていく必要がある」
「うんうん。けど趣味嗜好にはさ」
「多数派が使いますよね、マイノリティに対して」
「わかるぅ!」
お好み焼きのコテをぶんぶんと振りながら佳杏が頷いた。コテに付いていたネタが飛び散ってテーブルに点をつくる。
「あっ、ごめんなさい」
佳杏がコテを鉄板に置いてテーブル拭きに手を伸ばすのと、俺がテーブル拭きを手に取るのが殆ど同時で、佳杏の指先が俺の手の甲に乗せられたので俺は固まってしまった。
手を動かせない俺の手の甲を撫でるように指を滑らせて、
「拭かないなら貸して?」
と首を傾げる。可愛い。
「う、あ、ごめ、」
「謝るの私だし」
慌てて手を引っ込める俺に苦笑いしながら佳杏がテーブルを拭いた。
「目、見られるのも、触られるのも、ダメなんですね」
「い、いや、そういう、わけでは、」
「賢治さんと手を繋いでデートして見つめあいたい女の子はどうしたらいいのかなー?」
それはどういう意図ですか。深読みしてもいいんですか。浮かれてオッケーですか。
泡を食っているうちに佳杏がふーと溜息をつく。呆れられただろうか。
「せっかく、さっきまで賢治さんスラスラ話してたのに。残念」
「俺の話つまらなくなかったですか」
「なんで?」
「いや。俺の話は理屈ばっかりとか、情緒が無いとか、よく言われてましたから」
「それ、元彼女にとかですか? さっきもお好み焼きデートありえないって言った人と一緒?」
「ですね」
佳杏が顔を上げる。頬を膨らませ、少し口を尖らせている。怒っている? のかな?
2回ひっくり返して充分火が通ったらしいお好み焼きにソースとマヨネーズをかけていく。ソースが鉄板に落ちてジュージューと鳴った。青のりとかつおぶしをまぶして切り分けたものを俺の小皿に取り分けながら、佳杏は言った。
「主語とか述語とか副詞を略さないで喋ること多いんだよ、賢治さんて」
「え?」
「彼は、こうして、こうなった。もはや見る影もない。みたく。小説のト書きみたい」
「あー。指摘されて初めて気付きました。そうですよね、会話ですもんね」
「うん、ウフフ」
「これじゃまるで自分語りですよね」
「あはは、自分語りだって。おかしい」
また笑われた。でもいいや。口を尖らせて、寂しい顔をさせるより、ずっといい。
もう、元彼女の話をするのはやめよう。俺の自意識過剰かもしれないけれど。杞憂で済むならそれで良かった。
favorite 100/100 present
栗色の髪がくるくると巻いてあるその髪型を俺は好きでは無かった。金髪碧眼の女性がやるなら似合うだろうが日本人にはそぐわない気がした。
足がつっかかりそうになってる歩き方しか出来ないのなら無理して厚底の靴を履かなければいいのにとも思っていたし、下着がのぞくローライズデニムもみっともなく見えた。
それでもそれなりに気を使って彼女が好きそうな飲食店を選んでいたし、映画や施設入場料も交通費もすべて奢っていた。会話も彼女に合わせていたと思う。
ただブランド品を買い与えるつもりはなかった。そんなに欲しいなら自分で買えばいいと伝えた。クリスマスプレゼントに5万円の時計を貴方に買うから、私に20万円のバッグを買ってという主張は意味が判らなかった。
理由を訊ねたら、だって貴方の給料は私の倍でしょう? と言われた。パーセンテージで決まるのなら10万円のはずだが。そんなことより何故プレゼントの金額も品物も貰う側が選ぶのだ。
俺は佳杏と話すと緊張から吃るけど、他の女性と話すときは普通だ。元彼女とは普通に話していた。いや、普通ではないか。
「私と一緒に居てもつまらないんでしょ?」との台詞を最後に彼女は去ったのだから、普通には話せてなかった。本心が滲みでていたのだろう。追いかけるつもりは無かった。
きっと佳杏が俺と居る時に、本当に楽しそうに、嬉しそうに笑うからだ。そういうところは幼馴染みの女の子に似ていた。
幼馴染みはずっと昔から話してたから気付かなかった。
見返りを求めない、ただ俺と一緒に居るのが楽しいなんて雰囲気で笑われたら。
嬉しいのと恥ずかしいのと、この笑顔を失ったら嫌だという不安で押しつぶされて、何を話したらいいか解らなくなるのだ。
アウトレットモール内で新しいゲームとライトノベル文庫を数冊購入して珈琲を飲んで帰ろうとしていた。ショーケースに並ぶ宝飾品を横目に見たせいで、昔の彼女を思い出したのかもしれなかった。
その時だ。ネックレスのひとつに吸い寄せられるように見入ったのは。
「プレゼントですか?」
40代で、短い髪をオールバックにした上品な女性が笑顔で声をかけてきた。
「あ。ええと」
俺はそのネックレスを指差す。
「これをください。プレゼント用に」
「かしこまりました」
女性店員は恭しく頭を下げる。ショーケースから宝石ケースに移し入れて包装を始めた。
宝石を買うのは初めてだった。貰ってくれるだろうか? 佳杏はアクセサリーは好んでつけないように思えた。
それよりも今現在で知人に過ぎないのに、こんなの買ってしまうなんて、俺、気持ち悪くないか?
そういう悩みはいろいろと巡ったのだけど。
佳杏の笑顔を思い出したら怖くなくなった。恐縮はしても付けてくれるし、きっと喜んでくれると思えた。
何よりも、俺が、佳杏になんでもいいから買ってあげたかった。
Select systematic sentence
グラフィックボードを新調するのに電気屋に向かい、入口でスマートフォンに来店ポイントを付けたあとエスカレーターで昇る。
駐車場入口とは違う音量レベルの喧騒が耳に近づき、エスカレーター降り口には両脇に各携帯電話会社のキャンペーンガールがティッシュを配る為に待ち構えていた。
浮遊する風船を引き連れ数人の子どもたちが駆けていくのを、店内は走ったらダメと母親らしき人が叱っている。普段とはまったく違う混雑。ゴールデンウィークって恐ろしいな。でもなにも電気屋に遊びに来なくても。
田舎にある市街地なので、実家に帰省した家族連れが暇を持て余し、ショッピングモールでも行くかと訪れるのだろうか。
パソコン部品コーナーに向かおうとして、カメラコーナーに立っている佳杏を見つけた。ガラスケースに収められたレンズとカタログを交互に見ながら真剣に吟味している。
「レンズ新調するんですか?」
「持っている望遠レンズが古いタイプで。でも予算が……賢治さん!?」
問いかけに答えながら振り向いた佳杏は話しかけたのが俺と知って驚いたようだ。
「連れと間違えました?」
「いえ。一人です。カメラ好きのおじさんとかに話しかけられたのかな、と思ったから」
「なるほど」
「服買うショッピングなら女友達と来れますけどね。ここは無理」
「長くなりますもんね」
「はい。そりゃもう数時間はざらです」
クスクスと笑いながら左手で前髪をかきあげる。利発的な額が覗いた。
「予算足りないんですか」
「はい。でも欲しいのはやっぱりコレだから。来月のボーナスが入ったら買います」
「ボーナス払いでクレジットとかは?」
「クレジットカード持たない主義だから」
「なるほど」
佳杏は苦笑して首の後ろを人差し指で掻いた。
「これが原因で別れたんですよね」
「え?」
「どうしても欲しいカメラがあって。入社して初めてのボーナスとそれまでの貯金はたいて買ったんです。そうしたら趣味にそこまで金を注ぎ込む女とは将来を見通せないって言われて」
「え? だって自分のお金ですよね?」
「そう言いました。そうしたら、こんな時に泣いてすがることも出来ないのか、可愛くないって。いっつも理屈ばかりで感情が薄いよねって言われちゃった」
俺もよく理屈ばかりだと言われた。私のことを馬鹿にしてる! と怒られたけど。俺から言わせれば、その台詞を口にする人ほど普段から周囲の人間を馬鹿にしてると思う。
「その男、何にも見えてないですね」
「え?」
「感情の薄い人があんな綺麗な写真撮れるわけないでしょう」
一瞬呆けた顔をした佳杏が頬を赤らめてふわりと微笑む。うわ、俺、この表情に弱い。顔が熱くなってニヤケ笑いを隠すために口元を手で押さえた。
佳杏が一歩、俺の元へと近づいた途端
「いっ、痛、あ、足つっちゃっ、」
と言いながらよろける佳杏を咄嗟に支えて腕とか胸とかに伸し掛る柔肌の感触に目眩がする。
佳杏は俺の腰に手を回してつかまりながら
「うわ、3時間も立ちっぱなしだったんだ、アタシ」
と、腕時計で確認していた。俺は手のひらで彼女の肌に触れないように腕だけで彼女を抱えあげると引越し業者がまるめて縛った布団を運ぶかのようにすりあしで壁際に設置されたベンチに歩き、佳杏を座らせた。ダサすぎる運び方なのは重々承知だ。
「ありがとうございます、ごめんね?」
ベンチに座ってふくらはぎを揉みながら佳杏が謝ってくる。今日はイエローの膝丈フレアスカートに白いサンダルを合わせている。可愛いけど目に毒だ。
「でも普通に抱っこしてくれたら良かったのに」
「い、いや、仲良くない男に手のひらで触られるの抵抗あるかな、と、思っ、」
「私と賢治さんってまだ仲良くないんですか?」
「え? あ、あー、仲良くなっ、た、んですかね?」
「フフ。じゃあ次はちゃんと抱っこしてください。」
それはどういう意味ですか。俺が抱きしめたい時にそうしてもいいってことですか。
ニヤケ笑いが止まらないので顔の下半分を手で覆い隠した。指先に熱が伝わる。きっと俺の顔は真っ赤だっただろう。「了解しました」と答える俺に佳杏が楽しそうに笑った。
披露宴と合コンで疲労困憊
『6月なんて梅雨の時期なのに結婚式するなんて日本の風土に合いませんよね』
お互いに仕事が忙しいから平日は無理だけど週末は時々ご飯食べに行きません? という佳杏からの誘いに承諾する形でゴールデンウィーク明けの週末は焼肉屋とラーメン屋に行った。2回の食事を経て佳杏との会話にもだいぶ免疫が出来てきた俺はようやく佳杏と目を合わせて話せるようになった。
今度は何処に食べに行こうか? と話していた時に6月は2人揃って前半2週ともつぶれていることが判った。お互いに別な友人の結婚披露宴に出席するからだ。
『ジューンブライドってまだ流行ってるんですね。私よくご飯に味噌汁をかけて食べてたんですけど。おばあちゃんにそのたびに怒られました。白飯に味噌汁かけて喰ったら、結婚式に雨降んだがんな! って。』
『その伝承は初耳ですね。興味深いな。出身地一緒でしたよね? 確か。狭い地域で使われてたのかな。』
内容に全く色気が無いと言われるだろうけども、俺にとってはメールのやりとりが毎日行われてるだけでかなりの進捗である。
佳杏と会えないだけでも、この予定さえ無かったらと思う理由になる披露宴。けれど問題はそのあとだ。俺にとっては苦痛でしかない時間が始まるのは。
披露宴はまだいい。普段は連絡をさほど取っていないとは言えども大学の同期だ。時折飲んではお互いの仕事状況を報告しあってた。その同期の結婚を祝う気持ちくらい俺にだってある。
けれどこれはひどいだろう。
「えー。じゃあ全員薬剤師なんですか?」
目の上に羽根でも付けてるのかと聞きたくなるマスカラ。絶対に原型とどめてないだろと思われる厚く塗りたくられたファンデーション。テカテカした唇がパクパクと動き、照明と濃いアイメイクのせいで本当に笑ってるのか定かじゃないがカラカラと口から音をたてていた。
新郎が薬剤師で同じ学部の友人なのだからみんな薬剤師だろう。うんざりだ。判ってて聞く女も、それを売りにして合コンを取り仕切るチャラい同期も。
披露宴後の二次会は婚活にはもってこいなんだそうだ。相手の職業や年収のおおよそも判るし新郎の友人なら身元がしっかりしているから結婚詐欺を疑う必要もない。
そんな打算で選んだ相手と結婚して、たとえ経済的な余裕が持てたとして、いったい何が楽しいのだろう。
……佳杏は俺の職業を知らない。年齢と名前と出身地しか聞かれなかった。食事の時もメールでも話題に登るのは、写真の話、撮影に行った旅行の話を聞かせられる。
俺にはパソコンの技術的なことを質問してきたり、どんなゲームをするのかとか、ゲーム仲間とどんな会話をするのかとか、そもそもボイスチャットというのが良く判らないのだけどラグはないの? 自分の携帯電話はandroidなのだけどiPhoneとの違いは? とかLINEってやってます?などと聞いてくる。
好きな漫画の話や映画の話もする。音楽は詳しくなくてほとんど聴かないらしい。
そういえば、俺も佳杏の職業を知らない。日中に働く会社員だというのは話の流れで判るがどんな形態の仕事なのかは判らなかった。聞くつもりもあまりなかった。
それは相手に興味がないからでも、真剣に接してないからでもなく。
本当に知りたいことを話し合っていたら、そんなのは聞いてる暇が無いということだ。俺は今、佳杏の好きな小説や映画をいくつか知っているけれど、全然足りない。もっともっと佳杏の好きなものを知りたい。
相手を好きになった時、気になるのは職業じゃないだろう。
問いかけられる質問の全てを適当に聞き流し、愛想笑いを浮かべ、気のない相槌をうちながら、早く解放されることだけを願って、俺はずっと佳杏のことを考えていた。
脈拍で陥落させる策略
2週目の別な同期の披露宴が粛々と執り行われ、笑顔の友人、感動で泣きはらした親族がぞろぞろとホテルのロビーに歩き出していく。
『こっそり帰っちゃえばいいんじゃないかな? 終わる頃に抜け出して』
二次会にあまり行きたくなかったということを佳杏にメールで伝えた。伝わってるとは思うけど新婦友人たちとの合コンのようなものだとは言いたくなかった。そして聞くこともできなかった。佳杏も新郎の友人たちと呑みに行ったの? と、俺は聞ける性格じゃなかった。
だから帰ってしまえばいい、という佳杏の返信に少し安心していた。佳杏はそういうものには参加してないのかもしれないと思えて。
俺の目論見は成功しなかった。隣の席に合コンを取り仕切る幹事が居たからだ。またあの苦痛な時間が始まるのか。眉間に皺が寄る。片手で両眼の目頭を押さえて溜息をついた。
「大安だから、混雑してるな」
同期がロビーに設置されたボードを顎で指し示す。
「見ろよ、今日、6組も予定入ってるぞ。周りも結婚ラッシュだしなー」
「お前は予定無いの?」
「無いから出会いを求めてるんだろーが」
「出会い、かあ」
あの合コンが出会いとは俺には思えないのだが。
もうひとつの会場でもちょうど式が終わったらしく、新郎新婦と並ぶ両家の両親が列席者に頭を下げて見送っている。
その一団から佳杏が現れた。むこうも友人の結婚式だとはメールで聞いていたが、まさか同じホテルだとは思ってなかった。
いつもは洗いざらしのショートボブの髪がヘアワックスで固められてエクステンションでアップアレンジされている。ブラウンのシフォンドレスで胸元が台形にカットされているデザイン。白い肌と、くっきりした鎖骨を見せていて、ズキリと胸が痛む。鼓動がうるさくなった。妬いているんだろうか、これから呑みに行くかもしれない男たちに。そんな権利、俺には無いのに。
佳杏はキョロキョロとあたりを見回していた。友人を探しているのだろうか? そう思って見ていると目があって、佳杏がぱっと笑顔になった。え?
コツコツとヒールの踵を鳴らして佳杏が俺の元へ歩いてくる。
「良かった。披露宴の予定時間長引いちゃって。見つけられないかと思った」
もしかして、俺を探してた?
「帰ろっか。賢治くん」
すいっと俺の腕に手を回して、フフ、と笑った。それで佳杏の意図を察する。俺が二次会に参加しなくて済むように演技してくれているのだ。けれど俺はそんな余裕が無い。う、腕を組むのは、やり過ぎです、佳杏さん。
ぎこちない足取りでホテル出口に向かいつつ、同期に手を振った。
「じゃ、じゃあな。また佐竹たちと呑みに行こう」
「お、おう。じゃあな」
同期は俺のあまりのぎこちなさに佳杏との関係を聞き出すことを不安に思ったのか、特に何も聞かずに見逃してくれた。
「ご、ごめん、せっかく気を使ってくれたのに」
佳杏を見下ろして謝ると、俯いてクスクスと笑いを堪えている。いつもは隠れているうなじが見えて慌てて目を反らした。
「な、なんか雰囲気違いますね。女の人は髪型とかドレスとか着ると別人みたいだ」
「こういうのは趣味じゃないですか?」
「い、いや、か、可愛いです」
精一杯の言葉を絞り出す。
「先週はスーツだったんです。賢治さんと式場の場所が離れてたから。今日は一緒だってメールで判ったから、ドレスにしたの」
さっきとは違う理由で鼓動がうるさくなった。嫉妬対象だったドレスが、自分の為に着られたものだと思うと嬉しくてたまらない。どうして、いつも、いつも、さらっと俺を喜ばせることを言ってくれるんだろう。それに引き換え俺の情けなさったらない。
不意に腕に重さを感じた。一瞬だけど佳杏がよろめいたような気がする。佳杏は変わらず笑顔で俺に語りかけていたが、違和感を覚えた。目線を下げる。右足を少しだけ引き摺っているように見えた。
「ひゃっ!?」
俺がいきなり佳杏を抱き上げたので上擦った声を出される。
「賢治さん?」
「靴ズレしてるでしょう? 痛いなら言ってください」
「……オシャレしてヒールで靴ずれなんてカッコ悪いじゃないですか」
「恰好なんてどうでもいいです。君が痛いのを我慢するほうが嫌だ」
喜ばせようと思って言ったわけじゃなかった。自然に口からついて出た言葉。
佳杏は俺の首に腕を絡ませギュッと抱きついて「ありがとう」と呟いた。耳横に佳杏の首が当たって、俺だけじゃなく佳杏の脈が速くなっているのに気づいて嬉しさでどうにかなりそうだ。それでもちゃんと彼女をしっかりと抱きかかえてホテルの隣にある百貨店へと歩いた。踵の低い靴を買ってあげるために。今度は、約束通り、ちゃんと背中と腰に手のひらを添えて。
交わりを偽り後の祭り
アクセルペダルを踏み込むとギシシと座席に押し付けられる。ハイブリッドカーなのにこのエンジンで走ってる感のGが出せるホンダ車がやっぱり好きだなと思う。
「珍しいですよね。賢治さんの世代でこの手の車」
助手席に座る佳杏が楽しそうに体を揺らして口ずさむ。
「車は移動手段であって乗れればいいって連中の方が多い世代ですね。佳杏さんも好きそうですね、こういう車」
「私はごっつい車が好きです。メカニズム解らなくても触れてるだけでワクワクするの。運転席、飛行機のコックピットみたい。いいなー」
「運転してみます?」
「そんな! 何かあったら大変だもの」
「佳杏さんなら大丈夫だと思う」
佳杏が運転して、たとえ何かあったとしても俺が捻出するから平気だ。とは言えない。それじゃまるでプロポーズだ。
「今日は格好がこれだから。今度、昼間に広い場所でちょっと運転させてもらってもいい?」
胸元に手を添えて自分の姿を示しながら佳杏は苦笑した。白地に藍色の菖蒲を模した浴衣姿だ。今日一日でなんとかまともに見れるまで慣れた。
お互い同じ町に住んでいることが判って、町にある神社主催の小さな規模の夏祭りに誘われた。
たぶん佳杏は浴衣で来てくれるような予感がしたから車で迎えに行くと申し出ると「下駄で靴ずれなんてしないですよ?」と少しイジけられた。可愛かった。
少ないけれど打ち上げ花火もあった。神社の境内に並んで座って一緒に眺めた。本当は手でも繋ぎたかったけど、小さなお祭りはほとんど混雑してなくてその必要性もなく、よくある“はぐれるから”という王道の口実は使えなかった。つまり触りたいから繋ぐ、とは俺は言い出せなかった。
出店の中に簪がたくさん置いてあるスペースがあった。地元の漆塗り老舗からの出店らしく本格的だった。佳杏が「これ可愛いー。綺麗!」と手にとったので店の人に「買います。おいくらですか?」と訊ねた。
「え。いいよ、自分で買うよ、」
遠慮する佳杏に巧い切り返しを俺が思い付けるわけもなく。
「ところで簪ってどうやって付けるんですか? 挿すだけ?」
と聞いたら店の人にも佳杏にも笑われた。
佳杏の住むマンションの真向かいにある公園に車を停車させると「簪つけてみてもいい?」と佳杏が訊ねてくる。じゃあこれで、と帰りたくなかった俺は「浴衣のうちに付けてみたいですよね」と頷いた。
今日もエクステンションとまとめ髪用のコームと佳杏が言っていたものでアップアレンジされた髪型だった。コームを外すと髪がはらりと垂れてくる。
「本当の髪の毛みたいですね」
「今いろんなタイプ豊富だから」
「薄毛の男にも朗報だ」
「あはは」
笑いながら髪を上に引き上げて簪にくるくると巻き付け、捻って斜め上から差し込むように髪束に入れると、お団子頭に簪を挿した時代劇でよく見る髪型にちゃんとなった。
「おお、こんなふうに使うのか」
興味から簪に手を伸ばす。お団子頭をポスポスと撫でて
「触ったカンジも本当の髪の毛みたいだ」
と呟いてから、見上げてくる佳杏の視線とぶつかって、俺の身体はギシリと硬直した。車の中で向かいあって彼女の後頭部に手を添えている俺。こ、これじゃまるで、
謝るのも変だろう。慌てて手を離すのもどうか。かと言って、このまま唇を重ねにいくのはあまりになんというか、流れという気もするし、それに俺は、それは嫌だった。
野暮ったいと言われようが、なし崩しは嫌だ。佳杏のことは真剣に好きなだけ、ちゃんとしたい。伝えたい。そのタイミングは今なんだろうけども、この状況を作り出したのが無意識で、俺は今日伝えるんだ! という心の準備をまったくしてこなかったので口をパクパクさせるだけで何も言葉が出てこない。
そうこうするうちに佳杏が身を乗り出してきて右手を俺の腿の上に置いた、途端に俺は仰け反って、さっと後頭部から手を離してしまった。
佳杏の顔色が悪くなる。眉根を寄せて頬をぐにゃりと曲げた。腿の上から手をどかして正面を向いて苦笑する。傷つけた、おもいっきり。
簪に手をあてて、精一杯の作った明るい笑顔で俺に向き直った。
「簪、ありがとうございます。嬉しいです」
不意にコンビニで探しあてられてスクリーンセーバーを見せられた記憶とリンクする。あの時に佳杏が伝えてきた「嬉しい」という言葉と今は全然違う。哀しい顔をさせている。
「今日は誘いに応じてくれてありがとう」
助手席のドアを開けて、佳杏がマンションの方へ消えていく。
それっきり、佳杏からメールが来ることはなかった。
送るのも贈るのも遅れて
音量を絞ったテレビから内容の聞き取れない話し声が断続的に流れてくる。立ち上げたままのパソコンはネットには繋げてない。スマートフォンに届くメール受信音はお知らせだけで、佳杏用に設定した音は鳴ることがなかった。
同じ会社の営業マンでゲーム仲間でもある隊長から『最近インしてこないけど、どうした?』とメールが来たので、新しく取ろうとしてる資格試験の勉強でしばらくイン出来そうにない、と嘘をついた。試験は受けるがゲームにイン出来ないほど勉強が必要なわけではなかった。
コポコポとコーヒーメーカーが音を立てる。それを眺めながらダイニングテーブルに肘をついて幾度目かも判らない溜め息を吐いた。
お好み焼き屋、ラーメン屋、焼肉屋で笑う佳杏を思い出したあと、決まって最後に会った別れ際の泣き笑いを思い出す。自己嫌悪が止まらない。
どうしてあの瞬間に引き止めなかった? 誤解だと弁解しなかった? 慣れていないから、とか、急だったから、とか、そんな事を言える年齢か、俺は?
結局のところ怖さを建て前にしているが、本音は違うだろう。
ただ、みっともなくなるのが嫌だっただけじゃないか。
最初からそうだ。
吃るのが嫌だ、赤面するのが嫌だ、ニヤケ顔を見られたくない、なし崩しにはしたくない、ちゃんとしたい、
それって全部“自分のため”だろう。
佳杏が最初に俺にコンビニに会いに来てくれたとき。メールで“ありがとう、嬉しい”を伝えたら社交辞令に思われるかもしれないという一心だけで俺を探して歩いてくれた。
目を見るのが癖だけど見ないようにする、と言ってくれた。食事に誘うのも、次の会う約束をするのも、祭りに誘うのも全部、佳杏からだ。俺が誘えないから。断られたらどうしよう、って怖くて。けどそれって相手にも同じことが言える。佳杏だって毎回思ってただろう。断られたらどうしよう、でも会いたい。そう思って誘ってくれた、いつもいつも。
それなのに、俺は応えることすら出来なくて佳杏を傷つけたんだ。
テーブルの上に置かれた宝飾ケースに触れる。これを渡せば良かった。あのまま唇を重ねても、これを渡せたら、きっと伝わったはずだ。
俺が雰囲気に飲まれたわけじゃなく、ずっと、ずっと以前から君のことが好きだったってこと。
ピンポーンと間延びした呼び鈴が室内にこだまする。のそのそと玄関へ向かった。宅配便だろうか?
ガチャりとドアを開けると入口に隊長が立っていた。
「よお。リアルで会うのは久々だな」
「あー、ごめん。心配かけた? もしかして」
「んー、まぁ、お前がいまさら試験勉強するとは思えないしな。んで、もう一人ゲストだ」
隊長がクイッと顎を左に指し示す。隊長の隣から20代後半の背は低いが胸板の厚い、総合格闘技でもやってそうな体格の若い男が顔を見せた。一瞬、誰? と思ったが。見たこともないその男に何故か親しみを覚える。
「えー、と。ひょっとして、カジマ? か?」
「お。よく解ったな」
感心したような声で隊長がつぶやき、
「はじめまして」
カジマはニカッと微笑んだ。
集って頼って辿る
ちょうどやたらと多く沸かしていたコーヒーメーカーから2人のカップに珈琲を注ぐ。「悪い、俺ブラックだから砂糖とか無いわ」と断ると2人とも自分もそうだからいい。とカップに口をつけた。
「けど彼女を家に呼ぶなら買っておけば?」
と言う隊長に俺が項垂れて溜め息をつくと、カジマが眉間に皺を寄せて同情的な表情をつくった。
「やっぱり佳杏さんと何かあったんすね?」
ポツリポツリと祭りの日にあったことを話す。隊長は煙草を吸いながら、カジマは俺を見て合間合間に頷きながら、2人とも黙って最後まで聞いてくれた。
「うー……ん」
隊長がダイニングテーブルをトントンと指で叩きながら悩んでいる。カジマはテーブルに肘をつき、顎をさすりながら瞬きを繰り返していた。
「謝るのは変だもんな、その場合」
「そうっすよね」
「そうしたら告白するしかないんだろうけどもさ。なんつーか。よっぽどインパクト無いと信じてもらえない気がする」
「フィルさんの優しさに傷ついたわけじゃないっすか。友達としか思えないんだな、って勘違いしてるわけだから。メールとか電話じゃ、なんか傷つけたから悪く思っての行動じゃないか? とか勘繰られそうですよね」
カジマはオンラインではフィルと呼び捨てでタメ口だったのが実際に会うと、年齢に引きずられてかフィルさんなんて変な呼び方になっている。
ありがたかった。すぐに電話しろ、メールしろ、誤解を今すぐ解け、とアドバイスされたら反抗してしまう。そういう状況ではないのだ。俺の性格や、佳杏の性格を加味した場合、それでは何の解決策にもならないのだといちいち説明しなきゃならないのは億劫だ。
こちらの状況をちゃんと解ってて2人とも悩んでくれている。こんな時だけど貴重な仲間に出逢えて良かったと思えた。
「あー、これいいかも」
「え?」
カジマがiPhoneをタップしながら呟いた。
「サークル仲間にチャットでフィルさんの状況を伝えてたんすよ、勝手にすみません」
「いや、大丈夫」
佳杏のことは仲間全員に話してある。今回の件は自分から愚痴って相談するのは気が引けて出来ないでいただけだ。
「同じことをするのはどうか? ってアイスラールが言ってます」
「同じこと?」
「ほら。佳杏さん、フィルさんのメアドも番号も知ってるのに、お礼を直接言葉で言いたくて、自転車のナンバーだけでフィルさんを探し当てたじゃないっすか。それで思ったって言ってたでしょ。揶揄われてるんじゃなくて、本当にちゃんと好意を持ってくれてるんだって信じられたから、ネックレスも買えたんだって」
「なるほどな。同じことか。志村も彼女を見つければいいんだ。メアドにも電話にも頼らずに」
「どうやって?」
もう佳杏のマンションも知っている。その周辺で張り込んだら見つけられるだろうけどそれじゃただの待ち伏せだ。
「なにか思い当たることはないか。彼女と話したなかで。ヒントになるものだよ」
「お盆に帰省するとか。たしか実家一緒の県ですよね?」
頭を抱えて記憶を辿る。写真の話、旅行先の思い出、好きな映画、話したこと、笑いあったことを順繰り思い返していく。そのたびにズキリと胸が痛む。会話は常に佳杏がリードしていて、俺は“楽しませてもらってる”だけだったと反省材料しか出てこない。俺が主体で佳杏を喜ばせたことなんて一度でもあっただろうか?
「……流星群」
「ん?」
「そうだ。盆休暇にちょうど、なんとか流星群がぶつかるから、実家近辺で写真を撮るって話してた。カメラを固定してシャッターを開きっ放しにするとかなんとか」
「あー! あの星が線をつくって伸びてグルグル回ってるアレか」
「ありました。8月12日。ペルセウス座流星群が来ますよ。これじゃないっすか?」
「そんな名前だったと思う」
「よし! 12日はみんなでお前の実家に遠征な」
「……え?」
「田舎って言ったって町自体は広いんだろ? 一人で探してたら見つからない。手分けして固定カメラの傍に居る女を探す、見つけたらお前に電話する」
「俺も12日から仕事休みっす」
「いや、そんな、だって、」
盆休暇の初日だ。旅行とか彼女とデートとか自分の実家に帰省とか予定あったんじゃないのか。そんな、それを俺のために潰すなんて。
遠慮と戸惑いから焦って何かを言いかけようとしたら、カジマがニカッと笑って言った。
「全員来るそうです。アハハ、リアルでチーム組むの初めてっすね」
「だな」
隊長が俺の肩をポンポンと叩いて、俺は顔を赤らめて俯いた。嬉しくて、泣きそうになった。
募る繋がりと連なり
俺の実家は新潟だ。拓けた市内ではなく海沿いの小さな町に住んでいた。佳杏の実家はその隣町らしい。周囲を田んぼに囲まれた幅の狭い道路を車4台で北上する。
「なぁ、マジでこれ国道?」
「国道こんな狭くていーのかよ。ってか信号少なっ!」
ワイヤレスイヤホンから違う車に乗って運転してるアイスラールとヴィオレッタの声が聞こえる。携帯電話を同時通話モードにして全員で俺の実家に向かっていた。
イヤホンはゲームをしてる時の感覚にしたほうが“いつものように”話せるから初対面でも緊張しないだろうという暗黙の了解だ。仲間は俺を含めて9人。捜索の効率を上げる為に車の台数を増やしてくれた。ガソリン代だってバカにならないというのに。俺のために労力を割いてくれている。
「東北の国道はこんくらいの狭さだぞ?」
「新潟は東北じゃねーだろ」
「あれ、そうだっけ?」
掛け合いもいつもどおりだ。救われる。緊張しなくて済む。あるいは俺のためにそうしてくれてるとも思えた。
実家に着くと兄と父親が家の前で立って待っていた。盆休暇の急な宿泊予定先など何処も空いてるわけもなく全員俺の実家に泊めることになってる。めいめい荷物を下ろしながら「お世話になりまーす。あの、泊まる時は何処に車を停めればいいですか?」と隊長が聞くと父が応えた。
「そこに停めてくれたらいい」
と田んぼの脇にあるアスファルト道路を指さす。
「え? だってあれ道路ですよね?」
「元・町道だ。そっちに新しい道路出来たから平気、平気」
「まだ使ってたの? 交番に文句言われたって母さんから聞いたけど?」
「無視して停めてたら文句来なくなったよ。だから志村家の客用駐車場にした」
いや、それダメだろ。これだから田舎は。今俺が住んでる町も別に都会ではないのだが。実家よりは利便性が高い。荷物を家の中に置いて車に乗り込む。俺は一人で自分の車に乗ることになった。「見つけたら、告白だからな。2人っきりにしてやらねーと」とおどける隊長に口笛を吹く奴までいる。揶揄われてるとは、もう思わない。
“励ましてくれている”今はそれが解る。
佳杏もずっとそうだった。自分が楽しくて揶揄ってたんじゃない。
俺を楽しませる為におどけてくれていた。
俺は仕事で営業トークなんて出来ないし、スーパーのレジ店員やコンビニ店員に笑いかけてもらえるような愛想の良さなんて持てないし、服は好きだけどショップ店員と話すのが苦手で通販でしか買えないようなオタクだけど。
今一緒にいる仲間や好きな人には、ちゃんと言葉とか態度とか表情とかで、伝えられるようにならなくちゃダメなんだ。
一緒に居ると楽しい。もっと傍に居たい。ずっと一緒に居て欲しい。
助手席に置いた宝飾ケースを撫でた。ナビを頼りに仲間たちの車はばらけて佳杏の実家がある町を捜索している。
リアルの仕事はエンジニアなヴィオレッタがそれぞれの車の位置情報が映るモニタを車内に取り付けてくれた。
「居ないなぁ。というか、あんまり人が歩いてないであります!」
「そのノリで行くのかよ」
「フィル、実家で写真撮る以外になんか言ってないの? 山で撮るとか海辺で撮るとか」
「うーん、基本的に空の写真が多いんだよな、多分空を綺麗に撮りたいんだと思うけど」
「この町、何処で撮っても空は綺麗そうじゃね?」
「確かに」
記憶をほじくりかえす。佳杏が話してたこと、端々にヒントがきっとある。俺は佳杏がそうしてくれたように見つけて探し出して伝えるんだ、君のことが好きなんだって。
「月が好きなんですか?」
月専門の写真集を見せられた時に聞いたことがある。佳杏は笑って首を振った。
「風景はなんでも好きです。月が特にってわけじゃないかな。その写真集は色使いが凄く綺麗だったから買ったの」
「最初に見た佳杏さんの写真が月形の太陽だったから。好きなのかと思いました」
「降ってくるものが好きなのかも。木漏れ日とか流れ星とか雪とか雨とか。それをね、肉眼で見るのと一瞬を切り取った写真って全然違うものになるの。それを見つけるのが楽しい」
言われてみれば佳杏は静止画向きの風景写真はあまり撮ってない。動くものの一瞬を切り取るのが好きなのだ。
けど今回はシャッターを開きっ放しにして星の描く軌道を撮るのだから……降りそそぐ星を撮る、それに、その背景に佳杏が選ぶもの。月形の太陽に散る桜を合わせた佳杏。星には何を合わせる? 夏だから葉は落ちない。何かを組み合わせるはずだ。
「きっと海だ」
「了解。浜辺を重点的に捜索開始」
モニタの赤い点滅が一斉に海沿いに向かう。陽の沈んだあと紫色の空からしか光が届かない浜辺には人の影は全くない。勘は外れただろうか? そもそも本当に佳杏が実家に来ているのかの確証は無かった。
「敵影発見!」
「敵影言うな」
そんなやりとりが流れたのは浜辺を探し始めてから10分後だった。女性が一人テトラポットを降りていてカメラと三脚を脇に抱えているらしい。そうか、星を撮るなら時間帯はこれからだ、俺たちは早く来すぎたのだろう。発見者はカジマだった。仲間も俺も合流する。
「どうっすか? フィルさん。あれ佳杏さんじゃないです?」
車から降りた俺にカジマが不安気に訊ねてくる。俺は浜辺に三脚を固定している女性を遠目で見つめた。ショートボブの後頭部。夏にしては厚手のニットワンピースにタイツとスニーカー。足元には防寒用に黒のウインドブレーカーが置いてある。大きなリュックサックもある。たぶん非常食が入っている。
「佳杏だ。間違いない」
「やった!」
「よし!」
彼女に変に思われないようにみんな小声でガッツポーズをしていた。
「んじゃ俺らは志村家に帰りますか」
「寿司用意してあるってさ」
「ビールもあるらしい。久々に発泡酒じゃないビールが飲めるな」
「じゃあな、フイル、うまくやれよ」
「健闘をお祈りするであります!」
「また、そのノリか。ってか玉砕しそうなフラグ立てんなって」
賑やかに去る仲間たちに俺は深々とお辞儀した。
「ありがとう、ありがとう。ほんとに、なんて言えばいいのか」
「照れるからやめれ。はよ行け」
隊長がシッシッと手をひらひらさせる。それを見てカジマがニカッと笑う。俺も笑い返して道路から浜辺に降りた。
砂が軋む、風が頬をかすっていく、俺は数年ぶりに全力疾走をしている。
Calling Fallen Hole in
砂を散らせて走ってきた俺に佳杏は呆気に取られて三脚に手を置いたまま固まった。
「見つけた」
息が切れるのを唾を飲み込んでなんとか喋れるようにする。膝を両手で掴んで肩で息をし、呼吸を整えた。運動不足にも程がある。ゲームの中では走ってるんだが。
「佳杏が、俺を探して見つけてくれたのと同じようにしたかった。俺も、直接言いたくて」
佳杏は三脚から手を離すと、俺に正面から向き合って立ってくれた。聞くよ、という意思表示に見えた。
顔が熱くなる。目尻もヤバイ、泣きそうだ。たぶん見たカンジはきっとものすごくカッコ悪い。それでも、ちゃんと言うんだ。相手の目を見て、直接。
「俺も、ずっと、ずっと、嬉しかった。佳杏はいつも嬉しいとか楽しいとか言ってくれて、俺は恥ずかしがって笑って誤魔化してばっかりで、全然、伝えられなかったけど。
最初に、探して会いに来てくれたときも、食事に誘ってくれたときも、ドレスも、浴衣も、全部! 笑ってくれるだけでも、話してくれるだけでも、嬉しくて、ずっと傍にいたくて。君のことが好きだって伝えてからキスしたかった。頭固いって思われるかもしれないけど。だからあんな態度になって、勘違いさせて、ほんと、ごめん!」
佳杏が俺にゆっくりと近づいてくる。俺を見上げると首を傾げて言った。
「初めて“佳杏”って呼び捨てにしてくれた。敬語も取れてる、フフ」
「あ、う、ええ、と」
「もしかして、心の中ではずっと佳杏って呼んでた?」
「う、うん」
「そっか」
佳杏は頷くと三脚のほうに歩いて戻っていく。
「賢治くんも来て。セッティングするの待っててくれる?」
呼び方が変わってる。顔のニヤニヤが止められない。佳杏は三脚を固定してカメラを乗せるとレンズをひねったり回したりしながらファインダーを覗いてた。たぶん調光の具合を見てるんだろう。
「出来た。あとは待つだけ」
カメラから離れたところに鞄から出したビニールシートを敷くと座って隣をポンポンと叩いた。
「賢治くんも座って」
隣に腰掛ける。佳杏が腕を組んでくる。柔らかな胸が肘に当たって左半身だけ熱い。
「始まったよ」
佳杏が波の方を指差す。
「うわ!」
空が緑がかっている。波は穏やかに動いていた。そこに降りそそぐ大量の白い筋。
「あれ、全部流れ星?」
「そう。願い事なんでも叶いそうだね」
クスクスと笑う佳杏の横顔は星に照らされていつもより肌が白く見える。俺は胸ポケットから宝飾ケースを取り出して佳杏に渡した。
「一緒にお好み焼きを食べた次の週に買ったんだ。仲良くなったら渡したいって思って」
「開けてもいい?」
「もちろん」
ピリリと音を立て、慎重に包装紙を丁寧に剥がしている。その仕草が大事なものを扱っているようにとれて嬉しい。ケースを開けてチェーンを手に持ち目の高さにかざしてみせた。佳杏の顔の前でネックレスに付いた飾りが揺れている。カメラの形に似たデザイン。アクセントの青色の宝石がレンズに見える。
「あ、カメラみたいだ、と思って。佳杏にぴったりだと思って。いつか、あげられたらいいなと思って。買ったんだ。まだ佳杏とは会ったばかりだったけど」
組んでいた腕を外して佳杏がネックレスを付ける。指で飾りを持って俺を撮るように構えてみせた。
「嬉しい」
頬を染めてはにかんで笑う。俺はこの表情に本当に弱い。だってめちゃくちゃ可愛いから。
「あ、あの!」
空からは絶え間なく星が降ってくる。海にだけじゃない。四方八方どこを見ても流れ星が見える。今ならどんな願い事だって叶うかもしれない。
「し、真剣なお付き合いを前提に! 俺と結婚してください!」
「お付き合いが前提なの?」
「え? あ、あ! 間違えた! い、いや! 結婚もしたいけど、じゅ、順番を間違えたというか、その、」
アハハと佳杏が笑い出す。俺ってやつは本当にダサ過ぎる。
あたあたする俺に佳杏がギュッと抱きついてきた。そのまま俺の腿の上に股がってイタズラっぽく笑う。
「ごめん。その願い事、全部叶えるのは無理かな」
「え?」
「結婚もするし、お付き合いもするけど、“真剣なお付き合い”が普通の真面目なお付き合いって意味なら私には無理」
佳杏が目を細めて唇に吸い付いてくる。首に回された右手の爪が肩に軽く食い込み、左手で俺の後頭部の髪をかきあげた。鼻の頭や瞼や目尻にもキスが降ってくる。されるがまま気持ちよくなって股間が膨らむとお尻の肉で挟むように擦られた。
「賢治くん、優し過ぎて。私のこと好きなのか、ただ優しいだけなのか判らなかったんだもん。だから、ずーっと我慢してたの。本当は襲いたくて堪らなかったんだけど」
「お、襲う!?」
「だから、私も星に願うね。私と“ふしだらなお付き合い”を前提に結婚してください」
似ているようで微妙に違う2人の願い事はどちらが叶えられるのか。きっとそれはアピールの強い方が叶えられそうな気がする。
そうしたら俺が佳杏に勝てるわけない。
最初に会ったとき、黒目がちの丸い佳杏の瞳を柴犬みたいで可愛いと思った。
八重歯を見せて俺に覆いかぶさる今の佳杏は狼にしか見えない。
空からは星が、俺の身体には口づけが降ってくる。翻弄されっぱなしの未来が頭を過ぎったけれど、別に構わないと思った。
佳杏になら揶揄われても、振り回されても、何をされても、俺はきっと“すごく、すっごく、嬉しい”から。
オタク男と肉食女
今回の話は長さも結末もストーリーも全く考えずに、ただ「オタク男」と「肉食女」が恋に堕ちる話にしようとだけ決めて、キャラクターから創って書いてみました。
最後のタイトルはお気に入り。このタイトルにしたかったからラストをこういう風にしました(笑)
Calling 想いを叫ぶ
Fallen 恋に堕ちる
Hole in 繋がり合う
というね。最後、下ネタかょwww
(いつもどおり)
このあと、オタク男たちの実家での色々とか佳杏ちゃんを紹介するのかな、とか。盆休暇はずっと一緒にイチャイチャするんだろうなとか想像して楽しんでもらえたら幸いです。
お付き合いいただいたかた、ありがとうございました。