並行世界で何やってんだ、俺 (7) 泥沼編

車中は急カーブにご用心

「お兄ちゃん、そろそろ降ろしていいよ」
 妹が俺の首筋辺りに息を吹きかけて、くすぐるように言う。
 ずっと考え事をしていたのですっかり忘れていた。
 そう言えば、妹をおんぶしたままだった。
「立てるか?」
「うん」
 組んでいた手を離して両腕の力を緩めると、妹はスルスルと歩道の上に降りた。
 血の気が引いた両腕に血液が流れていくのが分かる。今更ながら腕の痺れを感じた。

 妹は足の具合を調べつつ、怪訝(けげん)そうな顔で言う。
「どうして家に帰らないの?」
 そう言えば、妹に何も言っていなかった。
 妹をおんぶしながら携帯電話で話をしていたので、すぐそばに妹の耳があるだろうから同時に聞こえていたと錯覚していたのかも知れない、
「うちの生徒会長が、今から家に来てくれ、と。車で迎えに来るらしい」
「ふーん。じゃあ私、家で待っているね」
「いや、お前も来て欲しいって」
「え? 私に何の用事があるの?」
(こちらが聞きたいくらいだ……)「さあ」
「折角のお弁当が冷えちゃうじゃない」
「ゴメンな」
「自分のせいじゃないんだから、そんな謝らないで」
 言われてみればそうなのであるが、そうでもないような気がしていた。

 小刻みに足を動かしながら待つこと15分。
 俺達の横に、キィーッとブレーキの音を立てて黒塗りの高級車が止まった。
 大衆向けホカ弁屋の店の前にいかにも金持ちが乗りそうな車という奇妙な取り合わせ。
 夕食のため、持ち帰り弁当を買いに車を横付けする奴などいない。
(やっと来たな)

 後部座席の窓が開いて中から顔を出したのは、やっぱりイヨだった。
 ロングのツインテールに(まと)めたつやつやした黒髪が懐かしい。
 小さい顔に大きな丸い眼鏡も久しぶりだ。店の明かりが眼鏡に反射している。
 まだ服は見えないが、ドアの向こうに1ヶ月前の彼女の制服姿を思い描いていた。

 しかし、彼女がドアを開けて車から外に出ると、その期待は良い方向に裏切られた。
 花束がパッと飛び出したように見えたのである。
 彼女は無言で『私を見て』と主張している。
 赤を基調とした、色とりどりの花柄をプリントしたワンピース。
 私服を初めて見るので、(まぶ)しかった。
 ワンピース以外は、踝までの白い靴下、濃い茶色のローファー。これは、見慣れた装いである。
 つまり、制服上下をワンピースに取り替えた姿だった。
(さすがにあの鞄におしゃれな靴まで入らないか……)
 それでも彼女の私服姿の衝撃(インパクト)は揺らぐことはなかった。
 イヨがこんなに可愛い女の子だとは思わなかった。

 彼女は喜びのあまり叫んでしまいそうなのをグッと堪えているように口を閉じ、目は少し潤んでいた。
 久しぶりの再会は俺にとっても喜びがひとしおで、貰い涙で視界が滲んだ。
 元気でいるということは、彼女の家を血眼で探す連中から逃れて無事だったのだろう。
 無事を喜ぶ一方で、二股の罪悪感、気まずさを感じていたのも事実であるが。

 こういった逡巡(しゅんじゅん)から、さして嬉しそうでもない顔を彼女に向けていたと思うが、彼女はそれにはお構いなしに満面の笑顔で手招きをする。湿っぽい再会の場に、まるで花が咲いたように思えた。
「ささっ、先に妹さんに入ってもらって」
 それが座席の位置関係として彼女自身に都合いいことは瞬時に理解した。
 だが、それには応じなかった。
 今の怪我人にとっては、移動距離を少なくしないといけないのである。
「妹は足を怪我しているから最後でいい。それと、ここじゃガードレールを乗り越えないとそっちに行けない」
「それもそうね」

 イヨは後部座席へ腰から入って、上半身と両足を納めてからドアを閉めた。
 5メートルくらい後ろにガードレールが切れている部分があったので、その所まで車がバックした。
 外からドアを開けると、彼女は、運転席の真後ろでドアへ体を押しつけている。
 座席のスペースを空けてくれていたのだ。
 その親切心に感謝しながら、俺と妹の順番に乗り込んだ。
 これで三人がきっちり隙間なく収まった。
 妹が割と大きめな音を立ててドアを閉めると、それを合図に車はブルルルっと発車した。

 弁当の入ったビニール袋を膝の上に置くと、まだホンノリ残っている暖かみが足に伝わる。
 それを感じていると、急に車が減速した。
 その拍子に袋を足下に落としそうになったので、慌てて袋の前方を両手で押さえた。弁当をひっくり返しては妹に大目玉を食らいかねない。

 一瞬、両腕と脇の間に隙間が出来る。
 そこへ、待っていましたとばかり、イヨが左腕を絡めてきた。
 さらに体の左横を右腕に押しつけてくる。
 右腕から彼女の左横の輪郭を感じたので、心拍数が上がってきたのが分かった。
(やっぱり……この位置を狙っていたな。妹からは死角になるし)
 左隣に妹がいるので平静さを装っていたが、徐々に鼓動が加速して早鐘のように打ち続く。
(気まずい……)
 なぜなら、これから行くところにミキがいるからだ。
 イヨとこのまま腕を組んで車を降りるところを彼女に見られたらと思うと、ゾゾッとする。
 だからといって、今から腕を振り払うのも悪い。
 筆を置いて首を長くして俺の帰還を待っていたイヨの想いを反故にする。
(このままにしておこう……)
 とはいうものの、頬や鼻が熱を帯び、額に汗が噴き出してきたことは悟られないようにしないといけない。

 表向きは平静さを保つように努力していたが、急に車が右へカーブした途端、それは徒労に終わった。
 全員が左に傾いて、彼女がさらに体を右腕へ押しつけてきたのだ。
 遠心力の為せる技だ。
 右腕がギュッと絞られる。彼女が絡めた左腕に力を入れているようだ。
(気まずい……早く家に着いてくれ)
 鼓動は収まりそうにない。

 右カーブが終わり、緩く左カーブになって体勢を戻せた。
 と思ったら、今度は右へ急カーブになった。
 咄嗟(とっさ)に彼女が半身をこちらに捻って、左半身を正面から押しつけてくる。
 これによって彼女の正面のボディラインを右腕に感じることになり、顔全体、耳の先まで熱を帯びてきた。
 カーブは終わったが、彼女は体勢を変えない。
 つまり、いつまでも半身をこちらに押しつけたままなのだ。
 いや、右肩に口まで押しつけている。
 こうなると、一気に逆上(のぼ)せてきて、顔の血管すべてが血液で充満し破裂寸前の気分になった。
「ぐ、……具合でも悪い?」
「ううん、大丈夫。無事でいてくれて嬉しいの」
 服の薄い布を通して右肩に彼女の息遣いを感じ、ゾクゾクッとした。
 もちろん、こちらも彼女が無事でいてくれて嬉しいのだが、浮かれている場合ではない。
 何故なら、左隣で聞き耳を立てて、細い横目でこちらの様子を窺っている妹がいるからだ。

 焼け跡が残る市街地を車はひた走りに走る。
 イヨの頭があるので車窓に流れる光景はあまりよく見えなかったが、平和を愛する一般市民の生活空間にまで戦争の爪痕が残っている。
 これだけで怒りを覚えるのには充分だった。
 彼女は心地よい車の振動で眠ったのだろう。
 目を閉じて体重をこちらに掛けたままだ。呼吸まで右腕に感じる。

 12、3分で車は止まった。
 左を見ると、この街に今時まだこんな建物があるのかと驚いた。
 聳え立つ鉄格子のような門の向こうに見えるのは、横方向に長く伸びた2階建ての洋館。
 薄暗くてよく分からないが、外壁はおそらく濃い茶色のレンガを積み上げているように見える。
 こちらを向いている窓をざっと数えて、概算で部屋の数は16くらいあろうか。
 その割に、明かりが差した窓は3つしかないので、他は空き部屋に見えてしまう。
 門の両側には洋館と道路を隔てるレンガの塀があるが、高さは3メートルは優にあるだろう。
 ここまで高いとこの建物がまるで収容所みたいで、外界との決別さえ感じさせる。

 門の向こうから執事らしい年配の男が足早に近づいて来た。
 門に辿り着くと、上半身を斜めにして全身に力を入れ、右から左方向に押す。
 外界との接触を拒絶する鉄の番人は、ゴロゴロゴロと重い音を立ててゆっくりと移動させられた。
 車が左折してガタゴトと歩道に乗り上げる。
 門を抜けると延々と庭でもあるのかと想像していたが、車のスピードではそれを堪能する暇を与えず、あっけなく玄関の前で横付けになった。

「着きました」
 運転手に促されたのをチャンスだと思い、弁当を持つ振りをして彼女の絡んだ腕を優しく解く。
 彼女の残念そうな顔は気の毒なので見ないようにした。

 玄関の前で待ち構えていた別の若い執事が駆け寄ってきてドアを開ける。
 まず妹が降りた、足は大丈夫そうだ。
 妹に続いて体をずらしながら、慎重に車を降りた。
 今大事なのは、まだ右腕に彼女の温もりと輪郭の感触が残っていても平静さを保つことと、弁当がひっくり返らないことだ。

 車を降りている間に、玄関のドアがギーッと開いた。
 そちらに視線を移すと、青いドレスに身を包んだ女性が、シャナリシャナリと出てきた。
 ルイだ。
 ドレスは、舞踏会か何かの会場で見かける夜会服のような代物である。もちろん、知識はテレビでしか得ていないが。
 制服姿の彼女のイメージが強烈なので、この艶やかな姿を見ると、淑女に見えてしまう。

 この手のドレスは、どうして胸のラインが強調されるのだろう。
 制服を着ているとスレンダーに見える彼女は、こうしてみるとボディラインが大人のようで、実に目のやり場に困るのだ。
 彼女にしてみれば賓客のお出迎えという大役に相応しい晴れ姿なのだろうが、あまりに似合っているので、実はお嬢様は普段着もドレスなのかと疑ってしまう。
 おっと、馬子にも衣装、と危うくからかってしまうところだった。

 見慣れない彼女の姿に圧倒されたが、唯一安心出来たのは、例のトレードマークとなっている縦ロールの髪型がいつも通りだったことだ。髪型まで変えられると、反則である。
 彼女はそのトレードマークを揺らしてお辞儀をする。
「ようこそ、マモルさん」
 俺はまだ不機嫌を装って黙っていた。
「と、そちらが妹さん?」
「ああ」
「お名前を伺ってよろしいかしら?」
「マユリだ」
「マユリさん、初めまして。わたくし、蛾余島(がよじま)ルイと申します」
「初めまして」
「生徒会長さんだ」
「兄がお世話になっています」
「なっていない」
 彼女は口に手を当てて上品に笑い、眉を八の字にする。
「あらあら、そうおっしゃらず。イヨさんの時はこれでも奔走しましたのよ」
 そう言って彼女はツツッとこちらに近寄り、耳打ちをする。彼女の息で耳がくすぐったい。
「ミキさんは『お風呂』に入っていらっしゃいます。イヨさんのお相手をして差し上げて」
「お前に指図される覚えはない」
「フフッ、相変わらずですこと」
「それと『お風呂』は強調するな。妄想を期待しても無駄だ」
「あらまあ、まだご機嫌斜めのご様子。こないだの一件を怒っていらして?」
「ああ。礼儀知らずにもほどがある。あれでイヨが怖じ気づいたじゃないか」
「ゴメン遊ばせ。でも、あれは緊急事態でしたから仕方ありませんのよ」
 不機嫌を装っていたが、間近に見る彼女の艶やかな姿に惹きつけられて、内心は、悔しいかな、少しばかりときめいてしまっていたのである。

 彼女は、そばにいた年配の執事、あの鉄の番人を従順させた執事に向かって「マユリさんを応接間へご案内差し上げて」と指示する。
 彼は一礼して、「どうぞこちらへ」と妹を促す。
 妹は不安そうな目をこちらに向けて歩こうとしない。
「お兄ちゃんも来て。一緒にお弁当食べようよ」
「お兄様は、イヨさんとちょっとお話がありますの。執事が応接間へご案内しますから、どうぞお休みになって」
 優しく言葉を掛けてくれるが、いくらホストの家だからと言って、何でも言いなりにはならない。
「いや、おれも腹減ったから、一緒に弁当を食べる」
 彼女は溜息をつく。
「仲がよろしいこと。わたくし、兄弟がおりませんのでうらやましい限りですわ。仕方ありませんわね。……イヨさん、お部屋へ行きましょう」
 彼女は手招きをし、イヨを連れて中へ入っていった。

黄金の部屋

 執事は、見た目の年齢にはほど遠いほど矍鑠(かくしゃく)として歩いていた。
 顔は80歳くらいでも筋力は50歳くらい、のギャップがある。
「こちらです」
 彼が開けたドアから(のぞ)いて見えた光景に目が(くら)んでしまった。
(何だ!? 黄金の山か!?)
 部屋から金色の光が放出されている。
 その色に引き寄せられて中へ入ると、今度は目が釘付けになってしまった。
 本当に辺り一面が金色に輝いている。
(これが応接室!?)
 豪華絢爛、空前絶後という言葉が相応しい部屋である。
 天井から壁紙から床までの内装、家具、調度品のどれも金色を基調としている、
 まさに黄金の国ジパングの部屋である。
 唯一、金色ではない物は革張りのソファーだけだった。それが色のアクセントとなって部屋をより一層引き立てる。

 こんな黄金に囲まれて安い弁当を食べるのは大いに気が引けたが、久しぶりに妹と食事が出来て嬉しかった。
 二人でソファーに並んで座り、残念ながら殆ど冷えてしまった弁当を有り難く頬張った。
 連隊の食事に比べると、贅沢なご馳走だったからだ。
 弁当のゴミと空き容器等は、応接室付きの若い執事が片付けてくれた。
 実は、部屋に入った時から彼が部屋の隅に待機していたのだが、始終直立不動でこちらをチラチラ見ているので、妹と話がろくに出来なかったのは残念だ。
 差し詰め、黄金の部屋の番人だ。

「どうぞこちらへ」
 ゴミを捨てに行った彼が誰かを連れて戻ってきた。
 入り口に視線を向けると、驚きのあまりゲホゲホと咳き込んでしまった。
「こ、こんばんは」
「こんばんは」
 昼過ぎに別れたはずのミイとミルが案内されて入ってきたのである。
 二人とも濃い緑の服だが、それは今日別れたときに着ていた服のままだ。
 持っているバッグもそのままだ。
 妹は次から次へと初対面の人物に出会うので、面食らっているようだった。
「お兄ちゃん、誰?」
「ああ、一緒に後方支援部隊で仕事をしたうちの学校の-」
「わ、歪名画(わいなが)ミイです」
品華野(しなはなの)ミルです。マモルさん、こちらのお嬢さんはどなたでしょうか?」
「妹のマユリ」
「ああ、妹さんですか。初めまして」
「は、初めまして」
「初めまして」
 テーブルを挟んで向かいのソファーに彼女達が座った。
「お兄さんには、とてもお世話になりました」
「な、なりました」
「そうですか」
「世話したというほどでもないけど」
 謙遜してはいるが、実は命を助けている。
 でも自慢話というのが昔から嫌いなので、自ら口にするのは()めた。

 その後の会話が続かなかった。
 こうも黄金に囲まれた部屋では何を話して良いのか思いつかないのである。
 汚い連隊の宿舎なら会話も弾んだのだが。
 特に話題が思いつかないので、今の状況に探りを入れてみることにした。
「ところで、ここにみんなが集められたのは何故だか知っている?」
 彼女達は首を傾げるだけで何も言わない。
 また会話が途切れた。
 冷たく光る黄金に囲まれながら、ひたすら会話の機会を(うかが)っていた。

 そこに髪を濡らしたミキが、濃い緑の服を羽織っただけの姿でドライヤーを持って入ってきた。
 羽織っただけなので、服の隙間から白い下着が見えた。
 彼女はこちらを見てギョッとしたようで、慌てて服を正した。
「ねえ、ミキ。ここに集められたのは、何故だか知ってる?」
「さあ。聞いていないけど。……あ、そうそう」
 ミキは急に何か思いついたらしく、手招きして言う。
「ねえ、マモルさん。こっちに来て」
 彼女は応接室を出て行く。俺は後をついて行った。

彼女とカノジョで修羅場になる

 ミキはもうこの屋敷の中を把握しているのか、たくさんの部屋の前を迷わず通り過ぎ、曲がりくねっている廊下も速力を緩めない。前にも来たことがあるかのようだ。
 彼女は、廊下の行き止まりの位置にあるドアを開けた。
 一緒に中に入ると、少し湯気というか湿気がこもった部屋だった。
 棚や籐の籠があるので、脱衣所らしい。
「髪乾かして」
 彼女は、おねだりするような声を出してドライヤーを渡す。
 鏡のそばにコンセントがあるので、そこにドライヤーのコンセントを差し込んだ。

 それは良いのだが、女性の髪を乾かすにはどうやっていいのか分からなかった。
 温風の出るドライヤーを左手に持って彼女の頭に(かざ)しながら右手の指でクシャクシャと()でたり、髪を()いたりした。
(たぶん、これでいいんだよな?)

 旋毛(つむじ)とか分け目が間近に見える。
 こんなに彼女に近づいたことがないし、長く触ったこともないので、長時間ドライヤーの熱に当たったかのように顔が逆上(のぼ)せてきた。
 彼女は温風で目が乾かないように目を閉じていた。
 ある程度乾いたところでドライヤーのスイッチを切った。

「これでいいか?」
 彼女は目を開けた。
「ありがとう」
 そう言うと、彼女はいきなり俺に飛びかかった。いや、急に抱きついてきたのがそう見えたのだ。
 これにはすっかり気が動転し、手がドライヤーを離してしまった。
 体当たりになる勢いだったので少し後ろに下がったが、彼女にあっけなく捕まると、目を閉じた彼女が背伸びをして唇を重ねて来た。
 恐る恐るではなく、ストレートに。

 初めてだった。
 とても温かく、
 柔らかかった。
 石鹸の良いにおいがした。

 この機会(チャンス)を待っていたのだろう。
 倉庫でサイトウ軍曹に邪魔された時以来である。
 あれから人目が怖くて、お互いが手を触れることですら偶然を装うしかなかったのだ。

 生と死が背中合わせの場所で、長いこと待たされた。

 少し大げさかも知れないが、お互いが新しい人生に向かって踏み出したような気がする。

 彼女は俺を強く抱きしめる。俺も応えた。

(そう……俺は彼女を守ってきたのだ……彼女は『好きだ』と言った……俺も-)

 とその時、ドアがギーッと不吉な音を立てて開いた。
 ギョッとして音の方を振り向くと、目を見開いたイヨがタオルを持って立っている。
 風呂に入りに来たのだろう。
 彼女は相当驚いたようで、震える声で言う。
「ま、マモルさん! これは一体……」
 ミキは俺に密着するほど抱きついたままイヨを睨み付ける。
「あなたは?」
 イヨもミキを睨み付ける。
「名前を聞くなら、そちらから名乗るのが礼儀じゃない?」
「私は品華野(しなはなの)ミキ」
身賀西(みがにし)イヨよ」
「で、マモルさんに何か用?」
「逆にこちらが聞きたいくらい。マモルさんに何抱きついているの?」
「私たち、付き合っているの」
「私、マモルさんのカノジョなんだけど」
「何それ? 聞いたことない」
「あなたこそ何? マモルさんから、他に付き合っている人がいるなんて聞いたことないけど」
「私だって聞いていないわ」
「マモルさんは、私のことをカノジョって言ってくれたのよ」
「何よ、あなた。口から出任せみたいなことを言って。泥棒猫の因縁?」
「失礼ね。あなたこそ泥棒猫じゃない」
 イヨは脱衣所の中に入ってきて、バタンとドアを閉めた。
 その大きな音には、彼女の怒りの感情が籠もっていたようだ。

 ミキは鼻でフンと笑った。
「私はもうキスまで行っているわ。あなたは?」
「……まだ」
「じゃ、あなたの負けね」
(さっきが初めてじゃないか……)

 これを聞いたイヨが俺に突進してきて、ミキを払いのける。
 それに成功すると、アッという間にギューッと抱きついて唇を重ねてきた。
「なっ! 私のマモルさんに何するのよ!」
 イヨは俺に抱きついたまま、ミキに向かって誇らしげに言う。
「これで一緒よ。同じスタートラインに立ったわ」
 ミキはイヨを払いのけて俺に抱きつく。
「マモルさん。これから風呂に入る汗臭い女なんか放っておいて、あっちの部屋に行きましょう」
 彼女は一端離れて、俺の左腕を掴む。
 イヨはそれに対抗して俺の右腕を掴む。
 両方からグイグイ引っ張られた。
「まあ、待ってくれ!」
 俺の言葉に耳を貸さず二人が力一杯引っ張るので、両方の腕に力を入れ、二人を引き寄せた。
「待ってくれと言っている!」
 二人が興奮して息が荒いようなので、少し収まるまで待ってやった。
「ちょっと一人ずつ話をさせてくれ。まずはイヨから」
 イヨは自分が寝泊まりしていたという部屋へ案内してくれた。

イヨの言い分

 案内された部屋に入ると、一人部屋には広すぎるくらいの部屋であった。
 20畳くらいはありそうだ。
 正面は壁の半分がガラス窓。
 窓のない左側の壁に頭の方向を向けた豪華なダブルベッド。
 窓の左側にはお茶を飲む時に最適そうなお洒落な丸いテーブル。
 テーブルの上には赤いバラが飾られていた。
 椅子は2つある。
 窓の右側には家具調の立派な机と鏡台。
 机の上に燭台が置かれ、真ん中には原稿が積み上がっている。100枚はあるのではないか。
 恋愛小説の執筆は進んでいるのだろうか。
(恋愛小説?……まさか今、イヨはそういう気分-)

 そう思ったとき、後ろでドアがバタンと閉まり、イヨが俺の前に回り込んできた。
 すると、彼女は目を閉じて唇を近づけてくる。
 悪いなとは思ったが、首を左に傾け、彼女の顔を右肩に乗せる格好で彼女を抱きしめた。
 抱いたのは洋風の挨拶のつもりだった。その実、キスを避けたのだが。
「帰ってきたよ」
 彼女ははぐらかされて戸惑いながらも、こちらに合わせるように言った。
「お、お帰りなさい」
 挨拶が終わると、彼女の両肩に手を置いた。
「また明後日行くけど」
 彼女は目が潤んだ。
「ゴメンなさい。私のせいでまた苦労をかけてしまう……」
「いいんだ。それより、話を聞かせてくれ」

 二人で丸テーブルを挟むように座った。
 目の前にあるバラがホンノリと香りを漂わせて鼻を(くすぐ)る。
「例の騒ぎはいつ収まりそう?」
「小説通りなら、今日に地震が起こるはず」
「まだ今日は終わっていないけど、予兆とかあった?」
「予兆って?」
「地震が来る前に小動物が逃げるとか、イルカや鯨が海から浜辺にあがるとか」
「あんな大嘘、本気で信じているの?」
「……いや」
「だったら、そんな心配しなくても」
「……そうだね。ドンと構えていればいいか」
「そうよ」

 彼女は困り果てた顔つきで言う。
「それより心配なのは、小説書いていて、どうしても心理が分からなくて」
(やはり、恋愛小説のことを気にしているのか)「誰の心理?」
「男性の」
「世間一般は詳しく分からないけど、人それぞれじゃないかな? 思い込みが激しいのもいるし、(俺みたいに)鈍いのもいるし」
「男性が『タイプだ』って言う場合、どういう心理?」
(それって、俺がイヨに『カノジョか?』と聞かれて最初に答えた言葉だ)
 少し考えて答える。
「……憧れにほぼピッタリって感じかな」
「それで相手を好きになる?」
「とは限らない」
 彼女は顔を強ばらせて急に立ち上がった。
「だったら、私の勘違いだったのね!」
 それからゆっくりと項垂(うなだ)れ、椅子にガクッと腰を下ろした。
「ゴメンなさい。マモルさんに怒ったわけじゃなくて。自分の勘違いに腹立たしくなっただけ」

 彼女の視線は窓の外に移った。
「小説書いていて、『タイプだ』という男の子が急に激しい恋心を抱くシーンを前提にしていたのだけれど、それでいいのか自信がなかったの。タイプって、英語でアイドルとかドリームを指す言葉だから」
「タイプって、元々典型の意味のはず」
「恋心じゃないの?」
「人による-」
 急に視線がこちらに注がれた。
「自分の意見に逃げ道を作らないで」
「逃げ道? でも、人の感情って、一つじゃない」
「いいえ、王道が知りたいの」
「王道が正解だとしても、それに囚われず、自分が描く世界観を貫けばいいんじゃないかな? 『タイプだ』と言って速攻恋心を抱く少年がいても-」
「大多数の読者が求めていない物は書けないの!」
 これには反論に窮したので、無難な答えしか思いつかなかった。
「まあ、王道と言ったらロングセラーの名作とかの路線しか思いつかないけど、それを真似ることを書き手自身が納得するならば、その路線に従えば良いと思う。王道を優先したいのならば」

 彼女は黙って(うつむ)いた。(うつむ)いたまま(おもむろ)に口を開く。
「結局そう言うのね」
「大多数の読者を想定するならば」
「少し違う気もするけど」
「何故?」
「自分の世界観を貫く方がまだいい」
「なら、『タイプだ』という男の子が急に恋心を抱くシーンを期待する読者向けに書けばいい。それが大多数かは知らないけど」
 彼女は溜息をついて、顔を上げた。
「『タイプだ』と言ったのはマモルさんだけど、その気持ちが知りたいの」
「さっきも言ったとおり、憧れにほぼピッタリって感じ」
「それで? 好き?」
「ゴメン。憧れ止まり。さっき『とは限らない』と言ったのはそういう意味」
「そう。……あ、もしマモルさんを小説のヒントに考えていると思われて不快にさせたのならゴメンなさい。そういうつもりは最初からなくて。お付き合いをそういう目で見ていないし」
「大丈夫。不快だから言っているんじゃない」

「ねえ、聞いて欲しいの」
 彼女は(はる)か昔の話をする時ように、思い出しながらゆっくりと話し出した。
「幼稚園生の時の話なんだけど、同い年の男の子からオモチャの指輪をもらって、『大きくなったら僕のお嫁さんになってください』と言われたの。
 その男の子、マモルって名前だった。
 私、大きくなってから、それをすっかり忘れてしまって。
 あの日、不良に絡まれているところをマモルさんに助けていただいた後、家に帰ってから、小説の続きを書いていたの。
 ヒロインが、王子様が助けてくれて婚約指輪を渡す、という夢を見る場面を。
 そしたら、急に男の子に何かもらったことを思い出したの。
 机の引き出しの奥を探して出てきたのが、あの時のオモチャの指輪。
 裏側に『わたしの まもる』って書いてあって。
 それを眺めていたら、幼稚園時代の結婚の約束も思い出して……。
 後で妹さんに聞いたら、鬼棘(おにとげ)マモルさんは、昔は私野(わたしの)マモルさんという名前だったことを教えてくれたの。
 つまり、あの時のマモルくんは目の前のマモルさん。
 そのマモルさんから、『タイプだ』と言われて
 ……」

 そう、俺は元の世界で君農茂(きみのも)の前は私野(わたしの)が姓だった。並行世界でもそうだったのだ。イヨと幼馴染みだったとは初耳だ。
「私達、結婚の約束していたのね。昔の話だけど、マモルさん、覚えている?」
「ゴメン。それを聞いても何も思い出せない」
 当たり前である。この並行世界の記憶は最近の2ヶ月程度なのだから。
 彼女は目頭に涙を溜めた。
「いいの。攻めている訳じゃないから。記憶喪失なんでしょう?」
 彼女は無理して笑顔になっているように見えた。
「もう明後日、前線に戻るのね」
「前線ではないから大丈夫。後方支援は危なくないから」
 これは真っ赤な嘘だ。何度か死にかけている。
「戦争なんてなくなればいいのに」
「ああ」
「何故って、平和主義者が真っ先に前線に送られるから」
「え?」
「それって理不尽」
 彼女が突然何を言い出すのか、理由が分からなかった。
「うちの家族全員そう。学校も指名するときは、それが理由よ」
 後方支援部隊に学校の指名があることはミキから聞いていたが、これで謎が解けた気がした。
「気をつけてね。洗脳されるって噂が立っているし。大丈夫?」
「ああ。大丈夫さ。教えてくれてありがとう」

ミキの言い分

 イヨの部屋を出てミキが待っているはずの脱衣所に足を向けると、3メートルくらい先に人影が見えた。
 誰もいないと思っていただけに、廊下で幽霊に遭遇したかのような恐怖を覚えて、思わず足を止めた。
 体重を前に移動しているのに下半身が止まったので、上半身が前のめりになり蹌踉(よろ)けた。
 幽霊の正体はルイだった。
 彼女は客人の狼狽(ろうばい)ぶりを見てクスッと笑う。
「ミキさんがこちらのお部屋でお待ちよ」
(立ち聞きされたか?)
 彼女ならやりかねない。

 案内された部屋は、イヨの部屋から見て部屋一つ挟んだ先にあった。
 脱衣所に向かっていたら、この屋敷で迷子になっていただろう。
「何故ミキに会うことが分かった?」
 彼女はニヤッとする。
「何となく」
「また何でもお見通しか?」
「家の中でゲストの皆様が言い争っていらっしゃるのは、ホストとしても気を揉みますし」
「やっぱり、聞いていたな?」
「他の方々が待っていらっしゃるので、手短にお願いしますわ」
(はぐらかされた)「……分かっている」

 ドアをノックする。
 中から走り寄る足音がして、すぐにドアが開いた。
 ミキが少し緊張した顔をしている。
「中に入って」
 促されて部屋の中に入ると、後ろでドアが閉まり、彼女が俺の前に回り込んできた。
 彼女の肩越しに部屋の中をよく見ると、イヨの部屋と同じ家具が同じ位置に置かれている。
 違うのは丸いテーブルに花がないこと、机の上に原稿用紙がないことくらいである。
 視界に入ってきた彼女の顔から熱い視線が向けられている。目から表情を読み取ろうとしていることは明白だ。こちらも視線を合わせた。
「カノジョと決着着いたの?」
 視線を逸らさずに答える。
「ああ」
 彼女は俺の胸に頭を押しつける。
 額を通じて息遣いや鼓動まで感じ取っているようだ。
「なんて言ったの?」
「タイプだけど<好き>までは行かない、と」
「タイプなんだ。あの眼鏡ブスが」
「嘘は言えない」
「正直ね」
 彼女は両腕を俺の脇から背中に向かって回す。そのまま体を密着させる。
「私は?」
「……好きさ」
 彼女が顔を上げて悪戯っぽく笑う。
「あ、今ちょっと考えたぁ」
 俺も両腕で彼女に同じことをした。
「いや、ちょっと勿体(もったい)ぶってみただけ」
「二度目なんだから勿体(もったい)ぶらないで」
「え? 二度目だっけ?」
「あ、忘れてるぅ。お仕置きしちゃうぞぉ」
 そう言って彼女は背伸びをし、キスをした。俺も彼女を抱きしめた。

 とその時、突然ドアがノックされたのでギョッとした。
 ミキもビクッとしたようで、体に振動が伝わる。
「そろそろよろしいかしら? 皆様がお待ちかねですの」
 ドア越しにルイの声が聞こえる。
「早すぎないか?」
「お二人の結論はすでに出ていらっしゃいますでしょう?」
 彼女は本当に勘が鋭い。
「10秒も経っていないぞ」
「30秒は過ぎていますわ。さ、応接室までご案内いたします」
 ミキが俺の左肩越しに小声で言う。
「ケチ」

 ミキが俺の手を引いて、ベッドの方へ向かう。
 引かれるままについて行くと、意図が分かった気がしたので、押し倒されるのかと身構えた。
 しかし、彼女の足は止まった。
 単にルイには聞こえないようにドアから遠ざかっただけのようだ。考えすぎた俺が情けない。
 彼女は小声で言う。
「今言っておきたいことがあるの」
「何を?」
「実は、小学一年生の時に病気で入院したことがあって。
 その時、見舞いに来てくれた同級生の私野(わたしの)マモルって男の子から花束を渡されて、
 『大きくなったら僕と結婚する約束をしてください』と言われたの。
 私、『うん』て答えたらしいのだけど、それからすっかり忘れていて。
 前にタケシという男とその仲間に絡まれて怪我した時、マモルさんに助けてもらって。それだけじゃなくて、後で入院先までお見舞いに来てくれたの。花束を持って。
 そうしたら、小学生の時に同じシチュエーションで男の子に花束をもらったこと、さらに結婚の約束をしたことを思い出したの。
 マモルさんは、鬼棘(おにとげ)の前の姓が私野(わたしの)だと教えてくれて、『ああ、あの時の男の子だ』と分かって。
 そして昔の話をしたら、マモルさん、そのことを覚えていてくれて。
 凄く嬉しかったの
 ……」
(昔から、偽の俺は二股だったのか……)
「ああ、スッキリした。今までなかなか言い出せなくてモヤモヤしていたの」
「悪い。今は覚えていない」
「記憶喪失だから、でしょう?」
「ああ」

 彼女が余韻に浸っている一方で、俺には気がかりなことが一つあった。
「ちょっと聞いていい?」
「何?」
「スッキリしたところに悪いんだけど、もしかすると気分悪くなるようなことかも知れないけど-」
「イヤ」
「ゴメン。どうしても確認したいことがあるんだ」
「……仕方ないわ」
「昔、タケシって奴が絡んで怪我させた時に、もしかして『お前は平和主義者だろ』とか何とか言ってなかった?」
「え? もしかして……記憶が戻って思い出したの?」
(やっぱりそうか。これで繋がった)「いや、もしかしたらそう言っていたのかな、と」
「当たりよ。あいつ、それで強請(ゆす)ってきたの。『それをばらしてやる』って。それがどういう意味かというと-」
 とその時、またドアがノックされた。
「2分過ぎましたわよ」
 ミキがドアに向かって叫ぶ
「走れば挽回できる時間よ!」
「廊下は走らない、ですわ」
 彼女は小声で苦々しく言う。
「ホント、あの縦ロール頭-」
「『いけ好かない』って? それ、みんな口揃えて言う」

暴露された真実

 ルイに案内されて黄金の応接室へ戻った。
 妹とミルがソファーの上で欠伸(あくび)をしていた。
「ゴメンゴメン、遅くなった」
「お兄ちゃん、遅すぎ」
 ソファーは三つ。四人掛けが二つ、二人掛けが一つで、長方形のテーブルを囲むようにコの字型に配置されていた。
 コの字の上の横棒に当たるソファーにはミイ、ミルが、その真向かいのソファーの真ん中に妹とイヨが座っていた。
 俺達二人は妹の座っているソファーに座った。
 もちろん、イヨの隣は二人とも気まずいので、妹が間に挟まるように、ミキがイヨから一番遠くなるように座った。
 俺達の意図を察して、妹とイヨは横にずれた。
 残っている二人掛けのソファーには、ルイが優雅に座った。
 生地がクシャクシャと皺にならないように、だろう。
 こういう時にドレスは不便そうである。

「さて……」
 ルイは全員を見渡すと、ドアの方を見ながら両手を肩の高さに上げてパンパンと叩く。
 それを合図にドアがスッと開かれて、三人の若いメイドがオレンジジュースと菓子を持って入ってきた。
 メイド服などコスプレ写真でしか見たことがなかったので、本物のメイドを間近で見るとドキドキして緊張する。
(近い近い)
 メイドの体や腕が顔の近くまで迫ってくる。洗い立ての服のにおいがする。
 そうやって間近に迫られてオレンジジュースのグラスや菓子が載った小皿をテーブルに置くので、緊張の度合いが高まった。
 三人とも美少女風で、仕草が可愛いし、『ご主人様』とか言ってくれたら、卒倒しそうだ。
『あの子はウサ耳が似合いそうだ、あの子は手でハートマークを作ってくれたら嬉しいな、あの子は…』という妄想はミキの視線を感じることで、惜しいかな、消え失せた。
 いかんいかん、浮気は。

「先に食べててもらえば良かったのに」
「あら、マモルさんって、結構お気を遣われる方ですわね」
「『結構』は余計」
「あの鬼棘(おにとげ)さんにしては」
 名前を強調するのが気に入らない。
 何でもお見通しの生徒会長だから、何か含みがあるはずだが、考えても分からなかった。
「『にしては』は言いすぎじゃないか?」
「あら、ゴメン遊ばせ」

 グラスが全員に行き渡ったところで、ルイがグラスを高く掲げて乾杯の音頭を取る。
「全員の無事に感謝して、乾杯!」
「かんぱーい」
 言われるままに唱和したが、そもそも何故ここに集められたのか誰もまだ理解していないので、ルイ以外は乾杯の仕草がぎこちなかった。
 わざわざ無事を乾杯する意味が不明なのだ。

 妹はジュースを口に含むと、早くもビスケットを(くわ)えた。
 ビスケットは、軽く上下しながら、徐々に妹の口の中に入っていく。
 他の皆は、ジュースを味わっていた。
 口に含むと、絞りたての生ジュースの味がするし、僅かにツブツブが残っていて舌の上に転がる。
 さすが本物志向で、安物の着色水ではない。

 ミルがグラスをテーブルの上に置いて挙手をする。
「生徒会長」
「何でしょう?」
「そのぉ……なんで私達がここに集まったのでしょう?」
 ルイはジュースを半分飲んでから当然のことのように言う。
「全員の無事をお祝いするからですわ。あ、ミカさんとリクさんがいらしておりませんから、今ここにいらっしゃる皆様で全員ではありませんが」
 俺はリクの名前を聞いて、口に含んだジュースを吹き出しそうになった。
 ミルはまだ理解出来ないようだ。
「あのぉ……誰ですか、ミカさんとリクさんって?」
 ミイが思い当たったらしく、両手をパンと打つ。
「も、もしかして、あ、あの歌姫と人形ちゃん?」
(あの子、人形ちゃんって呼ばれてるんだ。……でも歌姫って誰だろう)
「そうですわ。お二人とも日頃私を避けていらっしゃいますが、それでも一応はお声がけいたしましたけれど」
「じゃ、そのぉ……全部で……七人でしょうか、無事だったっていうのは」
「そうですわ。ね? マモルさん? 今までご苦労様でした」
 俺は咳き込んだ。
「あらあら、ジュースが気管に入ったのかしら?」
「ゲホゲホ。し、失礼。ゲホゲホ」
 ミルがこちらを見て言う。
「ご苦労様って、マモルさんが私達の無事と何か関係でも?」
 俺は黙っていた。
 ルイが軽く咳払いをして、「では、わたくしが解説いたしましょう」と言って、立ち上げる。
 そうして、全員をゆっくり見渡して、さらに一呼吸置いて言う。

「実は、……この世界では、皆様全員が亡くなる運命でしたの」

 応接室の中の空気が凍った。
 全員が息を止めたのだ。
 衣擦れの音すらしない静寂が空間を支配し、黄金色の光だけが行き交うことを許された。
 彼女が一段と声を上げてこの静寂を破る。

「この世界でマモルさんが自らの行動を変えることで運命を何度も分岐させて、一人一人が亡くならないように回避したのです」

 ミルがまた挙手をする。
「あのぉ……意味が分からないのですが」
「そうですわね。ご自分が亡くなっている姿は幽体離脱でもしない限りご自分では見ることが出来ませんし、もちろん、その記憶が今ここで残っていることはあり得ませんから。
 マモルさんは、お可愛そうに、皆様が亡くなるところをご覧になられたりお聞きなさったりして、心を痛めながらも記憶されていらしたのです。
 そして、過去に戻って運命を変え、こうして全員が生きている運命を切り開いたのです」

 ミキが俺に寄り添ってきた。
 ミイが挙手をした。
「そ、そんなことが出来るんですか?」
「ええ」
 ルイが縦ロールをユラユラさせて(うなず)き、こちらを見る。
「マモルさん? 秘密をもう皆様に公開してもよろしいですわね?」
 俺は黙っていた。
 とびきり熱い風呂に入っているかのように、頭が逆上せてくる。
 手の平も汗ばんで震えてきた。
「反対なさらないということは、公開してよろしいのですね?」
 <公開>が<後悔>に聞こえた。
 沈黙が答えとなった。
 それを確認し、彼女は勿体(もったい)ぶって言う。

「実は、マモルさんは……」
 彼女は俺を凝視する。
鬼棘(おにとげ)マモルさんではありません」

 全員が目を見開き、こちらに強い視線を投げかける。
 それらが耐えられないほど痛いので下を向いて回避した。
 ミキが体重を移動して少し離れた。

「彼は、この世界と並行して存在する別世界からいらした、君農茂(きみのも)マモルさんです。ご幼少の頃は、こちらの世界と同じ名前の私野(わたしの)マモルさんでいらっしゃいましたけど」

 誰もが『信じられない』という顔をした。
 無理もないだろう。
 偽の俺と同じ背格好で同じ顔の人物が代わりを務めていたのだから。

 こうなったら正直に言うしかない。

 俺は立ち上がった。それと交代にルイが座った。
「みんな、本当にゴメン。生徒会長の言うとおりだ」
 そして全員を見渡す。
 ルイ以外は呆気にとられていた。
「俺は、私野(わたしの)マモルだったが、分岐した運命の別世界からここに来た。
 別世界では君農茂(きみのも)マモル、こちらの世界では鬼棘(おにとげ)マモルになった。
 名前が違うのは運命が違うからで、俺を引き取った叔父さんが違うからだ。
 未来人が別世界、正確には並行世界を移動する装置を作って、俺、君農茂(きみのも)マモルは実験のためにここへ送り込まれた。
 もう一人の俺、つまり、鬼棘(おにとげ)マモルは、交換されて今まで俺がいた世界にいる」
 聞いている皆は、俺の言葉を一言も逃さないという顔をしていた。
 「元の世界では、この国は戦争が起きてない。
 男も女も同じ数だけいる。
 妹は病気で亡くなっている。
 みんなのことは知らない。
 食べ物もどことなく違う、店も雰囲気が違う。
 お金は10分の1だ。
 何もかもが違う」
 また全員を見渡す。ルイは縦ロールを揺らして(うなず)いていた。
「こちらの並行世界に来て、みんなが死んでいくのを見たり聞いたりした。
 とても耐えられなかった。
 だから、未来人に頼んで時間を過去に戻してもらい、
 行動を変えることで別の運命に変えてきた。
 その甲斐があって、こうして全員が生きている運命に変えられた。
 途中で好きな人も出来た。
 俺はこの世界で、
 ……」
 涙が込み上げてくるのを必死に耐えた。
 と同時に、俺が今まで意識しなかったこと、知らなかったことまで口にしているのには驚いた。

(みんなが死んでいく?
 未来人に頼んで時間を過去に戻してもらう?
 自分で何を言っているのだろう?
 何故不思議に思わない?
 ルイが言ったから思い出したのか?
 何かおかしい
 ……)

 俺自身が別人のような気がしてきたが、感極まったので、不思議がることより決心を伝える気持ちの方が打ち勝った。

「この世界で生きていくことを決めた。……もう元の世界には戻らない」

 言い終わると、ゆっくりと腰を下ろした。
 しばらく沈黙が続いた。
 その沈黙を破るように、ミキが横から抱きついた。
「『鬼棘(おにとげ)マモルさん』と『君農茂(きみのも)マモルさん』は運命が分岐して住んだ世界が違うだけで、別人じゃないと思うの。だから、私は今のマモルさんでかまわない」
 妹が続けて言う。
「病院で会った時から、何かおかしいと思ったけど、私、こんなお兄ちゃんでも悪くない」
 ミルが(うなず)きながら言う。
「やっと分かりました。SFみたいな話ですね。でもマモルさんには変わりないんですよね?」
「そう。マモルとしては同じ。住んでいる世界が違って名前も違った、ということ」
 ミイが笑って言う。
「そ、そんなことが起こりえるんだ。よ、世の中、進歩している」
「ミイさん。進歩しているのは、並行世界の人間を交換した未来人ですわ」
「そ、そうかも知れないけど、す、凄いことが起こっているんだ」

 イヨが重い口を開いた。
「あちらの世界では幼稚園時代に私と会っていません?」
「ああ、悪いけど、覚えている記憶を全部辿ってもイヨという名前の女の子には一度も会っていない」
「私、並行世界ではどこで何をしているのかしら……」
「もしかしたら、どこかで元気にしているのかも」
「小説にしたら面白いわね」
「恋愛SF小説?」
「それもイイかもね」

 彼女は少し間合いを置いて「ところで」と言う。
「過去に戻って行動を変えることで相手の運命まで変わってしまう。……それってパラドックスが起こってしまわない?」
「パラドックス?」
「一見すると合っているようで、実は矛盾して成り立たないこと」
「詳しくは分からない。未来人なら知っているかもしれないが」
「未来からやって来て過去を動かし、不都合を変えてしまう」

 それを聞いてミキがビクッとしたらしく、振動が体に伝わった。
 彼女が何故こうも驚いたのかは分からない。
(何か思い当たることでもあるのだろうか? ……まさか)

「やっぱり、過去に戻って未来を変えることは問題だわ」
「問題? 何故?」
「たとえば過去に戻って両親に会う。その両親に別れるように言うと、自分が生まれて来なくなるから、その瞬間消えてしまう」
「まあ、わざわざそういうことをするために過去に戻る人はいないだろうから、大丈夫じゃないかな?」
「本当はマモルさんの行動は危なかったのかも知れないわね?」
「全然そんなことを考えなかった」
「おお、怖っ……」
「ゴメン、鈍いから」
「この世界がマモルさん一人に委ねられたのよ」
「そう言われると、今更ながら責任感じる。でも、みんなの命を救うために無我夢中だった」
「こうして全員が無事と言うことは、パラドックスが起きなかった。むしろ、マモルさんは起きないように行動できた、ということなのかしら?」
「そういうことになるのかな?」
「小説的には面白そうね」
 彼女はニコッと笑った。本当に恋愛SF小説でも閃いたらしい。

エンドレス・バッドエンド

 ルイが立ち上がる。
「さてさて、マモルさんも目出度(めでた)く正体がばれて-」
「人聞きが悪い」
「皆様も納得されたことでしょうから、ここでお開きといたしましょう」
 全員が立ち上がった。
「マモルさん?」
「何?」
「この先、全員亡くなりませんわよね?」
「百歳までと言われても保証はしないが」
 皆がドッと笑った。

「さて、皆様のお部屋をご用意いたしておりますので、特にお家に戻られない方はお泊まりください」
 結局、全員が泊まることになった。一人一部屋である。
 俺は疑問があったので、ルイに耳打ちした。
「誰から聞いた?」
「え?」
「俺のこと。……まさか、何でもお見通しって白を切らないよな?」
 彼女は、フフッと笑う。
「未来人のトマスから聞いたの」
 聞いたことがない名前だ。
 それより、いつも指輪に電話してくる未来人の名前を知らないことに今更ながら気づいた。
「そのトマスって、オネエ言葉の人?」
「いいえ、ちょっと恰幅がいいロマンスグレーの優しい叔父様ですわ」
 あのオネエじゃないようである。
(今度電話がかかってきたら、名前を聞いてやろう)

 年配の執事に案内されて自分にあてがわれた部屋に入る。
 部屋の中はミキ達の部屋と同じ家具が同じ位置に置かれている。
 疲れたのでドアに(もた)れていると、外で言い争う声がする。
 ドアを開けて様子を見ると、ミキとイヨが廊下の真ん中で睨み合っているではないか。

 二人は俺を見つけると、招きもしないのにこちらの部屋へ入り込んで来た。
 イヨが口火を切る。
「この人、マモルさんとお付き合い始めたのは、つい最近だって言うじゃないの!」
「別にいいじゃない」
「私は1ヶ月以上前よ! しかも、お弁当まで作って食べてもらったし。作ったことあるの!?」
「戦地では作りたくても作れないわよ」
「キスだって、いつしたのよ?」
「どうだっていいじゃない」
「戦場でキスなんかできたの?」
「……」
「ホラ、言えない。実は休暇初日の今日とかじゃないの?」
「何時だっていいじゃない」
「やっぱりね。ちょっとキスが早いだけで、さも長い付き合いのように見せかけて。この嘘つき!!」
「何よ!!」
「……私だって諦めていないんだから。必ず振り向かせてみせるんだから!」
「泥棒猫は尻尾を巻いて帰りなさい!」
「必ず……必ず……振り向かせてみせる!!」
 イヨは悔し涙を流しながら足早に去って行った。

 ミキは俺に抱きついて泣いた。
「こんなところ見せてしまって……ゴメンなさい」
「いいんだ。みんな俺の優柔不断が招いたこと-」
 その時、ドアをノックする音がした。開けてみると、先ほどの執事だった。
「どうかなさいましたかな?」
「いや、なんでも。騒がしくてすみません」
「お困りのことがあれば何なりとお申し付けください」
「はい」
 彼は何か他にも言いたそうな顔をして去って行った。
 ミキはまだ興奮しているので、落ち着くまでベッドに座ってもらった。
 全員救ったのは良いのだが、俺の不甲斐なさでこういう遺恨まで残してしまった。
(肝に銘じておこう。今度こそ反省して失敗を繰り返さないようにしないと)
 落ち着いたミキは、自分の部屋に戻ると言うので見送った。

 それから小一時間すると、ドアをノックする音がした。
 ベッドの上で考え事をしていたので、ガバッと飛び起きる。
 叩き方が先ほどの執事のそれに似ていたので、執事が何か言い忘れたのかと思ってドアを開けると、そこにはミキが立っている。
「部屋に入っていい?」
 許可しなかったが、彼女は中に入ってきて後ろ手にドアを閉めた。
「それはさすがに、みんなの手前、マズイと思う」
「一緒に寝るとは言ってないわ。……明日会って話をするつもりだったけど、今ここで話しておきたいの」
「何?」
「実は……」
 ミキが俺の耳元で(ささや)く。耳に当たる彼女の息がくすぐったい。
「ゴメン、よく聞き取れない」
 彼女はユックリ噛みしめるように恐ろしい言葉を口にした。
「マモルさんが変えたこの運命でも、必ず誰かが死ぬの」


--(8) 第八章 ルイ編に続く

並行世界で何やってんだ、俺 (7) 泥沼編

並行世界で何やってんだ、俺 (7) 泥沼編

ついに彼女達が俺を巡って火花を散らした。並行世界で俺が蒔いた種は自分で刈り取らないといけないのだが、どうやって切り抜ければいいのだろう。さらに、俺が救った彼女達に招集を掛けた生徒会長ルイ。彼女の思惑に気づけない俺は、彼女の術中に はまっていくのだった。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-10-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 車中は急カーブにご用心
  2. 黄金の部屋
  3. 彼女とカノジョで修羅場になる
  4. イヨの言い分
  5. ミキの言い分
  6. 暴露された真実
  7. エンドレス・バッドエンド