わたしはミニマリストなんかじゃない
今日で三日、カゼで会社を休んだことになる。昨日は一日中高熱に苦しんだけど、今日はずいぶん下がったようだ。おかげで少し食欲が戻ってきた。でも、食べるものが何もない。一人暮らしは気楽でいいが、こういう時だけは、誰か助けてくれないかな、と思う。
近くのコンビニにでも行こうと着替えていると、チャイムが鳴った。ドアスコープから覗くと、新入社員の半田さやかが立っていた。
「ちょっと待ってね。今開けるから」
さやかは大きな紙袋を抱え、ワザとらしい心配顔をしていた。
「みどり先輩、大丈夫ですか?」
少し鼻にかかった声が、わたしの神経を逆なでる。それに、普通は『杉山先輩』だろう。
「うん、もう平気よ。で、何?」
「お見舞いを持って行くように、課長から頼まれました」
そこはウソでも、自分も心配なので、とか言うべきじゃないの。
「お見舞いって?」
「食べるものがないだろうから何か作ってあげなさい、その時間は勤務扱いにするから、と言われました」
こらこら。もう少しオブラートに包みなさいよ。
「ありがとう。気持ちだけもらっとくわ。今からコンビニに行くつもりだから」
「えっ、でも、もう材料を買っちゃいました」
この娘には、相手の表情を読む能力がないらしい。言いたくないことでも、言うしかないようだ。
「材料があってもダメなの。うちには包丁もまな板も鍋も食器も、とにかく、何もないの」
「あ、聞いてます。なので、百円ショップで一揃い買ってきました」
返す言葉がない。何年か前、同じようにカゼで休んだ時、様子を見に来た同僚に部屋の中を見られ、思いっきり呆れられたトラウマがよみがえってきた。追い返してやろうか、という気持ちは、しかし、すぐにあきらめに変わった。病み上がりな上に空腹で、怒る気力がないのだ。
「いいけど、本当に何もないわよ」
「大丈夫です。失礼します」
遠慮とか、気配りとか、そういう言葉は彼女の辞書にはないらしい。ズカズカと上がってくると、部屋の中を見回した。
「へえー、本当に何もないですね」
「ごめんなさいね、何もなくて」
だが、わたしの皮肉は通じなかったようだ。
「謝ることないです。こういうの流行りですよ。ミニ、えー、ミニ」
「ミニマリスト」
「それですそれです。かっこいいと思います」
「わたしはミニマリストなんかじゃないわ。ただ、面倒なだけ」
「そうなんですか。でも、マンガもないですね。あ、先輩が好きだって聞いてたので」
「マンガはレンタルで済ましてるの。買うと置き場に困るから」
「やっぱり、あれですか、美形の男性がいっぱい出て来て、愛し合うやつですか」
無邪気に聞いているだけに腹が立つ。
「違うわ。主に少年マンガよ。二個上の兄の影響で、少年ホップばっかり読んでたから」
なんでわたしが、こんな説明をしないといけないのよ。
「へえ、そうなんだ。じゃ、料理作りますね」
興味ないんかい!
だが、料理を始めたさやかに、ちょっと目をみはった。まな板で野菜を刻む、トントントンという小気味よい音を聞くのは何年ぶりだろう。わたしのキライな言い方だが、『女子力が高い』というやつだ。
「へえ、ずいぶん手馴れてるわね」
「学生の時、ずっと一人暮らしだったので」
ふん。こっちはずーっと、ずーっと一人暮らしだよ。
「半田さん、もしかして、裁縫とかもできるの?」
「はい。得意ですよ」
ニッコリ笑った顔に、軽く殺意を感じる。
「じゃあ、モテモテなのね」
「あ、いえ、それほどでも」
「あら、ご謙遜。わたしが男だったら、お嫁さんにしたいくらいよ」
さやかは、ギクッと体をこわばらせた。アホか!
「冗談よ、冗談」
「で、ですよねえ」
もう、一刻も早く帰って欲しい。
料理が出来上がるのが、二重に待ち遠しかった。
「さあ、できました。温野菜のポトフ風です。お熱いうちにどうぞ」
「ありがとう。いただくわ」
えっ、これは。
「どうですか、お味は?」
よく味のしみた野菜が、ホロホロと口の中で溶けていく。
「ええ、とても、美味しいわ」
「良かったです、喜んでもらえて」
自分でも思いがけず、涙が出そうになっていた。
「ねえ、半田さん。これの作り方教えてもらったら、わたしにもできるかな?」
(おわり)
わたしはミニマリストなんかじゃない